病床に入る風は穏やかである。
春は穏やかに、別れも遠くへ、出会いはすぐそこに来ている。病院の庭では桜雪が高く高く舞っている。
窓際で寿命いくばくかの老人が、私服の沙耶香に向き合っていた。
「君は君一人で脅威に立ち向かえる数少ない刀使の一人だ。SHAMはもはや私のツテだけでは対処できない。アメリカは彼らとの水面化の戦闘で手一杯だ。しかし、特祭隊はその組織の性格上、国際的な犯罪組織に対処できない」
彼の隣に立っていたエレンが足元から、革製のトランクケースを沙耶香へと開けて見せた。その中には従来型とは似ても似つかない、黒と銀に彩られたS装備と面が黒いトレンチコートをクッションにするように入っていた。
「私からの贈り物、時間制限突破実証型S装備改四ノ一型だ。どうか、ノロを悪用するという悪夢から世界を守ってくれ」
沙耶香は緊張の面持ちのまま、ゆっくりと頷いた。
「わかりました。私はSHAMの保有する全てのノロを取り戻し、彼らの計画を止めますフリードマン博士」
肉体的な覇気は失ったが、その目には叡智と勇気が未だ溢れている。
病院を出た沙耶香とエレンは、人気のない複層式駐車場へと来ていた。
夕方にもかかわらず、人の往来がまるでない。
「サーヤが大型二輪の免許を取っていて助かりました。この仕事はあくまでも解体されたとされる舞草組織の独断専行、特祭隊と日本政府からは一切の支援は受けられない。けれども、FBIと公安、そして希少金属研究所から援助は取りつけました!でも薫が今回の行動を認めていません。いずれにしても、組織から制止をかけにくるでしょう」
黒いトレンチコートを羽織った下にはS装備が着込まれ、コート下に隠すように妙法村正ではない御刀を佩いていた。
「だから、単独能力に長けた私に白羽の矢がたったのでしょう?大丈夫、エレン。やってみせる」
エレンは黒の端末と、ヘルメットを差し出した。
「いつでもあなたの行動をマークしています。必要な時はすぐに駆けつけますから、こうサインを」
片手を上げる仕草をしてから、いつもの明るい表情でウィンクして見せた。
沙耶香も嬉しそうに笑顔を返すと、ヘルメットを被り、端末をバイクにセットした。
エレンは端末を軽く操作すると、そこに蜘蛛という表示が出た。
「最初の目標です。刀使を無差別に襲っているが、姿がはっきりせず特祭隊が手を焼いています。間違いなく冥加刀使です。それも恣意的な残忍な改造を受けた」
「わかりました。すぐに現場に向かいます。エレン、バックアップを」
「ええ、お任せあれ!」
手順よくエンジンを吹かすと、バイクは複層を勢いよく降りて行った。
相模湾岸大災厄、そしてノロ漏出事件から端を発したタギツヒメ騒動は、日高見騒乱を経てあらゆる怪異や事件のトリガーとなっていた。相当量のノロと荒魂が日本中に解き放たれ、タギツヒメは現世を滅する一歩手前まで行き、カナヤマヒメは人と荒魂の距離の危うさを浮き彫りにした。
そして、新たなノロと人による人体強化を目論む人間がある組織から援助を受けていた。『SHAM_HAZA』通称SHAMが、日本国内外から違法にノロを集積しているのである。彼らの目的はあらゆる非合法・非倫理的研究とその成果を人類社会に還元すること、だがそれは一歩間違えれば世界を滅ぼせる研究をその意味を理解しない人間に安易に手渡し、世界各地で立証不可能な犯罪行為を増殖させている。彼らが日本で研究支援のため、ノロを集積し始めたのが五年前であった。
しかし、世界は彼らを安易に打倒できない。あらゆるダミー企業を世界中を張り巡らし、研究者や組織の人間はそれらを隠れ蓑に時に法の傘を利用して活動をしている。さらに研究者たちが作り出す改造人間たちは、各国の政府機関に軍事力の行使を強いた。まだ、それができる国ならば良いが、日本はそう単純な行動には出られない。特祭隊は独自のノロ強制回収権をもっているが、それは所在が明らかになったものに対してで、組織が保有しているでは執行権が下りない欠点があった。日本と特祭隊は組織間と権限のバランスの関係上、方針を決められないでいた。
日は落ち、河川敷近くに来るとスペクトラム計には刀使7人に囲まれる、赤い反応が映し出される。
時間がない。
高架下ではすでに6人が倒れ、気絶しており、メガネをかけた綾小路の一人が息を切らしながら最後まで抵抗していた。
蜘蛛を象った仮面の人間は赤い輝きを纏い、鉄骨に張り巡らされた糸を伝って縦横無尽に動き回り、少しづつ刀使の写シを切り剥がしていく。
その手には歪な兼房乱れの輝きを放つ、一尺五寸の打刀が握られている。
「あなたの敗北は世界にノロの有用性を示す材料となります。そこのビデオカメラが見えますか?とてもよい写りをしていると思いますよ。でも今回は特別でしてね、私は君たちを全員殺していい許可をもらいました。こんなに嬉しいことはありません!」
「させるものか!させない!」
振りかぶった手を止めたのは、トレンチコートを着た総面をつけた女性だった。髪は黒とも白とも見分けがつかない。顔はスモークがかったバイザーでわからないが、目線はそれを周囲に補助的に示す薄紅い光が輝いている。
「あなたは」
「知らない方がいい、それよりも下がってて」
「え」
コートの下から一振りの御刀が姿を現した。
「もう一人殺せる刀使が増えるなんて!私はなんて幸運なんでしょうか!」
リーチが短いが、その張り巡らせた糸を高速で伝い、超接近戦を挑んでくる。顔と顔が触れそうな距離をすれ違いながら、打刀をスナップを効かして斬撃を加える。しかし、蜘蛛面
はやがて沙耶香に違和感を感じ始めた。何度も必殺の斬り付けを加えているにもかかわらず、写シを張っていない沙耶香は涼しい顔をしている。
蜘蛛面は悪寒を感じて距離をとった。
「あなたは、あなたは何なのですか!?」
抜き払った御刀は古風な深い腰反りで、その整った直刃の波紋と精緻な地金が、来国俊の小太刀であることその場の人間たちに示している。
写シが発動すると、白い輝きがコート下のS装備に走り、胸の琥珀の輝きを放つコアが光り輝いた。アーマー中に彩られた銀のラインがコートを貫通して光り輝いた。
「Sアーマーですと?おもしろいですね、なら刃が通るようにするだけです!」
糸を駆け回り、沙耶香はその動きを丹念に目で追っていく。
「どうですか!この機動力!これであなたも死ねますよ!」
加速が最高潮に達したところで、後頭部目がけて突きが走った。
だが、その突きは自然と背中に回された小太刀に流され、沙耶香はその場を小刻みに跳ねて、突きのエネルギーをそのまま正面からの真っ向切り返しへと変え、蜘蛛面は写シを剥がされて地面を転がった。
「すごい、歯牙にもかけなかった。来国俊に白銀の髪...まさか」
綾小路の刀使は、蜘蛛面に近づく沙耶香をただ見守っていた。
沙耶香は蜘蛛面が息があることを確認した。
「私と来てもらう。聞きたいことがあるから」
「ふふ、それはありません」
「なに」
蜘蛛面の体が手足から泡状に溶解し始めた。
「不本意ですが、御刀とノロはあなたに渡しましょう。しかし、私は組織に背を向けない。この幸福は私とSHAMだけのものですから」
「待て!お前を改造したやつの居場所は!」
全身が溶け消え、その体があった場所からノロが草むらへと滴り落ちた。
少し落ち込んでから、慰留物の御刀を回収した。その彼女へ、綾小路の刀使はつい問いかけた。
「あの、糸見隊長ですよね」
「なぜそう思うの?」
「その小太刀、来国俊の持ち主はそう多くはありません。二荒山神社のそれなら、なおさらです」
写シを解くと、バイザー下から下級生の顔を覗き込んだ。
「そうだよ。今はどうしても言えない任務のために動いている。あなたは」
「綾小路中等部二年、山城美久です」
じゃあと言いながら、美久に蜘蛛面の打刀を見せた。
「あなたは刀を見る目があるみたいね、この御刀はどう見る?」
任務の内容が気になったが、美久はつい刀の方に目を引かれた。目釘を抜くと、そこに現れた銘をつぶさに見てとった。
「間違いない、八十年前に行方不明になった御刀です。それに、玉鋼の鑑賞刀剣に偽装するための刻印が印字されてる」
「すごい、そこまでわかるの」
「少し、勉強する時間が長めにあったので」
バイザーとともに総面が解除されると、顔のやや丸い、目元に虚ろいを感じる特徴的な顔が現れた。美久はしばし目を瞬かせた。
「この御刀は回収していく、さっきのやつを追う重要な手がかりになるから。それと、みんなを頼みます。あ、私のことは内緒でね」
人懐っこい笑顔で、まだ困惑する美久の肩を叩いた。
「また連絡する。必ず」
自動追尾してきていたバイクに乗ると、あっという間に暗闇の中へと消えていった。
山間、スキー場近くの今は使われていないペンションを拠点として、エレンが先に待っていた。
「お疲れ様デース!まずは休んでくださいネ!」
「うん、それとこれを」
打刀と美久の鑑定情報を伝えると、すぐに調査に入ると言って舞草メンバーとともに奥の部屋に入っていった。
装備とコートを脱がずに外へ出た沙耶香は、街からの光の通らない山奥の瞬く星空を見上げた。
星が滲む。
「だめ」
俯いてしばらく顔を上げられなかった。
とっくの昔に覚悟を決めたはずなのに、胸の奥から滲み出る罪悪感が手を小刻みに震わせた。冥加刀使となった人間を躊躇せず斬った、そして自死を選ばせた。次は改造されているとは言え、生身の人間を殺すかもしれない。だが、同時に彼らを増やさぬために、ノロの悪用を止めなくてはならない。これは、大切な人たちがともに守ってきたものを壊されないために、次の世代が導いてくれる人とノロの関係のため、自分一人でやらねばならない。
震えが少し落ち着いた。
勇気というよりも、自分に言い聞かせているだけかもしれない。でも構わない。
翌朝、打刀の輸入記録が割り出され、その輸入元が判明した。
「住所は茨城県の筑波山裏にある採石会社。この会社は何度か社長の趣味として刀の輸入記録があるのですが、調査した限りでは社長が刀のコレクションを保持している記録はありません。そしてこの住所の採石場は、五年前に廃業して現在土地の整理を行なっているはずなのデース!」
「そこにSHAMの拠点があると」
「しかし、罠かもしれません」
「構わない。行けばわかるはず」
エレンはバックアップとして車で向かい、沙耶香はすぐにバイクでその場所へと向かった。
筑波山の麓にある採石場は数あれど、目的地の石切場には厳重に柵がかけられ、関係者以外立ち入り禁止との立て札がかけられている。バイクを降りて、迅移で柵を飛び越えると、茂みに隠れるようにして奥の建物に近づいていく。草木で荒れ放題だが、よくよく観察するとそれは偽装でかけられたものであり、その下には手入れされた道が見えた。それを辿っていくと、四人の刀使が立っていた。SHAMの内通者は特祭隊いないと聞いていた沙耶香は、何か別の一件と思い。彼女たちの前に姿を表すことにした。
「あなたたち」
沙耶香の顔を見るや畏まって、彼女の前に集まった。
「と、特別警備隊の糸見沙耶香さん!お疲れ様です!」
「うん、そうかしこまらないで、ここで何の調査を?」
朗らかな笑顔の年長の子が、ここで荒魂の反応があり、土地の権利者の承諾を得て調査に入っているとの旨だった。
「糸見さんはどうしてこちらへ」
「私もスペクトラム計の反応があって、緊急だと踏んで入ってきたの」
「反応があったのですか」
沙耶香は何かに気がついた、笑顔の彼女のその目は一切笑っていなかった。それどころか、スペクトラム計の嘘の話を見破るように、他の刀使は今にも襲い掛からんばかりの殺気を放っている。妙だ、調査が入るなら事前にエレンが手回ししてくれるはずだ。
「そうなの、でもあなたたちだけで大丈夫ならいいの」
「はい!ここはお任せください!」
沙耶香は左腰を隠すような向きで、入り口へ向かうフリをしながら訪ねた。
「ところであなたたちはSHAMを知っている?」
上段からの抜き付けを飛び退け、そのまま胴を柄頭で叩いた。突然であったが、刀使たちはすでに御刀を抜いて沙耶香へと襲いかかった。
(白刃で?やはり洗脳か!)
沙耶香は刀使の合間に飛び込み、一人を小手投げで投げ飛ばし、続いて斬り付けを避けて鞘で腹を叩き飛ばして気絶させ、鯉口を切って御刀を絡め取って投げ飛ばし右拳で殴り飛ばして気絶させた。意識のある一人を押さえ込み、なぜこのような真似をするのか問いただした。
「なぜ?ふふふ、私の能力を持ってすれば小娘の十人や百人!」
「この子達を操っていたやつ!出てこい!」
「焦るなよ、私は君が目指している建物の中にいる。こいつらを救いたくば来るんだな!」
手刀で後頭部を叩くと、その子は気絶して倒れた。
「ごめん、でも必ず救い出して見せるから」
採石場の真っ直ぐ切り立った石肌が露出し、そこはあたかも白の神殿のような様相を見せていた。その奥に切り出した入り口があり洞窟となっていた。総面を被り、バイザーをおろすと、鞘から来国俊を抜き払った。中へ入っていくと、装備に備えられたスペクトラム計が強烈な反応を示し、そして一人の刀使がそのそばにいることをバイザーの画面に伝えてきた。
だが、その巨大な反応が忽然と消えた。
(来る!)
写シを張り、わずかに入る光を頼りに周囲を睨む。
石の切れ目から水のようなものが流れる音がする。暗闇に混じって、水の音が止み、白刃が空を斬る音が耳に入った。
刃を添え逸らし、真っ向から切り落としたが手応えがない。しかし、刃が触れた感触は確かなものである。
さらに足を狙って刃が走るが、それをことごとく避け、刃を振る支点を読んで刃を振り下ろした。だが、触れた感触はするが確かな手応えを感じない。
「むぅ、どうやらそのS装備のことを甘く見ていたようだな...おい!新入り!」
暗闇から白の光を纏うS装備の刀使が現れた。
「こいつの動きを止めるんだ!その間にこいつを洗脳する!」
「はいはぁーい」
沙耶香に緊張が走った。その足取りの素早さ、斬り付けの正確さ、全てがさっきの刀使たちと異なる。自身と同等以上の実力者、沙耶香はその剣を一切手を抜けない。先程のように峰打ちで済ますことができない。それにつけ入るようにS装備の刀使はあっという間に沙耶香を投げ飛ばし、背中から地面へと押さえつけられた。
「準備できましたよ〜」
「よくやった!あとは...」
液体から実体が出てて、緑と黄色をあしらった奇妙な面を被った冥加刀使が姿を現した。
「さぁ、この私のナメクジと毒植物の合成能力を持ってして、お前を私の毒の洗脳下におく!」
首筋に突き立てられた針が写シを貫通し、沙耶香の意識を持っていこうとする。力が抜けると、S装備の刀使は沙耶香を仰向けにして、その上に馬乗りで乗っかった。
「ふはははは!さぁ私の僕となれ白鼠!」
危うし!沙耶香!
「さてと、ノロ強制排出装置は...と」
S装備の刀使は腰に手を弄り入れると、あるスイッチを押した。そうすると胸のリアクターから赤い光が排出され、沙耶香は体の自由が戻った。
「うん、でもこんなに簡単に潰されるのは勘弁だよ、沙耶香ちゃん」
「何をしている!おまえ!」
沙耶香から離れた瞬間、目にも止まらぬ二度の斬り付けが赤い写シとともに蛭面を吹き飛ばした。
「おまえ、おまえってうるさい。私にはさ、名前があんのよ、どんな正義の味方にも悪の怪人にもあるの、私の名は燕結芽だ」
結芽は蛭面に近づきながら、後退りする彼女を追った。
「液体化能力はその御刀さえも隠してしまう。あんたは滅多に姿を実体化させない。しかし、洗脳する時だけ針を実体化させなければならない。さらに全身を実体化させる瞬間を待っていた。急所を二箇所、これであんたはもう写シを張れない」
敗北を悟った蛭面は、結芽とは別の何かを探すように怯え怯んだ。
「THAVE!やめてくれ!私はまだ!」
蛭面の体が溶解し始め、絶叫と嗚咽の中にその肉体は消え、御刀とノロだけが残った。
立ち上がった沙耶香は黒いコートを着る結芽の姿が彼女であるとようやく認めた。
「沙耶香ちゃん、帰ろうよ。薫が話あるって」
しかし、沙耶香は無言のまま立っていた。写シも解いていない。
「だろうね。薫の反対を押し切って、最新実証型S装備改四ノ一型を持ち出してエレンさんとこそこそと、警備隊には長期休暇なんて嘘ついてさ」
「結芽、私にはやることがある。だから」
「言い訳なんて聞かないよ。言い訳は薫の前でしなよ」
総面をかぶると赤のバイザーが下り、白い目がぼんやりと浮かんだ。
「ごめん、押し通る」
「そう言うと思った」
沙耶香は背を向けて全力で駆けた。迅移で加速すれば、結芽といえども追いつけないことを知っている。
だが、洞窟を抜けた先に彼女は立っていた。
「ノロ強制排出装置の欠点は把握してるの?」
迅移と八幡力を微細に組み合わせた斬りかかりに、刃で受けるしか手立てがない。沙耶香はようやく自身の力がまったく入っていないことに気がついた。体は反射的に動いているが、好きあらば体軸を崩しにかかる結芽の剣からひたすら逃げるしかなかった。そうする沙耶香の腹に蹴りが入り、岸壁に叩きつけられた。
「なんで、力が...」
大きなため息をつきながら、胸のコンバーターを指さした。
「S装備改四ノ一型の特徴、そして即時次の改良型が採用された理由は、フリードマン博士が搭載したマイクロ・ノロ回収装置およびその冥加強化とその解除装置を不要と位置付けたから、そしてそのノロを吸収した人間から強制排出するとき、写シを二度剥がされた時と同じ後遺症がでる。一時的なものだけど、今は沙耶香ちゃんをここに釘付けにするには最適解。今のままじゃ私には勝てないよ。沙耶香」
立ち上がった沙耶香は迅移を発動するが、あっさりと斬り付けをいなされ、腕を取られて高く投げ飛ばされる。石切の山に降り立つが、結芽は容赦無く斬りたててくる。切り出された石山を飛び跳ねながら、結芽の斬撃を受けるが押し負けて写シの耐久力が剥がされていく。このままでは、結芽が斬るまでもなく写シが剥がれ落ちてしまう。
だが、結芽の技術は容赦無く沙耶香を消耗させ、地面に叩きつけた。
その衝撃に写シは剥がれ落ちた。
「つまらない。沙耶香ちゃんの覚悟ってそんなものなの?手を抜けなくしたのに手加減の癖が抜けてない。ほんとがっかり...」
結芽は仰向けになる沙耶香の横に来ると、写シを解いて横に座った。
「じきにエレンさんたち来るから」
総面を解き、不思議そうに結芽の顔を見た。
「沙耶香ちゃん、私は嫌いなものが三つあるの、暇と、ムカデと、独りよがり」
セーフハウスに戻ってくると、結芽は当然のように冷蔵庫から飲み物を取り出した。
エレンとそれと呼んでいた山城美久が到着していた。
「エレンさん」
問い詰める目にどうしようもならないと首を横に振った。
「私が派遣された理由知りたいでしょ」
差し出された炭酸水を受け取ると、目で聞きたいかをエレンに尋ねた。
「構いません。大方は日高見瑠李を止めることを目標としていると踏んででしょう?」
「そう、沙耶香ちゃんと...君は?」
今の状況にやはり合点がいかないと言う表情だが、とりあえずと自分の名前を名乗った。
「美久ちゃんね。うん、じゃあ話をしよっか」
益子薫は舞草幹部入りが確定した段階でのSHAM討伐を意図していた。そのために、旧親衛隊である燕結芽を舞草に引き込んだ。だが、幹部衆はSHAM対策と益子薫の幹部就任がイコールで結ばれるのをよしとしなかった。これは薫の祖父が舞草創設中心メンバーであり、不用意に権威の世襲を許せば、組織の初期からの信念が揺らぐと言うものだった。しかし、薫はエレンとともにむしろその解体と、管理局組織への吸収を目論んでいた。薫の消極的な行動は、そうした組織が当初の目的を達成してからの無秩序な暴走を、あるべき組織体系に引き戻し、過去を清算することだった。それは日高見事件での暴走があった故に、すでに差し迫った危機であると感じたからだった。その若手グループの最大の支援者が、此花家、柳瀬家、そしてフリードマン博士だった。だが、この五年の積み重ねを不意にしかねないのが、SHAMの存在だった。英雄たる益子薫が動けば鎧袖一触、だが動けば自動的に舞草内での権威向上になり、その指導力を制限しようと四方八方から攻撃を受けることになる。そのために動いたのがエレンだった。
「エレン」
沙耶香の目をエレンはまっすぐ見れなかった。
「サーヤに話した思いは変わりません。でも、それと同じくらい薫にこれ以上負担を強いられません。だから、私は独断行動に出ましたネ!そして、日高見問題は全て解決していない...真琴の報告がなかったら、舞草組織はまた仲間同士での疑心暗鬼になりかねない...!」
改めて、エレンは沙耶香に向き直った。
「ごめんなさいサーヤ、私はあなたを騙してまして、一人の戦いをしていました」
「エレン。顔を上げて、薫とエレンの立場がどれだけ大変なのかを知らない。でも、世界を救って、友達も助けられるなら、私はそれが私の使命だと思う。舞草には未練はないよ、だから任せます」
「ありがとう...」
結芽は話を続けていいかを尋ねた。二人は頷いた。
「創設に協力した日高見には真琴さんとあの玄山がいた。そして日高見の『魂依』は完全に潰えてはいなかった。SHAMはある人物の計画に出資した。日高見瑠璃、玄山の孫で『魂依』の技術を密かに持ち出した女性。今のSHAMが日本で活動する上での中心人物。日本支部長みたいなところかな」
「結芽、彼女を止めれば」
「止められれば、SHAMの日本国内でのノロを用いた実験は止められる」
沙耶香の決意は堅かった。
「行こう、結芽」
その目を見て、結芽は嬉しそうににっかりと笑った。
茨城某所…ここには港近くの地下に研究施設が建てられている。そこは一部の人間しか知らない、SHAMの研究施設である。
施設最奥の祭壇のような場所では黒いストームアーマーが並んでいる。それはS装備改四ノ一型と瓜二つである。
それを調整する白衣の女性は、銀髪に亜麻色の混じった髪色で、目元は真っ直ぐ周囲を威する雰囲気を作っている。
彼女の前に黒の詰め襟のジャケットを着込む男が現れた。その襟には銀で蛇と林檎の刺繍が彩られている。
「THAVEね。ナメクジキノコの実験体はどうだった?」
「写シを剥がされました。自死を拒否されたので、こちらで消去いたしました」
機械の合成音が研究室内に響き渡る。
「そう、じゃあ舞草はそろそろここを嗅ぎ当てるわね」
「私としてはデータを残してくだされば、あなたの研究の成否および生死は問いません」
「あなたのそういう機械らしいところ、嫌いじゃないわ」
「恐れ入ります」
部屋の隅に置かれた太刀掛けから青の明智拵えの御刀を手に取り、抜き身を払った。
「いいわ、舞草壊滅にはいい機会だわ。まずはその先兵を殺してあげる。私の研究を!日高見の願望を!おじいさまの願いを踏み躙った真琴様と管理局を討つ!ノロ散布装置による侵食計画が野望成就の嚆矢となる!」
その刃は目の前にあったストームアーマーの試作品を真っ二つに断ち切った。目は赤く、怒りに猛った彼女の目は、復讐を誓った人間の恐ろしさを形作ったように見えた。
「作戦は以上、サーヤには一番負担をかけますが、結芽も速度勝負デース!頼みます!」
結芽と沙耶香は互いに顔を見合うと、拳を突き合わせて笑顔になった。
「頼むよ結芽」
「ええ!私たちの恐ろしさをたんと味合わせてやりましょ!」
すると美久が二人の左二の腕に赤のハンカチを結び止めた。
「私の姉も狂禍刀使にされました。でも、私の巻いたハンカチを持って必ず家族のもとに帰ってきてくれました。だから、二人も必ず戻ってきてください」
突然に状況に巻き込まれた彼女だが、この場にいる全員の思いが刀使にとっては普遍的なことだと気がついていた。災厄から人々を守る、公務員の肩書きが一番似合わない、正義の味方の心。
「ありがとう美久」
二人がバイクに乗り込むと、曇天の中に朝日が差し込むのが見えた。
「行こう結芽!」
「行こう!沙耶香!」
唸りを上げてバイクは山道を高速で走り出す。すれ違う車両もその姿を追えないほどに加速していく。
茨城県鹿島市、日本製鐵を中心とした工業地区が海沿いに形成され、その建物は白のように雨の薄暗い景色の中に聳え立っている。
情報のあった地下への入り口は堤防沿いにあるという。
だが、新路上の堤防出り口は封鎖され、その上に十三人のバイクに乗ったS装備を纏う赤い写シの刀使の姿があった。傘を差す女性の姿もある。
「あの人が日高見瑠璃…!」
「S装備改四ノ一型は元々は私が提唱したプラン、同じものを作るなんて造作もない。けれど、先の反省を生かして特殊能力抜きで勝負することにした。たとえ最強の刀使と言えども多勢に無勢。糸見沙耶香、これから死ぬ舞草の裏切り者たち同様、切り刻まれて死んでいけ」
十三台のバイクは一斉に堤防を飛び越え、沙耶香めがけて突っ込んできた。迷う暇もなく、速度を上げて御刀を抜き払い、正面から突っ込んでくる一台を切り裂いて転ばせ、堤防を勢いそのまま飛び越えた。地下トンネルへの通路を見つけ、自身を追う赤い刀使たちに追い立てられながらひたすらに走り続ける。
しかし、トンネルへの進路を先回りした刀使に封鎖され、やむなく製鉄所の地区内へと飛び込んだ。だが、直線の道路に出た途端に、十台のバイクに囲まれ、四方から刃が寒暖なく振り下ろされる。バイクを盾にしながら戦うが、強化されたバイクといえども傷が増えていき、やがて刀使たちはバイクの構造的に脆い部分を突きたて始めた。
(なら!)
迅移で飛び上がると、一人のバイクに乗り移って蹴り飛ばし、もう一台に乗り込んで写シを剥がして腹を殴って気絶させた。
バイクを急停止させると、そのまま飛び上がりパイプひしめく高層に入り込み、バイクのない場所を駆けていく。
「吸収増幅装置起動…! コンバーター…マイクロ・ノロを回収開始!」
追ってくる刀使たちから逃げながら、その周囲に赤と青の粒子が胸の吸引装置から増強装置へと流れ込む。
「変身…!」
その足を止めると、総面のバイザーが下り、写シが極彩色の残像を煌めかせた。
「無念無双…!」
沙耶香を囲むように赤い刀使が集まってきた。まだ十人、それもS装備で強化された狂禍刀使である。
「結芽、そろそろかな」
結芽のバイクが巨大なパイプを駆け上がり、その速度のまま彼女はバイクを迅移で飛び上がった。
施設の最上部に付けられた噴出装置をすれ違いざまに切り飛ばし、さらに鉄塔に着地し、そこを足場にもう一度迅移を発動。
「もぉおおおうぅうううう!いっちょおおおおおおお!」
保険と思われる外付けの装置を、金剛身と八幡力で強化した拳で粉砕した。
「エレンさんの真似してみた」
その光景を見ていた瑠璃は舌打ちをして、地下トンネルの中に入って行った。
「沙耶香ちゃん、お待たせ」
「うん」
「私の分、残してくれた?」
「見ての通り」
沙耶香は三人の写シを切り払ったが、まだ七人残っている。
「じゃ、ふたりで行きますか!」
七人が一斉に襲いかかってきた。だが、その状況に結芽は笑っていた。まずは一人の前に飛び込み剣を受け、彼女を囲まんと寄ってきた二人を一人を盾に腕を組ませて動きを止め、その隙に一人ずつ急所を正確に突き立てて写シを切り剥がした。
背中に飛び込んできた一人の右袈裟斬りを後ろに迅移をかけ、振り下ろす前に懐に入り、S装備を強引に引き剥がし八幡力の正拳突きを加えると、その場に写シを失って倒れ込んだ。沙耶香は虹彩の残影で三人を惑わし、その隙間に差し込むように斬撃を加えて写シを切り剥がした。
「ま、一分もかからないよね。吸収できるマイクロ・ノロの総量だってたかが知れているしね」
「みんなごめん、でも必ず救助が来るから」
「幸い、怪人のような消去装置はないみたいだね。エレンと美久に任せて地下に行こう」
「うん」
地下トンネル奥深く、そこには無数の御刀とノロのアンプル。未だ解放されていない改造人間の姿がある。
そして、奥の祭壇中央にはカナヤマヒメの名が書かれた軸を祀る神棚が鎮座していた。その前には白い羽織を着て帯剣している瑠璃の姿があった。
「あなたが、日高見瑠璃さんですね。今すぐ研究と侵食計画をやめてください」
「THAVEめ…機会も運も均等にということか」
祭壇を降りてくると、赤い目を光らせた。その体にはS装備改四ノ一型が装着されているが、二つの勾玉型コアが胸甲中央に向かい合うように付けられている。
「はじめまして、でもわたしはあなたたち二人をよく知っているわ。狂禍刀使になりながら、その力を引き出さずに放棄を選択した悪しき刀使」
「それは、日高見の極まった頭のおかしい人たちから見て、でしょ」
結芽の軽口に瑠璃は、薄ら笑いをしながらため息をついた。
「それもそうね。私もおじいさまと同じである必要はないわ」
「なら、もうやめましょう。魂依は終わったのです。だから…」
「それは無理よ。私はね、真琴様が憎いの、私を差し置いて計画の停止を決めて、あまつや自身の身にカナヤマヒメを宿してたなんて、私が真琴様の負を全部引き受けると誓ったのに!あの人は、私をあのおじいさまのもとに置き去りにして、私から引く場所を絶った!自分で決めなさいだって…?だったら、なぜ私に言わなかったのかしら、残党の旗頭になるような真似をするなと、私は復讐をやめない」
鯉口を切ると、綾杉肌に直刃の御刀が姿を現した。
「出羽の名工、月山派の室町期の太刀。真琴様の御刀を譲っていただいたもの、さぁ覚悟しろ、舞草のバッタども」
互いに写シを張り、総面バイザーを下ろした。
沙耶香と結芽が斬りかかったと同時に、刀を水平に構えて差し出すような体制になった。
二人の斬撃が瑠璃に届かず、わずかに月山の刃に触れた。瑠璃からは放出される風のようなものが、二人を押し込むように激しく吹き荒れる。
「な、ありえないって!」
そこから魂依刀使特有の重たい横薙ぎが走り、二人を吹き飛ばした。
「強制排出装置!それもかなりのノロ質量を放出してる!」
「だったら!」
結芽は間合いに飛び込み、激しく突きを繰り返しながら間合いを詰め、受けに引いた瞬間を狙って腕を取ろうとした。だが、逆に手をかざして結芽の間合いを遠ざけ始めた。そこから迅移でも一歩も動けず、風は後ろへ引かせもしない。
(まずい!)
振り下ろされた一撃を来国俊が受けたが、間髪入れず手を沙耶香の腹に突き風を叩き込んで沙耶香を壁に叩きつけ、雁字搦めにされる結芽にも袈裟斬りが写シが消された瞬間、壁に向かって蹴り飛ばされた。
瑠璃は余裕を絵に描くように長い髪を梳きとかした。
「私の改良したS装備改四ノ一型は、あなたたちのフリードマンが調整した代物とは出力が違う、吸収できるノロの絶対量も桁が違う。私が冥加刀使と魂依の完成型。魂依零型よ」
受け身をとって起き上がると、壁を背に立ち上がった沙耶香の隣に立った。
「まずは…コンバーターの無力化?」
「うん、そのためには」
「いいよ、とりあえず足止めね!」
写シを張り直すと、悠々と月山を構える瑠璃に向かって飛び込んだ。
だが、今度は結芽の間合いを風圧でコントロールしながら、あらゆる部位を撫で切りしていく。
「ああ!もう!」
その隙に飛び込んできた沙耶香の姿を認めて風を繰り出す。だが、沙耶香はそれを待っていた。無念無双の極彩色の影が伸び、瑠璃の風は沙耶香の残像を捕まえようと何度も空振りを繰り返す。瑠璃が体を回して、彼女を追い始めた瞬間、胸を刃が切り叩き。
「いまっ!」
間髪入れずに、もう一度横から胸を叩き切ると、写シと風が消し飛び、S装備の胸に輝く片方の勾玉の光が消えた。
「まだまだーっ!」
風が消え、結芽は二度の袈裟斬りを加えて、胸のコンバーターラングを使用不可能にした。
「それで?」
写シを即座に張った瑠璃は、小刻みな迅移を繰り返して二人の背中を斬り、結芽の背中を蹴り飛ばして祭壇奥へ吹き飛ばし、沙耶香へも突きが入り足蹴にされて体は祭壇奥に投げ出された。二人は即座に起き上がったが、どうしたものかと顔を見合わせた。
「S装備抜きであの実力、日高見瑠璃。あれほどの刀使がまだいたなんて」
「わたし、昔から年増の刀使って苦手なんだよね。強いし、年功があるからうるさいし」
「あんなに紫様に構ってもらおうとしてたのに?」
「もう沙耶香ちゃん!でも、今はもう無理かなぁ。あの人の相手をするたって、どうするの」
「自力で倒すしかない。私たちの吸引ノロ量も...」
「ノロ抜きで実力勝負…なんだ、私たちの領分じゃん。魂依の相手だって一度だけじゃないしね」
総面を脱ぎ捨て、素顔になると二人は写シを発動して構えた。結芽は左正眼、沙耶香は隠剣の構えで対した。
それに対して、瑠璃は八双の構えで二人を待ち受けた。コンバーターを失っても、体内にノロを保有し続ける魂依刀使に隙はない。
だが、二人は確信していた。勝てる、と。
先に沙耶香の切り落としが走り、右へ左へ、絶え間ない迅移で跳ねながら瑠璃の集中力を削いでいく。
「こっちこっち!」
そこに結芽が出て、兼定で切り付けると見せて近間に飛び込んで腕を取ろうとする。瑠璃が逃げることに執着したことを見計らい、間合いを離した途端、瑠璃に迅移の斬撃が前後左右から何度も繰り返し叩きつけられる。沙耶香と結芽の息のあった斬撃が、瑠璃に一縷の隙も与えない。
「私は負けられないの!」
沙耶香の脇をとらえ、右逆袈裟で彼女の写シを切り落とした。だが、そこまでだった。
結芽の二度の斬撃、そしてトドメの突きが急所を貫いた。
「悪いけど、私たち二人相手にはまだまだみたいね」
切先を抜くと、瑠璃から写シが抜け落ち。その手から月山を落として、がっくりと項垂れた。
「やっぱり、ダメなのね」
沙耶香は立ち上がると、結芽に笑みを送ってから目の前の瑠璃へと手を差し伸べた。
「日高見瑠璃さん、もう一度、真琴さんと話をしてみませんか?今度は全ての思いを聞いてもらえます。だれだって、悪いことの一つや二つあったら、親しい人は理由を知りたがるものです」
「ふふ、いまさら聞いてもらったって」
「魂依の弱点、それは人ではその力を五十%も制御できないこと、その壁の突破をきっと瑠璃さんは成し遂げる。そう、真琴さんから情報をいただいていました」
「真琴様が」
「玄山から離すためとはいえ、かえってあなたに一族の罪を背負わせてしまった。だからこそ、いつでも待っているそうです。故郷のあの家で」
赤く泣き腫らした顔を上げ、沙耶香の手を震える手でとった。
時刻はすでに夕方、外は晴れ上がっていた。
陽は傾き、海は光瞬き、二台のバイクはオレンジ色に染まっている。
「これでSHAMも日本で活動する理由がなくなった」
沙耶香は落ち着いたように、大きなため息をついた。
「でも、まだまだ人とノロの融合の研究は一段階目、あの怪人たちのように荒魂の能力を使役する存在も今後出てくる。私たちの仕事はこれからも多いよ」
結芽はバイクに乗ると、沙耶香にも乗るように促した。
「いいよ、私は大切な人たちと世界を守るために戦ってみせる」
「じゃあ、これからも不定期でライダーをすると?」
沙耶香はエンジンをかけ、ヘルメットを被った。
「もちろん!行こう結芽!」
「うん!二人一緒に!」
夕焼けの道、二人のバイクは空を駆けるように、遠く遠くへ走っていく。
この出来事は二人が刀使を引退する一年半前の出来事である。そして、二人の世界を守る戦いが始まった日でもあった…。
…了
2023/5/31 少々の用語の修正、主に著者の勘違いの語句『狂禍刀使』と正しい『冥加刀使』を入れ替えた。