五月も過ぎ、そろそろ梅雨というところだが、まだ桜が散った後の豊かで、穏やかな春の日々が続いている。
宮城県まで御刀の調査に来ていた調査隊は、身元不明刀剣の鑑定と、資料との照合に来ていた。震災で失われた御刀と、未だ行方知れずの隠匿御刀の発見と救出は、特祭隊の復興支援事業として2011年から長らく続けられている。調査隊の派遣は、その一環としてのものだった。
公民館を借りて、特祭隊地方部署のメンバーとともに鑑定作業が二日に渡って継続していた。予定は三日間で、作業は順調だった。しかし、結芽は三人と異なり、鑑定作業では事務作業しかやることがなく、メンバー全員分の飲み物を買ってくることを名乗りでて公民館から逃げるように出かけた。
ゴールデンウィーク中に植えられたろう稲の苗と、青い空を写す一面に水の張った田んぼ。
ここから、幹線通り沿いのコンビニまで往復四十分の徒歩道。
長時間、同じ姿勢だった体を大きく左右上下に伸ばしながら、心地よい風を受けて髪が揺れる。
コンビニのある通りは車こそ多いが、何か特別変わった風景というわけでもなく、とりあえず十字路の片隅にコンビニが立っている程度で、風景はその牧歌的な色合いを変えることはなかった。飲み物のラインナップも都内となんら変わらない。
多めに飲み物を買い、それと道端で食べる用にピーナッツクリームサンドを買った。
復路二十分、道端での小休止と言い訳立ててパンを食べながら、水路沿いの少し広い草むらに腰をかけた。
時間を忘れ、のんびりとしながら、流石にゆっくりし過ぎかなと思って、ゆっくり立ち上がった。
ふと、ニッカリ青江の鞘尻に乗っかる大きな羽虫の姿に気がついた。
「あ、カトンボ」
姿はカトンボである。しかし、琥珀と赤の色を纏うカトンボを見たことはなかった。
結芽は何かに気がつき、その赤いカトンボを優しく捕まえ、両手を虫カゴにすると急いで公民館への道を急いだ。
「結芽先輩……遅いですね……」
詩織の一言に、ミルヤはメモする手を止めて、腕時計を覗いた。
「もう一時間になりますね。夢中になってましたね」
休憩にしましょうとミルヤが声をかけると、一斉にメンバーは体を伸ばした。
三十半ばの県警特祭隊地方部の女性、菅野英子はミルヤにタフだねと呆れながら言った。
「このままだと二日目で三日分の行程が終わってしまいますよ。午前中からペースを上げて、それで音を上げないなんて」
「それは失礼しました。私が夢中になっていましたので」
「え、それは……」
結芽が入ってくると、待っていたと言わんばかりに集まってきたが、結芽が手を開けないので肩掛けのエコバックから飲み物が取り出せない。
いの一番に寄ってきた美久が苦々しげに結芽の顔を見た。
「あの、喉乾いたんですが」
「ごめん、でも先にスペクトラム計出して、微粒反応計測モードにして私の手にかざして」
残念そうにしながら、言われた通りスペクトラム計のモードを変更して端末をかざした。美久は目をみるみる丸くして、結芽の顔を見た。
「荒魂!」
結芽が手を開くと、手の上で憩う赤いカトンボの姿があった。
一同、その場で固まったが、ミルヤと結芽そして地方部の英子は至極おだやかだった。
「やっぱりね。でも大丈夫、自然順応型のおとなしいタイプよ」
赤いカトンボが飛び立ち、そのゆっくりと進む進路から手伝いのスタッフたちが避けると、カトンボは一振りの御刀の上に降りた。
ミルヤはその御刀がなんであるかに気づくや、すぐに結芽たちに向き直った。
「ほう? 結芽さん、その飲みものを皆さんに配ってください。調査隊のできる作業は一通り終わっていますから、あとは託してもいいでしょう。それよりも、あのカトンボとそれに……あの御刀のことは、私たちの仕事のようです」
先程までと打って変わってミルヤは上機嫌であった。
現地のスタッフたちが休憩する間、彼女たちも飲み物を飲みながらカトンボと御刀を囲んだ。さすがに三人の現役刀使がいればと、スタッフたちは安心してカトンボの荒魂を調査隊に託した。
「こんなに小さな荒魂がいるのですね」
美久は不思議そうに赤い羽根を眺めながら尋ねた。
その御刀は被災した瓦礫の中から発見され、赤羽刀と化し始めていたが完全ではなく、研ぎをを加えれば復活は安易とわかっていた。
長さ一尺四寸、脇差であるが身幅は厚く、大和伝を思わせる柾目肌、サビの合間から直刃の澄んだ波紋が走っている。その茎の上で、羽を揺らしながらカトンボが憩う。詩織はPCの資料を遡り、その御刀の調査記録を読み上げた。
「津波の瓦礫から発見された御刀。作者は仙台藩お抱え刀工である初代国包。表銘には要惠、裏銘には伊具筆甫之造珠鋼とあります」
「ひっぽ?」
ミルヤはすでに調べがついていたようで、結芽に分厚いノートの一ページを示して渡した。
「筆甫は宮城県丸森町にある地域。かつて江戸時代には砂鉄と良質な木炭が取れる地域であったことから、たたら製鉄が営まれていたが規模は大きくはなく、作られる玉鋼も鉄も多くはなかった。ただ特別だったのは、珠鋼を作れた江戸初期東北唯一のたたら場だったと……」
四人は一斉にカトンボへ目を向けた。
「連れて行きましょう、筆甫へ」
ミルヤの一言に、美久は目を丸くした。
「カトンボと筆甫の失われたたたら場が結びつくのですか?」
「筆甫の調査はされていませんが、たたら場があったにも関わらずノロ発見の記録はありません。もしかしたら、このカトンボ型の荒魂が導いてくれるかもしれません。私はわざわざ自身の天敵である御刀に積極的に近寄る、この行動に必ず理由があると考えています」
結芽は、ミルヤが事前に調べをつけていたのではと尋ねた。
「私がこの調査を受けた理由はこの国包の御刀の銘に惹かれたからでした。作業を早めたのも、筆甫を訪れる時間作りのためです。しかし、結芽さん。あなたはいつも出合いを引き寄せますね」
「連れて行って欲しそうににっかり青江に近づいてきましたから、向こうから求めてくるのを断れない性格だもので」
「ふふ、そのにっかり青江もいつか調査が必要かもしれませんね……ではさっそく向かいましょう」
借りてきた虫籠にカトンボを入れると、国包とともに調査隊属のハイエースで現地へと向かった。
二時間の道のりを経て福島に近い、宮城県丸森町に筆甫という山間の里がある。今は春に美しい親王桜が咲く里として有名だが、かつては福島の伊達郡の一部であった。ここが仙台藩に組み込まれたのは政宗の代であり、伊達にとっては故地の一角である。
夕暮れ近くの風景はいたって穏やかであり、とてもたたら場や荒魂の痕跡など見当たらない。車が小学校前に立つ仮面ライダーV3の前を過ぎた頃に、川に近づくほどに詩織の袂のカトンボが虫籠の中でしきりにパタパタと飛び立とうとした。
橋のほど近くに停めると、結芽、美久、詩織は御刀を手にし、ミルヤが国包の入った白無垢の拵えを持った。
「では、いいですね」
美久と詩織がスペクトラム計を手にし、結芽は写シを張ってすぐに追えるように構えた。
「いつでも、ミルヤさん」
ミルヤはうなずくと、虫かごからカトンボを解き放った。
カトンボが川沿いをゆっくり飛びながら、やがてまっすぐに東に見える小山に向かって飛び始めた。
四人は十分ほど追いかけていたが、ついにスペクトラム計がけたたましい警報音を発した。
「周囲から荒魂が川を囲むように五体! さほど大きくないですが……」
「まるで、あのカトンボを待っていたみたいです。何か重要なことを知っているのでしょうか」
詩織と美久の不安げな顔とは対照的に、結芽は目で行ってきていいかと尋ねていた。
「お願いできますか?」
「もちろん! 詩織は二体を、美久はミルヤさんに着いていて、私はカトンボの進行方向に来ている三体をやる!」
「承知しました」
「まかせてください!」
詩織は車太刀を抜くと、八幡力で軽やかに跳躍を繰り返してあっという間に二体のうち一体のいる方向に飛んでいった。
兼定を抜くと、迅移で一体目の位置へと飛び込んだ。青い
「仕方ないなぁ、虎の子だけど……!」
迅移を発動すると、段階を踏んで加速していき一キロ離れた襲いくる荒魂の位置へ駆ける。
「三段階……!」
視界にあらゆる文物から反射する光が消し飛び、しかし、光の流れのみが真っ暗の視界の中を駆け抜け、一点の荒魂を視界に捉えると袈裟斬りが低空飛行で突っ込んでいた飛行型荒魂の胴を二つに分ていた。迅移を切ると同時に視界が急速に回復し、十メーター先で目を丸くするミルヤと美久、そして結芽の前を気にせず飛んでいくカトンボの姿があった。
三段階まで発動できる八幡力を駆使しながら、詩織は明眼で三人のいる位置を確認すると、三段階目で大きくジャンプし、三人の後ろに降り立った。
そこは丘のような小さな山だが、カトンボはその山の木々の中に入っていった。
「県警支部に応援要請をしましたので、じきに回収班が来ます。それで、カトンボは」
「まだ、わからないかなぁ」
四人は木々の合間を登り、やがてカトンボが山のやや開けた場所でくるくると円を描きながら、その場を飛び始めた。
「ここが目的地ですね」
美久が周囲を見渡すが、木の葉に囲まれた地面以外のものはなかった。だが、そこだけ木々が生えていないのに気がついた。
「あの、ミルヤさん」
「どうしました山城美久」
「みなさんもすでに察していると思うのですが、もしかして……ここがそうなのではないのですか?」
「ええ、私もそう考えています。ここは調査隊特権を用いて、ここにあると思われるノロを掘削します!」
三十分後に駆けつけてきた特祭隊のヘリから菅野英子が降りてきた。
「県警本部に戻っていたのが幸いしましたね。ご注文通り、作業着とシャベルを持ってきましたよ」
「ありがとうございます。では、はじめましょう」
ヘリで来た人員と地元の警官を含めて、地面を掘り返し始めた。
日も落ち、やむなく工事用ライトで照らしながら作業を続ける。ミルヤはカトンボの動きを見守っていたが、国包の上で一切動かない。
「よいしょ! えいしょっと!」
美久のシャベルが何かを突く音が響き、一斉に作業していた人間たちが軍手でその塊を土の中から掘り出した。
結芽と詩織が土を払うと、瀬戸物の地味な甕が姿を現した。口は粘土で厳重に封がされ、呪文と思われる札が幾重にも重ね貼りされている。
神官姿の回収班がすぐ後ろにつくと、結芽は小柄ですっぱりと封を切った。
特祭隊隊員の端末が一斉に警告音声を叫んだ。それも、大荒魂クラス発生を警告する音声だった。
「ノロだ。やば」
結芽はニッカリ青江と兼定をノロに突き刺すと、警告音が一気に収束した。
何かに気がついた詩織が甕の出た場所の隣の土を掘り起こすと、新たな甕が出てきた。
「これ、まだあるんじゃないんですか?」
一斉に周囲を掘り起こすと十五個の封印された甕が姿を現した。掘り出しを手伝っていた地元警官が思わず息をのんだ。
「まさか……こんなにあるとは」
その光景を見てなのか、ミルヤの手の上でカトンボは羽を揺らしはじめた。
「筆甫のたたら場は不用意に荒魂を生み出さないために、あらゆる術者に封印を何重にほどこして山の中に隠し、そこを祀っていた。しかし、珠鋼を作らなくなり、いつしか伝承も絶え、ノロは森の中に忘れられたのでしょう」
カトンボはミルヤの言葉を理解するように、彼女の周りを何周か回り、やがて最初の封を破った瓶へと飛んでいった。
「まずい!合体する気か!」
美久と詩織が自身の御刀を手に取ろうととしたが、結芽は二人の腕を掴んだ。
「黙って見てな」
甕に突き立てたままのニッカリ青江の刃に向かってカトンボはまっすぐ突っ込んだ。すっぱりと二つに切れ、体が崩れると一滴のノロとなって亡骸とともに甕のノロの中に沈んでいった。一同は息を飲んだが、結芽は寂しげにため息をついた。
「にっかり青江の力なら、たとえ自身がノロの塊に飛び込んでも、新たな荒魂にならないと知っていたみたいだね。そっか、そのために……か」
詩織は不思議そうに甕のノロを覗き込んだ。不活性化したまま、ノロは穏やかなままである。
「どうしてわかるんですか、ものを言わない荒魂の気持ちが」
結芽は回収班を呼ぶと、甕から二本の御刀を抜き、すぐに回収装置がノロを吸い出し始めた。兼定と青江を鞘に戻しながら、詩織の隣に立った。
「ノロは集まりたがり、一つの炉から掻き出されたノロはいわば兄弟であり家族。家族のもとに帰ろうとするノロは昔から多かった。たった一匹、炉から遠く離れてしまったけど、ずっと条件が揃うのを待っていたんだろうね。国包とにっかり青江に、それを理解できる鑑定者の三つが揃う瞬間を」
それは何年、何十年でしょうかと美久が尋ねると、ミルヤが二百年以上と答えた。
ミルヤは自身の手元にある国包が震えているように思えた。わずかに残った刀使の力が、御刀の啜り泣くような声を聞いたように思えた。
「もしもの話ばかりですが、私たちに忘れられた家族を救ってほしいと頼ってきたのかもしれませんね。何千、何万もの偶然が揃い、珠鋼とノロという兄弟が揃って故郷に帰ってきた。カトンボの小さな命の形に自身を託した荒魂。私は忘れません」
国包の脇差は元の所持者が判明、同意の下で正式に刀剣類管理局の登録を受け、研ぎ直してその力を復活、現在は宮城県警特祭隊支部の管轄となる。
発見された大量のノロは最適化ののち、丸森町にある社に安置されている。
其ノ二……了
参考サイト
・IRU-MIRU『鉄子の部屋#34 「たたら製鉄の近代史」シリーズ⑥ 筆甫たたらのあゆみ』
https://www.iru-miru.com/article_detail.php?id=50386
・丸森町観光案内所
https://marumori.jp/spot/area/south/
・刀剣ワールド『山城大掾国包』
https://www.touken-world.jp/sword-artisan-directory/daizyokunikane-yamashiro/