イナズマイレブンGO ブリザード   作:アロイ

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第11話 雪村の闇

 

 ──寂れたボロアパートの一室。その部屋は、日々の生活で出たゴミなどが、片付られることなく散らばっており、悪臭も酷く、とても不衛生な環境だった。

 

 仕事に忙殺されている社会人が住んでいるような印象を受けるが、そこには、まだ小学校に入学もしていないような男の子が一人でいた。

 

 その男の子はとても怯えた様子で、ずっと玄関を見つめていて、泣き出したくなる気持ちを押し殺しながら、息を潜めていた。

 

 玄関先からは、何度もチャイムを鳴らしたり、ノックをしながら、父親や自分の名前を呼ぶ、大人の男の低い声が聞こえていた。

 

 父親の名前を呼ぶときは、ひどく冷めた声で呼びかけるのに、自分の名前を呼ぶときは、わざとらしく優しい声で呼んでくるのが、男の子にはとても怖かった。

 

 その大人の男は、自分に玄関の鍵を開けてほしいと何度も頼んできた。しかし、男の子には父親との約束があったため、それをするわけにはいかなかった。

 

 震えが止まらない男の子は、大事なサッカーボールを抱えながら、毛布を被さって、恐怖から耳を塞ぐ。神にも祈るような気持ちで、心の中で何度も願った。

 

 ──はやくかえってきて、おとうさん…!

 

 

 

 男の子が、心の中で父親に縋っているところで、雪村はガバッと飛び起き、その悪夢から逃れた。

 

「はぁ…はぁ…はぁ…!」

 

 心臓がバクバクと激しく鼓動する。全身にじっとりとした嫌な汗をかいており、不快感が付き纏っていた。

 

 夢から覚めていることを確かめるために、自分の部屋を見渡す。白恋中の制服やサッカーボール、サッカー雑誌などがあることで、現実を再確認でき、少しだけ落ち着きを取り戻した。

 

「くそっ…。最近は思い出すこともなかったのに…」

 

 雪村が額を手で押さえるように、前髪をくしゃっと潰す。彼が見ていたのは、荒唐無稽な悪夢ではなく、自分自身の思い出したくない過去だった。

 

 しばらくベッドの上で気持ちを落ち着かせていた雪村だったが、次第にそんな自分に嫌気が差し、お腹も空いてきたため、部屋を出た。

 

 雪村の住んでいる住居は、古い木造建築で、廊下を歩く度に、ギシギシと木の板が軋む音が鳴る。

 建て付けの悪い居間の戸を開けると、座布団に座ってテレビを見ている、雪村の祖母の後ろ姿があった。

 

「…おはよう、ばあちゃん」

「おや? おはよう、豹牙」

 

 朝の挨拶を交わすと祖母は立ち上がり、朝ご飯の準備をするため、台所へと向かった。

 

「今日はずいぶんと早いんだねぇ。朝練?ってやつかい?」

「違うよ。今日は部活は休みだって昨日言ったろ?」

「あぁ、そうだったねぇ」

 

 自分の記憶違いを、からからと笑い飛ばす。こういった祖母の一面を見ると、自分とは似ていないな、と雪村は感じてしまう。

 雪村は祖母と一緒に、二人で暮らしている。元々は祖父母が暮らしていた家に、雪村が転がり込んできたのだが、3年前に祖父が他界し、雪村の家族は祖母一人だけとなっていた。

 

 

 既に支度は終わっていたため、あっという間に、ちゃぶ台に二人分の和食が並ぶ。

 

「いただきます」

「はい、どうぞ」

 

 雪村が朝食に箸を伸ばす。それをにこにことした笑みで見守る祖母。

 

「次は決勝戦なんだろう? しっかり力つけないと」

「…うん。まぁ、予選の決勝だけどね」

 

 雪村がどこか歯切れ悪く返事をする。朝食を食べる間、とりとめのない話を祖母としていた。

 

「ごちそうさま」

 

 雪村が先に食べ終えると、食器を片付け、水で洗い流してふやかす。それから歯を磨いて、寝癖を整え、自分の部屋へと戻った。

 

「久しぶりの休みだな…」

 

 やることもなくなり、椅子に腰掛ける。ふいに白恋中の制服に目をやり、入部してから今日までの、怒涛の日々を振り返った。

 

 雪守虎白との出会い、管理サッカーの存在。そして、何より吹雪士郎との出会いと、自分に起きた変化。

 これからの白恋中がどうなっていくのかは分からない。それでも、吹雪センパイと雪守の二人がいれば、きっと大丈夫だろうという安心感があった。

 

「はぁ…」

 

 雪村は、そこで一旦思考を遮る。これ以上考えていると、悪い方向へと流れて、杞憂してしまいそうだ。

 何か他の事で気を紛らわそうとするが、今朝見た悪夢のせいで、家にいるのも気が滅入り、当てもなく外をふらつくことにした。

 

 

 

 今日は日差しが気持ちのいい天気だった。春先はまだ肌寒かったが、最近は暖かくなり始め、段々と過ごしやすい気温になってきている。

 

 雪村は心地の良い外の空気に癒されながら、気の向くままに歩いていく。

 そして、数十分は歩いたかという頃、前方からすごく見覚えのある少女が、自分のいる方へと向かってきた。

 

 彼女は景色を見ながら歩いているため、雪村にはまだ気づいていない。このまま通り過ぎてくれれば良かったのだが、距離が近くなるにつれて、目の前に人がいることに気づき、その少女──雪守虎白は、こちらに顔を向けた。

 

「…おはよう」

「…あぁ」

 

 お互い、距離感を探るように挨拶を交わす。学校や部活以外で会うのは初めてで、どこか据わりが悪い。

 

「奇遇だね。雪村くんは、どこかにお出かけ?」

「別に…。ただの暇つぶしだ」

「そっか。私も、少し散歩でもしようかなって、適当に歩いてたんだ」

 

 そう言って微笑む。彼女とは、ユニフォームやジャージを着ているときに顔を合わせることが多いので、私服姿が新鮮に感じる。

 学校ですれ違うときも、スカートを穿いているのを見ると、そういえば雪守は女子なんだと思い出す。サッカー部にいると、性別云々の前に、ライバルとして意識することが多く、あまり気にしたことがない。

 

 最近は特に、雪守が化身を使いこなせるようになったので、負けていられないと気が急くばかりだった。

 

 そんなことを考えていると、自分に向けられた視線に気づいた雪守が、首を傾げる。

 

「どうかした?」

「…いや。少し意外だと思っただけだ。おまえは、部活が休みでも特訓をしてるのかと思ってたからな」

 

 咄嗟に誤魔化したが、それは紛れもない本心だった。雪守からはセンスだけでない、長年培われた努力の背景がある気がする。尋常ならざる時間を、サッカーに注ぎ込まなければ、その風格が身につくことはないだろう。

 

「私もそうしようと思ってたんだけどね」

 

 困ったような、嬉しいような笑みを浮かべて、何かを思い出すように遠くを見つめる。

 

「私は今まで、女だから人一倍頑張るんだ。自分がどうにかして白恋を引っ張るんだって思ってた。みんなを守るのは私の役目だって…」

 

 それこそが自らの価値で、責任だと重く感じていた。

 

「でも──」

 

 そこで一度言葉を切り、遠くに向けていた視線を、雪村の目に合わせた。

 

「みんなが見ていてくれたのは、私の力じゃなくて、私自身なんだって分かった。だから、強さだけに囚われて、自分を限界まで追い込むのは止めにしたんだ」

 

 そう照れくさそうに微笑む虎白。その顔には、今までのような焦燥が消えて、余裕が生まれていた。

 

「……」

 

 雪守はこの前の試合を経て少し変わった。化身を使いこなせるようになっただけでなく、明るくなったというか、素の自分を表に出すようになった気がする。

 

 そんな彼女に対し、雪村は胸が焦がれるような、イヤな思いに駆られたが、気づかないふりをした。

 

「用がないなら、オレはもう行く。じゃあな」

「あっ、ちょっと待って」

 

 この場から立ち去ろうとする雪村を引き止めると、少し言い難そうに切り出した。

 

「せっかくだから、雪村くんについて行ってもいいかな?」

「オレに…? オレと居たって面白いことなんか何もないぞ」

 

 これは建前ではなく、本心で思っていることだ。

 

「小さい頃から特訓ばっかりで、あんまり人と遊んだことがないから、行く当てがなくて困ってたんだ」

 

 それを言ったら、人付き合いが嫌いな雪村も大概なのだが、断ることが逃げることのように感じて、少し迷う。

 

「…勝手にしろ。本当につまらなくても知らないからな」

「うん、ありがとう」

 

 そう言って、やや距離を空けながら、雪村の散歩コースを歩く。道中で脇道に逸れながらも、二人は雪村がよく行く場所へと向かった。

 

 

 ──勾配のついた地面を登りきり、目的地にたどり着く。

 

「ここだ」

「へぇ…。この場所が、いつも雪村くんが来るところなんだ。いい景色だね」

 

 そこは、自分たちの住んでいる街並みを一望できる広場だった。虎白は柵に手をかけて、わずかに身を乗り出す。

 

「気持ちいい…」

 

 少し冷たい風が、虎白の髪とマフラーをなびかせる。身体の熱が冷める感覚が心地よく、思わず目をつむった。

 

「……」

 

 そんな彼女を見た雪村は、その首元に巻かれているマフラーに視線を向けた。

 防寒具もあまり必要なくなり始めているのに、いつまで着けているのだろうか。人格を入れ替えるトリガーとなっているのは分かるが、なぜあのマフラーなのだろう。特に知りたいわけではないが、興味がないといえば嘘になる。

 

「いよいよ次は、地区予選決勝だね」

 

 景色を眺めていた虎白に話しかけられ、余所事を考えていた雪村はハッとする。

 

「あぁ、そうだな」

 

 どこか現実味がないが、決して忘れることなどできない。雪村たち白恋中には、負けられない理由がある。

 

「私たちが次の試合に勝てば、全国大会に出場できる。そこでも勝ち続けて、本当のサッカーが、管理されたサッカーに負けないことを証明するんだ」

 

 柵を握る虎白の手に力がこもる。遠くの景色を見据えるその姿に、雪村も己の決意を口に出す。

 

「吹雪センパイのためにも、オレは全力で勝ちに行く。どんな相手だろうと、負けるわけにはいかない」

 

 二人の思いは同じ。自分たちを救ってくれた吹雪に、サッカーで報いたい、ホーリーロードに優勝したい、というものだ。

 

 景色を十分堪能した虎白は柵から手を離し、雪村の方を振り向く。

 

「そういえば、雪村くんはどうしてサッカーを好きになったの?」

「…っ」

 

 その唐突な質問に、雪村の鼓動が激しく跳ね上がる。その動揺を悟られないよう、感情を消して答える。

 

「別に…。どうでもいいだろ、理由なんて」

 

 全身で思い出すのを拒絶してるのに、今朝見た悪夢も相まって、嫌でも記憶が掘り起こされてしまう。

 

 雪村がサッカーを好きな理由。その悲しき過去を。

 

 ……オレは──。

 

 

 

 雪村の家庭は、彼が物心ついた頃から崩壊寸前だった。両親の怒鳴り声が絶えず聞こえ、心の休まる時間はどこにもなかった。

 そして、4歳の頃には両親が離婚。母親には雪村を引き取る権利があったが、連れていくことはなかった。それからは、雪村の父親が男手ひとつで育ててくれていた。…あの日までは。

 

 その日は、やけに父親が優しかったことを覚えている。いつもならコップ半分までしか注いじゃいけないジュースを、満杯に注いでくれたし、留守番のためのお菓子まで用意してくれていたのだから。

 当時の雪村はそれを疑問に思うことはなかった。なぜなら、その日は、雪村の6歳の誕生日だったからだ。

 

「…じゃあお父さん、そろそろ行かないと」

「オレもついていっちゃダメなの?」

 

 何となく、雪村はそう言った。今にして思えば、野生の勘のようなものが働いていたのかも知れない。

 

「仕事なんだ。我慢してくれ」

「……」

 

 優しく諭しても拗ねる雪村を見て、父親はある提案をした。

 

「豹牙が上手く留守番できたら、ずっと欲しがってたサッカースパイクを買ってやるよ」

「本当!?」

「…あぁ」

 

 雪村は嬉しくてしょうがなかった。スパイクは値段が高くて、ねだっても買ってもらえなかったからだ。

 

「約束だからね!」

 

 すっかり不満は消え、留守番に前向きになる。そんな雪村の頭を、父親が撫でるように手を置く。

 

「すぐに帰ってくるから良い子で待てるな?」

「うん! オレだって留守番くらいできるよ!」

 

 勇ましく張り切る雪村。そんな自分を、父親がどんな顔で見ていたかは思い出せない。

 

「…いいか、誰が来ても開けちゃダメだぞ?」

「うん!」

 

 念押しする父親に、雪村はハキハキとした返事をする。

 

「約束だからね! 上手く留守番できたら、スパイク買うって!」

「あぁ…約束だ。帰ったら、またお父さんとサッカーしような」

 

 ……そう言って出て行った父親が、家に戻ってくることはなかった。

 

 雪村の留守中、何度も知らない男が家までやってきたが、父親との約束を守るために、怖くても我慢した。

 サッカーボールを抱えて、退屈をやり過ごす。これは、福引きで当てたもので、玩具を買ってもらえなかった雪村にとって、サッカーは唯一の娯楽だった。

 

 しかし、子供一人の留守番では限界がある。食べられる物もなくなり、意識が朦朧とする中でも、雪村は最後まで父親のことを信じていた。きっと今に帰ってきてくれる。あのドアが開くはずだ。

 

 ──そしたら、スパイクを買ってもらって、おとうさんとサッカーをするんだ。

 

 父親との幸せな未来を思い描きながら、雪村の意識は途切れた。

 

 

 その後、雪村は自宅で倒れているところを近隣の住民に保護され、救急搬送された。行くあてのない雪村を、父方の祖父母が迎え入れ、共に暮らすことになった。

 

 祖父母は生気のない雪村に、父親は事故で死んでしまったんだと教えたが、それが自分を気遣うためのウソで、本当は捨てたのだということは、いくら幼くても分かった。

 

 それからは、何のために生きているのか分からない日々が続いた。母親に愛されず、父親には捨てられた。空っぽでしかない自分に、雪村は絶望した。

 

 この命も、親譲りの顔も、雪村豹牙という名前も、全部アイツらから与えられたものだ。

 

 ──だけど、アイツらはそれを簡単に捨てた。オレなんて、捨てていいと思われたんだ。

 

 ──オレが自分で選んだものなんて、サッカーしかない。

 

 ──だから、サッカーからも捨てられたら、オレはもう生きている意味なんてなくなる。

 

「人は簡単に裏切る。でも、サッカーだけはオレを裏切らない」

 

 雪村にとってサッカーは、自分が生きる意味だった。だから、強くなることに貪欲で、周り全てが敵に見えた。

 チームメイトがどれだけ自分を疎ましく思っていようと、試合で勝てば認めてもらえる。そこに自分の存在意義を見出したのだ。

 

 

 だが今、そんな雪村のサッカーは変わろうとしていた。

 

 雪守虎白という同世代のライバルが出現し、自分のサッカーのあり方が揺らいだ。

 吹雪士郎という信頼できる大人と出会って、再び他人を信じてみようと思った。

 チームを知り、仲間というものを少しずつ理解しようとしている。

 

 裏切られた過去を乗り越え、誰よりも強くなって、自分を救ってくれた吹雪センパイの期待に応えたい。

 

 ──でも、吹雪センパイは、オレなんかより、アイツの方が信頼できると思ってるはずだ。

 

 吹雪センパイは、自分の強くなっていく姿を見たいと語った。

 ということは、強くならなきゃ、サッカーからも、吹雪センパイからも見捨てられる。

 

 それは、再び信じる心を持った雪村にとって、死を意味するほどの絶望だった。

 

 

 

 ──夕暮れ時。一日中歩き回って疲れた虎白と雪村の二人は、公園で休んでいた。

 

 雪村はベンチに座っているが、虎白は母親からかかってきた電話に出ており、少し離れた場所に立っている。

 

「うん、大丈夫だよ。うん、もうすぐ帰るから。…心配すぎだよ。うん、じゃあもう切るからね」

 

 雪村は公園でボール遊びをする、家族連れの子供を見ながら、虎白の様子を伺った。

 

「…親からか?」

「うん。もう遅いから早く帰ってこいって」

 

 雪村からすれば、まだまだ空は明るく、帰りを急かすような時間には見えなかった。

 

「別に心配するような時間でもないのに、ずいぶん過保護なんだな」

「あはは…。でも、私のせいでそうなったようなものだからね」

「おまえのせい…?」

 

 虎白は苦笑いしながら当時の話をする。

 

「小学校に入学する前くらいかな。雪山で特訓をしてたら、一度死にかけて入院したんだ。それ以来、帰りが遅かったりすると、両親が心配するんだよね」

 

 幼少の頃から無茶な特訓をしていたことに理解が追いつかないが、それよりも、両親が子供の心配をすることの方が、雪村には想像もつかないような話だった。

 

「……」

 

 同じ時期に死にかけたのは同じなのに、父親に捨てられた自分と、より深く両親に愛された雪守。自分と彼女とで何が違うのだろう。

 

 今までなら運命を恨み、嫉妬に心がかき乱されそうになっていたが、今の雪村には心の支えがあった。

 

 ──でも、オレには吹雪センパイとの思い出があるから大丈夫。

 

 雪村が唯一誇れる宝物。誰にも触れさせたくない大事な大事な拠り所。他人と同じじゃない、自分だけが持ってる特別の証拠。

 

 しかしそれは、無邪気にも傷つけられる。

 

「そうそう。そのときに、吹雪監督に助けてもらったんだ」

「えっ…?」

 

 一瞬何を言われたのか、雪村の脳が理解を拒む。

 

「雪山で遭難した私を見つけてくれて、少しでも身体が温まるようにって、大切なマフラーを譲ってくれた」

 

 そう言いながら、マフラーを大事そうに撫でる。

 

「だから、このマフラーは私の宝物なんだ」

 

 本当に嬉しそうに微笑む彼女の姿が、雪村には遠く見えた。自分だけ現実から隔離されたかのように、身体の感覚が掴めなくなる。

 

 マフラーを常に身につける理由。吹雪センパイが雪守を特別視していた理由。これまでのすべてに合点がいった。

 

 もしかしたら、白恋中に来たこと自体、彼女のためだった可能性すらある。これまで雪村が感じていた運命は、彼女のおまけだったのだろうか。

 

 雪村の心が黒く染まっていく。手足の先まで冷たくなっているのに、震えさえ起こらない。

 

 ──こいつは、オレにないものをすべて持ってる。

 

 優しい両親、サッカーの才能、吹雪センパイからの期待と信頼。

 

 途端に、これまでの吹雪センパイとの思い出が色褪せ、自分の全てが惨めになってくる。結局、自分には何もないのだと突きつけられているようだった。

 

 彼女の近くに居るのが耐えられなくなり、雪村は逃げ出した。

 

「…暗くなってきたからオレも帰る。じゃあな」

「えっ…? う、うん。また明日…」

 

 突然、感情の抜け落ちた様子に変わった雪村に戸惑い、半端に上げた手を振って虎白は見送った。

 

 

 

 

 ──とある施設の地下室。

 

 ここは、“レジスタンス”と呼ばれる組織の集まりで、フィフスセクターから自由なサッカーを解放することを目論んでいる。

 表向きは普通の仕事をしている者たちの集まりなため、いくつか空席が目立つが、既に作戦会議は始まっていた。

 

「雪守虎白さん…。彼女は、いったい何者なんでしょう?」

 

 議題は白恋中、ひいては虎白に関することだ。

 

「明らかに吹雪くんの影響が大きいように思いますが…。彼が革命を急行したのでしょうか?」

 

 彼らの言う革命とは、選挙で現聖帝のイシドシュウジを追い落とし、新しい聖帝を定め、自由なサッカーを取り戻すこと。

 

「どうしますか、響木さん。これは、聖帝選挙に立候補する大きなチャンスですよ!?」

 

 慌てた様子の男が、上座に座る人物に指示を仰ぐ。赤いバンダナを頭に巻き、丸いサングラスをかけた髭面の大男。彼がこのレジスタンスにおけるリーダー、響木(ひびき)正剛(せいごう)だ。

 

「…もう少し様子を見よう。思っていたよりも、フィフスセクター側に動きがなさすぎるのが妙だ」

「それは…確かにそうですが…!」

 

 焦りを募らせるレジスタンスメンバーに、響木は低く落ち着いた声で動揺を静める。

 

「チャンスは一度きり。我々の存在が露呈すれば、フィフスセクターは全力で潰しに来る。それだけは避けねばならん」

 

 失敗したから、また来年とはいかない。勢いだけではなく、入念な準備が必要不可欠なのだ。

 

「何より、白恋中と足並みを揃えるのなら、吹雪と連絡を取りたい」

 

 盗聴などの可能性を考慮し、重要な連絡は携帯機器などを通さず、直接会って話をすることになっていた。

 しかし、吹雪は北海道にいるため、意思疎通が非常に難しい。できるだけ早く接触する必要がある。そのためには…。

 

「すべては白恋中が、次の決勝戦に勝ってからだ」

 

 そうすれば、レジスタンス本部のある地にまで自然と近付くことができ、密な連絡を取れる。革命には、堪え忍ぶことが肝要なのだ。

 

 

 

 ──同時刻。フィフスセクター本部。

 

 フィフスセクターの聖帝、イシドの視線の先には、白恋中の地区予選準決勝のリプレイがホログラムに映し出されていた。

 

「──まさしく化身だな」

「今後、白恋中をいかに導きましょう」

 

 虎白が化身を発動しているシーンから、彼女の身体能力が数値化されたデータに変わる。

 

「これほどの逸材だ。ただ潰すのではなく、我々の手中に収めておきたい」

「ということは、彼女をシードとして迎え入れるのですか?」

 

 女子選手の出場を許可した手前、フィフスセクターが直々に手を下すことはできないが、シードとして管理することはできる。

 

「だが、本当にその価値が彼女にあるのか、見定める必要がある」

 

 ホログラムに、白恋中とは別ブロックで行われた準決勝のリプレイが映し出された。見事なプレーで対戦相手を圧倒している。

 

「決勝戦は、あの氷帝学園が相手だ。白恋中も一筋縄ではいかないだろう。私が動くまでもなく、彼らがシードとしての役割を全うしてくれるはずだ」

 

 氷帝学園の選手データが表示される。氷帝には、シードの中でも優秀な選手が多く在籍しており、その誰もが白恋中の平均値を上回っていた。

 

「ですが白恋中には、あの吹雪士郎もいます。勢いづく前に、手を打った方がよろしいかと」

 

 イシドの悠長とも言えるような余裕に、部下たちが進言する。

 

「そうだな…。では彼女の経歴を調べ上げ、勧誘の交渉材料となりそうなものを探し出せ。そして、白恋中に潜入させているシードたちからは、彼女の能力、プレースタイル、サッカー部内での評価を報告するように通達しておけ」

「かしこまりました」

 

 指示を受けた部下たちが退室する。それと入れ替わるようにして、イシドの携帯が着信を知らせた。画面に表示された名前を確認すると、イシドは顔を険しくする。

 

「来たか…」

 

 イシドはそう呟くと、聖帝として座っていた椅子から立ち上がり、その電話に応じた。

 

「俺だ」

『例の件、調べておきました』

 

 イシドシュウジ、彼には真の目的があった。それは、フィフスセクターの創設者であり、管理サッカーの黒幕、『千宮路(せんぐうじ)大悟(だいご)』の調査だ。

 

「それで結果は?」

『対象の関与はなし。彼女に不審な点は見当たりませんでした』

「そうか」

 

 頼んでいたのは、『雪守虎白』の身辺調査。女子選手出場の許可は、イシドシュウジではなく、千宮路大悟の考えが反映されたもの。

 つまり、彼女を活躍させるための提案だったのではないかと疑っていたのだ。

 

 だが結果は白。彼女から千宮路大悟との繋がりが見えてくるかもしれないと考え、探りを入れさせていたのだが、無駄足だったようだ。

 しかし、残念なことではない。彼女の行動が、サッカーを愛するが故だと確信を得ることができたからだ。これで安心して、白恋中にサッカー界の革命を任せられる。

 

「引き続き、対象の監視を頼む。怪しい動きがあれば、すぐに連絡してくれ」

 

 彼は自らを犠牲にして聖帝となり、千宮司大悟に警戒されない立場を確立した。あとは革命の足がかりとなる地盤をつくる。

 

「──任せたぞ、虎丸」

『はい、豪炎寺さん』

 

 すべては、自由なサッカーを取り戻すために。

 

 ホーリーロードの水面下では、白恋中の動向を巡って、フィフスセクターと、響木率いるレジスタンスの思惑が渦巻いていた。

 

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