両国には春一番が吹いた。
それでも、博物館の前に広がる庭園には美しい紅をさした梅の花が咲き誇っていた。
制服の上にカーディガンを羽織っている結芽はスマホを手に、画面に曇り空をバックにするスカイツリーと梅の花をうまくおさめてシャッターを切った。
「きれいな梅。寒さに負けない美しさがある」
結芽は後ろを振り向いて口をへの字にした。
「かったいなぁ〜以前にも増して堅い!紫様と朱音様のそばにいるとガチガチになりすぎちゃうよー?」
スマホをポケットに突っ込みながらするりと彼女の背に回って、肩を揉んだ。稽古を欠かさずやっているからか、白いロングコートの上からでも肩の筋肉が張っているのがわかった。
「でも、この間の雪の日にこの梅咲いててさ、なんか幻想的で一日中見ていられるくらい綺麗だったの。寒さに勝つっていうより、寒さの中の美しさなのかもね沙耶香ちゃん」
少し大人びたが、まだ十代の少女といった幼さの混じる笑顔があった。銀の髪が風に揺られきらきらと輝いている。
「そうだね」
彼女は特務警備隊第一席を退いたが、引き続き特務警備隊の顧問として約一年ほど在籍することになっている。役職名は本部別室。
現役四人が忙しい合間は彼女が朱音の護衛や、鎌倉本部の警備にあたっている。だが、今日はそれとは別の件であるらしかった。
特剣博の調査隊室で結芽の隣に椅子を用意してもらい、先日の電話で話した件を聞きたいと結芽に向き合った。
「それは私たちも聞いて良いのですか糸見沙耶香」
ミルヤの問いにもちろんと答えた。
「未久と詩織にも、朱音様と真庭本部長が現役時代に結芽と合っていた話を」
未久は首を傾げて尋ねた。
「結芽先輩は18歳なんですよね?でも朱音様と紗南先生が現役だったのは21年前です。生まれていませんよね?」
「ちなみに昔の朱音ちゃんと紗南ちゃんに会ったのは私が15のとき〜」
「えっ!?」
その結芽の言葉に未久と詩織は目を見合わせながら、補足するとと沙耶香が言葉を繋いだ。
「三年前に青森の温泉街近くで任務中に結芽が失踪したことがあったの。最終的には失踪から翌日に温泉でのびのびとしてて所を発見されて、清香にこっぴどく叱られたんだよね。その時も過去に戻った話をしていたんだけど、だれも信じてくれなかったんだよね。それもとうの朱音様に否定されて」
「そう。でもあのタイムスリップは私にとって本当にあったこと…またなんで今のこのタイミングにこの話なの?」
「それは、再開したときに温泉場が過去と繋がる理由と対策ができていなかったから…かな?隠世が過去と行き来する通路の役割を持っていると知られると、それを悪用する人間が出かねない。それにタギツヒメがそれを悪用するとも限らなかったから、ちゃんとした調査ができるようになってなおかつその結果が出てから…改めて話をしたかったみたい」
「どおりで変なはぐらされ方されたんだ。ふぅん。じゃあ、今は」
「うん、結芽の入手したあの羽根が証言通りのものだって証明されたの。だから、朱音様たち側と結芽の体験をもって『神鷹』の記録を残そうってなったの。隠世と現世という世界観や時間を超越することの解明に必要な研究の一助としてね」
沙耶香はそう話しながら、ペンとノート、そして録音機を出した。
「そういうことならいいよ!あのときのことちゃんと釈明したいし、わたし悪くないって」
「ほんとにさぼってなかったの?」
「全部が全部ってわけじゃない」
「サボってたんだね」
「もぉー!沙耶香ちゃんってば!私にも言い訳あるの!聞いて!」
「はいはい」
◇
録音を開始すると、いいよとやさしく結芽に言った。
「あれは三年前、八甲田山山中の酸ケ湯って場所で古くから目撃例がある『シンヨウ』って呼ばれた鷹が数十年ぶりに確認されて、鷹型の荒魂か調査してほしいって依頼があって特務警備隊が調査に向かったの」
青森駅から車で約一時間ほど、八甲田山の雪中行軍で有名な場所を抜けて森の中を西へ走っていくと、八甲田山の頂が望める場所に酸ヶ湯温泉へと到着する。
「んーっ空気がおいしい!」
車から飛び出した結芽は十五歳、背丈が伸びてきたが相変わらず無邪気さがぬけていない。
「ここを拠点に討伐と調査ですわね」
第一席の寿々花は特務警備隊からの引退を決めており、今回が特務警備隊としての最後の任務だった。
「報告だと昨日も『シンヨウ』の姿が確認されていますが、遠目から撮られた写真しかないので、直接スペクトラム計と目視で確認する必要があります」
正式に第三席に就任したばかりの清香は、背も伸びて以前よりも大人びて見えた。
「それに八甲田山中で荒魂の目撃例が増えている。『シンヨウ』ではなく四足歩行型の荒魂の可能性が高い」
「はい、糸見さんの言うとおりです。青森支隊の局員がスペクトラム反応を確認しています」
調査が主任務であるものの、八甲田が強力な荒魂の出没地帯だったため、それらの掃討を兼ねていた。
寿々花は御刀を剣帯装置で腰に佩くと、スーツケースの持ち手を伸ばしながら三人に向き直った。
「では打ち合わせの通り、荷物を置いてさっそく調査に入りましょう」
「「「はい!」」」
GPS地図とスペクトラム計を重ねたものに、目撃のあったポイントがいくつか重ねられた。写シの力があれば八甲田を一周するのは造作もないので、いざとなればすぐに応援が飛んで来れる。
結芽は清香と共に石倉岳方面。寿々花と沙耶香は毛無岳方面に向かった。
非常用具を入れたリュックを背負い二人は慣れた足で山間を抜けながら、目撃地点付近に到着すると、背丈を遥かに超える岩壁が空へと突き出ていた。
「あれが八甲田山連峰唯一の岩山、石倉岳なんだって」
「あそこに『シンヨウ』がいたの?」
地図のマッピングから詳細情報を引き出すと、石倉岳を登っていた登山家が木々の中から突き出た岩にひときわ大きな鷹が留まっていたことを証言したという。
結芽はリュックのショルダーに取り付けられたケースから端末を取り出した。
「スペクトラム計は…」
反応はない。
「そういえば、他にも特徴があって…翼を広げると内側に日の丸型の紋様が左右対称にあったそうだよ」
「日の丸?」
結芽は自分の頭上から石倉岳方面に抜けた影を目で追った。
「ああいう感じ?」
「そうそう、絵図にもあんな感じ…で…」
二人そろって口を開けながら空を見上げた。
低空飛行していると思っていた鳥の姿はタカと呼ぶには大きく、その翼も空に大きく広げられ丸い紋様が翼の下に左右対称に並んでいた。
そして、二人は写真がない理由を理解した。
その大きな体には傷ひとつなく、目は全てを見通すように金と黒の色は透き通り、複雑な羽の模様は緻密。羽をたたむようにしながら岩に降り立った姿は大きく、この八甲田の森は彼の所有物だと示すような貴賓あふれる立ち姿だった。
「きれい…」
「かっこいいね…」
こちらを見つけたのか、じっと二人の顔を覗くように見つめた。
「あそこまで軽く一キロあるよ?」
「狩で生きている鳥だから、とても目がいいみたいだよ。それに、あの鷹は荒魂じゃない。断言できる!」
「じゃあ、本物の『神鷹』ってこと…?」
と、神鷹は何かに気がついて急いで翼を広げて岩から離れた。結芽たちのスペクトラム計に警報が鳴り響いた。
神鷹が飛び退いた岩場から、彼を狙うように四足歩行の黒に緑色の光を輝かせる異形が飛び出てきた。
「あれは熊型!」
熊型荒魂は岩を砕いて土埃を起こしながら、飛んでいく神鷹を猛烈なスピードで追いかける。
「結芽ちゃん!」
「先にいくよ!」
スタートの姿勢で神鷹の方向へ体を向ける。
「お願い!」
迅移を発動し、木々の間を猛烈なスピードですり抜けながら、木々を薙ぎ倒し進む熊型を見つけた。
「狙っているの神鷹を?でもせっかく見つけた神鷹を傷つけられたくないから!」
熊型の側面から切りつけた。
「邪魔!...えっ!?」
右腕がすっぱりと落ちたが、速度を下げずに神鷹に迫る。もしこの勢いのまま熊型がジャンプして届く距離に詰められれば、彼は押し潰されて殺されてしまう。
周囲がにわかに霧がかってきたが、結芽はそれに構わず熊型の左側背を見据えた。
(こうなったら、左腕を逆袈裟で奪って背中に飛び退いて腰と首を断つ!)
霧がさらに濃くなってくる。だが結芽の集中力は極限までに高まっていた。
白い中にわずかに巨体が見える。この視界ならば、今しかない。
右足を踏み込み迅移発動、目の前に瞬間的に現れた熊型の左腕を左脇下からの逆袈裟で切断、その勢いのまま跳躍すると腕がなくなってバランスを失って巨体が勢いよく伏せ、山を滑り落ちていくのも気にせずに、ニッカリ青江を振り上げた。
「えいッおぉおおおおお!!!」
まず頭部を首から一刀両断、そしてまだもがく胴体をやや飛んでもう一度冗談から両断した。
「えいっおおおおおおお!」
突っ伏して砂埃が激しく立ち、熊型の動きが停止した。
ようやく気を緩めた。
すると遠くから声が聞こえてきた。
「結月せんぱーい!無茶はだめですよーっ…ん?」
霧が晴れだすと、手を振っている黒の制服のツインテールに髪を結ぶ少女が極端に姿勢を低くして蜻蛉の構えになった。
「そこの!どこの刀使だ!」
「え?と、特務警備隊の、親衛隊第四席の燕結芽だよ!」
「とくむぅ〜?しんえいたぁいぃ〜?なんだよそれ…まさか、日高見の刀使か」
「え!?」
「みたことのない白い制服、御刀、顔。私と朱音ちゃんの知らない刀使は…敵!」
日焼けで黒っぽい肌の顔から、溢れんばかりの殺意が結芽に叩きつけられた。
「待って!話を」
「まず写シぃガタガタに掻っ捌いてからぁ、聞くっ!」
結芽は咄嗟に迅移で逃げた。熊型の体が木っ端微塵に砕け散ったのである。隙なく、容赦無く、一分の温情なく。ただ切ることしか頭にないといった顔だった。
「キェエエエエエエエエイアアアアアアアアアアアアアア!」
何度も何度も叩き込まれる打ち廻りに、結芽は一寸で避けることを繰り返した。
(倒すべき?いや、きっと止まらない!でも!)
舞草との交流を通して刀使同士の斬り合いを避けていた結芽は、ニッカリ青江で受けることも返すことも、ましてや攻めることもできなかった。
だが、彼女の側面から太刀が自顕の斬り付けを払った。
「そこまでですっ!」
顔を上げて目の前の黒髪に、切り立った目つきだが優しさのある穏やかな顔つきの少女に、すぐ殺気を解いた。
「朱音ちゃん!そいつは!」
「誰かわからない時はまず引くって、約束しましたよね」
「あ…でも!」
「なーちゃん!話聞いて!今の見て色々わかったから!敵じゃないって」
目を瞬かせてから、蜻蛉の構えを解いた。
結芽に向き直った刀使は、朱音と呼ばれ、その幼い顔は間違いなく折神朱音であった。
「あ、朱音さま…」
「その御刀、ニッカリ青江ではありませんか」
「は、はい!そうです!」
朱音相手なのでと敬語になりながら、刀身を見せるようにしてみせた。
「はぁー?え?ニッカリ青江って刀使決まっていたっけ?」
「ううん、今もニッカリ青江は『主人を選ばない御刀』のはずだから、今はニッカリ青江の刀使はいない」
「真贋は?」
「…本物です。この間、姉様と確認したので間違いありません。ニッカリ青江の刀使さん、あなたは何者なのですか?」
結芽は目の前の状況に頭が真っ白になった。
「どういうこと…?」
◇
「いや何言ってんだ。未来から来た?それ寝言?」
「むー!ちがうの!本当に二十年後には親衛隊があるの!」
あの酸ヶ湯温泉に戻ってきたが、寿々花たちの姿はなかった。休憩所で黒の遊撃隊制服を着た折神朱音と真庭紗南の二人に囲まれて、結芽は質問攻めを受けていた。
「当主になった紫様を守るねぇ…で、未来の私たちはどうなってんの?」
「それは…」
言えない。
この時点ではまだタギツヒメが紫の中にいることは、誰も知らないはずなのである。目線を外して口を紡いだ。
「怪しいなぁ。ねぇ朱音ちゃん」
「いえ、事実かもしれません」
「え?!」
朱音は少女らしい明るい笑顔を見せながら、結芽の顔を覗き込んだ。
「江ノ島での大災厄。あれが相模湾大災厄の正式名称とはまだしていません。ですが、調査報告書が来月に公表されますが、燕さんの証言と全て報告書の内容が一致します」
紗南は何かを察して結芽の顔をみた。
「…それをどこで?」
「え?普通に授業とかで習うよ」
この2001年を生きる二人には二十年という時間が途方もなく遠くも、しかし近く感じられただろう。2021年を生きる結芽にとっても同様だった。
「わかった。とりあえず…信じる…」
渋い表情の紗南とは対照的に、朱音の好奇心に満ちた目が結芽に向けられていた。
「未来にどんなことがあるかは存じません。きっと聞いてはいけないのでしょう。でも!これだけは聞かせてください!刀使専用のパワードスーツは実用化してますか」
「え?」
紗南はまた始まったと呆れ顔で結芽を見た。どうなのかと。
「まぁありますよ。名前は…」
「待ってください!きっとそれは…S級特務装備!ストームアーマーでしょう!自信あります!」
「あ、当たってます」
「うんうん!私が姉様の補佐についた暁には実用化してこの名前をつけるって!ゴゴーファイブの録画を観ながら考えてたんです!それが分かっただけで私は満足です!」
光悦に浸る朱音を傍に、紗南にそば耳立てた。
(ほんとうに朱音様なんですか…?あんなの見たことないよ!)
(あー未来では自重してるかぁ。あかねちゃんは戦隊特撮が好きなのよ…私とか一部の先輩しか知らないことだから…)
(へ、へぇー)
朱音は頬を赤くしながらゆっくり息を吐いた。
「さて、では燕結芽さん。あなたが私たちと会うまでの状況を整理しましょう」
ご満悦な表情の朱音に二人はすっかり気が抜けてしまったが、彼女はまったく気にしていなかった。
(この時代でも手強い人だなぁ)
(もしかして朱音ちゃんの特撮好きとか、変なネーミングセンスが未来にバレたってこと????!)
結芽は『神鷹』が荒魂であるかの調査、そして八甲田山内で活発に動いていた荒魂の討伐を任務としていたこと、『神鷹』の発見と討伐対象の荒魂が発見されて結芽が先行して追跡。霧の中で鷹を追う荒魂を討伐したものの、タイムスリップしたのか元の場所に戻れずにいると、経緯を話した。
「なるほど、実は私たちも『神鷹』の調査に来たのです。そして、同時に荒魂の行動も活発化していたので私たちと指揮官に伏見結月さんが派遣されてきたのです」
「いまは青森県警と話し付けに行っているから、じきに会えるわ。それで、燕はどうするの?」
「帰る。みんなが待ってる」
「いや、帰るっていったって、どうやって?」
「それは…」
朱音は何かに気がついたようで、もう一度『神鷹』の姿や行動を細かく尋ねた。
「もしかして」
「朱音様?」
「もしかしたら、あなたが観た『神鷹』と私たちが追っている『神鷹』、そして戦前から目撃例のある『神鷹』は同じ個体なのではないでしょうか」
朱音はノートや古い資料を鞄から取り出すと、結芽に『神鷹』の絵を描いてもらった。そしていくつかの絵図を並べて見比べた。
「全く同じ鷹を描いてる…この翼の日の丸とか、大きさとか、羽の模様とか!このスケッチなんかそっくり!」
結芽がそう言うのを聞いて、紗南はおそるおそる朱音の顔をのぞいた。
「あかねちゃん…もしかして『神鷹』もタイムスリップしているって考えてる?」
「ええ、その通りです。燕さんがこうして私たちに会えたと言うことは、『神鷹』は何度も時を飛び越えられるために、それに巻き込まれる形で飛んできたのでしょう。原理はわかりませんが、隠世の門には過去へと繋がる特異点の存在が古文書や伝承から見出されています。つまり、条件さえ揃えば燕さんはすぐにでも未来に帰れます」
鷹を探す、それは決まった。だが、探し出した後が定まっていなかった。
「それって、過去にも行くし、未来にも行っちゃう…どの時間に飛ばされるかわからないんじゃ…」
悩む三人の元に黒のジャケットを着た女性が現れた。
「どうした朱音、紗南。それに…」
彼女はその細い目を見開いて、結芽を見つめた。
「結月先輩!」
「相楽学長…」
「んー?燕!結月先輩は伏見性で、学長じゃ…あー!いらないことを知ってしまった!」
だが、結芽は紗南と重なった声の中で自分の名前を呼んだ気がした。
「ん!いや、誰かなその子は?青森の刀使かな?」
「いやぁ、なんと申しましょうか…」
紗南が言い淀んだが、すぐに朱音が彼女は未来から来たと告げた。
「燕さんを未来に帰したいのです!知恵を貸してもらえませんか?」
結月は何かを察して小さく頷いた。
「…話を聞こう」
結月は聞いた話を全て信じ、それに対して一つの考えを述べた。
「この件を調べていて、発見される時期が集中している時期と時期の間に空白の期間があるのを不思議に思っていたんだ」
三人が文献をまとめた表を見ると、それが二十年周期であるのが見てとれた。
「2001年、1980年、1961年、1940年…ぴったり二十年です!」
「そして、この鷹が向かう方向が八甲田山側か、その反対かで戻る時間が異なっているとすれば…」
「結芽は八甲田山側に向かう鷹を追えば、未来に戻れる!」
そう紗南は結論づけたが、ではこの『神鷹』とは何なのかというのは振り出しに戻った。
「じゃあさっそく!」
「それはダメだ。夜も遅い。互いの場所を確かめる手段のない山の中、それも夜闇の中では経験のあるわたしたちでも危険が伴う。根所と食事は用意するから、鷹を探すのは明日だ」
きっぱりと結芽の行動を静止してしまい。への字に曲げた彼女を紗南は面白そうに見ていた。
「結月先輩って未来でもこうなの?」
「うん」
「あはははは!結月先輩は結月先輩のまま!なんだか安心しちゃった!」
「でもなーちゃん、あんまり聞きすぎるとタイムパラドックスを起こすから、もう未来のことを聞くのはここまでにしよ!」
「まーそうだよねー。私も明日の楽しみは明日にとっておきたいかな!さぁご飯にしようご飯!」
夕食は山の食材をふんだんにつかったキノコ汁と煮物に魚料理、そして漬物となかなかのボリュームであった。
「んー!おいしい!きのこってこんなに味が違うんだ!」
「燕!燕!この煮物めちゃうまいぞ!」
「ん!おいしい!あ、結芽!結芽でいいよ!」
紗南という人をこう間近に接したことはなかった。朗らかで豪放磊落な人という印象は持っていたが、こうしているとそのイメージに違わず、しかし誰とでもすぐ打ち解ける力は部類のものだった。実力も中等科初年でありながら江ノ島への選抜メンバーに選ばれたのが納得できた。
「おいしい食材を余すことなくいただいて、地域の人たちに安心を届けること。これも刀使の使命です」
「あかねちゃんのいうとーり!米一粒残さず食べるそれが刀使の心得!」
「食べながら叫ぶんじゃない」
結月の気迫に紗南は小さくなった。
「す、すみませんでした結月先輩」
「やれやれ、年長だというのに、相変わらず私や朱音の前ではハメを外しがちだな紗南」
「いやぁ、久しぶりに揃っての任務ですからテンションアゲアゲで」
これが本来の彼女たちなのだと、結芽はしみじみ思った。
こうして夜は更けていった。
◇
目を覚ました。
不安はあったが、よく眠れたと思いながら体を伸ばした。
寝息が聞こえるので、まだ二人は寝ているらしい。
朝風呂が開いているだろうと思い、着替えと化粧ポーチをもって音を立てずに部屋を出た。
ロビーの方へ降りていくと、サロン室でまだ青い森の景気を眺める結月の姿があった。
近づくと、未来と変わらないどこか固い笑顔を見せた。
「結芽か、おはよう。早いわね」
「うん、お風呂行くとこだったの。せ…結月さんは?」
「私も早起きしてな、ちょっと昨日から寝つきが悪くてね。責任が増えてくると、時々体がついてこないときがあるものさ」
「ふぅん」
「ちょっと、話さない?まだ六時すぎ、お風呂は七時からだ」
壁に飾られた豪快な筆致で描かれた鷹の絵を見ていると、自販機で飲み物を買った結月が戻ってきた。
「はい、暖かいほうじ茶」
「うん、ありがとう」
しばらく結月は結芽を見つめた。
「ついききそびれてしまったんだ…私も未来から来たあなたに尋ねてみたい。もちろん、線引きは結芽の自由だ」
「うん、それならいいよ」
手を組み、目線を少し外しながら結月は尋ねた。
「あなたにとって未来の私は不幸をもたらす存在じゃないのかしら」
質問の意図がわからなかった。
普通なら理由を尋ねるべきだろう。しかし、結月が自分の何からそう判断していたのか、彼女が三重の理心流道場を両親に薦めた時も、母親と親交があるからと聞いていた。
不用意に踏み込むのはいけない。
「ううん、未来の結月さんは私を守ってくれる人だよ。どういうふうにって、どれだけとか言えないけれど」
結芽は言葉を選び、事実だが内容を濁した。
とうの結月は目を見開き、しかしまだ納得し難いと言いたげに言葉を繋げた。
「未来が来るのが…怖くない?あなたが見てきたことは、過去の出来事なのかもしれない。でも、それがあなたにとっていい未来だったとは限らないはずよ。嘘はつかないで、本当のことを教えて欲しい。私はあなたを」
「守ってくれたよ。本当だよ…」
だめ。はっきり未来の出来事を伝えてはだめ。
「けれども!」
「じゃなきゃ!じゃなきゃ…私ここにいなかったかも…それに結月さんを信じたことに後悔はないよ、わたし」
まっすぐな結芽の目を見て、そこに偽りがないと信じられたのか、また不安を掻き立てられたのか。話を切るように結月は左腕を伸ばして時計を見た。
「もうお風呂場が開くようだ。いってらっしゃい」
「いいの?」
「ああ…私なりに頑張ってみるから」
「そう…じゃあ行ってくるね!」
結芽はそそくさと荷物をもって風呂場への道を走り、そしてゆっくりと歩き出した。
(どうして?私のこと知らないはずなのに、出会ってもいないのに。まるで、以前から私を知っていたみたい)
結芽の知る相楽結月は、感情を表に出す人ではなかった。いつも冷静沈着で、淡々と計画を進めて刀使をアシストする。
だが、あそこにいたのは何かを恐れる背中の小さな姿だった。その何かは、自分のことだと察した。
(なら、どうして私を刀使に導いたの?)
来た廊下を振り返ると、灯に照らされた廊下が遠く遠く感じられた。
◇
御刀を佩くと、結月の前に三人は整列した。
「では現地指揮は朱音に一任する。先に話が出たように『神鷹』を追いかけて荒魂が現れている。正体ははっきりしないが荒魂ではない。あくまで、彼の動向は追いかけながら観察しつつ、現れるだろう荒魂の排除が私たちの任務だ」
「なるほど、八甲田の荒魂がぬけぬけと出てきたところを叩っ切るってワケですか!」
紗南はそう言いながら拳で手を叩いた。
「そうだ。同時に結芽を未来に返す、タイミングになれば結芽の判断で行ってくれ。質問は?」
はい、と言いながら結芽が手を上げた。
「スタンドアローンだけど、私の時代のスペクトラム計で探せるから、荒魂を討伐してからでも神鷹を探せばいいんじゃないですか?」
「それもいいが、次に『神鷹』が現れるタイミングに遭遇できるとは限らない。もしかしたら討伐中に最後のチャンスを逃すのはよくない。それに、あまり未来のものに頼るのは私たちの立場的によくない。あくまで、結芽を経由して口で情報を教えてくれ。二人もいいな?」
未来のスペクトラム計ってどういうものなのかと、朱音が尋ねた。
「こういうの」
と、結芽はさりげなく端末をポケットから出した。
「これ?」
「この黒い板っぺが?」
「液晶だよ」
電源をつけるとフルカラーで伍箇伝のロゴが表示され、スペクトラム計を起動すると内臓の地図で日本が現れ、青森から八甲田の場所をフリックで検索し、詳細な場所を指で拡大。GPSがないので自身の位置を手動で確定し、探知開始のボタンをタップした。
「ほら…こんな感じ」
朱音と紗南は呆然と端末を見つめていた。
「なんか…いけないものを見た気がします…」
「わ、わたしも、え、指で触れて画面が動いて????これなに…?」
「スマホ型スペクトラム計だよ。携帯電話だよ」
二人は宇宙を見るかのような目でしばし沈黙し、考えるのをやめた。
「結芽!探知任せた!わたしは何も見なかった!た!」
しかし、朱音は別に思うところがあるようでにこにこしていた。
「こほん!では行こうか」
同じ石倉岳付近に来て、再び端末を見ると直後にアラートが鳴った。
「うぉ!なに!?」
「来たのですね荒魂!」
「…なんかもう馴染んでるねあかねちゃん」
結芽は七体の荒魂が予想した方角から八甲田山山頂方面に向かってくるのを確認した。
「七体いる!うち二匹は飛行するタイプかも、あとは…」
「七体でうち地面を這うヤツは五体で、一体は別行動か…朱音ちゃん、先行してもいい?」
「飛んでるの結芽がやる!たぶんその先に『神鷹』がいる」
朱音は即決した。
「なーちゃんは横っ腹に突貫!結芽ちゃんは飛行型を対処しながら帰れそうだったら行って!私は別働の一匹をやる!」
「よし!じゃあね結芽!未来の私によろしく!」
紗南は御刀を抜いて写シを張り、別れも惜しまずに森の中へ飛び込んでいった。
「一人でいいの?」
「私たちは一騎当千です。有事の時だけ隊伍を組みますが、なーちゃんとしても一人の方が被害を気にしなくていいから楽でしょうね。では、私たちも行きましょう。では未来でまたお会いましょう燕結芽さん!」
「はい!朱音様もお気をつけて!」
笑顔を交わすと、江雪左文字を抜いて写シを張り、自身の向かうべき方角へと駆け出して行った。
結芽は木々を抜けて木を飛び登って頂点から周囲を見ると、櫛ヶ峯方面で四匹の犬型に囲まれる紗南の姿が見えた。蜻蛉の構えでジリジリと狭まる方位の中を不動で対峙する。
「キエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!」
沢地の草木を震わせるほどの凄まじい大猿叫が、結芽の耳にまで届いてきた。
爆発するように迅移で飛び込んだ紗南は、あっという間に二匹が同田貫正国の長大な刃で一刀両断、残りの二匹が恐れ慄いて来た方向と逆に逃げ始めたが、すぐに片方の一匹を二つに切り捌いた。
「キエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!」
そして、その方角から西へ外れた角度から急旋回しながら、結芽のすぐ真上を『神鷹』の巨体が飛び抜けた。
それを追うように二体のカラス型が飛び込んでくる。
「よしっ!帰るよーっわたし!」
とっさに同じ軌道に飛んできた一体を大ぶりに切った。
しかし、斬撃が届くには少し短かったのか、少しよろめいて速度を落とした程度でまだ鷹を追っていた。
「だったら、朱音様と紗南ちゃんに教えてもらった技で!」
結芽は迅移で木を駆け渡りながら、速度を落としてるカラス型にもう一度狙いを定めた。
昨日の朱音の言葉を思い出す。
(磨り上げが行われた御刀は、通常は短くなった姿と同じ刃長しか持ちませんが、刀使が御刀に呼びかければ元の長さの写シを三秒間だけ発動できます。発動条件は長さを正確に思い描いて、その長さの意識を保ったまま切ってください。そうすれば自然と刀の全長がうぶの姿まで伸びます!)
刀を上段に構えたまま、カラス型の頭上に飛び込んだ。
「ニッカリ青江は一尺九寸九分…元は二尺六寸だから…約78.8センチ…!」
結芽がその姿を思い描くと、切先から白い光が大きく伸びた。
(その技の名を『
カラス型の胴体を右袈裟から真っ二つに切り落とした。
「すごいよっ!これなら!」
もう一体に狙いをすませると、鷹の至近距離にカラス型が再接近していた。
迅移にごく短時間の八幡力を相乗させて急加速、カラスの骨剥き出しの胴を元の長さのまま切り飛ばし、切った力で回転しながら翼のついた特徴的な頭を正面から『大斬上』で切った。自分の正面に落ちてくる頭を蹴り上げて真後ろ方向に飛んだが、林を抜けてそこは草地の上空だった。
「あ!落ちちゃう!」
だが、彼女をふわりと大きなものが空中で受け止めた。
「わっ!あ!神鷹!」
鷹は加速し始めると、目の前に霧が現れて結芽の視界を風と霧が覆った。
そして次の瞬間、視界が開けて目の前に石倉岳の空へ登る大岩が見えた。
彼女を乗せたまま、その上に鷹は着地した。
「あ、ありがとう」
その背中をゆっくりと降りると、目の前に結芽の背丈を越す鷹の姿があった。金色の目がじっと見つめてくるが、獲物を狙うそれとは異なる穏やかな目であった。
「あなたは荒魂なの?」
鷹は彼女に向き直り、人と同じように首をゆっくりと左右に振った。
「じゃあ、ほんとうに神…とか?」
だが、首を傾げて見せて、嘴で手のニッカリ青江を指した。そして、甲高い鳴き声を山に響きわたらせた。
キィィィイイイイイン
ニッカリ青江が震えた。
「珠鋼…と関係があるってことなんだ…」
背の羽を嘴でつつくと、結芽の前へと首を垂れた。その嘴には一本の羽があった。
「…くれるの?」
うなづくと、その羽はわずかに白い光を纏っていた。
結芽から三歩離れると、向きを変えて大きな翼を風に向かって広げた。
「もう一度会えるかわからないけれど、またね『神鷹』!」
アイコンタクトして、崖を蹴って空へと飛んでいった。
結芽は緑に包まれる山々の中へ消えていく『神鷹』をいつまでも、いつまでも見つめていた。
◇
「それから帰ってきてからが問題だった」
結芽は苦々しく沙耶香を見つめた。
「…あのさ、人が昔のこと思い出して余韻に浸ってるのに水刺さないでよ。それにあの羽根まだ返してもらってないし…」
「それはそれ、今はそのあとどうしたか話して」
「…はぁい」
石倉岳を降りて、迅移を使いながら戻ってくると、時間は翌日の三時過ぎであった。
「ふぅー…みんなはいないか、わたしのこと探してるのかな。一日経ってるし…とりあえずメール入れとこう…」
妙に疲れが出てきたのか、少し呆然としていた。
「お風呂入ってスッキリしよ…」
それから一時間後。
お風呂に入り、ラウンジでゆったりとしていた。
「朱音さまと紗南ちゃんは…大丈夫か!こっちで元気いっぱいだったはずだし」
と、玄関方面が騒がしくなってきた。同時に電話が鳴った。
「あ、沙耶香ちゃん。いろいろあったんだけど帰ってきたよ」
端末越しに寿々花の大きなため息が、沙耶香のものと混ざって聞こえた。
〔…うん、無事ならいいけど…そっちに清香が…〕
「清香ちゃんが」
結芽の直感が背筋を凍り付かせた。
「…この剣気…知ってる…ガチのときの」
「死なないでね。もう放すから」
「え!?沙耶香ちゃん!放すって?もしもし!もし…」
おそらく三人が一日中探し回っていたのはわかっていた。そして、相棒についていた清香が人一倍責任感が強いタイプなのもわかっていた。おそらく泣きながら捜索をしていたかもしれない。
だが、結芽は気のおける相手だからと、簡単なメールのみですませていた。
「つーばーくーろーゆ〜めぇ〜っ!」
ラウンジに入ってきた清香が泣き跡を残したまま、顔を真っ赤にしてあっという間に距離を詰めた。御前試合でも見せなかった凄まじい気迫に震えた。
「まって!ここ他の人もいるから!表いこ!でますから…あやまるから…」
ぷつりと何かが切れる音がした。
「謝れば済むわけないでしょーーーーーがーーーーーーーーーー!」
始末が悪そうな顔でほほに手を当てた。
「十回くらい頬叩かれて、仲間への礼儀と連絡方法とか、態度について説教されて、そのあとその場で大泣きし始めちゃって…で、慰めたらコロリと切り替えて説教再開して」
「夜中の十時までずーっと説教されてたね。ホテルの従業員や宿泊のみなさんが、やさしい目で見守ってくれていたの、本当に恥ずかしかったんだからね?」
「はい…反省してます…」
「本当に反省してくれたからよかったけどね。おかげで清香という第一席候補も見つけたし」
結芽は苦笑いだったが、沙耶香は楽しげに笑った。
「それはようございました…それで、話はここまでかな。私が見た『神鷹』は羽根を貸し出した時に報告した通りだよ。あの後から一切遭遇してないし、でも『神鷹』が荒魂じゃないって断言できる。今だったらイワナガヒメに近い存在なんじゃないかって思うの。羽根もそうじゃない?」
沙耶香は録音のスイッチを切ると、研究所も同じ結論になったとアルミ製のケースを結芽に手渡した。
「もしかして…!」
それは『神鷹』の羽だった。
ミルヤ、未久、詩織もそばによって見た。
「本当にうっすらと光ってます…」
「まるで写シみたい…ミルヤさん!」
「ええ、珠鋼の反応があります」
沙耶香は朱音からそれを結芽に返してほしいと頼まれた旨を告げた。
「朱音様が?」
「今日のことも、朱音様と真庭司令から話の内容が合致するか聞いてからって、条件がつけられてたの。それと、司令が紗南ちゃん呼びはやめてだって」
「本人から言われるまでやめなーい」
笑いに包まれつつ、相楽学長には尋ねたのかと聞いた。
「実は今日、神鷹のことを聞きにいくことを話したの。急がないから、近いうちに直接自分の元に来て欲しいって」
「やっぱりここじゃ話せない内容みたいだね…結月先生がどこまで知っているかを、直接本人に尋ねてみるよ」
ケースから羽根を取り出すと、ほのかに獣の匂いがした。
あのときの神鷹の大きな背中が目に浮かんだ。
了…
次回は5/23に投稿します。