秋も深まり、人々は冬の訪れを新たな年の数え時とする。
豊かな収穫の時期は、厳しい冬を越えるための準備の時間。
しばしの余興と歓喜の時間を過ごすことが、この土地に生きることを尊ぶ。
◇
「ここかな」
結芽は東北地方担当の伺見とともに、岩手県遠野の村へと来ていた。
「おうさ、でも本当にあると思うか? 人知れず収穫物が増える米升が」
舞草のメンバーで、特に日高見派だった刀使や職員は日陰者で、扱いが悪い。しかし、若手筆頭の益子薫の取りなしで、特祭隊に留めおく処置がされていた。
稲河暁もその一人である。
御刀を返還後、事実上の舞草追放がなされたが、薫の差配で将来的な六つ目の東北専門の五箇伝組織誕生に向けて、その準備委員兼連絡所の職員として働いている。
「うーん、でも私たちに転がり込む話って大抵の場合どうしようもできないのばっかりなんだよね」
「たとえば?」
「人になった荒魂とか、何百年も待ち続けた小さな荒魂とか、河童とか、経歴が特殊すぎる御刀とか、御刀大好きな禍神とか、旦那大好きすぎる狐型荒魂とか、そのほか諸々」
「……なんつーか、本当に結芽は調査隊になっちまったんだな」
「うん、もう認識が遅いくらい染まってるよ」
二人は互いに笑い合った。
「そんじゃ、その調査隊の結芽に目的の家へ案内しよう」
◇
山近くの蔵のある庄屋は、年月を感じさせる深い茶色に染まり、よく拭かれた木床が家の向こう側に広がる庭先を写し込んでいた。
「特祭隊の方ですね。お待ちしてました」
落ち着きのある恰幅の良いその男性主人は、三十二と家主にしては若かった。
元々は祖父母の持ち主だったが農業を継承してから二人が亡くなり、現在は単身赴任の妻を除いて一人で暮らしている。
囲炉裏のある部屋を抜けて、仏間に通された。
「これが当家に代々伝わる米櫃とその枡です」
代々大切にされてきたのか漆を塗って外装は保護に努め、箱の上面にある蓋を開くと米櫃の七割を埋める米と一つの使い古された枡が米の中から顔を覗かせていた。
一見変哲もない現役の古い米櫃だが、暁は何かに気がついて米をいくつか手に取った。
「この米……今の品種じゃない……」
「お気づきになりましたか」
「どういうこと暁さん」
夜見の受け売りだがと言いながら、現在の東北などで栽培されている冷害に強い米の品種が本格的に作られたのが明治以降、近代の品種改良によって誕生した。それ以前は各地域で寒冷にも強いウルチ米が育てられてきた。
「粒の特徴が違うんだ、完全に冷害地向けの品種じゃないやや湿度のある土地向けの米だ」
「じゃあ、このお米は今のお米じゃないってこと?」
若主人は頷いた。
「祖父母の代から、戦時中でさえも白米が食べられたそうです。それ以前の幾度もの凶作の時も、人知れず地域を救ってきました。その時から、この米櫃は米を足していないのです。寛政の頃からそうだったと聞いています。そして」
主人は米櫃から枡を取り出した。
「当家では、寝る前にこの枡一杯分を空にしておく習慣があります。そうすると翌朝には枡いっぱいの米が増えているのです」
「できすぎた話だけど……どう思う結芽?」
結芽は何か思い至ったのか、ニッカリ青江を取り出して写シを張った。
「お、おい!」
「いいから」
そのまま枡を手にすると、写シ同士が干渉する微弱な振動が枡に残った米が震えた。
「写シって、何かの干渉で分割されることがあるんだよね。現身の寿命をごっそり持って行ってしまうけれど、隠世に別れた写シは現し身が残っている限り共存し続ける。もしかすると……」
「この家そのものに写シがあるって言いたいのか」
「ピンポン!」
「……じゃあ仮にだ、この家に写シがあるとして、その写シを生み出す要因はなんだ」
「御刀、絶対にこの家の中にいる」
若主人は首を捻ったが、もしやとある話を持ち出した。
それはこの家に伝わる昔話で、ある民俗学者の手で民話集に載せられた話だと言う。
「この家の守り神と伝わる山蛇様のことです。ある時は盗賊から身を守る刀に、しかし普段は蛇として気ままに暮らしていると」
「じゃあ、この家のどこかにいる可能性がある。探しますか」
若主人は暁の提案を快諾して、家の中の捜索をはじめた。
使ってない物置や部屋には困っていないので、古いものの中を洗いざらい探し回った。
結芽は主人の案内で、かつて蚕を育てていた屋根裏部屋に入った。温めるために囲炉裏の煙を回し続けたため、部屋は黒かった。
部屋を隅々まで見ている時、天井に張り巡らされた屋根を支える梁を見上げた。
その黒く染まった梁の中にやや飛び出している黒長い物体が見えた。
「あれです。もしかしたら鞘袋かも」
主人はハシゴをかけると慣れた手つきでその袋を回収してきた。
煤けていたが、かつて麻染めをしていたときにつくった麻織物の袋であるとわかった。
◇
仏間に戻ってくると、風呂敷の上に敷かれた袋の封をとった。
すすを除けながら、袋から毛抜け透かし彫りの銀の柄が顔を見せた。
主人が恐る恐る鞘から抜くと、刀身は白銀に輝いていた。
「おお! 結芽の言うとおりだな」
「うん、でも刀が古すぎる……九州の鑑定審査会に行ってるミルヤさんに見てもらおう」
刀の全体写真と刀身の肌を拡大した写真を送ると、すぐに電話がかかってきた。
〔まさか完全な状態の最初期の舞草刀を見られるとは……全体としては脇差ほどのサイズですが、身幅が広く、毛抜透かし彫りされた一体型の柄、鞘は新しく朱の呂塗りですが荒があるため職人の作ではないですね。珠鋼にノロがやや多めに混じった特徴的な杉綾肌は間違いなく舞草刀のそれです。すでに休眠に入ってしまった奥州藤原清衡の袂にある舞草刀と特徴が合致しています〕
「なるほど、この件、御刀が人間以外と結びついている可能性があるのですが」
〔ないとは言えません。しかし、写シを発動できるのは精神や個人をもつものでなければできません。その家にそれがあるかどうかですが〕
「ではもう少し調べてみます。まだ手がかりが近くにあるかも知れません」
〔お願いします〕
電話を切ると、結芽は他にこの家にまつわる伝承がないか尋ねた。
若主人はいくつかあると言い、かつてここを訪れた民俗学者の本を持ってきた。
研究熱心な彼の妻が、この家にまつわる伝承の箇所に付箋を貼っておいていたのだ。
三人で書籍を囲みながら一つ一つ確認していくと、家屋裏の小川の話が出てきた。
「えっと、洗濯中に小川の上流からお椀が流れてきて、気になってのぼるとこの家そっくりの小屋が薄暗い闇の中に建っていた。このことを伝えようと家に戻ったが、ふたたび訪れたときにはその小屋は見つけられなかった。お椀はそれからも家にあるという……」
お椀……その存在を主人に尋ねたが知らないと言った。
「じゃあもしかして、あの枡のことじゃ……」
「盗まれたくないから、話に出てくる流れてきたものをお椀にしたんだ。じゃあ、探すべきは小川の先の小屋!」
◇
若主人は五年前の土砂崩れで川は崩れてしまったが、上の方は生き残っているらしく案内されて山を登って行った。
やがて結芽は妙な気配を感じた。
「この感触……」
「どうした結芽」
木々の合間から霧が立ち込めてきた、陽も浅い。今は日中であり、暗く霧が立つ理由がわからなかった。
「隠世の入り口を通った気がする」
「なに!? 戻れるのか?」
「小川沿いに見て戻って来れたなら、この川が道って可能性も」
「それなら、もう少し進むか。旦那さんは戻ってもらった方が」
若主人は首を横に振って、持ってきた枡の正体とそして感謝をしたいと言った。
「わたしの家はこの枡があったおかげで生きて来られました。恩返しはできずとも、これをお返しできれば」
「わかりました! 行きましょう!」
三人がさらに奥に進むと、木々のなくなった薄暗い空間に、あの庄屋の建物がそっくりそのまま建っていた。
「こいつはおどろいたぜ……」
「でも暁さん、この家」
家全体を淡く白い光が包み込んでいる。間違いなく写シだった。
玄関を抜けると、家の調度品が現世のものと異なっていた。全て江戸時代のものだった。
「誰ぞ、ここを名主森山の家と知ってか」
気丈な顔立ちに髷を結う碧の服に身を包んだ十七になろう少女が現れた。
彼女の体を薄白い光が覆っている。
若主人は何かに気がつき、前へと進み出た。
「突然の訪問、申し訳ありません。私たちは川下からやってきた里のものです。二百年ほど預かっておりました米櫃を返しにまいりました」
彼がそれを差し出すと、駆け降りて彼の手にある枡を見つめた。
しばらく静寂が包むが、憂いを帯びた綺麗な顔で若主人の顔を見つめた。
「そうですか、そんなに月日が経ちましたか……」
「あの、私は」
「とうじさまであろう? 私もとうじでございます。どうぞ、上がってください積もる話もありますから」
彼女が仏間に通すと、そこには屋根裏から出てきた御刀の姿があった。
「私はかつて山人と呼ばれた荒魂と戦い、相打ちの末に互いに干渉せぬと誓い、現し身と写シ分けることで生き返ったのでございます。しかし、写シの私はこうしてこの隠世で生き続けています。この屋敷は御刀が私のために作った幻覚。消滅を長く待つ身ゆえに記憶がことごとく薄れていく。しかし、その枡は確かに私が川に落としてしまったものだ。一度、大人になった私がここに迷い込んだことがあった」
「あの話はあんた自身だったのか」
「そうです、稲河さま。しかし、再び隠世の門を通らずにいてくれてよかった。しかし、私が消滅できないのはこの枡が原因でした」
手元の枡を感慨深そうに眺めた。
「写シは本物である現し身とともにあり続ける限り、消滅することはありません。本来であれば私も現し身の私が死んだときに消えていた。けれど、御刀は私の生きてきた屋敷を拠り所に写シを保持し続けた。それが、枡に米が増える現象の原因でしょう。枡はこの隠世の世界の枡の中身を再現し続けてきた、何百、何千回と」
「そうでしたか……でも、その枡がなければ何度、飢えで血が絶えたか知れません。ご先祖様、ほんとうに感謝をしてもしきれません」
若主人の顔をまじまじと見て、笑顔になった。
「構いません。お家を守ることができた現し身の私を誇れるのは嬉しいことです。それに……」
少女は立ち上がって若主人の頭を抱きしめた。
「あの人との子供たちがこうして健やかであることが、いちばんの幸せです」
「ご先祖様……」
「よう顔を見せてください」
まじまじと顔を見つめると、愛おしげに目を細めた。
「あの人によう似とる。私の好いた、お前の……遠い遠い爺さまにな」
◇
別れの時が来た。
もう未練もなく消滅できると、彼女は終始笑顔であった。
「燕さま、ひとつ頼まれてくれないか?」
「ん? なんでしょう」
「ここにつながる小川沿いの隠世の門を断っていただきたい。にっかり青江にはその力があります」
「わかりました! 必ず約束を果たします!」
小川に沿って道を下っていくと、木々が現れ、次第に木々の合間から光が漏れ出した。
「ここらかな」
暁と若主人を現世側へと離れてもらうと、にっかり青江を抜き払って白銀の光を身に纏った。
結芽は今一度隠世の方向を見た。
「さようなら。そして、おやすみなさい」
振り上げた切先が真っ直ぐに空を切った。
コンっと空気が抜けるように風が巻き起こった。
だが、風が止んでも景色にこれといった変化はなかった。
「どうだ結芽」
結芽は笑顔で頷いた。
◇
翌日。
二人は街中のお茶屋で肩を並べて、お茶と団子を食していた。
「あれが可奈美と姫和が言ってた、別れた写シの隠世での生存か。普通の刀使は体験しないことだな」
「私はあるよ」
結芽に振り向くと、そこには深く感慨舞と遠くを見つめる少女の重々しい横顔があった。
「わるい」
しかし、結芽は明るい笑顔を暁に見せた。
「え? なに? 暁おねぇさんが私に謝ってくれるの?」
「むっ! 人がせっかく気をつかってんのに! これみよがしに過去を掘り下げるんじゃねぇ! ほら団子食え」
「もうたべてるよー、あ! もう一本もらおうっかな」
「ダメだ! これは私のだから! 代わりに、イチゴ大福ネコの東北巡回展つれてってやる」
「ほんと! 今回の東北巡回限定グッズ欲しかったんだ! なら早く食べて行こ!」
「わかったわかった。焦らず食べろって……」
団子を頬張る結芽を見つめながら、暁は優しく笑みを浮かべた。
(夜見が好きになるよな、こんな妹分いたら……よ)
後日、森山家で発見された舞草刀が、特祭隊の登録刀になるにあたり、旧所有家である主人から号を名づけられる。
正式な書類には『種 脇差 舞草刀 号 百合』。
その号は、かつてこの御刀を持っていた先祖の名前だったという。
了……