【本編完結】とある武術家ウマ娘がトレセン学園に転入する話 −流れ星の転校生−【リメイク版】 作:カンヌシ
22話 卒業とその先の未来〈PGリーグ〉
幕間 とあるウマ娘の真名
この物語の始まりより十数年前、ある老人がウマ娘の赤ん坊を拾ってから数年経ったある日の正午過ぎ。
その日は天気の崩れた薄暗い1日だった。風が強くて、ギシギシと家が軋んでいた。
道場の裏手の母屋、そこの囲炉裏のある和室で『ミドリ』と呼ばれる小さなウマ娘と老人が昼食を取っていた。ミドリは黙々とご飯と焼き魚、味噌汁と山菜の漬物を食べていたが、すでにおかわりを2回して老人の3倍は食べていた。小さくともやはり彼女はウマ娘だった。
ミドリは口数は少ないが、とても利発な子供だった。会話の受け答えも達者で、箸の使い方も老人が教えるとすぐに身に付けた。何よりも、小さいながらも目を見張るほどの武術の素養があった。
そのウマ娘が果たして何者なのか、謎の多い子供だが老人は露も気にせず、淡々と彼の持てる技術を教え込むだけだった。彼女が誰なのかはお天道様が知っている、ならば自分が知らないところで問題はない、そのような事など気にしても仕方がないと彼は考えていた。
ただ間違いないのは、老人はぶっきらぼうながらも愛情を持ってそのウマ娘に接していた事だ。孤児である彼女がいつか己だけの力で生きていけるようになるまでは、老人はその子を守ると決めていた。亡くなった彼の伴侶もきっとそれを望んでいるはずと考えて……
「ミドリ、今日はもう外へ出てはならんぞ。嵐がやってくるらしい。俺は風の備えを確認しに畑へ行ってくるから、昼飯食い終わったら本でも読んどきな」
「うん、分かった」
ミドリは短く返事をする。子供らしい一面をあまり見せないのは、流石に老人も少し心配をしていた。小学校へ上がる頃には、知り合いの経営する町の道場にでも通わせようか、などと彼が考えていると……
カラランッ!
と箸が床に落ちる音が居間に響いた。
「むっ、気を付けなさい」
老人は幼いウマ娘を注意する。最近は箸を落とすことなどなかったのだが、偶にはそんな事もあるだろうと、彼はこの時は気に留めていなかった。
しかし、ミドリの様子が何やらおかしい。彼女は箸を落としたまま微動だにしなかった。目の焦点があっておらず、虚空を見つめていた。
「…………行かなきゃ」
すると、彼女は次に持っていたお茶碗を床に落とした。そのまま立ち上がると、突然玄関に向かって走り出した。
普段ならあり得ないミドリの行動に老人は面食らってしまった。
「ミドリッ!!? 待て!!!」
制止の声も聞かずに、ミドリは幼子とは思えない速さで外へと飛び出した。老人が玄関から外へ出た時には、彼女の姿はどこにもなかった。
空には黒い雲が渦巻いていて、パラパラと小雨を降り始めていた。山の天候は平地よりも変化が早い。
「あいつ、裸足で飛び出しやがって! しかも雨まで降ってきやがる。どこに行った……こんな事、今まで一度だってなかったのによ……」
ミドリは基本的に子供用の簡易道着を着て過ごしている。薄手なので雨に濡れると身体は冷える。老人は急いで下駄を履くと、彼女を探すため母屋を飛び出した。
…………
………
……
…
「ミドリ!! どこにいる!?」
老人は修行場や近場の林を探すが、小さなウマ娘の姿は見えない。雨も強くなり、視界も徐々に悪くなっていた。
「マズいな……他にアイツが行きそうな場所は……川原か、まさかツキの墓じゃあねえよな……ん?」
老人は、墓と呟いてからある事を思い出す。
「まさか……」
老人の脳裏に、ウマ娘の赤ん坊が木のウロに収まっていたかつての光景が浮かんだ。
彼は全力で駆け出した。老いを感じさせない走りでミドリと初めて出会った場所へと向かった。
…………
………
……
…
「……ミドリ!!」
老人は幼いウマ娘をようやく見つけた。彼が思った通り、ミドリは自身が置き去りにされていた木の前に佇んでいた。
昼間だというのに周囲は薄暗く、雨の激しさが増してきている。それなのにミドリはただ立ち尽くしたまま、目の前の木を見つめるばかりだった。
「ミドリ……一体どうしたってんだ。ウチへ戻るぞ。濡れたままじゃあ風邪をひいちまう」
老人の声に、幼いウマ娘の耳がピクンと反応する。
「……ミドリじゃない……」
「……?」
老人はその声に眉を潜める。明らかにいつものミドリの雰囲気ではなかった。
「……マリン……」
幼いウマ娘は、ゆっくりと老人へ振り返る。その顔はあまりに寂しげで、その目には深い悲しみが宿っていた。
「……『マリンアウトサイダ』……それが……わたしの名前……」
ポタリポタリと、彼女の髪から雨粒が滴り落ちる。道着も雨でびしょ濡れだった。
まるでこの空も、彼女と一緒に泣いているかのようだった。
「……どこ……?」
ふらりと幼いウマ娘は力無く歩き出した。老人は慌てて彼女の元へ駆け寄り、背中から抱き止める。
「どこ……どこなの……?」
「っ、待て、どうしたんだ! お前は、誰を探している……?」
ピタリ、と彼女の動きが止まる。
「……分かんない……分かんないよぉ……どこ……どこなのっ……!」
老人の腕の中で彼女は暴れ出す。小さくてもウマ娘の腕力はかなりのものだ。老人は本気で彼女を拘束する。
「離してぇ……!! どこ……どこにいるの? なんで……なんで来ないの……ずっと……わたし、ずっと……!」
「ミドリ! 落ち着くんだ、ミドリッ!」
「どこ……どこぉっ!? わたし……ぁ……」
突然、糸が切れたように幼いウマ娘はグッタリと動かなくなる。老人は慌てて、彼女の様子を確かめた。
「ミドリっ……っ!? ひどい熱だ……こりゃいかん!」
老人が彼女の額に手を当てると、信じられないくらいに熱を帯びていた。明らかに異常なことが彼女の身に起こっていた。
老人は迷わず、彼女を背負って駆け出した。自分の手には負えないと判断して、山を降りて病院へと向かったのだった。
その後、幼いウマ娘の高熱は治まらず、彼女は5日間もずっと昏睡したままだった。しかし彼女がようやく目を覚ますと、まるで何事もなかったかのようにケロリと体調が回復した。
彼女は雨の中を飛び出した事や、誰かを探して彷徨っていた事を全く憶えていなかった。
ただ1つ、自分の名前が『マリンアウトサイダ』だという事だけは認識しているようだった。
老人が医師に聞いたところによると、ウマ娘の名前は基本的には母親が初めに『知る』のだと言う。母親が産まれた赤子のウマ娘を見た時に、原理は不明だがそのウマ娘の名前が頭に浮かんでくるそうだ。なのでウマ娘にとって名前とは名付けるものではなく、『天から授かるもの』なのだ。
しかし、何らかの要因で母親がその子の名前を知る前に、もしくは他の誰かに伝える前に居なくなる場合もある。その時はそのウマ娘本人が物心がついた後で、個人差はあるがどこかのタイミングで自身の真名を『自覚する』。
幼いウマ娘の不可解な行動はその事に何らかの関係があるかもしれないが、ウマ娘には謎が多く、ハッキリとした原因は分からないと最後に医師は言った。
老人は退院した後もすぐに修行をしたいと元気に言う、無邪気な幼いウマ娘を見て考えた。
(あの時のコイツの目……とても数年しか生きていない幼いウマ娘のものじゃあなかった。あのまま、その『誰か』を探し続けるのなら、コイツはきっと……『迷子』になっちまう……)
そんな予感がどうしても老人の脳裏にこびりついて拭い去れなかった。
だから老人は決めた。
このウマ娘を幼名の『ミドリ』と呼び続けよう、と。
彼女が真に己の進むべき道を見つけるまでは……
彼女がその迷いを、己の力のみで振り払えるくらい成長するまでは……
決して真名では呼ぶまい。
そう、彼は固く心に誓った。それが武に生きる不器用な男の、言葉には決して出さない、マリンへの愛情だった。
ーーーーーー
時は飛んで現在……チーム『シリウス』のトレーナー室。
マリンアウトサイダとウイニングチケットと、(どこかで昼寝をしているだろう)ナリタブライアンを除くチームメンバーがその場に集まっていた。この日の授業は午前中のみで、午後の時間をトレーニングに費やす予定だった。トレーニング開始まで若干時間の余裕があったので、皆のんびりとソファーに座り談笑していた。
そんな中、2つある内の片方のソファーを1人で占領して寝そべっているゴールドシップが声を上げる。
「なぁ〜〜マックイーン〜〜お茶はまだかよぉ〜〜アタシもう待ちきれねぇよぉ〜〜」
「静かにお待ちなさい。急かしてばかりいないで、たまには貴方自ら用意して下さっても良いのではありませんこと?」
「それは嫌だ。だってマックイーンの入れるお茶が1番美味ぇんだもん。それ以外飲みたくない」
そのゴルシの言葉にマックイーンの耳がピクンと反応する。そして、尻尾も微かに嬉しそうに揺れていた。
「はぁ……全く貴方は……せっかちなゴールドシップさんには1番先にお出ししてあげますから、もう少しだけお待ち下さいまし」
と言いつつ、メジロマックイーンは皆の為に紅茶とお菓子の用意をしていた。それは一重に「自分で美味しいお茶を用意すれば、更に甘味を美味しく楽しめる」という思いで彼女が腕を磨いた結果、皆マックイーンのお茶しか飲まなくなったからである。因みに彼女の入れる紅茶も緑茶も今やプロレベルの美味しさなのである。
マックイーン本人も「良い練習になりますから」と満更でもない様子でテキパキと支度を進めている。相変わらずお嬢様のイメージから逸脱するのが得意なお嬢様である。
そうしていると、ガチャっとドアが開いて同時に元気いっぱいのウイニングチケットが飛び込んでくる。
「こんにちはーー!!! みんなもう来てるーー??? って、あれ? ねえねえ、マリンさん居ないみたいだけど、どこにいるの? 教室には来てたのに。ブライアンはまたどこかでお昼寝してるのかな」
ウイニングチケットがキョロキョロと辺りを見回して、他の皆に尋ねた。その問いかけにはサイレンススズカの隣に座るカスペシャルウィークが答えた。
「あ、マリンさんならオグリキャップさんと一足先にグラウンドで並走トレーニングをしてますよ! 来週G3レースが控えてるから、少しでも多くトレーニングをしたいって」
「あ、そうだったんだ! この間のOP2連戦も勝って、夏の合宿前の宝塚記念と合わせたら3連勝中だもんね! 気合い入ってるなぁ、アタシも頑張るぞお!」
そう、マリンアウトサイダは現在絶好調なのであった。G1レース『宝塚記念』を勝利した彼女には他の重賞レースにも出走する資格が十分にあったのだが、彼女はOP戦から地道に挑戦する道を選んだ。
それは一重に、『史上最大のフロック』と呼ばれた宝塚記念のイメージの払拭の為、そして尊敬する先輩ウマ娘がOP戦を勝利していた事も関係してた。何よりも地道に経験を積み上げて、ファン投票ではなく堂々と実力でG1レースに出走したいという彼女の思いもあったのだった。
「あっ、そうだ! それとね、コレをハヤヒデから貰ったんだけど……」
そう言ってチケットはカバンから折り畳まれたスポーツ紙を取り出す。皆の注目が集まる中、彼女がバッとそれを広げると、その表の一面には高貴なオーラを纏ったあるウマ娘のレース写真が掲載されていた。
その見出しには
『メジロラモーヌ、プロフェッショナル・グレードリーグ4度目の挑戦にして遂に初勝利!!!!!』
と、大きくド派手な文字で書かれていた。
「マックイーン、おめでとう!! メジロラモーヌさんのレース感動したよおおおお!!」
その声にマックイーンが振り向いて微笑む。
「ありがとうございます、チケットさん。同じメジロ家のレースウマ娘として、私もラモーヌさんの事を誇りに思いますわ」
〜〜〜〜〜
ここで少し、この世界のレースについて補足しよう。ウマ娘レースには大きく分けて3つの階層がある。
1つ目は『トゥインクルシリーズ』
シリウスのウマ娘たちや他の多くのウマ娘たちが挑戦しているのは、言わずもがなこちらである。競技人口も最も多い。
2つ目は『ドリームトロフィーリーグ』
こちらはトゥインクルシリーズで輝かしい戦績を収め、いわゆる「殿堂入り」したウマ娘たちが挑戦出来る上位リーグである。シンボリルドルフ、ミスターシービー、オグリキャップ、タマモクロス等が走っている。
そして3つ目、伝説級のウマ娘しか走ることを許されない、日本国内のウマ娘レースの最高峰……
『プロフェッショナル・グレードリーグ』
通称PGリーグ、メジロラモーヌ、そしてマルゼンスキーはトレセン学園卒業後はそこで走っており、他の現役の選手たちも群雄割拠なんて4文字では表現できない程の傑物が集まっている。上記の2人も初勝利まで1年以上かかったと聞けば、そこがどれ程の魔境か想像に難くないだろう。
〜〜〜〜〜
「ラモーヌさんがPGリーグに挑戦して1年と少し……これでも彼女の勝利は『早い方』だと言われてますわ。きっと、私たちの想像を絶する過酷な世界なのでしょう」
コポポポ……とポットにお湯を注ぎながら真剣な顔付きでマックイーンは言った。実際、トレセン学園の卒業生からPGリーグに挑戦出来るのは極々一握りの選ばれたレースウマ娘だけである。挑戦するだけでも史上の栄誉とされるのに、そこでの勝利となると未来永劫の歴史に名を刻んだと言っても過言ではなくなるのだ。
「私も……いつか、その頂を目指しますわ。『メジロ家の至宝』として……」
ふ〜〜ん、とゴルシは興味なさげにゴロンとソファーで転がると、マックイーンの方を向いた。
「でもよー、マックちゃん。PGリーグのトレーナー資格ってよ、トレセン学園の資格とは別物で兼任は無理なんだろ? 良いのかー、トレーナーと離れる事になっちまうぞ」
コト……と、マックイーンはゴルシの前にティーカップを置くと、呆れた様子で言う。
「全く……私はトレーナーさんについて来て欲しいだなんて、子供みたいな我儘は言いませんわよ。トレーナーさんにはチーム『シリウス』の、私たちのまだ見ぬ後輩たちを指導する素晴らしい役目がございます。私がPGリーグに挑戦するのはまだまだ先の話、その時の事は自分で何とかするつもりですわ」
マックイーンは人数分のティーカップをサービスワゴンに乗せて、皆に紅茶を配っていく。美味しいですぅ!とスペシャルウィークが声を上げて、何かを思い描くように天井を見つめた。
「凄いなぁ、マックイーンさんはもうそんな先の事まで考えてるんだ。私はまだトレセン学園での事しか考えられないのに……スズカさんは、確か海外のレースに挑戦するんでしたよね?」
同じく紅茶を楽しんでいたサイレンススズカも、スペシャルウィークの方を向く。
「ええ、私は色んな景色を見てみたいから……その為には海外を走るのが1番かなと思って」
皆紅茶を飲みながら、口々に将来の展望を語り始める。マックイーンは最後に1人分のティーカップとソーサーを持って、練習開始ギリギリまでデスクワークをこなそうとしているトレーナーの元へ向かう。
「トレーナーさんも一息入れてはいかがですか? 午前中もずっと働き詰めでしたでしょう。午後のトレーニングでトレーナーさんが体調を崩しては元も子もございませんわよ」
「ああ、すまない。ありがとう。お茶そこに置いてて。後少しだけだから……あっ!」
トレーナーは忙しそうにファイルをまとめると、肘で資料の山を崩してしまった。ドタタッと床に何冊か本が落ちる。
「もう、相変わらず仕事熱心なのは良いですけど、もう少し自分を労っても……って、あら? これは……」
マックイーンが床に落ちた本の一冊を手に取ると、そのタイトルに目を見開く。それは、PGリーグのトレーナー資格試験の参考書だった。
「トレーナーさん、これって……!」
「ん? あっ、昨日徹夜で読んで仕舞い忘れて……まだ見せるつもりはなかったんだけどなぁ……」
トレーナーはマックイーンの手から参考書を受け取る。
マックイーンは緊張した様子でトレーナーと向き合う。
「トレーナーさん……はっ!? もしかして、貴方にPGリーグからお誘いがあったのですか!? トレーナーさん程の実績のある方なら、確かに納得出来ます。度々トレセン学園のトレーナーにスカウトが来ると聞いた事がありますし。もしかして、トレーナーさんは……『シリウス』のトレーナーを辞退なさるおつもりで……?」
えっ!?と、一瞬でトレーナー室がざわついた。他の皆がトレーナーの方を心配そうに見つめる。
「待て、みんな落ち着いてくれ! PGリーグからスカウトがあったとか、そう言う訳じゃないんだ! このチームのトレーナーを辞める訳でもない!」
ホッと、皆が安堵の息を漏らす。だが、マックイーンの顔にはまだ不安の色が残っていた。
「ですがトレーナーさん、それなら何故……?」
トレーナーはポリポリと頭を掻くと、覚悟を決めたような真剣な顔になる。他のメンバーも皆聞き耳を立てていた。
「……話すのはもう少し先にしようと思っていたけど、僕はPGリーグのプロトレーナーライセンスの取得を目指して、仕事の合間に勉強していたんだ。この参考書はその為のものだ」
マックイーンが息を呑む。
「マックイーン……君は例え厳しい挑戦となっても、いずれはPGリーグへの道を進みたいと、以前から言っていたね」
「はい……そう、ですが……」
そして、トレーナーはマックイーンの目を真っ直ぐに見つめて言う。
「もし君が本気でその挑戦を望むのなら……
僕が、君を支えたい。
『メジロマックイーン』のトレーナーとして……
そして一心同体のパートナーとして……
君と共にレースの最高峰、その頂点を目指したいんだ」
トレーナー室に居る他のウマ娘たちは皆、息を呑んでトレーナーとマックイーンを見つめていた。
PGリーグには『チーム』の概念はなく、トレーナーとウマ娘のコンビで争われる。その過酷さ故、2人の関係は正に一蓮托生、一部ではそれはもはや『結婚』と同義なのではないかと囁かれる事もしばしば。もちろん事実そんなことはないのだが、実際にトレーナーとウマ娘の夫婦でPGリーグを走る例も少なからずある。
それを知る者にとって、今のトレーナーの発言は『プロポーズ』にも聞こえたのだ。ライスシャワーは顔を薄く紅潮させて驚き、仲良し3人組はキャアアと小声で叫んで抱き合っていた。多感な時期の女子学生なので、このくらいは許されるべきであろう。
スペシャルウィークだけが「凄いです!マックイーンさんならきっとやれます!」と曇りのない眼をキラキラと輝かせている。その純朴さをいつまでも失わないで欲しいとスズカは胸の内で願ったのだった。
「どうかな、マックイーン……もし君が嫌なら、断っても良い……」
「そんな訳ありませんわ!!!」
マックイーンはトレーナーの言葉を遮って叫んだ。両手を握り、胸に当てて、瞳を潤ませてトレーナーと向き合う。
「そんな訳……あるはずがありませんわ……! 私は『貴方』と一緒なら、どこへでも、天にだって駆けて行けます……! とても、嬉しい……ですわ」
「そうか、そう言ってくれて嬉しいよ。僕はね、少なくとも今のチームメンバー全員が卒業するのは見届けるって決めてるんだ。これから後任のサブトレーナーも探さなくちゃいけないな。僕も本当は前任者の恩師のように、歳を取るまでこのチームの面倒を見ないといけないと思ってたけど……どやされるかなぁ……」
その様子を見て、ゴールドシップはフッ……と微笑する。
「へっ! こんな甘ったるい空間になんか居られるか! アタシはグラウンドの川の様子を見てくる! おら、行くぞお前らー!!!」
「えっ!? ゴルシさん、私まだお菓子食べ終わってないです!」モグモグモグモグ
「スペちゃん、そんなに口に入れたら喉に詰まるわよ」
と、ゴールドシップの掛け声とスズカのお姉さんムーブを皮切りに皆ゾロゾロとトレーナー室の出口に向かった。
「ちょっと、皆さん! まだ練習開始時刻ではございませんわよ! トレーナーさんだって用意が……」
「うるせーー! オラオラ、お邪魔虫はみんな退室だーー! さっさと行くぞぉーー!」
マックイーンは不思議そうな顔をしたが、その言葉の意味に気付いて顔が赤くなる。
「ち、違いますわ!! あれはそう言う意味ではなくて!! 私はただ、その、アスリートとトレーナーのパートナーとして……!! もうっ、ゴールドシップさんッ!!」
マックイーンがしどろもどろに答える間に、皆トレーナー室を出て行ってしまった。残されたのはあわわとするマックイーンとポカンと呆けるトレーナーだけだった。
「うーん、やっぱり言うタイミングがまずかったのかな……ところでマックイーン、そう言う意味って何だ?」
ちなみに先ほどの話はあくまでウマ娘たちの間で囁かれているものなので、『シリウス』のトレーナーはその事を全く知らなかった。
「全く……トレーナーさんはどうかお気になさらないで下さい。いつものお巫山戯みたいなものですわ」
マックイーンはコホンと咳払いをして、改めてトレーナーと向き合った。
「トレーナーさん……私は、貴方の決断に心より感謝致しますわ。メジロ家の誇りにかけ、貴顕の使命を果たすべく、私は日本のウマ娘レースの頂上を目指します。それはきっと、今より遥かに厳しい道のりとなるでしょう……なので、今一度お尋ねします。私と共に、その道を歩む覚悟は……お有りですか?」
トレーナーも立ち上がり、真っ直ぐにマックイーンを見つめ返した。その眼には迷いの一欠片も無かった。
「もちろんだ、マックイーン。僕も、ずっと……このチーム『シリウス』で君に支えられてきた。だからこそ、君をこの先も支えたいと思ったんだ。『一心同体』の覚悟は、今でも揺らいでいないよ」
トレーナーの言葉に、マックイーンは誇り高く笑みを浮かべた。そして、2人は硬く握手を交わした。
「よろしくお願いします、トレーナーさん。そのお言葉……ゆめゆめ、お忘れなきよう」
「ああ……勿論だ。こちらこそ、よろしくな。マックイーン」
チーム『シリウス』の柱である2人の物語は、この先もきっと続いてゆくだろう。それはここでは記されない、また別の物語である……
…………
………
……
…
「ハァッ、ハァッ、ハァッ!」
「うん、今の走りは中々良かったぞ。この調子なら、きっと来週のレースも上手くいくと思う。マリン、もう1本行けるか?」
「はいっ! お願いします!」
複数あるトレーニンググラウンドの1つで、マリンはオグリキャップから1対1で指導を受けていた。彼女は実力を付けてきたとは言え、当然だがまだまだオグリキャップの足元にも及ばなかった。
『芦毛の怪物』は文字通りの怪物なのだと、トレーニングをする毎にマリンは思い知らされた。だが、それが強者の存在に燃える武術家の彼女には良い刺激となっていた。
(つくづく出会いには恵まれているな……私は。それに今朝も……)
「ふふっ、楽しそうだなマリン。何か良い事でもあったのか?」
「えっ、あっ、すみません! せっかくトレーニングして頂いてるのに、気が緩んでしまって」
「気にしないでくれ。私も楽しんでいるからな。トレーナーにも誰かに物を教える経験を積んでこい、と言われている。この先の未来の戦いに備えてな」
「そうだったのですか……その、今朝貰ったファンレターの中に、私の先輩からの手紙が入っていたので、それがとても嬉しくて……彼女はもうトレセン学園には居ないのですが、私を応援していると」
マリンは嬉しそうに、しかし少しだけ寂しそうに笑う。
「……そうか。マリンは好きなんだな、その先輩の事が」
「はい! とても、とても尊敬しています。先輩のお陰で私は今もここで走れているのです。宝塚記念に勝てたのも、先輩が背中を押してくれたからです。だからこの先のレースも全力で走ります。先輩の為に、私の背中を押してくれた全ての人たちの為に」
「そうか……うん、私も応援しているぞ、マリン」
マリンの笑顔を見て、オグリキャップも微笑んだ。
「あの……ところでオグリさん」
「ん、何だ?」
マリンはおずおずと、先のオグリキャップの発言で気になるワードがあったので尋ねる。
「さっき『この先の戦い』……と言ってましたけど、オグリさんもやはりPGリーグに挑むのですか? 今はドリームトロフィーリーグで走っているのは知ってるのですが……」
「ああ、トレーナーと決めたんだ。私はPGリーグの頂上を目指す。きっと、タマたちもそこを目指しているからな。それに……戦いたい相手が居るんだ」
「オグリさんが戦いたい相手……きっと、とてつもなく……強く、速いのでしょうね」
オグリキャップはスゥーと息を吸い込み、空の高みを見つめた。
「ああ……
彼女は今、PGリーグの頂にいる1人だ
『ハイセイコー』
それが彼女の名だ」
マリンはピクンと耳を動かす。
「『ハイセイコー』……レースに疎い私でも、UMADに所属していた頃からその名は知っています。その方が、オグリさんの目標なのですか?」
「ああ、だが……彼女は私よりかなり年上だ。私がPGリーグに加入出来たとしても、挑む前に彼女が引退する可能性が高い。だから、目標というより『願い』……だな」
「『願い』……ですか」
マリンはかつてキャンプでアドマイヤベガが言っていたのを思い出した。まるで星を掴もうとする少年のよう……と。
(……願い……私もオグリさんも……叶わぬ願いを抱いているのだろうか)
「ん? あれは……『シリウス』のメンバーか。みんなここへ向かってきているぞ」
「え?」
クルッとマリンが振り返ると、手をブンブン振っているゴールドシップを先頭にチームメイトの皆がここに向かっていた。マックイーンが居ないのは気になるが、多分後に合流するのだろう。
そうして、マックイーンを除いたシリウスのメンバーが合流して、皆で並走トレーニングをする事となり、皆ヘトヘトになるまで走り込んだ。
マリンはとても充実した日々を過ごしていた。この日も、支え合える仲間と共にレースウマ娘として着実に前に進んでいた。
しかし、この時は誰も予想もしていなかった。次にマリンが走る重賞レース。そこが彼女の『運命』の分かれ道となる事を……
『運命』が追いかけてきている事を。
次回
23話 Outsider