【本編完結】とある武術家ウマ娘がトレセン学園に転入する話 −流れ星の転校生−【リメイク版】   作:カンヌシ

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14話 宝塚記念・前編:私は『Make debut!』しか知らない

 

 

 

 

 

 

 ポツポツ、ポツポツと雨粒がノックするように人々に降り注ぐ。

 

 

「……やっと雨が収まってきましたわ。けれど、レインコートはまだ脱げませんわね」

 

「もっと早く弱まって欲しかったなぁー、長靴の中まで水が入っちゃったよー」

 

 

 メジロマックイーンは空を、ウイニングチケットは足元を見て呟いた。

 

 

 

 その年の梅雨の名残なのか、『宝塚記念』当日の天気は大雨だった。断続的な雨が阪神レース場に降り注いでいる。

 

 ウマ娘レースは基本的に台風や吹雪の様な極端な悪天候でない限りは通常通り開催される。それを分かっていても、気も滅入る様な荒れ模様だった。

 

 その日、阪神レース場では全12レースが行われる予定で、宝塚記念は第11レースだった。

 

 ダートを除いて宝塚記念の前に行われる芝のレースは4回、その全てが雨の降る中で行われてバ場は荒れに荒れていた。

 更にダメ押しに宝塚記念の直前に叩きつけるような大雨が降り、一時様子見となった後にレース開催のアナウンスか流れた。

 

 チーム『シリウス』のメンバーは既に控室から客席の最前列に移動しており、宝塚記念の出走開始を今か今かと待っていた。

 

 

 

「しっかし、こりゃとんでもない重バ場だななぁ。あたしが皐月賞ん時に走った中山以上だ」

 

 

 カチャカチャと雨天でもブレずにルービックキューブで遊ぶゴールドシップ。ちなみに今回は濡れても平気なようシールではなくカラープラスチックのキューブを持参していた。

 

 

「でも、これはマリンにとってはプラスになるはずだ。彼女の不良バ場適正はチームの中でダントツだからね。ただ、それだけで勝てる程G1レースは甘くはない……無理をせずに無事に走り切ってくれれば良いのだけど……」

 

 

 トレーナーは不安そうな目で、じっとターフを見つめていた。

 

 

「何だよトレーナー、やけに弱気じゃねーか。らしくないぜ」

 

「そう言う君だって、ゴルシ。今日はやけに大人しいじゃないか」

 

「ふっ……いくらあたしでも、後継者たり得るウマ娘の初G1レースで『ウッヒョー、スゲー重バ場だ! マックちゃんの体重みたいだな!』なんて軽口は叩けな『ゴールドシップさん……?(殺意の波動)』

 

「あ、マックちゃん冗談だって痛ダダダダダダダダ!!! やめ、首がガガガがが!!!」

 

「うう……ライス心配だよ……何だか嫌な予感がする……」

 

「きっと大丈夫よ、ライス。マリンさんを信じて待ちましょう」

 

 

 制裁を加えられているゴルシをよそに、何故かいつも以上に不安がるライスシャワーをサイレンススズカが気遣う。

 

 

「うわぁ……第4コーナーの出口付近、もうグチャグチャで水たまりみたいになってます。あんな所で滑ったりしたら……」

 

「まあ……普通に考えてそこを走るのは自殺行為だ。方向転換したら遠心力でスリップする可能性が高い。皆その手前で内ラチを避けて横に広がるだろうな。マリンもトレーナーと事前に確認していた。きっと大丈夫だろう」

 

 

 スペシャルウィークとナリタブライアンもターフの状態を危惧していた。遠目で見ても分かるほどにターフの状態は芳しくなかった。

 

 

 

 宝塚記念は例年重バ場になりやすい傾向にあるが、今年は史上ダントツだった。皆、何よりもマリンが無事に走り終えることを、胸の内で祈っていた。

 

 

 

 

……

………

 

 

 

 

 

 マリンは控室の鏡台の前で椅子に座り、目を閉じて精神を集中させていた。

 

 

「すぅぅぅ…………ふぅぅぅ…………」

 

 

 彼女は格闘技の試合の前と同じように、静かに呼吸を整えている。しかし、今回はのしかかる重圧がまるで違った。これから走るのは最高峰のG1レース、未知のプレッシャーが彼女の全身を締め付ける。

 

 

(これがG1レース……本来ならば出走することすら叶わないはずの自分が、奇跡的に挑戦する機会を得られた。トレーナーさんには気負わずに走ってこいと言われたけれど……)

 

 

 ふぅーーーー、とマリンは長く深い呼吸をする。それでも、彼女の心は落ち着かなかった。

 

 

(チームの皆とやれることは全てやった。後は、持てるものを全て出し切るだけだ。けど、私の実力はそれでやっと他のレースウマ娘の足元に届くかどうか、というレベル……)

 

 

 不安が込み上げてきそうになるのを、無心となって落ち着かせる。彼女はこんな経験は初めてだった。そうしていると……

 

 

 コンコン

 

 

 と、誰かが控室のドアをノックした。チームの皆は気を利かせてマリンを1人にしていたので、それ以外の誰かだと彼女は推察するが……

 

 

(他に思い当たるのはルリイロバショウか、トレセン学園の生徒か。それでも思い当たらないのだけど、一体誰が……?)

 

 

「どうぞ」

 

 

 と、マリンが一声上げるとガチャリとドアが開いた。入ってきたのは完全に『予想外のウマ娘』だった。小さな菅笠を被った、茶色髪のショートヘアに鈴のような耳飾りを右耳に付けていた。

 

 

「失礼するよ」

 

 

 そこにいたのは、マリンが幾度もチームメイトとビデオ研究でレースを観たウマ娘、宝塚記念優先出走枠の得票数第1位、今日の本番でも1番人気に推されている『皐月賞ウマ娘』だった。

 

 

「……!? あなたは……」

 

 

 彼女はドアを閉めると、その場で挨拶をした。

 

 

「初めまして。その様子じゃ……オレのことは知ってくれてるみたいだな。嬉しいよ」

 

 

 そして、マリンの所まで近付いた。

 

 

 

「アカネダスキだ。よろしくな、世代最強の格闘ウマ娘……マリンアウトサイダさん」

 

 

 

 ニヤリと、だけど爽やかな顔で彼女は名乗りをあげた。その勝負服もマリンと同じような和装調だった。丈の短い枡柄の着物に、袖をその名前と同じ茜襷で捲っていた。スラリと長い脚は太腿まで剥き出しで健康的な印象を与えている。

 イメージは『茶摘み娘』だろう。見ているとあの有名な童謡が聴こえてきそうだ。しかし、その穏やかな服装に反して彼女の雰囲気は『野生的』だった。その風格は、まさに歴戦のレースウマ娘なのだと疑いようが無かった。

 

 

 ゴクリ、とマリンは唾を飲んだ。

 

 

「……はい、よろしくお願いします。私に……何かご用でも?」

 

 

 なぜ彼女はここに来たのだろう、とマリンは訝しんだ。今をときめくクラシック級のG1ウマ娘が、やっと素人を脱却したばかりのレースウマ娘である自分に会いに来るとは一体……

 

 

「そんな顔をしないでくれよ。オレはアンタに会いたかったんだ……」

 

 

 彼女は懐に手を突っ込んで何かを取り出そうとする。一瞬、マリンは警戒した。そしてアカネダスキは勢い良く何かをマリンに突き出した。

 

 

 

「サインをくれ、ファンなんだ!!!!!」

 

 

 

「…………は?」

 

 

 マリンは素っ頓狂な声を上げてしまった。

 

 

 

 

………

……

 

 

 

 

「いやー実はウチの家族、みんな格闘技が好きなんだ。マリンアウトサイダと一緒のレースで走るって言ったらサイン貰ってこいって両親も兄弟もみんなうるさくてよー」

 

「はぁ……そうでしたか」

 

 

 キュキュっと色紙にサインを書くマリン。書き終わるとペンのキャップを閉めてアカネダスキに渡した。

 

 

「どうぞ、名前を書いただけですが」

 

「おお、マリンアウトサイダのサインだーー!!! 格闘ウマ娘ってファンと交流するようなイベントを殆どやらないからなーー!!! 家宝にするぜ、親父たちも絶対に喜ぶぞーー!!!」

 

 

 サインを掲げてクルクルと回る皐月賞バ。以前教室であのクラスメイトに書いてあげた時と同じようなリアクションだな、とマリンは髪の毛がふんわかした芦毛のウマ娘を思い出した。

 

 

(そういえば、いつか私の実家の山に行きたいって言ってたな、ハヤヒデさん……)

 

 

「いやー、ワザワザありがとな! トレセン学園のレースウマ娘って中々会えないからよ。今しかチャンスがないと思ってたんだ」

 

 

 椅子に腰掛けて、再び爽やかな笑顔を見せるアカネダスキ。

 

 

「いえ、どう致しまして。その……アカネダスキさんはトレセン学園生ではないのですよね。私はレースの世界に身を置いて日は浅いのですが、多分珍しいですよね? 活躍しているレースウマ娘は皆、トレセン学園に所属しているイメージがあるので……」

 

「あー、トレセン学園に通おうかも迷ってたけどよ。オレ、この見た目通り実家がお茶農家でな。しょっちゅう手伝いに帰らなきゃならないから、家に近い方の学校に行く事にしたのさ。まあ、走れればどこでもいいやって思ってたしな! あっはっはっは!」

 

 

 彼女は最初に見せた笑顔の通り、気持ちの良いさっぱりとした性格のウマ娘だった。人気があるのも、何となく頷ける。

 

 

「でも、珍しいと言えばアンタには敵わないさ。まさか全国覇者の格闘ウマ娘がレースウマ娘に転向したなんてなぁ……ウチの家族も大騒ぎだったぜ。特に親父なんか、これからのウマ娘格闘界が面白くなるはずだったのにって落ち込んでたしな」

 

 

 その言葉に、マリンは少しだけ胸が痛んだ。あの幼馴染みの顔が一瞬浮かんだ。

 

 

「オレもレースウマ娘だけど、アンタの試合中継は家族と一緒に観ていたよ。本人を目の前にして言っちまうのもなんだけど、あの鮮やかな闘いをもう観れないのかと思うと、そりゃー残念だったよ」

 

「……そう、でしたか……」

 

 

 マリンの心中を察したのか、アカネダスキは「やってしまった」という風な顔になる。

 

 

「いや、すまねえ! レース前にする話じゃなかったな、アンタにも事情があったはずなのに。オレ思ったことつい口に出しちまうタチで、よくお袋にもトレーナーにも叱られてんだ。オレはそんなこと言いに来たんじゃないんだ!」

 

 

 アカネダスキは椅子から立ち上がった。そして、曇りのない目でマリンの目を真っ直ぐ見つめて言う。

 

 

「あの『伝説の未勝利戦』の映像で観たぜ、ターフを走るアンタを! 良い走りだった、まさに夢を翔けるレースウマ娘だった! 格闘ウマ娘だったなんて信じられねーくらいにさ」

 

 

 突然の言葉に、マリンは目を丸くする。

 

 

「この宝塚記念の投票には色々と噂が立っているが、そんなのは関係ねえ! アンタは選ばれてここに居るんだ、それだけが真実だ! それに、世代最強の格闘ウマ娘とレースで競い合えるんだ、こんなにワクワクする事が他にあるかよ! この巡り合わせに、オレは全力で感謝している!」

 

 

 アカネダスキは握手を求めて手を差し出した。

 

 

「オレはアンタを見くびっていない……1人のレースウマ娘として、アンタと本気で勝負をする! 良いレースをしよう、マリンアウトサイダ!」

 

 

 その全く毒っ気のない言葉に、マリンの不安は何処かへと消え去ってしまった。これから競わねばならない相手の中でも最強のレースウマ娘に勇気づけられるとは、彼女は思ってもみなかった。

 

 

(そうか……これがG1を走る『レースウマ娘』なんだ……凄いな、本当に凄い……『シリウス』の先輩たちも、こうやって……)

 

 

 その気概に感服したマリンは、その手を固く握り返して言う。

 

 

「はい、良いレースをしましょう。私も全力で行かせて頂きます、アカネダスキさん……!」

 

 

 両者は笑みを浮かべて互いを認め合った。

 

 

 

 

……

………

 

 

 

 

 

 ザワザワ ポツポツ

 

 と、会場はざわめきと雨音でいっぱいだった。観客はレースの開始を今か今かと待ち侘びていた。雨天ということもあり、平常よりも客足は少ないようだった。

 

 

『ご来場の皆様、お待たせ致しました。間もなく、パドックにて本日の第11レース『宝塚記念』の出走ウマ娘をご紹介いたします」

 

 

 アナウンスが流れて、観戦客の視線が一斉にパドックに集まった。

 

 

「あ、始まるみたいですよ、アヤベさん!」

 

 

 ナリタトップロードは隣のアドマイヤベガに呼びかけた。2人ともこの雨天に傘を差している。

 

 

「……そうね。それに雨、もう殆ど止んでるわね、良かった……」

 

 

 今日はメイショウドトウとテイエムオペラオーは外せないトレーニングがあるので、学園に残っている。恐らく寮のテレビで中継を観ているはずだ。

 

 

「アヤベさん、もう少しだけ前に行きませんか? ちょっぴり空いてる所がありますよ!」

 

 

 ピョコピョコと耳を動かしてトップロードが移動する。彼女はこの日をとても楽しみにしていた様だ。しかし、アドマイヤベガはその逆だった。この宝塚記念の投票には嫌な噂があると知っていたのだ。

 

 

(……今更気にしても仕方ないけど。マリンさん、とにかく無事に……)

 

 

 不安が込み上げて来るのを抑えて、トップロードの後ろをついて行く。そこは確かにパドックが見やすい場所だった。

 

 

(ん? あの人は……)

 

 

 アドマイヤベガは近くに立っているウマ娘に注目した。紫色の傘を差して、同じくパドックを見つめているその姿には見覚えがあった。何となく、アドマイヤベガは彼女の側に近寄った。それに気付いたトップロードが「アヤベさん?」と立ち止まる。

 

 

「隣、いいかしら? ルリイロバショウさん」

 

 

 振り返ったそのウマ娘は少し驚いた顔をした。紅碧の瞳に、アドマイヤベガの姿が映る。

 

 

「……! アドマイヤベガ……」

 

 

 トップロードも駆け寄ってきた。

 

 

「あ、マリンちゃんの幼馴染みの方だ! そういえばちゃんと挨拶をしていませんでしたね! 私、ナリタトップロードと言います、よろしくお願いしますね!」

 

 

 雨天を吹き飛ばしそうな明るい笑顔でトップロードが挨拶をした。

 

 

「知ってるわ。あの世間知らずと違って、私はちゃんとニュースは見てるわよ」

 

 

 ルリイロバショウはツンとした態度をとってしまうが、何か考え込んでから2人に向き直った。

 

 

「その……この前のこと……本当に、申し訳なかったわ。あなたたちに、まだ謝れてないの気になってて……」

 

 

 ルリの言葉に、2人とも微笑んで言った。

 

 

「気にしないで下さい! 私たちが勝手について行っただけですから!」

 

「そうね、あの後のことは……ハァ、自業自得だったわ。オペラオーにはいつも調子を狂わされるのよ……あなたたちのレースの熱に当てられてしまったわ。格闘ウマ娘のあなたに言うのもなんだけど、そのくらい良い走りだったわ、2人とも」

 

 

 それを聞いてルリは少し安心した顔をする。そして、続けて真剣な面持ちで2人に尋ねる。

 

 

「あのっ、アイツ、マリンの事なんだけど、あなたたちから見てどうなの? 今日のレース……勝てると思う?」

 

 

 不安の混じった声だった。それに対してアドマイヤベガはキッパリと答える。

 

 

「厳しいわ。普通に考えればね」

 

「ちょっと、アヤベさん!」

 

「ここで安心させるような事を言っても仕方ないでしょう?」

 

 

 ルリは「っ、そう……」と小さな声で呟く。

 

 

「でも、レースは始まるまで分からないモノよ。私たちが出来るのは応援して『祈る』ことだけ。G1レースで勝つって、マリンさんはあなたと約束したんでしょう? 信じてあげなさい、あなたの幼馴染みを」

 

「……!」

 

 

 ルリは頷くと、パドックの方に目を向けた。アドマイヤベガとトップロードも同じ方を向く。今回の宝塚記念は例年より少なめの11人で争われるとアナウンスで言っていた。ちょうど、最初の海外枠のウマ娘が紹介されている所だった。そして、その後に……

 

 

 

『7番、マリンアウトサイダ!!! まさかまさかの参戦に驚愕した人は多いでしょう! 元UMAD所属の格闘ウマ娘、昨年度のウマ娘格闘界の全国覇者がG1レースに異例の出走です! 今回のダークホースとなり得るのか!?』

 

 

 

 ワァーーー!!!と歓声が上がる。パドックに堂々と立つ彼女を見て、3人は安心した。

 

 

「何だか気合いが入ってますね、マリンちゃん! これはイケるんじゃないですか!?」

 

「そうね、G1レースの雰囲気に怖気付いていないのは安心したわ」

 

「………マリン………」

 

 

 他方、『シリウス』のメンバーも大声でマリンの名を呼んでいた。マリンもそれに手を振って応える。

 

 

 その後、出走ウマ娘の紹介が続いてゆき、最後に1番人気のアカネダスキが出てきたところで会場の盛り上がりは最高潮になった。クラシック級のウマ娘がグランプリレースに出走する事は珍しい。だが、アカネダスキは当然というような威風堂々とした立ち姿だった。1番人気に推されるのも納得と言えるだろう。

 

 

 そして、出走ウマ娘たちのゲートインが完了する。いよいよ、運命のレースが始まろうとしていた……

 

 

 

 

 

………

……

 

 

 

 

 バンッ!!!

 

 

『各ウマ娘、綺麗なスタートを切りました!』

 

 

 マリンは外から3番目、アカネダスキは内から2番目でスタートした。先行バのアカネダスキはグイグイと縫う様に進んでいく。マリンは後方待機の姿勢だ。

 

 

 マリンはトレーナーの言葉を思い出す。

 

 

『宝塚記念までの期間で新たな戦法を身に付けるのはやめた方が良いだろうね。重賞レースを制してきたウマ娘たちに付け焼き刃の技術は通用しない。だったら、先日のレースの様に早めに仕掛ける『追い込み』の精度を上げるのに専念しよう』

 

 

(まずは様子見……トレーナーさんの作戦通り、第2コーナーを過ぎてから徐々にペースを上げていく)

 

 

 序盤のレース模様をアナウンサーと解説者が実況する。

 

 

『……1番人気のアカネダスキは現在3番手! 落ち着いて前を伺っています! …………そして、マリンアウトサイダは最後尾、前レースと同様に追い込みの作戦のようです!』

 

『良い走りをしています。格闘ウマ娘だった彼女が現役のトップランナーたち相手にどの様なレースをするのか、注目ですね』

 

 

 最初の直線で観客の歓声を浴びて、そのまま第1コーナーを曲がる。順位は特に変動する事なく、レースは進む。そして第2コーナーを過ぎたあたりでマリンは異変に気付いた。

 

 

(ペースが……想定以上に速い……!?)

 

 

 これはG1レース、出走するウマ娘たちは基礎能力からして未勝利戦の他のウマ娘とは天地ほどかけ離れている。マリンも勿論それを想定してトレーニングをしていたが、それでも実際のG1レースは、彼女たちの気迫も相まって全くの別次元だった。

 

 客席から観ていた『シリウス』のトレーナーも目を細める。

 

 

「……この不良バ場で、このハイペースは想定外だな。マリンの長所も活かせて貰えてない」

 

 

 隣のゴルシもルービックキューブを回す手を止めていた。普段は見せない緊張の表情をしている。

 

 

「……『早仕掛け』のタイミングが狂わされる……マズいぞ……」

 

 

 他のシリウスメンバーの顔も曇っている。

 

 

 実況が『集団はやや縦長の展開』と告げる。先頭のウマ娘がちょうど中間距離を通過した。それを目視したマリンの心に焦りが生じる。

 

 

(っ……やるなら、この辺りから……っ!!?)

 

 

 前に出ようとしたマリンアウトサイダを前のウマ娘が牽制する。僅かに緩急をつけた走りで、追い抜くタイミングが掴めない。無理に外側を追い抜けば体力のロスがかなり大きくなる。妨害と判定されないギリギリの位置を取られていた。

 

 

(しかも……この人、私だけじゃなくて前を走るウマ娘にも同時に牽制をかけている……!)

 

 

 このウマ娘だけじゃない、前方にいる全てのウマ娘が前後左右で視線を交わさない睨み合いをしていた。その気迫はレース経験の浅いマリンに取ってはまるで『壁』のように思えた。しかしそれは、トップレベルのレースではあくまで『普通のこと』だった。マリンは、経験と技術の非常に大きな差を思い知らされる。

 

 

(これがG1レース……割り込む隙が見つからない……!)

 

 

 マリンの焦りは募るばかりだった……

 

 

 

 

 その様子をアドマイヤベガは苦い表情で見つめる。

 

 

(マリンさん、このまま前に行けない状況が続いたら……厳しいわね)

 

 

 最終コーナーの終わりから最終直線にかけて、内ラチ側は前レースと大雨の影響で細長い水たまりの様になっていてかなり状態が悪い。スパートへの影響と転倒のリスク、最終直線の中央と外ラチ側は芝の状態が比較的良いことを考えれば、最終コーナー中盤からは外寄りに走るのがベストだろう。

 

 

(今回のコース状態、経験を積んだレースウマ娘ならインコースは絶対に攻めない。つまり、最終直線に入った時の位置が勝敗に大きく影響する。逃げ、先行がどう考えても有利。マリンさんが勝つ為には早めに位置を押し上げないといけないのに……!)

 

 

 同じ追い込みバとして、彼女はマリンの感じる歯痒さが我が事のように伝わってきていた。トップロードもマリンの走りを固唾を飲んで見守っている。ルリはそんな2人の雰囲気を感じ取って、ギュッと拳を握りしめた。

 

 

「……っ、マリン……!」

 

 

 ルリは『祈る』しかないというアドマイヤベガの言葉を思い返していた。

 

 

 

 

 

 第3コーナーを過ぎて、縦長だったバ群は少し縮まっていた。内を走っていた先頭集団が外に広がる為にスピードを僅かに落としていた。マリンは前方を見据えて先頭集団を確認する。

 

 

(勝つ為には、せめてこの辺りから位置を上げないといけない。私はゴルシさんの様な規格外の末脚は持っていない……直線一気で抜き去るなんて芸当は無理だ)

 

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ」

 

 

 呼吸は落ち着いている。前方のウマ娘が僅かに外に寄り始めた気配がする。そうなると追い抜くのは更に厳しくなってくる。

 

 

(スタミナは十分に残っている。だけど技術が足りない、前に進む為の技術が……)

 

 

 

 マリンはそれでも機会を得るべく、前方に食らいつく。その最中に彼女は思い出す。宝塚記念への出走を応援してくれた人たちの顔を。その中でも、あのダンスレッスンを共に受けたウマ娘たちのことを。ハルウララは飛び跳ねて喜んでくれた。そして、他のウマ娘たちも……

 

 

 

『おめでとうございます! G1レースに出られるなんて、本当にすごいです! 私、マリンさんのこと、心の底から応援してます!』

 

『本当、夢みたいですね! 私は応援することしか出来ないけど、せめてマリンさんと一緒にダンスの練習を一生懸命頑張ります!』

 

『アタシもアタシも! アタシたちのダンス……マリンさんが代わりに届けて下さい! 『Special Record!』 ……いつかアタシもライブで歌ってみたいなぁ! 全部のポジション、バッチリと踊れるように協力しますからね!』

 

 

 

 あの娘たちの声が聞こえて来る気がした。マリンは前方を走るバ群を見て、ふと思う。

 

 

(当然だけど……このレースウマ娘たちは私よりも沢山のレースを走ってきて……色んな曲をウイニングライブで歌って、踊ってきたんだろうな……)

 

 

 

『私……いつかG1レースの舞台で、ウイニングライブを踊るのが夢なんです。ハルウララのお陰で思い出したんです。走るのも踊るのも格好良いレースウマ娘に憧れてた最初の気持ちを。私の中にもまだ『憧れ』という感情が残っていたのを』

 

 

 そのウマ娘は目を潤ませて言った。

 

 

『お願いします、マリンさん、私の『思い』も、ここに居るみんなの『思い』も、あなたに託します。どうか、頑張って下さい……!』

 

 

 

 それは、いつかハルウララに救われたあのウマ娘の言葉だった。このレース前の最後のダンスレッスンを、彼女はマリンにそう言って送り出したのだ。マリンはほんの一瞬だけ目を細める。

 

 

(私は『Make debute!』しか知らない……それしか本番で歌って、踊ったことがない。あのレッスンの娘たちの殆どがそうだ……そして、それを踊ったことのない娘も沢山いる……)

 

 

 華々しいレースの世界、その影で多くのウマ娘たちが悔し涙に心が押しつぶされている。マリンはトレセン学園で、そんなウマ娘たちと多くの時を過ごした。

 

 

 

 響けファンファーレ 届けゴールまで

 

 輝く未来を 君と見たいから

 

 駆け抜けてゆこう 君だけの道を

 

 

 

 マリンの耳に歌が聞こえた気がした、あのウマ娘たちと共にレッスンスタジオで習った『初めての曲』が。誰にも見て貰えないかもしれない不安を抱えながら、皆いつかそれを踊れる未来を信じて、懸命に練習していた。走りながら、誰にも聞こえない声で、マリンは呟く。

 

 

 

「………駆け抜けて、ゆこう………」

 

 

 

 彼女の背中には、そんなウマ娘たちの『思い』も乗っている。彼女は今それを、ハッキリと感じている。

 

 

 ドクン!とマリンの心臓が鼓動した。

 

 

 黒髪のウマ娘は前を向く。その目には、かつて無いほどの闘志が宿っていた。

 

 

 

「私だけの………『道』を………!!!」

 

 

 

 そこには、『覚悟』を決めたレースウマ娘の顔があった。

 

 

 ダンッ!!!とマリンは大きく踏み込んだ。他のレースウマ娘たちが避けて広がったインコースへ向かって、彼女は加速する。

 

 『宝塚記念』という最高位のレースで、未勝利戦1勝のみのウマ娘は、全てを賭けて勝負を仕掛けた。

 

 

 

 

 

 

 





次回

15話 宝塚記念・後編:史上最大のフロック
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