【本編完結】とある武術家ウマ娘がトレセン学園に転入する話 −流れ星の転校生−【リメイク版】 作:カンヌシ
秘密の小部屋の中で、2人のウマ娘は炭酸水で喉を潤す。季節は秋の初めだが、残暑で火照った身体に冷たい水が心地良く染み渡った。
「それにしてもマリンアウトサイダ、帰国するなら何故連絡してくれなかったんだ。トレセン学園卒業生の中でも、君は特に会える機会が少ないんだ。他の者たちが君が日本にいると知ったら、きっと同じ事を言うに違いないぞ」
シンボリルドルフはそう言うと、再びストローに口をつける。
「今回の帰国は2日間だけの予定でして……明後日の早朝には再び日本を発ちます。平日で皆さんにもお仕事があるでしょうし、慌てさせるのも忍びないので黙って帰国したのです」
マリンも同じく、ストローで炭酸水を飲んだ。
「そうか、たった2日……確かに短いな。そんな折に君と邂逅できたのは、本当に幸運だった」
「それは私も同じです。実は密かに誰かと偶然再会しないかな、と期待していたのですが……ふふ、まさか会える可能性が1番低いと思っていたルドルフさんと街中でばったりだなんて……望外の喜びですね」
マリンは垢抜けた笑顔を見せる。多くの出会いによって、彼女の生来の性格の硬さもほぐれていたのだった。
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ここで、彼女の……マリンアウトサイダという名のウマ娘が歩んだ道のりを軽く述べておく事にしよう。
あの有馬記念後の昏睡状態から奇跡的に復帰したマリンは、その後トレセン学園卒業までトゥインクルシリーズで走り続けた。
ブランクの有った彼女はドリームトロフィーリーグへの進出は出来ず、卒業までにG1レースでの勝利は叶わなかったが、その間に3つの重賞レースを勝利した。
クラスメイトの仲の良いウマ娘たちがドリームトロフィーリーグで奮闘する中、マリンは他学科であるサポート科でも単位の取得に励んだ。オグリキャップの紹介で、ベルノライトという非常に優秀な先輩の助力を得てレースに関する幅広い教養を身に付けた。
卒業後は都内の大学へ進学し、ウマ娘レースへの更なる知見を深めると、卒業後にUMADに交渉官として就職した。
そして、彼女の最も大きな業績……UMADとURA、そしてトレセン学園の初となる育成業務提携の一環として、トレセン学園内に新学科『ウマ娘総合スポーツビジネス科』の設立を主導した。そこは幅広い視野で総合的にウマ娘の可能性を探求する事を理念とした学科である。その中には他競技でのスキルをレースへと応用する事への研究が行われる授業もあった。
ちなみに、アグネスタキオンはある企業で研究者として働きながら、外来講師としてその学科でも教鞭を振るっている。
トレセン学園がレースウマ娘育成機関であるという趣旨を崩さない為に、その学科の授業はレース科とサポート科どちらからも並行して受講可能という形となっていた。
こうして、格闘ウマ娘でもありレースウマ娘でもあったマリンアウトサイダは、2つの世界を繋ぐ架け橋となった。その後、彼女はUMADの海外特務派遣員(という名目で)海外へと飛び出した。実は一仕事終えたら世界を巡る旅に出る許可をくれるようヤマブキドウザンと約束していたのだ。
彼女は武者修行をしながらUMADのコネクションを海外に広げていった。旅の途中で幾度も危険に見舞われながらも、持ち前の武術の腕と根性でそれらを乗り越えてきた。そうして、彼女は彼女だけの旅路を謳歌していたのだった。
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シンボリルドルフは懐かしむように目を細める。
「君には随分と助けられたよ。君はトレセン学園に新たな風を呼び込んだからな。『ウマ娘総合スポーツビジネス科』で、レース以外で新たに才能を開花させる者も多いと聞く。私の夢の一端を、君は叶えてくれた」
「……それこそ、殆どルドルフさん自身のお力で達成したようなものじゃないですか。当時のURAにとってUMADに戻った私は『部外者』も同然だったのに、私の意見を汲んでURA上層部に働きかけてくれたのは貴方です。それがなければ新学科の設立は到底実現など出来ませんでした」
マリンは、駆け出しの社会人のクセして無茶をしていた数年前の自分を思い出していた。そして、『URAの内部から』自分に助力してくれた頼もし過ぎる皇帝と呼ばれた彼女の事も……
「今思えば、ルドルフさんが卒業直前に『あんなこと』を言ったのも、先の先を見据えていたからだったのですね」
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ここで話は『皇帝』シンボリルドルフのトレセン学園卒業前まで遡る。
彼女は学園生としての最後のレースである年度末の『ウィンタードリームトロフィー』を勝利し、皇帝の名に相応しい有終の美を飾った。当時の熱狂は凄まじいもので、レース場の観客動員数は過去最高を記録したほどだった。
皆が彼女に夢を見ていた。
史上初の無敗の三冠ウマ娘であるシンボリルドルフが『次のステージ』へと進む事を誰もが疑っていなかった。
しかし、そのレース後の記者会見で、彼女は誰1人として想像だにしなかった衝撃の発表をした。彼女はトレーナーや関係者への謝辞を述べたのちに言い放ったのだ。
このレースをもって競技活動から引退し、『プロフェッショナル・グレードリーグ』には挑戦せずURAに就職する、という事を……
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「あれは最早事件でしたね。私や私の友人たちは勿論、世間も大騒ぎでした」
マリンは当時の大混乱を思い出す。マスコミは連日ルドルフの引退表明を報道し、トレセン学園もその対応に追われていた。PGリーグの現役プロランナーたちからも驚愕の声が上がり、ルドルフの現役続行を希望する嘆願書にも万を超えるファンの署名が集まっていた。しかし、皇帝は引退を撤回する事はなく、宣言通りにURAへと就職したのだった。
「……君たちには迷惑をかけてしまったな。だが後悔はないよ。あの決断には価値があったと、今ならば胸を張って言えるからな」
ルドルフは指を組んで微笑んだ。
「……そうですね。UMADとURAの仲介を助けて頂いたことよりも、『あのレース』を実現させたことの方が、ルドルフさんの最大の功績だと私も思います」
シンボリルドルフがURAに就職してからの最初の数年間、彼女はその頭脳とトップレースウマ娘としての経験を遺憾なく発揮し、実績を積み上げ、異例の速さで出世して行った。そして、史上最年少でURA取締役の1人を務めるに至った。
その性急過ぎる出世を白い目で見られることもしばしば有ったが、彼女はそれを実力で振り切った。それは一重に彼女のかつての『無念』を繰り返さない為であった。
マリンが口にした『あのレース』には……『芦毛の怪物』オグリキャップが関わっていた。
ルドルフは今でも拭い去れない悔しさを胸に秘めていた。それを呑み込むように、再び炭酸水に口をつける。
「そうか……ありがとう。そう言って貰えると、胸が軽くなるよ。あの頃はただ我武者羅に進むしかなかったんだ。ここだけの話だが……法律に触れるスレスレの事にも手を出したし、シンボリ家の後ろ盾を利用する為にお祖父様に頭も下げた。私が忌み嫌うやり方で、ひたすらに権力を求めた。そうまでしても私には、為さねばならぬ事があったんだ……」
ルドルフは居直って、ゆっくりと語り始める。
「滅多にない機会だしな……マリンアウトサイダ、君には話しておこう。君も知っているだろう、地方出身のオグリキャップはクラシックレースに出走していない。いや、出来なかった……かつての登録制度が、それを阻んだ」
マリンは緊張した面持ちで聞いていた。
「当時の日本ダービーの時期の物情騒然ぶりは、私の引退表明の時とは比べものにならなかったよ。まあ、ある記者の男が思惑を持って世間を焚きつけていたからでもあるが……事実、多くの人々が夢を見ていたんだ。オグリキャップという芦毛のシンデレラにね」
マリンの脳裏に、ターフを駆けるオグリキャップの姿が蘇る。
「彼女のクラシック出走を求める嘆願書には私も署名をした。当然、背徳行為も同然の行いに、私はURA本部に呼び出されてしまったよ……その時にある役員の女性からお叱りを受けたが、今では私が彼女と同じ立場になった」
当時を思い出し、懐かしそうに、そして悔しそうに目を閉じてルドルフは語る。
「だが知っての通り、現実は甘くなかった。私は己の無力さを痛感させられたよ……『皇帝』などと呼ばれていても、私はただのいちレースウマ娘で、一介の学生に過ぎなかったのだからな」
ルドルフは左胸に付けたURAの記章バッジに右手で触れる。
「だから私は己に誓ったんだ。再び同じような事態に直面する時には、己の選手生命を賭けてでも抗うと。多くの人々が夢見るレースが、始まる前に終わってしまう悲劇を、二度と繰り返しはしないと……」
マリンは初めて聞く『皇帝』の決意に息を飲む。
「君はオグリキャップにも走りを教わっていたな。ならば聞いていたのではないか? 彼女の願いを……あの『ハイセイコー』とレースをしてみたいという望みを。それは多くの人々の望みでもあったんだ」
ルドルフは目を開き、マリンの顔を見た。
ここで少しプロフェッショナル・グレードリーグについて説明が必要だろう。
PGリーグはウマ娘個人が階級制のリーグ方式で争うシステムとなっている。階級は最上位のAから順にEまでの5段階あり、初加入時は以前のシリーズを通しての成績は関係なくEからのスタートとなる。そこから距離適性やバ場適正、更には障害レース適正などで細かく区分けされていくのだが、今回は説明を省こう。
レース開催は時期により定まっているが、一つの絶対的ルールとして、争われるのはDE間・CD間・BC間、そしてAB間の階級のみである。つまり、階級を飛び越して上位のレースウマ娘と競うのは制度上不可能なのである。これはPGリーグへの進出が叶った選ばれしウマ娘たちの、国内最高峰のトップアスリートとしての格を守るための仕組みだった。ちなみにEランクで走っていたとしても十分に尊敬の対象となるし、とてつもなく人気の高いプロランナーもいる。
「オグリキャップのPGリーグ加入時に、ハイセイコー殿の階級はCランクだった。そしてその年の半ばにハイセイコー殿は引退すると宣言していた。半年に一度の階級変動をもっても、2人が対戦するのはほぼ不可能だった……だから私は作ったのだ、階級の縛りを超えてPGリーグウマ娘が競い合える『プレミアムレース』を……そして、ギリギリで間に合った」
シンボリルドルフはその事を見越して、権力を手に入れるために無心に出世を目指していたのだ。そして彼女の主導により、URAは海外の有力選手も招待する国内初となるPGリーグ版グランプリレースとも言える『TOKYO:premium』を創設した。
「私に出来たのはレースの創設までだった。当然上位の階級ほど出走枠は優遇され、Eランクからの出走枠はごく僅か、しかも最終的には抽選になる。夢の対決が実現する可能性はなおも低かった……だが、流石はオグリキャップだ……彼女は実力と運でその枠を掴み取った。本当に、報われた思いだったよ」
ルドルフは誇らしそうに微笑んだ。マリンもつられて笑顔になる。ルドルフの奮闘を、彼女も見ていたのだ。その喜びに自然と共感していた。
「……あのレースの感動は筆舌にし難いものでした。今でも昨日のことの様に覚えています」
マリンの脳裏に、当時の光景が蘇る。
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その日の東京レース場は、異様なほどの熱気に包まれていた。
階級を超えてプロランナーたちがぶつかり合う史上初のレースに、観客たちの興奮は初めから最高潮だった。しかし、その中でも最も注目が集まっていたのは実質のトップ層であるA・Bランクのウマ娘たちではなく……芦毛の怪物と称されたあるウマ娘と、永遠の挑戦者であり英雄と称されたある鹿毛のウマ娘だった。
主催者側もファンの気持ちは理解していたので、粋な計らいで、その2人のパドック紹介は最後に回されていた。他の出走ウマ娘の紹介が終わると、自然と歓声が落ち着き、レース場は段々と静かになった。
そんな中、その年からPGリーグという魔境へ足を踏み入れたばかりの、しかし威風堂々とした芦毛のウマ娘がパドックへと姿を現した。アナウンサーの興奮した声が場内に響き渡る。
『……ついに登場です!! ファン投票ではA・Bランクのウマ娘を抑えなんと得票数1位!! しかし、彼女がそれだけの期待を背負うに相応しいウマ娘である事に疑う余地などありません!! このプレミアムレースの出走枠を勝ち取ったのは最早運命!! 我々は今も彼女の物語の只中にいることの証拠です!! 芦毛の怪物……オグリキャップゥゥーー!!!!!』
観客席から嵐の様な拍手と歓声が沸き起こる。そして、もう1人……ゆっくりとした足取りで鹿毛のウマ娘がオグリキャップとは反対側からパドックに登場した。
『そして皆様……お待たせ致しました!! ついにこの日がやってきました……往年のレースファンも、若きレースファンも、誰もが一度は想像した事でしょう……!! 時代を超えた両雄の夢の対決を!! 叶うはずがないと誰もが思っていたレースがついに現実となったぁ!!』
アナウンサーのテンションも振り切れる。それだけの夢の光景が目の前に広がっていたのだ。
『オグリキャップが二度目の嵐を巻き起こした稀代のアイドルウマ娘なら、彼女はその礎を築いた創世のアイドルウマ娘だ!! 長年夢を見せてくれた彼女は、今回のレースで引退を表明しています、しかし……最後の最後でも……「今」でもッ!! 彼女は私たちに挑戦する「夢」を見せ続けてくれているッ!! 永遠の挑戦者、そして永遠の英雄……ハイセイコォォォーーーーー!!!!!』
オグリキャップとハイセイコー……時代を創った2人のウマ娘が、パドック中央で握手を交わす。観客席も、生中継を見ているすべての人々が感動に胸が昂ぶっていた。誰もがその夢のような光景を、瞼に焼き付けていた……
このレースの結果だけを言ってしまえば、味気ないものかもしれない。A・Bランクの頂点の猛者たちを相手にオグリキャップとハイセイコーは勝てなかった。トップ争いはA・Bランクの3人、4着争いでオグリキャップとハイセイコーは鎬を削った。そして半バ身差で芦毛の怪物は、英雄に先着した。オグリキャップはEランクでありながら他の高ランクのプロランナー相手にも先着したので、彼女の実力が大々的に証明される結果となった。
1着を勝ち取ったウマ娘は勝利者インタビューで「後続の方が目立ってるって、おかしくない? まぁ、別にいいんだけどさ」と語っていた。
ハイセイコーも「ラストランに相応しい相手と最高のレースが出来た。心残りは何もないさ、いつの時代もヒーローは必ず生まれるのだからね。次の世代にバトンを託せられて、嬉しい限りだよ」と言い残し、クールにターフを去って行った。
そうして、この対決はここ10年以内で最も熱狂したレースの一つとして、歴史の1ページとなったのだった……
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「ハイセイコー殿も、私とオグリキャップの望みを聞き及んでいてな。彼女と戦うために引退の時期をギリギリまで延ばしてくれていたんだ。本当に、偉大な先達である彼女には、感謝と畏怖の念に堪えないよ……」
そう語るシンボリルドルフの表情は、どこか誇らしげだった。
「……ルドルフさんも、叶うのならばレースで走りたいんじゃないですか? 見れば分かりますよ、今でも相当走り込んでいるのが。最低でも週に二、三度はトレーニングしていますね。PGリーグにルドルフさんに近しい方々もいますし、シービーさんとか。マルゼンさんは既に結婚を理由に引退してしまいましたが」
マリンの問いかけに、ルドルフは炭酸水を飲みながら一瞬キョトンとした。そして、困った様に微笑んだ。
「君には隠せないな……レースに全く未練が無い、と言えば嘘になるよ。ターフを駆ける彼女たちを見ると、今でも脚が疼く」
「相手の身体状態や技量を見抜くのも、武術家に必須の技術ですから」
マリンはボトルから自分のグラスに炭酸水を注ぐ。
そして子供のように興味深げに、ちょっぴり好戦的に目を輝かせる。
彼女はズイッと身を乗り出して、更にルドルフに尋ねる。
「それと……実はルドルフさんに会ったら絶対聞こうと思っていたことがあるんです! ルドルフさん、2ヶ月くらい前に今年からPGリーグに進出した『あのウマ娘』に喧嘩を売られたそうじゃないですか。私はその時は海外にいたので伝え聞いただけなのですが、どんな感じだったのですか? 直接ルドルフさんの口から聞きたいです」
ルドルフは、ピタリと固まった。
「………………『あのウマ娘』とは、一体誰のことだろうか? 職業柄、林林総総のウマ娘たちと関わりを持っているが」
「貴方ともあろう者がとぼけないで下さい。PGリーグ史上初の、不可能だろうと言われていた初戦制覇と最速でのDランク昇格を成し遂げた……日本の『近代ウマ娘レース史の結晶』と謳われる、あのウマ娘のことですよ」
マリンは『ワクワク』と文字が浮かんで見えそうな笑顔をルドルフに見せるのだった。
次回
episode 3:『近代ウマ娘レース史の結晶』