燕百奇譚   作:ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号)

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其ノ二十『切先のその先』後編②

 

 

 

 天井がある。その周りをカーテンのレールが走り、天井のなんとも言えない模様が広がっている。

 

 記憶を整理すると、自分は意識を失って眠っていたらしい。

 自分の体に問いかけてみる。いけそうかな、と。

(うん、いけるね)

 ベットを起き上がると、傍には寿々花が座っていた。

 日は高いが、もう準決勝は始まっているかもしれない。

「お目覚めですのね。まずは飲み物を、倒れられてから水分をとっていらっしゃらないですから」

「うん、ありがとう。寿々花おねぇさん」

 コップの水を飲むと、その隙に寿々花は腕時計を見た。

「もう棄権にしちゃった?」

 顔を上げた寿々花は首を横に振った。

「言いに行くタイムリミット前にあなたは起きてしまいました。少し、悩んでいますわ」

「行くよ、私」

 寿々花は手元を見ながら、しばし瞬きをして結芽に向き直った。

「もう大丈夫なのはわかっています。けれど、またあのような真似をされるのが、真希さんや、私がどんなに苦しいか…それを、もう少し考えてください」

「ごめんなさい。でもやっぱり行きたいの、これは誰かに覚えていてもらうためじゃ無い、パパとママに私の最後の姿を伝えてほしいからじゃ無いの」

「結芽さん、今あなたは何故、御前試合に出たいのですか?」

「寿々花さん、私は、どこまで行けるのか自分を試したいの。沙耶香ちゃんには、みんなみたいに一喜一憂したいって言ったの。それは今も変わらない。でも、今日の試合でわかったの、今の自分が本当に強いとは限らない。でも、少しずつ違う戦いを体験して、まだ成長できるんじゃないかなって思ったの。これからは、高学年としてみんなを引っ張らくちゃいけないから、私のわがままはこれっきり」

「嘘…おっしゃい」

「にひひ!大丈夫!親衛隊で一番強いのは結芽だよ!御前試合の優勝は決まっているんだから!」

 寿々花は結芽の笑顔にため息をつきながら、膝に置いていたニッカリ青江を結芽に差し出した。

「よく知ってます。でも、くれぐれも無理はしないようにお願いします」

「はーい!ダメそうなら…大人しく負けるつもりだから」

 靴を履いて、ベットを出ると、医務室に審判員の刀使がきていた。

「あのう…棄権されるかどうか…」

「しないよ、準決勝出るよ」

 

 

 

 審判員について会場に戻ってくると、姫和の前に並ぶ美炎と清香の真ん中に割り込んで立った。

「結芽ちゃん…大丈夫なの?」

「大丈夫だよ、清香おねぇさん!」

 朗らかな笑顔を見て、安心して美炎は笑顔になった。

「戻ってきたからには、負けても文句はなしだよ」

「もちろん!美炎おねぇさんもせいぜい頑張ることだね」

「ふふ…ふふふ」

「にひ…にひひ」

「二人とも怖いって…」

 静かにとの姫和の号令がかかると、姫和は三本の棒が入った箱を三人の前に出した。

「一人は決勝へ、もう二人はもう一枠をかけて立ち合いをしてもらう。では、各々順番を決めて引いてくれ」

 自然とじゃんけんで順番を決めた。

 一番は美炎、二番は結芽、三番目は清香だった。

 美炎が迷わず左端を取ると、先が赤く塗られた棒が出てきた。続いて結芽も赤に塗られた棒が出てきた。

「ということは…清香が」

 清香が引いた棒は緑に塗られていた。

「へぇー!こうなるんだ!」

「もう燕さんと当たるんだ…!」

 二人の間をすでに張り詰めた空気が周囲を包んでいた。

 そんな三人を意に介することなく、マイクをもった姫和は声を張った。

「くじの結果により、六角清香は御前試合進出!これより、御前試合最後の一枠を選出するために、燕結芽と安桜美炎による準決勝を行う!試合はこれより五分後!双方が所定の線に立った時点で待ったなしとする!」

 

 

 準決勝。

 

 みんなは、今まで御前試合の予選会に来られただけでも幸運と言うのかもしれない。

 

 でも、出ることが目標じゃなくて、優勝することが目標だった。

 驕りはないけれど、自信はある。

 あとはこの自信に油断が入り込まないよう、念入りに腕を磨くだけ…そう思っていたけれど、そんな簡単な話じゃなかった。それだけじゃダメだった。

 

 中二の年は補欠、中三の年は準決勝で負けてから三位決定戦で三位確定。高一になった年に準決勝で舞衣に敗北、舞衣はそのまま優勝した。

 そして、今年。高等科二年。これ以上、愛宕の血による覚醒リスクを抑えるためにこの御前試合をもって、私は刀使を引退する。

 ふたばが言ってたように、わたしは『ブロンズコレクター』って言われてる。

 予選で舞衣に勝ったけれど、舞衣の対人剣術のスキルよりも対荒魂を重視してか、腕が落ちてるのがすぐにわかった。ここ三年間の可奈美、舞衣に、十条さんに勝つことはできなかった。だからこそ、今までの自分が本物だったって、優勝して証明して見せたい。

 

 私を認めてくれたみんなには申し訳ないけど、やっぱり御前試合の優勝に手が届きそうな場所にいるなら、最後まで諦めたくないんだ。

 なせばなる!なさねばならぬ!何事も…!

 今日のために仕上げてきたんだ。葉菜と伊南さんとの試合で自信がついた。あとは全力を叩き込むだけだ…。

 

「すぅー」

 ゆっくり息を吐きながら、美炎は集中力を上げていく。目を開けると周囲がはっきりと見渡せた。

 そして、目の前に立つ燕結芽へ目を向けた。

(…行ける…結芽なら大丈夫…)

 三年ものつきあいのある寿々花を騙せないのは、わかっていた。激しい連戦に体がついてこないことも理解していた。だが、この体は以前のように死を待つだけの体ではない。体が完全ではないことは、生きるための防衛反応。だからこそ、そのギリギリで勝負をしなければならない。

 覚悟は決まった。

「これより!準決勝をはじめる!双方、礼!」

 二人が頭を下げると、溢れんばかりの拍手が鳴り響く。

 

 会場に急いで入ってきた四人は、気力に満ちた美炎を見て安堵した。

「どうやら、準決勝に間に合ったようですね」

「ええ、ミルヤ。美炎ちゃんなら、きっと勝ち上がってくるって信じてたもの!」

「だけれどよチチエ、相手は燕結芽だぞ。結局は三年連続三位だってありえるぞ?」

「呼吹さんー、そうやって決めつけるのはよくありませんよー。今は安桜さんを信じることです」

「そうよ、つぐみさんの言う通りよ。でも、いつでも呼吹ちゃんの相手になってあげるわ」

「わーったよ!その顔こえーんだよ!ったく、なんのために来たと思ってんだ…」

 相変わらず素直ではない呼吹を脇に、抜刀からの構えの号令がかかった。

 結芽はやや左寄りの平青眼、対して美炎は得意の大きく沈み込むような隠剣の構えで対した。

 

(最強を目の前にしてるのに、不思議と不安はない)

(お互い、すごいところを知ってるからこそ全力をぶつける以外に手がない)

 

「はじめっ!」

 迅移。

 発動の一瞬、相手の動きが読みづらくなる。

 しかし、腕のない刀使ならその動きは単調になるために読むのは難しくない。ではその逆はどうか?

 パチィッ!

 物打ちが触れて、互いに必要以上に間を空けていたのに気づいた。

(速攻か!)

(同じことを考えてる!燕さん!)

 引くに引けず、そこから打ち込みながら前に出ようとするが、それを避けるように迅移で回り込んで、受けに回る美炎の剣をわずかにこめた八幡力で弾き飛ばそうとする。だが、美炎は柔らかく結芽の力を流しながら、冷静に引いて切先を整える。

(崩れないっ!)

(大丈夫!同じ土俵にいるっ!燕さんはっ!)

 お互いに迅移を強度がわずかに高い歩行ぐらいの感覚で扱う。それは、繊細な足取りとそれに合わせた迅移の発動タイミングをコントロールするセンスと直感を必要とする。これを体得できる刀使はほぼいない。

 この技術はいつしかこう呼ばれるようになった。

 『縮地』と。

(まるで波のない海みたい…確かな感触があるのに、あっという間に元に戻っちゃう!)

 迅移の速度を高めて責め立てるが、結局は自分自身の体力をわずかに削っただけだった。

 ニッカリ青江を握る手がわずかに汗ばんだ。

(攻めの強度を上げたところで結果は同じだよ!)

 マンネリと化した結芽の斬撃にカウンターを差し込み始めた。結芽が一歩引いた瞬間、水のような美炎の動きがなだれ込むような攻めに変わった。

(玉鋼を作り出す炎は、山吹色の命を寿ぐ息吹!)

 結芽の見切りがことごとく外れる。斬り付けから来ると踏んでいた剣が来ず、小さな振り上げからの斬撃が襲う。引くしかない。

 だが、引けば猛り来る美炎の剣に押し込まれる。

(この体に残る記憶!一分たりとも狂いなく舞う炎の動き!それが私の剣!)

 その動きに、炎を纏うような幻覚が見える。いや、今の美炎と清光は炎そのものである。

 命を生み出すが、同時に死も平等に相手に与えうる。魔を払うが、人をも容赦無く屠る。

 それが、炎。

 

(強い…!歩ちゃんも、ミミちゃんも強かった…でも美炎おねぇさんは、もっと強い!)

 

 結芽は胸に溢れるあたたかさを感じていた。

 自分が強いだけではわからない世界がある。

 刃を合わせる相手がいるからこそ、自分を知って、自分を輝かせるにはどうすればいいかを知れる。

 十二の時の自分に教えてあげたい。

 こんなにも素敵な人たちがいて、その中に自分がいられて、まだ成長できること。

 そして、生きている幸福を。

 

 担ぐような体制からの袈裟斬りと、逆袈裟へ切り付けるように見せかけた小さな打ち下ろし、弾かれたニッカリ青江の切先が明後日を向いたのを見て、そこから踏ん張るように大きく突いた。

(決まった)

「んっ?」

 結芽は気がついた。

 たしかに炎のようにつかみどころのない、逃げ場を奪うような剣である。それだけに、美炎の剣の指向性がわずかに垣間見える。

 隠剣から手を添えるように刃を走らせてから、すぐに追い立てるように斬り付けを何度も振ってくる。

 それは正確に結芽の写シの急所を狙った物だった。

(無意識に組み合わせてるからこそ、美炎さんはまだ気づいていない。自分が今まで繰り返し…剣を正確に打ち込むことを体に刷り込ませてきたことに)

 結芽は胸下の急所をわざと払われたと見せて、打ち込ませた。

 すぐに右から走った剣を二歩迅移で避けて、牽制の二度の切付けを浴びせかけながら、やや惰性に美炎の剣を受け続ける。

(やっぱりフェイントじゃない!じゃあ…もしかして…もしかするかな…)

 見切るべき剣は見えた。

 自然と集中力が上がると、口角がわずかに釣り上がった。

(すべきことは一つ!決まらせないこと!)

 美炎の攻めは止まらない。

 彼女にはいま、完成された自身の剣がある。今までの経験がある。

 だが、しばらくして違和感を感じ始めた。

(なんで必中の技が決まらないの…!)

 美炎は攻め方をわずかに変えた。

 それは結芽の剣を誘って、カウンターで止めを狙おうとしての判断だった。

(きたきたきた!)

 風向きは変わった。結芽にとって、相手が受けに入る体勢は絶好の攻め時である。

 突きと切り払いの間断ない攻めを全周から浴びせかける。

(…っ!迂闊だった!可奈美の返しの剣を封じれる数少ない刀使!立ち止まれば、負ける!)

 再び、炎のような攻めに移ろうとした時、結芽が小さく飛び退いて空いた隙に飛び込んだ。

 美炎は自分の判断の迂闊さに気がついた。

(誘い込まれたっ!)

 三段突きで美炎の踏み込みは完全に打ち消され、小さく飛び退いた結芽は八幡力を迅移で加速しながら回転するように飛び上がり、受ける隙さえ見えない速度で美炎の写シを着地と同時に切り落とした。

 左膝をついた美炎は、自信が負けたと気づくのに三秒を要した。

「それまでっ!!」

 写シを解き、互いに元の位置に戻って納刀すると。礼を交わした。

 

「御前試合進出者は燕結芽!」

 

 会場を拍手が包み込んだ。

 結芽はふらついて、そのまま両膝を突いた。

「はぁはぁはぁ…なんとか勝った…」

 会場がざわつく中、美炎は結芽に手を差し伸ばした。

「燕さん、立てる?」

「…うん。あと、その燕さんやめて…結芽でいいんだよ?」

「わかったよ、結芽!」

 彼女の手をとって立ち上がると、自然と握手を交わしていた。

 ふたたび拍手が会場中に響き渡った。

 少し笑みを浮かべてから、姫和はすぐに真剣な表情に戻った。

「本日の予選会は終了である!警備担当の指示に従って見学者および選抜者は退場するように!なお、御前試合に進出した二人は明日の説明があるため私の元に来ること!各校よりの参加のみんな!ご苦労だった!」

 

 

 

 会場をふたばと共に出ると、美炎の前に調査隊の元メンバーが集まっていた。

 ミルヤ、智恵、呼吹、由依、葉菜にめぐみ、そして清香の姿があった。

 嬉しそうな笑顔から、すぐに暗い表情に変わった。

 そんな、美炎の気持ちを察した智恵は、彼女の目の前に立つと彼女を抱き寄せた。

「おつかれさま美炎ちゃん。がんばったね」

 震え出した手で溢れ出てくる涙をぬぐって、ぬぐい続ける…だが、止まらない。

「ぐすっ…ちぃねぇ…後悔しないって…引き摺らないって…決めてたのに…やっぱり悔しいよ!」

 これが刀使として、剣士としての集大成であり、三度目の正直を叶えるために、過去一番の状態で挑んだ。そんな美炎の吐露した辛さも、苦しさも、信念も、人一倍の努力の中でできた手のマメの数も、智恵は…調査隊のメンバーはよく知っていた。

「こういう言い方ってよくないけれど…あの燕結芽が両膝を突いたのは、それが美炎ちゃんが最強と呼ばれるあの子の伝説が美炎ちゃんの強さと同列だったの。それって、あの子はあと一手で負けてたってことよ。美炎ちゃんは負けたことを引きずってはダメ、むしろ、燕結芽と同列だったことを誇らなくちゃ。でも、それはそれとして、悔しかったことは全部、涙で流しちゃおうか」

 変わらない智恵の優しさに、美炎の心は落ち着いた。

「うん、でも大丈夫。ありがとう、ちぃねぇ」

 智恵の胸元を離れると、涙を拭った美炎は満遍の笑みを浮かべた。

「そっか、美炎ちゃんは強くなったのね」

「ったく、ほら夕飯食いに行くぞ、みほっち!今日はミルヤとチチエが焼肉奢ってくれるってさ!」

「七之里呼吹、あなたは相変わらずですが、安桜美炎。久しぶりに調査隊のメンバーが勢揃いしたのです。積もる話は歩きながらしましょう」

「そうだよ!ミルヤさんの言うとおり!今日は妹の未久も来てるよ!先にお店で待ってるよ!あっ!ふたばちゃんも一緒にいきましょ!」

 素早い身のこなしで、離れたところにいたふたばを美炎たちの輪の中に押し込んだ。

「うええ…まぁいいけど」

「行こう!みんな!」

 美炎の一言で歩き出す中、隣に清香が並んだ。

「清香…ごめん、決勝に行けなくて」

「…本当だよ。燕さんの相手をしたくなかったのに、美炎ちゃんが倒してくれたらもう少し楽だったのに」

「ん?きよか〜、結芽には苦戦するけど、私は余裕とか思ってない?」

「わかる?」

「あーっ!このぉ〜清香の薄情もの〜っ!」

「ふふ、ごめんって、ごめん!」

 

 変わらない美炎の明るさに絆されていたのは、清香自身だった。

 調査隊のメンバーの思いと、美炎の前向きさと、三年間の経験と努力に裏打ちされた自信。

 そして、胸の内に生まれた一つの決心。

(優勝を勝ち取る。先にすすむ私のために、必ず!)

 清香の胸の内は勝利への渇望に燃えていた。

 

 

 寮の大浴場の湯船に浸かりながら、結芽は大きなため息をついた。

「はぁ〜ぁ…」

 隣で共に入る真希は、なぜかなと問いかけた。

「結芽、君はあの安桜美炎に勝った。正直、今の彼女に勝つ自信は僕にはない。そんな強大な相手に勝って、むしろ明日に向けて昂っていると思ってたけれど」

「いや…美炎おねぇさんに勝ったのは嬉しいよ?でも、結芽が自分で思っていた以上に弱いってわかって…けっこうショック」

 その言葉に真希は笑い出した。

「真希おねぇさん!」

「ははは…だって、仕方ないだろう。結芽でもそうやって不安になるんだ。これから対戦する六角はもっと不安だろうな!ははは!」

 笑い止むと結芽に目を向けた。

「相手が強いから、弱いと思っている刀使はあらゆる工夫や努力を重ねてくる。今まで努力をしてこなかった結芽が、ここ一年半で徹底的に苦手を克服する稽古をしている。沙耶香から聞いたぞ、君はわざと負けて、勝つイメージと負けるイメージを連動させる特訓をしていたと」

「そうだよ、だからこそ美炎おねぇさんの剣に見える稽古の癖を見抜けた。昔のままだったら、稽古感覚の紫様や可奈美さんに簡単に負け続けてた」

「明日の相手は、その紫様の手ほどきを受けた第二席候補だぞ」

「真希おねぇさんは六角おねぇさんには」

「無理だな。スコアも追いつかれ始めてる。警備隊になったら僕に並ぶだろう。いや、代われると信じてる。結芽、六角清香は強いぞ」

 結芽はいつもの不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。

「じゃあ、私が警備隊で、特祭隊で一番強いことを教えてあげなくちゃね!にひひ!」

 真希は結芽が調子を戻し始めていることに安心した。

「ああ、僕の期待の後輩に手痛いのを頼むよ」

「うん!任せて!」

 

 そう言ってみせたはいいが、やはり自信がなかった。

 

 部屋を出て、本部敷地を抜けて、駅を越えて、材木座海岸へと着いてしまった。

 黒い太平洋の上に白い月が雲間から顔を出している。

 その輝きは寄せては返す波間に反射して、水平線を瞬かせる。

 波音が深く、深く心に入り込むように、彼女の心もまた不思議と平穏を求めている。

 月に照らされる漁船が並ぶ中を、ぽつぽつと砂地を踏んでいく。

 

「いまなら、紫様に勝てるとかどうでもいいの、あの時は勝てなかったから、勝てる日を毎日でも楽しみにできた。でも、生きれるようになったら…どんどん紫様が弱くなっていった…で、今日だよ。真希おねぇさんには言えないけれど…私は私の強さが信じられないんだ。後遺症って言い訳立てられるし、本当に自由は効かないことはあるけど、それだけじゃない。埋められていく実力差だって感じる…。正直、人としても刀使としても、沙耶香ちゃんには敵わない…」

 砂浜の奥まで来ていた大きな流木に座ると、頬杖をつきながらぼんやりと月夜を見上げた。

「私の限界ってなんだろう…誰か、もう一度わたしをコテンパンにしてくれる人は出てこないのかな…」

 負ければ、自分の限界点がわかる。けれども、あれだけ強かった美炎に敗北を感じたのに、隙を見つけた瞬間に勝てるイメージが圧倒してしまった。正直、拍子抜けだった。ギリギリの攻防が、一瞬でヌルゲーと化した。今にすれば、こんな感覚で相手を計っていたと知って恥ずかしくなる。

 砂を踏む足音が、波の音の間に聞こえた。誰かが来ている。

「結芽、こんなところで何をしているんだ?」

 振り向くと、そこには折神紫が立っていた。ラフな着物に羽織を着流している。

「紫様…」

 少し微笑むと、隣に座っていいかと尋ねた。

「いいよ」

「ありがとう。ほう、いい場所じゃないか」

 二人並んで、黙って景色を見ていたが、しおらしい結芽の姿に事情を察した。

「話してみなさい。大丈夫、誰にも言わない」

「…ほんと?」

 頷く紫を一瞥してから、俯くように考えていたことを話し出した。

「強いと思えないのに、結芽は勝てるって自信がある。わからないよ…自分の本当の強さなんて。今までだったら…勝てるだけで満足してたのに。さっきだって、真希おねぇさんに勝つって約束したけど…」

「勝つことが苦痛か」

「…うん」

「負けるのは怖いか?」

「半分かな。うんと強い子に負けるなら納得できるけど、自分の不調で負けるのが一番嫌」

「なるほど、随分と贅沢な悩みだな」

「私もそう思う」

「だが、それは勝ち続けることを自分に課した者の宿命だ。何度も結芽が当たってきたことを覚えているか?私は今まで、折神家の後継者に選ばれた日も、江ノ島でタギツヒメに対した時も、タギツヒメに同化した時も、解かれた時も、私は並以上の刀使を圧倒できる力を持たなければならないと思っていた。私を救ってくれた朱音たちのために、それは変えてはならないと思っていた。だが…」

 結芽が顔を上げると、そこにはひどく寂しげな表情で自身を見る紫がいた。

「結芽と相手をする回数が増えるごとに、体に残っていた龍眼が結芽の動きを見えなくなっていったんだ。そして気づいたんだ。とうに自分は剣士として、結芽には勝てないのだと。タギツヒメの残滓がかろうじて勝ちを運び続けていたことに」

「じゃあ、本当にもう結芽を倒せる人は…」

「だがな、気づけてよかったと、つくづく思うんだ。ずっと、自分を特別に思ってきたからこそ、特別な人間がしなければならない義務があり、それをしなければならないと己に言い聞かせてきた。でも、その必要がなかった。少しみんなをまとめる力があっただけで、特別になる必要はなかったんだ。最初からみんな教えてくれていたのに、それを聞き流してきた。存外に私は頑固だったんだ。不器用とも言うな」

「紫様は特別じゃない…」

「結芽、勝ち続ける強い自分を誇るのはいい。けれど、こだわるな。強者が持つべき本当の強さは、百を維持し続けることじゃない」

 そうだ。絶対なんてなかった。死ぬ運命だってひっくり返した。これは、私だけのものであって、他の人にはない。真希さん、寿々花さん、夜見さん、そして沙耶香ちゃん。それぞれのものを持ち寄ると、必ず私が全力を出す必要はなかった。足りないところは補ってくれた。その代わり、三人には難しいことを自分が引き受けた。そのために強さが必要だった。けれど、たったそれだけのことだった。

「沙耶香ちゃんを持ち出して、無理に自分を低く見る必要はなかったんだね…私にとって強いことは一番の理由じゃない。それでも紫様、限界って雲を掴むみたいだね。形はあるのに、近くにあるとすごく曖昧」

「雲を越えると、現世を飛び出してしまう。幾度かは踏み込んだが、あまりいい景色じゃないぞ」

「その感じ、ヒルコミタマとの戦いで見たよ。現実離れしすぎてて、正直、今日みたいに刀使同士の試合の方が気持ちいいかな」

「ああ、どうもうまくいかないな」

 自然と二人は笑顔を交わし合っていた。

 結芽は勢いよく立ち上がると、落ちていた流木を手にし、複雑に組んだ型を振ってみせた。

 その顔から曇りはなくなり、笑顔に見えるアルカイックスマイルのいつもの横顔があった。

「少しはすっきりしたか?」

「わかんない。でも、明日は自分のできることをする。今つかえる技で清香ちゃんが私の大好きな親衛隊に、ううん特務警備隊に相応しいか見極める。それが、私の強さでできることだから」

 その剣筋は完成されていた。もはや、理心流の極地に立っている。そして、心も先をゆく剣に追いつきつつある。幼い体はいくらでも後から追いつく。その上に、成長した燕結芽がどうなるのか、不安もありながら、楽しみが紫の心を満たした。

「さて…獅童!此花!糸見!隠れてないで出てこい」

「えっ!ええーっ!」

 船の影に隠れていた三人が恥ずかしそうに出てきた。

「ずっと聞いてたの…?」

「実はな、獅童が自分では言葉が足りないからと、私に助力を求めてきたんだ。此花と糸見は海岸に行く結芽をずっと見張っていたんだ」

 結芽は顔を真っ赤にさせて、聞いたこともない奇声を上げた。

「いhwvcぐぇgc…恥ずかしいから聞きたくなかったのに!紫様の嘘つき!だれにも言わないって言ったのに!」

「聞かれないとはいってない」

「あ!ずるい!縁様がそんな小手先で騙してくるなんてーっ!もーっ!」

 口をへの字にさせて四人を睨み渡す結芽を見て、寿々花はたまらず笑い出した。

「寿々花おねぇさん!!」

「だって…ふふ!そんなふうに恥ずかしがってムキになるあなたを見たのは初めてなんですもの」

「くふっ…」

「真希おねぇさんも!」

「ふふ、あはは!あははは!」

「沙耶香ちゃんまで…このぉ!」

 結芽は沙耶香に絡みついて、両ほっぺをつねった。

「もうったら…もう…ふふふ、あははは!なんか、恥ずかしいのも、悔しいのも、おかしなの!」

「えいっ」

「やったなぁ」

 試合の時に感じたことを思い出した。

 強いだけじゃわからない世界を、まわりの人たちが教えてくれる。

 相手がいるからこそ、自分を知って、お互いを成長させるにはどうすればいいかを教え合う。

 きっと、みんなはそれを『幸せ』と、言うのかも。

 

 

 

 午後一時半。

 

 見学者および賓客の会場への入場が完了し、本部警備担当は厳戒態勢で自身の位置から会場に目を配る。

 審判団も最後の打ち合わせを終え、姫和はあえて御刀を警備担当に託した。

「しかし…これでは明眼を使えませんよ。場合によってはシビアな判定に」

「いいんだ、二人とも実力のある刀使だ。勝敗は必中の太刀が決まった時にしかわからないはずだ。二年前の私と可奈美の立ち会いがそうだった」

 

 姫和が主審位置に立つと、定刻通り折神朱音が展覧席に入ってきた。彼女の周りを特務警備隊の三人が護衛し、続いて各校学長も入場した。

 沙耶香が思い出したように周囲を見渡した。

「そういえば、紫様は…?」

「今回は観覧席の方にいる。大丈夫、護衛には衛藤を、付き添いは夜見に頼んだ。刀使を引退したが、今は準公務員の『伺見』だ。こまめな仕事は任せてある」

「それにしても、夜見さんも専門学校を休んできたのに、結局は仕事をしてしまうのですね」

「僕たちも護衛でつきっきりだ。今回は猫の手も借りたかったから、渡りに船だ」

 マイクを持った姫和が前へ出ると、朱音と来賓に礼をして、観客席に向き直った。

「これより!令和三年度、御前試合をはじめる!代表者、入場!」

  

 三十分前。

 御前試合会場前の巨大な門の前に、警備と運営のスタッフが集まっており、小さなテントに二人の席があった。

「ふたりとももう一度御刀を出してください!もう一度、拵えの状態を見ます!」

 急遽、青砥陽菜がスタッフとして入った。

「これ、さっきもやったよね」

 そう言うと、さっきと同じように陽菜は不満げな表情をみせた。

「どこかの誰かが、拵えを壊す形で勝利したせいで、御前試合では拵えが自壊するような試合はみっともないって、学長たちから注意があったって、さっき言ったよね?」

「…ほんとにごめん」

「そう思うなら、ニッカリ青江を出してください。あと、二人はこの間に互いの御刀の状態を見ておいてください」

 と、言われたものの、清香の刀の扱いは丁寧の一言につき、ミミ戦のような真似はあれっきりだと結芽は思っていた。対し、清香も無駄のない使い込みに改めて結芽の実力を感じた。御刀の、それも拵えの状態は、使い手の個性と練度を示す。常に良い状態に保つこそが、御刀に最高のパフォーマンスを実現するのである。

「待って、この拵え、三年前から替えてないの?」

「いや、初めてニッカリ青江に選ばれて、パパとママに拵えを作ってもらってから四年かな」

「…結構な任務こなしてると、頻繁にメンテナンスしてもらう必要があるから」

 陽菜は景光の状態を見ながら、この柄木も使い込みによる疲労で交換したと言った。

「不思議なのよ、柄糸に使い込みの跡はあるけど、むしろ馴染んでいる最高の状態よ。どうしたら、そうできるの?」

「んー、私に最初に剣を教えてくれた人が頻繁に柄だけ壊す人で、口酸っぱく道具は丁寧に扱えって言われてたの。具体的には、力のかかるタイミングは御刀の動きに任せるとか。これ、逆のことを先生がしてたんだよね」

「やだやだ、拵えを大事に使わない人…」

「陽菜さんは本部専属の拵師だもんね。今年からは特務警備隊のも引き受けるって聞きましたよ」

「そうなの、でも私のお世話になるようなことは避けて欲しいな、燕さん」

「もちろん。っていうか、そんな下手くそな使い方を私も、清香ちゃんもしないよ」

 陽菜はその言い方に何か引っかかった。

「清香ちゃんは平城よね?」

「んーまだ正式に言ってないもんね。清香ちゃんの特務警備隊入り」

「…あ、聞いちゃいけないのだった?」

 清香は苦笑いしたが、知らないふうではなかった。

「半年前から要請されていて、御前試合が終わったら正式に候補生入りになります」

「ついになんですね!実力から噂はありましたけど、あくまで噂だったものね」

 陽菜が静かに喜ぶ横で、不気味な笑みを浮かべて清香をまっすぐ見ていた。

「候補生ではなくすぐに第二席に入るには、私を倒すことが条件だよ。清香ちゃん」

 張り詰めた空気が二人の間に走った。

「冗談?そういうのおもしろくないよ」

「ごめんね。リラックスして集中すると、笑顔になる癖があるんだ結芽には。本気で席次をとりたいなら私が試してあげる。これは、試験でもあるんだよ清香ちゃん」

 清香も余裕の笑顔をみせた。

「いいんだね?勝っても」

「私に勝てるものなら」

 陽菜は検査を終えると、二人に御刀を差し出した。彼女はこういうのには慣れっこである。

「じゃあ、二人とも頑張ってくださいね」

「はーぁい!ありがとう!」

「はい!ありがとうございます」

 

 

 時間が近づくと、二人は門の前に立った。

 微妙な二人の距離が、緊張が、二人の鼓動をがなり立てた。

 憧れ、向かってきた目標がいま目の前にあり、興奮が止まない。

 

 

 

 刀使の最高の晴れ舞台、御前試合の会場の門がいま開かれる________!

 

 

 

 

 

 

後編③に続く。

 

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