入学式から数日が経った。白恋中のグラウンドには、サッカー部の2、3年生が数十人と、入部したばかりの1年生だけで十数人が、顔を合わせる形で並んでいた。その中には当然、虎白の姿もある。センパイたちは新入部員に好奇の視線を向け、ひそひそと談笑するが、1年生たちの多くは緊張で口を結んでいた。全員が整列し終わると、監督が口を開く。
「私がこのチームの監督をつとめる、坂本です」
白恋中の坂本監督は、虎白が覚えている防寒具まみれの人ではなく、黒髪ロン毛の、気の良さそうなおじさん先生だった。
「えー、今日は、1年生たちにとっては初めての練習となるわけですが、ここで、実力テストを兼ねた、試合形式での練習を行います。この試合での結果によって、一軍と二軍に振り分けられるので、全力を出して頑張ってください」
虎白は、やっと…と胸中で感慨深くなった。
ようやく、真剣勝負の場に混ざれる。女子に実力で負けたところで、公式戦のメンバー争いに影響はないからと、悔しくもなさそうな人はもういなくなる。これからは、女子もライバルになりうる。その事実が、虎白の闘争本能を燃やしていく。
「その前に、1年生たちの自己紹介をしてもらいましょう。それじゃあ、左の子から順番にお願いしましょうか」
「はい…。自分は
それぞれが、緊張混じりに、サッカー歴や得意なポジションなどを述べ、センパイたちが茶々を入れつつ、自己紹介を順調に終え、残るは二人となった。紺色の髪をした少年が口を開く。
「
自分の名前だけを素っ気なく呟いた少年の青緑の瞳は、誰も信じていないかのように、何も映しておらず、目の前のセンパイたちから逸らされていた。
「…ポジションはFW」
無愛想にそう付け加える雪村を横目で眺めながら、虎白は、どことなく吹雪と似た雰囲気だな、と感じていた。
そして、最後に虎白の自己紹介の番がきた。
「雪守虎白です。サッカー歴は10年くらい…かな? ポジションはDFとFWの両方。そして──」
虎白は、マフラーをさらりと撫でつつ、サファイアの瞳を柔和な形に変えて、自信満々に言い切った。
「──今年のホーリーロードに出場して、絶対に優勝します」
優しげに微笑む少女。その可憐な見た目からは想像もつかないほど、豪胆な宣言に、1年生も、センパイたちも呆気に取られる。中には嘲笑うような表情をしている者までいた。
「は、はは…ホーリーロード優勝か」
「おいおい、1年の、それも女子が、一軍のスタメンになるつもりかよ」
「ギャハハハ! 何も知らねぇバカってのは、ある意味では幸せかもなぁ!」
明らかに本気にしていないセンパイたちの態度に、虎白が眉をひそめる。その雰囲気を察した監督がこちらに注目するよう、咳払いをする。みんなの視線が監督に集まる。
「コホン! えー、今年から、ホーリーロードに女子選手も出場できるようになったことは、みんな知っていると思います。そして、雪守さんは唯一の女子部員…。しかし、先ほどの自己紹介で宣言したように、みなさんとホーリーロード優勝を狙う、同じチームの仲間であり、レギュラー争いをするライバルでもあります。お互いに切磋琢磨しましょう! いいですね?」
「「「はい!」」」
「それでは、本日の練習を始めます! まずはチーム分けをしましょう」
そう言って、部員たちの空気を引き締めた監督は、1年生を紅チームと白チームに分けた。そこからさらに、人数不足を補うために上級生を数人混ぜる。
「2、3年生はできるだけサポート役に徹し、1年生たちにボールを回してあげてください。また、1年生たちは、自分から積極的に動いて、試合を組み立てていってください!」
1年生たちが散り散りとなって、好きなポジションにつく。白チームとなった虎白は、DFとしてゴール前に立った。対戦相手である紅チームのFWには雪村豹牙が、GKにはどうやら1年生の白咲克也がつくようだ。虎白としては3年生にGKをやってもらいたかったのだが、1年生でGKを正ポジションに決めているということは、それなりの経歴と自信があるのだろう。
「全員ポジションにつきましたね。試合時間はハーフタイムを挟んで30分。最初は白チームのボールからスタートします。それでは……試合開始ッ──!」
FWの1年生がボールを味方にパスして相手ゴールに攻め込む。白チームのMFたちがぎこちなくドリブルとパス回しをしていく。名門の白恋サッカー部に来るほどなので、みんな一様に技術はあるのだが、監督やセンパイたちの視線で動きが固い。
「止める!」
「ぐっ!」
紅チームの1年が突っ込んでいき、ブロックする。そのままフィールドの中盤でボールを巡って混戦となった。
その光景に、紅チームのGKである白咲は腕を組みながら呆れていた。やはり、特別な教育を施された自分とはレベルが違いすぎる。余裕の笑みを浮かべながら心の中でそう呟く。
長く続いた中盤での戦いは、白チームに軍配が上がった。FWへとパスが通り、紅チームのゴールにシュートをする。
「はあっ!」
それなりのパワーとスピードがあり、とても素人では反応できそうもない。しかし、そのシュートはいとも簡単に白咲の手で止められてしまった。彼には先ほどのシュートが止まっているかのようにハッキリと見えていたのだ。
「くっ…!」
「ふぅ…。いやー、とてもいいシュートでした」
心にもない称賛を1年FWへと送り、敵である白チームから離れているフリーの味方へとボールを投げる。センパイたちはその一連の流れを見て、白咲への評価を上げた。
「あのキーパー、中々上手いな」
「あぁ。あのシュートを怯むことなく止めにいった。それに、フリーの味方への判断が、正確で素早い…!」
白咲からボールを受け取った1年MFがドリブルで駆けていく。守備が手薄になっており、カウンターをしかける形となった。
「おまえたち、戻れ!」
2年生のセンパイが、白チームに指示を出す。自身は既に下がっていて、味方DFの前方で待ち構えていた。
「こっちだ!」
「任せたぞ!」
ドリブルをする味方から、雪村がボールを受け取る。白チームが下がり終わる前に得点を入れてやる、そう意気込む雪村の前に、先ほど指示を出していた2年生のセンパイが立ちはだかる。
「どけ!」
「させるか!」
しばらくの競り合いを経て、雪村からボールを奪い、前線へと戻していく。
「そう簡単に得点はやらんぞ!」
「ぐっ…!」
ブロックされた雪村が悔しげに顔を歪め、ボールの行先を鋭い眼光で睨んだ。
──その後方。虎白は静かな瞳で、フィールドを動く選手たちを観察していた。
両者の実力は拮抗しているのか、お互いに攻めきれず、得点は0-0。そのまま前半終了を迎え、ハーフタイムとなった。息を整える者、給水をする者、センパイから褒められている者、それぞれが思い思いに休憩をする。そうした中、虎白は軽くストレッチをしていた。まるで、これからが試合開始だというように。
後半戦が始まった。紅チームのボールから再開され、雪村が味方にボールを渡し、一人でどんどん白チームの方へと上がっていく。
「今度は決める! オレに回せ!」
「分かった!」
白チームと競り合っていた味方が雪村までパスを出す。少々無理やりな体勢で蹴ったので、パスの軌道が乱れたが、雪村が上手くトラップしてカバーする。今度こそシュートを決めてやると意気込み、相手ゴールを真っ直ぐに目指す。
「また止めてやるよ!」
「チッ!」
素早いドリブルをする雪村の前に現れたのは、前半戦で自分を止めた2年生のセンパイだった。だが、二度も止められてたまるか、と怒りにも似た感情が熱く滾る。その激情に突き動かされ、獣のように叫ぶ。
「うおおおッ!」
「ぐあっ!」
勢いを緩めることなく、目の前から突っ込んでくる雪村の気迫に、止めに来たセンパイの方が怯んでしまう。その隙をついて思い切りタックルをしかけ、強引に突破していく。一歩間違えれば危険なそのプレイに、監督は厳しい顔になった。
「あの1年、日高を吹き飛ばしたぞ!?」
試合を見ていたセンパイたちから驚愕の声が上がる。大柄な方である日高を、標準的な体格の雪村が、それも1年生なのに力で押し勝ったのだから当然だろう。その後ろから見ていた白咲も、自分には及ばないまでも、有望な選手がいるじゃないか、と白恋中の評価を上方する。
「はっ…はっ…はっ…!」
雪村は、自分の限界を超えた高揚感で息が乱れる。全力以上を出しきった、後はひたすらゴールを目指して走り抜ける。それを止めようと、1年DFの2人がサイドから雪村をブロックしに行くが、「邪魔だ!」と鬼気迫る勢いで睨まれ、ビクッと動きを止める。今の自分を止められる者など存在しない、そう主張するような態度だった。
──邪魔者はあと1人…!
雪村の視界に映るのは、マフラーを巻いた妙な女だけ。他の奴と同じように道を空けさせようと目の前の女を強く睨みつけながらドリブルをしていく。
「どぉけえええーーッ!!」
吹き飛ばさんとする勢いで、虎白へと向かっていく。全く避ける様子のない彼女に焦ったセンパイたちは、 「早く逃げろ!吹き飛ばされるぞ!」と叫ぶ。だが依然として動く気配もなく、また、一直線に突っ込んでくる雪村を見て、誰もがぶつかると息を呑んだ瞬間、雪守虎白は柔らかく微笑んだ。
「──そういう強引なプレイ、キライじゃないよ」
虎白はそう呟き、氷の大地を滑るかのように両腕を広げて助走をつける。両手を胸の前で交差させながら、スピンをするように空へと飛び上がる。そのサファイアの瞳には雪村の姿が映っていた。
「──アイスグランド!」
つま先から着地した衝撃が、氷の刃となって雪村へと襲いかかり、ボールと分断するように氷塊に閉じ込められる。虎白を包むように一陣の雪風が吹き込み、宙に放り出されたボールが吸い込まれるように運ばれていく。彼女はそれを、反らせた上半身で緩やかに受け止めた。
「あいつのドリブルを止めた!?」
「あの1年女子、もう必殺技が使えるのか!?」
「速すぎて見えなかったぞ…。なんてディフェンス能力なんだ…!」
見学していたセンパイたちから、これまでにない歓声と驚嘆で溢れる。そんな中、二人の激突をしっかりと見ていた白咲も、半ば呆然としていた。特別であるはずの自分でも、彼女がいつ、どんな必殺技を繰り出したのかを把握しきれなかった。その事実に白咲は激しく動揺し、余裕のある表情を保てなくなる。そして、その原因である虎白を、まるで睨め付けるかのように凝視していた。
必殺技でボールを奪った虎白が、「頑張って繋いでいこう!」と、味方にパスを出す。唖然としていたフィールド内の全員の意識がハッ、とボールへと戻る。体勢を崩していた雪村も、すぐさま立て直して、砂埃を払うこともせずにボールを追いかけた。その頭の中は、先ほどの攻防のことでいっぱいだった。
「クソッ!」
不快な感情がぐるぐると胸の内で渦巻く。何が起きたのか目で捉えることが敵わず、気が付いたときには、ボールを奪われていた。それは圧倒的なまでの実力差があったということに他ならない。だがそのようなことを認めるわけにはいかず、考えを打ち消すかのように、ギリッと奥歯を強く噛んで走る。
雪村は、相手からボールを奪っては、何度も虎白に挑んでいった。しかし、頑強な壁を体当たりで壊そうとするのは無謀なのと同じ。幾度となく阻まれ、跳ね返されては、地に倒れ伏す。年齢も、体格も、何一つとして自分と違わない彼女に見下される度に、雪村は屈辱を募らせていった。
──どうして勝てないんだ! オレとアイツは同じ1年だぞ!?
「オレにボールをよこせ!」
何度目かも分からない敗北に苛立ちを抑えられない雪村が、ボールを持った味方に対し、怒鳴るように命令する。その言い様に顔をしかめながらも、渋々といった様子で雪村にパスを出す。
「うおおおりゃーーッ!!!」
虎白との勝負にこだわり、決して諦めることのない勝利への執着心。何度敗れようと食らいついていく不屈の闘志。けれど、その様子はまるで、一人でサッカーをしているようだった。
「ぐわあああっ!」
もはや動きは完璧に見切られており、最小限の動きのみでボールを奪われた雪村は、勢い余って滑るように転ぶ。
「アイツ、また止めたぞ!?」
「これで何回目だ…!?」
──そして、そのときは訪れる。
虎白は、逡巡するように右足をボールに置き、真っ直ぐに正面を見据えた。この試合中ずっと、ボールを取ったら間髪入れずに味方へとパスを出していた虎白が、初めて動きを止めたのだ。それをチャンスだと瞬時に判断した雪村が、飛びつくようにスライディングをしかける。
「うらあああッ!」
しかし、虎白は彼に一瞥もくれず、首元に巻かれたマフラーへと手を伸ばし、まるで誰かに呼びかけるように呟く。
「出番だよ──」
フッと微笑む。すると、彼女を覆い隠すようにして吹雪が巻き起こり、近くにいた雪村が吹き飛ばされ、苦悶の声を上げる。
「ぐわあああッ!?」
「雪村!?」
吹雪が止み、視界が晴れる。そこには、先ほどまでとは明らかに雰囲気の異なる、雪守虎白が佇んでいた。白い髪が逆立ち、優しげなサファイアの瞳は、威圧的な鋭さを持つ琥珀の瞳に。穏やかな微笑みは、獰猛さを孕んだ笑みへと変わっていた。突如として、豹変した虎白が、相手を挑発するように声を張り上げる。
「──この程度かよ。甘っちょろいヤツらだ」
この場にいる者たち全てが、虎白の纏う雰囲気に呑まれ、動揺していた。
「な、何だ!?」
「急に雰囲気が変わったぞ!?」
その動揺を切り裂くように、彼女は言い放つ。
「オレが手本を教えてやるよ…見てなァ!!」
瞬く間にフィールドを駆け抜ける。その勢いは、まさに猛吹雪だった。歯向かうこともできず、吹き抜ける彼女を見送るしかない。
「何て速さだ…!?」
「誰かアイツを止めろ!!」
不敵な笑みを浮かべた虎白は、次々と相手選手を追い抜いていく。彼女のスピードに対応できていないのか、真横を通り過ぎてから一拍ほど遅れて、ようやく自覚する。
「どけどけどけえええーーーッ!!!」
好戦的な態度を剥き出しにした虎白が、群がるDFたちを正面から蹴散らす。
「うわあああっ!!!」
「ぐあああーーっ!!!」
この勢いに対して、誰も止められないかと思われたが、斜め後ろから3年生のセンパイが、彼女の隣にまで追いつく。
「あまり調子に乗るなよ!」
怒り混じりの声で強く迫り、大柄な体を彼女にぶつけ、ショルダータックルを仕掛ける。虎白は、逃げるようなそぶりすら見せず、嬉々として迎え撃った。
「やる気かァ!?」
ドリブルを維持しつつ、互いに肩を激しくぶつけ合う。それは、技術などが介入する余地がない、純粋な力比べだった。だが、明らかに体格差があるにも関わらず、虎白の体幹は一切のブレを見せない。
「オラァ!!」
「ぐうおおおっ!!??」
何度目かの衝突のタイミング。決して逃げるようなことはせず、力のみで二回りほども大きいセンパイを完璧に弾き飛ばしてみせた。その光景が信じられず、彼をよく知るセンパイたちに衝撃が走った。
「アイツはDFの要だぞ!?」
「なんて突進力だ…!!」
自陣ゴール前から、敵陣ゴール前まで、一度たりとも逸れず、止まらず、一直線に辿り着いた。残るはキーパーの白咲のみ。しかし、その白咲も虎白のプレーに驚愕し、呆然と立ち尽くしていた。
「あっという間にゴール前だぞ!?」
「どんなシュートを撃つんだ!?」
獲物を狙う肉食獣のような琥珀色の瞳が白咲を射貫いた。途端、その鋭い視線に耐え切れなかった白咲の身体はガタガタと震え始め、両足が完全に竦み上がる。特別である自分を脅かす存在…。足元にあったはずの確かなものが崩れ落ち、半ば錯乱状態となる。
「あ…あぁぁぁ…ッ!!!」
それでもゴールから逃げなかったのは、捕食者を前にした怯えからか、
「行くぜッ!」
虎白が片足を強く踏み込み、ボールと共に宙へと浮く。ボールを足の側面で掠めて回転を加え、身体を背面に捻る風圧で、ボールに冷気を纏わせる。着地と同時に吹雪が舞い、冷気は激しく渦巻き、ボールが回転ごと氷で覆われ尽くす。
「吹き荒れろ…!!!」
低く構えた姿勢の重心を右から左へ。両腕で勢いをつけながら、宙を蹴るように踏み切る。左半身を軸に回転し続け、すべての力を右足に託す。
回転の終着点。氷塊のど真ん中を捉えた渾身の一撃は、肉体の限界まで引き絞られた重たい蹴り上げによって、撃ち放たれる。
氷に閉じ込められていた回転が再び動き始め、風と冷気を纏い迸らせ、しかしそれらを切り裂くような威力が空気を振動させ、音を轟かせる。まるで氷の弾丸のような速度と威力を併せ持つシュート。暴れ回るように軌道が荒々しく揺れ動き、猛然とキーパーに襲いかかる。
凄まじい速さのサッカーボールが、白咲の真横を通り過ぎ、ゴールネットの奥深く突き刺さる。エターナルブリザードの軌跡が氷塊を生み、ゴールネットに突き刺さった状態で氷漬けとなる。
「ッ…!」
白咲には、何も見えていなかった。気が付いたら、ボールは自分の後ろにあった。もし、反応できたとしても、止められたかどうか分からない。
──何なんだ、何なんだよコイツは!?
白咲は、目の前の少女に、恐れにも怒りにも似た感情を抱く。
沈黙が支配し、全員が唖然とする中、誰かがポツリと呟いた。
「伝説の…エターナルブリザード…」
そんな部員たちに、虎白が宣言をするかのように語りかける。
「いいか、よく聞け──」
虎白は、立てた親指を自分自身に向け、挑戦的な笑みを浮かべる。白いマフラーが風に靡いた。
「──オレが白恋中の新エースストライカー、雪守虎白だ!!!」