さっきまで、目の前は真っ暗闇だった。
微かに入り込む光によってようやく目を開くことが出来たが、そこは見慣れない所だった。
ここは、どこだ……?
「……め?つばめ……!?」
あれ?誰か呼んでる……?
ほんの微かだったが、横から誰か自分の名前を口にしている様だった。その方向に首だけ向けると、そこにいたのは母だった。
「……ママ…?」
「つばめ!!つばめ……!!」
泣きながら私の左手を優しく掴むと、今度は何人かの人が部屋に入ってくるのが目に見えた。
そこで私は、ここが病院だということに初めて気が付いた。
「意識を取り戻しましたか……!」
だがここで、私はどうも違和感を覚えた。
白衣の人が来るのは分かるが、スーツ姿の人も何人かいたことだった。深刻そうな顔をして、一体どうしたというんだ……?
「子安つばめさん、ですね?」
「……はい……。」
何故か思うように声が出なかった。まるで、長い間声を出していないようだった。
「落ち着いて聞いて下さい。あなたは今まで、2ヶ月ほど意識を失っていました。」
「!?」
えっ?に、2ヶ月って……えっ?私、その間ずっと寝たきりだったのか?
「出血多量による重体で運ばれて、何とか一命は取り留めたものの……少し遅れてたら間違いなく死亡していました。」
そこで私の脳内は鮮明になった。
咄嗟に前に出て "彼" のことを守った感覚。悶えるなんて可愛いレベルの問題じゃない痛み。そして……もはや原型を留めていなかった、"彼女" の顔。
その彼女の悍ましい表情を見たのを最後に、そこでプッツリと記憶は途切れた。そして目が覚めれば、病院に……。
そして思い出したのと同時に、私は反射的に体を動かしていた。
「優くん!!優くんは!?」ガタンッ
「ちょっ、落ち着いて!」
そうだ。あれから優くんはどうなったんだ?無事なのか!?
自分の安否より彼の安否を心配したが、2ヶ月寝込んでいたから体が思うように動かない。すぐにベッドから落ちてしまい、医者や親に止められたのがオチだった。
「まだ起きたばっかりなんだから……!」
「けど、優くんは……!?」
「そのことで、我々からお話ししたいことがあります。」
医者と共に入ってきたスーツ姿の人達が口を開いた。恐らく警察だ。
「何個かお聞きしたいことがありますが、まず、あなたが一番気になっている石上優くんの件についてです。
結論から言うと、彼は……無事です。」
「!!」
「あなたが身を挺して守ってくれたお陰で、彼はほぼ無傷の状態で済むことになりました。今は普通に生活を送れています。」
「あぁ……。良かった……。」
安堵のため息と涙が出てきた。
「そして、事件の詳細についてですが……。」
けど、その安堵はすぐに打ち消された。
2ヶ月前、大友ちゃんは殺人未遂で逮捕。優くんを庇った私にナイフが刺さり、そのまま私は意識を失った。すぐに近隣の住人が警察と救急車を呼んで、何とか私は一命を取り留めた。
警察と救急車が来るまで、大友ちゃんは……優くんに止められていたらしい。そして、その時の優くんは……泣きながら「止まってくれ」と大友ちゃんを殴っていた。恐らく、正当防衛……だろう。
不幸中の幸いか、優くんはほぼ無傷。しかし、身体的な傷よりも深刻な心の傷を作ってしまった。いや、それ以上に心の傷を作ってしまったのは……大友ちゃんの方だね。
彼女……完全に精神がおかしくなって、今も精神病院に隔離されているらしい。当初ほど荒れてはいないが、今は完全に上の空状態。まともに会話することなんて……これから来るのだろうか。
これが、事情聴取を受けながら知った事件の一通りの流れだ。はっきり言って……地獄のような事件だった。
警察が帰った後、私は母にすがって泣き続けた。幼稚園児みたいに、みっともなくただワーワーと……。
「大丈夫よつばめ……。大丈夫だから……。」
そうは言ってくれるものの、心には響かなかった。大友ちゃんへの罪悪感が勝ってしまい……当初は立ち直れない自信しかなかった。
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「えっ?結局振ったの?」
「そう。なのに『友達でいて欲しい』とか、自分勝手過ぎでしょ。」
「え〜考えられない……。」
「振られた側がどんだけ辛いか何にも分かってないじゃん。」
「余計石上くんに惨めな思いさせてるの、マジで分かってないの?」
「自己中過ぎ……。信じられない。」
今思えば、あの作戦は私にとっては何も良い結果を生まなかった。
「自分が傷付きたくないからってあんな事……。つばめちゃん、あんな勝手な人だったっけ?」
「偽善もいいとこだよ。ホント失望した。」
「石上くんあんなに良い子なのにね……。その矜持を台無しにしただけじゃん。」
「てか、何でそうまでして付き合いたくなかった訳?そこまで大事に思ってるなら、側にいて守ってあげれば良かったのに。」
「ねぇー。」
「どんだけタイプじゃなかったんだって話じゃん。つばめって男の趣味マジで悪いもん。」
「石上くんかわいそ……。」
卒業式後の打ち上げを思い出す。
秀知院での思い出や今後の大学生活でワイワイ盛り上がっているのとは裏腹に、私への中傷が飛び交っていた。
あの作戦を実行したことで、何十人からは幻滅されてしまい、私から離れていった。しかも、瞬く間に私が優くんを振ったことが広まって、それが更に拍車をかけてしまった。
『相手のことを考えない我儘女』
『自己中で私欲でしか動かないエゴイスト』
『めんどくさい偽善者』
酷い言われ用になってしまったが、それが秀知院学園内での「子安つばめ」という女になってしまった。不名誉この上ない。
最後の最後で私は、今まで築いてきたものを台無しにしてしまった様な気がして、正直打ち上げは来なきゃ良かったと思っていた。
「はぁ……。」
けど、この時の自分はこう信じていた。
そうまでしてでも、私は優くんのことを大事に思っている。それで私の全てが無くなろうとも。
なんだけれど……。
「………………。」
暗くなった室内で、私はそんなことを思いながら天井を見上げていた。
本当に……その考えは正しかったのか。
いや、間違っていた。完全に間違っていたんだ。
結局あの作戦をやったのも、優くんのことが嫌いだから振るんじゃないことを理解してもらうためにやったこと。振った罪悪感を紛らわせるだけの、ただの自分勝手な魂胆。
僅かながら優くんへの優しさはあったが、根本は何にも変わってない。挙げ句の果てには、一番誤解を解きたかった本人には全く信じてもらえなかった。
これのどこが成功したというんだ。これのどこが正しかったと言えるんだ。結果的に、誰にとっても良い結果を生まなかったじゃないか。
「……ううっ……。」ギュッ
シーツを力強く掴み、私は後悔した。
あの時私がやったことは、完全に間違っていた。最初から真実を伝えておけば良かった。
「ごめんね……大友ちゃん……!」
私が余計に話を拗らせてしまったせいで、優くんへの恨みを余計に増幅させてしまった。それが爆発して、あんな事件を起こしてしまったんだ。
原因は全て……私だ。
看護師が様子を見に来たことなど分からなかったくらい、その夜はただただ泣き叫んだ。
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軽いリハビリも終えて、退院の日が近づいてきた。
あれから何人かお見舞いに来てくれて、事件のことを励ましてくれる。
久しぶりに会ったゆめちゃんと雫ちゃん、風野はかつての同級生の様に私に悪意をぶつけなかった。
『過去はどうにもならないから、前を向け』
3人共このようなことを言ってくれた。
だが……。
「………………。」
やはり私の心には響かなかった。大友ちゃんへの罪悪感が勝ってしまい、立ち直るような気力が湧いてこない。
そして、ずっと気掛かりで仕方ないことがある。それは……意識が戻ってから、優くんと全く連絡がつかない。
LINEも既読が付くだけで、そこから返信が全く来ない。優くんの安否が全く分からずなのである。
人間不安になると、良くない方向へと思考が回ってしまう。私も例外じゃない。だから、優くんが全く返信してくれない事態に対して、私は……。
「……私のせいだ。」
私は頭を抱えた。
あの作戦のツケのせいであんな事件が起きてしまったんだ。一番守りたかった大友ちゃんの笑顔を、人生を台無しにしたのは紛れもない自分。
やっぱ、私が余計なことしなければ良かったんだ。幻滅される理由なんて十分にある。
「はぁ……はぁ……!!」
心拍数と同時に呼吸も荒くなる。
どんどんと私の手から、大事なものが零れていくような感覚だ。大友ちゃんと築いた思い出も、同級生と築いた思い出も。優くんとの……たった数ヶ月ながらにも、固くて沢山な思い出も。そして、これからの新しい関係も全部。
嫌だ嫌だ……!!そんなの嫌だ!!嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!!ねぇ優くん!!何でもいいから返事して欲し
「息、荒いですよ?看護師呼びましょうか?」
突然左側から声が聞こえた。
いつからいたのか、椅子に1人の男が座っていた。ドアの開閉音が全く聞こえなかったが、それが遮断されるレベルにまで私は混乱していた。
目が隠れるか隠れないかの短い前髪の男は、再び口を開いた。だが、その男の正体はすぐに分かった。
「……お久しぶりです。」
「……優…くん?」
そこには優くんがいた。
だが、何故かずっと俯いたままで、顔を全く上げない。
「優くん……今まで何してたの?ずっと連絡しても反応ないから、心配したんだよ……!?」
「……すみません。ずっと会おうか会わないか迷ってて。」
数ヶ月振りに会った優くんは、どこか雰囲気が違っていた。
「……本当なら、あなたとは色々お話したいんですが……。すみません。どうも、今はそんな気持ちにはなれない。
だって……。」
優くんは、ゆっくりと顔を上げて……。
「あなたといると、罪悪感がぶり返しそうだから。」
優くんの顔には、薄いクマがあった。目のハイライトも無いように見えて、とても私の知ってる優くんとは思えなかった。
そして、さっき言った一言も……とても重みのあるものであった。
「罪悪感って……優くん、どういうこと?」
「どういうことって……そんなのあなたが一番知ってるでしょ?
『自分のせいでこんな事態になった』って罪悪感。」
「!!!」
重みのある言葉と声だった。
「先輩。あれからマジで大変でした。僕は先輩のお陰でほぼ無傷で助かったものの、警察に何度も事情聴取受けさせられて、大学でももう良い意味では無い方で有名人。
けどまぁ、生きてるだけいいのかなとは思ってますよ……。死んで償える程簡単なものじゃないんで。」
「償うって、まさか……。」
「これだけは言わせて欲しい。あなたは何も悪くない。悪いのは……全部僕です。」
つばめは身を乗り出して石上の手を握った。
「そんなことない!優くんは何にも悪くないよ……!あの努力を全部否定する様なことだけは言っちゃダメ!悪いのは……それを私欲のために台無しにした私だよ。」
「………………。」
薄暗いため、石上の表情はよく見えなかった。だが、握った手が小刻みに震えていたことから、これがプラスの感情ではないことはすぐに分かった。
「優くんの許可も得ないで中途半端な嘘を広めた。そんな勝手なことしなければ良かったんだよ。」
「……なら、どうすれば良かったんですか?」
「ど、どうすれば……って……。」
石上は顔を上げた。
「僕達は、本当に大友のためになるようなことを考えられなかったんです。大友のためになるようなことをすれば、こんな結末にはならなかった。」
「ためになること……?」
「しかもそれは、すっごく単純で……最初の段階からしておくべきだったことです。何だか分かりますか?」
待って……まさか……。
石上は口角だけを上げて、こう言った。
「真実を言う。これが一番最適な答えです。
僕のやったことも、あなたのやったことも……何にも意味なんてなかった。しかも、最初の段階から本当のこと言っていれば、僕もあんな胸糞悪い思いしなくて済んだ。あなたの手を煩わせるなんてこともなかった。
結局のところ……事の発端は全部僕なんですよ。僕のアホみたいな正義感が招いた愚行が、全ての原因で」
「そんなこと言っちゃダメ。」
抑揚の無い石上の発言をつばめは遮断した。
「優くん……。自分の努力を否定することだけはダメだよ。優くんの頑張りがあったからこそ、大友ちゃんは荻野の魔の手から救われたんだよ。それを全部否定するようなこと……そんなのダメだよ。」
「何でですか?結局こんな結末じゃないですか。」
「大事なのは結果じゃないよ!その過程だよ!」
「過程すらダメだったじゃないですか……。」
「そんなことない!」
「結局僕のやったことは無駄だったんですよ。」
「無駄なんかじゃない!!」
「ならその無駄じゃない根拠は何なんだよ!!!」
初めてだった。彼女の前でこんな大声を出したのは。
先輩も、初めて僕を怖がるような表情をしていて、空気はどんどんと重苦しくなっていった。
「そこまで言うんなら教えてくださいよ。誰も不快な思いせずに解決する方法って何なんですか?
荻野を人知れず殺す?荻野と付き合うことを説得する?何か思いつくからそんなこと言えるんですよね?過程が無駄にならないような方法って何なんですか?教えて下さいよ……。」
大声で怒鳴られたのもそうだが、何より彼の気持ちも考えずに下手なことばかり口にしてしまった自分に、自信が持てなくなっていた。
ただつばめは、苦悩の表情を浮かべている石上を傍観していることしか出来なかった。
「だから嫌だったんだ……。本当に来なければ良かった。」
消え入りそうな声で石上はそう呟いた。
想像以上に思い詰めている彼を見て、もうつばめは見ていることすら切なかった。今の彼にかけてあげるべき言葉が……見つからない。
「結局僕は、肝心なところで判断を間違える。あの時だって、今日だって……。
もう僕は……あなたといることが苦痛で仕方がない。」
髪を強く握り締めて、石上はそう言った。
「だから先輩……。僕から一つお願いがあります。」
「僕と……決別して下さい。」
心臓を内から刺された気分だった。
そして……今までの人生の中で、最も傷付いた言葉だった。
「……優くん……。嫌だよそんなの……。」
震えた声でつばめは石上の手を強く握り直した。
が、石上はその手を払い除けた。
「嫌だって、逆にあなたは辛くないのか?あんなことあったっていうのに、これからも友達でいましょう?正直やってけないですよ。」
「!!」
「友達関係も恋愛と同じです。どっちかの感情が変われば、その関係は上手くいかない。一緒にいたところで、良い関係は構築されない。
あなたが僕に恋愛感情を抱かなかったように、もう僕もあなたに対して友情やらが何も芽生えなくなってしまった。どうしても、罪悪感がぶり返してしまって……一緒にいることが辛く感じてしまう……。
もう嫌なんです。これ以上罪悪感に苦しめられるのは……。どうしても……あなたへの申し訳なさも出てきてしまう……。」
僕が最初から本当のことを言っていれば、つばめ先輩もあんなことしなくて済んだんだ。
僕の自己満足が……全てを巻き込んだ。彼女の努力までも台無しにしてしまった罪悪感まで出てきてしまって、もう彼女の顔を見たくない。僕を救ってくれたってのに……なのに僕は……。
「だから、もう会いたくない。
卒業式の時、あなたが友達のままでいて欲しいってお願いしてきたように、今度は僕がお願いします。
今日を最後に……僕と決別して欲しい。」
「……ああっ……ああ……。」
嫌だ……と反射的に言いたかった。
今日を境に、もう優くんのことを見ることが出来なくなる。連絡も取れなくなる。二度と喋ることも出来なくなる。これまでの思い出も……全部消え去ってしまう。
そんなの絶対に嫌だ。初めて心の底から「失いたくない」と思った人は彼が初めてだった。なのに……なのにこんな……。
……いや、よそう。これもただの私の我儘なのかもしれない。相手のことを考えずに、ただ自分が傷付きたくないからといって、相手を振り回したツケなんだと思う。
もうこれ以上、罪悪感に苛まれる彼を見たくない。あの時までは大友ちゃんがその象徴だったが、今は私がそうなんだ。
優くんにとって私は、もう友達でもなければ憧れでもない。ただの……失敗の象徴だった。
何でそんなこと断言出来るかって?そんなの自明だ。だって……病室に入ってから優くんはずっと、私の顔を一度たりとも見ようとしないのだから。
なのに「これからも友達でいて」なんて、とてもと言って良いほど言えない。それが本当に友達のすることか?違うだろ。本当に友達だと思ってるならば、その人にとって為になるようなことをしてあげるのが、友達というものだろう。
きっと、優くんにとっては今のこの時間さえも苦痛に決まってる。ならば、もう答えは決まってる筈だ。すぐに口にしなければならない。ただ優くんを辛くさせるだけだから……。
「……そうだね。」
重い口を開き、私は受け入れることにした。
「あの時私の我儘を聞いてくれたお返し……にはならないね、こんなの。でも、それがお互いのためになるんだと思う。
正直嫌だけど……もう、優くんの苦しむ顔を見たくない。それで優くんの罪悪感が少しでも緩和されるなら……そうだね。」
いいんだこれで。彼もこれを望んでいるんだ。
「結局、私は優くんのこと傷付けてばっかりだね……。ごめんね……!こんな、こんな勝手な女で……!!」
いつまでも申し訳なさに入り浸っているわけにはいかない。今のこの状況だって、彼にとっては苦痛なのかもしれないのだから。
優くん。ごめんね最後まで。優くんの最初で最後の我儘も……受け止めるから……!!
「私達……決別しよ。」
歯を食いしばって、私は大粒の涙を流した。
その時の優くんは……何も表情を見せずに首だけを縦に振った。そして何も言わずに立ち上がり、病室から出て行った。私に「さよなら」とも言わず、だからと言って私の顔すらも見ず、まるで心から私のことを拒絶するように……優くんは私の前から姿を消した。
その悲壮感と後悔で溢れた優くんの背中を見たのを最後に……私はもう二度と優くんとは会わなくなった。