燕百奇譚   作:ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号)

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其ノ十四『Die Flucht』前編

 

 

 秋は黄金に包まれる。

 

 しかし、都内は残暑が長かったせいか、気温が低くなってからようやく長袖のシャツや秋物のスカートをクローゼットから用意し出していた。

 明日からは何を着ようか、そんな思いを巡らしながら、結芽はいつも通りの特務警備隊制服を身に纏い、そして彼に買ってもらった黒の革ジャンを羽織った。

「今日は冷えるから、風邪に気をつけよう」

 両国に到着すると、冷たい風が彼のその言葉を思い出させた。

 見上げると、街路樹の葉が黄色く色づき始めていた。

 

 

 その日、特剣博に部屋を置く調査隊にドイツからの客人がやってきた。

 

 刀剣類管理局に五年前から御刀を持っているということで、本部あてに手紙が送られてきたのが始まり。

 その手紙は遠くドイツからのもので、留学中で欧州御刀捜索に関わる此花寿々花が本物と確認。

 今回は本人のたっての希望で、日本で御刀とその記憶を継承したいと尋ねてきた。

 

 博物館の一階にある講堂を借りて、調査隊は彼女を出迎えた。

 長身の孫に手を引かれてやってきたのは、鼻の高く整った気品のある振る舞いの老婦人であった。

 1929年8月27日生まれ、今年で94歳になる。

「通訳は必要ないわ、この日の為に五年勉強してきたんですから、老後の楽しみとしては最高の勉強だったわ」

 ドイツ語特有の訛りが混ざっているが、言葉遣いは日本人の話すそれを上回っていた。

 孫に支えられて、用意された柔らかな椅子に腰掛けた。

「Oma, sitzt du gut in diesem Stuhl? Du wirst dir wieder den Rücken verletzen.」

「Schon gut, Carl, aber mir wäre es lieber, wenn du den Koffer mit dem Schwert auf den Schreibtisch legen würdest.」

 孫の男性は刀剣輸送用のケースを取り出し、それを女史と向き合うミルヤ側の机に置いた。

「こちらが連絡のあった御刀ですね。拝見してもよろしいですか?」

「ええ、もちろん」

 ミルヤは御刀輸送用の、それも短刀専用のケースを開くと、古びた柄にむき出しの刀身の御刀が姿を現した。擦れたり、濡れたりしてゴワゴワになった柄糸の中に赤白赤の菱形に鉤十字の目貫が鈍い白サビを浮かべている。

 白い布の上に移し、慎重に朽ちつつある目釘を抜いて刀身を抜くと、茎に切られた銘が鈍く輝いていた。

 その表銘には『大日本國美濃関鍛錬塾 兼秀』裏銘には『為ヒットラーユーゲント来訪記念』と切られていた。

 そして、ミルヤは鎺の下に打たれた丸に特の字の打刻を認めた。

「なるほど、1930年代に打たれた御刀に間違いありません」

 そしてミルヤは、柄を痛め続ける要因に気がついた。

「モニカさん、あなたは御刀の力を使ったことがございますね」

 同席して見守っていた結芽、詩織、未久が思わずモニカ女史へ視線を向けた。

 彼女は至極落ち着いて、そうですと言った。

「私はこの御刀を使ってロシアの兵士たちを殺し、大事な妹とリュック一つのなけなしの家財道具と家族の思い出の品を守りました。私はこの御刀との過去を語る為にきました。それは、人殺しをした事実と、この御刀で生き残ったことへの感謝の思いを、日本の方達に知ってもらいたいからです」

 ミルヤは静かにうなづいた。

「ぜひ、お話を聞かせてください。道具の価値はさまざまです、その価値を決めるのは道具とそれを扱った人との記憶によって、普遍の価値を生み出していきます。どうか、あなたとこの御刀の記憶を後世へ」

「ありがとう。じゃあ、ええ、あれは…終戦の一ヶ月半前だったわ…」

 

 

 ドイツ北部に流れるオーデル川、その川沿いにブランデンブルク州に属するキュストリン(現ポーランド領 コストシン・ナド・オドロン)という鉄道網が集まる街があった。

 彼女はキュストリンの川を渡った先にある村、キュストリン=キーツで雑貨屋を営む父のもとに生まれた。家族は父のホルス、母のマリア、それと四人兄弟。長男のハンス、次男のカール、次女であるモニカ、そして末の妹のベルタ。

 ソ連との戦争がはじまった年、モニカは12歳。

 4年ほどはひっきりなしにキュストリンの街を兵士たちが行き交っていた。

 気がつくと外国からの労働者が、兵役に行った男たちの代わりにカタコトのドイツ語でその代わりをし始めた。

 あの脱出の日から一年前には、私と変わらない年の男の子達が灰色の軍服を着て前線へと送られていった。

 それは二人の兄も同様だった。

 ハンスはヒトラーユーゲントの年長だったので、陸軍の装甲車乗りになったと自慢していた。写真には盾に長く突き出した大砲だけのみすぼらしい戦車の上で笑顔の兄が、ソ連の戦車を倒したマークを指差していた。その後に戦車乗りになったと手紙を送ってくれたけど、それからの足取りを知らない。

 ハンスとは二つ違いのカール兄さんは、志願して武装親衛隊のヒトラーユーゲントの少年ばかりの部隊に入っていった。しばらくは早く前線に行けない自分が恥ずかしいなんて書いてたけど、フランスでの戦いが始まるとピタリと手紙が止まって、行方知れずになった。

「モニカ、お前がベルタを守ってやるんだよ。パパもドイツを守るから」

 そう言って父は国民突撃隊に入って、寒いキュストリンの路上にバリケードを建てる手伝いに行った。

 ブロンドの髪を三つ編みに編んだ私は、母と妹と共にキュストリン要塞の建築を手伝う日々を送っていた。

 

 そうして私は運命の1945年3月の末を迎えた。

 

「なぁいいだろう!この街を俺たちが守るんだ!このベットの一つくらいくれたってよ!」

 学校は休みで、要塞らしきものの構築をほぼ終えていた学生は、それぞれの地域の防衛をあてがわれた。小学生だろうが中学生だろうが、古い武器の使い方を教わって土嚢の張り巡らされたトーチカで不安の入り混じった笑顔を見せた。

 私は村の近くのトーチカで看護婦をやるように言われ、着替えをとるのと1日の休養のために家に戻ってきていた。

 その私の前を父のベッドや机にあったろうパンカゴを抱えて兵士たちがキュストリンの防衛陣地に戻っていった。

「この薄情もの!泥棒!」

 母がいままでにない激しい剣幕で走り去る兵士たちを怒鳴りつけた。

「ダメね」

 失望に首を振った母は大きなため息をついた。

「モニカ…!おかえりなさい」

 恰幅の大きい母の優しい腕の中にいると、街を覆う茶褐色の鉄と油臭さが消えて故郷の花の香りがしてくる。

「昨日はがんばったから、今日は1日いられるよ」

「そう、さすがモニカおねぇちゃんね。しっかりしてて嬉しいわ」

 家に入ると、兄のヒトラーユーゲント時代の衣服が一つにまとめられていた。

 ベルタはさらに短剣やらを積み込んでいた。

「ベルタ、これどうするって?」

「捨てるんだって」

「でも、これお兄さんたちの大事なものじゃ」

 母は首を振って、それを巻木の少ない暖炉に放り込んだ。

「いいのよ、ロシアの兵隊がこれを見たら私たちを撃つわ、これね昨日届いたの」

 渡された手紙の筆跡はハンスのものとすぐわかった。

 そこには戦争を指導する人間の愚かしさ、反面にヒトラーを擁護する言葉、そして自分たちが奪ったものを逆に100倍にして奪い返しにくる。だから逃げろと書かれていた。戦争は負けた、自分はドイツ人のために義務を果たす。

 でも、両親と妹たちには生きてほしい、僕はまだカールの無事を神に祈っている。そう締められていた。

「兄さん…」

 言わない、けれど、みんななんとなくわかっていた。

 ドイツの持つ限りのものを使って始めた約束された勝利の戦争は、誰も望まない陵辱による報復へと変わっていた。

 工場への空襲、映画で繰り返し流されるロシア兵の恐ろしさ、狂ったように喚き立てる管区指導者、そして盲目に戦いを続ける兵隊の目つき。

「モニカ燃やしたら、持っていくものをまとめなさい。街にいたら戦闘に巻き込まれるわ」

「でも友達が!学校のみんなが!」

「いいの!今は自分が生き残ることを大事にしなきゃ…部隊に戻ったお父さんも賛成したわ。隙を見て合流するって」

 母はそれ以上の言葉を言わなかった。

 今思えば、自分の故郷はキュストリンの向こう側でポーランドに住む民族ドイツ人だった。

 それら地域や社会で築いたものをかなぐり捨てて、家族を守る決意をしたのだ。母の覚悟は半端なものではなかった。

「ねーねー!剣とかどうするの?」

 そうした現実をベルタは考えているのだろうか?いや、それを考える時間も勉強もまだしていない、私もそうだもの。

「日が落ちたら埋めるのよ」

 私は兄と母に背中を押され、逃げる準備をはじめた。

 

 

 それは夜明け前だった。

 空を駆ける無数の白い光がキュストリンの防衛線に向かって飛んでいくのが見えた。

 すぐに母と私は勘づいた。

「きれいだねおねえちゃん」

「ベルタ!早く荷物を持つの!あれは、人を殺す光よ」

 その日、歴史ではベルリンを守る東の防衛戦であるゼーロウ高地を奪取する為に、ソ連軍は交通の要衝であるキュストリンを橋頭堡にする攻撃を開始した。私の家はキュストリンから川を挟んだ郊外、暁の空を染め上げる光の嵐の中を3人で抜け出した。

 

 それから5時間、荷を抱えた私たちは早く歩けないのでゆっくりと行くが、道すがら同じようにキュストリンの方から逃げ出してくる家族と肩を並べ始めて、ゼーロウの街の近くになった頃には、誰に指示されたわけでもなく列となって街に入っていった。

 行く道に行く道を装甲車が行き交い、憲兵も追い返すわけにもいかずにとりあえず人と車道とに分ける作業に徹した。その途中でヘルメットや銃を捨てて逃げてきた兵士を殴っている場面にも会った。

 街に着くと、振り返った人々や街の防衛隊の人々が口を開けて空を見上げていた。

「空が赤黒い…」

 肌寒さを感じる3月の末、キュストリン要塞は包囲され、絶望的な戦闘をしていたと後に知った。

 でも家族3人はとにかく父と合流するまでの宿を求めなければならなかった。

 そこで母の旧友の家を訪ねた。

「マリア…よく無事で!」

 あの街から逃げてきた私たちを、やせ身のソフィアはやさしく迎えてくれた。

 すでに職業軍人だった夫は死に、一人息子も戦死し、彼女は通りに面した三階建ての家に一人きりだった。

 彼女は街で死ぬ覚悟だったが、親友の頼みならと空き部屋を貸してくれた。

 

 私はあの空を走る光と、燃える真っ黒な煙を見てようやく最前線が来たことを自覚した。

 そして、一刻も早く父と合流して脱出しなければならない…。

 けれど、父は約束していたこの家に来ない。

 

 無意に10日と…20日とすぎる。

 私はこの家の本を読み漁った。妹も同じだった。

 これが最後の読書じゃないのだろうか、そう思った。

 家を揺らす装甲車とキャタピラの石畳を擦る音が何日もひっきりなしに続いて、ある日にそれがピタリと止んだ。

 前線の方向から負傷した兵がやってきて、ゼーロウの街の至る所では救護所ができた。

 この家の一階もその一つになって、家主と私たち家族で看護師の手伝いをした。

 

 

 

 その日、母と世話になっている家主のソフィアにも共に逃げるよう説得し続けた。

 妹は健気に包帯運びを手伝い、気がつけば兵士たちから愛されていた。

 もらったレーションのチョコが何よりの証だった。

 私は水を交換する作業の中、比較的軽症の伍長さんに呼び止められた。

「僕は今日にでも部隊に戻る。今までありがとう」

 今年の25になった彼は、私にエーデルワイスの彫られたメダルを手渡してくれた。これは今まで自分を守ってくれた山のお守りなのだと言った。

「だめよ、あなたがもってなくちゃ」

「いい!どうか僕の好意を受け取ってほしい。そうしてくれたら、僕は迷わず君のために戦える」

 今思えば好きだと言っていたのでしょう。でも、恥ずかしさに受け取るだけで、出ていった彼に何も言えなかった。

 

「モニカ、ベルタそしてソフィア…明日の朝にここを出ましょう」

 夜のランプの前で、母は唇を噛み締めながら息を吸った。

 私はまっすぐ母の目を見た。

「お母さん…お父さんは」

「きっとあの人もわかってくれるわ。さっき出ていった兵士さんたちが明後日ぐらいにボルシェヴィキが来るって言っていたわ。私たちの足を考えたら、戦闘が始まる前に出ないと人混みの中で砲弾の嵐に殺されてしまうわ」

 それとキュストリンでの戦いはとうの前に終わって、負傷した兵士たちはキュストリンの救出に失敗した人々だった。ゼーロウも大きな戦車が並んでいるが、いつまで持つかわからなかった。

 なんとなく察していた。でも、誰も口にできなかった。

 だから、とにかく逃げることに必死になった。それしかできないからだ。

 

 それから妹の荷物をまとめていると、あるものが出てきた。

「ベルタ…これ」

 それはハンスがヒトラーユーゲントの代表団の一員として日本に行った時、記念に受け取った刀だった。

 兄は日本人を見下していたのか、単なる鉛筆削りのナイフぐらいにしか思わず、机に仕舞っていたのだ。

「あのね、きっとウサギとか捕まえて食べなきゃいけないでしょ?お肉を捌くために必要になるよ」

「お母さんに埋めなさいって言われたでしょ!」

「…ごめんなさい」

 キュストリンにいたとき、ある話が同級生の間にあった。

 敵の兵士に無理やり手籠にされる話だ。

「ベルタ、これはあなたじゃ危ないから預かるよ」

 ベルタくらい小さい子ならやらない。でも、わたしにならそうする。

 もしものときは、やられるまえに自分を終わらせる。

 そうして、刀を肩掛けの雑納の中に仕舞い込んだ。

 

 でも、その判断が運命の4月16日からを生き残るきっかけになるとは、あの夜の私は思ってもいなかった。

 

 

 

後編につづく

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