~奪還のスザク~   作:犬に小判

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プロローグ~七年前・始まりの日~

 部屋の中に藤堂が踏み入ったとき、全ては終わっていた。終わってしまっていたのだ。

 鼻につく血臭。いかにも上等そうな絨毯に染み込んだ赤い液体はそうなってからずいぶんと時間がたっているのか、黒く変色が始まっていた。

 その部屋の中央、血溜まりの中心で倒れる男。絶命する瞬間まで、いや死後長く語り継がれることになるであろう日本国首相・枢木ゲンブという名の男は、驚愕とも絶望ともつかぬ形相で、最期のときを迎えていた。

 彼のすぐ傍、一人の少年が茫然自失している。

 由緒正しい血統である枢木家、その次期当主にしてゲンブの一人息子である枢木スザクは、全身を血化粧で飾っていた。

 白い胴着も紺の袴も、朱に染まっていた。赤く、紅く朱く。

 誰がこの惨状の下手人かなど、白痴だろうと察するだろう。呆然として、父だった肉塊を見下ろす少年の手には、血にまみれ、滴らせている短刀があり、それが何よりの証拠となっている。

 物音に気がついたのだろう。

 光を宿さず、何かにおびえ、何かを拒絶するスザクの双眸が、藤堂を射抜いた。

 

「……先生?」

 

 動けなかった。動かせなかった、何一つ。

 手も足も、眼も鼻も口も、心さえも。呼吸すら忘れて、ただただ言葉を失った。

 壊れかけている。齢一〇歳の少年が、自らの世界を形成する大きな歯車の一つを壊し、そして今なお自身も壊れようとしている。

 そんな凄惨な光景を前に固まってしまった藤堂を誰が責めることができようか。

 たとえそれが、誰よりも目を掛け期待していた少年に対する裏切りだとしてもだ。

 

「刃を抜いたか」

 

 ゆえに、声をかけたのは藤堂ではなかった。

 すぅ、と彼の後ろから現れたのは鶯色の和服に身を包んだ小柄な老人。身体は小さくとも、身に纏う雰囲気は覇気ともいえる鮮烈力を宿し、有無を言わさぬ希薄は、床を突く杖にすら滲み出ていた。

 

「枢木スザクといったか、少年」

 

 静かな呼び掛けに、スザクはゆっくりと虚ろな瞳を向ける。

 

「一度抜いた刃は血を見るまで鞘には納まらぬ。そしておぬしは刃を抜き、しかしまだ、刃を納めていない。おぬしの目が血肉が、そう訴えておるわ」

 

 厳格に老人は言う。少年を見据えて静かに、それでいて鮮明にスザクに選択を迫る。

 

「その切っ先の行方、しかと見定め、そして決めよ。自身でいま流した血に、これから流れるであろう血に、どう贖うか」

「――――あがなう?」

 

 スザクが初めて言葉に反応し、返した。

 目には相変わらず生気はないが、それでもそれは劇的な変化だった。思わず瞠目してしまうほどに。少年の小さな肩にはあまりにも重い罪科だと、そう考えていたから。

 

「さよう。それができぬなら――――」

 

 長年、この老人に仕えてきた藤堂は、続く言葉が分かった。

 おそらくスザクにとって一生に関わる、そして何より残酷な言葉と理解しながら、藤堂にはそれを止めることはできない。

 止めようとしても、老人が止まることはないと知っているから。

 

「今ここで、腹を切れ」

 

 老人の言葉に感じた本気。そこには嘘偽りが入り込む余地など微塵も存在していなかった。

 一体どれほどの衝撃だったのか。

 だらりと垂れ下がっていた腕が、ただ突っ張っていただけの足が、力のまったく入っていなかった首が、わずかに反応する。まるで電流でも流されたかのように、びくんと動いた。

 しかし老人は、子供に対する容赦をスザクに掛けるつもりなど毛頭なく、より冷淡に喉を震わし続ける。

 

「それすらできぬというのなら、おぬしに居場所など、この三千世界のどこにもありはしない。そう心得よ」

 

 一〇才の少年にはあまりにも酷で苛烈な言葉は、スザクの心を深く、そして鋭く抉っていく。生涯消えることはないだろうと容易に予想させるほど、残酷に傷つけていく。

 

「……これで」

「ん?」

「これで止まりますよね、戦争は」

 

 懇願にも等しい呟きを拾った老人は、少年の言葉に酷薄な笑みを浮かべた。

 

「浅ましい考えだな。止まらぬよ、むしろ現状だけで言えば状況は悪化しておろう。何せこの国は今、指導者を失っておるのだからな。戦争は間違いなく加速し、そして日本の敗北で終わろうて」

「そんな――――」

 

 愕然。感情が停滞していたであろう少年の心を動かしたのは、老人の語った絶望だった。

 虚ろだった瞳には後悔の念が渦巻いている。力の入っていなかった身体は、血が逆流しているのではないかと思ってしまうほどに、熱く沸騰してしまいそうだ。強く握り締めすぎて、手からは赤い雫が滴り落ちる。膝はがたがたと笑いこけている。

 少年が四肢を地に突くまでそれほどの時間を必要としなかったのは、当然のことだった。

 

「よもや、本気でそう思っていたのではあるまいな。であれば、愚かにもほどがあるわ」

「いえ、桐原公。彼はおそらく、友のために――」

「違う!」

 

 藤堂の言葉を遮ったのは、意外なことにスザクだった。声を荒げ、自失していたことが嘘のように、苛烈な意志を体現する視線を藤堂と老人――桐原に叩きつけている。

 しかし肝心の二人は、一瞬意表を突かれたようだったが、すぐさまスザクを意識の外へと弾き出していた。

 

「それはブリタニアからの客人のことか、藤堂よ」

「はい」

「違うって言ってるだろッ!オレはオレの考えで――」

「さえずるな。ワシはいま藤堂と話している」

「先生ッ……」

「すまない、スザク君。しかし、桐原公には話しておかねばならんことなのだ」

 

 スザクの縋りつくような声に藤堂は報いることができない。

 この国はこれより、嵐を迎える。それもとてつもない大きさの、激しさの嵐だ。六〇年前の大戦が児戯に思えるような、禍々しさをもった災厄を迎え撃たねばならないのだ。

 備えは命綱になる。情報は一つでも多い方が、状況に対処しやすい。藤堂が軍人である以上、国を守ることを仕事としている以上、それは何にも増して優先されることであった。

 そう、たとえスザクの心情を無視してでも報告しなければならないこともある。それが彼を傷つける結果になると知っていも、軍人として優先せねばならないこともある。

 そして、今がそうなのだ。

 

「首相はブリタニアと取引していました。敗戦後の己の地位と引き換えに、彼らを処分することを」

「……なるほどのう。そういうことか」

「……………………」

 

 少年は押し黙っている。

 値踏みするような桐原の視線が、ひどく癇に障る。藤堂の言葉が、心を引き裂こうとしている。

 認めたくなかった。自分の父が、生まれて初めてできた友を自信から奪おうとしたことを。

 知りたくなかった。自分の父が、そうまでして権力に固執する卑劣漢であるという事実を。

 恨みたくなかった。自分の父が、政略の財料として利用しようとした異国から来た兄妹を。

 憎みたくなかった。自分の父を殺してまで、守ろうとした心を開くことのできる友人達を。

 だからスザクは、戦争の回避という虚像を打ちたてようとした。父を殺したのは二人のためではない。自分の考えを理解しない父が全て悪かったのだと。二人に責任はなかったのだと。そう思わないと、自分を保てそうになかった。

 あの二人さえ、ブリタニアの皇族であるルルーシュとナナリーさえいなければ、自分はこんな思いをすることはなかった。こんな罪を被ることはなかったのだ。そんな事を考えてしまう自分の存在を、否定したかったから。

 心を伽藍堂にして、言い訳を探していたのに。

 藤堂と桐原が全てを台無しにした。

 見たくない現実を突きつけられたしまった。

 

「そうするしか、殺すしかないじゃないか……」

 

 真実を認識しても、やはり二人を憎むことなんてできなかった。

 そうできれば、きっとこのひどく痛む胸も少しは楽になるというのに。どうしてもスザクにはそうすることができない。

 原因など分かりきっている。

 一つは、父とは違ってやるという意地。

 もう一つは、短い時間であったとはいえ、他の誰も与えてくれることのなかった温もりをルルーシュとナナリが与えてくれたという事実。

 二つの要因が心の中で絡み合い、たった一つの、しかし何にもまして強固な"筋"を作ってしまった。

 だからスザクは、全身を引き裂く心の痛みに耐えねばならない。

 たとえ耐えることができなくとも、その痛みに晒され続けねばならないのだ。

 

「あいつらを助けるには、こうするしか……ッ!」

 

 頬を伝うしずくも、今は気にならない。

 自分を納得させられるだけの何かを探すことで、今は必死だったから。

 

「だから、オレはっ……!」

 

 痛ましい。

 藤堂はスザクを見て、ただただそう思う。自らが傷を抉って、引き起こした状況だからこそ、内に罪悪感が降り積もっていく。

 しかし、それを表に出すことはなかった。少年が苦しんでいるときに、自分だけ楽になるようなことはできないと、彼の矜持が許さないから。

 せめて、ともに痛みに晒されていよう。それがせめてもの、償い。

 今ここで彼を慰めることは、彼の今後のためによくない。

 心の傷は目に見ることはできない。化膿していても、自覚することは難しい。ならばここで、全て吐き出してしまったほうがいい。そう思っていたから。

 

「義によって、か。ふん、青いな」

「桐原公」

 

 藤堂の桐原を咎める言葉を受けても、老人は冷笑を崩さない。

 何かを計算し、策略を練っているであろうことを容易に想像させる表情。年老いてなお錆びることのない牙は、スザクを獲物として見据えていることは確実だった。

 視線だけで藤堂を制すると、桐原はさらに言葉を紡ぐ。

 

「しかし、それも貫き通せば真実になろうて」

 

 思いも懸けない言葉に、スザクは顔を挙げて歳相応に皺を刻んだ顔を見る。

 

「努め忘れるな、童。おぬしの行く先は限られておる。選び違えるでないぞ。さもなければ、おぬしは終生、自責の念に囚われ、苛まれ続けることになろう」

 

 忠告とも警告とも取れる声。いつの間にか、部屋に背を向けた老人の表情は、スザクに届くことはない。

 困惑のなか、藤堂がようやくスザクの傍へと歩み寄った。優しく肩を抱き寄せ、血に塗れた服は夏だというのに、驚くほど冷たく、今のスザクの心をそのまま表現しているかのようだと思う。

 スザクも温もりを求めるように、そっと藤堂の手に自らのものに重ねた。

 

「スザク君、君の行動は正しくはなかったのかもしれない。しかし、間違ってもいなかった。私はそう思う」

「先生……ッ」

「さぁ、身を清めよう。まだ君には、なさなければいけないことがあるだろう?」

「ぅ、く……ぁぁ、っ……」

 

 嗚咽は押し殺せず、涙はだくだくと流れる。押さえつけることができなくなった感情は、ついに爆発した。

 老人はそのやり取り最後まで見届けることなく、部屋を後にした。

 驚くほど静かな廊下。夜の帳が下りて、ずいぶんと時間が経つ。耳に入ってくるのは虫の鳴き声と風の音のみ。

 そんな中で。

 

「かかっ。あの童、末は修羅か英雄か、それとも……」

 

 呟かれた言葉は誰の耳にはおることもなく、閑散とした世界に消えていった。

 

 

 

 

 

 

      ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 砂浜に打ち寄せる波は、今日は比較的高かった。

 勢いを失う境界に近づくにつれ、白くうねりを見せては、飛沫を上げて砕ける波。

 頬を痛いくらいに叩く風。空には雲はあるが、しっかりと太陽は顔をのぞかせている。

 金砂の上に腰を下ろすスザクは、ぼうとしながら海を眺めていた。

 いつもと同じ白の胴着に紺の袴。あの日と同じ服装。自身の世界を壊したあの日と同じ姿。

 腰には木刀を差している。それは、彼の決意の証でもあった。戦い続ける覚悟の証、刃を納めていないことを自覚した彼の。

 ただ、何と戦うべきかは分からない。探しているのだ。己が刃の納め時を。罪に贖う方法を。

 スザクの視線の先に何があるのか。自身が目指すべきものが何なのか、それを追っているのだろう。

 今はまだ何も見えずとも、この先、必ず探し出さねばならない答え。

 少年の覚悟とは、戦いとは、ひとまず答えを追い求めるものだ。

 険しい瞳。それが不意にとかれたのは、背後からスザクを呼びかける声に、振り向いたときだった。

 

「スザク」

 

 白い砂浜に、ルルーシュの姿があった。黒い髪に意志の強そうな瞳を持つ、スザクの初めての友達。

 

「どうしたんだ、こんなところで」

「ルルーシュ」

 

 問いに答えるつもりはないのか、スザクは視線を海に戻した。

 そして小さく、ルルーシュの耳に届くか届かないかという大きさで、しかしはっきりと言う。優しい、自愛にあふれる声音で。

 

「いつかまた、ここで釣りがしたいな」

 

 哀愁を漂わせるセリフ。

 ルルーシュが呆れ顔になるのも仕方のないことだった。

 

「今でもできるだろう」

 

 スザクは笑う。

 

「皺くちゃのじいちゃんになって、ナナリーと三人で今度こそ鯛を釣りたい」

「それは――、いいな」

「だろ。あぁでも、ルルーシュは釣れなさそうだな、モヤシだし」

「……もやし?」

「根性なしのヘタレの軟弱者、って意味」

「……言ったな。いいぞ、今度は絶対勝ってやる」

「じゃ、負けたら罰ゲームだな」

「い、いいだろう。受けて立つさ」

 

 遥か彼方、水平線へと消えていく雲を見つめながら。

 益体のない話に、顔を綻ばせる二人。

 しかしスザクは不意に表情を引き締めた。

 

「ルルーシュは、これからどうするんだ?」

「……どう、って?」

「ブリタニアと日本の戦争は、もう止められないんだろう」

「……そうだな」

 

 スザクの口からそんな言葉が飛び出してくるとは思っていなかったのか、一瞬の間を空けてルルーシュは答えた。

 

「僕とナナリーを匿ってくれるって言う人たちがいるんだ。そこに行くよ」

「……そっ、か」

「お前はどうするんだ?」

「分からない」

「分からないって……」

 

 海を見つめながら、スザクは言う。ルルーシュを見ることなく、言う。

 

「うん、分からない」

「…………」

「でも、戦うよ。戦い続ける。俺の力は、そのためにあると思うから」

「……そう、か」

「だからいつかきっと、またここで釣りをしよう。オレとルルーシュとナナリーの三人で」

 

 強い言葉。スザクの想いがはっきりと伝わってくる、そんな言葉だった。

 ルルーシュもそれを感じ取ったからこそ、再びやわらかい笑みを浮かべて、言う。

 

「そうだな。いつかきっと、またここで、三人で釣りをしよう」

 

 それは、本当にちっぽけな約束。

 戦争で離れ離れになっても、いつかまた会おうという、それだけの願い。

 ささやかで、はかなくて、ちっぽけで、果たせるかどうかも分からない。

 ルルーシュにも、スザクにも、ナナリーにとっても。本当にありきたりなものだった。

 

 

 

 

 

 

     ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 これより数ヵ月後。

 神聖ブリタニア帝国は日本に対して正式に宣戦布告する。

 新兵器ナイトメアをはじめとした圧倒的な軍事力を誇るブリタニア軍は、瞬く間に日本全土を蹂躙する。わずか一ヶ月で日本を降伏に追いやり、新領土エリア11の設立を声高に宣言した。

 ささやかな約束をした少年達が再会するのは、これより七年の月日が必要になる。




はじめましての方、はじめまして。
久しぶりの方、お久しぶり、作者の犬に小判です。
にじふぁんでは『とある欠陥体質の肉体再生』を連載していました。
そちらの方を期待していた方には申し訳ないのですが、現在プロットを見直している段階でして、リハビリ感覚でかいています。
ですので、順次手直しが完了し次第、そちらも投稿して以降と思っていますので、お付き合いいただけると幸いです。

誤字やご意見がありましたら、感想のほうにかいていただけると嬉しいです。
それではまた次回に。

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