塾に行く直前を見計らって茂みに入り、初の音を隠した草をとった。
初の音はどこか寝ぼけたような顔で静かに待っていた。
「初の音! 待たせてごめんね!」
不思議と少年は充実していた。自分が知らなかった未知の力と邂逅が、暗い未来よりもずっと楽しく、現実のものに見えたからだ。
「……ダイジョウブ」
目の下に隈を浮かべる少年の手には、古い木箱に入った十七本もの小柄が入っていた。刀身には細かく無数の呪文が掘り込まれている。
「家のとっても古い本に、この笛とこのナイフのことが書かれてたんだ! スマホの古い文章を読み取るアプリで読んでみたら、僕の血筋には荒魂を操る力を宿っているみたいなんだ! たとえばね!」
笛を構えると、昨日とは異なるおどろおどろしい曲が流れ、やがて草むらの中から一匹の荒魂が姿を現した。
「アー! アー! ホシイ! チカラ! イノチ!」
「だめ、殺されちゃうよ。見てて」
笛の調子を単純にしながら、音色を聞いて近寄ってくる荒魂に向かって小柄を投げやった。
ストンッ
小柄が突き刺さった荒魂は足を止め、深々と首を垂れた。
初の音はその光景を見てから、少年に視線を移した。
「昨夜も一匹これで操ったんだ。昨日、初の音にしたように中の火を強めて復活させてあげることもできるんだ! すごいでしょ」
「アルジサマ……スゴイ……」
「僕の力があれば荒魂を殺さなくていいんだ! そうだよね!」
「ソウ……アルジサマ……スゴイ」
はしゃぐ少年の顔を優しそうに初の音は優しげな笑顔を浮かべていた。
すると、ミュージックサイレンが聞こえてきた。
「あっ! 塾に行かなくちゃ! 初の音! そこの荒魂も、茂みの中で絶対に動かないようにね!」
「ハイ……アルジサマ……」
「また明日ね!」
カバンに笛と束の小柄をしまい、急いで茂みを抜けて道路に出た。
その目の前に端末を手にする背の高い女性の姿があった。
「やぁこんばんは、また会ったね」
少年はあからさまに嫌そうな顔をして一歩引いた。
「またひとりだったんだ、康太くん」
「べつに、関係ないでしょ、燕結芽のお姉さんに……」
夕日を背にする彼女の笑顔はどこかおそろしげに感じられた。
「本当に危ないから言ってるんだよ? 荒魂ってね、動物や人になりたい意志と、自分以外を殺して取り込みたいっていう衝動が満ちているの。それは、どんな方法で押さえつけても、手ですくった水のようにこぼれちゃう。だから、私みたいな刀使は荒魂をノロに戻してあげて、そうした衝動を抑えてあげる。そして、ただ鉱滓に戻してあげる。それは長い、長い時間がかかるけれど、そうしないと人も荒魂も不幸なまま、争い続けちゃうから」
「だから……?」
「甘い考えで荒魂に触れると、死んじゃうよ」
目は笑っていない。心の隅に小さな罪悪感が芽生えた。だが、初の音の寂しげな笑顔が瞼に浮かんだ。
「それしか方法がないなんて、刀使って悠長なんですね。あっ、そうだ。人の形をした荒魂って、人なんですか?」
「ふふ、返す言葉もないね。でも、君には何ができるんだい? 刀使になれない、力のない君は、荒魂とどう生きる気なの?」
ふと、なぜ自分に荒魂を操る能力があるのか疑問に思った。そして、初の音をこれからどうするのか、まったく考えていなかったと思い知らされ、思わず目が泳いだ。
「質問に答えてあげる。人になった荒魂と荒魂が人になったそれは、まったく別物だよ」
少年は坂道を一目散に走り始めた。その背中を見ながら、結芽は肩を落としてため息をついた。
「重いよね、自分の命も、人の命も、荒魂の命も」
その夜、まったく勉強に身が入らなかった。
迎えがきて、夕飯をとってからも、少年の頭には結芽の言葉が繰り返し流れていた。
『君には何ができるんだい?』
僕には荒魂を操って、制御する力があるんだ。
『荒魂とどう生きる気なの?』
荒魂があれだけ大人しいなら、もう悪さはしないはずだ。
『人になった荒魂と荒魂が人になったそれは、まったく別物だよ』
僕は、初の音をどうしたいんだろう。
答えは出ない。
深夜、小柄と笛を手にして家を飛び出していた。
窓からこっそりと、捨てる前の少し小さな靴を履き、庭の柵を越えて、夜の街をあの茂みに向かって走る。誰かに見られたらまずいと思って、パーカーのフードを深く被った。
走って五分すると、学校裏の坂道が見えてくるはずだった。
だが、坂道を目も開けないほどの数の赤い光が明滅していた。
封鎖線の前に、近所の住民が入れ替わり立ち替わりで様子を見にくる。少年は建物の影に隠れながら聞き耳を立てた。
「あそこの茂み、以前から荒魂が出るって噂やったけど、どうも大昔のノロの廃棄場所だったらしいわ。大きな荒魂が生まれる前に特祭隊が処理するって」
「三日間も一帯が立ち入り禁止、私たちの生活も考えてほしいわ。この間も避難騒ぎもあったじゃない」
「下の学校も三日は休みらしいわ」
人目を縫うように茂みへ続く別の道を探した。二年前、同級生たちの間で茂みへ入るための秘密の場所を思い出した。
それは古い水路の上を器用に渡って、低いフェンスを越えるというものだった。
「初の音……!」
自分でも信じられない速さで、水路をまたぐように小さなコンクリートの側溝を進んでいく。そして、古いフェンスに捕まって飛び上がるように体を茂みの方へ進ませた。
「初の音ッ!」
茂みにはいくつもライトが照らされ、その中央に初の音の姿があった。すると、暗闇の中から白い光を浴びる赤と白の制服の少女が、彼に驚いた顔を向けながら前に立った。
「君はこの間の……! ここが今どれだけ危険なのかわかってるの!」
詩織は少年の腕を強く掴んで引っ張った。
「離して!」
「ダメ! 君はもう荒魂に関わっちゃいけないんだよ!」
「しらないよ! 邪魔するなーっ!」
その叫び声に、茂みの中から一匹の鉱型が詩織の背中に飛び込み、その角で胸を貫いた。
「うっ……」
詩織の手から力が抜け、少年は二歩後退りした。彼を助けた荒魂の頭にはあの小柄が刺さっていた。
「おいっ! その刀使を殺さずやっつけろ!」
そう言い残して、初の音の方に駆けて行った。その先には、初の音へ近づく結芽の姿を見た。
写シを張ったその姿を見て、背筋が凍った。
あれは戦ってはいけないと、本能が叫んでいる。
「死ハ……イノチニ……ヒトシクアタエラレル……」
だが、死を覚悟した優しい顔を見て、少年の内の怒りの感情が恐怖を塗りつぶした。
笛に口を触れさせると、古文書の一番奥に書かれていたもう一つの曲を引いた。それは、激しく遠くへ響く旋律だった。
グォォォォォォォォォォ……
地面から湧き出るように荒魂が出てきた。
「破の傀儡曲、荒神呼び」
その場にいる刀使、そして同族に向かって、荒魂たちは一斉に攻撃をし始めた。
「初の音ーッ! こっちへ来るんだ!」
その声を聞いて、初の音は一匹の荒魂を踏み砕き殺してからノロを足から吸い、あっという間に少年の元に駆け寄ってきた。
「怪我はない?」
「アルジサマ……ブジ……ダイジ」
抱きしめられると、ほんのりゆらめくような温もりを感じた。
「康太くん……ほんとうにそれでいいの?」
兼定を手に、少年と初の音を見下ろす結芽の目は、二人を憐れんでいた。
「ぼ、僕の力があれば、荒魂を無力化できる! 斬ることしかできないあなたちとは違う!」
「でも、それを何百年もできなかったのはなんでだろうね」
「し……しらないよ! 行こう初の音!」
「ハイ……アルジサマ」
初の音はひょいと少年を抱え、結芽の袈裟斬りを片手を刀状に変化させて捌いた。
少年は正面で揺れ動く荒魂に向かって小柄を投げやった。
「そこのムカデ! あいつをぶっとばせぇぇぇええええええ!」
いくつも胴の連なったムカデ型の荒魂が結芽に襲いかかった。
結芽はその攻撃を軽くいなしながら、遠ざかる少年と初の音を見つめながらインカムのスイッチを入れた。
「ミルヤさん、いま康太くんと人型荒魂が危険地帯を出ました。マークをお願いします」
《了解しました。引き続き巣の対処を頼みます》
「かしこまりました! 詩織ちゃん大丈夫?」
「はいっ! 逃してしまってすいません」
「いいのいいの、あの子と人型荒魂をここから引き剥がすのは成功したから、ここはポジティブにいこ!」
瞬時にムカデ型の胴体を無数に斬り捌くと、詩織と共に荒魂の群れに飛び込んでいった。
◇
その日の夕方。
翌朝には両国に戻るという夜に全員を呼び、ミルヤに同地の再調査を依頼した。
「荒魂の反応が確かにあったのに、忽然と消えたんです。そこの近くから現れる少年。私は、人型荒魂はまだ祓われていないと考えています」
だがミルヤは渋った。
「すでにかなりの量のノロが回収されています。可能性は低いと考えますが、その少年が荒魂とどういうつながりがあると考えていますか? 再度の荒魂警告による避難は警察側は渋ります。根拠はどこにありますか」
「すれちがったあの子、私の御刀を見て明らかに嫌悪感をむき出しにしました。荒魂に対して、何かしら接触を持っていると考えています。そして、スペクトラム計から反応が消える事象を説明できません。まず私たちの手でもう一度探るべきです」
病院から戻ってきた未久は首を傾げた。
「以前にもありましたよね? ノロの波長の違いでスペクトラム計に引っかからない件」
詩織は、あれの解析波長でスペクトラム探索をすべきではと告げた。
「荒魂を操る……柳瀬詩織の言うとおり、この間の大阪の一件を想起させますね。あの小柄を託した技術研に聞いてみましょう」
ミルヤが電話する間、神妙な面持ちの結芽を未久と詩織はじっと見た。
「ん? なに? 顔に何かついてる?」
「……とぼけないでください。何か心配事があるんですか?」
「まぁ、ね……もっと言い方あったんじゃないかって。あの時の康太くん、誰か愛おしい人と会ったような嬉しそうな表情だった。彼氏と待ち合わせして、後から私がきた時にそんな表情をするから、よくわかる。あのとき、あの子に荒魂をどうするのかって問いかけたんだけど。本当は大事な人への思い入れを、相手が持っているとは限らないよって言うべきだったのかも」
詩織と未久は顔を見合わせた。
「あの……わかるように言ってください」
「ふふん、いつか二人にもわかるよ」
ミルヤが戻ってくると、例の小柄から未知の珠鋼の波長が出たことを三人に告げた。
すぐに調査隊の端末に新たな波長のパッチをインストールすると、さっそく浜松一帯を探知にかけた。
「反応あり! これっ!」
あの学校裏の雑木林がある空き地に、巨大な反応が走るのを見た。
「この反応の出方……地下からもあります。これは、この空き地そのものが巨大なノロの集積地です!」
「ただちにこのデータを通報し災厄避難勧告を発令してもらいます! 燕結芽、柳瀬詩織、山城未久はただちに写シを張り、現場に急行! 応援に来てくれていた鎌府第三中隊第一分隊もすぐに現地に向かわせます! 先行して現地の安全を確保、人員と機材が揃い次第、討伐とノロの貯蔵所の解体を開始します! 質問は!」
「少年のこと、私に一任してもらえませんか。あの子を止められなかった責任をちゃんと果たしたいんです」
「わかりました。あなたの判断に任せます! 第一は少年の生命、第二に討伐をあなたの任務とします」
「感謝します! ミルヤさん!」
少年と初の音の逃亡後、未久と鎌府刀使の増援を加えて、彼の呼び起こした荒魂たちを一時間で殲滅した。
そして詩織はノロの回収員が持ってきた小柄に、石川五右衛門の文字があるのを認めた。
ミルヤはそれを鑑刀眼で確認し、それが真性の珠鋼に複数の反応の異なるノロが混ぜられていると断じた。
「彼は安土桃山時代の大盗賊として後世にも名を知れた存在です。そんな彼の正体が荒魂を操る傀儡師だったと確信に変わったのは今回の一件です。前回の小柄は、三体の大荒魂に共通して同じ形状、同じ呪文の書かれた小柄が刺さっていました。石川五右衛門は豊臣秀吉の襲撃に失敗して、彼の手勢によって捕縛。釜茹での刑で子供もろとも死んだとされています。しかし、その血筋と技術が生きていたとすれば今回のことはあり得ない話ではありません。よりにもよって、血筋を引く少年の近くに室町時代のノロの封印場所があったのが問題だった」
地中から出てきた真鍮製のノロが入っていただろう円筒缶に、享徳元年の文字があった。
「その子が人型荒魂を掌中にして、今も逃亡中です。応援の部隊は封印地の解体作業の護衛で動けない、私たちが動くしかありません」
詩織の一言にうなづきつつ、ミルヤは神妙な顔の結芽の目を見た。
「柳瀬詩織と山城未久をバックアップにつけます。あなたは引き続き、少年と彼女をお願いします」
結芽は小さく笑みを浮かべてうなずいた。
◇
浜松の台地を登ると、そこは広い広い平坦な土地が続いている。
その大きな林に身を隠すと、少年の息が白くなって消える。
「アルジサマ」
「ここまで来たらだいじょうぶら。大丈夫」
少年は初の音の体温を確かめるように、初の音の頭を抱きしめ優しく撫でた。
「アルジサマ……ハツノネ……イノチ……ヲシクナイ……デモ……オナカガスゴク……スク」
「他の荒魂と君は違うんだよ。炎の色が違う。それは綺麗だし、変な色を混ぜちゃいけない」
彼は少し離れて篠笛を持つと、出会いのあの日と同じ曲を吹きながら、初の音の内なる炎に空気を送るように、優しく強く意思を込める。
すると初の音の輝きがなん度も瞬き、瞬き、キラキラとその輝きをいっそう増した。
「スゴク……心地イイ。デモ、ヤッパリ荒魂ヲタベタイ」
「それは……」
それが危険なことはなんとなく気づいていた。荒魂が荒魂を殺し、喰らって巨大化するのはよく知られたことであったからだ。
だが、彼女の顔を見て少年は篠笛を手に、荒魂を呼び寄せる曲を吹いた。
やがて、荒魂が二人の周りに集まってきた。
「少し残してね……手下にするから」
初の音は飛び出すと、次々と荒魂を斬り、踏み潰し、殴り殺し、溢れるノロを吸った。
「ウレシイ! 命ガ私ノナカニ溢レル!」
髪を大きく後ろに下ろすと、額からツノが大きく生え出た。初の音は休むことなく集まってきた荒魂を殺し、吸収する。
「初の音、もうやめて! やめてくれ!」
「イヤッ!」
近づいてきた少年を初の音は一蹴した。
初の音にとってどうと言うことのない、羽虫を祓う程度のことだったが、少年には強烈な痛みを腹にもたらした。
「カハッ!」
そして荒魂を全て喰らい尽くすと、彼女の炎の色が紫がかり、その顔からあの優しそうな表情が消えた。
「ハハ、ケタケタケタ! コレデ私モ人トイウ形ニナレタ! 荒魂ナラ荒魂ヲコロス! 人ナラ人ヲコロス! スキダッタヨ、アルジサマ。モウ、オヤスミダネ」
笛を持って荒魂を呼ぶ曲を急いで弾き始めた。だが、初の音は少年の顔を容赦なく蹴り上げ、転がった笛を粉々に踏み砕き。小柄の入った袋を大きく蹴り飛ばした。
「やめてよ初の音! 初の音!」
はっきりと理解した。自分は死ぬのだと。
「サヨウナラ」
腕を刀に変化させて初の音が彼に飛び込んだ。
ガキィィィイイイイイン!!!
だが、その一撃はあっさりと受け流しされ、そのまま初の音に袈裟斬りを浴びせた。
「燕……結芽……?」
怯んだ隙に少年を抱えて跳躍、大きく間合いを離した。
「怪我はない……ってわけにはいかないね……」
「なんで、ここにいるの」
「目の前のあの子、どうするか聞きにきたの」
初の音の顔が面に覆われ、下半身は大きく膨らみ、胴体は毛に覆われ、手足は虎のように細く鋭く、尾は蛇のような別種の荒魂が揺れている。
「え、初の音は、人が荒魂になってしまったんじゃ」
「その元の人、さっきの茂みの中から死体で見つかったの。当時の学生証と顔で判別できた。左半身が消えてたけれど、御刀は彼女が死んでからもずっと遺体を守っていたみたい」
「じゃあ、あそこにいるのは……?」
彼は膝から崩れ、体が震えた。
心の中で、夢がボロボロと崩れ落ちる音が聞こえた。目の前には巨大な鵺の如き怪物となった『初の音』と名づけた『大荒魂』の姿があった。
「人になろうとした荒魂のなれ果てだよ。ずっと、亡くなったあの人の死体を見続けて、あの人になろうとした。でも、荒魂はどれだけ人を模倣しても、本質的には荒魂っていう荒神。自然とは似て非なる世界の生き物、その荒魂としての本能があの子に人の形を捨てさせたんだよ」
「僕が……僕がいけないんだ……あの炎のような輝きが綺麗で、あの笑顔がかわいいって思って、なんでもしてあげたいって思った! 僕のつまらないこの先よりもずっと輝いて見えたんだ! でもそれがあの子の願いを歪めたんだ……! おねえさん、燕結芽さん! あの子を楽にさせて.僕のわがままから!」
無責任だ、力なんて幻想だ、持っててもあの子一人抑えられなくなった非力な子供。
少年は溢れ出す涙と嗚咽を必死に堪えて、もう一度結芽にむかって頼んだ。
「わかった。あの子を預かったよ」
目の前の少女は優しいが悲しげな笑顔で、少年の頭を撫でた。
結芽は迅移を発動しながら、三度すり抜けざまに足を斬った。だが、初の音の体は瞬く間に再生する。
「三秒十二……ってところかな、再生時間」
今度はその再生時間に合わせて、一秒半で四足と尾の蛇を切断し、背に取り付くとニッカリ青江の間合いからやや離れた場所で振り上げた。
『大斬上』
振り下ろした斬撃はニッカリ青江の間合いから二尺近くも伸びて、初の音の人型の胴体を真一文字に両断した。
その切れ口は尋常ではなく、結芽に反撃をあびせんと腕を伸ばしてきたが力尽きて倒れ落ちた。
ニッカリ青江には磨り上げによって失われた一尺半の刃が白い輝きとなっており、やがて霧となって消え失せた。
「きっかり三秒……」
音を立てて崩れ落ちると、ノロが溢れ出し、半身となった初の音の面が割れて、あの目が少年を見つめた。
康太は思わず駆け出し、初の音の頭を胸に抱いた。
「ごめん……なさい! ごめんなさい!」
「アルジ……サマ……アナタノ……イノチハ……アナタノ……モノ……」
初の音の体からノロが抜け、ボロボロと鉱滓になって手から崩れ落ちた。
「前にさ、君が刀使は切るしかできないって言ったじゃん。なら、今度は君が切らなくても荒魂を鎮める方法を見つけ出せばいいよ。私は無責任だけど、戦うって疲れるんだ」
「初の音も疲れてたのかな……あ!」
鉱滓の中に見つけた小さな小さな青白い鉄の塊を、彼は握りしめた。
「燕結芽さん! これ! 初の音の中から!」
結芽はそれを見て、周囲を見てよそ見しながらニッカリ青江を鞘に収めた。
「わたしは何も見てないよー。はやくポケットに入れちゃいなよ。めざとい人が盗む前に」
康太にはわかった。
これがノロの中にあった、わずかな初の音の優しさなのだと、そう信じた。
硬く握った手をパーカーのポケットに深く押し込んだ。
絶対になくさぬように、忘れないように……。
◇
一週間後、結芽が報告書を薫の元に直接届けた。
「そっか、遺体は家族に帰したか。あと、傀儡師・石川五右衛門の血筋は要監視か」
薫は局長席に腰掛け、その隣に補佐席の椅子を引っ張ってきて結芽が紅茶を飲んでいた。
「傀儡の技法書は没収して、現在は折神家文書庫の機密指定庫に入ってます。まーもっとも肝心の荒魂を操作する特殊な笛が破損しているので、おそらく血筋の人たちが荒魂を操るのは到底不可能でしょうね。康太くんに協力してもらって、普通の笛で荒魂を呼べるかやったら全然ダメでした」
「しばらくは安心か、だが小柄は使える。こいつも厳重に保管だ。研究所の奴らにも触らせたくない代物だ。血筋の人々を危険に晒しかねない」
「ねぇ〜」
結芽の胸元でくつろぐねねを見て、このエロダマといつもの悪態をついた。
しばらく、静寂が部屋を包んだ。
「すまねぇな」
湯気の漂う紅茶の、揺れる光を見ながら少し肩を落とした。
「なるべく、私と沙耶香ちゃんがいるうちに目処つけてね。こういうのに慣れてる刀使は私たちが最後にしたいから」
「おう。可奈美は論外、姫和は立場的にもっとダメだ。俺はもうかなり上に登っちまって、以前みたいにコソコソできない。すまないが、たのむ」
「はーい、これもお姉さんのお仕事ですから」
「頼りになるお姉さんだ。なーねね」
「ねぇー!」
桜が咲くのも間近のこの頃、まだ寒さに手がかじかみ、温かいものがとてもおいしく感じる。
出会いと別れの季節。
少年はあの茂みの横を通り過ぎ、今日も塾に急ぐ。
あの日の思い出すと、ミュージックサイレンの音色が優しく、でも悲しく感じられた。
遠くから聞こえるその曲のように、雲のない空には三日月が登っていた。
了……