下校時間。
六年生の教室はそろそろ卒業式を前にしているのに、校庭に遊びに出たり、いつまでも話し合っていたり、今日の授業が終わりなんて信じられないくらい賑わっていた。
ランドセルに勉強道具を、手提げカバンにはこれから行く場所のためのものが入っていた。
「よーし! 俺んちでモンハンやろうぜ! 康太もくるよな!」
隠れ目の少年は申し訳なさそうにダメなんだと告げた。
「勉強がんばらなくちゃいけないんだ。だから今日も塾に行くの」
「そっかー、じゃまた今度来てくれよな!」
「うん」
一人、登校路から外れた長い坂道を登って、駅前へと歩いていく。
運動が得意でないのか、肩を喘がせながら重いテキストを抱える体を前へ、前へと進める。
「いい高校に入りたいから、もっと勉強させてください」
そう言ったのは少年自身だった。
「将来なにがあるかわからないから、少しでも勉強ができたらいいと思うんだ」
少年は世界がひどく苛烈に見えた。
ネットやニュースを通じて大人たちの世代に人がいないとか、自殺したり非行に走ったり、言葉の通じない人がいっぱい増えたり、目に入る色々な事象が怖くなってきた。
「僕はいいと思うよ、少しでも自立心がないと康太が大人になる頃が大変だ」
「でも……まだ小中校生なのよ?」
「ママ! 僕、がんばるから」
ネットには貯金の方法、お金の増やし方、AI時代に仕事を失わない方法、彼は必死にわからない文章を読みながら、どれも希望のない未来しかないと見えた。
彼の十も年上の人々が居場所がなくなって集まる場所を、世界や日本が嘲笑の的にしているのを少年は見た。そして、彼らを責めるしかできない大人の姿も嫌悪感しか抱けなかった。
いつしか、遊んでいる同級生が彼にはバカに見えてきた。
自分は気づいた、だから今から老後も考えて、いい職業について、誰にも迷惑にも笑われることのない人生を送ることが幸せなのだと、深く深く信じていた。
夕方五時のミュージックサイレンが遠く、遠く響く。
赤黒い空はまだ冬の冷たさを感じる。
蛍の光の歪な演奏に彼は耳を塞いで足を早める。
駅前の塾に到着すると、中高の上級生たちにまじって自主勉をはじめる。
しばらくすると、担当の講師が来て一対一で授業が始まる。今日は三コマ二時間半ほどで、理科、国語、数学の順番で進めていく。
得意の科学を除けば、数学はまだいいとして、国語は微妙だ。
おじさんが言っていた。
「康太ぁ数学と理科は文学だ。ちゃんと伝わる言葉にできないと、多くの人に評価してもらえないし、理解してもらうこともできない。繋がりは難しいだろうが……いつかわかる。だから国語は手を抜かないこと!」
塾が終わると母の迎えの車が来ている。
携帯は持たせてもらえないので、GPS端末を携帯させられている。端末のGPSとメッセージアプリの方が確実なのにと少年は思いながら、手を振る母の元に笑顔を作りながら車に乗り込んだ。
「そういえば、正明おじさんから篠笛教えてもらってるでしょ? すごく上手だって聞いたわよ、帰ったら聞かせてよ」
「ううん、ぜんぜんうまく吹けない。おじさんには届かない」
「だって正明おじさんは二十年もやってるのよ? そのおじさんに一朝一夕で追いつくなんてできないわ。でも、才能はあるらしいわ」
才能。それに縋って生きたら、楽しいかもしれないが、幸福な人生を辿れるとは言えない。だから、自分に欲しいのは上手に生きる才能だ。でもそんなのは才能じゃない。そう思う少年は、先ほど苦労して登ってきた学校裏の坂道を悠々と降る車に無力さを感じた。
ふと、左側の森のような茂みの中にオレンジ色の輝きが見えた。
輝きというよりもそれは、微かに燃える火に見えた。
(火事?)
と、道の先で赤い誘導灯を持つ警官が車を止めた。
「浜松警察署のものです! この先の道で荒魂の発見報告があり、今からこの道を封鎖するところなのですが荒魂に襲われませんでしたか?」
「いいえ! 車の前には何も!」
「ちょっと車に反応を見させてください!」
少年はさっきのだ、と思った。
だが不思議と言い出さなかった。
警官が車に探知機を当ててすぐに結果が出ると、異常はないので気をつけてお帰りくださいと言って警官は車を通した。
「どうもありがとう」
走り出した車の隣を街灯に照らされて制服を着た年上の少女三人が坂道を登っていく。その背中には帯刀装置に装着された御刀の姿があった。
「刀使さん、かわいかったわね」
顔なんか見えなかった。それよりも、あの綺麗な光を斬ってしまうんだという残念な気持ちが湧いた。
「うん」
◇
この日、学校裏にいたという荒魂は討伐され、休校の話がなくなった。なので、他の子供達はどこかうだつの上がらない表情をしていた。
塾のない夕方。
彼はまだいるのかと思い、ロープの張られた茂みの中に入った。
特に学校から入るなと言われたわけではないと、草むらをかき分けながら進んでいく。
見当たらない。昨夜の刀使に切られてしまったんだと思い、カバンに忍ばせた古い篠笛を手に取った。
「ん〜まぁ使えないわけじゃないかなぁ、ビンテージだし来週新しいのもってきてあげるよ!」
そう言った叔父の言葉を思い出した。
黒と赤の二色の篠笛で練習してきた少年は、短い曲をその場で吹いて見せた。
「しってるか康太、音楽は人を楽しませたり悲しくさせたりできるし、亡くなった命を送ることもできるんだ」
「音楽で? なんか非現実的」
「いいんだよ非現実的で、亡くなった人が好きだった曲だけが僕たちと亡くなった人を結ぶんだから」
一曲をなん度も弾きながら、体に音色に響く感覚がする。
そして、心の中でもう一度あの光が見たいと願った。
すると、茂みの中からむくりと黒い人の形が起き上がった。
背筋が凍るような感覚に襲われながら、その白く長い髪とその前髪の合間から見える美しい顔立ちに不思議と怖さがなかった。
そして、体の至る場所から炎のような赤い輝きがかすかに輝く。
「きれい……」
だが、演奏を止めると、点っていた灯火が消えてふたたび茂みの中に倒れた。
傍によると、目を瞑っているが十五か十四の少女の姿があった。右肩から左脇にかけて大きな傷跡があった。
人型の荒魂。普通の荒魂でないのはすぐに察しがついた。
「たしか……人型の荒魂って人間が荒魂になってしまった姿だって……ネットで読んだ」
手元の笛を今一度口に触れさせると、もう一度曲を吹いた。
微かな火に空気を送り込むように意識すると、にわかに彼女の内から炎の色が煌めいた。
(もっと……めいいっぱい……でも消し飛ばさないように……!)
少年は去年のキャンプで火を起こしたことを思い出しながら、吹く調子を整える。その音色は繊細ながら、力強さがあった。
「クゥウウウ……」
荒魂は起き上がり、やがて光が安定すると少年は演奏を止めた。
ゆっくりと目を開いた。その両目は透き通るような琥珀色に輝いている。
「本当にきれい……」
体をのそりと少年に近づける。少年は少し身を引いたが、荒魂はゆっくりと首を垂れた。
「アル……ジ」
「主人……? 君は誰だい?」
つい尋ね返した。その声は優しかった。
「ダレ」
「そう、君は誰?」
「ダレ」
「わからないの?」
のそりと、だがしっかりとうなづいた。
「じゃあ……初の音! 僕の最初の演奏で君は目覚めた! だから初の音!」
「ハツ……ノ……ネ」
荒魂を、初の音をどうしようというのだろうか。けれども彼は目の前の出来事に夢中になって考えが及ばなかった。
「このままだと見つかっちゃうから……」
茂みの中に窪みを見つけると、そこに入るように促した。
「また明日も来るよ、初の音」
「マッ……テル」
竹藪近くから切られた竹の枝を持ってきて、窪地をすっぽり覆い隠した。
「よし! あと、この笛のことも調べなくちゃ、何か特別な力があるに違いないんだ!」
茂みから出ると、桜色の髪が風に揺れる目鼻立ちの整った制服の女性とすれちがった。腰には御刀が二振りあった。
「きみ」
「はい」
足を止め、彼女の細い目の奥から差し込む陽の光に胸をドギマギさせた。
「この茂みの中でさ、何か見かけなかった?」
首を横に振って、下級生ぽく黙ってみせた。
「そう、ところでさ、君はここで何をしてたの? あと名前は? 私は燕結芽って言うんだ!」
「僕は賽原康太で……ここで」
一瞬答えに窮し、すぐに手に握っていた笛袋を思い出した。
「篠笛、を……練習してたんです。広いとこで吹くと、気持ちがいいから」
「ふぅーん、古風だね。上手なんだ」
「ううん、ぜんぜん」
「あ、そう」
ミュージックサイレンが響く。
今日はドボルザークの「家路」だった。
「僕帰っていいですか」
「最後に一つ、いいかな」
彼女の笑顔には優しさとはまた違う、凄みのようなものを感じていた。
「昨晩、ここに荒魂が出たんだけど、まだ仲間の荒魂がいるかもしれないから一人でいるのはやめようね」
「うん、気を付ける……」
「じゃ、坂道が急だから転ばないようにね!」
結芽に少年は頭を下げると、逃げるように駆け下って行った。
「結芽先輩、今の子は?」
詩織が結芽の後ろに立った。
少年の背中を見守りながら、この茂みにいたみたいだと言った。
「草木の背が高いです……襲われたら気づいてあげられません。地元の警察には立ち入らないように連絡しておきます!」
「うん、さっき微かにスペクトラム計が反応したのに、今はまったくない……悪い予感が当たらないといいけれど」
「行きますか?」
「もちろん」
詩織は車太刀を、結芽はニッカリ青江を抜き、林の中の草むらを分け入るように進んでいく。
二人があまりに厳重な警戒を敷き、ましてや結芽が御刀を抜いて警戒するのは理由があった。
◇
それは特別祭祀機動隊本部部長補佐(以下略)である益子薫からの情報提供であった。
「よおミルヤ、息災か? この間の大太刀と乗駆の報告書ありがとうな。刀使の生残性をより上げるために乗り物を使う選択肢は大いにありだと考えてるから、研究所にさっそく注文してみた。さすがに、また馬を引っ張り出すとなると色々規定やら法律やら調整が必要だからよ。んでだ、こっちが本題なんだが、それとは別件で人を借して欲しい。昔な、浜松の方で行方知れずの刀使によーく似た荒魂がでた一件だ……」
タギツヒメと融合していた折神紫による苛烈なノロ狩りが行われた十年間……五箇伝の各校には重い回収ノルマが課され、その中で荒魂の群体に少数で挑み、中には人が荒魂に乗っ取られるという痛ましい事件が起きた。だが、それはまだ姿が残っているだけマシな部類で、現実には四肢の損失や、身体機能の喪失、そして十年もずっと行方知れずという事例があった。
「七年前、鎌府の刀使が浜松市街で巣を作っていた荒魂の討伐に出撃。その時はほとんどの刀使が討伐に各地に飛んでいたため、たった二人だったそうだ。一人は鎌府の初年度生でその年に卒業予定だった三島恵子、中等部二年のまだ経験の浅かった明音水樹。巣への討伐戦が始まって急遽通りがかりだった青子屋篠子の援護で、ほぼ討伐には成功したが……茂みの中で明音水樹は三島の背中を守るために突入し……そのまま消息を絶ったそうだ。だけどな、先月に市民から発見報告があって、人型の荒魂が現れたというんだ。その市民が撮った写真を調査した結果……」
「それが明音水樹に瓜二つだったんですね」
ミルヤは悩んだ。十年や二十年前でも珍しい話だった。ゆえにその凄惨さは年長の刀使ほど徹底的に周知されていた。
が、結芽、詩織、未久は決意固く、行きますと言った。
「いつもの任務のようにはいきません……それでも構わないのですね?」
「もちろん、いつかはと二人と事前に話してたんです。必要な資料も読みました。それを見るための覚悟はできています」
ミルヤはため息をつき、小さくうなづいた。
そして昨夜、情報通りの場所にスペクトラム計が反応を示した。
避難指示が出して住民を避難させた後に、車が知らずに通りかかったこともあったが、幸いにも事故はなく。
結芽を先頭に暗い茂みの中に入り込んだ。
すると、後列にいた未久が何かに斬り付けられて写シが吹き飛んだ。
「きゃあ!」
そして、強烈な足蹴で腹部を押さえつけられてしまった。
「未久ちゃん!」
詩織はとっさに横一文字に抜きつけていた。そして、明眼が自動的にそれが人型であると認識していた。
後頭部を殴られたそれは、長い髪をゆらめかせその合間から琥珀色に輝く瞳を詩織に向けた。
「グワァアアアアアアアアアア!」
人である。その認識に詩織は思わず切先を引いてしまった。
そんな彼女に向かって、人型の荒魂は手が赤黒く刀型に変化した腕を振り上げて、おろした。
「んっ」
兼定の鎬にそって受け流され、そのまま左袈裟を切って、続けざまに逆袈裟を最初の太刀に沿って切り通した。
左肩から溶けるように倒れ落ちると、茂みの中の坂に沿って転がった。
「詩織ちゃん! 待機してる医療班に見せてきて! 私はここで回収班を呼んで待機してる!」
「はいっ! あいつをお願いします!」
詩織が未久を抱えて現場を離れると、荒魂の倒れた方に歩いて行った。
結芽は確実に仕留めたという確信があった。
軍用のフラッシュライトで前方を照らしながら、霞の構えで草をかき分ける音の静まった場所にたった。
「なんて……大量のノロなの……?」
あたり一面を池のようなノロが飛び散っていた。形状を保てずに崩壊したと考え、しかしまだ生きている可能性も捨てきれなかった。
だが、その不安は目の前に広がるノロによって、杞憂のものだと思えた。
「やれ……やれ」
回収班が来ると、そのノロは通常の二倍近くの数量であることが明らかになった。
未久も軽い打撲のみですぐに元気となったが、結芽の判断でミルヤのそばにいることとなった。
翌日、回収したノロの分祀先への輸送手続きを見守りながら、やはり不安だと思い詩織を連れて昨夜の場所に戻ってきた。
「ノロ……微弱ですが反応があります」
「やっぱり、災いの種にならないといいけど……!」
昨夜よりは周囲の状況ははっきり見え、昨夜の応酬の痕跡もしっかり残っていた。
しかし、人型荒魂の姿形も残っていなかった。
「ん? 結芽先輩、これ」
何かが倒れていただろう場所に、まだあたらしめの反射材キーホルダーが転がっていた。
「さっきの子のじゃないでしょうか? とても危険です……」
それもある、そう思いながら結芽は直観的に少年が関わっていないかと考えた。
「管轄への報告はしないで、あとしばらく私があの子と話してみる」
後編につづく