昨夜の雪も止んで、降り残しを抱えた雲は流れて、わずかに散った雲が頭上を過ぎていく。少しでも顔を動かすと身に寒さが走る。
予報では夕方を過ぎるとまた雪が一面を覆うという。あまり車から距離をとりたくないが、手袋をした手に温められたスペクトラム計端末の指し示す場所が、否応なしに車から離れろと告げていた。
清々しいまでの銀景色の中を顔を出す目印に沿い、山に向かって歩いていく。
着込んだ防寒着と、鞘から抜かれた御刀、そして非常用の道具を入れたリュックが彼女たちの足を重くした。
「葉菜参謀。結芽先輩。荒魂の捜索は雪解けしてからでもいいんじゃないですか?」
詩織の質問に、マフラーの中から元気なく無理という言葉が出てきた。
「しゃべりずらいね」
防寒トークから口を出すと、目元の切り立った顔の美しい鈴本葉菜が、後ろを車太刀を背負って歩く詩織を意識しながら口を開いた。
「これから討伐しにいく荒魂は雪のない季節は常に移動し続ける。ゆえに冬の期間しかその行動を止めることはないんだ。まるで冬眠するようにね」
前日のホテルで話された内容を反芻しながら、しかし、その話とは裏腹に動く白い輝きを見たという証言は、冬眠とは正反対の行動に思えた。
「いま、詩織くんが思っている通り、僕の推測と実際の目撃談は一致しない。だけれどね、もう一つの矛盾を覚えているかな」
「ええと……スペクトラム計に反応しないことですか?」
「そう! スペクトラム計は荒魂ではないと言っている。それが本当なら……」
最先頭を歩いていた結芽が立ち止まった。
「いる。こっちを見てる」
その姿は両耳が天を向き、鼻と口は長細く伸び、目元の琥珀色の目がその白く燃えたつ毛並みの中から彼女たちを、じっ……と見つめる。
「ニホンオオカミは絶滅してないことになる」
葉菜は頬を高く上げながら、静寂の銀世界の中で静かに銃口を向けた。
◇
年明けの第三週。
結芽はやはり機嫌が悪かった。
それも当然である。
結芽に関するとある重大事件で、その発端と言うべき行動をした人間が目の前にいる。
前は彼女の信条に共感はせずとも、彼女の心に敬意を抱いていた。
だが、今は刀使一人を救うために、手段を問わない狡猾な人物と気づいた。
いち早く結芽の呪いの正体に気づいていながら、それを黙って利用したのだから、結芽からの評価は一気に落ちていた。
「そういう顔をしないでおくれよ。僕が悪かった。そう謝ったじゃないか」
鈴本葉菜は防寒コートを脱ぎ、電気ヒーターの前に両手をかざした。
「葉菜さんは刀使には優しいもの、私にしたことを心の底から反省してくれる。その上で別の方法を試す。そこが気に入らないって……言ったよね」
調査隊室は凍りついていた。
ミルヤの許可があるとはいえ、葉菜は副隊長の結芽にことわりなく調査隊の任務を決定したのである。
「気にしないでくれ、今回だって急とはいえ、君たちの案件と思えばこそ、それに火急の案件であることも確かだ。それに、君もそろそろ引退の時期に向けて引き継ぎをしていくべきだ。この間の受験、合格おめでとう」
詩織と未久もうすうす葉菜の不気味さに気づき出していたが、それは結芽とミルヤの二人がいたからこそであり、それまでの評価は彼女はこれからの刀使組織に必要なリーダーと思っていた。そして、それは葉菜を慕う多くの刀使の心棒であるのだから。
「どういたしまして、でもミルヤさんのいない間は調査隊の指揮は私がとります。それはあなたも傘下に入ると心得てください」
「ああ構わないよ。僕は君の実力を誰よりも信じているから」
〔心にもないこと……でもないのかぁ……)
そうして、ミルヤのいない調査隊は冬の北海道へと向かった。
◇
特祭隊に実験用に五丁貸与された89式自動小銃にサプレッサーが取り付けられ、エレベーションのスコープを回して六倍率に切り替えた。
「あのさ、葉菜さん。それは使わないでって言ったよね?」
「静かに、ハンターの証言通りなら、あれはまぼろしのはずだ」
一発の籠った銃声が雪原を木霊となって、木々の合間に消えた。
「え」
未久は思わず声が出た。狼の姿は着弾と同時に蜃気楼のように消え去ったのである。
だが、その場所から銃声と同じくらいの声量の遠吠えが発された。
それは山々を縫うように雪原中に響いた。
「満足した葉菜さん?」
「ああ、君はあの遠吠えをなんと聞く?」
「敵は来た、でしょ」
結芽は兼定を肩に担いだまま、雪の道を歩き出した。
「目的地に急ごう。スペクトラム計の示すその場所に」
◇
現在の四人での調査隊は一年を越している。この時間の間にさまざまなことが起こった。
毎日が隙もないほどに何かがあった。
ゆえに詩織と未久は結芽が荒魂がいることを確信していると、肌で感じ取っていた。
森に入ると、自然と二人は周囲を警戒していた。
「なるほど、ミルヤさんと君の薫陶のおかげで、二人はすっかり精鋭だ」
「ミルヤさんはおいそれと手放しませんよ」
「なら君の後ろ髪も引くのだろう?」
「私は戦い過ぎたんですよ。葉菜さん」
葉菜も周囲を見ていると、いくつもの白いものが走っていくのが見えた。
「いいや、僕にはわかる。君はまだ戦える。十年だって、二十年だって、そう紫様のように」
森は小高い丘を中心に構成され、その丘の上に登ってくると、微かな荒魂の反応が彼女たちの場所から来ていた。
だが、その反応の主は影も形もない。
「結芽先輩。周囲にいます」
「うん、いくつかな」
「ざっと二十五ほど」
結芽ははにかんで見せた。
「明眼の扱いもすっかり慣れたね詩織ちゃん」
「半径二百メートルまでです。向こうは付かず離れずの間合いを保ってます」
「いい状況観察だね。幻の狼……幻浪はどう攻撃してくる?」
「動き! 止まります!」
四人のいる丘を囲い込むように、木陰から幻狼たちが身を屈ませている。
静寂が途切れのない緊張を走らせる。
「未久ちゃん!」
飛び込んできた狼の一方に向かって、迅移によって加速した次郎太刀を振り落とした。
衝撃波が五匹を盛大に吹き飛ばし、雪の粉塵に紛れて結芽と葉菜が左右に散った。
元の位置に残っているのは詩織一人である。
先行して飛び込んできた幻狼の一撃を払った、たしかに物理的な衝撃がある。
(木の間隔は五メートルぐらい。いける!)
さらに七匹が飛び込んだが、彼らはお互いに正面衝突して地面を転がった。
その後ろに続いていた幻狼が飛び上がる詩織に気付き、着地した木に向かって飛び込んだ。
だが『八艘』を発動する詩織は木々の枝をあっという間にのぼり、狼が失速した瞬間を狙って枝を蹴って加速しながら切り伏せた。
(結芽先輩の教えの通り、着地と同時に迅移で足の位置を入れ替えて、八幡力をわずかに発動して迅移を加速! 物打ちが接触する瞬間に八幡力で二の太刀を加速!)
高速の着地と同時に朦朧とする狼たちに飛び込んで、二匹を続けざまに斬った。
「しおりん、やるね!」
未久は狭い木々の合間の中、木々を利用して立体的に飛び込んでくる狼の間合いの外から、突きと払いを組み合わせながら五匹をなぎ伏せ、狼たちは間合いに飛び込んで来られない。そのまま後ろに下がると、すでに七体を倒した詩織と背中合わせになり、互いの死角を守る体制に入った。
狼たちは再び二人を包囲した。
「できた、ミルヤさんと結芽さんが作った曲輪の陣!」
結芽は笑顔を浮かべた。
「にひっ!」
前後から飛び込んできた葉菜と結芽が狼たちを散々に切り伏せていく。
だが、葉菜は違和感を感じた。それは結芽も同様だった。
「なぜ消えないんだ?」
袈裟斬りで反撃してきた狼を斬ると、地面に転がった狼の胴体を見た。
「なるほど、からくりが読めた」
やがて狼たちは応戦をやめて、撤退し始めた。
「奴らは自分たちの親玉のところに行く気だ!」
「詩織ちゃん! 未久ちゃん! 追撃お願い!」
二人は結芽の言葉を聞いて、丘を駆け降りていく幻狼たちを追った。
「わかりました!」
「おまかせを!」
葉菜は丘の頂上に戻ってくると、結芽と目を合わせて笑顔になった。
「やっぱり同じ考えに至ったみたいだね」
「不本意ですけど」
「そう邪険にしないでくれ、二人を囮にする判断は賞賛に値する。ぜひ僕と組んで特祭隊を変えないかい? 君なら刀使を縛る全てから人々を救う旗手になれる」
「その気はないって言ったよね。あと今は任務第一」
葉菜は残念そうに小さく笑った。
「まじめだね。すっかり……」
葉菜は村田刀の切先を地面に返すと、それで二度地面を叩いた。
そう、叩いたのである。
すると、未久と詩織が追っていた幻狼たちは全力で二人に向かって飛び込んできた。
「ビンゴだね。さぁ、バラそうか」
「はいはぁーい……」
互いに数メーター中心から離れると、向かい合うように切先を振り上げた。
葉菜が村田刀を、結芽が兼定とニッカリ青江を振り落とすと、地面がその衝撃波で顕になり、体長十メーターあろう狼型の荒魂が半身を吹き飛ばされて雪原にノロが飛び散った。
それと呼応するように幻狼たちは弾けるように、白い霧となって姿が消し飛んだ。
詩織と未久は目を瞬かせながら、丘の上に立つ二人のベテラン刀使を見上げた。
◇
温泉旅館の一室、湯上がりにお茶を飲みながら、葉菜は詩織と未久と向き合っていた。
「狼の生体模写をした荒魂が、自分の家族を擬似的に作って、擬似的に作ったテリトリーと力の半減した自身を守っていたのさ。でも、荒魂はどこまでいっても個、群として完全に統制するには、自身そのものにしなければならない。それは、人間に対して有効な反面、自分たちが個性をもって交われないことの証左にもなる。それを克服するには、タギツヒメクラスにならなければ不可能。では、あの狼型はそれでどうしたのかな?」
未久に視線を送って、回答を促した。
「自分の分身を作って家族らしきものを作った」
「正解。カッパみたいなのは人為的な産物と異なって、狼型はタギツヒメに至る荒魂の思考を解明する良い例となったのさ。レベルの低い荒魂は別個体の荒魂とは協働できない。強大な存在の影響なしには協力できない」
「どうして荒魂は命あるものを真似たがるのでしょうね」
詩織のその質問に、もしかしたらと言葉を繋げた。
「ノロから荒魂にはなれるけど、その先に進化して生み出したかったのかもね。珠鋼のように新しいものを、育めるものをね」
夜も深まり、結芽はロビー近くの自販機に来るとビールを片手に、外の雪のしんしんと降る暗闇を見つめる葉菜を見つけた。
「おや……奇遇だね」
ジュースを買って結芽は隣に立った。
「どうだい、今は」
「おかげさまで、悪夢の頻度は減りました。あなたのせいで決着をつけましたから」
しばし、静寂が二人の間を包んだ。
「僕は……おかしくなったかい?」
どういうことかと、黙って目を見た。
「由依みたいに、タギツヒメと共存をしているつもりなんだが、最近はタギツヒメが僕の願いを全力で支えてくるんだ。苛烈な方法でね。すでに由衣と僕のうちにいるタギツヒメの性格は変わっている。いつか言っただろう? 僕は君に倒されるべき存在だって、でも君がそうしないなら僕は刀使を守るために戦い続けるだろう。たとえ、世界を敵に回しても……!」
はじめてみた。
泣き縋るようなこの人の顔を初めて見た。
困った。どうしようか。
「紫様に……こんな提案されたの、数珠丸と狐ヶ崎の継承者になれって。わたしさ、ノロを飲まなくても刀使の適性は薫さん並みにあるみたい。だから、私が必要な時は化け物になって暴れてみせて、その時は私の手で止めてあげる。でも、葉菜さんの理想は否定しない。だから、このまま進み続ける自分に迷わないで、世界だって、なんだって敵に回して見せてよ。そのうちわかるよ、そんなに簡単にいかないって、あの狼がニホンオオカミに憧れのように単純じゃないって」
葉菜はため息をついて、缶に残ったビールを飲み干した。
「できれば僕はヒールのほうが似合うかなと思ったが、無理そうだ。これからも迷惑をかけるだろうから先に言っておくよ。ごめん」
笑顔を見せた結芽はうなづいた。
「絶対にゆるさない……から」
この翌週、結芽は綾小路の修学試験にも合格。
春の卒業が決まった。
了……
10/7
翌週は節目の其ノ二十執筆のため投稿をお休みします。
いつもより少し長めのお話にする予定です。
次回、結芽がついに御前試合に!
対するは美炎と歩、そして清香!
かけがえない友と剣を通して語り合う...そしてその先とは
其ノ二十『切っ先の向こう』
投稿日は10/21...ご期待ください。