翌日。
現場の整理が行われる最中、現場検証が京都府警によって行われる。
具体的な状況説明も調査隊の手で行われた。担当の顔の彫りの深い刑事はハシヒメの名を訝しんだ。
「私が言うのもおかしな話ですが、カナワ。別名のハシヒメが本当の名前なら、平家物語に登場する鬼になった娘の名前です。一千年も生きていたことになります」
それはミルヤたちも承知していた。
一千年前の、それも目の前で回収される髭切の伝説にまつわる鬼が突然現れたことになる。
「先日のしろぼうずを襲撃した人型荒魂と共通点があります。青い炎を灯し、それを操り、なおかつ手には錆まみれの勤王刀が握られていたことです」
「……やはり、調査隊のみなさんには、このまま追跡と調査をお願いしたいと思います。私よりも荒魂と刀に精通していますからね、こちらも負傷者から有益な情報がないか集めて報告しますよ。それと、連絡役に府警特祭隊課からメンバーをまわしますよ」
「失礼します! 十津川刑事!」
「おお、来ましたね。ご存知と思いますが、綾小路の準刀使で府警属の伺見をしている山本美弥さん。彼女が同行して、私共で協力事項があれば彼女が繋いでくれます」
大学生刀使を示す白い詰め襟の制服を着た彼女は、大人びたやさしい笑顔を見せた。
「おひさしぶりです! ミルヤ先輩、燕さんに未久ちゃん! あと詩織さんも任務以来ね!」
もはや説明不要だろうが、彼女は綾小路元生徒会長。現在は京都大学教育学部で勉強しながら、人手不足である綾小路の大学生刀使として所属し、同時に特祭隊の臨時職員職である『伺見』の肩書きも持つ。
天満宮敷地内の茶店に入った五人は、さっそく彼女に例の手紙を見せた。
「回生の香は御刀の写シを引き戻すための重要なものですが、そう数のあるものではないはずです。たいこうのみしろ? そこに植えられた橘の木を探せと言うのでしょうが……」
「太閤……京に城を建てた太閤はほぼ一人に限られます」
「……わかる? 詩織ちゃん、未久ちゃん」
結芽の問いに二人は頷いた。
「ええ、歴史の教科書にも出てきますから」
「太閤……関白豊臣秀吉です。伏見城、そして聚楽第が有名です」
「未久ちゃん、もうひとつ忘れてるよ」
美弥の言葉に首を傾げた未久は、すぐに森の方に目を向けた。
「ああ! 御土居ですか!」
「おどい?」
結芽と詩織は知らなかったが、熱心に歴史書を読んでいた未久は知っていた。
御土居。かつて室町後期の戦乱や災害を通して荒廃した京都の復興のために、秀吉は京都中心部を水害と戦災から守るための土塁と堀を天正19年(1591)に建設。総延長22.5キロにもおよぶ長大なものであった。北野天満宮のもみじ苑として知られる場所は、秀吉の作った御土居の一部である。
「つまり、このあのハシヒメを祓いなら、この22キロにもおよぶ御土居の跡地から橘の花咲く場所を探せというわけですか……」
未久の言葉に詩織は結芽へ目を向けた。
「結芽先輩。ハシヒメは倒せますか?」
いつもなら笑顔でもちろんと言う彼女だが、小さく首を傾げた。
「あのハシヒメ、私の斬撃を全部避けたの。まるで当たらないことが決まっていたみたいだった」
「どういうことですか?」
「私が切るイメージと現実が全部異なっていたの。こんなの今まで経験したことなかったから、正直もう一度当たってみないとはっきりしたことは言えないかな」
「では端的に聞きます。燕結芽、あなたはハシヒメを倒せますか」
「無理です。情報が足りません」
「そうですか。引き続きシロボウズを斬ったカナワことハシヒメの調査と、この手紙にある御土居の橘の花を探します。山本美弥、綾小路から人手は出せますか?」
「……あまり期待はできません。しかし、北野天満宮で負傷者を出す事態を引き起こし、神宝の髭切に危害を加えようとしました。なんとか三班は出してもらえると思います」
「お願いします。では、調査を始めましょう」
人混みに隠れながら、カジュアル服装に大きめのシンプルハットをかぶり、人肌に化粧した大覚の橘は五人が動き出したのを見守っていた。
「そうそう、ちょっと見つけるのは大変だけど、きっとあの子達ならやってくれはるわ。それにしても……」
宝物殿に目を向けた橘は首を傾げた。
(なんで髭切の復活を願うんや? あたしら人の形をした隠鬼荒魂にとって、すべての隠鬼の力を突破する髭切は自分らの存在を否定するも同然。カナワにとっては唯一自身を傷つけた御刀……力のない状態の髭切を破壊する絶好の機会だった)
橘は宝物殿に現れたカナワが、当代随一の刀使を前にして隠していた能力の一部を見せ、介入もやむをえないと思ったところで去った。
調査隊から距離を置きながら追いつつ、ひとつ思い当たることが頭に浮かんだ。
それは八十年前、日本のほとんどを焦土にして敗北した戦乱のあと。
座談会で御刀の蛍丸が持ち出された話がでた。
「はぁー、アメリカ国の人間は物好きやなぁ! ほほほほ!」
七人の人型荒魂は茶とお菓子前に火鉢を囲みながら、座敷から舞い散る紅葉を見ていた。
「されとて大覚の橘や、髭切と膝丸を持っていく言われたらどうする」
笑っていた橘の手が止まった。
尼姿で銀髪の下に伏せた狐の耳と、切り立った美しい目元が薄紅ほほを強調していた。銀の瞳が橘に向く。
「冗談やろ、烏帽子の姉様。あれ持ってったら、次にヤマタノオロチが出た時の切り札がないで? 髭切の写シは私らを倒せてしまうから、三百年前に折神家との契約で座談会が持っているけど、刀身がなくちゃ私らだって勝てっこないよ。イワナガヒメ様が隠世の奥深ーくに隠してしまわれた原初の珠鋼を使った七支刀があれば別やけど」
「そんな贅沢はできんわ。第一、あの七支刀が現世に再臨する時はこの世の終わりだけって約束や。だから、ワシは心配しとるのじゃ」
いいじゃありませんか。そう言ったのは黒い長髪に喪服のような着物を着るカナワであった。元人間であっただけに、七人のメンバーではもっとも不気味な存在だった。
「いつまでもここにあの刀があるのがおかしいのです。そして、いつまでもここに日本があると思うのも可笑しな話ですわ」
「しかしなぁ」
その真っ黒の瞳に背筋が凍った。
「でも、珠鋼とノロをぞんざいに扱った罰を受けるのは人です。私たちほどの存在にとっては、羽虫を払うようなものでしょう?」
「カナワ。いいや、ハシヒメ」
カナワは露骨に不機嫌な色を浮かべた。
「それが罰と自覚できないほどに痛めつけられたら本末転倒。私は人と子を生した荒魂。はるか昔に亡くなった夫と子の子孫が、珠鋼とノロを生み出したその過ちを抱え続けさせることが我々、鬼となった荒魂の使命。また別の世界を抱えるものに、お前が何だったのかを教えるのは至難だろうさ」
カナワは高笑いをあげた。
「あははははは。それは願ってもないことで、今更この生に何の執着がありましょうや、ここの皆様も。何をして千数百年を生きておいでか?」
そう言ってから唖然とする一同をよそに、カナワは茶を飲みはじめた。
「……橘よ」
「はい、姉様」
「この課題に向かう者に知恵を貸してやれ、行き詰まったらそれとなくヒントを置いてやるのじゃ。それと、蛍丸などをこの土地に戻す手立てを考えねば、この土地からノロと荒魂が出ようものなら大昔の大災厄の二の舞となる。そして刀身のない髭切の写シがあったところで、御刀は本来の力を発揮せぬからのう」
「承知しております。各々がた、どうぞごゆるりと茶をお楽しみください。それと」
大覚の橘は無表情にカナワを見た。
「どうぞ今は茶を飲めるだけでご満足いただけることを願いますわ。カナワさん」
「……」
大覚の橘はぼんやりとだが、カナワの意図するところを理解し、同時に執拗に隠鬼座談会メンバーを理解した。
「百年前にあの会に入れた時から、意は同じってわけやな……陰気な子やな。五百も年上やけど」
橘は車に分乗した調査隊のどちらを追うか迷って、結芽の乗った車を選んだ。
「さぁ……カナワがどう乗ってくるかわからないけど、頼んだよぉ〜! うちらは折神家との契約上は面合わせで渡せないからね」
車の向かう方向を確認し、鳥居へと飛び込むと忽然と姿が消えた。
◇
結芽と未久、そして詩織は京都七口の一つ、鞍馬口へときていた。
「さぁてと、なるべく早く見つけたい。私としてはハシヒメと単独でぶつかりたいの。そのために、私はこれから大宮交通公園の御土居から北野天満宮までを単独で探索する。二人はこのまま鞍馬口から大宮交通公園前まで探索をお願い!」
「ゆ、結芽先輩が強いからってリスクがあります! 相手は未知数なんですよ」
「心配してくれてありがとう未久ちゃん。ハシヒメを見つけたら即刻警告送るし、いざという時は写シを張っての長距離高速移動も認める。それに二度も手を煩わせられるなんてありえないから」
「わかりました。未久、ここは結芽先輩を信じよう!」
「ごめん。だけど、バックアップよろしく! でもさ、ハシヒメ倒すために髭切が必要なら、髭切の刀使は誰?」
未久は隣の詩織の肩を叩いた。
「え!? なんで!」
「薄緑の新しい刀使に選ばれてる話、とっくにミルヤさんの耳に入ってますよ。源氏重代の御刀の片割れが使えるなら、髭切も使えます」
「わ! わたしはこの車太刀がいいのーっ! 薄緑も素敵だけどー!」
「責任重大だねしおりん」
半泣き顔の詩織がニヤニヤ笑う結芽にむすっとした顔を向けた。
「しおりん呼びは未久ちゃんの特権です! それに意外とはずかしいんですよ!」
「しおりん! しおりんなら大丈夫! しおりん!」
「この流れで未久ちゃんに言われると恥ずかしいってぇ……!」
気分の落ち着いた結芽は和泉守兼定を抜いて写シを発動、ふたりによろしくと言って八幡力で飛び上がった。
京を屋根伝いに飛びながら、さらに北へと下っていく。
やがて降り立って、御刀と写シを収めると、公園敷地内の御土居には朱色の鳥居と小さな朱の祠が立っている。
歩みを進めて、お土居を見上げ、しばし立ち止まった。
「うん、任せちゃお」
結芽はそそくさとその場を立ち去ろうとした時、ピタリと足を止めた。
「あのね、私って昔から出会いの予感には人一倍敏感なの」
振り向くと鳥居から半ば顔を出すシンプルハットの女性が、気まずそうに結芽を見ていた。
「な、ななな、なんのことやろーなー」
「ずっーと私の後を追いかけてましたよね。あなた、ハシヒメですか」
「それ違う、ぜったい違う」
「じゃあ、あなたは誰?」
鳥居の境界から抜け出てきた彼女は、顔を伏せていた。
(どーしよっ! ほんとにどうしよっ! 見つからないと思ってたけど、あのカナワに一杯食わせるんやから実力も上……あーっなんで朱音ちゃん、ほんとうにほんとうに強い子を派遣してくれたんやね……おかげで大ピンチーっ!)
結芽は自然と兼定の鯉口を切った。
(思いっきり警戒しとる! あーもう! 誓約が知るもんか! 開きなったる!)
帽子を脱いだ彼女は一瞬で金のセーラー服に変わり、頭には丸い耳、髪には薄茶と黒のマダラ紋様、背にはおおきなたぬきの尻尾が浮かんだ。
「はじめまして刀使の巫女よ、私は大覚寺の橘の下で生まれた姉妹の荒魂、大覚の橘と申します。わたくしめの送りましたお手紙は読んでいただけましたか?」
じっとりと信用ならないという目で橘を見つめる。
「では、たいこうのみしろに橘のはなさく。この文言は一握りの人間しか知らないはずです」
「じゃあここに現れたのも」
「はい、ちゃんと見つけ出してくれるか見守るためです」
「ふぅん」
結芽はそのまま西方面に歩き始めた。
「まった! まって! あの本当にここを離れるつもり? 他に見るところない?」
結芽は首を振った。
「髭切の回生の香があるなら、もう二人がここにたどり着くはず。だったら、私はカナワの相手をしたほうがいい」
「……勝てませんよ。その御刀では、その小太刀ならわからないかもしれませんけど」
「へぇ、ちょっとは可能性があるんだ! だったら、なおさら私が相手しなくちゃ。ハシヒメの居場所はわかる? スペクトラム計に引っかからないの」
顎に手をあてて考えながら、ふと一つのことが思い浮かんだ。
「あいつは髭切復活のためならどんな手段もやるはず、手始めに髭切ゆかりの天満宮を燃やす真似もしかねない……。それと、うちらは普通の荒魂とは違う固有の波動を持っとる。普通なら計測できなくて当然や」
「じゃあ、どこまで手伝ってくれるの?」
「本当は手伝うのはダメなんですわ。ヒントを与えるまでですわ」
写シを張り直した結芽は笑顔を見せた。
「わかった、あなたを信用してみる。じゃあ北野天満宮に戻りましょう」
「本気かいな?」
「もちろん! それにまだ本気をぶつけられていないしね……」
駆けながら八幡力で飛び上がった結芽の背中を見ながら呆気に取られた。
「とんでもない秘蔵っ子がいたもんや……ま、待ってえや!」
◇
「ハシヒメ対策のために、警戒の刀使を京都に分散させているので、御土居の捜索には二班十一名が同行します」
「事情説明を後にしてすぐに御土居の橘を探すように言ってください。燕班は北区の御土居、もう二班は出発位置から中京区、下京区の捜索をお願いしてください。現場の中継と指揮は任せてもよろしいですか?」
「もちろんですミルヤ先輩!」
「では、私は学長に話と鍵付きの資料庫の開封許可を得なければ……」
車を降りたミルヤと美弥は京都御所の目の前に立つ、綾小路本校舎へとやってきていた。
綾小路の指揮所で警戒体制の指揮をとる相楽学長は、この五年で幾分も歳をとったように見える。
「おつかれさまです。相楽学長」
「ああ、目の前で人型の荒魂が現れるとは災難だったな」
「お世辞は大丈夫です。今はこの手紙の主とハシヒメの情報を伺いたいのです」
それを手渡された相楽は、表情こそ変えずとも自然と周囲を見てから学長室に来るよう言った。
「申し訳ありませんが山本美弥」
「ええ! お任せください! ここの勝手は私が一番よく知っていますから」
「お願いします」
二人は静かな学長室の深めのソファーに腰掛けると、相楽の口から『座談会』の名前が出てきた。
「座談会……何かの集まりですか」
「このことは折神家と特祭隊幹部のごく一部しか知らない。高津雪那も彼女らに知られぬことを第一に行動していたからな、あくまで契約上は互いに干渉しないことが原則になっている。『座談会』とは、大荒魂エボシこと鈴鹿御前様が過去に討伐できなかった大荒魂をまとめ、我々に危害を加えぬように誓った人型荒魂の集団だ。現在のメンバーは六人。私は京都守護の刀使の首魁ということで、一度だけ彼女たちに面会したことがある」
鍵付きの箱を出してきた相楽は、その中に収められた短冊を見せた。
「この和歌の筆跡、わかるか?」
手紙の文字と見比べ、すぐに同じ筆者のものとわかり、和歌には『大覚ノ橘』の名前があった。
「大覚の橘とは?」
「人型になった荒魂だ。実際には応仁の乱で折れ捨てられた刀がノロと化し、大覚寺の橘の木の下で一つとなったと伝わる隠型大荒魂だ。しかし、鈴鹿御前によって調伏され、以来『座談会』メンバーとして古の大荒魂と刀使との仲介をしてきた荒魂だ」
「なるほど、ではハシヒメはその『座談会』のメンバーだったのですね」
「加入は江戸時代になってからだそうだが、生まれは最も古いエボシの次に生まれたこともあって、一千年を生きている荒魂だ。お前なら平家物語の剣の談は知っているな」
かつて恋人への愛憎ゆえに鬼になりたいと願った娘が満願かなって金輪を被った鬼となり、復讐を成就させてからもこの世ならざる世界との境である橋で人攫いを続けていた。そこに夜中、髭切を帯びた渡辺綱が襲われて空へ連れ去られ、あわやというところで鬼の腕を切って着地。九死に一生を得た伝説である。その人から鬼になった娘こそが橋姫である。
「実は私は一度、ハシヒメと戦ったことがある。あの後知った話だが、その時に座談会メンバーを抜けた矢先のことだったらしく、電話で折神家に口添えがあったらしい」
「その時は」
「だめだった。まるで斬撃が当たらない。一緒に戦った美奈都といろはの斬撃もまったく通らなかった。だが、その能力は『座談会』から開示されている」
「実力ではなく、特殊能力と?」
「そうだ。それを『火曲輪』と言う」
◇
日も沈みだし、暗くなり出した境内がライトアップで包まれる北野天満宮。
鳥居つてで移動してきた橘が結芽の前に現れると、暗くなったもみじ苑に行くように言った。
「ん? あそこには何もないよ?」
「あいつが現れるんわいっつも橋と決まっとる。そして消え去るのも鳥居じゃなくて橋と決まっとる」
二人はシーズン外のもみじ苑に入ると、御土居を下っていき、赤い橋の近くまでやってきた。
「……それじゃ、手出しはできんからね?」
「はいはーい、ありがとう橘のおねぇさん」
橋に入った結芽は、いつのまにか橋の中央に立つ黒衣の人影に気づき、足を止めた。
その長い髪の端からいくつもの青い炎が浮かび、頭には金輪型の三つの赤黒い角が現れた。
「あら、あらら、髭切もなしに私の前に現れたの? 無謀ね」
全てを飲み込まんとする真っ黒の瞳が結芽を覗くように見た。
だが、結芽はいっさい臆するような態度を見せず、ニッカリ青江の鞘を握って上目遣いにカナワを見た。
「無謀かどうか、わかんないうちに逃げ出したあなたに言われたくなーいな。ハシヒメさん」
「ほほ、おほほほほ! 何度呼ばれたか知れぬその名、もはや本当の名さえ思い出せぬ私にとって……」
丸々とした瞳が鷹の目のように小さく、不気味な凄みを醸し出す。
「その名は不快! 髭切なくして私は倒せない……その事実をあなたの一命をもって教えてあげましょう!」
背から、あのサビだらけの勤王刀が姿を現した。
(さて、連絡は済ませたし、じきに回生の香を見つけてやってくる。その前に決着がつくか……否か……)
鯉口を切った横一文字の斬撃は、当たらない。だが切先はやや帯を引っ掻き、小さな糸屑が舞った。
そこから何度もカナワに向かって斬撃を繰り返した。だが、斬撃は必中の間合いから一歩離れてしまう。それどころか、近間から振るった剣がいつのまにか遠間から振るっていた。
「これは……」
「少し驚いたけれど、その御刀もそこまでみたいね。さぁ……いくわよ」
「『火曲輪』とは?」
ミルヤの質問に相楽は頷いた。
「ハシヒメは貴船大明神、つまり龗神によって鬼にしてもらった。龗神は水神であり龍だ。相手の流れを先読みする龍眼は龗神にちなんで名前がつけられた。だが、流れは逆に逸らすこともできる。剣の意図という流れを読み、切られると言う因果律だけを写シから消し去る。ゆえに、幻惑を断つニッカリ青江でさえ写シの厚みは薄いので刃は届かない、『火曲輪』はハシヒメを中心に回転する突破不可能な写シを惑わす結界なんだ。彼女に対抗する手段は私たちにはほとんどない」
「ほとんどない……では、突破できる方法があるのですね」
「ある。髭切だ。彼女は髭切によって結界を突破され、片手を一度切断されている。髭切の写シは龍眼を無効化し、幻惑の全てを断てる。『座談会』が髭切の刀身と写シの分断を人間との和睦条件に選んだのは、髭切一振りに日本中に隠れ潜んでいた大荒魂の七割を滅ぼされたからだ」
「なら、座談会が髭切の写シを返還しようとしているのは、相当なリスクを伴う。それほどまでにハシヒメを恐るのは……なぜ?」
「恐らくだが...彼女の実在が伝染するものだから...だろうな」
相楽は目を瞑り、小さなため息が溢れた。
斬撃を繰り返すが、当たらない。
そこに差し込むように乱暴に振り回される勤王刀から逃げるように立ち回るしかない。
結芽はとうとう兼定も抜き払って、二刀で勤王刀を抑えんと動くが、合間合間に差し込まれる炎の攻撃が勤王刀をカナワから引き剥がす隙を与えない。
その光景を見ながら、大覚の橘は腰の同田貫に目が行った。
(カナワは人が荒魂となった例、それは伝説であればいいが、実在すると分かれば同じ方法で強さを求める者たちが出てくる。藤原四鬼、道満の人造荒魂、そして高津雪那とタギツヒメの忌み子ら……それらは彼女が生きているからこそ、求めてしまう好奇心と力への希求。カナワよ、お前の気持ちがわからぬ。一千年を生きて、なぜに今になって死を求めるのか……)
結芽は攻めの勢いを削がれ、追い詰められてつつある。
「へへ……ダメかも」
「さぁ止めです!」
結芽の足元から黒と紫の炎一気に噴き上げ、視界が奪われるとその炎の中から背を狙うようにカナワが勤王刀を振り落とした。
ガキィィィィイン。
勤王刀が弾かれ、勢いの削がれたカナワは柄越しに斬撃で押し出された。
「え!? 通った!」
自身の一撃に驚く橘は磨り上げた同田貫を構え、結芽の背を守るように立った。
「干渉しないんじゃないの!?」
「気が変わったわ! うちにもこだわりがあるんですわ!」
「こだわり? 何の?」
「長い時間を生きたことに対する答えへのこだわりですわ」
カナワは体制を整えると、無数の炎を侍らせて進み出てくる。
「そういうことなら、時間稼ぎにつきあってあげますよ」
「行こう! 大覚の橘さん!」
「橘でけっこうです!」
二人はカナワに向かって飛び込んだ。
◇
ミルヤから髭切の重要性を簡単に説明された二人は、足を早めながら最後の大宮交通公園に来ていた。
「我々の方では見つかりませんでしたね……ここは結芽先輩が探索済み……」
「未久ちゃん、あれ」
御土居に目を向けると、朱色の稲荷の祠の後ろ上に花咲く橘の木があった。
「え!? じゃあ結芽先輩が見落とし?」
「電話するよ! ここ一時間、定時連絡のメッセージに既読がつかないの」
「なら私は回生の香を回収するよ!」
詩織が電話をかけはじめると、未久は急いで橘の木のそばに寄った。
「ここに橘の木があったなんて初めて知りました」
木に触れると光となって四散し、その中央に舞い降りるように木箱が降りてきた。
箱の中には薄く光を纏う香木の破片が収められていた。
「これが髭切の回生の香! あったよ、しおりん!」
降りてくると、詩織は写シを張って待機していた。
「もしかして結芽先輩は!」
「交戦中! やばいって!」
「しおりんの足なら私より早い! これを持って行って! 必ず追いつくから!」
「うん!」
事態は危急を告げている。詩織は八艘を発動して、加速しながら北野天満宮に向かって今日の家々の屋根を駆けるように飛んでいく。
「ミルヤさんに連絡を……っ!」
「わかりました。山城未久は急ぎ、燕結芽の支援に向かってください。山本美弥、回生の香は見つかりました。至急、捜索班を北野天満宮でのカナワ包囲陣に組み込んでください」
「はいっ! 現場の指揮は任せてください。早く向かいましょう!」
インカムで状況を事細かく聞く相楽は、ミルヤに自身の車のキーを投げやった。
「行け、すでに動ける部隊から北野天満宮に向かわせた」
「相楽学長、どうぞお願いします」
ミルヤと美弥は相楽の自家用車であるレクサス車に乗り込むと急発進で北へと向かっていった。
詩織とミルヤの到着はほぼ同時であった。
「すぐに回生の儀式を行います! 柳瀬詩織は私と一緒に来てください!」
「は、はいっ!」
美弥は綾小路の刀使たちと共にもみじ苑に入ると、御土居の下で炎と斬撃の入り乱れる三人の姿が見えた。
「情報と違う……けど! みんな! あの髪の長い人型荒魂をここから出さないために、苑の出入り口を塞ぎます! 事前の連絡通りに班ごとで展開してください!」
展開する刀使たちを見守りながら、全体を見渡せる場所で三人の戦闘に目を向けた。
「燕さんが......押されてる!」
宝物殿に入った二人は脇の別の場所にケースに安置された髭切を認めた。
「詩織、香壺に香を入れて火の準備を」
ミルヤはケースを解錠し、脇の木箱に収められた太刀拵えに白鞘の中の髭切を入れ替える。
「準備できました!」
「ありがとうございます。では、香をたいてください」
ミルヤは自身の御刀である包丁藤四郎を膝上に置き、写シを張ると掲げるように新たな拵えに収めた髭切を持ち上げた。
「遠神能看可給……遠神能看可給……鬼切丸安綱よ、ここに写シを呼び戻し、御力を蘇らせたまえ……」
香の煙は漂い続け、木片が燃え尽きると同時に髭切を覆う白く輝く雲となった。やがて雲は拵えの中に消えていき、刀身は大きな光を放って静かに消えた。
「ミルヤさん」
「成功です。髭切はたったいま、回生を果たしました」
ミルヤはすぐに太刀を詩織に差し出した。
「今、最も適正に近いのはあなたです! 燕結芽の加勢に行ってください」
「はいっ!」
車太刀の写しで急ぎ現場に向かうと、悠々とするカナワを囲む結芽と橘は肩をあえがせていた。
「あーもう! これ以上どうしろ言うんや!」
「さすがにもう手がない……」
詩織はすぐに髭切の鞘を抜こうとしたが、どんなに引っ張っても抜けない。
「えっ……そんな! いま結芽先輩が大ピンチなのに!
だが、抜けなかった。詩織の顔がさーっと青ざめた。
「……私じゃダメなの?」
大きな炎が衝撃波を生んで、一瞬で消え去った。
結芽と橘は川に投げ出されると、結芽は写シを失って二刀が彼女の手から転がり離れてしまった。
「あはははは! もうあなた達の相手は飽きたわ。あなた達程度の時間では私に勝てないわ。そのことを理解できていたら、死ぬことはなかったのにね」
起き上がった結芽はニッカリ青江と和泉守兼定が、離れた位置に転がっていることを認めた。
「さぁ! 先に地獄へ行っていてくださいね!」
特大の炎が結芽に向かって打たれた。
だが、炎は二度の斬り付けによって消し飛んだ。そしてそこには、鞘を握る詩織と髭切を構えて写シを纏う結芽の姿があった。
「結芽先輩っ!」
着弾する寸前に、一か八か詩織は結芽に髭切の柄を握らせて鞘を引き抜いたのである。
「おお! おおおお! 髭切ではありませんか! 待っていましたよ!」
喜ぶカナワの背を見ながら、痺れて動けない橘は安堵の笑顔を見せた。
「はぁーっ、間に合ったかぁ〜」
髭切を手にする結芽は驚いていた。彼女の頭にあの乱暴な剣を振るうカナワが断ち切られるイメージが無数に浮かんでくるのである。
「これが、龍眼なんだ。それで、あののらりくらりするのも突破できるんだね!」
カナワは炎をさらに増やして勤王刀を構えた。
「さぁ! 最後の最後まで私は人として命の徒花を咲かせる! 来なさい! 髭切の刀使!」
狭い川を無数の炎の玉が結芽に襲いくるが、髭切を三度振るうと凄まじい衝撃波が炎ごと川の石垣に切り傷をつけた。
「すごいっ!」
「詩織ちゃんは下がって!」
炎の波の中に紛れ込むようにカナワが刀を振り上げた。
「はぁーっ!」
結芽が川面に振り下ろすと、結芽とカナワを囲む炎は水の障壁で消し飛び、動きの鈍ったカナワの間合いに迅移で飛び込んだ。
「ああ……これでようやく地獄へ行ける……罰を受けられるわ」
左袈裟から胴体を真っ二つにされたカナワは、灰となって散り始める。全身が白く、灰色に変わっていく。
「南無……」
その小さな断末魔とともに、大量のノロと人骨が目の前に滴り落ち、やがてそのノロは蒸気を上げながらノロの死骸たる黒い鉱滓へと変化した。
構えを解いた結芽は、髭切が震えているのを感じ取った。
「泣いているの……? この人のために」
静かになった川には水の流れる音が戻り、ゆらめく月光が木々の合間から結芽とカナワへと差し込んでいた。
◇
二日後。
「自殺?」
清水寺参道から外れた場所に高台寺があり、その目の前にある茶店で甘いものを囲んで調査隊と大覚の橘はお茶をしていた。
「そう、自殺。カナワは神から与えられた鬼の力ゆえに、自殺できなかったんですわ。かといって、能力ゆえに自身が討伐されることも叶わない。祐逸、自身を倒せる髭切は放浪から戻ってきた時には『座談会』の手で、写シを分割され、死からますます遠のいたんや」
「では、なぜ『座談会』に入っていたのですか」
「烏帽子の姉様が説得したんですわ、静かに見守ると言う役目もあるとね。いつかは異形の力も罪を濯ぐために使う日が来るって、でも起きてしまったんですわ……」
調査隊は、カナワという存在の悪影響と、同類の発生を悲しんでいた。その橘の語る事実ゆえに彼女の死への希求がはじまったのが、ある出来事と察した。未久はその答えを口にした。
「相模湾大災厄による、タギツヒメの融合……」
「そう。まさかあんな形で人と同化し、そして新たな災厄を産もうとしたなんて、カナワの心が限界になったんわ目に見えとる」
菓子を頬張りながら、橘は空を見上げた。
「髭切が泣いていたのは、カナワをもっと早く楽にさせてあげられなかったからなのかな」
「わからん。でも、燕はんが髭切の思いを汲み取ったんなら、そういうことやろうな……。うちらも、結局は髭切さんに頼らんと、あの子を楽にさせてやれなかったんや。私は現世で善行積んで極楽行くさかい、地獄に行ったあの子に会うことはないわ」
暗い面持ちの調査隊の面々に笑顔を見せた。
「こう思ってるからって荒魂に容赦はなしやで? 荒魂は自分たちのうちにある人への不信と復讐心には変えられん。今だって、人への侮蔑がなくなったわけやない……でもまぁ、荒魂から言わせてもらうと、もう人が荒魂になるのは勘弁やで? ほなごちそうさま! ここからは契約通り元の他人や、さよならな」
「橘のおねえさん、また会える?」
立ち去ろうとした橘は変わらない笑顔を見せる結芽に、笑顔を返した。
「マジでやばい時には、しろぼうずを探しなさいな。そのしろぼうず様が世界の大ピンチを助ける、ありがた〜いヒントをくれるよ!」
「えー! 会いにいってそれだけなの!? けち!」
「あははは! じゃあねー!」
そう言って調査隊が見送る中、傘を差した橘は背中を丸くして町へと消えていった。
まるで小さく声な泣き声のように、石畳の道が鳴いている。
その日、京都は小雨が延々と降り続いた。
……了