推しの子 ヒロイン全員好感度100達成RTA 作:重曹ちゃんかわいい
アイが雨宮吾郎へ語りかけ始めて何分経ったのだろうか。
1時間か2時間を過ぎたような気もするし、10分くらいかもしれない。ずっと張り詰めていた気持ちが一気に緩んでふわふわとした気持ちで聞いていたせいで、どれくらい時間が経ったのかが分からなくなった。だが、少なくない時間が過ぎた事だけは確かだろう。
一緒に居た期間は短い雨宮吾郎の事をこんなにも思ってくれる姿に、この子は本当に優しいなと感じてしまう。彼女は本当に優しい子だった。それでも、彼女がそう思われなかったのは、彼女が優しくされたことがなかったから。
俺たちがもっと小さい頃、ルビーが風邪を引いてしまった時でもアイはいつも通りだった。だから、俺が率先して看病をして、一緒に居てあげて、ミヤコさんに頼んで食べ物とか飲み物にも気をつけていた。最初はアイはそれを不思議そうに見ているだけだった。
その後、ルビーの風邪がアイにうつってしまって、ルビーと同じように看病をした後、俺にもうつってしまった。その時、アイは俺がアイやルビーにしていたような事をそのまましてくれた。「風邪を引いた時はこうして貰えると嬉しいんだね」と言って。
星野アイは本来、心優しい女の子だ。けど、優しくされる事がほとんど無かった。だから他人に上手く優しくする事が出来ないのだと衝撃を受けたのを覚えている。看病で手を握ったり、一緒に居た所で風邪が早く治るわけじゃない。ただ、それをされることで心は癒やされる。
それを知らなければ意味の無い行為にしか見えない。だからやらない。アイが看病を出来なかったのは、本当にそれだけの理由だった。
虐待家庭から芸能界なんて人間不信になりそうな世界で、人に優しくあろうとする。愛したいと思える星野アイは今まで出会った人のだれよりも優しい。彼女に足りない事は優しくされる経験。俺やルビーがアイに対して優しくして、それを嬉しく感じると、アイは周りに対してそれをするようになっていった。B小町との和解はそれをずっと続けた成果なんだと思う。
でも、それは生きにくい生き方でもある。優しさは優しさで返ってくるとは限らない。特にこの世界では他人の善意や優しさを利用して、自分だけ得をしようとする人間があまりに多すぎる。
それに、カミキのような人間はこれからもどんどん現れる。このまま芸能界で生きていく事は彼女にとって幸せなのだろうか? ふとそんな事を考えてしまう。
「アクア、そろそろ帰ろう」
雨宮吾郎への最後の言葉を告げたあと、アイはそう言って、俺に手を伸ばしてくる。その手を握ろうと…………手を伸ばせなかった。
「アクア?」
不思議そうな顔をするアイの顔を見つめる。
「アイはさ…………今の生活は辛くない? 今回と似たような事は多分、これからも起きる。何も悪くなくても、暴力を振るわれそうになったりするし、悪口を言われたりしつづける。今回の事も一応はなんとかしたけど、何年も経てばバレてしまったりするかもしれない。そうなれば何万、何十万人の人にそういう事をされるかもしれないんだ。芸能界でずっと過ごしていく事がもし辛いなら…………引退も視野に入れてもいいんじゃないかな」
今まで、ファンとして、息子として、彼女が成功する事を望んできた。
発達障害の人が社会に適応する為に自分を殺して、社会で求められるような偶像を演じる以外で生きていく方法がある。自分を殺さなくても、演じなくても良い方法。それは簡単だ。偉くなってしまえば良い。成功して替えが効かない存在だと思わせてしまえばいい。
嫌みが分からないなら、嫌みを言われないような地位に居ればいい。マウンティングを理解出来なくても、いい立場であれば問題ない。お金があれば、そういう人を避けて生きていける。
2歳のかなが好き勝手できたように、芸能界は数字を持っている限りスタッフはもちろん、共演者や監督、プロデューサーでもご機嫌を伺ってくる。枕営業の強制を共演者にして、受けなければ所属事務所に圧力をかけて体を売らせる。生放送中、セクハラしても、共演者スタッフ全員が見て見ない振りを続ける。そんな異常な光景が当たり前のようにまかり通るのが芸能界だ。視聴率が稼げるなら、他人の尊厳も命も無視出来る弱肉強食の世界。人気で視聴率を取れる存在で居続けられたら、ちょっと空気が読めない程度は問題がなくなる。
空気を読めなくても、嘘の自分を演じ続けなくても良くなる。周りが勝手に自分の長所や魅力を出そうとするし、フォローもしてくれる。
でも数字が無くなれば違う。逆にそれを押しつけられる立場になってしまう。積み上げたものが一瞬で無くなるのが芸能の世界だ。そうならないように動いたけど、この優しい子が居るには辛すぎるのではないか? と今更ながら思った。
そうなる前に上手く勝ち逃げしてしまうのもありなのではないか。
「ありがとう。アクア。でも大丈夫だよ。もし、今回の事で色々言われてしまうかもしれないし、そうでなくても、いろいろな事を言ってくる人も居るのは分かってる。けど、みんなで乗り越えられるって信じてる。それにね。ルビーとB小町として一緒に舞台に立つ事が今の私の夢なんだ。その時まではアイドルを続けたいんだ」
さりなちゃんの夢を叶えたい。そんな気持ちから壱護さんへB小町の世代交代のプランを話した。ルビーもその時の為に頑張っているし、俺もその姿を見たい気持ちはある。
「でもさ。この業界は、そんな想いを簡単に壊してしまう。だから無理はしないで欲しいんだ」
けど、そうなる未来にたどり着けなかった時、苦しい想いをするなら、諦める考えを持ってもいいんじゃないかと思ってしまう。
「アクアはさ…………もしかして、芸能界は嫌いだった? お仕事も辛いと思ってる?」
アイの問いかけに否定の言葉を直ぐに返せなかった。
アイが理想のアイドルを演じていたように、俺は理想の男の子を演じた。ただ、その時間はあまりにも苦痛だった。だから、そうしないで良い道を進んで欲しいという気持ちは年々増えていった。
俺にはカリスマというものがない。ただの田舎のヤブ医者がそんなものあるわけない。変わった生まれをしているから周りと比べて特別な存在のように見えるが、それだけだ。年齢を重ねるごとにその特別感はどんどん無くなっていく。すぐに埋没していく事は目に見えている。
だからアイのように演じた。理想の子役を、理想の男の子を。
心理学をまた一から学び直して、普通の人の脳内構造からどんな感情がどんな時起こるのかを知った上で一人、一人、どんな性格なのか、どんな事が好きなのか、どんな反応をすればいいのか。様々な情報を集めて、分析。その人が何を求めているかを理解し、喜ぶような言葉を予め用意した。
学生時代に医学部でASD持ちだったが、人当たりが良く、人気のあった教授がしていると言っていた事を応用して、人気取りに使った。発達障害を持つ人に対して、医者が勧める社会への適応方法を応用して作った星野アクアという虚像は多くの人に愛された。
アイを治療する上で学んだ行動分析学や応用行動分析学を使って、いかに視聴率を取るのか、ファンを増やせるのかを考え、様々なツールからフィードバックを貰いつつPDCRを回した。その結果、俺の今の人気がある。
だけど、それには代償があった。
どんなに褒められても、どんなに売れても嘘の自分なので自信にも喜びにもならない。服を褒められた程度の感動しかない。だが、本当の自分ではこれだけ受けないし、人気になんてなれない事だけは嫌でも実感する。本当の自分より愛される存在を被ってしまうと失望される事が恐くて皮を脱げなくなる。嘘の自分の方が人より好かれているのに、本当の自分を出してしまう事に抵抗が出てくる。
俺は本性を出してもいいと思える人が周りに居た。演技なんてしなくてもいい人達が居た。だから耐えられた。その人達と話す間だけ、理想の男の子でなくて良かったから。アイはこれを理解者も居ない中でしていた。それに比べると大した事ではないはずなのに、それでも苦しかった。
俺は医者だった時、発達障害の人が普通の皮を被って社会生活を送る事が出来るなら、寛解したと判断した。けど、それをできるようになることと、それを継続する事の違いは分からなかった。嘘の自分を毎日続ける事の苦しさを本当の意味で理解してなかった。そういえば、このやり方をした教授は結婚をして居なかった。それは、私的な時間を作れなくなると本当の自分を出せなくなって、精神を病むからなのかもしれない。
星野アイの苦しさを身をもって体感出来たとまでは思わない。けど、近い体験をした事で、自分とまるっきり違う人格を維持する事の苦しさはある程度は理解した。正直、アイとルビーの事が無ければ、この仕事を簡単に投げ出していたと思う。演技をする事に対しての楽しさはある。だが、それ以上に、息苦しさが付きまとう。
自分で言うのはなんだが、俺は上手く立ち回っている方だとは思う。人気、視聴率、お金を稼ぐのはそんなに難易度が高いものだと思っていない。こうすればいいという答えは直ぐにでも出てくる。でも、それが好きかと言われると違う。得意な事と、好きな事が違うように、俺は周りの人間の力になれる事は嬉しいし、それで周りの人達が笑顔で居てくれる事に充実感を感じる。でも、芸能界で生きていく事自体は嫌いなんだな。と思ってしまう。
「そうだね…………確かにそういうところは少しあるかな。この世界で生きていく為に、嘘をついて、偶像を作って今までやってきた。それが辛くないかと言えば否定はできない。けど、それ以上にアイやルビーの事を支えたいんだ。アイとルビーが幸せに過ごせるようにしたい。かなやあかねみたいに俺を慕ってくれる子の事も助けたいんだ。そのためなら我慢できる」
それでも、やりたくない事でも、やらないと手に入らないものがあるなら我慢をしないといけない。大人ならみんなそうやって過ごしている。辛くても苦しくても、それ以上に大切なものがあれば耐えられる。アイがしていた事に比べれば大した事じゃない。
「そうだったんだ…………ごめんね。気づいてあげられなくて。もし、アクアが辛いのなら、辞めてもいいんだよ? ルビーの事も、かなちゃんの事も、アクアみたいに上手に出来ないかも知れないけど、私も出来るだけの事をするつもりだから」
「いや、そういうわけにはいかないよ。アイにこれ以上迷惑をかけたくない」
俺が勝手に抱え込んだ事をアイに押しつけたくなんてなかった。
「アクア、迷惑なんて思わないで良いよ」
アイはそういうと、しゃがんで俺の肩に手を置いて、目線を合わせてきた。
「頼りないかもしれないけど、私もアクアの力になりたい。アクアが私の幸せを願ってくれるように、私もアクアが幸せになって欲しいってずっとずっと思ってる。アクアが人気で、その人気でお仕事を持ってきてくれたりするからとかでアクアの事が好きなんじゃないよ。アクアが楽しく過ごしてくれる方が私は嬉しい」
アイは笑顔で俺に問いかける。
「アクアは本当はなにがしたいの?」
俺がなにをしたいのか…………それは決まってる。けど、あの時の影がちらつく。祖母のあの笑顔が忘れられない。
自分の地位とか風評とかそういうのを得られると喜ぶ姿。俺を見ていない。俺という存在が負債処理だったと分からされた瞬間のあの笑顔が生まれ変わった今でも染みついている。家族という認識をもっていた祖母が俺を本当はどう思っていたのかと気づかされたあの日の事を。
もし、あの時みたいな事になってしまうのならと思ってしまう。
「医者になりたいんだ。本を読んでいくうちに憧れて…………」
そこまで言って、つづきの言葉が出てこなかった。もし、否定されたら。その前に撤回しておいた方がいい。そう思っていたが、アイが瞳を輝かせて俺に言った言葉によって遮られた。
「アクアなら、きっとせんせみたいな素敵なお医者さんになれるよ!」
心から医者になる事を応援しようとするアイの姿が目の前に映っていた。
「アクア。アクアはアクアがしたいことをして良いんだよ。たしかにアイドルとしての幸せも大切だけど、私はわがままだから、母親としての幸せも欲しいんだ。母親の幸せは子供の幸せだから。私が幸せになる為にアクアは幸せにならないと駄目だよ。私の為に幸せになって欲しいな」
アイの笑顔を見て、アイと初めて出会った日を思いだした。
母親としての幸せも、アイドルとしての幸せもどっちも欲しいと言ったアイの姿に俺は見惚れた。あの時から関係もなにもかも変わったけれど、それでも変わらないものがあった。
「アクアがどんな道を選んでも、例え、アクアが私の事を愛してくれなくなっても、私はアクアを愛し続けるよ。アクアがあの日に、私の気持ちに応えてくれた時からそう決めてるんだ」
あの日の夜。はじめて「愛してる」と言えたアイに返せた言葉は正直、格好良くもなんともなかった。それでも、それでもアイの中での大切な言葉になっているなら、もう一度伝えないといけないと思う。
「僕もアイを愛してる。これまでもこれからもずっと」
アクア視点完結。
周りにどんなに恵まれなくても、理不尽に傷つけられても周囲を不器用ながらも愛そうとしたのが星野アイで、子供であるルビーやアクアにはそういう部分を愛して欲しかった。発達障害の空白の20年で産婦人科医をやって、発達障害の女性が被害にあった際の最終到達地点で地獄の光景を見続けていたからこそ、吾郎はアイのツラさを分かって上げてその凄さを認めて上げて欲しかった。
あと9歳予定だったんですけど追加で3年分、かなちゃんを虐めるのはアレかな~と思って6歳ゴールになってしまいました。その関係上、色々と違和感も大きかったと思います。あと、後半、かなり専門的な用語とか説明ばっかりになってしまった件についても申し訳ありません。アクア視点での最終回として、これでいいのかと迷いましたが、これ以上に出来なかったので、これでアクア視点は完結。あとはRTAパートして、各ヒロイン視点。