翌日。虎白は、監督が退職したことでサッカー部に混乱が生じ、部員数を大幅に減らしたことを聞かされた。
「残ったのは11人…」
自分が勝敗指示を無視した代償を改めて思い知り、茫然とした様子で呟く。少し前までの虎白なら、立ち止まっていたかもしれないが、今は違う。
「いや、これだけの人たちが、フィフスセクターに屈していないんだ」
監督や、サッカーが大好きな人たちのため、自分がフィフスセクターと戦わなくてはいけない。そんな使命感に心を強く支えられていた。
「私は、私の求めるサッカーをするんだ」
首元のマフラーを握りしめ、誓いを立てる。そのサファイアの瞳には、静かな決意がこもっていた。
監督やキャプテン、大勢の部員を失った白恋中サッカー部の練習が始まった。2年生の北厳、日高が中心となって指示を出し、チームワークの向上を図ろうとする。しかし──
「行ったぞ! 止めろ日高!」
「分かってる!」
石が怒鳴るように命令する。味方からパスを受けた雪村が、今まさにゴールへと向かおうとしていた。
「アンタごときにオレが止められるわけないだろ」
「一回マグレで抜いたくらいで調子に乗るなよ!」
日高は雪村の動きを先読みし、その方向へと回り込んだが、雪村は躊躇することなく体当たりをし、強引に突破した。
「ぐはっ!」
転倒した日高に目もくれず、ゴール一直線にドリブルし、雪村がゴールを決める。その後、元のポジションに戻ろうとすると、立ち上がった日高と口論になった。
「おい雪村! おまえ今、俺を突き飛ばしたな!」
「それがどうした? シュートするのに邪魔だったんだ」
少しも反省の色が見えない雪村に、日高は苛立ち、大声で怒鳴る。その声に、虎白を含めた部員たちから視線を集める。
「監督にも注意されてただろ! おまえは危険なプレーが多いって!」
「あんたが不注意なんだよ。怖いなら避ければ良かったんだ」
あまりにも自分本意な雪村の言動に、日高は相手をするのも意味がないと感じ、怒りを堪えるように目を強く瞑る。
「っく…このっ…! 練習なのにやりすぎだろ! もういい!」
何とか怒りを霧散させ、雪村の傍を足取りうるさく去っていく。雪村は、それを不快そうに見送ると、独り言を呟く。
「…フン。本気でやらないで試合に勝てるかよ」
監督もキャプテンも不在で、まとめ役が居らず、険悪な雰囲気がサッカー部を取り巻いている。
「このままじゃダメだ…」
虎白は焦っていた。しかし、自分が原因でこうなっているのだから、率先してリーダーシップを執るような真似はできないし、聞く耳を持たないだろう。かと言って、放置すればするほど、取り返しのつかない問題になるのは目に見えている。
だが、虎白にはどうすればいいのか分からなかった。不安の種である自分に、みんなの不安を取り除いてあげることはできない。
「みんな、落ち着いてほしいズラ! これじゃ、練習にならないズラ!」
北厳がまとめようとするが、またしても雪村が、周りを挑発するような振る舞いをする。
「オレはちゃんとやってる。コイツらが下手くそなんだよ」
「なんだと!」
センパイどころか1年生までも敵に回すような発言に、冷たい目を向ける者が多い。
「ハッ。おまえだって選抜試験のとき、雪守に良いようにやられてたじゃねぇか」
「…なにっ!」
先ほどの意趣返しをするように、日高が雪村を煽る。屈辱感を刺激された雪村が、噛み殺しそうな眼光を、日高と虎白に向ける。その青緑の瞳には、深い怒りがあった。
雪村と視線を合わせた虎白が、場を収めようと試みる。
「今は練習に集中しよう。雪村くんも、みんなも、全然下手なんかじゃないよ」
「どうだかな。猫かぶってないで、試合のときみたいに本性を表せよ」
虎白の言うことを全く信用していない雪村が、喧嘩腰に挑発する。
「あ、あれは…」
言い淀んだ虎白が、身を守るようにマフラーをぎゅっと握る。そんな虎白を一瞥した後、雪村はその場を離れた。
一悶着あった後、練習を再開しようという直前、石が唐突に切り出した。
「大体よ、こんな練習に意味あんのかよ?」
「どういうことだ、石」
「白恋中は、雪守のせいでフィフスに目をつけられてる。頑張ったところで、潰されるのがオチだろ」
最早、不安を煽る必要はないのだが、練習に参加するのも、無駄な努力に付き合わされるのも面倒なので、部活動ごと潰そうとする石。
「そ、それは…」
北厳が否定できないでいると、一部を除く1年生たちからも諦めムードが漂ってくる。
「確かにそうだ…」
「勝敗指示で結果が決まるんだったら、練習したところで無駄なんじゃないか…?」
「──そんなことはないよ!」
突如として空から声が降ってくる。全員が、咄嗟にその声の出処に顔を向けるも、グラウンドを見下ろすその人の姿は逆光になっており、目を凝らしても顔が見えない。
階段を一段ずつ下り、逆光から外れ始める。
「誰だ…?」
ポツポツと訝しむ声が増え始め、次第に大きな困惑へと変わっていく。
「えっ…?」
虎白の瞳が、信じられないといった様子で徐々に開かれていく。その表情は、憧れのヒーローが助けにきてくれたと無邪気に喜ぶ顔だった。
「っ〜…!!」
数年ぶりの再開だろうと関係ない。その人の情報はずっと追っているから、テレビや雑誌で見たのと同じ顔だとすぐに分かった。
虎白が憧れる人物、『吹雪士郎』そのもの。
外ハネがある紫がかった銀髪。整った顔立ちと、灰色がかった青緑色の瞳は少年時代より凛々しさが増しており、大人の雰囲気を漂わせる。
「今日から、この白恋中サッカー部の監督を任されることになった、吹雪士郎だ」
その衝撃の発言に誰もが反応できずに固まった。
「みんな、よろしくね」
甘い笑みを浮かべた吹雪が、部員たちに語りかける。一瞬の静寂の後、魔法が解けたかのようにグラウンドが沸き立った。
「吹雪士郎って、あのイナズマジャパンの!?」
「白恋中出身だったとは知ってたけど…」
現実味に欠ける展開のため、思考が追いつかない部員たちが、困惑気味に現状を理解しようとする。
「吹雪…さんが新監督ってどういうことですか!?」
先ほどまで気持ちが沈んでいた虎白が、急激に活気を取り戻し、吹雪に質問をする。
「坂本監督に前々から頼まれていたんだ。白恋中のコーチを引き受けてくれないかって」
その答えに、虎白の脳裏には監督が残した言葉が過ぎり、ようやくその意味が腑に落ちる。
「監督が言ってた強力な助っ人って、吹雪…さんのことだったんだ!」
両拳をギュッと握り、瞳をキラキラと輝かせ、嬉しそうに呟いた。吹雪がいれば、きっとこの絶望した状況からでも何とかなる。虎白はそう希望を持った。
ようやく驚きが鎮まったグラウンドを見渡した吹雪が、北厳に声をかける。
「これで全員かな?」
「…はい。キャプテンも、主力の3年生たちも辞めてしまって、白恋サッカー部はもうお終いズラ…」
北厳が暗い顔で落ち込む。しかし、吹雪は不思議そうな顔で淡々と返した。
「お終い? ここには、ちゃんと11人いるじゃないか」
「ま、まさか…」
「僕は、このメンバーでホーリーロード優勝を狙うつもりだよ」
自信満々に言い切った吹雪に、日高がいち早く反論する。
「む、無理ですよ! 残ってるのは、ほとんど1年生ですよ!?」
「それでも、フィフスセクターに屈しない心を持ったサッカープレーヤーだ」
「コイツらは、本当の恐ろしさを知らないだけなんです!」
日高は本心からそう思っている。雪守が勝敗指示に逆らったのも、1年生の数が多いのも、一時的なもので、いつか恐怖に心を折られるだろうと。1年前の自分がそうだったように。
しかし、吹雪はそう思わなかった。
「なら、それを知ってるキミが辞めなかった理由を教えてほしい」
「そ、それは…」
吹雪から痛いところを指摘されて、目が泳ぐ。そんな日高の顔を吹雪はまっすぐに見つめた。
「本当のサッカーをやりたいから、だろう?」
「っ…! そんなの…!」
希望や諦観、そんな様々な感情を叫びそうになったのを何とか押し殺し、吹雪から顔を背ける。そのやり取りを、石が馬鹿にするように大声で笑う。
「ギャハハハ! 新監督は、相当頭がイカレてるらしい。そもそも、フィフスに逆らった俺たちが、ホーリーロードで優勝できるわけねぇだろ!」
「そうか…大会も勝敗指示があるのか」
「まぁ、そもそもおれたちじゃ厳しいけどな」
ようやくホーリーロード優勝が無謀なことだと真に理解する1年生たち。しかし、吹雪の意思は揺るがない。
「みんなの力を合わせれば、必ず白恋は強くなれる。そして、試合に勝つことで、フィフスセクターが間違っていると証明する。そのための練習を始めよう」
圧倒される部員たちを放ったまま仕切ろうとする吹雪を、白咲が止める。
「試合に勝つですって? オレたちは勝敗指示を無視する気はありませんよ。ねぇ、センパイ方?」
「そ、そうズラ…。吹雪さんが監督になってくれるからって、オラたちは…」
拒絶しているものの、迷いが見て取れる北厳。それを見て、もう一押しをする。
「それに、まだ不安要素があります。このサッカー部に潜む、シードの存在がね」
「シード?」
吹雪が気になる単語を問い返すと、白咲は深く頷いた。
「えぇ。退部したセンパイたちが噂してたんですよ。雪守さんはシードかもしれないと、ね」
白咲が部員たちを従えるように両腕を広げ、虎白にあらぬ疑いをかける。
「私が…シード?」
それは虎白にとって寝耳に水で、きょとんとした顔で首を傾げる。
「えぇ。白恋中を陥れるために、もしくは、前監督を辞めさせるために、派遣されたのだと」
自分が周りから浮いていることは肌で感じていたが、まさか陰謀を企てる裏切り者だと思われているとは予想外だった。
「そんな人がチームにいたのでは、とてもフィフスセクターに逆うなんて恐ろしいこと、オレにはできませんよ」
似たような考えを持っているのだろう。周囲を見渡しても、虎白に懐疑的な目を向ける者が多い。
状況の悪さと、勝手な言いがかりに焦った虎白が、胸に手を当て、無実を主張する。
「私はシードなんかじゃない! 本当のサッカーを取り戻したいだけだよ!」
「それを信じろと?」
悲痛な訴えも虚しく、白咲たちが虎白に向ける目に変わりはない。さらに、石が不愉快そうに口を開き、追い討ちをかける。
「大体よぉ雪守。おまえが男に混ざって試合に出れるのはフィフスのおかげで、こん中じゃ一番その恩恵を受けてんだぜ? それを仇で返そうなんてヤツを、簡単に信じられるわけねぇだろ」
「…っ!」
虎白自身の努力や実力で試合に出られた事実は一切無視をされ、女であるという事実だけを理由に責められる。
しかし、周囲の人間も、その意見にハッとしたように虎白を見つめる。石から引き継ぐように白咲が同意する。
「石センパイの言う通りですね。一番恩恵を受けている彼女が、その見返りにシードの役割を与えられていたとしても、何の不思議もありません」
女であることを理由に認められない。男と女ではスタートラインが違う。そんなことは分かってる。それでも、悔しさで涙が出そうになるのを抑えられない。
「私はっ…!」
虎白が強く反論しようとすると、吹雪が目の前に腕を伸ばして、庇うように一歩前に出る。
「雪守が本当にシードかどうかは、キミたちが自分の目で確かめればいい」
それだけ宣言して、吹雪は部員たちを正面から見渡す。拍子抜けした白咲が肩を竦め、背を向ける。
「話になりませんね。行きましょうみなさん」
何人かは後ろ髪を引かれ、グラウンドを振り返った部員もいたが、少数派になること、フィフスセクターに逆らうという選択肢を選べずに去っていく。
結局、その場に残ったのは、吹雪、虎白、雪村の三人だけだった。
俯いたままの虎白に、吹雪が肩に手を置いて優しく声をかける。
「すぐにみんな分かってくれるさ。さぁ、練習を始めよう!」
吹雪に元気づけられた虎白は少しだけ前を向く。せっかく吹雪が来てくれたのに、また自分のせいで迷惑をかけてしまったと自己嫌悪に陥る。
「他の人たちのことは放っておいていいんですか?」
「僕は何の心配もないと思ってるよ」
「えっ…?」
虎白の思い詰めたような声とは反対に、吹雪はなんてことないかのように軽く流す。その態度に驚き、虎白は吹雪を見上げた。
「今日が二人でも、必ず全員が揃う日がくる。みんな本当のサッカーをやりたいはずだからね。僕はそれを信じてるんだ」
爽やかな笑顔を浮かべ、サッカーボールを取りに二人から離れる吹雪。残された虎白は、何人分か離れた隣にいる雪村に視線を向けた。
「雪村くんは、私をシードだと疑ってないみたいだね」
「おまえがシードだろうが何だろうが関係ない。オレは、試合に勝ちたいだけだからな」
虎白を見ることもせず、ぶっきらぼうに呟く。それは信頼でも優しさでもない、完全な無関心だったが、今の虎白にとっては十分にありがたいものだった。
程なくして、ボールを抱えた吹雪が戻ってきて、練習の内容を説明する。
「今日の練習は、僕からボールを奪うことだ」
「ボールを、奪う…?」
虎白と雪村の視線が、吹雪が手に持っているボールに注がれる。
「もちろん、サッカーのルールの範囲内で…だけどね」
そう微笑んだ吹雪が、軽快なリフティングをしつつ説明を続ける。虎白と雪村の目が、ボールの動きに合わせて上下する。
「ボールを奪ったら、今度は僕ともう一人でそのボールを狙う。それを何度も繰り返していく」
ボールが地面に落ちてきたと同時に、吹雪がボールの上に足を置き、虎白に視線をやる。
「確か雪守は、ブロック技が使えたよね」
「はい」
吹雪が自分のことを坂本から聞いていても、不思議なことではないので、特に疑問に思わずに頷く。
「だけど、今回は必殺技は禁止だ」
「分かりました」
吹雪から言われたのなら、特に反対する理由もないので、素直に承諾する。
「それじゃあ、二人がかりで僕からボールを奪ってごらん!」
そう挑発的に笑ってグラウンドを駆け出していく吹雪を、雪村が我先にと追いかけていく。虎白も二人の下へ走っていく。
ドリブルをしながら速さも損なわない吹雪に、二人とも食らいつくのがやっとで、二人で進行方向を妨げなければ、駆け引きすることすらできなかった。そんな吹雪に、虎白は感動を覚える。
──スゴい…! 私がボールを奪えない相手なんて、今までいなかったのに!
「もっと二人の息を合わせるんだ!」
吹雪が、虎白と雪村にアドバイスを送る。しかし、雪村は虎白の動きを見ることなく立ち向かっていく。
「オレ一人でも十分だ!」
その単調な動きに、吹雪があっさりと雪村を躱す。その隙をついて虎白が仕掛けに行くも、上手く防がれてしまう。吹雪はさらに、アドバイスを続けた。
「もっとお互いの動きをよく見るんだ。誰が、どんな動きをしているかを!」
「誰が…?」
吹雪にそう言われて、虎白が雪村を見る。雪村豹牙という人間は、他人のことを信じていない。そんな相手と、息を合わせるなんてできるのだろうか。
「ううん…。できるできないじゃない、やるんだ!」
雪村がもう一度突っ込んでいく。そのタイミングで虎白も吹雪に突っ込み、挟み撃ちをしかける。しかし、まだ完璧じゃないのか、上手く身体を使ってボールから遠ざけ、フェイクやターンで二人を翻弄する。
「私がどう動くかじゃなくて、雪村くんが、どう動くかを考える…」
虎白が雪村の動きを予測し、そのフォローに回る。どうすれば雪村が動きやすいのか、吹雪が動きにくいかを考える。まるで、時間がゆっくりになったかのように錯覚する。
そして、その時は訪れた。
「ここだ──!!」
虎白と雪村の息のあった連携プレイに、逃げ場のなくなった吹雪の動きが、僅かに鈍くなる。
勝ちを確信した二人。
しかし、吹雪はボールを空中に蹴り上げ、自分もその高さまでジャンプして回避をした。
「えっ…!?」
「なっ!?」
突然、姿の見えなくなった吹雪に混乱し、虎白と雪村の二人が、勢いそのままに激しく衝突をする。
「くっ…!」
「がはっ…!」
弾かれたように転倒するも、すぐに起き上がった二人が、砂まみれの互いを罵倒し合う。
「おい、どこ見てるんだ!」
「それはこっちのセリフだよ。あと少しで、吹雪監督からボールを奪えたのに」
「おまえがぶつかってくるから悪いんだろ!」
「雪村くんがぶつかってきたんだよ!」
心配する暇もなく口論を始めた二人を見て、吹雪は苦笑する。
「その様子だと、怪我の方は大丈夫そうだね」
「はい、吹雪監督」
「もう一回だ。オレが勝つまでやる」
二人ともサッカーに対する熱量が高くて、素質も十分にあるが、虎白はチームプレイの経験値が、雪村はチームプレイに対する理解力が足りていない。
「次は、二人のキック力を見せてほしい」
そう提案した吹雪が、ゴールとの距離を目測で調整し、ボールを置く。
「まずは、雪村からだ」
名指しされた雪村が、軽く助走をつけて、ゴールを睨みつけながらシュートをする。それは、1年生にしては十分に高い威力を誇っていた。
「良いシュートだ、雪村!」
吹雪から褒められようと、ぴくりとも表情を動かさない雪村。その原因は、雪村の視線の先にあった。
「次は、雪守の番だね。全力で蹴るんだ!」
「はい!」
歯切れよく返事をし、助走に入る虎白。しっかりと軸足を踏み込んでボールを蹴る。それは、雪村のシュートよりも速く鋭かった。
「雪守も、ナイスシュートだ!」
「あ、ありがとうございます!」
吹雪に褒められて、照れくさそうにマフラーを弄る虎白に、難しい顔でシュートを見ていた雪村が突っかかる。
「おまえ、今の本気じゃないだろ」
雪村の瞳や声には、微かに怒りが含んでいた。
「ど、どうしたの雪村くん…。あれが私の本気だよ」
手を抜いた事実などなく、あれは正真正銘、今の虎白が撃てる最高のシュートだった。だからこそ虎白は戸惑った。
「違う。オレがあの日見たおまえは、こんな生温いシュートは撃たない」
「だから、あれは…」
あの日、というのが選抜試合のときのものだろうが、説明しても簡単に納得できる理由じゃないため、虎白は言い淀む。
その言い争いを静かに見ていた吹雪が、どこか試すように虎白の背中を押す。
「雪守、僕もキミの全力のシュートを見てみたい。ダメかな?」
「吹雪監督…」
吹雪にも後押しされ、虎白が眉を下げる。
「…分かりました。全力でやります」
覚悟を決めた虎白がマフラーを掴む。──すると白い髪が逆立ち、柔和な雰囲気が荒々しく、サファイアの瞳が琥珀色の輝きに一瞬にして染め変えられる。その変わり様に、僅かに吹雪が息を呑んだ。
挑戦的な笑みを浮かべた虎白が、吹雪と雪村に威勢よく声を張り上げる。
「オレの全力が見たいって? いいぜ、見せてやるよ!!」
近くにあったボールでドリブルをしながら、ゴール前の定位置にたどり着き、必殺技を繰り出す。
「吹き荒れろ…! エターナルブリザードッ!!」
吹雪と冷気が激しく迸る、氷を纏ったボールが、ゴールネットに深く突き刺さる。ボールの回転を殺そうとするネットの擦る音が随分と長く響いた。
「エターナルブリザードを、ここまで仕上げているのか。…雪守、もう戻っていいよ!」
吹雪に促された虎白が、再びマフラーを触ると、フッと獰猛な雰囲気が霧散していく。そして冷静になった虎白が、吹雪に向き直す。
「このことも、坂本監督から聞いていたんですね」
「うん。キミが何故そうなったかは僕も知らない。でも、二重人格のような女の子だってね」
それはそうだろう。キッカケは検討がつくが、なぜこの力が宿ったのかは、虎白自身にも説明がつかず、超次元だから、としか言いようがない。
「二重人格…?」
意味が分からないというより、確認するように呟く。そんな雪村に、虎白が補足するように答える。
「似たようなものかな。ディフェンスのときの私と、オフェンスのときの私には明確な違いがあるんだよ。だから、今の私のシュートは、雪村くんが思ってるほど強くないんだ」
この状態の虎白でもエターナルブリザードは撃てる。しかし、その威力は比べものにならない。そして、その逆もまた然り。
「全力を出せなくてあの威力かよ…。ムカつくヤツだ」
雪村が悔しそうに背を向ける。それでも納得がいったのか、虎白に絡むことはなかった。
夕方になり、吹雪が練習の終わりを告げる。ボールを片付けて、虎白と雪村の二人は帰る準備をする。
虎白が着替えてサッカー棟から外に出ると、入口付近に佇んでいた吹雪に声をかけられる。
「やぁ」
「吹雪さん!」
思いかげないサプライズに、虎白が嬉しそうに近寄る。
「さっき雪村にも会ったよ。話しかけたら、無視されちゃったけどね…」
困り笑顔で頬をかく吹雪。それを聞いた虎白は、吹雪がずっと同じ場所にいたことに気付く。
「もしかして、私に何か用があったんですか?」
首を傾げて尋ねる虎白。吹雪は、虎白の顔をジッと見た後、口を開く。
「少し、キミと話がしたくてね」
ただの世間話をしよう、というような雰囲気ではない様子に、その言葉に含まれた意図を察した虎白が、深く頭を下げる。
「あのときは本当にありがとうございました!」
予想外の行動に、面食らった吹雪だったが、すぐに平静を取り戻す。
「…やっぱりキミは、あのときの女の子だったんだね」
「はい。ずっとお礼を言いたかったんですけど、吹雪さんが忘れてたら迷惑かなって思って」
はにかみながら素知らぬフリをしていた理由を話す虎白。お互いに事故のことは直接口にしないが、共通の認識を持って会話をする。
「吹雪さんのおかげで、無事に中学生になることができました!」
虎白がくるっと一回転して制服を見せびらかす。それを微笑ましそうに見た吹雪が、虎白の首元へと視線を落とす。
「少しマフラーを触らせてくれないかい?」
「構いませんよ。…って元々、吹雪さんのですけどね」
虎白の首元に巻かれたマフラーの端を手に取って、懐かしそうに、愛おしく撫でる。しばらくして、吹雪がマフラーから手を離す。
「ありがとう」
「いえいえ」
吹雪は、ただ懐かしさのあまりマフラーを触ったのではなく、確認したいことがあったのだ。
そして、その成果はあり、吹雪にだけ伝わったことがあった。恐らく、円堂たちでさえ分からない真実。
確信を持って言える。雪守虎白のもう一つの人格は、弟であるアツヤではないということ。
幼少期を共に過ごし、少年時代を分かち合った吹雪だけが分かる。動作の違いや、僅かに異なるシュートフォーム、それらが違和感となり、アツヤを重ねることはなかった。
むしろ、普段の雪守と雪村が並んでいるときにこそ、自身とアツヤを重ねてしまい、感傷に浸ってしまう。
アツヤという人格は、自身の心の弱さがつくりだした幻だが、こちらを見つめる彼女の瞳からは、自己の希薄さが伝わってこない。
それでも万が一を考え、マフラーを触ってみたが、アツヤの意思が宿っているというようなこともなかった。
吹雪自身、事故の影響で精神に支障をきたしたので、細心の注意を払って聞き出そうと思ったが、余計なお世話だったことを悟ると同時に、深く安堵する。
少なくとも、雪守が自身の二の舞になるようなことはないだろう。
「それじゃ、さようなら」
「うん。事故には気をつけてね」
「は、はい」
吹雪の冗談になってない冗談に苦笑いしながら、虎白はご機嫌で帰宅した。
翌朝。虎白はリビングで朝食をとりながら、テレビを見ていた。その番組では、ホーリーロードが取り上げられていた。
『中学サッカーの祭典。ホーリーロード北海道大会を1週間後に控え、開会式の準備が進められています』
トーナメント表が映し出され、注目校が読み上げられる。
『Aブロックには、前回全国大会に出場した白恋中を始め、蕗ノ下中、羊ヶ丘中、氷帝学園と、いずれも全国大会優勝を狙えるチームばかり。果たして、この大会を制し、全国大会に進出する2チームはどこでしょうか』
虎白には対戦校の情報がないので、名前を挙げられたところで特に感想はない。とりあえず、初戦の相手を確認した後、制服に着替え、マフラーを巻いて登校をした。
放課後になり、サッカー部員たちは、ミーティング室に集まっていた。
「ホーリーロード初戦の組み合わせが決まった。相手は、
その名前に聞き覚えがあるのか、北厳たちの話し声が聞こえる。1年生たちは虎白同様、特に情報はないらしい。
「詳しい作戦の前に、このチームのキャプテンを決めたいと思う。やりたい人は立候補してほしい」
痛いくらいの静寂が部屋に満ちる。それも当然だろう。今、白恋中はフィフスセクターから目をつけられているかもしれない。そんな状況下で、我こそはと思う人は少ない。
「僕としては、上級生にキャプテンをやってもらいたいところだけど…」
そう言って、吹雪が2年生たちが固まっている席に視線を向ける。
「俺はそんな面倒ごめんだぜ。他のヤツがやれよ」
「俺もキャプテンって柄じゃないです。北厳、おまえなら任せられる。やってくれないか」
「オラにキャプテンなんて…」
辞退しようとする北厳に、日高が食い下がる。
「2年の中じゃ、おまえが一番上手いし冷静だ。俺は適任だと思う」
日高は、熱くなりやすい自分や、挑発的な物言いの多い石よりも、温厚な北厳をキャプテンに推薦する。
「わ、分かったズラ…。キャプテン、引き受けるズラ…」
「キミならきっと良いキャプテンになれるよ。もちろん、僕やみんなもサポートする。一緒に頑張ろう」
「は、はいズラ…」
日高の熱意に根負けした北厳が、キャプテンに任命される。片付けるべき案件が終わったので、吹雪は作戦会議に移ろうとする。
「まず、警戒すべき選手だが──」
しかし、それを妨げるように横槍が入る。
「ちょっと待ってください」
ここまでの話の中で、あるべき話題が吹雪の口から出てこないため、白咲が促すように質問をする。
「監督、今回はフィフスセクターの指示を知らされていないんですか?」
そのたった一言で、室内が異様にザワつく。
「指示って、まさか…」
「初戦から指示が出てるってのか!?」
「結果はどうなんだ…」
何も言わない吹雪に痺れを切らした白咲が、人伝に聞いたかのように、勝敗指示を部員たちに教える。
「先ほど廊下で偶然、校長先生にお会いしまして、2-0で白恋の負けだと教えられましたよ。吹雪監督にも念を押しておくようにとも、ね」
サッカー名門校である白恋が初戦敗退。その意味するところを理解した部員たちの活気が完全に失せていく。
「雪守が指示に逆らったせいだな」
石が虎白を責め立てる。他の部員たちも、口にはしないが、似たような感情が燻っていた。
「どうして言わなかったんですか?」
「伝える必要がないからだ。最初から負けるつもりで戦う試合なんてないからね」
特に表情を変えることなく、当たり前のような顔で語る吹雪。白咲が、呆れるように溜め息をつく。
「監督がなんと言おうと、フィフスセクターに逆らう気はありませんよ」
白咲が席を立つと、一人また一人と席を立っていく。結局、ミーティング室には、虎白と雪村だけが残った。
「吹雪監督…」
不安そうに見つめる虎白を、勇気づけるように微笑んだ吹雪が、自信満々に言い切る。
「キミたち二人が力を合わせれば、どんな困難だって乗り越えられるさ」
「二人の、力…」
虎白が雪村を覗き見るも、当の本人は、こっちを見ようともしない。
雪村には嫌われているので、どう考えても厳しいと思うのだが、吹雪の言うことに間違いはない。虎白は、1+1が2になればマシな方だと、深く考えるのはやめることにした。
──虎白たちがミーティング室に残った後、シードである白咲と石は、校舎裏で密会していた。
「まったく…吹雪監督にも困ったものだ。せっかくどん底に落としたサッカー部が、希望を見出そうとしているのだから」
自分たちが積み上げたものを、吹雪の登場により崩されそうになっているのだからたまらないと、白咲は語る。
「俺たちが退部しちまえば、不参加決定だろ」
「現状報告をしたが、フィフスセクターから退部しろとの命令は受けていない。吹雪士郎、雪守虎白、両名の監視をしろとだけだ」
後輩口調を捨て、シードとしての本性を出す白咲。
「頭のかてぇヤツだな。もっと融通きかせろよ」
白咲と石の間に、同僚以上の関係はない。お互いをシードだと知ったのもつい最近。目的は同じだが、考え方には当然差異がある。
「それに、登録選手が11人以上いれば、試合に出場する選手は10人以下でも問題はないのが規定だ。オレたちが退部した後、適当な生徒を登録して、監視できなくなる方が厄介だ」
「そんな生温い大会でもねぇだろ」
白咲が同意するように軽く頷く。しかし、石の意見を全て受け入れたわけではない。
「普通ならそう思う。だが、白恋中には雪守虎白がいる。アイツはシードでも倒せるかどうか…」
眉間に皺を寄せて考え込む白咲。石はそんな白咲に呆れたような顔を向ける。
「おまえは過大評価しすぎなんだよ。女にしてはってだけだろ。本気でやれば大したことねーよ」
「…なるほど。だから、この前のような考えが出るわけだ。便乗はしたが、オレにはとても思いつけない、最もらしい理由だったよ」
白咲が、参ったというように手を上げつつ首を振り、皮肉を含んだ発言をする。
二人の違い。それはサッカープレイヤーとしての実力の差でもあるが、一番の差は正面から対峙したことがあるかどうか。
「とにかく、命令通り白恋中を内部からフィフスセクター寄りの学校にする。その結果、退部する者が続出するのは構わないが、脅迫や暴力行為で退部させようなんて考えるなよ」
「ったく、面倒くせぇなぁ」
石は、気の合わない同僚に不満を抱えつつも、後頭部を掻きながら気だるげに返事をする。
「それが聖帝のご意志ですから」
真面目くさった顔で言い切る白咲に、石は内心でため息をついた。