燕百奇譚   作:ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号)

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其ノ三十六『わたしの時間』

 

 

 

 うつらうつらと、景色がぼやける。

 

 

「う…ん、むにゃむにゃ…」

 自然と手が端末に伸びて、手癖で通報や応援要請の連絡がないか見た。

 今日は珍しく休みの日だ。

「へーわ…」

 端末の電源を落として目を閉じようとした。

「おはよう」

 セットしてない髪をカチューシャで後ろに流して、少し頬のこけた締まった横顔に、真っ白なシャツが今日は彼が遠出の日ということを示していた。

「朝ごはんできてるけど食べるかい?」

 食べたいのはやまやまだけれど、体が起きない。

「…り」

「ん?」

 彼が私の枕元に腰掛けた。

「むり、ねむい」

「わかった。僕は出張に行っちゃうけれど、朝ごはんはレンジでチンしてね、お味噌汁はレトルトがあるから。それといない間はめんどくさがって外食ばかりしないこと、ゲームで夜更かしもいけないよ」

「わかった…」

 彼の手が私の髪を優しく撫でる。

 手が離れた。

 やだ。

「わっ」

 反射的に彼の背中からお腹へと両手を伸ばしていた。そして左耳を背中に押し当てた。

「聞こえる。ちゃんと生きてる」

「もちろん」

「じゃあ、わたしのも聞こえる?」

 開いた両腕に彼の顔がおさまった。

「どう?」

「うん、ちゃんと聞こえる。結芽さんは生きてる」

 大きな頭の、その熱を感じながら彼の頭を撫でた。

 毎朝、飽きもせずこれをやっている。われながら不思議だ。

 ん?キスはだって?それは…秘密。

「いってらっしゃいお土産まってる」

「うん、あまり期待しないでね」

「そーする」

 彼が手を振って扉を閉めるとオートロックがかかった。

 私はばたりとベッドに倒れて、そのまま眠りについた。

「すー…すー…すー…」

 

 ふふ…平和だね。

 

 

 朝食をとってから、しばらく勉強の時間。

 

 数学の模試が危うかったので、昨晩にも彼に教えてもらってその復習と練習問題。刀使の卒業試験は通ればだいたいの国立大に行けてしまう。

 

 でも、実は卒業試験は形だけで、無回答でも卒業は可能だったりする。

 合格の点数に達すればあらゆる大学・専門校の推薦がもらえるのがけっこうおいしいので受験者は多い。

 

 まぁ可奈美さんと美炎さんがそれで抜けようとしたら、舞衣さんにバレてみっちり勉強させられたんだって。試験はかなりぎりぎりで合格したみたい。

 ちなみに、その年の伍箇伝卒試トップは呼吹さんだったんだって!

 意外だけれど、いつからか人が変わったように勉強してたんだって!沙耶香ちゃんが言ってたし、どうも本当らしい…。

 

 休憩に少しゲームを進める。

 最近はタスク管理をしながら、勉強と同時並行で進めている。

 ほんとは手放すべきなんだけど…。

「いまの結芽さんなら大丈夫。ダメそうだったら僕が売り払うから」

 わたし、彼にすっごい甘やかされてんじゃないかなぁ。今だってそう。

「さてと」

 時計を見て、セーブ位置についてから端末の電源を落とした。

「もう一時間…」

 復習問題を解き進めていると、端末から着信音がかかってきた。

「もしもし?」

〔あーもしもし結芽ちゃん?〕

「篠子さん?どうしたの急に」

 スピーカーにして端末を充電台に乗せて、急いで解いていた問題の解答を答え合わせした。

〔勉強中だった?休みってメール見たからさ)

「うん、でも今日はそこまでみっちり勉強しないかなぁ」

 問題は正解していた。おおかた、稽古の手伝いがほしいのかも。

〔いやー、真弓ちゃんが急に風邪ひいちゃって!京都から出られないからさ、今日は四道場の合同稽古なのにうちのメンバー足りなくって〕

「わたし行かないって言ったじゃん。ここずっーと忙しかったからさ」

〔そこをなんとか!今日は金さんと私しかいないから!〕

「門人に連絡がルーズなの相変わらずすぎー」

 ノートと参考書に付箋を貼り、右壁にむりくりつけた刀掛けに目を向けた。

「…日野だっけ?」

〔たすかるーっ!JR日野駅に車回すから新橋出たら連絡してーっ!お礼はぼちぼちするからーっ!後で!〕

 電話が切れた。篠子さんの声の後ろで師範に怒鳴られる声が聞こえたので、たぶん私が言ったまんまのことかなぁ。

「まぁいっかあ、明日もずっーと勉強するつもりだったし!」

 

 体を大きく伸ばしてから席を立って、刀掛にかけていた袋に包まれた御刀と木刀を手に取った。

 

 

 同居先のカプセルタワービルから新橋で電車に乗っておよそ一時間。

 屋根が特徴的な日野駅についた。

「結芽ちゃん今日はありがとー!はやくのってー!!!」

 昼前には到着したけれど、篠子さんは笑顔だが若干青ざめていた。

 車に引っ張り込まれると、急発進で甲州街道を走り出した。

「伊倉先生におこられたでしょ」

 天然理心流大師範の伊倉圭介館長。私の師匠でもある一番偉い人。

「…うん、めっちゃ。いままでにないくらい」

 どうも日付を一日間違えて京都道場の門人に伝えていたらしく、京都道場の門人がまさかの二人しかいないというのは、さすがにとなったのだろう。三人でもどうかと思う。

「裕姫ちゃんは?」

「たのんだけどきょうは試衛館道場の門人として参加だってーぇ、なぐさめてーぇ!」

「うん、自業自得だね」

 車は会場である大きな工場の体育館に止まった。

 

「しつれいします!」

 体育館に入ると一斉に体育館内の門人の目が結芽に集中した。

「ゆーめーちゃーんせーんぱーい!」

 いの先にと裕姫そして同い年くらいの高校生が駆け寄ってきた。

「裕姫ちゃん!それに冬馬くん!ひさしぶりだね!」

「ねーちゃんがお世話になってます!」

 私を前に緊張してるなぁ〜彼氏いるって言ったら凹むかな?かな?

「篠子さんがすんません…」

「ほんとっすんませんっ!」

 わー!二人が頭下げないでー!あんたが頭下げてよ篠子さんっ!

「こらっ!篠子っ!わざわざきてくれた燕に対して頭下げんか!」

「ありがとうごめんなさい!」

つるっと頭の綺麗な伊倉館長の一喝で篠子さんが爆速で頭を下げた!やめて…はずかしい。

「…はい!大丈夫ですから!稽古はじめましょ」

「いや、結芽ちゃん先輩お昼まだでしょ?お弁当ありますから、自分のペースでウォーミングアップしてくださいね!」

 

 稽古着に着替えてからお弁当を受け取って、はじまった型稽古の様子を見ながら食べ始めた。

 

「よ、結芽」

「あ、金にぃ!」

 書類を抱えた癖っ毛で顔の細い長身の男性は、日枝金一。私にはじめて天然理心流を教えてくれた京都道場の師範代。若くして奥伝目録持ちで指導免許ももらった超強い人。

「わるいな急にきてもらって」

「ほんとだよ!再来月の壬生稽古会は行くの引き換えに日野稽古会断ったのに!ぱくっ、もぐもぐ」

「今日は道場対抗の試合があるもんだからな、余計に人が欲しくってな。真弓が来られそうだったんだが…聞いたか?」

「風邪でしょ?空ちゃんからじかに謝罪のメールきてた」

 頬杖をついてわたしの顔を見ながらにっと笑顔を浮かべていた。

「今日の試合は京都の勝ちだな」

「金にぃ出ればよゆーでしょ?」

「今日は審判だ。俺は相手しない」

 わざとらしく大きなため息をついてみせた。正直、この人くらいしか本気で戦えない。

「おい結芽」

「手抜くからーやる気しないしー」

「いや!さすがに京都道場のメンツもあるしなぁ…!」

「じゃ私が全員倒したら試合して」

「はぁ!?」

「決まりね!」

 弁当箱を包むビニール袋を縛って、木刀を手にして体を軽く伸ばしながら、型をいくつか抜いた。

 金一さんは笑顔でそれを見ていた。

「結芽、ほんとに強くなったな」

「あたりまえでしょ!私は刀使最強なんだからっ!」

 

 それから道場対抗試合がはじまった。全身防具で固めた実戦志向の稽古。

 わたしは決勝で裕姫ちゃんを投げ飛ばしてから面をとって優勝してみせた。

「約束は守れ金一先生」

「う…館長まで…」

「わしも見たいんだ。あの子の全力をな、審判はわしがやる!」

「わかりましたっ…!」

 嫌がるのは私と稽古すると本気になってクタクタになるかららしい。でも、とうの私はひさしぶりに同門かつ全力で稽古試合ができるから、うきうきだった。

 

 試合場の真ん中には伊倉館長。それに東にわたし、西に金一先生がたった。

 両者が竹刀を青眼に構えた。

「はじめっ!」

 互いにすぐに下段になり、二歩間合いをつめて足を止めた。

(いくよっ!)

 下段から一気に飛び込んで、刃を水平に返す隙を見せながら突く!

 突く!!

 突く!!!!

 すぐに近い間合いで首を狙うと見せかけて払う!間髪入れず正面から打ち込むとそれを受け流して返しの刃が走る…と見えたから姿勢低く上段に刃が登った隙を左から抜け、背中に回って手を伸ばしながら剣を隠したが、金一さんは冷静に上段のまま私に向き直っていた。

 そう!金一さんの怖いところは、どんな体勢からも剣を流せることにある。

 ほんとになにをどうやっても崩れない…この頑強な体軸!

「えいっおーっっっ!!!!!」

 そして、私と違ってとにかく太刀が早くて重い!

 踏み込んできたらとにかく下がって、下がって隙を探し出すしかない!だけれど、受けがうまくいってもその衝撃で体が沈まされる!

 そのうえ、突き、柄打ち、払い切り…天然理心流らしい変幻自在な太刀が襲ってくる。

(まるで自分と稽古してる気分っ!これこれ!)

 気分が乗ってきた!

 避けて右へ変化からの、側面から突くが避けれれる…でもたった一秒の隙ができた!

「えいっ…おーっ!!!」

 そうか!腰のばねをうまく使って剣に体重を乗せるんだ!やっぱり金一さんは勉強にななるなぁ!

「えいっおーっ!」

 素早く打ち込んだために、剣がわずかに遅れて受け身が崩れた!

 左籠手と右脛を叩き、体がわずかに前へ崩れたのを見計らって右足をわずかに引いて足のバネを絞る!両腕を捻るように胴の鳩尾めがけて体を乗せた!

「はっ!」

 金一さんの体が吹き飛んだ。生身での渾身の両手突きを打ち込んだ。

 が、金一さんは後ろへよろけながら着地してみせた。私は、下段に構えながら二歩歩み寄った。

 残心…と、これで決着かな?

「そこまでっ!勝負ありっ!!勝者、燕結芽!!」

 

 ふふん、今日は私の勝ち!

 

 

「お疲れ様!結芽ちゃんもみんなも好きなの食べてっー!」

 仕切りの篠子さんが館長の乾杯の音頭に続いてみんなに声かけた。

「おい篠子!ちったぁ加減しろよな!」

「だいじょーぶ私の方が高給とりですからー!」

「もう酔ってるなぁ」

 

 これ、ほんとうなの。

 

 篠子さんは綾小路で相楽学長の代わりに天然理心流の指導と、いま伍箇伝で熱心に研究が進んでいる刀使集団戦術の理論家として指導に当たっている。

 可奈美おねぇさんのお母さんと論文を書いて、その論文を読んで長船で指導を受けたのが薫さんとエレンちゃんだった…って言えばすごさがわかるかな?

 そういうわけで綾小路の中ではかなーりお給料のいい人なの。

 実際に私も後輩ちゃんたちとの連携は篠子さんの理論が根底にあるしね。

 

「結芽、最後の試合よかったぞ」

 試合について誉めない伊倉館長がはじめて試合の内容を褒めてくれたのだ。

 びっくりしちゃった!

「館長…!ありがとうございます!」

「生身で写シを張っているのと変わらない速度で動けている。体軸もずっときれいに整っていた…燕結芽、刀使引退と同時に指導免許を与えるから、そのつもりでな」

 部屋が一気に静まり返った。

 それもそうだ、指導免許は免許皆伝後に与えられるもの…つまり、二つとも同時に渡すと言っているのだ。

 伊倉館長の目が本気だ。

「結芽ちゃん先輩おめでとうございまーす!」

「島田!まだ免許を渡すのは引退後だぞっ!結芽も鳩が豆鉄砲を喰らったようだぞあっはっはっはっは!!!」

 

 

 篠子さんの車に乗って、立川駅を目指していた。

「ほんとに呑んでないよね…?」

「本当だよ…疑り深いなぁ。ま、なんにしても指導免許があれば小遣い稼ぎができるね」

 本当のところは伊倉館長は、京都道場の後継者を指名したと同じなのかも、金一さんも東と西と伊倉館長の後継者として飛び回っているから、京都道場が高弟や篠子さんにまかせっきりなのは問題だから。

「重いかな?」

「ちょっとね…」

 11の年からずっ…と刀使をやってきた。

 心の傷も癒えていないのを義務感と責任感で押さえつけているだけで、刀から手を離すタイミングを探していた。

「結芽、いんだよ。刀捨てちゃっても。あなたの人生はあなただけのものだから」

 

 袂のニッカリ青江と和泉守兼定に目がいった。

 

 いま生きてきたほとんどが刀といっしょにあっただけで、それで一生を過ごすわけじゃない。

 美容師になってから、結婚して、仕事しながら子供を産んで育てる。それできっとあっという間におばぁちゃんになっちゃうんだろうなぁ。

 自分の一生。その時間がまだ途方もなく長い…長い時間に思えた。刀使をやめる、そのことがまだ夢のような、現実感のないことに思えた。

 

 五年前には想像することさえ諦めていたのに…胸に手を当てると鼓動の手のひらに何度も何度も響いてきた。

 

 そう、わたしには時間がある。

 

 不安にさせたかなと心配しながら、笑顔で前を向いてみせた。

「うーん、考えとく!」

 篠子さんが笑顔になった。杞憂だった。

「うん!うーんと考えて!きっと気づいたら刀を持ってるだろうから!」

「ふふふ!きっとそうかも!だって私は生きてるんだからっ!」

 

 

 部屋に帰ってくると、彼が出張なのを忘れていた。

 メッセージアプリを開くと、私が部屋の掃除や支度をしたかどうか色々聞いてきていた。

「わたし、そんなにズボラ?」

 すぐに返信が飛んできた。

 自分の胸に聞いてみてみな、だって!うるさいの!

 ふふふ…

「もしもし?」

 やっぱり声が聞きたくなった。今日のことを話したくなった。

「そ!でねでね!」

 彼の研究のことも聞く、わからないことを言うけど、雰囲気で私がわかるのを知ってるから例えが上手。

「へぇー!そういうことなんだ!」

 向こうもまた朝が早い。私は明日から遠征調査だから、朝早くにでなくちゃいけない。また小言をいくつか言って、簡単にできるあたたかくておいしいものを冷蔵庫に準備してあると教えてくれた。

「じゃおやすみなさい。また金曜日ね」

 ちょっと寂しさが治って、明日会う調査隊のみんなの顔が目に浮かんだ。

「さーってと、お風呂入って肌ケアして、荷物整えて…あと寝る前に御刀の手入れしなくちゃ」

 

 

 

 この鼓動が止まらないかぎり、きっとこれからも素敵な出会いや、大事な人たちとの思い出が増えていく…そう思うと期待と緊張で、ちょっとドキドキしちゃう。

 私には人並みに生きる時間が増えた。

 それは減ることはあっても、増えることはない。

 

 だから、いまがとっても愛おしい。

 悲しいことはこれからもいっぱいあるけれど、今度は自分を捨てるようなことはしない。

 ぜったいにしない。

 

 だから、今日はおやすみなさい。

 ぬくい布団の中から、みんなに

 

 また明日!

 

 

 

 

了…続く…

 

 

 

 

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