私ははじめて家出した。
特祭隊からの協力要請で、沖縄から鎌倉への移動中の隙を見て鳥居へと飛び込んだ。
魔が差したって言うのかな……。
いつも沖縄の隔離室の中だし、時々は外に出してもらえるけど、それは人目がつかない場所にだけで大勢の人の中を表立って入ることはできなかった。
もちろん、私がどれだけ特別な存在かは認識してる。
人間と同じ形をしていても、純粋に人じゃない。
でも、やっぱり私も人の形をしているのだから、清香とおなじくらいおしゃれして、欲しいものに悩んで、電車の中で居眠りしちゃったり、公園のベンチでたわいもないこと話したり、3食とおやつ以外に買い食いしたりしたい。
いつもと違う景色や、体験がしたい。
目の前に現れた赤い鳥居に飛び込んだ動機なんて、そんなものなの。
◇
調査隊は先月に薫と結芽が交渉して来た恩賜剣舞会との一件で、剣舞会が持っていた御刀の調書をまとめていた。
剣舞会加入の刀使もしくは刀使だったメンバーは、その多くが訳ありであり、その御刀の多くも彼女らの持ち込みであったので必然的に訳ありの御刀が勢揃いしていた。
大久保瑞稀の毛抜太刀は、彼女が事故で骨董屋から持って行ってしまったが、当の骨董屋の老店主はその毛抜太刀を後世の複製と鑑定し、客引きにとずっとショーケースに飾っていたものらしく、荒魂襲撃で店が破壊されてからは廃業し、調査に来たミルヤの口から本物の御刀だった事実にひどく驚いていたという。
そのほかにも、旧家老家伝来だった由緒ある御刀や、戦後の混乱で消失した旧文化財の御刀、果ては国宝と瓜二つでありながら正真正銘の本物と鑑定されたものもあり、ミルヤが特剣博の鑑定士や学芸員に尋ね回って刀剣の経歴を一振りずつ明らかにしていった。
ここ数週間は詩織と未久がそれぞれの学校に戻って補修を受けていた関係で、今日は久しぶりに調査隊メンバーが勢揃いしての業務だった。
「あのミルヤさん、この付随メモの山って?」
詩織がミルヤと結芽がまとめた報告書と刀剣の写真には、大量の付箋が貼られ、ファイルが異様なほど厚くなっていた。
「この一件は特殊なので、御刀として登録できても特祭隊が過去に確認してる美術刀剣か、各地域の教育委員会に登録のある刀剣か、また過去百年に盗難の報告のある刀か、そして重要なのは旧所有者から返還の要請の有無……とこれだけ確認事項があります。そのメモは調査隊と特剣博の御刀への見解と、その重要性、そして個々の特徴が書いてあります。この報告書は確認をとってくれる機関が全て閲覧するので、改ざんのない一次資料を提供する必要があります。これとは別に付箋の内容をまとめたデジタルの書類も結芽さんに作成してもらいましたので、ぬかりはありません」
「じゃあ、脱落しそうなのはテープで補強してもいいですか?」
「そうですね、お願いします」
詩織はしばらく普通のテープで止めていたが、面倒くさくなったのか幅広のテープを持って来てまとめて一ページずつ補強し始めた。
「詩織、ずいぶん豪快ですね」
未久の一言を気にせず、空気の入らないよう抑えをしながら丁寧に貼っていく。
「これならラミネートしたほうが楽かも」
「なるほど、今度上進してみましょうかミルヤさん」
「いや、おそらくラミネート上からメモ書きを足すので、二度手間かもしれません」
結芽は大きく体を伸ばしてから、ミルヤの作成する一次資料のアバウトさに今までのような清廉潔白で、指揮となれば勇猛果敢な彼女の知らない側面を垣間見たと思った。状況が許せば、意外と豪快な行動に出るタイプだということを、ようやく思い出した。
ふと、ミルヤの端末に電話がかかって来た。
続いて調査隊据え付けの固定電話にも着信のベルが鳴った。
ミルヤが結芽にアイコンタクトすると、受話器を手に取った。
「はい。こちら刀剣類管理局特別調査室です」
〔もしもしー、弘名でーす。燕さんおひさしぶりですー〕
ミルヤの端末と弘名の後ろから聞き覚えのある叫び声が響いているが、気にせず話を続けた。
「はい、どーもどーも! 弘名さんが電話を掛けて来てくれるなんて珍しいですね」
〔ええ、まぁー……美炎さんが先に電話をかけてしまって、少し作戦変更したくて〕
結芽は座席をゆらゆらさせながら、あることを思い出した。
「もしかしてコヒメちゃん、逃げた?」
〔当たりでーす。察しがよくて助かります。鎌倉で車を降りた一瞬の隙をついて鳥居に飛び込まれてしまって〕
端末越しの美炎に繰り返し落ち着けと言い続けるミルヤを横目に、詩織と未久に刀掛けと鞄を指差した。
「で、弘名さんはどこにいったか、わかっているのでしょ? それで迎えに行けと」
〔いえ、位置的にあわよくばこの一件の目的地に誘導してもらえれば〕
「あ、やっぱ美炎さんに黙ってたんだ。ずるい」
美炎が宥め込まれたのか、今度はミルヤの説教が始まっていた。
〔考えるよりも先に手が動くので、しばらく泣き腫らしてもらいます。いい薬です。それとして、コヒメさんの端末にはリアルタイムで隠世からの出入りの位置を探知できるマーカーを仕込んであるので、今の位置はばっちり確認してますよー。今から探知のアプリケーションとデータ送りますね〕
「あいかわらず用意周到……じゃあ、コヒメちゃんの元に向かいますよ。見つけたら……」
〔今日含めて二日くらいは誤魔化すんで、色々任せまーす〕
電話を切ると、詩織と未久が鞄を準備しながら、なにごとだろうかと結芽を見ていた。
「未久ちゃん、詩織ちゃん、これからコヒメちゃんを迎えにいくよ」
二人の顔がぱっと明るくなって、急いで机から着替えや旅行具も取り出した。
◇
その灰色の帽子を被るツインテールの少女は、バスを降りると大きなため息をついた。
「つくば……ずいぶん遠くまで飛んできちゃったなぁ」
駅前の広場から四車線の道路を見下ろす高架橋まで歩いて来た。橋の真ん中には大きなオブジェが聳え立っている。手すりにもたれかかりながら過ぎゆく車をじっと眺めた。じりじりとした陽が日焼け止めを塗った肌に降り注ぐ。
「筑波山ってところに着いてからバスでここまで来たけれど、たしか希少金属研究所の支部があるところだっけ? なんか思ったより広くて、まるで浦島太郎の気分。地図とか写真で見るよりもずっと広いんだなぁ日本って」
これからどうしようか?
そう思ったが、いざ自由になったら何をしたいかが思い浮かばなかった。
とりあえず手持ち無沙汰にしててもいいが、体内のノロの関係でいずれ場所がバレて追っ手が来る。その前にどこかに行くべきなのだろう。
両腕を空に向かって大きく伸ばすと、ワンピースが熱い風にゆらめいた。
駅の方へ向き直ると、白い特務警備隊の夏服を着た女性がオブジェにもたれかかって彼女を見つめていた。
「結芽ちゃん」
「ひさしぶり、コヒメ」
コヒメは残念そうに首を傾げて、肩をぐったりと落とした。
「もうお縄なんだ。追ってこられないように複数の鳥居を経由したつもりだったのに」
「弘名おねえさんから逃げたいなら、もう少し頭を捻らなきゃ」
結芽の前に立つと、髪は銀でところどころに黒が混じり、肌の色は人間のそれになっていた。ただ、人懐っこい幼さを残した顔がコヒメらしかった。
「大きくなったね。髪も昔の美炎おねえさんみたいにしてるね」
「まぁ、うん。ずっとこうしたかったから……そんなことよりさ、早く連れていってよ。私、そういう存在でしょ?」
結芽は笑顔で首を傾けた。
「なんで? 私が素直にみんなの言うこと聞くと本気で思ってるの?」
「え?」
「行こ」
コヒメの手をとると、駅前のロータリーに向かって歩き出した。
「え? だって!」
「せっかくカゴから飛び出したのなら、最後まで楽しまなくっちゃ! 大丈夫、わたしたちに任せて!」
ロータリーに着くと、高速バスのバス停前の列に詩織と未久の姿があった。
「連れて来たよ」
美久はコヒメを見るなり、彼女を強く抱きしめた。
「え、未久?!」
「すぅー……私の大事なコヒメちゃん……うん、お日様の香りがするから大丈夫だね」
「あ、熱いよ……」
「えへ、えへへへ、コヒメちゃんかわいいなぁ……あだっ!」
トイレから戻って来たミルヤが、未久の頭を叩いていた。
「山城未久、姉の由依みたいになっていましたよ」
「え! あ! や、やだ! ごめんねコヒメ、つい感情が昂っちゃって!」
急いで離れると、コヒメは笑い出していた。
「おかしいの! 本当に由依そっくりなんだから!」
元気な彼女の表情を見て、ミルヤも自然と笑顔になっていた。
◇
バスはつくばより北に登った水戸駅へと来ていた。
「まずはお着替えしないとね、このままじゃ目立つから」
各々、夏らしいラフな服を買って着替えてくると、すぐに赤い電車に乗って水戸駅を後にした。
車窓を開けると、熱い風が一気にコヒメの顔に吹きかかった。
「わぁー! わたし電車はじめてなんだ! 本当に景色がどんどん変わっていくんだ……すごい!」
「あんまり顔出しすぎると落ちちゃいますよ」
「はぁーい」
ミルヤの言葉を聞いて、窓を閉めて席に戻った。
そわそわして落ち着かないコヒメを見つめながら、詩織はどこの駅で降りるか尋ねた。
「大洗、このあたりで海沿いの観光地といったらそこだから」
「本当に一日遊ぶんですね」
「何をーっ! これはコヒメちゃんの護衛と保護という大事な使命! 遊ぶのも仕事のうち、だからといって肩肘張るのはなしだよ」
「仕事という建前で、ここ最近デスクワーク詰めだったことの憂さ晴らしでは?」
「鋭い! さすが未久ちゃん」
そうこう話しているうちに、電車は大洗駅へと到着していた。
駅前では青い髪の背のスラリと伸びた女性が五人を待っていた。
「あ! ちぃねぇだー!」
子供のように飛び込んできたコヒメを智恵はやさしく抱き止めた。
「いらっしゃいコヒメちゃん! また背が伸びておねえさん嬉しいわ」
「ねぇねぇ! 今日はどこ行くの!?」
「沖縄でも連れていってもらってない、水族館よ」
コヒメは嬉しそうにジャンプしながら、早く行こうと結芽たちに催促した。
智恵は結芽に向き直ると、優しい笑顔を浮かべた。
「結芽ちゃん、長くの第四席。ご苦労様でした」
「ありがとうございます瀬戸内さん」
「今まで色々あったけれど、私は結芽ちゃんが好きよ」
「そう言われると照れるって」
お互いに頷き合ってから、智恵はみんなに車へ乗るように言った。
車が出ると、コヒメは未久に結芽と智恵のことを尋ねた。
「まぁ、智恵さんにとっては結芽さんは仲間の仇、でも結芽さんにとっては智恵さんは命の恩人……二人の関係は簡単には説明できないんです」
「でも今は大事な友達なんでしょ、よかったねちぃねえ! 結芽ちゃん!」
智恵にとっては舞草メンバー内に蟠っていた親衛隊メンバーへの不信を払い、結芽を地下グループとなった舞草に加入させた。それだけ成長した結芽が頼もしく、またある一件で薫の地位を守った事実は、過去を拭い去るには十分であった。
過ぎゆく車窓から、人で賑わう町の姿があった。
各々の夏を楽しむその姿の中に、姉妹で交差点を渡る姿を見つけた。
そこにふと美炎の顔が浮かんだ。
なぜ、いまそれを思い浮かべたのか理解する前に、姉妹の姿はコヒメの前から過ぎ去っていた。
磯前神社の前を過ぎ、海沿いを進んでいくと大きな駐車場を擁した施設の姿が見えた。
「私は駐車場で待ってるから、ミルヤたちで行って来て。もちろん御刀も見てるから」
コヒメたちを降ろすと、車は駐車場に入る列に並んだ。
しばらく歩いていくと、目の前に二匹の向き合うイルカのオブジェが五人を出迎えた。
「わぁーい!」
「あ! コヒメちゃん急がないで!」
詩織と未久が追いかけていくと、ミルヤは結芽を呼び止めた。
「さすがに智恵を一人にはしておけません。これで足りると思いますから」
彼女の手から返されぬよう、しっかりと結芽の手に握らせた。
「いや、ミルヤさん……先月に康継の脇差を買ってお金ないでしょ」
「……これは紫様からの心付けですよ……それと康継を買わなくて後悔はしたくなかったので、迷いはありません」
「嘘だぁ! まぁ詩織と未久には黙っててあげますから」
「お願いしますね、燕結芽」
「はぁーい」
チケットを買えず立ち往生する三人の前で、さらりとチケットを手渡した。
「いつの間に買っていたのですか」
「つくばのコンビニで買っておいたの、さぁ行こう! 先頭はコヒメだよ」
「う、うん!」
チケットを入り口のスタッフに読み込んでもらうと、入り口すぐにあるイワシの回遊する水槽に駆け寄った。
銀に輝くイワシが目まぐるしくコヒメの前を入れ替わっていく。
またたきをすれば、今目の前にいた一匹のアジをあっというまに見失い、次から次へと戻ってくるイワシによってアジがいたことを忘れそうになる。
「イワシの中にアジがいる!」
「え? ほんと?」
後ろにいた詩織がじっと探すが、気がつくと目が回り出していた。
「ほんとうにいるみたいですよ」
未久がそう言うと、いたとコヒメが指を指した。
結芽は気づいたが、とうとう詩織と未久は見つけられなかった。
「稽古が足りないみたいだね二人とも」
「ぐぅ! 結芽先輩みたいにいい目の人ばかりじゃないんですー!」
「ほらほら、まだ後がつっかえているんだから行くよ」
不満げな詩織と未久の顔を見て、コヒメはおかしそうに笑いながら先へと進んでいった。
「わぁー!」
暗い廊下を下っていった先には、大きな水槽の中をさまざまな種類の魚が泳ぎ回っていた。
「へぇー! これはすごいね! こんな大きいなんて知らなかった」
水槽に齧り付くように、頭上を泳いでいくサメやイワシの大群にエイをじっと観察する。
「みんな形が違っているし、泳ぎ方も違うんだ。みんな個性的で面白いね!」
「こうやって私たちも魚もそれぞれの歩み方、それぞれの生き方の中で生きてるの」
未久のその一言と自分の言葉に、コヒメは何か大事なことに気づいた感覚になった。
しかし、今は楽しむことに精一杯ですぐに目の前の魚たちに気持ちが引っ張られてしまった。
つづく
みなさんこんにちは、白寅一号です。
毎週、一話完結型で更新して来ましたが、今回はサボって具体的なプロットを整えず書き始めたら
一万字超える話とわかった時点で書ききれなくないと理解できました。
ただいま締切十分前です。
ほんとうに申し訳ありません。
来週は其ノ十弍とセットで十壱(後編)を投稿します。
すでに十二のプロットは完成して、あとは書き出す作業だけなので、
次回は間違いなく投稿できます。
十壱(後編)ではコヒメが本土に呼ばれた理由が判明します。
次回も読んでいただければ幸いです。