散歩しがてら、篠子がお気に入りだという洋食屋へと向かった。
夜六時を回って日も落ち着いてきたが、外の暑さは相変わらずだった。
「歩いて十分だから少し我慢してね」
「いいよーっ」
お店は町屋の土地を利用した真新しい外見で、木製の看板に『
「さぁ入って入って」
店内は落ち着いた色合いで、店の中央には箱庭が設られている。
篠子はキッチンのあるカウンターに顔を出すと、彼女の前に不満げな顔を浮かべた赤髪にポニーテールの店員が立った。
「あのさ篠子、なるべく予約取ってって言ったわよね?」
「あれ、そうだったっけ? いつでもウェルカムな親しみやすいお店がコンセプトじゃなかったの?」
「もう! こっちは舌の肥えたアンタに手抜きができないの知ってるでしょ! こんな急に来られたら出来合いのものしかできないんだから! さぁ席に案内するわ」
結芽に気がつくと、顔をまじまじと見た。
「
誰と勘違いされているか気づくと、満遍の笑みを浮かべた。
「私は結芽ですよ、おねぇさん」
その事実に気がつくなり結芽を彼女は抱き寄せた。
「結芽ちゃんなんだ! こんなに大きくなったんだ……!」
離れるとまじまじと結芽の顔を見た。
「私は
「ちょっと……急にホールに出てどうしたの?あ......」
お団子ヘアに前髪をセンター分けにした、大人しげな美しい女性が目を潤わせて、結芽の手をとった。
「結芽ちゃんだよね」
「うん、そうですよ……わっ」
そうして彼女も結芽を抱きしめた。
「元気になって本当によかった。結花そっくりだね……」
「ありがとう。おねぇさんの名前は」
「そっか……うんと小さい時に会って以来だもんね。私は
「えっ! 三人姉妹なの!」
「正確には四人かな、私が一番最後の四人目。だから四の子で篠子ってわけなの。今は結婚して青子屋姓だけどね」
ホールで客から呼ばれる声がすると、二奈は元気に返事をした。
「ごめん、仕事中だから戻らなきゃ、でも結芽ちゃん、今日は久しぶりにあれを食べていってね!」
結芽はなんのことかわからなかったが、三來の案内で箱庭のよく見える席に案内された。
「予約専用席だよ! 二奈が私だと取らせてくれないから、結芽ちゃんを連れてきて大正解! やりぃ!」
「篠子さん大人気ない」
「いいのいいの、こう言う時くらいは。それと今日は私の奢りだから、でも二人のことだからたぶんコース料理確定かな。結芽ちゃんが小さい頃まで、よく結花と大樹くんに出してた料理かも」
「パパとママに」
今までにないほどに、愛おしげにこちらを見る篠子の目に少したじろいだ。
「そう、あなたのママ結花とパパの
「うん、そこが好きなところ」
「私も。でも私が結花を大阪に連れ回したの、気の済むまでね。それから、綾小路に古文学科生として転校してきて、それからずぅーとの付き合い」
料理が来たが、気合の入った盛り付けの料理は一流料理店に匹敵するものだった。どうみてもこの店の毛色に合わない料理が続く。
「このお店、新しいけれど、前からあったの?」
「ええと、二奈と三來はね、三年前まで小さな洋食屋さんをやってたの。そこから、今のこの土地のオーナーさんに気に入られて、こうして新店舗を作ったの。腕は一流店で修行してきたから、◯シュランに目をつけられる前に来られてよかったね!」
だが、一転してメインは洋食屋スタイルのシンプルなチーズカツレツが出てきた。皿も少し古めである。
特製ソースを絡めて一口食べると、結芽はふと懐かしさを感じた。
「この味、なんでだろう……知ってる」
そしてデザートにいちごクリームのマリトッツォが出てきた。
生地はしっとりめ、クリームはほどよく酸味を抑えたいちごの香りが、小さく加えられた果肉のジューシーさを際立たせた。
頬を涙が伝った。
「……ママにまた作ってって言って、またいつかって、いつも言われてた。これがなんて名前だったか知らなかったけど、いちごのクリームだったのは覚えてた……! これだったんだ」
「よかった。二奈と三來の自信作、覚えててくれたんだ」
すると、柱の影から小さく涙を堪える声が聞こえた。
「おやおや〜」
篠子はすぐに泣き腫らす二奈を引っ張り込んできた。
「相変わらず涙脆いんだから」
「うっさいわね篠子。でも、よかった」
まだ泣きが治らないと見て、篠子はこのマリトッツォが結花の好物だったと伝えた。
「ママの?」
「そう、結花がイタリアで食べたのが忘れられなくて、料理の勉強をしてた二奈と三來にリクエストしたの。でも、あの頃はマリトッツォをどんなふうなものか知らなくってさ。結局はシュークリームを出された時に、結花さえもマリトッツォがなんだったかわからなくなるくらい試作品を食べたわ。そして、本当の作り方を知って完成したのがあなたの生まれた年だったの」
「ぐすっ、専門学校出てから修行中にパンに大量のクリームを挟んだだけの料理と知って絶望したわ! だから、結花が忘れられないくらいの新しいマリトッツォ作ってやるんだって……でも結芽ちゃんが忘れられない味にできて本当によかったって今は本当に嬉しいわ」
「二奈さん! また食べに来るよ! 大事なひとたちと」
結芽は嬉しかった。
自分を大切にしてくれた人たちがまだいてくれて、どんなに時が経っても暖かく自分を迎えてくれた。それも、とびきり大好きだった思い出の味と一緒にである。
また一つ、彼女は大事な居場所を知ることができた。
◇
今日の補習は早く終わった。
というのも教員たちの会議の都合で、すでに補習予定でも告知されていたことだった。
「どうしよっかなぁ」
ふと、帰り道に立つ雑貨屋に麦わら帽が売っているのを見つけた。
「着替えて散歩してみよっかな」
この季節、炎天下の京都を歩くのはあまり良いことではない。だが、ついつい暑さの中に虚ろ虚ろと足を踏み出してしまう。
この町はそういう他とは違う夏を感じさせる。
薄手の上下に、念入りに日焼け止めを塗り、買ったばかりの麦わら帽を被ると、鴨川沿いの地下鉄の駅へと向かった。
「ふぁー」
地下のホームに入ると、観光客の合間に御刀を佩く長身の刀使が暑そうに扇子で胸元に風を送っている。
「あれれ? 美弥ちゃんじゃない?」
目を瞬かせる彼女に、少し麦わら帽をあげた。
「ああ! おひさしぶり燕さん!」
「結芽でいいって、美弥ちゃんはこれから鞍馬校舎の寮へ?」
「そうです。本校舎で戦術研究会があったので、その帰り」
サイドテールは変わらないが、すっかり年長者なのか幾分も大人びて見えた。
「ん? その制服さ」
シャツにスカートとループタイだけのスタイルだが、綾小路が大学生刀使向けに制定した詰襟型の制服のものだと気がついた。
「ええ、今年から京大生です。教育学部一年生」
「すごいっ! 綾小路で現役で京大に入れる子は一握りだって話だよ! やるじゃん美弥ちゃん」
「ありがとう」
結芽は何か思いついて、これから時間はあるか尋ねた。
「うん、どこか行く?」
「いいところある?」
「あまりないかな、じゃあ乗り換えの駅で少し涼んでから夕方に鴨川デルタに行く?」
「いいよ!」
京阪本線で一駅のところに出町柳駅がある。
叡山鉄道との乗り換え駅で、観光客だけでなく綾小路の生徒の普段の足でもある。この駅の敷地内に全国チェーンのファストフード店が入っている。
そうしてとりとめもない話をしながら、時々のんびりと外を見たりして、ゆったりと時間は過ぎていく。
気がつけば日は落ち始めていた。
まだ外は暑いが、川辺は涼しげだろうと二人は店を出た。
鴨川デルタには地元の人間も、観光客も、鳥たちも、大学生も思い思いの時間を過ごしている。少し、曇り空が出ていて幾分か涼しく感じられた。
「私ね、秋に御刀を返上するの」
美弥と結芽は飛び石を一つずつ飛び越えながら、ときどき大きく広がる京都の空を見上げた。
「うん、私は来年の春。入試の結果がどうあっても刀使を辞めることには変わりないから。でも、美弥はどうして刀使を続けたの?」
「二つあるかな。綾小路の刀使が減ったの知っているでしょ? どうしても後輩を指導できる刀使が少なかったから、責任感で続けたのと……歩ちゃんがまだ特務警備隊で頑張ってるから、もう少し一緒に刀使でいたいって思ったの」
振り返った美弥は首を傾げた。
「わたし、結芽ちゃんが歩ちゃんを中央に引っ張ったの、ちょっと恨んでたんだよ?」
「知っていたよ。でも、綾小路の生徒会長を引っ張り込む度胸は、私にはなかったかな……それは歩ちゃんの願いだったし」
少し早く石を渡って、美弥の背中に取りついた。
「わっ、もう」
「ふふふ!」
「でも、三人とも綾小路で出会えてよかった。結芽ちゃんはちょっと特殊だったけれど」
「ありがと! 生意気ばかりの私に声かけてくれて、嬉しかったんだよ?」
「こっちこそありがとう」
結芽は川の真ん中で空を再び見上げた。
「変わっていくって、ほんのちょっと怖い。ワクワクもあるのに、今までの自分とお別れするのが」
「そう? 私はそう思わなかったかな」
隣の美弥は河原に腰を下ろした。
結芽も座ると、川の流れに乗って、かすかに風が髪を撫でる。
「今までのことって、いつもいっしょにあるような気がするんだ。ある人には宿命だっていう人もいるし、また違う人は大事人と話す思い出だったりする。このだって、新しい使い手からしたら重荷や責任に感じる歴史って、本当は誰かからの心の底からの思いやりで繋がれている。私が気づけたなら、次の使い手の子もきっと思いを理解してくれる日が来る。続いてるんだよ、節目があるだけで、私たちに終わりはないんだよ……」
「それは、きっといいことなのかな」
「なってほしいって、ずっと刀使を続けてきたから、学校の先生になろうって決意できたもの、結芽ちゃんはどう?」
「うん、大丈夫。きっとどんなに悪いことが起きても、いいことに変えていきたいから」
立ち上がると、川を渡り切って土手の上から鴨川デルタの景色を眺めた。
「今日は美弥に会えてよかった」
「またいつでも連絡して、なるべく会えるようにする」
「先生になる勉強、頑張ってね」
「うん、結芽ちゃんも美容師になるための勉強がんばってね。応援しているよ」
日もすっかり落ちて菊屋寮に戻ってくると、端末に警報が鳴り、反射的に制服に着替えていた。
(……後輩の子たちに任せるって言ったのに、わたし)
だが、おそらく出撃しているのは、共に補習を受けていた子たちと、まだ未熟な中等部初年の刀使たちである。それほどに綾小路の戦力は落ちている。
美弥は大学での疲れを圧して任務に出ていると気がついていた。
結芽はすぐに端末で電話をかけた。
「応援にでるよ。うん、休暇期間じゃないかって? 関係ないよ、それにたまには後輩のみんなに私がすごいところ、目に焼き付けたいじゃない? じゃ、また後で」
にっかり青江と和泉守兼定を佩き、颯爽と寮の庭に躍り出た。
「やっぱり、こんな私が好きなんだなぁ……」
兼定を抜くと、八幡力で屋根を飛び駆けていった。
◇
「それで?」
「荒魂の巣の討伐タイム更新、八分二十秒! 前よりも三十秒早くなった。もちろん、討伐後には後輩ちゃんたちに有効部位や荒魂の行動の授業をしてね」
「結芽さんに教えてもらえるなら、きっとその子たちはずっと強くなれるよ」
「ふふーん! 褒めてくれてありがと、ともくん」
二人浴衣を着て、人混みの中で加茂大橋から東に見える大の字の送り火を見上げた。
少しの蒸し暑さと、心地よい時間の流れと、そして大切な人といられることが結芽には何よりも幸せだった。もしかしたら、あの時と同じようにまた失うかもしれない。
「わたし、生きてるよね」
彼は震える手をぎゅっと握りしめた。
「僕は何度だって君とこの景色が見たいよ。ずっと君と生きていたい」
「……なんか、恥ずかしいセリフ……でも、好きだよ」
京都の盆は終わろうとしている。
暦は秋になるけれど、暑さはもう少し続く。
見える世界はほんの少し歪で、でも眩しいくらい綺麗だったりする。
私はそんな毎日の、一生のほんのささやかなこの時間を一生忘れない。
ちょっと大変なことも起こるけれど、今も不思議と不安はない。
私は生きているよ。
それを教えてくれるみんなと一緒に。
了……