「──よしいいぞ! 詰めていくんだ!」
2回戦を経て、フィフスセクターを倒す決意を固めた白恋イレブンは、一丸となって練習に打ち込んでいた。
ミーティング以外で、全員が揃うのは、吹雪が監督に就任して以来、初めてのことで、準決勝までの練習期間としては、短すぎるくらいだった。
「次は、フォーメーションBだ!」
今は吹雪主導の下、白恋イレブンに合ったフォーメーションを探っている。これまでは、虎白と雪村の二人だけで、個人特訓に偏りがちだったが、これからはチームとしての力が重要になってくる。
「退けッ!」
「くっ…!」
別人格の虎白が、立ち塞がる雪村をあっさりと抜き去って、ゴール前に辿り着く。
「はあああーーッ!」
気迫のこもった大声で叫びながら、シュートを蹴り放つ。風を纏ったボールが、キーパーの白咲を襲った。
「ぐっ…ぐぐっ…ぐわあ!」
白咲が両手でボールを掴みにかかるも、激しい回転を抑えきれず、前に構えた腕が弾き飛ばれされ、ゴールを許す。
「ぜぇ…ぜぇ…! どうだよ、監督!? 化身は出てたか!?」
荒い息を整えながら、吹雪の方を振り返る。虎白は、チーム練習と並行して、化身を出す特訓もしていた。
「化身は、そんな力任せに出せるようなものじゃない。とにかく今は、練習に集中するんだ。焦って雑念が混じれば、余計に化身の力を引き出せなくなる」
既に何度目かの問いかけに、吹雪は冷静に諭す。虎白も頭では分かっているが、どうしても焦りが表れてしまう。
「クソッ! どうして出ねぇんだよ…!?」
虎白は、化身のコントロールに苦戦していた。蕗ノ下中との対戦以来、力が疼く感覚も、暴走することもなくなったが、同時に化身の力を解放することも出来なくなっていた。
「こんなんじゃ、オレがいる意味がッ…!」
独りよがりな理由じゃない。自由なサッカーを取り戻すために立ち上がってくれた、チームメイトたちのためにも、化身を使いこなしたいと思ってる。
それなのに、前進しないどころか、以前よりも化身の感覚が掴めなくなっている気がしていた。
ようやくチームが一つになり、物事が好転しているのに、自分だけが足を引っ張っては意味がないと、虎白が自分自身を責め立てる。
「…少し休憩にしよう!」
そんな張り詰めた様子の虎白を見て、吹雪が休息をとらせるため、部員たちに声をかけた。
各々が疲れた様子で、汗を拭き、給水をする。目標がある分、充足感にも満ち足りているため、キツい練習もさほど苦ではない。
ぽつぽつと喋る余裕が出てきた頃、王鹿がふとした疑問を部員たちに投げかけた。
「そう言えば、勝敗指示に逆らったのに、フィフスセクターから罰を受けてないよな、俺たちって」
「案外、フィフスセクターもビビってたりしてるんじゃねぇか?」
対応の遅い様子に、小樽が茶化すように強気な発言をする。
表面上は何も起こっていないため、そう思うのも無理はないが、裏では吹雪に対して、白恋中の校長から圧力がかかっている。
「でも、いつ罰が下るか分かりませんよ…?」
「そうなったら、おれたちどうなるんだろうな…」
伊富が怯えたように、楽観的な意見を跳ね除けると、洞爺も良くない想像をしてしまう。
「…第5条に逆らったんだ。覚悟はできてる」
そんな1年生たちの会話に、日高が若干強ばった表情で、重苦しく発言した。その中に、聞き覚えのない単語が含まれており、1年生たちが顔を見合わせ、氷里が軽く手を挙げる。
「…あの、第5条って何ですか?」
そう質問すると、北厳が該当する原文を読み上げた。
「『少年サッカー法第5条。サッカーは皆、平等に愛されるべきであり、その価値ある勝利も、平等に分け与えられるべきである』」
虎白はその境遇上、女子選手に関する条項が増えた段階で、少年サッカー法を知っていた。だが、第 5条はあくまでスポーツマンシップのような精神的な話で、物理的に適用されているとは思わなかったため、目を瞬かせた。
余談だが、女子中学生にも適用されるのに、『少年』サッカー法なのは、今が試験的な期間だからでもある。新条項が定着すれば、また違う名称で呼ばれるだろうという見解を、ニュースで聞いたことがあった。
「第5条を守るために、フィフスセクターは作られたズラ…。だけど、試合の勝敗を管理し、勝利を分配する。そんなサッカーはもう要らないズラ!」
北厳が、キャプテンらしく、部員たちを鼓舞するように熱く語る。ついつい感情的になり、拳を強く握りしめた。
「勝ち続けて取り戻すズラ、本当のサッカーを。オラたちの手に!」
その途方もない夢のような宣言を聞いて、1年生たちが難しい顔をする。今、一番実力不足を実感しているのは、他の誰でもなく彼らだろう。
「勝ち続けるかぁ…」
「指示通りサッカーするより難しそう…」
「あぁ。だがやるしかない」
日高が弱気になった1年生たちを励ますように、奮起する。
「そのためには──」
そして、虎白に視線を向け、真剣な顔で語った。
「雪守、おまえの力が必要不可欠だ。これからも頼んだぞ」
「そうですね。雪守さんが化身を使えるようになれば、フィフスセクターなんて敵じゃないですよ!」
これまでは、チームの和を乱す異物だった虎白が、いつの間にかその中心となり、白恋中に風をもたらしている。
「…任せて。私が化身でシュートを決めてみせるよ」
いつも通り、柔和な笑みを浮かべた虎白だが、その表情には僅かに翳りがあった。しかし、部員たちはそれに気付くことなく、無邪気に自分たちの未来に花を咲かせる。
「フン…」
虎白ばかりが頼られているのを、不服そうな表情で、遠巻きに見る雪村。必殺技を覚えたことで、自信を取り戻し始めていた彼の心が、再び燻っていく。
彼女が化身を出せたら、ただでさえ大きい差が、さらに開いてしまう。チームとして、雪守を応援すべきなのは分かっているが、どうしても負けたくない気持ちが勝ってしまう。
「……」
そんな一連のやり取りを、部員たちの和気あいあいとした雰囲気とは真逆に、吹雪は難しい顔で虎白を見ていた。
疲れも和らぎ、そろそろ練習に戻ろうかという頃、思い詰めた顔の北厳が、部員たちの前に出て、虎白と雪村の二人に向き合った。
「練習を再開する前に、雪守さんと、雪村くんに話があるズラ」
そのただならぬ雰囲気に、場がしんと静まり返る。呼び止められるような心当たりがない虎白は、内心で首を傾げた。雪村も、怪訝そうな顔で視線だけをそちらに向けている。
「オラたち、同じ白恋中の仲間なのに、散々二人に迷惑かけたこと。サッカー部にも顔を出さなかったこと。白恋中のキャプテンとして、みんなを代表して謝罪するズラ! すまなかったズラ!」
「北厳センパイ…」
北厳が深く頭を下げる。先ほどまで盛り上がっていた部員たちも、思うところがあったのか、申し訳なさそうな顔をしている。
「今更、虫のいい話だと思うけど、オラたちに二人の力を貸してほしいズラ!」
下される判決を待つかのように、頭を下げ続ける北厳。そんな彼に、虎白と雪村は自分たちの思いを口にする。
「もちろん。みんなが一緒に戦ってくれるなら、心強いよ。頑張って自由なサッカーを取り戻そう」
「アンタらに言われなくても、オレはフィフスセクターを倒すと決めた。もう止まる気はない」
ささくれ立っていた雪村も、北厳の真摯な姿勢に、態度を柔らかくして、正面から向き合う。
「あ、ありがとうズラ!」
弾かれたように顔を上げた北厳が、虎白と雪村を見つめる。緊張感から解き放たれた部員たちも、ホッと胸を撫で下ろす。
それを区切りに、吹雪が声を張り上げた。
「よし、練習を再開しよう!」
次はゾーンディフェンスの練習だ。それぞれが受け持つ守備エリアで、攻め込んでくる相手からボールを奪取する。
それから数十分は経過したかという頃、巧みなディフェンスを見せていた虎白が、ピタッと突然動きを止めた。
「雪守…?」
不審に思った吹雪が声をかける。それを皮切りに、練習に集中していた部員たちも次々と立ち止まり、虎白に視線を向けた。
「…やめだ」
その姿は、いつの間にか別人格の虎白のものとなっており、険のある表情をしていた。
「こんなトロいことやってられるか! オレは化身を出さなくちゃいけねぇんだ!」
苛立たしげに、そう吐き捨てる虎白。動揺する部員たちの輪から外れ、反対側のスペースに、ボールを蹴って歩いていく。
「……」
その後ろ姿を、吹雪は何も言わずに見送っていると、しばらく移動した虎白が、後ろを振り返り、足をボールの上に置いた。
「おい、雪村! どっちが白恋のエースストライカーに相応しいか、オレと勝負しようぜ」
「……」
「おまえは、オレのライバルなんだろ?」
そう言って、挑発するようにニヤリと笑った。その人を食ったような笑みが、雪村のプライドに火をつけた。
「上等だッ…!」
頭に血が上り、練習中だということも忘れて、荒い足取りで虎白の元にズカズカと歩いていく。
先ほど結束を深めたばかりにも関わらず、ずっと白恋中を牽引していた二人が衝突したことで、部員たちがさらに動揺する。仲間割れを危惧した北厳が、吹雪に伺いを立てる。
「か、監督。何か言わなくていいんですか…?」
そう問われた吹雪の視線の先では、既に1対1の勝負が繰り広げられていた。圧倒的に虎白が優勢で、雪村は何とか食らいついている。
しばらくの間、そんな二人を見つめていた吹雪が、ゆっくりと頭を横に振った。
「…今は二人の好きにさせておこう」
そう呟いた声には、様々な思いが込められていた。
「さぁ、練習を再開しよう!」
二人のことは一旦放置し、部員たちの気を引き締め直す。
各自が練習に打ち込んでいると、いつの間にか日が沈み、夕暮れになっていた。部員たちが声を出し合って、連携を高めている。
そんな中、虎白と雪村の二人は、大粒の汗を流し、肩で息をしながら、正面からぶつかり合った。
「はあああーッ!」
雪村がボールを狙って、足を振り上げる。
「おらァーッ!」
それに受けて立つように、虎白も足を振り上げた。ボールを互いに蹴り合うと、反対側から加わる力で、二人とも足を振り抜くことができずに、地面に倒れ込んだ。
「ぐっ!」
「がはっ!」
先ほどまでは、体勢を崩しても、すぐに仕切り直していたが、今の二人には起き上がるだけの気力もなく、大の字に寝転がり、息を整えている。
虎白は、茜色に染まっていく空を睨みながら、グラウンドの砂ごと巻き込むように、拳をギュッと強く握った。
「何でだ!? この前は、散々暴れたがってたじゃねぇかよ!?」
雪村との勝負中、やはり化身が姿を現すことはなく、貴重な一日が終わりを迎える。深い霧に覆われているような感覚が、虎白の不安を蝕み続けていた。
「はぁ…はぁ…!」
雪村は、そんな悲痛な叫びを聞き、彼女も苦しんでいることを知った。普段は気丈に振舞っている虎白の心の底に触れたようで、少しだけ親しみが湧き、溜飲が下がると同時に、複雑な感情も抱いていた。
結局、この日は虎白の化身が出現することもなく終わり、解散となった。
下校途中、もう辺りは暗くなっていたが、虎白はくまごろうのいる森に、少しだけ足を運ぶことにした。
「くまごろう〜」
虎白が呼びかけると、ガサガサと草木を揺らしながら、その巨体が姿を現す。
「がるるっ!」
「あははっ」
嬉しそうに鼻を鳴らしながら、虎白に近寄るくまごろう。煮詰まっていた現状に、心が癒されていく。
「少し、私の話を聞いてくれる?」
虎白がくまごろうの頬を撫でながら、そう問いかけると、肯定するように頬を押し付けてくる。
「ふふっ。えーっと、何から話そうか──」
それから十数分、虎白は近況を話した。チームのこと、試合のこと、化身のこと。あらかた話し終えたかという頃、目を僅かに伏せて、誰にも言えなかった弱音を吐いた。
「…本当に、化身を出せるようになるのかな」
一人でいた頃とは違う不安。周りからのプレッシャーが付き纏い、後ろ向きな感情を押し殺していた虎白の心には、重圧がかかっていた。
「がるるぅ〜」
そんな虎白を、くまごろうが慰めるように擦り寄る。そのじんわりとした温もりに、虎白も身を寄せながら、自分を鼓舞する。
「うん。出来ると信じれば、きっと出来るよね」
翌日。白恋中サッカー部は、ミーティング室に集まっていた。昨日、Bブロックの対戦が終わったので、作戦会議を開いている。
「準決勝の相手が決まった。次に戦うのは、羊ヶ丘中だ」
「羊ヶ丘か…」
日高が眉を寄せ、渋い顔をする。その様子が、決して楽な相手ではないことを物語っていた。
「羊ヶ丘って、どんなチームなんですか?」
氷里がそう質問すると、日高は「そうだな…」と言って思考をまとめる。
「昔は普通の中学だったけど、今の2年が入ってきた去年から、全国を争う強豪校になった、って感じだな」
「へぇ〜。じゃあ、2年生が主体のチームなんですね」
「だから、今年はもっと強くなってるはずだ」
日高が腕を組み、唸るような声を出す。これからも厳しい戦いなることが予想されるため、今から心構えをしておくに越したことはない。
そんな羊ヶ丘中の話を聞いていた北厳が、ある噂を思い出し、ポツリと呟く。
「…でも、羊ヶ丘はシードを送り込まれて、その管理下にあるってセンパイたちから聞いたズラ」
「…そう言えば、俺も聞いたことがあるな。確か、2年の羊野も、シードに取り込まれたんじゃなかったか?」
ハッとしたように日高も付け足す。二人が同じことを口にしたことで、少なくとも、羊ヶ丘中にシードが2人はいるのが確定する。
ただでさえ、今の自分たちには厳しい相手なので、部員たちは強いプレッシャーを感じた。
「シードがいるってことは…」
「当然、化身使いもいると見ていいだろうな」
そう断言されると、ミーティング室は、一気に重苦しい雰囲気に包まれる。これまでは何と凌いでこれたが、次も勝てる保証はない。
「化身…」
その言葉を聞いて、虎白が不安そうにマフラーをギュッと握りしめる。その隣で、横目に虎白を見ていた雪村がきつく眉をひそめた。
ミーティングが終わり、白恋中サッカー部は、グラウンドに移動する。吹雪は校長室に用事があるとのことで、しばらくは自主練習になる。
しかし、部員たちは微動だにせず、一様に同じ方向に目を奪われている。その視線の先を辿ると、巨大なタイヤをロープで括り付ける虎白の姿があった。
「あんなもの、ウチにあったか…?」
「今朝、雪守さんが背負って登校してくるのを見ましたよ」
「背負って…?」
日高は、大柄とは言えない彼女が、巨大なタイヤを背負うイメージができなかった。一度頭を振って虎白に話しかける。
「雪守、それで何をするんだ?」
「化身を出すための特訓に使うんです」
大木にロープで吊り下げたタイヤに手を添えて答える虎白。そう言われれば、返す言葉もなく、懐疑的な視線をタイヤに向けた。
「本当に意味があるのか…?」
「分かりません。でも、今までと同じことをしていたら、ダメだと思って…」
昨晩、虎白なりに考えた結果がこのタイヤ特訓だった。円堂が行き詰まったときは、この特訓をしていることが多かったため、急遽試作してみることにしたのだ。
「それは心強いんだが…。こんなもの、どうやって使うんだ…?」
日高が、タイヤを凝視して首を捻る。口で説明するよりも、見てもらった方が早いと、行動に移す。
「それは、こうやって…!」
虎白が、タイヤを引っ張りながら後ろに下がり、放り投げるように、強く押し出した。
当然、高く放り上げられたタイヤは、振り子のように、反対側の虎白に戻ってくる。迫り来るタイヤを前に、部員たちが息を呑んだ。
「おいっ!?」
「危ないズラ!」
日高と北厳が、避けようともしない虎白に、注意を呼びかける。あと少しでぶつかるという寸前。
「はあああーーッ!」
気迫のこもった声を上げながら、軸足を強く踏み込み、巨大タイヤを反対側へと蹴り返した。
「なっ…!?」
「蹴り返したズラ…!?」
すると、その反動でタイヤが戻ってくるので、再び蹴り返す。それを、何セットも繰り返していると、呆気に取られていた部員たちも、やがて落ち着きを取り戻す。
「よくあんなに重いタイヤを、軽々と蹴れるもんだ…」
日高が感心したような、呆れたような声で呟くと、それに同意するように伊富が頷く。
「あんな常識外れの特訓を繰り返してるから、化け物じみた強さを持ってるんでしょう…」
「ああ…」
そんな彼らの会話を耳にした雪村が、タイヤを蹴り続けている虎白の元へと近づいた。
「オレにもやらせろ」
虎白は返事をすることができず、一瞬だけ視線を雪村に向ける。その対抗心に燃える瞳を見て、咄嗟に、蹴りのモーションを中止し、タイヤを真正面から両手で受け止めた。
その身のこなしは、見る者が見れば、キーパーとしての能力も十分にあることに気付くもので、唯一、白咲だけが眉をひそめた。
完全にタイヤの動きが止まったため、雪村に場所を譲る虎白。
「結構キック力が必要だから、気をつけてね。危なくなったら、とりあえず、横に逃げればいいから」
虎白の忠告も話半分に、先ほど見た通りに、タイヤを前に押し出す雪村。そして、戻ってきたタイヤを力いっぱい蹴り返した。
「ぐぅ…!」
見てる分には簡単そうだったが、一蹴りするだけで、脚が痺れて顔が歪む。こんなことを軽々とやっていたのかと、劣等感に苛まれる。
「雪村くん! 前!」
勢いよく戻ってきたタイヤを前に、構える様子のない雪村に、焦った様子で虎白が声を上げた。
「ぐわあーッ!」
避ける余裕もなく、タイヤに吹き飛ばされる雪村。しかし、そのおかげで、タイヤの軌道からは外れることができた。
「雪村っ!」
「だ、大丈夫…?」
倒れている雪村に、虎白が手を差し出すが、それを掴むことなく、砂埃を払いながら立ち上がった。
「心配ない。…それで、化身は出せそうなのか?」
「うん…。何とかしてみるよ」
分かりやすく虚勢を張ったような顔で、作り笑いをする虎白。雪村はそんな虎白に、妙に苛立ってしまい、強い言葉をぶつける。
「言っておくが、オレはおまえの化身なんか必要としてないからな」
「ゆ、雪村くん、急にどうしたズラか!?」
いきなり喧嘩をふっかけるような雪村の発言に、北厳が目を白黒させる。虎白はそれに怒ることもなく、静かに雪村と視線を交わしていた。
「アンタたちは、雪守を特別扱いし過ぎなんだよ。化身が何だって言うんだ。そんなもの無くたって、これまで勝ってこれたじゃないか」
自分の苛立ちをさらけ出している内に、どんどん熱くなっていき、癇癪を起こすように大声を上げた。
「白恋のフォワードはオレだ! 仮に、雪守が化身を使いこなせたとしても、シュートを決めるのは、オレの役目だろ!」
どこか必死な様子の、自分本意とも取れる発言に、部員たちの多くは眉をひそめる。
「雪村の言いたいことは分かるけどよ、実際問題、シードと戦うには化身が必要だろ」
「それに、雪守はフォワードもできるディフェンダーだろ? おまえからすれば面白くないかもしれねぇけど、仕方ないんじゃないか?」
王鹿と小樽が、白恋イレブンの考えを代弁する。それに相違ないのか、他の部員たちも困惑気味に雪村を見つめている。
「そういうことじゃない! オレが言いたいのは──」
「何を揉めているんだい?」
校長室から戻ってきた吹雪が、口論をしている様子の部員たちに割って入る。吹雪の登場に、雪村はハッとして、熱くなっていた頭が急速に冷えていく。
「吹雪センパイ…っ!」
雪村は、吹雪に醜態を見せたことで、失望されたのではないかと怖くなり、グラウンドを飛び出した。
「ったく、勝手な野郎だぜ。やっぱりアイツに、チームプレイなんて無理なんだよ。ギャハハ!」
ここぞとばかりに、白恋中の不和を煽る石。石ほどじゃないにしろ、他の部員たちにも、同じ印象が植え付けられていた。
「だ、大丈夫かな…?」
「何か怒らせてしまったんでしょうか…?」
雪村の考えが分からず、洞爺と伊富が顔を見合せる。そんな部員たちを見渡した吹雪が、全員に問いかけた。
「いったい何があったのか話してほしい」
キャプテンの北厳を中心に、事のあらましを説明する。
「──なるほど。事情は分かった」
そう言って、少し考え込んだ後、部員たちに指示を出す。
「雪村は僕が探してくるよ。キミたちは、昨日のフォーメーション練習の復習を。一通り終わっても、僕が戻らなかったら、自主練習に切り替えてくれ」
「は、はいズラ!」
それから吹雪は、雪村を捜索するために、白恋中周辺を走り回った。そして、とある河川敷の階段に腰掛ける雪村の姿を見つけた。
「こんなところにいたのか、雪村」
「吹雪センパイ…!」
まさか、わざわざ探しにくるとは思わず、大きく目を見張った。しかし、すぐにバツが悪くなり、顔を俯かせる。
「すみません…勝手に練習抜け出して」
「そんなことは気にしなくていい。とにかく、キミが無事で良かったよ」
そう言いながら隣に腰掛ける吹雪。雪村は、自分のぐちゃぐちゃとした感情を整理するために、吹雪に話をした。
「オレ、今すごくサッカーが楽しいんだ。でも、やっぱりチームってものは、まだよく分かってなくて、自分に何ができるのか見えてこない」
虎白が半ばどのポジションでもこなせてしまうが故に、雪村は自分を見失っていた。
「吹雪センパイは、アイツと支え合えって言ったけど、アイツは一人でも、どんどん先に進んでいく」
それが、雪村の狭まった思考に拍車をかけていた。
「でも、雪守だって完璧じゃない。化身を出すために、どうすればいいか苦しんでる」
だけど、そんな彼女にしてやれることは、ほとんどない。雪村には、チームのために虎白が犠牲になっているように見えたのだ。
「アイツに負担をかけてるのはオレたちだ。なのに、文句のひとつも言わないで笑ってる姿に、腹が立って…」
雪村が己の不甲斐なさを責めるように、拳を強く握り込む。だからこそ、自分だけは虎白の力を借りずに勝ちたいと意地になった結果、周りに当たってしまった。
「オレがもっと強かったらとか、アイツに負けたくないとか考えてる内に、分からなくなって…それで、オレ…」
「そうか…」
吹雪は、雪村の儘ならない感情を受け止めるように呟いた。そっと目を閉じた後、真剣な顔で雪村を見据えた。
「雪村。キミは、キミの正しいと思ったことを信じて貫けばいい。本気でチームにぶつかれば、必ずみんなが応えてくれるはずだ」
「…はい!」
落ち込んでいた雪村だったが、吹雪の言葉で自己嫌悪から立ち直る。そして、吹雪と共に急いで白恋中に戻ったのだが、到着と同時に解散となってしまった。
日が完全に沈みきり、誰もいなくなった放課後のグラウンドで、虎白は一人で特訓をしていた。サファイアの瞳を自信なさげに揺らがせ、ゴールへとドリブルで駆け出す。
「エターナルブリザード…!」
吹雪と冷気が迸る、氷を纏ったボールが、ゴールに向かう。しかし、それは次第に失速していき、軌道が乱れ、ゴールポストの角に当たって弾かれた。
「くっ…!」
苦しげに顔を歪ませた虎白。飛んでいったボールを回収しようと視線を向けると、人影に気付く。
「やぁ、こんな遅くまで居残り練習かい?」
「吹雪…監督…」
ボールを片付け、グラウンドに備え付けられているベンチに、二人は腰掛けていた。しばらくお互いに口を噤んでいたが、虎白が心の内をポツポツと話し始める。
「チームのために、化身が必要なことは分かってるんです…。でも、そう思えば思うほど、遠ざかっていくような気がして…」
自分が自分じゃないみたいだ。以前までなら、着実に化身に近づいている自信があった。でも、この二日間は停滞しているどころか後退しているような気さえした。
「私はこれまで、自分が強くなることばかり考えてきました。公式戦にも出られなかったから、本当の意味でチームを持ったことがないんです」
勝利の喜びも、敗北の悔しさも共に味わうことがない。そんな相手を、真の仲間だとは、虎白もかつてのチームメイトも思えなかったのだ。
「でも、この前の試合でチームで戦うということを実感できて、すごく楽しかった…! また、あんな試合をやりたい、みんなと戦いたいと思ったんです」
自分の力だけでは勝てない相手に、仲間の力で勝つ。それは、虎白がサッカーを始めて、今まで体験したことがない感情だった。
「なのに、化身は私に応えてくれない…!」
嬉しそうな表情が一転し、顔を歪ませ、拳を強く握り、奥歯を噛み締めた。吹雪は、そんな虎白を伏し目がちに見ながら、優しく問いかける。
「雪守は、どうして化身が出せないと思う?」
「それは…私の力が足りないから」
嘘偽りない本心を述べる。しかし、吹雪はゆるゆると頭を振って、虎白の答えを一蹴した。
「それは違う」
「なら…いったい…」
自分が気が付いていないことに、どうして吹雪が確信を持てるのかが不思議で、戸惑いがちに視線を向ける。
「…キミは、恐れているんだ」
吹雪は、言葉を絞り出すように、深刻な顔でそう告げた。
「恐れている…?」
身に覚えのない理由を真剣に突きつけられ、ますます戸惑ってしまう。そんな虎白を悲しげに一瞥し、目をきつく閉じる。
「そうだ。キミは──」
吹雪は一瞬、言うべきかどうか躊躇った後、覚悟を決めて、自分の考えを話すことにした。
「…キミは、もう一人のキミでいればいるほど、本当の自分が、『雪守虎白』がどこかに行ってしまうんじゃないかと恐れているんだ」
「っ…」
そんなことは全く頭になかった。しかし、まるで後ろめたい秘密を暴露されたかのように、心臓が縮み上がる。
「キミは、もう一人のキミの力と向き合う内に、気が付いてしまったんだ。自分の身に宿る化身が、もう一人のキミだけの化身だということに」
「やめてください…」
虎白が、か細い声で呟いた。ドクドクと心臓がイヤな音を立てる。
「化身を使えるようになれば、みんなが、もう一人のキミを求めるようになる」
「違う…」
僅かに聞き取れる小さい声で反論する虎白。動悸する胸に手を当て、何度も何度も浅い息を吐いた。
「それが怖くて、化身に目覚めないよう、キミが無意識に力を抑えていたんだろう?」
「そんなはずない!!!」
静かな夜のグラウンドに、感情的な大音声が響き渡った。吹雪の瞳に、ひどく取り乱した様子の虎白が反射して映り込む。再会した日に感じた意思の強さが、今の彼女からは感じ取れない。
「私が、もう一人の私を拒むはずがない!」
自分の勝利への執着心を、一番理解してくれているのは、もう一人の自分だ。そんな身勝手な理由で、邪魔をするはずがない。
「吹雪監督のおかげで今の私がいるんです。そんなあなたが、『私たち』を否定しないでください!」
明確な根拠はない。だけど、吹雪がマフラーを譲ってくれなかったら、もう一人の自分とは出会うことができなかっただろう。
「私たちは、これからも二人揃って生きていくんです! それが、私の夢だから!」
理想の吹雪士郎を追い求める。そのためには、絶対に二人の力が必要だ。何があっても、そこは変わらない。誰にも、例え本人であろうとも、間違いだなんて言わせない。
「今日はもう帰ります。…怒鳴ってすみませんでした」
「雪守…!」
逃げるように走る虎白。その遠くなっていく背中に、吹雪は手を伸ばしたが、届くはずもなかった。完全にその姿が見えなくなった頃、ドサッと力なくベンチに座り込み、夜空を仰いだ。
「こんなとき、キミならどうしたのかな、豪炎寺くん…」
数年前に消息を絶って以来、行方が分かっていない、旧友の名を口にする。吹雪は、かつての自分と同じ境遇の彼女に、いつかのやり取りを重ねていた。
──フィフスセクター本部。
ホログラムで地球儀が映し出された、物々しい一室。床の中央には赤いカーペットが敷かれており、その先には、まるで玉座のように一つの椅子が設えてあった。
聖帝と呼ばれる、赤いスーツに身を包んでいる男、『イシドシュウジ』が、その椅子に深く腰掛け、報告書を片手に待機していた部下たちに声をかけた。
「軽くだが話は聞いている。どうやら、反乱分子が出たようだな」
クリーム色の長髪に青いメッシュが入っており、そこから覗く左耳には、緑と紫のイヤーカフが煌めいていた。鋭い目付きをした黒色の瞳は、ただならぬ迫力を漂わせる。
「はっ。聖帝がご不在の間、白恋中がホーリーロード1回戦、2回戦ともに、勝敗指示を無視。こちらからの再三の警告にも応じていません」
「白恋中…。確か、以前の練習試合でも同じことがあったな」
イシドが思案するようにそう呟く。ゴッドエデンへの視察準備中、耳に入ってきた急報のため、記憶に新しい。
「はい。当時の監督を務めていた坂本は解雇処分。その影響により、ほとんどの部員は退部し、現在11名が在籍。内、2名はシードです」
報告書には、白咲の機転により、『雪守虎白』にシードの疑いをかけ、内部分裂を促したと記されているが、既にその疑いは晴れているため、詳細は省かれた。
「しかし後日、『吹雪士郎』が監督として就任。白恋中を建て直し、部員たちにフィフスセクターへの反乱を先導しているようです」
「……」
目を閉じ、経過報告に耳を傾けるイシド。
「白咲からの報告によりますと、要注意人物は、『吹雪士郎』、『雪守虎白』の2名。なお白咲、石の両名に関しては現在、独断専行中。敵対を表明した白恋中から、より正確な情報を引き出そうと、表向き加担したようです。改めて、聖帝の指示を仰ぎたいとのことですが、いかが致しましょう?」
そう問われたイシドが、肘掛けに人差し指を立てて、音を鳴らす。そして、ゆっくりと目を開けると、指示を下した。
「彼らには、そのまま作戦を続行するように伝えろ。それから、北海道地区にいるシードたちにも、その旨を伝え、情報を共有させておけ」
「はっ!」
話が一段落したことで、イシドが僅かに口角を上げ、獅子が鼠を弄ぶような、余裕のある声色で呟く。
「白恋中には風が吹いているようだな」
それを聞いた部下たちが、不満そうに眉を顰める。
「彼らは中学サッカーにおいて、もっとも尊重すべき第5条を蔑ろにしています」
「見せしめのためにも、サッカー部そのものを潰すべきではありませんか?」
フィフスセクターの思考に染まりきった彼らには、イシドの対応が煮え切らないのか、率直な解決策の提案をする。
「いや、白恋中はサッカー名門校。その影響力は計り知れない。…それに、1回戦の試合を見たが、雪守虎白という少女が、化身に共鳴している。それも、尋常ではないオーラだ。まるで──」
そこで一旦言葉を区切り、意図的に話を逸らすイシド。
「彼女の出場を許可したのはフィフスセクターだ。その影響で一年と経たず、廃部させたと知られれば、信用問題に関わる。潰すよりも、生かして利用した方が、我々の役に立つ」
「はっ。聖帝のご意志のままに」
部下たちがイシドに恭順を示し、退室する。その姿が消えた頃合いを見て、小さく呟く。
「…吹雪──」
それは、かつての旧友の名だった。