死ななかったことを偶然という
生き返ったことを奇跡という
自分の引いた運命の手綱が宿業という名のリスクを手繰り寄せる。
そして結芽に再び、薄闇の幻影が追ってくる。
人はそれを時に告げゆく人と呼び
また、時に迎えの馬車を引く死神とも呼ぶ。
今、彼女の目の前にいるのはどっち?
其ノ十七『
彼女の前に、彼女が現れる。
◇
その日、特剣博での研究会のために出張できないミルヤの代わりに、詩織とともに美濃関へと先に赴いていた。
関ヶ原古戦場に出現する荒魂に関しての案件だが、ここ二日は現場と討伐にあたる刀使からの証言を集める作業だった。
一日を聴取で終えると空は真っ暗になっていた。
「結芽先輩、わたし今日は実家で泊まるのでここで! でも、本当にウチに来ないのですか? お姉ちゃんもきっと歓迎しますよ」
「うん、ありがとう! でも、今日は早く寝たいかな……ここ最近、眠りが浅くってさ。今日は限界っぽいの。ごめんね」
「そうですか、また誘いますからその時にでも。今日はゆっくり休んでくださいね!」
「ありがとう、舞衣さんによろしくね!」
黒のセダンが詩織を迎え、車は関の街中へと去っていった。
玄関で車を見送ると、美濃関の刀使寮へと向かった。
腕を大きく天へと伸ばした。
「うーんっ!……今日は疲れた。そういえばずーっと働き詰めだったなぁ、コヒメちゃんのことも息抜きというよりは護衛だったから、一人でピリピリしてたし」
食事と風呂を済ませ、個室に戻ってくるとSwitchを取り出して進んでいなかったゲームのシナリオを進める。
そうして一時間、ベットに寝転がりながら過ごしていると……
キィインッ……
という、金属音が部屋に響いた。
驚いた彼女は、しばしゲームのモニターから注意が逸れた。
「なんで?」
その金属音の正体を彼女は知っていた。
それは、相楽結月と青子屋篠子から繰り返し気をつけるべきだと聞かされていたことだった。
セーブしてすぐに起き上がると、ベット脇の壁にかけられた刀掛けに目がいった。
そこには、目釘が落ちたにっかり青江が、わずかに茎を覗かせるように柄が外れていた。熊を模した鍔が小さく震えている。
「そんな、さっき鍔鳴りがないか確認したばっかなのに……それに目釘だって三日前に交換したばかりなのに」
御刀を手に取ると、鞘を払って柄を差し直し、今度は落ちないようにと目釘を柄にしっかりと押し込んだ。
そして、三度ほど手首を叩いて鍔鳴りの具合を見た。
(どうなんだろう? 全く異常が見られない。でも、陽菜さんならわかるかもしれない)
鞘に戻して刀掛けに掛けると、結芽はふたたびベットに横になった。
ゲーム機の電源は落ちていた。
「もう寝よ……」
夜九時半、少し早い時間帯だが結芽はあっという間に眠りに落ちた。
◇
気がつくと特務警備隊の制服のまま鎌倉の街で買い物をしていた。
体は今のままだが、目の前には昔の真希や寿々花、夜見の姿があった。
「こんなのどうかな、きっと真希お姉さんに似合うよ!」
そうして寿々花と二人して真希にひっかえとっかえで可愛い服を着てもらった。スタイルが良いので、どれも引き締まった着こなしで似合う。
「えー、でも真希お姉さんはやっぱり制服が一番似合うよ」
「そうかもね。結芽」
違う、言っていない。
まるで腹話術で喋る口動かない私がいるような、奇妙な感覚が襲った。
そして、その声がどこからしたのか気がついた。
夢の中だというのに、世界は曖昧ということをはっきりと自覚し、振り返った先の薄灰色の世界の中に、桜色に輝く人影が見えた。
「ふぅん私がわかるんだ。わ・た・し」
「わたし……? 確かに私だ……いくつの私? 十三? それとも十四? 今は鏡を見てるわけでもない、でも今は夢を見ているはず……まって、なんでこれが夢だってわかるの?」
「わたしさ、誰に向かって話してるの? 夢の中だって、真希おねーさんや寿々花おねーさんははっきりと答えてくれる。それってさ、結芽の中と外に他人がいるからじゃない? だから、おねーさんな私に聞くよ。私はわたしだし、わたしじゃない私だよ。十二のわたしだよ、おねーさんな私」
これは自問自答ではない、目の前の相手が自分なら何を思うのか、何をしだすのか、何を求めるのか、ぼんやりとわかるはずだ。
そして、必ず辿り着くべきオチというものがある。
だが、わからない。状況も、自分の覚醒した意識も、目の前の幼い自分も、何もかもが飲み込めなかった。
「わたしが今、どうしたいかわかる?」
結芽は自然と首を横に振っていた。
「んー? わたしでしょ、わかるはずだよ」
目を瞬かせる彼女に、幼い彼女は笑顔で首を傾げながら見上げるように視線を向けた。
「時間切れ! わたしはね、少し大人な私がどれだけ強いか知りたいの。強かったら、わたしは満足して帰れる! でも、弱かったら」
「弱かったら……私が負けた……ら?」
「私と同じように大荒魂になってもらうから」
髪の合間から赤黒い瞳がジロリと結芽を見て、そこから突き出すように赤黒い二本角が生えた全身を赤く見える写シが覆う。
御刀もにっかり青江ではない。身丈に合わないその長尺の太刀に結芽は見覚えがあった。
「南无薬師景光……」
「さぁ、御刀を抜いてよ。わたしをさ、祓ってみてよ」
彼女の直感がこう叫んでいた。
自分を相手にするほど油断ならないことはないと、自分という相手がどれだけ未知数かをよく知っている。それは実力ではなく、力の扱い方が問題なのだ。
昨日より今日、今日より明日と、自分を磨く人間にはピークとダウンが常に隣り合う。そして、結芽は自分自身に最も重大な課題を持っていた。
「わかった。そういうなら、私はわたしに勝つ」
兼定とにっかり青江を抜き払い、二刀を構えた。
師である折神紫から皆伝を受けた二天一流の剣である。
「いいね、いいね! どれだけ紫様に近いか、試してあげる」
鬼なる結芽の迅移が走り、死角からの斬撃が繰り返し打ち込まれる。
だから、結芽は落ち着いていた。
呼吸を乱さぬ丁寧な足取り、必要異常の受け身は必要ない。
必要なのは自身の呼吸の中に相手を取り込む、それが二天の剣。
「すごいっ! 本当に紫様みたい! 龍眼もなしなんて!」
だが、鬼なる結芽の剣には重たさがなかった。
まるでそういう行動をすると見透かすような剣筋である。
「驚いちゃった。ちょっとだけ」
次の瞬間、刃筋がまったく通らなくなり、ことごとく斬撃が通らなくなった。
避けていない。しかし、避けている。
「なんで!?」
「なんででしょう?」
無茶苦茶である。剣筋、刀使の能力、呼吸、全てが完璧なのに、それらの行動全てが一つの目的以外を廃するように、その目的を実現する以外の行動をしない。だが、その目的のために大きなものが投げ出されている。
(まるで昔の私じゃん!昔の私……?)
そして、結芽の動揺が物打ちの揺らぎになった途端に、鬼なる結芽は縦横無尽に二天の近間で攻撃をはじめた。
(紫様は必ず、私に対して近間からの初太刀を避けた。当然だ、近間に入った私は斬られる自分を想像しないっ!)
死の同居するその薄寒さが背中を撫でた。
そして、その胸に三度の突きと大ぶりの薙ぎ切りを受けて写シが消し飛んだ。
「強いね、おねーさんな私。本当に紫様みたい。でも、わたしの相手じゃないね」
兼定が転び、投げ出された体はその敗北と恐怖の感覚に激しく呼吸を繰り返した。
「私は……もうあの頃みたいに強くはない……の?」
鬼なる結芽は、不気味に見えるいつもの笑みを絶やさなかった。
「これじゃ足りないなぁ、おねーさんは私より強くなってるはずでしょ? なら、強くなったタイミングでまた戦おうよ!」
「でも、私はあなたが、わたしが怖い……勝てない……」
「大荒魂の私はみんなが心の底から絶望する存在になる。誰にも忘れられない! 誰も気遣う必要のない! 無敵な私になるおねーさんの私は、わたしよりも強くなるから、絶対に」
頭上で立つ鬼なる結芽は『呪い』を口ずさんだ。
「神様になれる呪い。それがわたしと私の運命。まずはそこからだよ.無敵への道は」
キィイイイイイイインッ……!
真っ暗な部屋でだった。
だが、両手には刀を握っていた感覚が残っていた。
「私、負けたんだ」
もう何度負けたか知らない。
確かに自分は強いけれど、いつも勝てるわけじゃない。
完敗はなくても驕りはある、油断もある、全力だからこそ一縷の隙を掴まれることもある。
けれども、自分に勝てないのが悔しかった。
そして、自分のことについて、何も知らないのだと気づいた。
「呪い……神になる呪い……」
起きた結芽は一杯の水を飲みながら、窓のカーテンを開けた。
空は青白く、まだ日は登っていない。
振り向くと、足元にまた目釘が落ちているのに気がついた。
「にっかり青江、あなたは何を言いたいの、生きてる私に」
目釘の落ちた柄はわずかに刀身から離れ、鍔が小さく震えていた。
『悪夢/菫青幻視:一』
了……