燕百奇譚   作:ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号)

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其ノ三十七『御刀の記憶〜関ヶ原異聞〜』(中編)

 

「ならば、敵中にあい駆けよ!」

 左近衛権少将義弘の号令と共に、守勢を保っていた島津軍はにわかに活気づいた。

「中務様がでられるぞっっ!」

 伊勢西街道めがけて全力で駆け出した騎馬は、凄まじい勢いで目の前の陣地に突入していく。

 道を北国脇往還と中山道をそのまま進軍路として使う徳川軍は、街道を突入して来る野太刀や薙刀そして切り槍を手にする騎馬隊によって武者、人足、牛馬の区別なく混乱に陥った。

 こじ開けられた道に義弘の馬と護衛、徒士兵たちがなだれ込む。

 坂を駆け下りながら、道すがらに抵抗する武者たちに致命傷を与えては打ち捨てていく。

 その中で金色に輝く大扇子の馬印が見えた。

「はっ!三河武士も存外たあいなかっ!!」

 誰かがそう叫ぶのを胸の内で頷いた。

 自分たちが本気になれば一直線に家康の首をもぎ取ったものを…無理解だった宇喜多、大谷、石田への冷笑混じりに少しばかり口角を上げて目の前の雑兵を蹴り飛ばして騎馬に続く。

 が、なん度もなん度もすれ違いながら鉄砲、弓矢、槍に石をくらい、見知った兵たちが消えていく。

「ここが命の捨てどきじゃ!本望じゃのう!!おいらは家宝モンじゃのう!!!最後のご奉公をじゃ!!!主家と国そして家に尽くせぇ!!!」

 三尺を越す大名仕立ての立派な太刀を手にする最先頭の武者がそう叫ぶ。

 彼のカリスマ性をみな知り、そして自分たちの薩摩、九州、朝鮮の戦場を経験し顕現した本能というべきものが、進軍速度を加速させていくのである。

 ひとり振り返っては三人切って、ズタズタに槍に刺され。

 火薬と玉を込めた銃を受け取った兵が並び撃ち放っては、刀を抜き放って飛び込んで消えていく。

 

 自分は最先頭の騎馬隊の脇について馬に対する障害を尽く切り伏せていく。

「ああ、うらやましいのぅ…」

 だが、自分は軍の中でも片手打ちの刀の扱いを最も上手とする。

 刀を長く使う術もよくよく心得ている。

 そのために安物ではなく、わざわざ関の寿命という刀工にもっとも理想とする珠鋼を使った豪物を打たせた。

 刃こぼれがほぼない。歪みも起きない。素晴らしい刀だ。 

 ゆえに、一分一秒でも長く戦わねばならない。

 

 戦場のど真ん中を抜け、谷間に続く伊勢西街道の入り口たる鳥頭坂に入った。

 ここを抜ければ敵も本隊との距離を心配して追撃の手を緩める。

 

 正念場であった。

 

 だが、先頭が俄かに騒がしくなって足が遅くなった。

 何事かと先頭に出ると、馬の身丈を遥かに越す黒い荒魂が先頭の武者を馬ごと粉砕していた。

「どけぇえええええ荒魂ぁあああああああああ!!」

 が、その巨体に見合わぬ身のこなしで飛び込んでくる騎馬、徒士兵を粉砕する。

 

 視界が俄かに熱くなり、滲むような怒りが湧いてきた。

 

「は!徳川よりも荒魂のほう手強か!」

 大名太刀の武者が馬の加速に乗って飛び込んだ。

 しかし、馬は虚しく横凪に吹き飛ばされる。だが、その頭上にあの武者が鎧の重さを気にせず跳躍して荒魂の袈裟に大きく切りつけた。

 その隙を狙って自分を含めた兵が飛び込んで、なん度もなん度も突きつける。

「むっ!」

 その荒魂の頭に突き出たツノが自身の体を貫いて、道脇の木に激突。

 腹部から傷付いてはいけない臓器がズタズタにされた感触が走り、やがて悪寒となって全身を駆け抜けた。

 これで自分は死ぬ。確信した。

 荒魂は半分千切れた私の体を振り捨てて、森の中に去っていった。

 

 朦朧とする、腹に感覚がしない。水の流れる音がする。

 荒魂に殺される。

 

 感覚がないのに、腑が煮え繰り返るような怒りが沸き起こった。

「ふざけるなよ…ふざけるなよ…!武者なれざ知らず、荒魂に殺さるっなど言語道断じゃ…武士ん恥じゃ…!」

 左手の寿命は健在。柄で這いつくばりながら、目の前の道へ這い出る。

 目の前では鉄砲隊が追手に打ち掛けている。

「はやく…前に出ねば…」

 ずるりっ

 少し後ろを向くと、下半身が消えた。

 もはや、上半身がなぜ動いているのかわからなかったが、その魔法もプッツリと切れて力が抜け落ちた。

 しかし、胸の中の燃えたぎるような感情が消えない。それどころか強くなっていく。

「許さん…許さん….!たてけ死んでん…こん刀が…きさんを必ず殺すじゃろ…!」

 痛みと嗚咽と怒りが左手の刀の感触を強く強く意識させながら、ぷつりと世界は暗転した。

 

 

「はっ!」

 見開いた目に溢れんばかりの白い光が流れ込んだ。 

 目を細めると、そこは自分の部屋であった。壁の刀掛けには寿命の姿はなかった。

「また…この夢。寿命はいないのに」

 

 暴走のあのあと…

「大丈夫?」

「…っ!はい!」

 立ち上がると結芽の手元の寿命を見て一歩後退りした。

「真弓さん…」

 追いついてきた舞衣と詩織は、真弓が先ほどまで手にしていた御刀への恐れを感じ取った。

「すみません…それを持っていたくありません」

 震える手を胸元で固く押さえつけた。

「私が強く言い聞かせて大人しくしたから、もう大丈夫だけれど….もしかして、ずっと意識あった?」

 結芽の問いに小さく頷いた。

「夢の中みたいに…自分じゃないだれかが体を突き動かしている感覚でした…」

「私のこと井伊の兵隊じゃないかって聞いてきたし、それにしゃべり言葉も鹿児島弁?だったね。空ちゃん奈良出身じゃん。親戚は?」

 空は目を瞬かせながら、先ほどの戦いが戯れだったと言わんばかりに結芽が飄々としていた。

「いえ、九州にはいません」

「じゃあ、この寿命を持ってた武士は本当に薩摩の武士だったわけだね。これで記憶の証明になったね。じゃ、美濃関に戻ろ」

 車の方に歩き出した結芽の背中を見ながら、空は唇をきゅっと噛んだ。

「結芽先輩っ!!私はあなたを殺そうとしたんですよ!たとえそれが操られた結果でも…!」

 踵を返した結芽はあっという間に空の間合に入ってデコピンした。

「あのさ、空が私に勝てるわけないでしょ?操られてた…確かにそう見えていたけど、刃筋の立て方とか身体操作は理心流のそれだったよ」

「えっ…」

「御刀がどんなに強い意志を抱いていても、それを叶えられる能力がある刀使じゃなきゃ、返り討ちにあってまた主人を失う。空ちゃんにはその荒魂を倒す力があるって、寿命はそう思ったんじゃないの?」

 舞衣は結芽の言わんとするところを理解し、話を繋いだ。

「御刀は今までも多くの刀使たちの手にあった。でも、あなたに出会ってその記憶を見せたということは、あなたじゃなきゃ思いを果たせないからじゃないかな。空ちゃんは刀使であり、巫女なの」

「大丈夫!またどうしようもない時は私が止める!今日は帰って体を休めよ」

 彼女のその溢れんばかりの自信に少し呆れながら、しかしその強さを実感しているからこそ少し落ち着いた。

 空は両手を差し出した。

「結芽先輩を信じます」

 笑顔の結芽はあっさりと彼女の手に寿命を渡した。

 しばしの静寂ののち、空は手慣れた所作で鞘に寿命を収めた。

 チャーン。

「あれ?」

「やや、時代劇ならカッコ良かったね。でもあれだけ写シなしで振ればそうなる状態だったんだね…」

「なんですかその目」

「空ちゃん…ズボラ?」

 むぅーと頬をほくらませて、ぽかぽかと結芽を叩いた。

「ごめん!ふふ、ごめんて!」

「ゆるしません!ちゃんと解決するまで付き合ってくださいよ!」

「もちろん!そのための私たちだよ?ね、詩織ちゃん」

「はいっ!一緒に御刀の無念を晴らしましょう!」

 空の顔には自然と笑顔がもどっていた。

 舞衣は聞こえないほどの小さなため息をついた。

「じゃあ、御刀の修理もあることだし、美濃関に戻りましょ!」

 

 

 

 ベッドから出て身支度を整え、学生寮から徒歩七分の工房棟の特別修繕室に顔を出した。

「おはようございます!」

 すでに工房には3〜4人の匠職科課程の高学部生が作業している。ここは刀使が任務中に破損し、緊急に修繕が必要な御刀を短時間で修理するための工房で、美濃関で現役の指導補助もしているOB職人たちがシフト制で常駐している。

「おはようございます!真弓さん、仕上がってるよ」

 OBで柄巻師の綾乃屋が金具の微調整を含めて終わらせていた。

「二日前に大きな荒魂の討伐があって、その応援のために腕のいい鞘師が来てくれてたから、すぐに組み上げれたよ」

「柄を新調したのですか!」

「金具以外はすべてね」

 とても半日で仕上げたようには見えなかった。

「目釘穴がだいぶ傷んでたので、今度はこまめにメンテナンスにきてくださいね?写シがあっても少しずつ刀装は痛みますから」

 ほら、と指を差した先には結芽が立っていた。

「あの人みたいに試合中に柄を割りにくる人もいますから」

「私がおかしなひとみたいに言うのやめてよ。おはよ空ちゃん?」

「おはようございます」

 綾乃屋は目のクマを浮かべながら小さく笑った。

「陽菜さんはそう思ってないみたいだよ〜。それで、なにかご用?」

 結芽は黙ってにっかり青江を差し出した。

「目釘が勝手に外れたの、メンテついでに新しいの入れてくれない?」

「はい…うんうん」

 慣れた手つきで柄を分解し始めた。

「昨晩は眠れた?」

「…また同じ夢を見ました。今度は最後の記憶が鮮明でした。でも不思議と今朝は幻痛はありません」

「そっか、よかった」

「あとでお知らせしたいんですが、荒魂の姿がはっきりとわかりました」

「フェイズは一段先に進んだみたいだね…上々!」

 大きく首を傾げた綾乃屋は、とりあえずとストックから合う目釘を選び、調整した。

「はい交換したよ。必要性を感じなかったけれどね」

「え?」

「目釘も交換の必要ない、完璧な仕上がりだったよ。すぐに陽菜さんの仕事だってわかる、陽司先生の教えを守った実戦向きの堅実な仕上げだ」

 

 工房棟を出ると、袋に入った元の目釘をポケットから出した。

 

「何かあったんですか?」

「んー私も悪夢を見たの」

「…どんな悪夢でした?」

「むかしの私にコテンパンにされる夢(※其ノ十七参照)」

 空は眉を顰めた。

「勝敗はともかく…それと目釘にどんな関係があるんですか」

「よくはわからないけれど、にっかり青江が悪夢が来るって言うように勝手に目釘が落ちて鍔鳴りしたの」

「今までもあったんですか?」

「ぜーんぜん。だからこうしてメンテに来たけれど、異常なし。変なの」

 軽口を言うものの、結芽の表情は硬かった。

「寿命に触れたから、触発されたんでしょうか」

「触発…それは考えもしなかった。でもそれなら寿命にも起きてるかも、一方通行だった御刀の記憶に歩み寄ったことで違う反応が出てる。幻痛がなくなってるのも…」

「あれは…」

 生徒が登校する校門前に一台の黒い高級車が止まった。

 運転席から出てきたタキシードに緑のネクタイをつけた初老の男性が、後部席のドアが開けられた。

「ありがとうございます柴田さん」

「詩織お嬢様。どうぞお気をつけていってらっしゃいませ。お早いお帰りを」

「ええ、いってきます」

 詩織はしばし歩いて結芽と空がニヤニヤと笑っている。

「むぅ!うちでは普通なんですよ!」

「ごめんなさいお嬢様!」

「ふふ!笑ってないからお嬢様!」

「空ちゃんまでーぇ!」

 駆け出した結芽と空を追いかけていく詩織を柴田は穏やかな顔で見守っていた。

 

 

「…こちらでよろしいですかお嬢様?」

「ええよろしくってよミクミク〜」

「「ふふふふふ」」

 合流した未久から資料を受け取りながら笑顔で眉間に皺を作っていた。

 この日、舞衣は別件の調査報告会のため昼前まで合流できず、調査隊と空のみの調査になった。

(もう一周して怒ってますね結芽先輩…)

(未久ちゃんのクソ度胸こわい)

「なにか言いましたふたりとも〜?」

「「ご、ごめんなさい…」」

「あまり遊びがすぎると流派の名前に傷がつきますよ〜???」

「「ほんとうにごめん!ごめんなさいっ!!!二度といじらないからっ!!!」」

 奥の書棚の方から小さな笑い声が聞こえた。

「ミルヤさんが笑ってるのはじめてみた…」

 結芽、未久、詩織も笑顔を見せた。

「では四人とも、荒魂の特定にかかりましょう。420年前に関ヶ原に現れた個体を」

 書籍の束を持ったミルヤが改った口調で告げた。

 

 ここは美濃関の向かいの山沿いに建つ美濃関図書館、第三書庫。

 美濃関の蔵書は全て生徒が閲覧可能である。だが、その蔵書総量は伍箇伝の各校のそれを超える。その理由は美濃関の前身である尾張刀使衆、さらにその前身たる東山海刀使社衆の鍛刀・祭事・荒魂・刀使そして珠鋼製鉄の記録の700年近い記録が保管されている。

 これらの資料の調査が始まったのは尾張刀使衆が美濃関へと統合された明治になってからである。その時に蔵書整理と調査翻刻、そして古文書修復を現在まで続行してきた。この美濃関文書を専門に調査する美濃関学院図書機関を立地から『千手院研究所』と呼ばれる。

 

 この第三書庫室は享徳期から慶長期にかけての記録がまとめられている。

 主任研究員は八人で、いずれも名のある大学の教授であるため、常駐の研究員は一人である。

「島津義弘公…『座すべきときには座し、走るべきときには走れ』…まさに薩摩武士の鏡のような将ね。受け売りですケド」

 さらりと武将の名言を引用した彼女は、甘茶色の髪を巻き上げて大人そうな瞳を丸メガネ越しに見せた。

「はじめまして。ここで主任研究員をしている福田佐和子です。舞衣から話は聞いていますよ、西濃の関ヶ原から佐和山にかけての街道筋が竹中家刀使の警備範囲でしたから、その研究資料から探しましょう」

 昨日今日で必要な資料を絞り込んでいた彼女は、プリントしてきた関ヶ原周辺の地図をホワイトボードに貼り付けた。

「手慣れてるね、同じようなことがあるの?」

「ええよくあるわ、荒魂の発生源が製鉄や鍛刀地の消滅と同時に消失するのはよくあるの。私は記録が少ない赤坂や志津、北国沿いの珠鋼と混ぜる鉄の輸送経路が私の研究分野だから、荒魂の発生地特定は得意よ」

 美濃関出身刀使屈指の戦国知識は、彼女の書いてきた街道沿いに点在し、戦場に出た戦国刀使の研究論文が証明している。しかし、その戦国刀使のお話はまたいづれしたい。

 

 佐和子とミルヤの指揮でまず慶長五年前後の荒魂討伐の記録を探す。

「昨日のお話通りなら、寿命は荒魂がいまだ生きていると感じ取っている。なら未討伐の討伐記録からあたりをつけるべきではないでしょうか?」

 書類を揃える前にあらためて空の口から『記憶の夢』が共有されていた。特に昨晩見たと言う詳細な荒魂の姿は重要な証言だった。

「真弓空、あらためて荒魂の容姿を教えてもらえますか?」

 うなづいた彼女は準備していた一枚の絵を見せるようにテーブルへ置いた。

「牛のような鼻の長い頭に二本の長いツノ、胴体は大きく大福のような形状に膨らんでいて、背中に無数の突起が鱗のように逆立っていました。四本の足はつま先が鋭い突起上になっていました。記憶の中で下腹部にツノを突き立てられた時に、金色に黒い点をつけた般若のような目と、笑みのような口の裂けた顔でした」

 そう毅然と報告した空に、四人はじっと絵を見ていた。

「うまいよね…」

「はい、とても上手です」

 そう感嘆の言葉を漏らした結芽と詩織に対して、佐和子は笑顔になっていった。

「真弓さん!ぜひあなたが見た関ヶ原の記憶を絵にしてくださいっ!戦国研究が大いに前進するまたとない機会です!ぜひぜひぜひ!」

「ふぇ…!」

 彼女の手を取り迫る佐和子に空は逃げられず助けをミルヤに向けた。

「福田佐和子、真弓空が怖がっています。それに彼女はその悪夢の詳細を語ってもらうか否かは、よくよく自重してください」

 言い過ぎともとれるが、ミルヤは自身の周辺の研究者たちがことごとく見境のない人物なので、ここまではっきりいわないと一歩下がることすらしないのをよく知っているのである。

「うん、そうね。無理のない範囲で、また教えてくださいね」

 ミルヤはため息を吐きそうになったのを大きな咳で隠してから、先の話を繋いだ。

「ではこの特徴に近い未討伐荒魂の記録を洗いましょう」

「はい!」

 後輩たちの揃った返事に真剣な眼差しでうなづいた。

 

 崩し字の古文書は読む訓練をしていない現代人には解読困難であり、また文化財でもあるため、直に古文書を読む作業は困難がつきまとう。だが、先の研究者たちが懸命な作業で積み上げた翻刻をまとめた書籍集がある。

「燕結芽と真弓空は慶長四年、柳瀬詩織と山城未来は慶長六年、福田佐和子が慶長五年の資料を読みます。発見年がもっとも記録が残っている可能性が高いですが、古文書というのは時にアバウトな側面があります。わずかでも疑われる箇所には迷わず付箋を貼ってください。各年の読み取りが完了次第、地図に書き込んでいきましょう。なお、私がここ数年間の荒魂発見記録の洗い出しをします」

 丸一日をかけた作業の中で特徴が類したり、証言者の言葉が特殊なことがあり、貼っていく付箋の数だけが増えていく。だが佐和山の方面、現在の彦根近くで討伐されたとされる荒魂の名前が浮かび上がった。

 未久と詩織は、明確に『それ』の出現が記録された文書を見つけ出した。

 

「名は牛鬼。日本でも高い知名度を誇る妖怪です。ゆえに同名の荒魂も多いです」

 

 結芽がタブレットで調べようとすると、詩織から一冊の本が差し出された。

「昨日、何かの役に立つかと思ってもってきたんです」

 それは大漫画家の水木しげるが著した『妖怪大百科』であった。

 結芽は空と共に詩織が付箋を貼ったページを開くと、そこには顔の潰れた証言に瓜二つの妖怪が描かれていた。

「その記録を読んでもらえますか?」 

 未久はミルヤが促すままにその記録を読み始めた。

「慶長六年二月二十日、佐和山城の修復作業中に四つ足を尖らせた体の大きく膨れた荒魂が出現した。その特徴から『牛鬼』と断じられ、工夫たちや井伊家家臣が退去しても城に居座った。平野の真ん中に聳える城の本丸に夜になると赤い輝きを帯びる黒い影が周囲から見えたそうです。それを佐和山の石田から井伊の傘下に移ったばかりの犬上郡社六角刀使衆が討伐に当たりました。しかし、図体に似合わず素早いために頭部の右角を切断したのみで逃げられたそうです。以降は逃げた先が中山道の美濃側であったこともあって、竹中家が荒魂捜索を引き継いだそうです」

 未久の話を聞きながら、佐和子は手製の日付順索引表を駆使して竹中家記録文書の翻刻集から近い日付の記録を開いた。すでに一読しているのか、あっというまにページを進めていく。

「それと同じ内容が綴られてて井伊家から竹中家へ移って、慶長九年まで探索が続いたみたい。ただ慶長の大地震がきっかけの『荒神覚醒』に対処するために全国から刀使を集めた結果、牛鬼の件はパタリと記録から出てこなくなるわね」

「そのあとは…徳川幕府から五山海刀使令が発せられて、折神御鋼奉行家が直轄の五つの刀使衆を管轄する庁舎を置いた。この地域は尾張刀使衆がまとめてたけど、そこにもないの?」

「尾張刀使衆が結成された時、東海道・中山道・北國街道の諸国から要注意荒魂をまとめた文書が提出されたの『東山海荒神不祓集』って名前よ」

 結芽が教科書に書かれてる内容を思い出すように言うと、佐和子はすぐに参照できる古文書の名前を出した。

「私のタブレットにPDFが入っています」

「さすがミルヤさん!」

 結芽たちがミルヤの背にまわると、中山道方面の荒魂に関するページを開いた。

「わっ…」

 真弓が思わず小さな驚きを発していた。

 あるページに確かに『牛鬼』の名前があった。が、その記録には朱書きで再度の発見期日が綿密に書き込まれていた。

「さすが尾張刀使衆の原書です。昔の刀使たちがこれを精読していたのがよくわかります」

 主文には先の慶長六年の佐和山城の事件、そこから西濃を中心に元和、寛永、万治、元禄、宝暦、天明、文化、安政、そして明治二年で記録は朱書き終わっていた。

「美濃関は明治五年、廃藩置県に伴い、徳川から明治新政府に移行したのを象徴するために人員ふくめて警察庁が新設した美濃関刀使署に移行。以来、この文書は美濃関の膨大な蔵書の中に消えてしまった…ということでしょうね」

 ミルヤの結論は真弓の夢だけでない問題をはらむことを示唆していた。

 それは近代以降、『牛鬼』が討伐されていないという事実が、百年以上忘れられていたということだ。

 

 ホワイトボードの地図に書き込まれた各年代の発見場所と日時が示された。

 

 まるで動物の習性のように、伊吹山周辺から大垣近辺を徘徊していることがわかった。

「年号から見ても、年数が開いてから再発見されてこの古文書を開いたと思えるわ。この記録をした刀使たちも『牛鬼』が過去から存在すると、この書物で確かめていたのでしょうね」

 佐和子とミルヤ、そして結芽の目線が自然と空に向いた。

「四百年以上、その御刀は『牛鬼』の生存を確信している」

 しかし、そこまでの話を聞いて、はたして牛鬼に巡り会えるか否か。

「不安です。また、討伐できず逃してしまうのではありませんか?」

 記憶の中の『牛鬼』は、あの関ヶ原の目まぐるしい戦場のスピードをものともしない素早く、重量感があり、圧倒的であった。

「…うっ」

 牛鬼に突かれた…その幻痛がかすかに蘇った。

「うーん、詩織ちゃん。舞衣さんそろそろ?」

 その言葉の意図に詩織はすぐ勘づいて、端末のチャットアプリを立ち上げた。

「十分前に会議が終わって今むかってるそうです!」

 その言葉と共に扉が開く音がした。

 詩織が自信の満ちた目で空に向き直った。

「たしかに、逃げられる可能性はある。見つからない可能性はある。でも、明治から百年、何もなかったとは思えないし、私たちはいろいろな道具を作ってきた。大丈夫、きっと見つけ出せるよ!」

 

 特祭隊東海管区指令補、柳瀬舞衣の合流。

 これが事態を一気に動かす。

 

 

 

後編に続く

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