温度計が甲高い音を鳴り立てる。
傍から取り出すと、ぼーっとする頭でも事態を飲み込めた。
「何度だった?」
ベット傍の豊執に温度計を渡した。そこには、38.2度の表示があった。
「見ての通り」
喉の痛みからか、しゃがれた声で小さく答えた。
「今日は休むんだ。喉風邪の薬ないから病院行ってちゃんと処方箋出してもらおう」
「だるいから外出たくない」
「まだ暑いからって、寒い中を薄手で過ごしてたのは誰だい? そのまま一日中、ゲーム画面に張り付いていたのは誰だい?」
「むぅ」
「じゃあ、ミルヤさんに電話してから、近所の内科の先生に電話するよ」
小さく膨れる結芽に笑顔を見せた。
「いいじゃないか、二日、三日は後輩たちに任せても」
「……わかったよ、言う通りにするから」
◇
特剣博は準備を終え、秋の国宝と重文を揃えた展覧会が今日から始まろうとしていた。先週、モニカ女史のもってきたドイツから帰ってきた御刀に関する報告書も、先週のうちに送り、女史の意を汲んでこの御刀の来歴を公開することが決まっている。
そんな月曜の朝、ミルヤは豊執からの電話を受けていた。
「はい、ええ、わかりました。本人にはゆっくり休むよう言ってください。それでは、失礼します」
ミルヤは通話を終えると、朝礼のために立っていた二人の顔を見た。
「おはようございます。さっそくですが、燕結芽は喉風邪をひきました。本日の特殊形態荒魂の討伐支援は我々だけで行います」
詩織と未久は互いに見合った。
先に未久が心配そうな表情をミルヤに見せた。
「あの、今回のは相当に難敵というお話でしたよね……?」
「ええ、しかし、二人とも十分に実力をつけています。ここはあえて燕結芽がおらずともよいでしょう」
詩織は二度頷いた。
「そうだよ未久ちゃん! 先輩に安心してもらうためにも頑張らなくちゃ!」
「……ミルヤさんには対策案はあるのですね」
「もちろんです。もしものときのためにいくつか考えてあります」
「ほ……なら!」
またミルヤに電話がかかってきた。
「朱音さまからです。少し待ってください」
電話に出ると、話が進んでいくごとに蒼白になっていった。
「わかりました……すぐに……失礼致します……」
「あの、ミルヤさん? どのような話でしたか」
朱音はとある人物から電話を受けていた。話は以下の通りである。
「おっはー! イワナガヒメだよ☆元気にしてるよね朱音! ちょっと突然なんだけどさ、今日から特剣博で展覧会があるっていうからさ! 観に行きたいからそっちいくねー! なんかドイツから戻ってきたっていう現代御刀も見たいなー! ミルヤに口添えしといて! ダメって言ったら、現世にある半分以上の御刀使えなくするからwwwwww、いつものとこに十一時にいくからよろしくー☆」
「なんでこのタイミングなんですか……」
机に突っ伏したミルヤはぶつぶつと今日の日程を洗い出し始めた。
詩織と未久は再び目を合わせた。
「や、やるしかないよ」
「でもアレに対抗するためにはミルヤさんと結芽先輩のどちらかが重要……両方とも欠けたら……」
「ううん! 大丈夫! わたしたち二人だって、ずっと二人についてきたんだよ! いけるよ!」
「……しおりんはまっすぐでうらやましいなぁ」
詩織は小さく首を傾げた。
「正直、発破かけないときついと思う」
結芽は風邪で寝込み、目の前のミルヤはイワナガヒメの突然の訪問に頭を抱えている。もはや、まともに実働できるのは二人以外いない。
「たしかに……」
◇
現場に到着した二人は大きなため息をついた。
と、いうのも……
〔目標の市街地侵入を抑えきれず、森を抜けて柏の市街地に入り込んでいます! 即急に対策を請います! 〕
体長四メートル、動物を模する荒魂には珍しい昆虫型で、その形態、そして能力から対処を安易ならざるものにしていた。
対応していた遊撃隊のメンバーは疲れた表情を浮かべていた。
その部隊の隊長をしている赤毛の鎌府の刀使は、とにかく行動を見守るしかない状況だと言った。
「行こう、しおりん!」
「うん!」
「案内してください!」
隊長は隊員たちと、つい目を合わせた。
「監視や、動向確認ならドローンで十分では……?」
「調査隊はまず目で確認してから行動します! 現場第一が急用でいないミルヤ隊長の方針です!」
未久の覇気のある目を見て、しぶしぶ頷いた。
「はぁ……」
彼女の案内で避難を終えた当該の住宅街に入ると、壁から小さく顔を出すように十字路を歩く目標を見つけた。
「あれが……亀蟲型……」
茶黒いボディに特徴的な甲冑のような体皮、体の至る所から荒魂の琥珀色の輝きが迸っている。
「報告通りなら、奴にはある特殊能力があります……」
亀虫型の足が止まり、羽を大きく広げて、三人の方に正面を向けた。
「気づかれた……! 逃げましょ!」
「え! 喜多隊長! ちょっと!」
一目散に逃げ去る隊長を横目に、未久はすぐに御刀を抜くように言って、強引に鞘を叩き壊してから写シを張った。
舗装路が引っ掛けるような音がすると、すでに目の前に亀虫型がいた。
「まずは……データをとらないと!」
迅移で飛び込んだ未久は、亀虫型の左側背に回って次郎太刀の重々しい一撃を叩き込んだ。
ガキィィィイン!
その外殻は、いとも簡単に刃を弾いたのである。
「なんて固さ……!」
詩織も八双飛びの八幡力による加速の斬り付けを三度打ち込んだが、小さな切り傷がつくだけでまるで効果がない。
「報告通りの硬度……そして、問題は……」
亀虫型はやや体を浮かせると、腹の半ばからオレンジ色の煙が弾けるように周囲に広がった。
二人はしばらくすると、顔を顰めて一言言った。
「くっさーい!」
亀虫型は体勢を整えて、未久に突撃しようと構えた。
「未久ちゃん! 撤退しよう!」
「お〜け〜っ!」
飛び込んできた亀虫型を真正面から縦一文字に振り落とすと、地面に叩きつけられた亀虫型は動かなくなった。
「いまだ! 行こう!」
急いで亀虫型から離れた。
◇
遊撃隊の隊員たちが待機するところに戻ってくると、二人から距離を置き始めた。
「あの! 早く写シを解いてください! あいつのニオイは写シにへばりつくんですよ!」
それを聞いて、すぐに解除すると臭いはすぐに消え去った。
「本当にカメムシみたい……」
隊員たちいわく、森の中で潜伏してるいた亀虫型はしばらく動かなかったが、切り祓うために隊員で一斉に襲いかかった。だが、あの外殻のために攻撃が一切通じず、それどころか強烈な突進攻撃と、元になったカメムシと同じ強烈な臭気を放たれ、こうして距離を置いて市街地に侵入するのを任せるしかなかったのだという。
「これで全て合点がいきました。でも、次郎太刀の一撃は外殻に弾かれこそすれど、カメムシはダメージを負っていました。ミルヤ隊長から対策案をいくつか伺っております!」
「それはぜひ伺いたいわ」
「水科参謀長!」
水科絹香は特祭隊対荒魂戦術課、通称参謀本部で副参謀長を担っており、同時に遊撃隊では顧問兼参謀長として職責を負っている。非常に柔軟性に優れ、各方面の意見をまとめ上げ、それを現実に落とし込む能力が高く、警察庁幹部からのキャリア組への勧誘があったことからも、高い評価を窺わせる。
「状況は喜多さんの言う通り、今回調査隊に対応を頼んだのも不測の事態を憂慮してのことよ。もう一体の荒魂の反応がスペクトラム計に出ているわ、迅速な対応が必要よ」
「はい、承知しています。しかし、実現には遊撃隊の物資・人材を全力で投入する必要があります」
「うん、それは構わないわ。でも、現場で状況把握と有効策をもてているのは二人だけ、それに山城さんは亀虫型に有効な攻撃が可能。前衛に出てもらうとして、私としては疲労の溜まっている喜多さんには部隊運用に集中してもらって、刀使の指揮をあなたにお願いしたいわ。柳瀬さん」
「わたし……ですか」
詩織もすぐに余談ならない状況であるのは把握していた。同時に、現役の刀使で指揮能力を持つのは自分しかいないと理解していた。
「大丈夫ですよ、しおりんならやれます」
未久の後押しに、小さく笑みを浮かべた。
「わかりました! いまより、対亀虫型作戦の指揮は私がとります! では、ミルヤ隊長からの三つの腹案をお話しします!」
◇
応援の部隊が到着すると、詩織は小さく班を組んで、移動する亀虫型を包囲するように四班が隠れながら移動する。
配置についたことを確認すると、詩織はインカムのスイッチを入れた。
〔柳瀬より全体へ、これより捕虫網作戦を開始します。捕縛班、特殊攻撃班はスピードが命です。必ず私の指揮に従ってください。それでは、十五秒後に作戦開始します〕
班長の刀使が時計を見て、針が十五秒後を正確に指した。
〔突撃〕
四方から一斉に十人の刀使が飛びかかった。
だが、その中央の亀虫型は即座に臭気を打ち放った。オレンジ色の煙が一気に周囲を包んだ。
「ほんどは! そうはひくかー!」
飛びかかった刀使全員に鼻を挟むタイプの鼻栓がなされ、彼女たちはあらゆる攻撃を取り囲むように打ちつけた。
「かったーい!」
「口ずたいに臭いが……」
「我慢! うぐっ……がぁふぁんっ!」
しかし、やはり有効な攻撃とはならない。ことごとく攻撃が弾かれる。
「やはりそうなりますよね……第二段階に移ります! 誘導班は私に続いて! 他のメンバーは指定された方向から退避!」
詩織率いる誘導部隊が亀虫型を挑発しながら、広い通りの方へと誘導していく。
ガサガサと音を立てながら、迅移で大きく移動する詩織たちを猛烈な速度で追いかけ回す。
〔鈴本参謀! そろそろです! 〕
やがて、大きな十字路の中心に亀虫型は侵入した。
〔捕縛機! 第一射撃てっ! 〕
十字路の四方に茂みに擬態して隠れていた隊員が、一斉に小銃型の捕縛網を発射した。
グガァァァァァ……
亀虫型がその場に固定された。だが、凄まじい力で対荒魂網を食い破ろうとする。
〔固定は十分です! 特殊攻撃班お願いします! 〕
その指令を受け取った遊撃隊顧問刀使の鈴本葉菜は、大型の装甲車のキューポラから顔を出した。
〔諒解! 1号車、3号車、5号車、射撃位置につけ! 〕
陸上自衛隊から譲渡された96式装輪装甲車が十字路の三方向に侵入して停車した。
〔対荒魂冷凍拘束弾、射撃用意! 照準、亀虫型荒魂! 〕
キューポラの銃架に架けられた40mm自動てき弾銃が、特祭隊所属自衛隊員の手で操作される。ドットサイトにピタリと亀虫型の頭部が捉えられた。
〔射撃準備よし! 〕
「撃てーっ!」
五連発された擲弾は正確に亀虫型に命中し、白い膜をその頭部から全身に形成した。
やがて、動きがゆっくりになり、先ほどまでの俊敏さはなりを顰めた。
「やった! 動きが止まった! 臭いも出さない! 今なら次郎太刀で……」
〔緊急連絡! 緊急! 〕
次の一言に、指揮官たちの顔は真っ青になった。
〔亀虫型がもう一体出現しましたっっっ! 主力の山城未久が追いかけまわされています! 〕
「へっ?」
一分前
迅移で目一杯加速をかけて次郎太刀を打ち込むために、亀虫型正面の百メートル先で待機していた未久は自分の出番がくるのを写シを張って待っていた。
「順調だね。よぉし……ん?」
彼女を護衛していた刀使たちと、右から現れた羽を鳴らして降り立つ緑色で三メーターほどの荒魂に唖然とした。
しばしの沈黙が未久たちを包んだ。
「みんな! 急いで鼻栓してっ!」
咄嗟の未久の言葉は、脆くも緑の亀虫型の発した黄色い噴煙の前に崩れ去った。
「きゃーっ!」
「くさいーっ! にげてーっ!」
未久は間一髪間に合ったが、突進してきた亀虫型に吹き飛ばされた刀使から写シが解け、逃げようと立ち上がったが強烈な臭いに失神して倒れた。
もはや、茶色の亀虫型に構っている暇はなかった。
「だ、だりゃーっ!」
打ち込みで緑型は外殻が凹んだ。茶色より脆い、が俊敏さはこちらが一枚上手であり、引いた未久を飛んで追いかけてきた。
「きゃーっ!!! こないで、こないでーっ!!!!!」
現場は大混乱。詩織たちは少しずつ解け始めて動きを取り戻す亀虫型を見守るしかできない。
〔未久ちゃん! 今どこにいるの! 〕
〔茶色のやつが最初に出た森の方にーっ! 打ち込んだらかなりダメージを与えれたーっ! 止まってくれればっ……勝てるよーっ〕
〔わかった、ありがとう! とりあえずそのまま逃げて! 〕
詩織はスペクトラム型を見ながら、落ち着いて状況を整理した。
〔水科参謀〕
〔有効ではなくても攻撃はしておきましょうか……〕
〔それしかないですね絹香さん……〕
〔鈴本より、柳瀬隊長へ、一両を山城未久の支援に送りたい。少しでも動きを止められれば勝機はあるよ〕
詩織は即決で支援を頼んだ。
〔二両で行ってください! 確実に仕留めてください! 〕
〔諒解! まかせてくれ! 〕
◇
未久は逃げ惑いながらも、周囲にドローンがピッタリとついてモニタリングしてくれているのがわかった。
「あーもーっ! ストーカーはおねーちゃんだけでじゅうぶんだーっ!」
〔僕もそう思うよ、未久〕
〔葉菜先輩! 〕
〔今から言う方向へ全力疾走! いいかい? 〕
〔よろこんでーっ! 〕
三つ目の角を左に曲がって、さらに二つ向こうの角を曲がると、もときた方向に戻ってきた。
道の先で道を半ば塞ぐように、96式二台が並んだ。
「きたーっ!」
〔未久! 低くしろーっ! 〕
未久はスライディングして96式の間を抜けた。
「撃てっ!!」
二台のてき弾銃が亀虫型に連射し、凍りつきはじめて左右の羽のバランスが崩れた。
「あ……対ショック姿勢!」
01の記号が書かれた葉菜搭乗車へ亀虫型が衝突、96式はゆっくりと九十度側面から直立するように倒れた。
だが、ベコベコに至るところが潰れる亀虫型は、ゆっくりと執拗に未久を追いかけてきた。
車内でひっくり返っていた葉菜は、呆れたように車内を見回した。
「いちおくえん……一億の装甲車がなんで転がるんだっ!」
「この96は車高が高いからひっくり返りやすいって評判なんですよっっっ!」
「だからって、本当にひっくり返るなんて思わないよっ!」
起き上がった葉菜は車内にくくりつけていた村田刀を引っ張り出した。
「始末書の落とし前つけてやらなきゃ……!」
と、詩織から新たな命令が飛んできた。
〔ふたりには、こっちの亀虫型の方へ、緑の亀虫型を誘導してもらいます! 〕
◇
またまた十五分前に遡る。
鼻栓をつけた刀使たちは氷付を少しずつ砕く亀虫型に飛び込んだ。
だが、かえって氷を砕く手伝いをするだけだった。
「普通の荒魂なら効くのに……ミルヤさんの秘策が二匹目の亀虫型で失敗、それどころか同じ臭気を放つタイプ……なんでよりにもよって同型なのっ! .同型!」
詩織は思い出した。
それはいつしかあった播つぐみの奇怪荒魂探索での、彼女の簡単な講義のことである。
「荒魂はたとえ同じものを模して、同じ形を得ても、ノロとして取り込まない限り個です。荒魂が荒魂を殺して、吸収するのはそれが理由です。荒魂から分離した荒魂が個になるのは長い年月が必要です。同時に、同じ形態でも別個と思しき行動をとっていれば、それは別個体の荒魂というわけです」
詩織はすぐに絹香に新たな考えを伝えた。
未久と葉菜が誘い込みながら、駆け足程度の速度で追ってくる亀虫型を詩織の言ったポイントに誘導してきた。
「よし……ここまでだ」
「八幡力っ!」
突然飛び上がった二人を追いかけようとしたが、緑の亀虫型の前に、茶色の亀虫型が姿を現した。
ばったりと鉢合わせた両者は、見つめ合ったまま動かなくなった。
「うまくいって……もし同じようにカメムシを模した荒魂なら……」
詩織たちが屋根の影から見守る中、突如として両者から臭気の煙が打ち放たれた。
濃い黄色の噴煙の中、ゆらめき出した亀虫型はひっくり返って、足を閉じた。
「よっし! 作戦は成功だ!」
「いくら本物を模したからって、カメムシがカメムシ自身の臭いに弱いのも再現しているなんて……作戦を立てたの私だけど……」
呆れた。が、効いた。すべきことは決まっている。
インカムのスイッチを入れ、大きく息を吸った。
〔突撃ーっ!!!! 頭部を集中的に叩いて、切り込みを入れろーっ! 〕
真っ先に飛び込んだ未久は二匹分の臭いに咳き込みながら、茶色の頭部を執拗に叩いた。
「もう……いっちょーっ!」
砕けて割れた頭部から、複数の刀使の突きが入り、ついに沈黙した。
緑の亀虫型は意識を取り戻して暴れるが、葉菜によって腹を捌かれそこに御刀による突きが入るとようやく沈黙した。
「はぁー……ようやく鎮まった……」
肩の力が抜けた詩織はがっくりと項垂れた。
◇
四日語。
「おはよう! すっかり風邪も治って元気いっぱい! 私のいない間ごめんね。今日からまた頑張るから」
すでにその週にトラブルの波を越えた三人の顔には疲れが浮かんでいた。
「いえいえ、どうかほどほどでお加減を悪くしないようにしてください……」
詩織は眠気眼で結芽に答えた。
結芽はふと床を見ると、あるものを見つけた。
「あ、カメムシ」
調査隊室は詩織と未久の絶叫と混乱に包まれたことを末尾に記す。
了……