燕百奇譚   作:ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号)

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其ノ三十四『鼓動/菫青幻視:弍』

 

 

 

 ぼぅ、黒と灰色の視界に色が滲むように鈍い光が広がる。

 

 暗い、暗い夜道を、上へ上へと歩く。

 

 意識して歩いている気がしない。

 朦朧とする視界、もう腕の力もでない。

 

「なんで」

 

 記憶がときどき飛ぶ、何をしていたのかわからくなる。

 

「なんだったっけ?」

 

 …そうだよ、お姉さん。私の全力を受け止めてくれる紫様なんか目じゃない、本物の剣聖。会いに行かなきゃ、私のこと覚えてもらわなきゃ…。

 視界が遠のく、ふらつく足が崩れて前に出ない。

 

「ゲホッ!ゲホッ!グゥ…ううう…うぇぇ…」

 吐くとも、嗚咽ともわからない声が漏れる。

 苦しい、喉を詰まらせる何かを体が必死に吐き出そうとする。

 

 痛い。

 

 鐺で地面をかき分けるようにしながら、木に背中を預ける。

「きゅう…けー…」

 ヒューヒューと奇妙な呼吸をしている。

 

 ダメなの?

 わたし、ここまでなの?

 

 頭の中に今までのことが蘇った。

 

 ママ、パパのこと、おじいちゃんのこと、道場の先生のこと、友達の顔、相楽先生のこと、にっかり青江のこと、紫さまのこと、伊南おねーさんや、朝比奈おねーさんとか、沖縄とかリディアのこととか、真希おねーさん、寿々花おねーさん、夜見おねーさん…心配するかな、私のことずっ…と覚えていてくれるかな?

 悪いこともいっぱいしたな…みんなの思い出に刻みつけてやるって、先生がやるなって言ってたこと全部やった。もう謝ることもできなくなる。

 でも、それでも、心の底からいい子でいられない私の、わがまま。

 

「なんにもいらないから…覚えていてくれれば…それでいいんだよ…」

 

 瞼いっぱいにたまった涙が視界を霞ませ、そして視界がぼやけて見えなくなる。

 

 手足の感覚のないまま、体は真っ逆様に落ちていく感覚が続く。

 だがおぼろげながら意識はある。

(これからどこへいくのかな?)

 視界は黒一色で何もない。目を開いているのか、そもそも目があるかもわからない。

(死んだら…パパとママ置いて行ったから…賽の河原ってところかな)

 やがて視界に光の流れが流れ出して、加速し始める。やがてそれが視界を全て覆い尽くしていく。

(そっか…もう死んだんだっけ)

 体が何か液体の中に叩きつけられた感覚がした。そして、上下が反転した。

「ゲホッ!ケホッケホ!」

 浮かび上がると、口に入り込んだ液体にむせかえる。

 声!

 体もある。でも動けない。

 目が揺らいで周囲を必死に見る。

 光の流れが無数に広がって、結芽の視界の奥の奥へと進み、その先に黒い穴のようなものが見えた。

 パキッ

 両腕と足先から、喪失感に似た感覚が全身を駆け巡る。

 パキパキ…

 体がまるで殻が割れるように、何かが砕け落ちていく。

「いや…いや…」

 右腕が完全に失われた。

 やがて左足、右足、そして左腕が砕け、下半身も徐々に消えていく。

「いやーっ!やだ!いやだ!死にたくないよ!」

 力無い絶叫が恐怖に駆り立てられる。

 体を蝕んでいく『消える』という感覚に。

「パパ!ママ!紫様!真希おねーさん!寿々花おねーさん!夜見…おねぇさん…」

 喉も消え、そして口、髪、耳、そして目が消えた。

 

 

「いあやあああああああ!いや!いや!いやぁ!やだっ!死にたくない!」

 突然響いた絶叫に隣で寝ていた豊執は飛び起きた。

「結芽さん!」

「いや!いや!体も心も、あの中に崩れ落ちて!私は!私は!」

 彼女の体をグッと抱きしめたが、背中を突き破らん限りに何度も爪で掻かれ、頭が朦朧とするほどの叫声を長い時間聞きながら、彼女の強い蹴りを堪える。

「いあやああああ!いやあああああああ!ああああああああああ!」

「結芽さんっ!君はここにいる!真希さんと寿々花さんが君を助け出したんだ!君はあれから五年も生きてる!生きてるんだ!」

 何度も、何度も呼びかけ続けると、突然手が止まった。

 懐の彼女は強く震えながら、小さくか細い声が聞こえてきた。

「わたし…生きてる…?」

「うん、体温を感じるよ。とても暖かい。僕の体温は?」

 掻く手がやさしい撫でるような手つきになったが、彼は傷の痛みが少しつらかった。

「また怖い夢を見たんだね」

「…うん」

「なにか飲みたい?用意するよ」

「甘いの、食べたい」

 

 電気を付け、椅子に座ったが顔は真っ赤に泣き腫らしてくしゃくしゃになり、手の爪はいくつか割れていた。

 

「フルーツが残っていてよかった。はい、フルーツヨーグルト」

 食べやすくフルーツは細かくされ、ヨーグルトも砂糖でかなり甘く味付けをしたようだった。

 だが、結芽の心の中に何か、悶々とした感情が湧き上がってきた。

「ちがうっ!」

 振り上げた左手がヨーグルトの入った器を薙ぎ払い飛ばしていた。顔を上げると、無表情に立ち尽くす彼の姿があった。

「う…」

 わけのわからない感情に、こくこくと罪悪感が流れ込んできた。

 彼は何も言わずヨーグルトを片付けはじめた。

「うわぁぁああああ!ああああああ!うわぁあああああああああ!」

 さっきあんなにも出た涙がまた溢れ出してきた。枯れた声で嗚咽し続けた。

 

 ヨーグルトを片付け終えて、まだ泣き続ける彼女をそっと抱きしめた。

「いいよ、またおいしいの作るよ。ぼくは大丈夫」

「ひっく…うう…」

「横になろう。楽になるから」

 

 ◇

 

 両国は五月もすぎ、国技館の前には関取の名前が大きく書かれた登りがいくつも並んでいる。春もひとしお、賑やかなのは四月から引き続きである。

「はぁ」

 京都での一件の報告書がまとまり、書類をリングで閉じながら、ふと結芽の口からため息が漏れた。何事かと、未久と詩織、そしてミルヤが結芽をチラリと見た。

 すぐその視線に気づいた。

「あー…この間のデートの疲れ!二人してテンション爆上がりだったから…さ!」

 デートの疲れ…そうにしては、悩み事を抱えているような独特の重たさがあった。

「そうですか、いけませんね。せっかくのリフレッシュで日常に支障がでるのは度が過ぎています。ほどほどにお願いします」

 ミルヤはやさしく、ため息の中身からやんわりと場の空気を離した。もちろん、結芽が詮索して欲しくないのは察していた。

「はぁい、気をつけまぁす…ふふ」

 引き攣った笑顔だったが、すぐに手元の作業に戻った。

 

 その日は一日穏やかに終わった。

 

 身の回りでは忙しくいろんな出来事が起きるのに、昨夜のことがあってひどく時間がゆっくりに思えた。

 

 今日は私服に着替えての帰宅。

 

 いつもすぐに乗り換えてしまう電車の中も、ふと見回すと自分とは違う時間が流れている感覚がした。

 着慣れないスーツにどこか幼い顔のサラリーマン。

 新しい友と探り探り話し合う学生。

 誰かが何度も読んだ古本を開く壮年の男性。

 夕日の景色を珍しそうに見る観光客と、興味なさげにゲームをする子供。

 周りを見まいと目を伏せる女性。

 どこから居眠りしているか忘れていそうな古い身なりの老人。

 みんな、それぞれの時間があって、自分も自分という時間の中に生きる一人なのだと感じた。だからこそ…だからこそ、同じ時間を共有する彼にどう謝ればいいかわからなかった。そう、昨日のこと。あの部屋で半年以上も一緒にいる。彼はとてもやさしくて、ご飯を作るのが上手で、私の苦手なことをよく知ってて、でも手を抜くことはない。彼との時間がすごく居心地がいい。

 

 昨晩の記憶がフラッシュバックする。

 死と狂乱に正気を失った自分の行動のひとつひとつ、とが…。

 

 胸がきゅっと締め付けられる音が…聞こえた気がした。

 

 次の駅のアナウンスが聞こえると、逃げ出すように電車を降りた。

 しばらく見慣れないホームを歩き、出口に出た。

 見上げると「浅草橋」の文字があった。

 

 あまり人の多くない…せめて川が見える場所がいいと思い、そして神田川沿いの船着場に着いた。

 浅草橋の欄干に体を預け、ゆらめく船たちの奥にあるアーチの橋を見やる。その橋は夕赤が青く染まるのに合わせてライトを受けて緑に浮かび上がった。風がふわりと髪を撫でる。

 周りの人混みなどどうでもよかった。

 これまでもそうだったんだ。自分が相手にとっていい人だったことなんてなかった。埋められない心に大きく開いた傷を埋めようとして、もう友だとや先輩、そして先生たちに心配かけたくなくて、嫌な女っぽいことして彼氏にこっそり埋めてもらおうと思った。

 でも、相手も自分の心の隙間を埋めたくて私と付き合うだけで、二番目は面白くないから私をクズ扱いした。三番目は素敵な人だったけど私の苦しみを受け止めきれないって離れて、今の人は全部受け止めようとしてくれるけど、私のことが重いっていってくれない人。

 刀使として忙しくしていれば、先輩として最強の二つ名に緊張していれば、彼の優しさがあれば、一度死んだ時に見たあの嫌な記憶も思い出さなくて済むと思っていた。でも、何度も、何度も、何度も…何度も…記憶は蘇って心の中がぐちゃぐちゃになった。

(わたし、自分のことが重いんだ。このままトモくんを苦しめるなら分かれて…)

 

 つるりと、掛けてあった刀袋が倒れかかった。

 

「わわわ!」

 だれかがそれを大急ぎで受け止めてくれた。

「ダメだよ!御刀をぞんざいに扱っちゃあ!」

 目の前に淡い金色の髪を短くまとめた同い年くらいの少女が刀袋を差し出した。

「ん!重いね!二本も御刀抱えてるんだ」

「うん、ごめんなさい」

「私の本庄正宗だってこんなに重くないよ」

 結芽の聞いているような、聞いてないような顔に覗き込むように首を傾げた。

「男の人のこと?」

 思わず顔を見た。赤茶色の瞳が通り交う車のヘッドライトに照らされてキラキラと輝いていた。

「なんで…わかるの?」

「だって、同じ顔を鏡で見たことあるもの。けっこう苦しそうな顔なのよ?男のことで悩む顔って」

「…そうなの?」

 彼女はサッと時計を見てから、人目もあるからあそこまで歩かない?と言って柳橋を指差した。

「私でよければ、聞くよ話」

 

 結芽はどうしてなのかわからなかった。

 彼女とは初対面なのに、不思議と色々なことが口から出た。人とは違う体験をしたことも話していた。

 相槌をうちながら、全てを話し終えるまで彼女はず…っと結芽の話を聞いていた。

 そして、二人並んで柳橋の真ん中から隅田川を見やった。

 

 心の底から堰き止めていたものが溢れてくる感覚がした。

 すると、ぽろぽろと涙が溢れ出てきた。

「わたし、ひどい女だから!彼を離したくないけれど、私があの人を縛ることはしたくないっ…!一度、一度本当に死んだことがあったの…でもみんなが私を助け出してくれた。生きてるだけでいいんだって、そう思えたの。でも、時間が過ぎていくと、死んだことと生きることに板挟みになって、自分を誤魔化すことばっかり増えちゃって…本物の私は剣を振るっている時だって思ってたのが、いまは独りよがりな自分が本物だって気づいちゃった…」

 刀袋を支えに崩れ落ちた。

「嫌なの…好きな人に私が嫌いな私を見て欲しくないっ!苦しんで欲しくないっ!」

 金髪の女性は星空の見えない薄明るい夜空を見上げながら、小さく笑顔になった。

「そうなんだ。嫌だね、苦しいよね。大事な人たちの前では、最高の自分を見せたいよね。でも、それも独りよがりだよね」

 顔を伏せたまま、治らないしゃっくりを出るにまかせた。

「あなたがどうしようもない人だって、みんな知ってるはずだよ?その彼氏だって、誰からかあなたの噂を聞いていたんじゃない?そうじゃなかったら、もう一度あなたを見つけられなかった。重い重い自分を抱えて笑顔を作るあなたを見て、きっとどうしようもなく何かしてあげたかったんじゃないかな。自分を嘘で繕ってでも、あなたのために料理を作って、勉強を教えてくれて、一緒に眠って、あなたがつらい時は正面から受け止める。しょーじき、今の話聞いてて、彼氏の方がかなーり重いよ〜?」

「ぐすっ…ともくんが?」

 結芽はようやく顔を上げた。

「そう、私が男だったらさっさとあなたと別れるわ。ひどい言い方だけど、私もそういう重い人を振ったから」

「あなたは、どんなひとと一緒にいたの?」

 金髪の少女も腰を下ろして同じ目線になった。

「とっても優しい人。私のわがままを全部聞いてくれて、でも私が自分の愛情を受け止めてくれることに無邪気に喜んでくれる。公ではすっごい堅物だって聞いてたけど、私の知ってるその人と同じ人って信じられなかった」

「でも」

「今はいっしょじゃない。私から別れた」

 その顔には心の隅に残った、誰かへの愛情が溢れ出ていた。

「彼、私としてるときに…別の人の名前読んだのよ。そのことを泣きながらずーっと私に謝ってたんだけど…気づいちゃったの、この人の私への愛情は元カノを重ねてたから出た言葉だってね。私、こわくなったの、そして、好きという感情がこの人を受け止めきれないってべったり塗りつぶされちゃって…大好きだったんだよ昔のことだけど」

「そう…なんだ」

 落ち込む結芽の顔を見て、首を振って笑顔を見せた。

「で、私はあなたの話を聞いて〜お似合いだなって思った。いい塩梅なんじゃないかって。お互い重いの自覚してるから、お互いのこと大事だし、自分の行き過ぎた感情を反省できる。あとは、素直にごめんって言うだけ」

「大丈夫かな…もしかしたら!」

「さぁ?向こうからごめんって言う方が早いかも。きっと離れたくないから…必死になってね」

 結芽はふふっと笑い出した。

「そうかも!重いって思わなかったけど…それっぽいことあった」

 大きく息を吐くと、目元を赤くしながらも清々しい顔がそこにあった。

 二人は立ち上がって、互いに向き直った。

「もうよさそう?」

「うん、ごめんなさい。変な話に付き合わせちゃって」

「いいよ。聞くって言ったの私だから、それに私も元カレのこと話せてすーっきりした!」

 腕を大きく伸ばして、そして力を抜いた。

「ねぇ、あなたの名前は?」

 金髪が風に撫でられ、綺麗な横顔を覗かせる。少し躊躇して…

「星詠芽衣」

「わたしは燕結芽」

 驚いてか少し瞬きして、そして笑顔を見せた。

「わ…すっごい有名人の悩み聞いちゃった」

「芽衣も刀使なの?」

「うん、平城のね。十八になったから来年で引退かも」

「わたしもそれくらい。しかも同い年じゃん。そうだ!アドレス交換しよ!また話したい」

「…いいよ」

 芽衣の言葉になにか含みを感じたが、刀使同士だとどうしても本部と地方での確執もあるので、よくあることだからと結芽は気にとめなかった。

 

 

 遅くまで博物館に残っていたミルヤは、特祭隊東海管区の指令補になっていた柳瀬舞衣とテレビ電話を繋いだ。

「こんばんわ柳瀬舞衣」

〔こんばんわミルヤさん。調査隊忙しいみたいね。妹の詩織はちゃんとお役目を果たしていますか?〕

「もちろんです。少数精鋭の調査隊の中で遊撃隊の指揮ができる唯一の刀使です。あなたに似て、わたしにはもったいない逸材ですよ」

〔ふふふ!あの子が期待に応えられているようで安心しました!〕

「では、本題をお願いしていいですか?」

 ミルヤが兼ねてから訪ねていたのは、相楽結月から資料として送られてきた贋作師天臣貞正の打った短刀であった。

 その刀は三重のとある刀剣店から購入した舞鶴在住の一般人が、御刀ではないかと判断して刀剣類管理局の京都支局に提出。審査官の鑑定で準御刀に認定され、もうひとつきの保管調査と所持者に厳格な保管場所報告義務が定められた。ただ、調査中に左文字と複数の鑑定家から認定されたにも関わらず、棟側に小さく打たれた銘が監査官から報告書が上司である相楽結月へと上げられ、さらにミルヤへと渡った。

〔ミルヤさんから頼まれていた刀剣店への聞き取りをしました。ファイル送りますね〕

 送られてきたものを即座に開くと、いくつか入手経路が示されていた。

「とある三十代の無名の刀工から、自身の作品と所蔵刀剣を買い取って欲しいと依頼され、鑑定し、左文字の刀に買取額200万をつけた…これだけの完成度なら500はいきそうですが、刀工はその額で了承した…と。刀工と名乗る男の名前は庵藤弘毅」

〔ミルヤさんはご存知の刀工ですか?〕

「いえ、聞いたことありません。聖峰先生はなんと?」

〔ご存知ないようです〕

「なら、間違いなく偽名ですね。折神聖峰先生は研究熱心な方です。あの人が現代刀職の顔と名前を知らないなんてことはあり得ません。ほかにその庵藤から買い取った刀は」

〔いずれも非御刀の玉鋼刀剣です。ですが…〕

 ミルヤは資料を進めて、刀剣店が撮影した買取した現代刀五振りの写真を見た。いずれも同じ書体で庵藤弘毅の銘が打たれていた。だが、あることに目を細めた。

「五振り、全て作風が違いますね」

 相州、美濃、山城、大和、長船、各派内全ての特徴を織り込んだ巧妙な作であった。

「表と裏で丁子の焼き方が違う…丁寧にやすり目まで再現してますね…ん?」

 ミルヤは全ての刀の佩き裏に、伍の字の上に荒く打たれたバツを認めた。

〔これをどう見る?〕

「五振り全てが五箇伝を意識し一見奇抜で面白いですが、各派の個性を踏み躙るような醜悪さがあります。それに、この左文字のニセモノもわかる人間を選ぶような意図を感じます。まるで…」

 自分のような深層に立ち入る人間を炙り出すような一振り。彼女の写シ固有の能力、鑑刀眼は各派の使っていた珠鋼の質を読み取ることができる。そんな自分が一度は騙されたほどの作品。

〔それと、渡されていた写真の人物を店主に見せたわ〕

 店主は舞衣がタブレットで表示した古いセピア色の写真を見て、首を捻ったと言う。

〔左文字の短刀と五振りの新作刀を売ったのは、この人で間違いないそうです〕

 ミルヤは画面に出した細面の目の丸い国防服を着た男の写真を見ながら、目を細めた。

「まさか、扇ヶ谷貞昌は生きている…?」

 

 

 柳橋からほど近いやや古いビル。看板には文具共和会館と、ある。

 

 その六階の一室では、赤生田システムという会社の会議が行われていることになっている。

 結芽と別れた芽衣はエレベーターで六階に上がろうとしていた。

「まってくださーい!」

 滑り込むようにギターケースを背負ったフードを深く被ったの少女が、エレベーターへと駆け込んできた。

 古びた箱の中がどすんと揺れる。

「『辰』〜っ?ギリギリはダメっていつも言ってるじゃない?」

「ごめんなちゃいおねぇさま!でもそれを言ったら『子』おねえさまも、でしょ?」

 予定の時刻ギリギリなのは確かだった。

「ちょっとそこで人生相談に乗ってあげてたの」

「お!?どんな人?話?」

「重い女だから彼氏と別れたほうがいいんじゃないかって」

「ふふーん!で?重い女代表のおねぇさまはなんと」

「別れない方がいいって言った」

 フード越しからしきりに顔を覗き込んだ。

「なんか、ふつー」

「そ、こう言う時は普通がいいの。私は普通やめちゃったから」

 エレベーターが止まると、真っ先に『辰』が飛び出した。

「おねえさまが正しいんだよ!今の世界の普通は間違っているんだよ!だから、私たちがみんなを救わなくっちゃ!」

「ええ、そうね」

 

 会議室に入ると、そこには五振りの刀が並んでいた。

「遅かったわね『子』、それと『辰』」

「やっほー!『寅』ねぇさん!」

 前髪で目を隠しているが、その鋭い眼光が相手への不信感を露わにしていた。

「おそくなってごめんなさいね」

「時間までに来たからいい。おい『牛』、全員揃ったぞ」

 メガネをかけた長身の女性が立ち上がると、三人を見下ろすようにみやった。

「たしかに。では、最初に恒例の御刀支給を行います」

「『先生』の新作、さてはて」

 『寅』の言葉を傍に『牛』は『子』に左端の身幅で重ねの薄い打刀を、『寅』にはおそらく造りで薙刀直し作りの脇差を二振り、そして『辰』には上古刀のような腰反りのあり、先の細い短めの太刀が渡された。

「へー、こういう古臭い刀ってさ、ほんとに使えるのー?」

「試しましょうか」

 芽衣は即座にスカート下から棒状の手裏剣を取り出して『辰』に向かって投げた。とっさに振られた剣は手裏剣をいとも簡単に両断して見せた。

「すっご!へぇー」

「今回は全て江戸時代のものを使ったので先生は消耗品として扱って欲しいとのことです。それに今回は宣戦布告もかねてますから、持ち帰らず逃げられる場所で放棄してください。刀が行き渡ったところで、今回の『二兎作戦』の詳細を説明します…」

 『牛』のひきつった不気味な笑顔に、三人も笑顔を浮かべた。

 

 

 裏口から鍵を開けて入ると、結芽はおそるおそるエレベーターに向かった。

 と、そこには豊執の姿があった。

「…ともくん」

 振り向くと嬉しそうに笑顔を浮かべた。

「おかえり、ごはんできたからちょうど部屋にもっていくところ」

「うん、かご一個持つ」

「おねがい」

 エレベーターの中が気まずかった。

 今朝はほとんど会話せず部屋を出たので、メールで夕食の希望を送っていたがいざ面と向かうと最初の言葉が出なかった。

「リクエスト、ありがとう。遅くなったら外に食べに行くか迷うからね。結芽さんが帰ってくるまでに出来立てを用意できてよかった」

 彼はいつもとかわらない、やさしさの溢れる低い声だった。

「あのね、ごめん」

 もっと言うべき言葉があるはずなのに、伝えるべきことがあるはずなのに、言葉が続かなかった。

「いいよ、僕こそごめん」

 顔を上げると、ひどく落ち込む顔がそこにあった。

「君のつらいことを聞いても全て理解してあげられない、受け止めきれ…ない。そんな、ふがいない僕ができるのは、君のためにご飯を作って、おかえりっていってあげることしかできない」

 彼も自分と面と向かって話せないようだった。

 ふしぎと、もやもやとしていた心が穏やかに、あたたかくなっていった。胸に手をあてると、鼓動が聞こえる。

 エレベーターを降りて、豊執が部屋の扉を開けた。

「おかえりなさい、結芽さん」

 彼を安心させたいからこそ、少し人とは違う笑顔を、あなたに。

「ただいま、ともくん」

 

 

…つづく

 

 

 

 

 

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