「江戸時代に最盛期を迎えたたたら製鉄による珠鋼づくりは、明治維新を迎えると珠鋼およびたたら鉄を用いた日本刀の需要減により衰退。西洋のより効率的な製鉄方式が取り入れられると、自然とその生産量と管理が難しい珠鋼の製鉄産業は衰え、ついには珠鋼の製鉄方法が失伝するという段階にいきました」
品川、カプセルタワービルの一室。彼氏との同居の住まいである。
夕食後は時間は、決まって彼に勉強を教えてもらうのが日課だった。
今晩は理科と刀使史である。
「ほら、こことここのワードは頻出するよ、赤線引いて」
「うん。でも、作刀は続けられたんだよね?」
テキストをちらりと見ながら、結芽の見ている教科書の文をなぞった。
「そう、珠鋼と違って、西南戦争などの士族との戦争を経て、軍人が通常の鋼材を用いた刀をこぞって求めたんだ。その需要を満たすために軍の工廠で量産型の刀が造られ始めて、大正から昭和になるとたたら製鉄が復活し、その中で刀使部隊いわゆる軍巫部隊が組織されると、残っていた珠鋼を用いた作刀も行われたんだ」
「えーっと、明治からも折神家が長く珠鋼の素材とかを管理してたんだよね。でも戦争が終わったら全部没収になったって」
「ああ、戦後はGHQの下で解散と珠鋼の没収が行われたんだ。軍事利用したツケというべきなのかな、けれども荒魂によるアメリカ軍駐留基地壊滅を機にGHQ管轄下で刀使部隊の再編を指示、あくまで警察組織の一端として折神家の裁判を棄却し、以降は民間所持刀剣類の鑑定による美術品と御刀の区分け、そして荒魂の討伐とノロのGHQへの提出を求めたってわけさ」
結芽は眉を顰めて豊執の顔を見た。
「あのさ、勉強教えてよ」
「ごめん! とにかく今は1949年の特殊災害協定に基づいてほとんどの珠鋼は日本ひいては折神家が管理している。ほら、ここに協定の太文字があるだろう?」
「うん、ここだね!」
赤いマーカーで線を引き、豊執は要点になる用語へさらに線を引くように指を差した。
「ねぇともくん。話逸れるんだけど、大半の珠鋼は日本にあっても、全部はないってこと?」
思い出すようにテキストで肩を叩く仕草をしながら、話を続けた。
「そう、戦前には日本中から残存していた珠鋼を全て回収し終えていたんだ。たしか、紫様の曽祖父である満祐さんが成し遂げたのだけれど……戦争が終わると、新たに製造した御刀が戦地で行方知れずになったり、軍刀として持ち出された御刀も消失したり、さらに占領国が賠償品として珠鋼と御刀、さらにはノロも持って行かれてしまったんだ。分祠されていたノロを占領軍兵士が持ち帰り、それが後年になって荒魂化し、外国に刀使を派遣する事案まで起きてしまったのは……記憶に新しいね」
「うん、この間もドイツから帰ってきた御刀もあったもんね、あとハワイのも」
「ああ、特殊災害協定は日本が珠鋼の新造を禁止し、締結国含めた世界に残存する全ての珠鋼とノロを回収して無害化すること、それを協定締結国は全面協力することを取り決めた国際条約なんだ。荒魂はなぜか日本にしかいなかったからね。ドイツに残っていた御刀が戻ってきたのもそれが理由さ。所持を禁止し、提出を推奨する国もあるからね」
豊執は自身の持っていたノートを閉じると、今日はここまでにしようと言った。
「明日は数学と現代文だね」
「現代文苦手……歴史も苦手だけど」
「時間は有限だよ。相楽先生の手は借りないって決めたんだろう? ならやらなくちゃね。何か飲みたいのある?」
ややむすっと口を尖らせながらも、目は決心がついていると告げていた。
「いちごオレ!」
「はい」
◇
翌日、都内を走る車の中から通り過ぎる街並みをみていた。
十二月も末、世間はクリスマスを前にしていたが、同時に師走期もあって交差点を渡る人々はどこか早足に見えた。
目的地まで30分以内、14号線を都内方面に向けて走っていく。
「そういえばミルヤさん、軍刀って全て通常の鋼材なんですよね。昭和に入ってたたら鉄が使われた以外は」
「たたら鉄、つまり玉鋼も通常の鋼材ですよ」
「なら、私たちが欲しい資料はないんじゃないですか?」
しばらく黙ったのち『軍真刀』の名前が出た。
「明治に入って、なぜか珠鋼の作り方が失われたというのは、歴史の授業で習いますよね。なぜ失伝したのかは、ながらく謎だったんです。それを折神家が知っていると言われてきました。ですが、四年前に設立された……あなたの彼氏が在職する折神家文書整理課が最優先で資料調査して」
「結果は」
「日本全国のたたら場で同時期に、それも一斉に珠鋼の材料になる虹珠石の質が一気に落ちて、ただの鉄鉱石になってしまったそうです。かろうじて使える虹珠石を明治の日本刀の軍事利用復興と荒魂への対処数を増やすために、折神家と陸軍が日本全国から収集し、同時に珠鋼の製造ができるたたら場を調査。廃刀令と同時にほぼ九割七分のたたら場が消え、残っていたのは小さな、それも使われなくなった製鉄所だけだったようです」
「なるほど、ノロと荒魂の絶対数が減り悩むことへの対処の模索が、ミルヤさんの課題でしたね。珠鋼にまつわる怪異の調査と記録も、データー収集のため」
「ええ、なので」
車が九段坂を登り、靖国の横を通り過ぎると、道の先に市ヶ谷の文字が見えてきた。
「最初期の軍真刀の鑑定とその記録の確認に行きます」
市ヶ谷防衛省。
日本の国防を担う組織の中心部であり、何度も現れる荒神との出先機関としての役割もある。
「木寅ミルヤさん、燕結芽くん、お待ちしておりました。防衛省に出向刀使の鈴本葉菜特務三尉です」
型にはまった敬礼をし、ミルヤと結芽も警察式の敬礼で返した。
「形式はここまでにしましょうか葉菜さん」
「はいっ! 研究員にはすでに資料を閲覧室に運んでもらってます。それと、これの鑑定がしたいんですよね?」
葉菜は左手で彼女の腰からさげられた軍刀拵えの刀をしました。
「ええ、今日はお願いします」
A棟を抜けて施設奥のF棟にやってきた。
真新しいビルの玄関には防衛研究所戦史研究センターの文字があった。
施設の案内の職員に連れられて、研究室の一つへと案内された。
「失礼します。小野泉二尉、刀剣類管理局特別調査隊の二人をお連れしました」
「ありがとうございます。よくお越しになりました」
メガネをかけたやや小太りの男性は、すぐにミルヤとみたい資料について簡単な調査報告と、メールで送っていた資料の目録を確認した。
「なるほど、では刀工の作刀記録のコピーは後ほど手渡ししましょう。まずは、御刀の方を。鈴本くんはここに村田刀を置いてくれ」
葉菜は帯剣装置から外した御刀を、白鞘の並ぶテーブルへと置いて並べた。
「『軍真刀』って初めてみました」
しかし、ミルヤは苦い表情をしていた。
「ミルヤさん?」
「まぁ仕方ないよ。だってミルヤさんは戦前戦中に作られた『軍真刀』の赤羽刀に苦戦したんだからね」
「あ! スルガ事件! じゃあ葉菜おねぇさんも?」
「僕はその時まだ調査隊のメンバーじゃなかったから」
「やれやれ、あの時は勝てるかどうかの瀬戸際でした。さぁ刀身を観やすいように鞘と柄を外して並べましょう。
結芽は軽く手を拭くと、手順に従って鞘を抜き、目釘をとって腕を軽くニ度たたくと茎が飛び出た。
茎には陸軍の五芒星と、丸に特の打刻印が打たれ昭和十四年 有馬秀一作の刀工銘とシリアルナンバーが打たれていた。
刀身は反りはやや浅く、直刃に焼かれたいかにも実戦向きといった趣だった。
そして結芽の背に一瞬、悪寒が走った。すぐに刀枕に、『軍真刀』を置くと二歩後退りした。
葉菜はその様子を小さく笑みを浮かべながらみていた。ミルヤはやはりといった反応だった。
「聞こえたか……それとも見えたか……君は御刀の声に敏感な体質らしい」
「葉菜おねぇさん、これ」
「2005年にアメリカ軍から返還された『軍真刀』さ、ルソンで暴れ回った軍人刀使の近代御刀さ」
ミルヤは葉菜の御刀から拵えを外し、その特異な形状の刀身を取り出した。
「御刀は、荒魂を沈めるという役目を持つと、その衝動を失うと言われます。それは、御刀がどこから生まれ、ノロとどう別れ、人と珠鋼のありかたを思い出すからと言われています。しかし、その『軍真刀』は役目を知らないまま八十年の時を過ごした御刀です」
「気持ち悪い……人を斬ってきた記憶しかないみたい……それも前の持ち主を崇拝してるみたいだし……」
「悪い思いをさせましたね。拒絶すれば触れても干渉はしてきません。私の目的もあくまで中身ではなく、外にありますから」
葉菜が村田刀を刀枕に置くと、立ち替わるようにミルヤが村田刀の前に立った。
「そういえば変わった刀。葉菜おねえさんの御刀ってあれだったの?」
「いや、三条吉家だった。今は村田刀の実験刀使になっているんだ」
ミルヤが手に持つと、小烏丸と蜈蚣切丸を折衷したような独特な刀身が目の前にあった。珠鋼に洋鉄が合わされていることもあって、普通の御刀とは違った独特な白ぼけた雰囲気があった。そうしたことと、実践向きの荒研ぎがミルヤの興味を削ぐには十分だった。
「君は『軍真刀』について、どこまで聞いてるんだい?」
「戦時中の軍人刀使が使ってたこと……ぐらい?」
まぁ間違いではないかなと、言いながら葉菜は一冊の紐閉じされた日誌を手に持ってきた。
「今でこそ読む人も少ないけれど、あの刀の由来が書かれた記録さ」
手渡された書をめくるが、草書と楷書のまじった古めかしい記録を結芽はほぼ読めなかった。
「この兼定の文字はわかるんだけど」
「ほー! そっか、君は手入れの時にはいつも兼定の銘を見ていたからね。君の御刀の作者、和泉守兼定は明治になって国に招聘されて亡くなるまでの短い期間、陸軍の工廠で御刀を打ってたんだ」
「それが、あの村田刀とどう関係するの?」
「ああ、大いに関係するね。なにせ『軍真刀』の基礎となる珠鋼を御刀にする鍛錬法を残した、三人の刀匠の一人だからさ」
ミルヤは包丁藤四郎を介して写シを発動し、鑑刀眼を発動すると、脳内に刀の鉄の構成と鍛錬方法が映像として流れてきた。刀剣に関する知識を有しているからこそ、それの持つ意味を理解することができるミルヤだけの力である。
「やはり、美濃系列と水心子正秀の混じったハイブリットな構成ですね。洋鉄が混ざっていますが、なるほど基本は幕末の珠鋼鍛錬法に忠実のようですね。ほぼ新々刀期の御刀です」
しかし、ミルヤのもとで御刀を学ぶ身とはいえ、普通の刀使ならず明治以降の御刀について習うことは皆無に等しく、結芽もその一人である。しかし、葉菜はそうではないらしいと、結芽は質問を続けた。
「明治になったら、珠鋼も珠鋼を扱える刀工もほとんどいなくなったんだよね? なのに『軍真刀』という御刀はかなり作られた。どういうこと?」
そうだねと、言いながら葉菜は座らないかと席をすすめた。
「結論から言えば、戦争に負けるまで珠鋼による鍛錬法と珠鋼の古い鉄から御刀を生み出す方法は継承されていたんだ。順におって話そう。幕末に、突然珠鋼ができなくなって、それから作る人間が一握りの人間にまで減ってしまった。だが、明治になって少数ながら戦場にいた刀使の力は絶大で、王政復古と同時に武力として用いることを禁止されたけれど、西南戦争や各地の士族の反乱の時に士族側の息女が刀使として活躍し、やむなく政府軍も刀使を投入した。抜刀隊の名は有名だね」
小野泉が出してくれたコーヒーを葉菜へと手渡した。
「じゃあ、特祭隊って軍隊の下にいたの?」
「いや、はじめから警察との共同だった。抜刀隊は警視庁の部隊だしね。でも、陸軍でもそれとは別に刀使の部隊を作ったんだ。第一師団刀巫隊が正式になったのが、西南戦争の後で同時に御刀に関する調査もはじまったんだ。明治以前の御刀の使用がやんごとなき方の一言で禁止になったからね。御刀を一から作る必要が生じたんだ。そこで」
「全国から刀匠やたたら鍛治の職人を集めたんだ」
「ああ、だが珠鋼はもう作れないことがすぐに判明した。なので、全国から各地に少なからず残っていた珠鋼をかき集めて集積したんだ。また、珠鋼で作った釘や鎧といった意思を持たない古い珠鋼で御刀を作れることが判明。御刀の芯材などに加える通常の鋼材も海外からの新しい鋼材を加える実験も進めたんだ。同時に刀使ならびに、普通の男性士官と下士官用の軍刀に最適な形状と規格を共通化しようともした。そうした兵器としての御刀の研究を進めたのが日本の銃器開発を主導した村田経芳少将だったんだ」
「村田……あ! この刀の作者さんなんだ!」
「そう! だが、村田刀は本来は通常の軍刀として開発されたんだ。日本帝国軍の軍用御刀である『軍真刀』は珠鋼で、軍刀は玉鋼か洋鉄って決まってたからね。村田少将は珠鋼専門の工廠刀工と共同で、珠鋼を使った御刀を二振り作ったんだ。一振りは戦争終盤の満州の戦場で刀使とともに行方知れずになり、もう一振りは沖縄で降伏した刀使からアメリカ軍が接収し、2005年に協定の更新とともに返還されたのが目の前にある村田刀さ」
ミルヤは鑑定を終えると、次の一振りを見始めた。
「ここにある三振りは、明治・大正・昭和にかけて全て一人の刀工が打った刀なんだ。そして、彼とその弟子たちは終戦とともに珠鋼の作刀が禁止されたことで、今に至るまで珠鋼の鍛錬および作刀技術は失伝している。だが、明治に珠鋼が消失した瞬間と、その最後の加工法を知っていたその刀工が」
「調査隊の調査目的に近づく手がかりなんだね。あの『軍真刀』には確か……有馬秀一って名前があった」
ミルヤが結芽の見た『軍真刀』も見ると、感嘆し小さくうなづいた。
「有馬秀一……まさに国広の再来ですね……晩年の作は特に洗練されています。しかし、『軍真刀』の御刀としての使用は禁止されている」
「ん? ミルヤさん、村田刀は違うんですか?」
「この村田刀は、正式な『軍真刀』ではないんです。実は日中戦争が始まると、折神家の登録のない御刀を準『軍真刀』として軍事徴用したんです。珠鋼村田刀の二振りは軍敷地寺社の預かりとして、折神家ひいては特祭隊の管理下に入らなかったのです。なので、本来なら『軍真刀』として扱う村田刀を御刀として再生することを目的に、特別に通常の御刀として運用されているのです」
結芽は肩を落として首を傾げた。
「情報量が多すぎてパンクしそう……でも、その有馬さんがつけた記録がこれなんだ」
記録の表紙裏には確かに、『日本陸軍特務曹長 東京造兵工廠兵刀課課長 有馬秀一』の名前があった。
「刀剣には目を通しました。では、小野泉二尉。報告を伺ってもよろしいですか?」
◇
有馬秀一。
彼の名はある人々には有名であり、そしてタブーと戦後長らく呼ばれた刀工である。
彼の弟子たちも一斉に口を閉じ、在野に消えていったことで彼の存在は長らく謎が多かった。
タブーとなった理由は簡単だった。
軍人刀使の存在である。
軍に所属した刀使は、一個軍につき三人までという少なさでありながら圧倒的な力を持ち、戦場で相対した兵士たちを震え上がらせた。だが、その力は軍人刀使のあまりの若さゆえにあくまでも軍の象徴として扱われ、彼女たちが戦場で太刀を振るったのは戦争の終わり近くだった。
もはや彼女たちでは戦争をどうにかする力はない。刀使といえど人である、疲労し、長時間の写シの発動は難しく、食事も必要。また、軍の象徴であるために戦死となれば軍艦旗ひいては連隊旗を失うに等しいことだった。そして、兵士はあまりに若い少女たちに後ろめたさを抱き、必然的に過保護になった。
そんな、末期の陥落寸前の戦場に彼女たちははじめて最前線に現れ、連合軍の前進部隊をなん度も、なん度も、なん度も撃退し、時には敵の最高指揮官を討つという戦果を得た。その活躍は間違いなく日本軍の象徴に相応しかった。
その代償に、日本は御刀および珠鋼の所持を一切禁止された。
製造法も徹底的に没収され、折神家は一族全員が収容所行きという苛烈なものだった。
そんな最中、有馬秀一は獄中で死んだ。
すでに80は越そうという老人だったが、肉体は頑健だったと同じ収容所にいた当時の折神家当主は記憶していた。それが、ある朝にぽっくりとなくなっていた。
米軍および連合軍は御刀や珠鋼の回収に躍起になっていた。少女を鬼神にした珠鋼の軍事利用も目論んでいた。
だが、御刀が日本の刀使の血筋を持たないものには扱えず、それも十代から二十代前半の少女にしか扱えず。さらには岡崎事件という荒魂の処理に出動した米軍の一個小隊が一人残らず荒魂に殺される事件が起きた。1947年、岡崎事件のような例が頻発するなか、GHQはとうとう刀使と刀使を統率してきた折神家の復権を認めた。
刀使の復権と同時に軍と結びついていた刀使への批判が展開され、工廠の刀工たちも批判の的となりその長と目されていた有馬秀一の存在はタブーとされた。軍国主義に靡いた悪しき刀工だったと、彼が批判されたことで戦後の刀使たちは復権を果たす。
そして、連合軍は自分たちが最も必要な珠鋼の扱い方を知る人物が、収容所ですでに亡くなっていたことを知った。
彼の弟子たちはどこへ行ったのか?
直接、技術を肌で学び、技術を継承した十人の弟子がいた。有馬と十人の弟子だけが、御刀を打てた最後の刀工たちである。
GHQは彼らを捜索した。
だが、『軍真刀』工房の長であった有馬は獄中で老衰死。
次席だった熱海仁陸軍大尉は責任をとって割腹自決。
弟子で最古参の港景助は、向島の自宅に戻った夜に東京空襲で死亡。
富田伸夫、秋月四郎、太田甚介、小栗拓、道田昌祐、江田新一の六人もGHQが1949年までに死亡が確認された。ただし、最年少の20歳だった青砥善司と32歳の扇ヶ谷貞昌だけがようとして行方をつかめなかった。やがて、朝鮮戦争が始まると捜索を中断せざるを得なくなった。
やがて1950年後半になると、彼の打った現代刀が美術品として再評価され、自然と彼の経歴にも注目が集まった。
そして、当時のとある作家が彼の関係者に取材し、それを元に書いた『朽ちた炉』が出版された。アマチュアの刀剣愛好家に知らない人はいなくなった。そして、とある人物が長い潜伏を経て本名で表に出てきた。
青砥善司である。
彼は本名で師である有馬秀一と『朽ちた炉』の間違いを指摘した。
彼の戦時下の体験と、明治からの生き字引である有馬の生き様は多くの人に共感を得た。折しも、戦後の社会運動の中で青砥善司の証言集『孤高なる剣』は、戦前と戦後の時代の境界と、戦前社会の終わりを告げる書として広く読まれることになる。
彼のひ孫にあたる青砥陽菜から、ミルヤは未掲載を含んだ草稿を借りてきていた。その分析に協力していたのが小野泉と葉菜だった。
「私は彼が師の有馬から聞かされた話の記述に注目しました。これは、草稿の一番最後に時が来たら追記するとメモが付されたニ十枚の原稿です。そこには、昭和18年に有馬から歴史の講義を受けていた最中、幕末の体験を語ったものがありました」
『有馬先生の淡々とした古風な口調に、私たち弟子は自然と緊張したものです。だからこそ、あの話をよく覚えているのです。それは、先生が幼い頃に明治に入ってすぐの頃と聞きました。先生は伯耆のたたら場のある集落で暮らしていたのですが、国内でたくさん取れた虹珠鉱という珠鋼の原石がある日を境にとれなくなったというのです。鉄山師や、鉱山の管理者、そして炭鉱たちは、昨日まで輝いていた虹珠鉱がぜーんぶ質の低い鉄鉱石になってしまったというのです。政府の役人が確認しても同様で、さらには珠鋼たたら場に運ばれた虹珠鉱さえも半分以上がただの鉄鉱石になってしまい、今までにないほど質の低い鉧ができてしまった。有馬先生の家は村下も出した一族だったもんですから、一変して困窮したそうです。それから、生活の足しになることをひたすらやってるうちに、ある日東京から軍人がやってきて技術を知るものはきてくれと言われた。先生は父親が出稼ぎで死んでたもので、虹珠鉱がダメになる直前に村下になっていた祖父を抱えて給金に惹かれて、東京の造兵廠に入ったそうです。そこではじめて祖父から珠鋼の作り方を聞き、同じ時期にやってきた幕末の刀工たちから珠鋼の作刀方法を学んだそうです。そして、珠鋼がほとんど消えてしまったのは、珠鋼を粗末に扱ってきた神様からの罰だと聞いたそうです。祖父も、刀工の師匠たちも、口を揃えてあれは罰が下ったと言っていたそうです』
「罰? 幕末に何かやったの?」
「はい、そしてこの罰というのが、今回木寅さんの調査に答えを与えるものでしょう」
小野泉はプラケースの中でネルに包まれたあるものをミルヤに手渡した。ミルヤは目を見開き、自然と鑑刀眼を発動していた。
「そういう……ことですか」
ケースの中には丸い頭に溝を刻んだ筒をくっつけたような古いライフル弾が入っていた。
「江戸幕府が珠鋼で火縄銃を作ることを固く禁じたことがありました。もちろん弾丸もです。ですが、幕末になると西洋銃が大量に輸入され、その銃に必要な弾薬の国産化が急務になり、内戦が激化すると日本国内で大量生産が可能だった通常鋼材である玉鋼と日本だけで採掘されていた虹珠鉱を使った珠鋼で銃と弾丸を作り始めたようです。扱いづらかったはずですが、各地の職人の手で珠鋼を使ったそれらを生産していたようです」
だが、結芽は不思議に思った。ただの鉄になった珠鋼は、全てがそうなったわけではない事実はどう説明すべきなのか?
それを尋ねると、小野泉は青砥善司の未発表証言に有川の祖父たちがタブーとしたことの存在があると告げた。
「古来より、珠鋼を刀剣以上の武器武具にすることは許されない。弓矢も同じである。ノロを操ることもこれに等しいことだ。これは、瓊瓊杵尊が降臨してより固く命じられたことである。これを破った時は、珠鋼から全ての輝きと神力を失うことになるだろう。と、珠鋼を使う全ての職人たちに固く、固く受け継がれてきたこと……なのだそうです」
葉菜は別のケースに収められたゲベール銃という、幕末から広く普及した前装式の滑空銃を続けてミルヤに手渡した。
そしてそのまま、小野泉の話を繋いだ。
「戦国、刀の時代をほぼ終わらせた火縄銃。そして、鎖国を脱した幕末には異国からもたらされた進化した銃器が入り、近代戦争が今度こそ刀剣主体の戦場を一掃した。明治に入って、軍刀として日本刀は復活したが、日本軍は火力を主体としたドクトリンで刀は白兵戦という特殊な環境を除いて、あくまで象徴としての存在になったというわけさ。珠鋼から力を奪った存在は、そうした変わりゆく争いの形に珠鋼を持ち込むことを禁じた。だが、どういうわけか作刀は許した。だから、珠鋼は残った。しかし、そんな神のような存在がいるのだろうか……」
「いますね。この銃、一部にかすかに珠鋼がのこっていますね……」
結芽はいつぞやの社のある牢獄室での一件を思い出した。
『今少し、自身の身の回りで起きることに一つずつ向き合うことだ。それに困難が伴う時には、必ずその二振りの御刀が助けてくれよう。その刀たちにはそういう力があるのだから』
「僕たち防衛省側の調査はここまでです。引き続き珠鋼で作られた銃器を探しますが、おそらく発見は困難でしょうからこれは気長にやるしかありません。とあるお方とのコネクションを持っているのは朱音様とミルヤさんだけですから、ここから先は」
「はい、私たち特祭隊と調査隊が引き受けます。ありがとうございました小野泉二尉」
だが、小野泉はミルヤへ青砥善司の未発表原稿のコピーを差し出しながら、扇ヶ谷貞昌の消息について追加調査をしてほしいと険しい表情で告げた。
「どうもこの方の消息は青砥さんも存じてないようでしたが、どうも刀剣類管理局から要注意人物として扱われていたようなのです……どうも戦時中も古い御刀を潰して、それを元に同じ技法で刀を打ち、原型そのものに打ち直した御刀を作っていたようです。旧軍の機密命令の書類に彼個人への力のある御刀の生産に関する研究を依頼していたようです。その時の銘には天臣と打っていたと……」
その調査途中のデータ一式もミルヤに手渡された。
「天臣……貞正! なるほど……わかりました、この件はこちらでお預かりします。結果が分かりましたら、小野泉先生にも必ず」
ぎこちなく小野泉はうなづいた。
「前もありましたが、珠鋼関係は底が知れない。当人たちには常識だったことが、後々になって牙を剥く。相模湾の時、この研究室で先任だった先生を荒魂に殺されてからというもの、命の危険には人一倍敏感でしてね。どうか、自分の命を第一にしてください。刀使だって、完全じゃないんですから」
「その通りですね。私も、私についてきてくれる部下も、誰一人失ったり傷付かせることは、もうしたくありませんから」
結芽は葉菜が目線を外すのを見ていた。その顔は何かを睨むかのようだった。
◇
帰ってくると陽は落ちて両国は赤く染まり、博物館も閉まっていた。
2階の職員ロビーのテーブルには勉強する詩織と未久の姿があった。
「おかえりなさいミルヤさん! 結芽先輩!」
「ただいましおりちゃん! 今日戻ってきたの? 早かったね未久ちゃん」
「はい、学長が渡してほしい書類があると、早めに返してくれました」
「ちゃんと冬休みの課題だしたのかな〜?」
未久は胸を叩いてまったく心配ないと言って見せた。むしろ詩織の方が大変だったのではと聞いた。
「う……ほんとは私、勉強が苦手で……」
「しってる」
「だから頑張って解くんですけど、いつもすっごい時間かかっちゃうから課題とかテストはほんとに大変で」
タジタジな詩織がいつも調査隊室で好きあらばノートとテキストに目を通している姿が思い浮かんだ。
「がんばりやさんな詩織ちゃん、私は好きだよ」
「そうです! 私も好きですよしおりん!」
「ふたりとも、もーっ! 私ほーんとに必死なんですからね! ミルヤさんも二人に言ってください!」
「燕結芽、山城未久、よくよーく彼女を助けてあげてくださいね」
「もちろんです!」
「じゃ今度勉強会しよっか! わたし、歴史に強い先生知ってるから」
「それって結芽先輩の彼氏さんでしょ! 何日でもつきあってもらうから覚悟してくださいっ!」
「はい! まかされて!」
親指を立てる未久に詩織は呆れて笑みがこぼれた。
「では、このまま本日は解散にしましょう。わたしは少し資料をまとめてから帰ります。燕結芽、学長からの資料をもってきてもらっていいですか」
「はい! じゃあ未久ちゃん」
「こちらです。短刀と封のされたファイルです」
「ありがとう、じゃ気をつけて帰ってね!」
調査隊室に戻ってくると、ミルヤは先に刀を見せてくれと、結芽に両手を伸ばした。
「あいかわらずですね……」
「刀は別腹です」
鞘を抜くと、やや黒々とした地肌に、沸出きの輝きが煌めく。
「ほほう、左文字派ですね。よい作ですね。作者銘は……」
柄を取ると、ミルヤの顔が真っ青になった。
「銘はまごうことなき行弘……行弘なのに知らないヤスリ目が走ってる……」
ミルヤは困惑しながら、茎の棟側に左文字はとは違う銘が小さく打たれていた。まるで自信作と言わんばかりに……。
「天臣……」
その名に結芽も目を見張った。
「まちがいありません。天臣貞正。昭和きっての贋作師と噂される刀工の……完璧すぎる贋作です」
贋作師天臣貞正こと、扇ヶ谷貞昌。
彼の打った異端の名刀が大事件に繋がるのは、まだ先のことである……。
了……