虎白たち白恋中は、ついにホーリーロード準決勝当日を迎えた。スタジアムは大勢の観客で賑わっており、選手たちはそれぞれのベンチ近くで集まっていた。
そんな中、羊ヶ丘中のキャプテン、
「そんなに警戒しないでくれ。おれは、君たちと戦えるのを、すごく楽しみにしてたんだ」
「楽しみ、ズラか…?」
シードに有るまじき発言に、思わず聞き返してしまう北厳。
「白恋中がフィフスセクターに反乱を起こしていることは知っている。だからこそ、君たちとなら、本気のサッカーができると思ったんだ」
彼の真っ直ぐな瞳が、北厳を射抜く。そこに濁りのようなものはなく、本心から語っていることが分かった。
「だけど手加減はしない。おれも、羊ヶ丘を守るために、シードとして君たちを迎え撃たなくてはいけないからね。お互い、ベストを尽くそう」
「こちらこそ、よろしく頼むズラ!」
思わぬ激励に、頬を緩ませる北厳たち。キャプテン同士、握手を交わそうと羊野が手を差し出すと、背後から一人の少年が彼の肩に腕を回した。
「羊野。敵と仲良くお喋りかぁ?」
「
すぐさま、その腕を振り払う羊野。接触する前に後ろへ避け、ポケットに手を突っ込む犬養。和やかな雰囲気が一変して、険悪な雰囲気で二人は対峙していた。
「おまえがフィフスを裏切ろうと勝手だが、そうなったら、うちのサッカー部は即廃部だぜ?」
「ッ…! 分かっているさ…! 倒すべき相手に、塩を送ったりしない」
二人の力関係が見えるようなやり取り。犬養という少年は、羊野と同じ2年生で、羊ヶ丘中に派遣されたシードだ。噂通り、羊ヶ丘中は現在、彼の管理下に置かれている。
羊野がシードであるにも関わらず、フィフスセクターに批判的なのは、半ば強制的にシードとして名を連ねているからに他ならない。
「騒がしくしてすまない。おれは、これで失礼するよ」
犬養の傍にいるのも不愉快だと言わんばかりに去っていく羊野。それを犬養は、「くくっ」と愉快そうに見送ると、白恋中に向き直る。
そして、虎白の目前まで迫ると、鋭い眼光で睨みつける。
「雪守虎白。俺を今までのシードと同じだと思うなよ」
「っ…」
犬養の迫力に威圧される虎白。いつもの彼女ならば、強気な態度をとったのだろうが、今はその余裕がない。
「俺は、たった一人で、反抗的な羊ヶ丘の連中を屈服させ、フィフスセクターに忠誠を誓わせた。群れを作って動くようなヤツらとは格が違うんだよ」
それが真実であることは、羊野の態度からして明白だった。気に食わない相手に従う姿は、手懐けられた下僕のようだった。
「おまえたちは、絶対に俺には勝てない。今からでも、フィフスセクターに並べ立てる、許しの言葉でも考えておくんだな」
「何だとっ!?」
言いたいことは言い終えたと、背を向けて去っていく。虎白のことを警戒しているが、どこか軽く見ている余裕が、犬養の態度からは感じ取れた。
「チッ。好き勝手言いやがって!」
「ぜってー、吠え面かかせてやるぜ!」
王鹿と小樽が、反発心を抱く。他の部員たちにしても、犬養にいい感情を持っている者は、誰一人としていなかった。
「あの2人が、化身使い…」
マフラーをぐっと握る虎白。この試合で、きっと化身の力が必要になる。そんな使命感にも似た感情が、虎白の中に渦巻く。
それと同時に、昨夜、吹雪に突きつけられた言葉が蘇り、身体が凍ったように強張る。
「私たちは、この試合で化身を出してみせる…。恐れることは何一つない…!」
不安を掻き消すための、おまじないのように呟いた。
『お待たせしました! ホーリーロード北海道地区予選準決勝、第1試合! 白恋中と羊ヶ丘中の一戦です!』
フィールドには、お互いのチームがポジションについている。
『羊ヶ丘中は、2年生のキャプテン羊野や犬養を中心に、主力である2年生たちが引っ張っていくチームです!』
羊野と犬養がFWとして、フォーメーションの最前列に並んで立っていた。
『対して白恋中は、1年生が主力のチーム! 羊ヶ丘中相手に、どう立ち回っていくんでしょうか!?』
こちらのFWは雪村のワントップ。以前と違い、必ずしも虎白をDFに配置する必要はなくなっているので、状況によってはFWにポジションチェンジをする。
『本日も私、角間香が熱戦の模様を、お伝えします!』
白恋イレブンとして、本格的に始動する試合。選手たちはどこか落ち着きがなく、緊張で身を固くしていると、「ピーッ!」とホイッスルが鳴り響いた。
『白恋のキックオフで試合開始ッ!』
雪村が後ろにいる日高にパスを出して前に上がり出すのと同時に、羊ヶ丘陣内から二つの人影が飛び出した。
『羊ヶ丘のツートップ! キャプテン羊野と犬養が切り込んできたァ!』
羊野は、ボールが渡った日高に正面から突っ込んでいく。そして、犬養は日高のパスコースを妨げながら前線へと上がっていく。
「なっ…!」
開始早々、素早い連携プレーで選択肢を狭められた日高は、頭が順応できず、羊野にボールを奪われる。
「犬養!」
『羊野、日高からボールを奪って犬養に!』
こうなることを予見していたように、絶好の位置でパスを受ける犬養。二人の息の合った連携は、とても先程まで、いがみ合ってた二人だとは思えない完成度だった。
「速いっ!?」
「今までの相手とは、全然動きが違うぞ!?」
動揺する白恋イレブン。確かに、二人の動きは別格だ。しかし、白恋中がここまで圧倒されているのはそれだけが理由ではない。
自由なサッカーを取り戻す、という大義のために気負いすぎて、余計な力が入っていた。明らかに普段より、選手たちのパフォーマンスが落ちている。
「オラが止めるズラ!」
攻め込んでくる犬養を止めにかかる北厳。
「俺たちもキャプテンに続くぞ、伊富!」
「は、はい!」
その後ろで、小樽と伊富もディフェンスに加勢しようと駆け出していく。虎白を除くディフェンス陣が、犬養の前に立ち塞がった。
「ザコが何匹群れようと、関係ねぇ!」
そう不敵に笑いながら、ドリブルで猛進していく。シードとしての実力を遺憾無く発揮し、力任せに三人を蹴散らした。
「うわぁーーッ!」
「ぐわぁっ!」
「うわあああっ!」
吹き飛ばされ、倒れ伏すディフェンス陣。頼みの綱は虎白だけとなる。
しかし、当の本人はどこか上の空で、心ここに在らずといった様子だった。
「雪守ッ!!」
そんな虎白を見かねた雪村から怒号が飛んできて、ハッとする。いつの間にか、目前まで犬養が迫ってきていた。
「しまっ…!」
気付いたときには手遅れだった。犬養がドリブルで、虎白の横を駆け抜けていく。
『ああっと!? 雪守が抜かれたァ!?』
「雪守!?」
「雪守さん!?」
これには、白恋イレブン全員が信じられないものを見たように驚く。どれだけ強い相手だろうと鉄壁を誇っていた虎白のミスに、本当に勝てるのかと、白恋中全体の士気に影が差す。
「雪守…」
ベンチから見守っていた吹雪も、痛ましげな表情で、思わず心配そうな声を零した。
「…っ」
普段なら考えられないようなミスに、血の気が引いた虎白が挽回をしようと、慌てて振り返る。
「羊野っ!」
しかし、虎白が間に合うことはなく、犬養が逆サイドにいる羊野へとパスを出してしまう。
『さぁ、ボールはキャプテン羊野に渡ったァ!』
「……」
ボールを受け取った羊野は、難しい顔で犬養を一度見遣った。パスを出さなくとも、犬養がシュートを撃つことができたはずだ、と。
ならば、このパスの理由は、先制点をわざと自分に取らせることに違いない。
それを裏付けるように、本心では白恋を応援したいであろう羊野を試すような、底意地の悪い笑みで、犬養はこちらを見ていた。
「くっ…」
意を決した羊野が、目をきつく閉じ、白恋中への思いを断ち切る。再び目を開いたときには、白恋ゴールを強く見据えていた。
『羊野、絶好のシュートチャンスです!』
虎白が駆けつけようとするが、犬養からの執拗なマークに足止めされ、ディフェンスに向かうことができない。
「おっと、行かせねぇぜ?」
「くっ…!」
右に行けば右に、左に行けば左に、動きに合わせて瞬時に追いつく。虎白と渡り合うだけの瞬発力が犬養にはあった。
虎白がマークから抜け出すのに手間取っている間に、羊野は必殺技を繰り出す。
「お手並み拝見といこうか…! ──マイクロメェーヴ!」
羊野がボールを蹴り放つと、次々に波動が伝播していき、一際強くなった瞬間、羊の鳴き声が轟く。その余波が、ゴールで構える白咲を襲った。
『試合開始早々、白恋がピンチ! 羊野のシュートだァ!』
「ッ…!」
白咲は、シュートを撃たれるまでは、止めるべきか迷っていたが、その勢いを目の当たりにして、余裕は吹き飛び、咄嗟に本気で対応する。
「クリスタルバリア!!」
固く握った右拳と冷気を、左手で抑えこんで構える。迫り来るボールに向かって、握っていた拳をパッと勢いよく開くと、冷気が瞬時に開花し、氷の結晶となってシュートを阻んだ。
「ぐっ…! 何て威力だ…!?」
白咲が顔を歪める。氷に閉じ込めているのに、ボールから振動が伝わってくる。ピシッと氷にヒビが入り、砕けるかという寸前、ようやくボールの振動までもが凍りついた。
『止めたァ! 白咲、羊野の必殺シュートをなんとかキャッチ!!』
「はぁ…はぁ…!」
予想以上の威力に疲労する白咲。犬養は、そんな勝負の結果につまらなそうに鼻を鳴らし、両者を煽る。
「おいおい羊野よぉ、そんなザコに止められるようじゃ、シード失格だぜ?」
その言葉を聞いて、白咲はギリッと奥歯を噛む。犬養は白咲と以前から面識があり、その実力、化身を出せないことなども把握していた。
「彼の実力が素晴らしかっただけだ。…次は必ず決めるさ」
白咲を見下すような発言に、羊野が嫌悪感を露わにし、次のプレーに備えるため、早歩きで離れる。
白咲がボールを待ち、周囲を見渡す。依然として、犬養のマークが厳しい虎白。ゴール前にいるチームメイトには、羊ヶ丘中の選手が近くに控えていた。
「石センパイ!」
迷った末に白咲は、手に持っていたボールを落とし、遠くにいる石に向かって蹴った。
『試合再開! ボールは石に!』
トラップでパスを受け取った石に、北厳が指示を出す。
「日高に回すズラ!」
「ったく、ほらよ!」
気だるげに返事をしながら、指示通りにパスを出す。それを受け取った日高が、ドリブルでボールを運んでいく。
「通さない!」
羊ヶ丘中のMFが日高の前に立ち塞がる。その選手が、タックルを仕掛けるが、日高も負けじと踏ん張る。
「ぐっ…」
「はあっ!」
しかし、競り合いは日高の劣勢のようで、よろめきながら、何とかボールを維持するので精一杯だった。
そんな中、突如として、荒らげた声が日高の耳に入る。
「こっちだ!」
『なんと雪村、ここまで下がってきていた!』
危機一髪のところで、パスの届く位置まで走り込み、日高のフォローに入る雪村。
「頼んだぞ、雪村!」
日高が体勢を崩しながらも、ギリギリ雪村にパスが繋がる。
『日高からパスを受けた雪村! ドリブルで切り込んでいきます!』
上手くボールを繋げたが、少し進んだ先には、既にディフェンスが待ち構えていた。
「どけっ!」
「ゴールには近寄らせない!」
その言葉通り、簡単に通してくれるはずもなく、羊ヶ丘中の選手が、必殺技を繰り出した。
「──ストレイシープ!」
綿のような子羊がふわふわと宙を漂い、ドリブルをする雪村の判断を迷わせる。その隙をついて、すれ違いざまにボールを奪った。
「いただき!」
「くっ…!」
上手く流れに乗れない白恋中。反対に、羊ヶ丘中は見事なチームワークで、ボールを回していく。
『羊ヶ丘、丁寧にパスを繋いでいきます!』
白恋中の1年生たちが食らいつこうとするが、巧みなパス回しで躱される。そして、ついにフォワードまでボールが届いた。
「羊野!」
『ボールは再び、キャプテン羊野に!』
ゴール前から少し離れた場所でパスを受け取った羊野。それにいち早く反応する虎白。
「今度こそ止めるッ!」
同じ過ちは繰り返さないと、羊野の元へと走っていく。そんな虎白を見ながら、犬養はニヤリと笑みを浮かべた。
「…はあああーーーッ!!!」
眉間に皺を寄せ、険しい表情を浮かべる羊野の背後から、黒い影が出現して、形作るように立ち昇っていく。
「出てこい! ──星獣アリエス!」
渦巻き状の丸い角が生えている、羊の姿をした獣型の化身が佇む。雲のような羊毛に、煌めく星屑が散りばめられていた。
『ひ、羊野が化身を出したァ! 白恋中、またもやピンチです!』
「化身…!」
虎白が気圧されたように、ごくっと唾を飲み込む。無意識下で、化身が恐怖の象徴にすり替わっていて、足が凍りついたように動かない。
「…ダメだ…このままじゃダメなんだ…!」
恐れを振り払うように、目を閉じて頭を振る。苦しみを吐き出すように叫んだ。
「ああああァァァッ!!!」
がむしゃらに走り出して、羊野に立ち向かっていく。示し合わせたように羊野もボールを蹴り始めた。
「はあああーーーッ!!!」
お互いに距離を詰め、ボールを同時に蹴り合う。虎白と化身が激突した。しかし、化身のパワーには適わず、競り負ける。
「ぐあああッ!?」
化身に吹き飛ばされ、倒れ伏す虎白。そのまま、羊野がゴール前へとたどり着き、化身必殺技を繰り出す。
「──ネビュラロード!」
羊野が飛び上がってボールを蹴るのと同時に、アリエスが蹄で強く踏みつける。光輝く星雲が軌跡となって、シュートを勢いよくゴールまで運んでいく。
「──クリスタルバリア!」
冷気が瞬時に開花し、氷の結晶となってシュートを阻む。しかしそれは一瞬のことで、ピシッと氷にヒビが広がり続け、ついには耐えきれなくなり、バラバラに砕け散った。
「がはっ!!」
必殺技が破られ、白咲ごとボールがゴールネットに押し込まれてしまう。
『ゴール! 羊野の強烈な化身シュートが、白恋ゴールをこじ開けたァ! ホーリーロード北海道地区予選準決勝、羊ヶ丘中の先制です!』
得点を挙げた羊野は、これまでのシードと違い、大きく消耗している様子はない。犬養が、そんな羊野の肩に腕を置くと、ベラベラと話しかける。
「フィフスに付いて良かっただろ羊野? シードにならなきゃ、この力は手に入らねぇからなぁ」
倒れ伏す白咲を見下しながら話を続ける。
「まあ、シードになっても、化身を使えないヤツはそれなりにいるがな…。選ばれた人間だけが、到達できる領域っていうのが、この世にはあるのさ」
それを聞かされた白咲は、表情にこそ出さないが、その瞳の奥を静かな怒りで燃やしていた。
そんな白咲から視線を外し、今度は虎白を見下ろすと、溜め息交じりに去っていく。
「おまえには心底ガッカリだぜ。もっと屈服させがいのあるヤツだと思ってたんだけどな」
犬養の落胆した声に、虎白の中で自分を繋ぎ止める何かが事切れたように、絶望の色に染まっていった。
お互いのチームがポジションにつき直す。
『白恋中のボールで試合再開です!』
雪村が右後ろの王鹿に、王鹿から氷里にバックパスを回して上がっていく。警戒していたが、犬養と羊野が飛び出してくることはなかった。
『さぁ白恋の反撃だァ! 氷里、ドリブルで持ち込んでいく!』
しかし、羊ヶ丘陣内に入ったところで、MFが氷里にスライディングを仕掛けた。
「うわぁ!」
『羊ヶ丘、上手くボールをカット!』
そのまま白恋陣内に攻め込んでくる。しかし、日高と伊富の二人がかりでボールを取り返した。その後も、フィールド中盤で繰り広げられるギリギリのプレーで、白恋は劣勢を凌いでいた。
『羊ヶ丘中の猛攻に、終始防戦一方になってしまっている白恋中!このまま押し切られてしまうのかァ!? それとも、突破口を見出すことができるのかァ!?』
仲間が苦しさに喘ぐ中、虎白は試合再開から、一歩も動かずに、茫然と立ち尽くしていた。
「声が聞こえる…」
誰も何も言っていないはずなのに、先程からチームメイトの心の声が、虎白には聞こえてきた。
「(雪守が化身を出せれば…!)」
「(やっぱり、化身がないと…!)」
「(化身があれば勝てるのに…!)」
その内容は、どれも虎白に対して化身を求めるもの。仲間たちが求めているのは、自分ではない。もう一人の虎白だ。
「怖い…」
ポツリと漏れた本音。震える身体を、自らの両腕で抱きしめる。
どっちが本当の自分なのか、どちらの自分でいるのが正解なのか、人格の境目が分からなくなる。
──誰か、私を見つけてくれ…!
フィールドの中にいるのに、虎白は孤独感で押し潰されそうだった。加えて、自分の身勝手でチームを困らせているという罪の意識が、虎白を責め立てていた。
彼女が思い詰めている間も、試合は動いている。中盤での攻防も、徐々に白恋側が押され始めたことで崩れてしまう。羊ヶ丘中のMFが羊野にパスを出す。
『さぁ、ボールは羊野に渡ったァ! これは化身が出るかァ!?』
急に羊野から溢れ出した気配に、虚ろな目をしていた虎白もハッとする。
「はあああーーーッ! 星獣アリエス!」
羊野の背後から黒い影が立ち昇っていくと、化身が具現化する。アリエスと共に、ドリブルで攻め込んできた。
「まずいズラ!」
「何とかして、化身を止めるんだ!」
化身に対抗する術を持たない白恋中が、どうにか凌ごうとする。その動揺が虎白にも伝播し、取り乱した虎白が突然叫び出す。
「うわあああァァァッ!?」
「雪守!?」
自分の身を投げ打つような勢いで、羊野に向かって飛び出す虎白。二人がボールを同時に蹴り合った。
「はあああァァァッ!!!」
化身と激突した瞬間、別人格の幻影が虎白にブレるように重なり、背後から黒い影が現れる。
「「あれはッ…!?」」
羊野と犬養が、目を見開いて驚く。それと同時に、強い衝撃に挟まれたボールが、限界を迎えて押し出される。
わずかに虎白側へと弾かれたボールが、タッチラインの外に出る。羊野と犬養は、それを目で追うことなく、虎白だけを見つめていた。
『白恋、クリアして何とか羊ヶ丘の攻撃を凌いだが、ピンチはまだまだ続く!』
「はぁ…はぁ…はぁ…!」
今の虎白は、羊野の化身に共鳴して、普段よりも化身の力が目覚めやすくなっている。そのため、感情の昂りに付随して、勝手に化身の力が引き出されていた。
ただ、その反動で体力を激しく消耗している。ほんの一瞬、化身の力が引き出されただけで、膝に手をつき、肩で息をしていた。
「くくっ…面白くなってきたじゃねぇか」
虎白から化身の気配を嗅ぎとった犬養が嬉しそうに笑う。一度は失った虎白への興味が、再び熱を持った。
両チームの選手たちが、各々位置につく。
『さぁ、羊ヶ丘のスローインから、試合再開です!』
犬養と羊野は当然マークされているので、他の選手にボールが投げられる。
「これ以上、あの2人にボールを回しちゃダメズラ!」
「全員で守るんだ!」
FWの雪村すら交えて、白恋イレブン全員でディフェンスに専念する。そうしなければ、化身で突破されてしまうからだ。
『羊ヶ丘の猛攻! 白恋、捨て身のディフェンスで辛うじて防いでいる!』
パスをカットし、ボールを奪い、ときには身体でシュートを逸らす。ゴールポストに弾かれたボールを、羊ヶ丘中の選手が拾う。その相手から、北厳がボールを奪い返したところで、ホイッスルが鳴った。
『ここでようやく前半終了! 得点は1-0で、羊ヶ丘中のリードです!』
──全員、疲れ果てた様子でハーフタイムを迎え、ベンチに集まる。
「ま、ここらが限界だったんだ。雪守も化身を出せねぇみたいだし、負けても仕方ねぇよ」
石の試合を投げ出したような発言に、言い返すだけの説得力を持たず、顔を曇らせるチームメイト。その弱気な態度に、雪村の怒りが爆発した。
「おまえらいい加減にしろよ! この前から化身、化身って…! コイツに頼ってばっかで、恥ずかしくないのかよ!」
それは、自分への怒りでもあった。前半戦、雪守がいなければ、化身を出した羊野に、確実に2点は取られていた。
「オレにはチームの正しい形なんて分からない。それでも、雪守が苦しんでるときこそ、オレたちで白恋を引っ張るのが、仲間ってもんじゃないのか!?」
「雪村…」
その必死な訴えが、チームメイトの心に響く。どこか虎白一人に頼りすぎていた、自分たちの考えを省みる。
「雪村くん…」
自分を庇う雪村に、虎白は心苦しくなる。マフラーを握って、思い詰めたような顔で俯いた。
吹雪がそんな虎白を静かに見つめると、監督としての指示を下す。
「雪守。キミは後半から、雪村と一緒にフォワードに入ってくれ」
それが勝ちに近付くためにできる、吹雪にとっても大きな賭けとなる選択だった。
「っ…!」
雪村が悔しさを堪える。彼女がFWになるということは、自分だけでは点を取ることができないと、吹雪が判断したのだ。
他のチームメイトと同じく、雪守を頼るしかない己の不甲斐なさ。吹雪の期待に応えられない弱さに、心底腹が立つ。
「私が…フォワード…」
戸惑う虎白に、吹雪はかける言葉が見当たらなかった。
「……」
吹雪は、自分が歩んだ道を進ませることが、彼女にとって、最良で唯一の選択だと信じていた。
だからこそ、別人格の力と向き合わせ、目を逸らしていた事実を突きつけた。自分の弱さを認めて許さなければ、化身を使いこなすことなど到底できないから。
──だけど、僕とは違う道が、雪守にあるとすれば…。
吹雪は、ありもしない空想に目を閉じた。
──ハーフタイムが終わり、お互いのチームがポジションにつく。
『さぁ後半戦も間もなく開始! ここで、白恋はフォーメーションを変えてきました。雪村に加え、雪守がFWに入ります!』
虎白と雪村が、最前列に並び立つ。羊野と犬養の二人と向かい合った。
『羊ヶ丘中のキックオフで、後半開始です!』
犬養からパスを受けた羊野がドリブルで攻め上がる。同時に雪村も飛び出した。
「何っ!?」
「はあああーッ!」
前半のお返しだと言わんばかりに、トップスピードで羊野に突っ込んでいく。
『いきなり雪村がボールを奪ったァ!』
そのまま、ドリブルで駆け上がっていく。速攻を仕掛ける雪村だが、羊ヶ丘中は落ち着いて対処する。
「ディフェンスを固めろ!」
「邪魔だッ!」
雪村がディフェンスの一人を素早く躱す。しかし、突破した先で、左右から二人がかりのスライディングを仕掛けられた。
「ぐわあッ!?」
『攻め上がる白恋! だが、羊ヶ丘のディフェンスが崩せない!』
素早いパス回しでボールを前へ送る羊ヶ丘中。チームとしての練度が段違いだった。それでも、今の白恋中には前半戦とは異なり、確かな一体感があった。
「たあァーッ!」
「くっ…!」
洞爺が気迫のあるスライディングを仕掛けて、ボールを奪うと、ドリブルで駆け上がっていく。
「止める!」
「うわぁ!」
しかし、すぐさま羊ヶ丘中のディフェンスが、カバーに入ってきて、洞爺からボールを取り返す。
「羊野に回すんだ!」
フリーな位置にいる味方にパスを出す。そこから先を突破されては、フォワードにパスが通るため、白恋のディフェンスが身構える。
「雪守さんがフォワードに上がっても安心できるように、オラたちでゴールは守るズラ!」
「おう!!」
北厳、伊富、小樽、それから虎白の代わりにDFに入った王鹿が、気合いを入れる。
雪村の言葉に感化されたチームメイトたちが、虎白を支えるために、それぞれで考え、行動している。
「おまえら…!」
雪村が目を見張って驚く。自分の想いが誰かに伝わって、同じ意思を共有することに、感じたこともない不思議な気持ちになる。
「くっ…!」
虎白は、そんなチームメイトの頑張りを見て、何もできないままでいる自分に腹が立ち、両手を痛いくらいに握りしめる。
吹雪と同じように、別人格との統合を果たせば、化身に対する恐怖心も消え、晴れて化身使いになれる。チームのことを考えれば、それが最善なのだが、虎白には正しい選択だと思えなかった。
理想に近づくためでもあるが、それ以上に、今の自分が好きだから変わりたくない。
だけど、これ以上自分のために傷つくチームメイトに、頼りきりでいいのかという迷いが、虎白の中にはあった。
いつまでも迷惑をかけていれば、いつか誰も自分を必要としなくなる。本当に、自分が消えてしまう。そんな不安が脳裏をよぎった。
『これは激しいボールの奪い合いだァ!』
白恋中がブロックしたボールに、即座に食らいつき、パスを出す羊ヶ丘中。白恋も負けじとボールをカットする。お互いの選手たちがフィールドを駆け巡った。
それでも、あと一歩が及ばない。
「ぐわあっ!?」
これまでは、積極的に動いてこなかった犬養が、突如として白恋中に牙を剥く。ボールを持っていた日高に、後ろから襲いかかった。
『犬養、フォワード自らボールを奪ったァ!』
「みんな戻るズラ!」
犬養にボールが渡り、激しく動揺する白恋中。慌ててディフェンスラインを下げようと、北厳が指示を出す。
そんな白恋中の動きを歯牙にもかけず、悠長にダンッとボールを踏むと、獰猛な笑みを浮かべた。
「お遊びは終いだ。こっからは、俺も本気で狩りを楽しむとするぜ!」
そう宣言した犬養が構えると、背後から黒い影が出現し、形作るように立ち昇っていく。
「来いっ! ──悪魔獣バフォメット!」
黒山羊の頭部に、背中に生えた黒い翼。まさしく悪魔の姿をした人型の化身が佇む。両手には、湾曲している鋭い黒爪が伸びており、見る者に恐怖を齎す。
「あ…あぁ…!」
恐れ慄き、化身を見上げる白恋中。しかし、そんな絶望的な状況が、逆に虎白の迷いを断ち切った。
どんな結果になろうと、化身を出すことを決意し、虎白はマフラーを握る。
フィールドを駆け抜けながら、次第に別人格の姿へと変わっていく。白い髪は逆立ち、臆病そうに揺れるサファイアの瞳は、威圧的な鋭さを持つ琥珀色に塗り替えられる。
「させるかあああッ!!!」
犬養を追い抜いてゴール前に陣取り、化身を待ち構える。手負いの獣のような気迫を漂わせる虎白に、犬養が好戦的な笑みを浮かべた。
「はっ! それがおまえの本性かァ!?」
嬉しそうに化身を引き連れてドリブルで突き進む。虎白も地を蹴って駆け出した。お互いに距離を詰め、ついに激突する。
「うらあああァァァッ!!!」
「うおおおォォォーーーッ!!!」
ボールを同時に蹴り合うと、再び虎白の背後から黒い影が現れる。さらに化身の力を引き出そうと、力を振り絞る。
「はあああァァァッ!!!」
その気迫とは裏腹に、黒い影が立ち昇るだけで、一向に化身が姿を現す気配はない。ボール越しに虎白の足が、ぐぐぐ…と押し戻される。
「くっ…!」
「おまえは、俺より…弱いッ!!」
犬養がさらに力を込めると、バフォメットが天高く掲げた黒爪を、虎白へと勢いよく振り下ろした。
「ぐわあああッ!!」
その衝撃で黒い影が引っ込み、吹き飛ばされる虎白。そのまま、犬養がゴール前まで突き進む。化身の圧力に、白咲は息苦しくなるような感覚に陥った。
「──デーモンクロー!!」
犬養がボールを左右で二連蹴りすると、続け様に、バフォメットが引き裂くように黒爪を交差させる。ボールを交点にして、空中に爪痕が刻まれた。
「クリスタル──がはっ…!」
白咲が必殺技を繰り出す暇もなく、化身シュートをその身に受ける。白咲ごとボールがゴールネットに押し込まれた。
『ゴール! 犬養の化身シュートが決まってしまったァ! 羊ヶ丘中の追加点で2-0です!』
「くそっ! なんで化身が出ねぇんだよ!」
膝をついた虎白が、固く握った拳を地面に打ちつける。理想を捨てる覚悟で、チームのために化身を出すと決意したのに、何も成すことができなかった。
「雪守…」
「雪守さん…」
そんな虎白を、チームメイトは伏し目がちに見ていた。
ポジションにつき直し、白恋ボールで試合が再開する。雪村からのパスを受けた虎白が、一人で攻め上がっていった。
──オレが、オレがどうにかするんだ…!
その思い込みにより、視界が狭まった虎白が、ひたすらゴールを目指す。
『雪守、ドリブルで敵陣に切り込む!』
次々に立ち塞がる相手を、素早く躱し、タックルで蹴散らし、フェイントを交えたボール捌きで、ディフェンスを突破する。
『あっという間にゴール前だァ!』
「はあああーーーッ!」
虎白が意気込むと、背後から黒い影が出現する。さらに力を込めると、徐々に立ち昇っていくが、化身に具現化することはなかった。
「クソッ!」
悪態をついた虎白が、化身を出すことを諦め、必殺技に切り替える。
「吹き荒れろッ…!」
着地と同時に吹雪が舞い、激しく回転するボールに吸い寄せられるように冷気が渦巻き、氷で覆われ尽くす。
「──エターナルブリザード!」
両腕で勢いをつけながら踏み切り、右脚を構えたまま、空中で姿勢を崩さずに回転する。すべての力を乗せた重たい一撃で、氷塊をぐぐっと蹴り放った。
氷に閉じ込められていた回転が再始動し、迸る風と冷気を切り裂くように鳴動する。力任せに繰り出したシュートが、キーパーに襲いかかった。
「──シープクラウド!」
羊の群れのように、モコモコとした雲の団塊が、迫り来るシュートに飛びつき、ボールを包み込む。四方八方から羊雲に拘束され、特大になったボールが、自重で落下する。
『雪守のエターナルブリザードが止められたァ!?』
「なっ!?」
化身を出せないどころか、必殺技も止められてしまい、これまで培ってきた自信が粉々に打ち砕かれる。
「そ、そんな…!?」
「雪守の必殺技が止められた…!?」
虎白の動揺は、白恋中全体にまで及んだ。その精神的ダメージは大きく、誰もが足を止める。
「はあっ!」
その隙を突き、キーパーがボールを遠くへ投げると、放心していた虎白が、正気を取り戻す。挫けそうになりながらも、必死に食らいついていった。
『羊ヶ丘中のカウンターだァ!』
白恋中の体制が整わないうちに、反撃を仕掛ける。素早いパス回しで翻弄し、羊野と犬養のいる前線へとボールを送る。
それを追いかけるように、虎白は雪村と共に、急いで走っていた。一秒が惜しい状況で、雪村が虎白に声をかける。
「待て、雪守! おまえまた化身を止めるつもりじゃないだろうな!」
「アイツらを止められなきゃ、オレはいる意味がねぇ!」
切羽詰まったような虎白の発言を聞いて、顔をしかめる雪村。わずかに口ごもった後、ハッキリと言葉にする。
「これ以上は、身が持たないぞ!」
何とか引き止めようとする雪村。化身に対抗できるだけのパワーがあるのは雪守しかいないのは分かっている。
それでも、化身の力を無理やり引き出したり、化身と何度もぶつかり合ったりと、気力も体力も大幅に消耗しているため、懸念を抱いてしまう。
「点取るには
異常なまでに勝利に執着する様子は、これまでもあった。けれど、今の彼女は、雪村の中にあるイメージからは外れ、怯えているようにも見えた。
『白恋中、守備が間に合わないか!? 犬養にボールが渡ったァ!』
その瞬間、虎白がさらに速く駆け出し、雪村を置き去りにする。
「はああーーッ!!」
「やめろーーっ!」
雪村の制止を振り切って、犬養の正面に立ち塞がる。
「はぁ…はぁ…はぁ…!」
「何度やっても無駄だ! おまえじゃ、俺には勝てねぇよ!」
そう言って犬養が構えると、背後から黒い影が出現し、形作るように立ち昇っていく。
「来いっ! ──悪魔獣バフォメット!」
犬養の化身が佇む。その圧倒的な恐怖を前にして、既に敗北を刻まれている虎白は、足が震えて動けなかった。
「はっ! 化身に恐れをなしたか!」
「っそんなはずねぇ! オレは化身を止める!」
自分を誤魔化そうとする虎白に、犬養は化身必殺技を繰り出した。
「これで終わりだ! デーモンクロー!!」
犬養がボールを左右で二連蹴りすると、続け様に、バフォメットが引き裂くように黒爪を交差させる。ボールを交点にして、空中に爪痕が刻まれた。
「避けろォ!」
雪村が必死に叫ぶ声が、虎白の耳に届く。しかし、虎白は動かず、迫り来るシュートを腹部で無理やり受け止めた。
「はあああァァァッ!!!」
叫びながら気を高めると、主人格の幻影がブレるように重なり、背後から黒い影が出現する。それは、まるで虎白を支えるように広がっていき、守る意識が反映されているかのようだった。
「うぐあッ…! ぐっ…ぐぐぐっ…!」
両足で踏ん張りながら耐えるも、威力を相殺することはできず、苦しそうに悲鳴を上げる。徐々に後退っていき、ついに限界を迎えた。
「ぐわあああァァァッ!!!!」
後ろに吹き飛ばされ、身体を何度も打ちつける虎白。ゴールポストに背中がぶつかったことで、ようやく動きが止まった。
「がはっ…!」
一方、ボールは虎白から跳ね返り、タッチラインの外に出ていた。
「チッ! まだあんな力を残してやがったか!」
犬養は苛立たしげに、倒れ伏す虎白を睨むと、その場を去る。反対に、羊野は遠くから心配そうに見つめていた。
「雪守っ!」
「雪守さんっ!」
すぐに起き上がらない虎白を心配したチームメイトが、彼女の元へと集まる。何度も自分を呼ぶ声に、虎白が意識を取り戻した。心配していた雪村たちも安堵する。
「うぅ…」
そして、よろめきながらも、ゴールポストを支えにして立ち上がる。その姿は、いつの間にか、普段の虎白に戻っていた。
「ごめん、みんな…。みんなが頑張ってくれたのに、私はっ…!」
泣きそうになりながら、自分の無力さを嘆く。点は取られ、エターナルブリザードも止められ、化身も出せない。
虎白が自分を責め立てていると、ようやく人格が戻っていることに気付いて、ハッとする。
「私じゃダメなんだ…! 化身を出すには、もう一人の私じゃないと…!」
急いで人格を入れ替わろうとするが、何故か手が震えて、マフラーに触れることができなかった。
「白恋に必要なのは化身なんだから!」
続け様に、そう威勢よく言う虎白が、雪村には怯えているように見えた。
「私が化身を出さないと、みんな離れていっちゃう…!」
チームメイトが反乱に味方してくれたのも、この試合を諦めていないのも、すべては化身があるおかげだ。みんな化身に期待している。自分が化身を出さなければ、今の雰囲気は壊れてしまう。
不安で押し潰されそうな虎白に、雪村は微かに怒気を含んだような声で詰め寄る。
「本気でオレたちが、そんな風に考えてると思ってるのか…!?」
「えっ…?」
本当に理解していない様子の虎白に、雪村は思いの丈をぶつける。
「オレたちがついてきたのは、凄いシュートが撃てる雪守でも、ディフェンスが上手い雪守でもない」
そう言って、雪村が虎白の瞳を真っ直ぐに見つめる。かつての自分が、吹雪にしてもらったように。
「サッカーのためなら、どれだけ苦しくても、誰かに無茶だって笑われても、絶対に立ち止まったり、逃げ出したりしない。そんなおまえだったからこそ、オレたちはついてきたんだ!」
雪村は、虎白の本質的な部分を見抜いていた。彼女の一番の武器は、高い身体能力ではない。サッカーへの想い、情熱、真剣さでチームを引っ張る力だ。
「確かにな。ホーリーロード優勝とか、フィフスに逆らうなんて、考えたこともなかった」
「雪守さんがスゴい人だってことは、みんな知ってるズラ!」
雪村の言葉を肯定するように、チームメイトが次々に、思い当たる行動を、嬉々として語った。
「最初の練習試合も、本当にびっくりしたよなぁ…」
「おれは…ちょっと怖かったけど、今はスゴく頼れる仲間だと思ってるよ」
「白咲もそう思うだろ?」
突然話を振られた白咲は、居心地悪そうに同意する。
「…まあ、理解し難い部分もありますが、概ねその通りかと」
客観的に見ても、彼女がチームの中核を担っていると分析している。それは、誰もが持っている力ではない。
「みんな…」
自分を信頼してくれているのが伝わってくる仲間たちの声に、心が温かくなる。
「…悔しいけど、オレじゃあ、この状況を変えられない。おまえの代わりは、オレには務まらない」
雪村は、それをこの試合で強く痛感していた。どんな逆境も、彼女が道を切り拓いてくれたから、先に進むことができた。そして、その役割は、雪守にしかできない。
「白恋中には、おまえが必要なんだ!」
その仲間たちの声が、言葉が、虎白の暗く閉ざされていた心の扉に光となって差し込む。本当の自分を見失っていた瞳に、一筋の道が照らされた。
虎白はわずかに俯いた後、正面を向き直し、フッと微笑んだ。その瞳には、仲間たちの姿が映し出されていた。
虎白は既に、誰も前を歩いていない道を進んでいる。ホーリーロードに女子選手が出場すること。白恋中が、女子選手が、フィフスセクターに逆らって優勝を目指すこと。
吹雪というお手本に型をはめて、自分が辿る道は一つしかないのだと思い込んでいた。だけど、違った。自分の道は、自分で切り拓いていけるんだ。
「ありがとう、みんな…」
虎白はマフラーをさらりと撫でる。サファイアの瞳を柔和な形に変えて、自信満々に言い切った。
「絶対に逆転してみせる。この試合、勝つのは私たち白恋中だよ!」
「おぉー!」
その勝利宣言に、闘志が伝播する。いつもの虎白が戻ってきたことで、ようやくチームが活気を取り戻した。
『羊ヶ丘中のスローインで試合再開です!』
投げられたボールに、羊ヶ丘中の選手がヘディングでパスを出すと、ゴール前にいた犬養へと渡る。
「絶対に点は入れさせない!」
それを先読みし、待ち構えていた虎白が、犬養の前に立ち塞がる。
「まだ懲りてねぇのか。おまえじゃ、俺には勝てねぇんだよ!」
犬養が構えると、背後から黒い影が出現し、形作るように立ち昇っていく。
「──悪魔獣バフォメット!」
犬養の化身が佇む。先程と同じ構図だが、虎白に震えはなく、凛然とした顔で、犬養を見据えていた。
「もう何も恐れない! 私を必要としてくれる仲間がいるから、どんな困難な道だって、切り拓くことができる!」
自分自身を見てくれる仲間がいることに気づけたから、理想への道なき道を、進む覚悟ができた。そんな仲間たちの想いに、少しでも応えたい。
──虎白がマフラーを握りながら、瞳を閉じると、鋭利な琥珀色の瞳に塗り替わる。
「うおおおォォォーーーッ!!!」
虎白が構えると、背後から黒い影が出現し、形作るように立ち昇っていく。内側から黒い影を大鎌で引き裂き、化身がその姿を現した。
「──冥界の女王ヘル!!!」
黒い外套を目深く被り、長い白髪を肩に垂らした氷の女王様。その容貌は、幽鬼のようで不気味だが、どこか気品さが漂っている。黒紅を引いた唇は、雪化粧を施したかのように真っ白な肌を引き立たせていた。
「あれがっ…!」
「雪守の化身ッ!?」
虎白が化身を出したことで、吹雪やチームメイトに衝撃が走る。
「化身だと!? …くくっ! 最高だぜ、雪守虎白ーッ!!」
犬養が、化身を引き連れてドリブルで突き進む。示し合わせたように、虎白も地を蹴って駆け出した。お互いに距離を詰め、ついに化身同士が激突する。
「うおおおーーーッ!!!」
「おらあああーーーッ!!!」
ボールを同時に蹴り合うと、バフォメットが黒爪を振り下ろす。虎白に触れるかという寸前、ヘルが大鎌で弾き返し、バフォメットの胴体を両断した。
「うおーッ!!」
「ぐわあああーーーッ!?」
虎白がボールを押し切る。その衝撃で化身が消滅し、後ろに吹き飛ばされる犬養。
『と、止めたァーーッ!? なんと雪守が化身を出して、犬養の化身を止めたぞォ!?』
「犬養の化身が負けたっ!?」
そのまま、化身を引き連れてドリブルで攻め込む。その気迫の前に、羊ヶ丘中は為す術がない。虎白は、あっという間に、ゴール前へとたどり着き、化身必殺技を繰り出した。
「はあああーーーッ!!!」
ヘルが妖しく微笑むと景色が一変し、霧が立ち込める氷獄の世界へと誘われる。虎白が低く構えて踏み切ると、白魚のような指を唇に添え、その吐息をボールに吹きかけた。すると、冥府の冷気が激しく渦巻き、回転ごと氷で覆われ尽くす。
「──ヘルブリザード!!!」
限界まで引き絞られた、虎白の重たい一撃で、氷塊を蹴り放つと同時に、ヘルの大鎌が振り下ろされる。二つの衝撃に、氷に封じ込められていた回転が再び蘇り、迸る冥府の冷気を切り裂くように鳴動する。
暴れ回るように軌道が荒々しく揺れ動き、猛然とゴールに襲いかかる。
「ぐわあーッ!?」
背筋が凍りついて動けないキーパーごと、ボールがゴールネットの奥深くに突き刺さった。
『決まったァー! 雪守の化身シュートが炸裂ッ!! 白恋中、1点返したァ!』
人格を入れ替わる虎白。それに付随して、化身も姿を消え去る。
「やったじゃないか、雪守!」
念願の化身を出せた虎白の元に、仲間たちが集まり、楽しそうに戯れる。
「本当に、化身を出せたんだ…」
信じられないというように、自分の掌を見下ろす虎白。もう一人の自分の力だけど、ずっと振り回されていた化身で、今度は仲間たちの力になれる。それが嬉しくて、拳をグッと握った。
そんな虎白を、吹雪がどこか眩しいものを見るように微笑んだ。
「──キミは、僕を越えていくんだね。僕がたどり着けなかった、もう一つの可能性に」
『さぁ、後半も残りわずか! このまま2-1で終わってしまうのかァ!?』
虎白が、化身を引き連れてドリブルで攻め込む。その前方に、化身を出した犬養が立ち塞がろうとするが、羊野が引き止める。
「おまえ一人で適う相手じゃない! ここは力を合わせて…」
「うるせぇ!」
羊野の提案を蹴って、虎白に立ち向かっていく犬養。化身同士で激突するが、再び返り討ちにあう。
「ぐわあああッ!」
化身が消滅し、吹き飛ばされる犬養。
「──決めろ、雪村ッ!」
ディフェンスを突破した虎白が、雪村へとパスを出す。
「──パンサードライブ!」
ボールを弾くようにして蹴り上げると、豹の雄叫びが轟き、激しい縦回転がかかったシュートがキーパーを襲った。
『決まったーッ! 白恋、ついに同点に追いついたァ!』
ボールを持った虎白に、犬養と羊野の二人が対峙する。お互いに化身を出していないが、一触即発の状況だ。
「コイツは俺が止める! おまえは手を出すな!」
あくまでも一騎打ちに拘る犬養。プライドの高い彼は、負けたままで終わることが許せず、完膚なきまでの勝利を求めていた。
「ダメだ! 2人がかりでもなければ、彼女は止められないぞ!」
「オレはシードだ! 群れを作るようなザコ共とは格が違ぇんだよ!」
聞く耳を持たない犬養に、羊野は包み隠さない本音をぶつける。
「おれは、おまえがキライだ」
「あぁ!?」
突然、喧嘩をふっかけてきた羊野を睨みつける。荒療治ではあるが、周りに目を向けせることに成功する。
「シードとしてウチにやってきて、サッカー部を滅茶苦茶にした挙げ句、脅しをかけるような、最低なヤツだ。でも──」
犬養に真剣な眼差しを向けて、強く語りかける。
「今は同じチームの仲間で、負けたくない気持ちは一緒なんだよ!」
「羊野…」
思いがけない言葉に呆気にとられる犬養。気づかれないように、顔を逸らして小さく笑うと、前を向き直す。
「…フンッ! 俺の足を引っ張るんじゃねぇぞ!」
「それはこっちのセリフだッ!」
犬養と羊野が構えると、背後から黒い影が出現し、形作るように立ち昇っていく。
「──悪魔獣バフォメット!」
「──星獣アリエス!」
二体の化身が並び立つ。虎白も同様に、化身を出すために構えると、背後から黒い影が出現し、形作るように立ち昇っていく。
「──冥界の女王ヘル!」
化身を引き連れた虎白が、ドリブルで突っ込んでいく。犬養と羊野の二人も駆け出し、ついに三体の化身が激突した。
「おらァァァーーーッ!!!」
「はあああーーーッ!!!」
犬養と羊野の二人がかりでボールを同時に蹴り合った。化身たちがせめぎ合う中、虎白が雄叫びを上げる。
「うおおおーーーッ!!!」
その気迫に同調したヘルが大鎌を振るうと、二体の化身を消滅させ、犬養と羊野を吹き飛ばした。
「ぐわあーーッ!?」
「うわあーーッ!?」
『雪守、化身の二体抜きだァ!』
虎白は化身を維持したまま、ゴールまで突き進み、化身必殺技を繰り出した。
「──ヘルブリザードッ!!!」
氷塊を蹴り放つと同時に、ヘルの大鎌が振り下ろされる。暴れ回るように軌道が荒々しく揺れ動いたシュートが、 ゴールネットに突き刺さる。
『ゴール! 白恋ついに逆転!』
その直後、ホイッスルが鳴り響く。
『ここで試合終了! ホーリーロード北海道地区予選決勝に進んだのは、白恋中だァ!』
「やったぁ!」
「勝ったんだ、おれたち!」
観客が喝采し、白恋中が喜びを分かち合う。虎白の元にも大勢のチームメイトが集まっていた。
「お、おいアレ…!」
「何しに来やがった…!」
そんな虎白の元に、犬養がズカズカと向かってくる。警戒する他のメンバーを気にもとめず、燃えたぎる炎のような目で、虎白を睨みつけた。
「次やるときは、必ず俺たちが勝つ! 来年のホーリーロードを楽しみにしてろ!」
それだけ告げて去っていく。もっと難癖をつけてくるかと予想していた白恋中は、肩透かしを食らった気分で見送る。
「な、なんだったんでしょうか…?」
「リベンジ宣言ってやつ…?」
すると、犬養を追ってきたらしい羊野が、白恋中に話しかけてくる。
「今日は楽しかったよ。犬養のヤツも、最後はシードとしての役割を忘れて、本気で勝とうとしてた気がする」
犬養の変化を、嬉しそうに語る羊野。派遣されたシードではなく、羊ヶ丘イレブンとして、本当の仲間になれたことを喜んでいる。
「君たちと戦えて、本当によかった」
感極まった様子で、試合前には叶わなかった握手を求める羊野。
「私も同じ気持ちだよ」
虎白がそれに応じ、お互いに健闘を称え合った。
「また来年、君たちにリベンジできるのを楽しみにしているよ」
羊野は晴れやかな表情を浮かべ、白恋中を地区予選決勝の舞台へと送り出した。