冬も近い晩秋。
都内から車で四時間ほどの道のり。
その場所は長野県の野尻を越え、岐阜県に入り、自然豊かな山あいを谷から谷へと道が続く、木曽街道六十九次の一角。
車から降りると、染みるような寒さに体を震わせた。
「さすがに山奥だとすっかり冬だなぁ」
枯れ草色の間に常緑の木々が茂り、秋の紅葉も落ち着いてまばらに葉を散らし終えた木も見える。
ひさしぶりの単独任務とあって、どこか寂しくもあり、しかし後輩の目もないので大きく背を伸ばした。
「ここが大鍬宿でいいのかな? 里香さん」
現地協力者『伺見』元刀使や美濃関等で荒魂に関する専門教育を受けた人々を対象に、特祭隊が採用している現地職員である。
須原里香は美濃関の神職科に進み、同級生の体験に触発されて名古屋にある大学にてノロ分祀に関する金属工学を学んでいる。現在は実家の神職と大学生、そして岐阜県警特祭隊支部局の『伺見』と、活発に活動している。
「そうだよ、ここが中山道四十七番目の宿場町。二つの難所に挟まれた今は小さな町」
スーツケースを引っ張り出すと、今年二十歳になってより大人びて、可憐になった里香の顔に不安の色が浮かんでいた。
結芽はあまり里香が怖いものが得意なタイプでないと察した。
「車の中で一通り説明したけれど、荒魂の怪獣騒ぎじゃなくて、お化けや妖怪よりも怖いホラー映画みたいな事件だね」
その飄々とした態度に里香は目を瞬かせた。
「わ、わたしね、まだこういう話とか事件が苦手で…….だって夜な夜な旅人姿の全身血だらけの旅人が現れては、足早に消え去っていくって、しかも証言記録がいっぱい。まだ怪物みたいな荒魂のほうがいいなぁって」
タブレットに表示された証言のリストはゆうに百は超えていた。結芽が隣からページを切り替えると、中山道のマップ上に最新の目撃証言の地点が一筆書きのように続き、峠の手前で証言は消えていた。
最後の目撃は一昨日である。
「数年前からの証言から、中山道を何度も何度も往復を繰り返しているみたい。それも人目がつかない時間や、場所ごとに往復地点を変えてね。そして近々、この近くにやってくる」
お互い見合ってから、道の先に続く深い森へと視線を移した。
「燕さんは平気なの?」
「わかんないや。とりあえず荷物置いてから作戦会議したいな」
「そうしよっか」
大鍬宿には宿泊できる宿は現存していないため、通り沿いの民家で夜を待つことになった。
やや恰幅の良いお母さんが、今でのんびりとしていた夫に小言を言いながら、なれた手つきで夕飯の支度を進めていった。
「あんた! 刀使さんに変なこと言ったら承知しないからね!」
日焼けで顔の黒い体格のしっかりとした初老の夫が、わかったわかったと何度も応えた。
そして、結芽と里香が居間のテーブルに広げた資料やタブレットの画面をもの珍しげにながめた。
「しばらくお世話になります」
里香がそういうと、笑顔で一向にかまわないと言うと結芽の手元に自然と視線が映った。
タブレットには江戸時代の旅装束の浮世絵や、時代劇のイメージ画像が並んでいる。
「どうですかい?」
結芽は難しい顔で首を傾げた。
「うーん、古い格好の知識がないからこれってイメージが見つけられなくって……えっと証言をまとめると、薄汚れたマントを羽織って、使い潰して補修後だらけの傘をかぶっていて、一本刀を腰に差しているのが、共通した姿みたい」
初老の男は何かに気がついて立ち上がると、奥の本棚から一冊の時代小説を持ってきて、その挿絵を見せた。
「まるで伝説の渡世人の姿みてぇだ」
「渡世人?」
「ヤクザさ、それも誰にも属さない宿も故郷もない、文字通りの逸れ者さ。この小説に出てくんのは、明治になって口伝でその姿が記録されている無敵といわれた渡世人さ。顔に大きな刀傷があったそうだ」
里香が証言から検索をかけると、たしかに顔に大きな傷の痕が見えたという証言があった。
「なぁ、荒魂退治に来たんだろ?」
「どうなんでしょうね。荒魂というよりは幽霊の類かも」
「はぁー」
刀使が幽霊退治、男はすぐにわからないことは関わらず、専門家に託すが一番と合点した。
「ユーレイ退治とは難儀だねぇ」
その家のお母さんお手製の夕食をご馳走になってから、二人は出現予想ポイントへと移動した。
琵琶峠は木曽街道の難所の一つ、わずか一里ほどの道のりだが険しい山道が続くことで有名だった。しかし、今は車道が整備され、難なく通り抜けられる道に変わっている。中山道だった道の一部は、江戸時代に整備された石畳の舗装路などが残っている。
二人は見通しのよく、足元を確かめやすいその石畳の道の場所で渡世人の幽霊を待つことにした。
時計の時刻は九時の半ばを過ぎていた。時折、木々の合間から月が顔を見せる。
「里香さん! 撮影しっかりとおねがいしますね!」
「うん! あまり来てほしくないのだけれど」
懐中電灯で周囲を照らし、時折スペクトラム計を確認するが、やはり反応はない。
それから二時間、緊張とは裏腹に赤い幽霊は姿を見せない。
二人とも緊張が解けてきたのか、こまごまとした雑談が増えた。
「燕さん彼氏さんと同居してるんだ。18で?」
「だって六年間ずぅーと寮暮らしだったんだよ? お金もあるから、いっそ一人暮らしもいいけれど、わたしって寂しがりやだから」
「そっか、じゃあ同棲生活の先輩だね」
「ん? 彼氏さんがいるの?」
「うん、中学の頃からずっと一緒で、美濃関に入ったのも彼と離れたくなかったからなの。彼は卒業したらすぐに家の神職になったんだけど、私はもう少し勉強したくて」
「それで大学行っちゃって」
「彼は全然気にしてないって言うし、週一で会ってるけれど、やっぱり二人の時間をもっと増やしたいなって、将来のことも含めてね」
結芽は彼の顔が浮かんで、少し恥ずかしそうに空を見上げた。
「先のことかぁ、ぼんやりしたまんまだなぁ」
スペクトラム計が微弱な反応を感知して警告した。
「思った通り!」
周囲を見守るが、里香のタブレットに映るリアルタイムの映像には二人以外の人影はない。
「階段の入り口にはもういないよ!」
結芽は何かに気がつき、里香に全ての灯りを消させた。
目が慣れてくると、うっすらと見える石段の感覚を確かめながら兼定の鞘を水平にした。
静寂の向こうから、ぼんやりと赤く滲んだ色がゆらめく。それは目の錯覚と思えるほど微かな光だったが、こちらへ向かってくるとそれが長身の人影を包むものだと認識できた。
月明かりから白い口元を三度笠が隠し、前までピッタリと合わされた旅合羽の間から、周囲を威圧するように半太刀拵えの柄が顔を出している。
身長が一八二はあろう細身姿の旅人の姿である。
現実離れした光景に里香はその場に尻餅ついたが、結芽は平静のまま男の前に立った。
「止まりなさい」
だが旅慣れた足取りで、結芽の脇を素通りしていった。何かを察して、結芽は男の後をついていく。隣に並ぶと、意思もなく何もみてないように思えた。傷のある面長の顔だが、純朴そうな人相が不思議と恐怖を沸かせなかった。
(あらっぽいやり方だけど、仕方ないか)
男の先へ大きく進み出て、鯉口を切ると白銀の輝きが結芽を包んだ。
「止まらなければ、斬る!」
真希仕込みの発破で啖呵をきると、ついに男の足が止まった。
しばらく結芽の目をじっと見つめてから、小さく口を開いた。
「巫女が何の御用でござんしょう。あっしには義理も縁もございません。ここはご容赦を」
掠れて低い声だが、相手にはっきり理解できる発音で喋った。作法通りと言わんばかりに、深々と頭を下げた。
「これはご丁寧にどうも、でもね知りたいのよ。二百年なのかな、その姿で街道を彷徨い続けるあなたはどうして足を止めないの?」
「それは……すいやせん。申せません」
それならばと、結芽は八双の構えで威圧した。
「そう。でも荒魂の疑いがある以上、放ってはおけないの」
困惑した表情が浮かび、目を泳がせながらも、腰の長脇差を抜き払った。その抜き身は錆一つない、まっさらな白銀の刃が輝いた。
(まさか御刀!?)
姿勢を腰下まで低くし、結芽を突破せんと懐に飛び込んできた。その体格と長脇差のアドバンテージを組み合わせた近間から繰り出される圧倒感ある斬撃が繰り返された。しかし、剣術ではない喧嘩殺法には隙しかなく、それに気がつくと難なく斬撃をいなしはじめる。
だが、このままいたちごっこを続ける気はなかった。
鍔迫り合いに持ち込み、そのまま長脇差を巻き込みながら手首を掴んで大きく捻ると、石畳に巨体を叩きつけた。苦悶の声が上がると、その手から刀が離れて石段を転がり落ちた。
結芽は写シを解き、長脇差を拾い上げると、しゃがんで体を起こす男を見下ろした。敗れたことを受け入れたのか、男は結芽に問いかけた。
「なぜ、トドメをささねぇんで……?」
「だから、私は聞きたいだけなんだって、なんで荒魂なのに人の形をしているのか」
やや俯いて、探していると結芽の質問に答えた。
「あっしはこの弥作という男の体を乗っ取っております。この男の故郷を探して、そこに弔ってやるのがあっし旅の理由なのです」
石段に腰を据えると、彼女も彼の隣に座った。
「ならなんで二百年も同じ道を行きつ戻りつしてるの」
「わからねぇんです。記憶がぼんやりしているんです。あっしは、やっぱり荒魂なんでしょう」
その琥珀の輝きの目には、涙と思しきものが瞬いている。
「聞かせてよ、その弥作という人との話を」
男は静かに頷くと、遠い昔のことを語り始めた。
時代は江戸の末近く、天保年間が十年以上も昔になってしまった頃だろうか。
森の中で吸収を目論む大型の荒魂に追われていた赤い鉱型荒魂、それが目の前の彼だった荒魂である。追いつかれ、食われる寸前で男の剣によって大型の荒魂から救われた。写シもなしに荒魂を祓った渡世人は、なぜか自分を切らなかった。
彼に何を感じたか、男を慕ってついていった。人目を避けながら、彼が野宿するとどこともなく姿を現し、なにを思ったか疲れ切った男の口から語られる独り言のような話を聞いた。切った相手のこと、無関係の人間を巻き込んだこと、愛したことを何度も後悔したこと、土地土地の季節の移ろいのこと、そしてかすかに残る故郷の思い出。
「あっしには骨を埋める場所はねぇ、と言いてぇところだが、あるんだ頭の片隅によ、故郷の景色がよ。それはな、川向こうに白い城が見える野っ原だらけの農村があってよ。で、まともに作物が育たなくて、俺の兄が城下で盗みを働いちまって村八分、一家はバラバラさ。そうして、おれはずっと旅の空の下さ、故郷は美しいかったけれど、残酷だった。でも、確かに俺に故郷はあるんだ。だからよ、死んだら、俺の灰を城の見える川に撒いてくれ、俺の故郷の川にばぁっと…….な」
それから季節を一つ越えた秋の頃、弥作を殺して名を上げたい宿場のチンピラたちが、十五人がかりで弥作を惨殺した。
あの強かった男が、眠りの一瞬を突かれて殺されたのである。激昂した荒魂はチンピラたちを襲い殺した。
血まみれの顔は真っ青になり、血の色はない。
ふと、この男の体を乗っ取ることができると本能が囁いた。それなら彼を故郷に運んで、この刀で荒魂の自分を祓い、男は土に帰れる。
そして弥作の肉体に入り込み、それからずっと彼の故郷を探して旅を続けている。
「じゃあ、この御刀は」
「弥作さんのです。でも、この刀は私と同じ願いを持つ者です」
反りは浅く、互の目刃紋が月光を照り返す。刀は相州伝風である。銘は兼氏である。
「弥作の記憶にぼんやりと景色が見えます。そこを目指してます」
「なるほど、恩返ししたいのね」
「へい」
結芽は立ち上がると、彼に兼氏を差し出した。
「手伝うよ」
「よろしいんで、巫女様はあっしらを」
「いいの! 私は未練って言葉が嫌いなの、だからちゃんと願いも約束も果たしてほしいの、でもそのかわり」
刀を丁寧に受け取ると、それを鞘に戻した。
「承知しております。荒魂としての生に未練はございません」
弥作を連れて石畳を下っていくと、放心したままの里香が木にもたれかかっていた。
「里香さん、須原里香さん!」
彼女は顔を上げると、結芽の後ろに立つ大男に声もなくたじろいだ。
一通り事情を話すと里香は目の色を変えて、協力を申し出た。
「そういえば、名前言ってないんじゃない?」
「そうでした」
弥作は中腰になって右手を差し出し、おひけぇなすってと決まり文句を口にした。
「生まれは木曽の山奥、名はこの男より借りてます弥作。人呼んで赤刀の弥作と申します。どうぞお見知り置きを」
「ど、どうもご丁寧に! 須原里香です!」
里香はすぐに場所の特定を始めた。
木曽街道上もしくはそれに接続する城で、江戸時代に健在であった川沿いの城をマッピングし、その城の風景を弥作に一枚ずつ丹念に見せていった。その中の一枚に弥作は目を奪われた。
彼は自信はないと言うが、結芽と里香はとりあえず向かえばわかると言った。
「でもあんなに怖がってたのに、こんなに親身になっちゃって」
「美炎ちゃんと同じ願いだから、救える思いはすべて救いたいの」
「そっか」
はじめてみる車にも関わらず、彼はなんの感動も示さなかった。とにかくさっき見た城の光景が忘れられなかったらしい。
里香は夜の山道に車を走らせながら、後ろの席の弥作に問いかけた。
「弥作さん。あなたは本当の弥作さんにどうしてついていったの?」
「あっしは、この男の生き様に惚れたのでございます。天涯孤独のみはあっしも同じ。だが、恐るのとは違う生きるための孤独でした。時には誰かに深い同情をしたでしょうが、自身の身ゆえに深く関わらない。全てを恐れず、ゆえに死が来る日を恐れない。そのために、何人も彼に寄り添うことはできない。だからあっしは唯一、人ではない存在として彼の声や願いを聞いた。あっしは弥作の心に寄り添ってやりたいのです。故郷で弔う、その瞬間まで」
「うん、素敵なことだと思う。好きな人の生き方って、どうしようもなく好きだったりするから」
車は木曽川沿いを上っていき、やがて街をいくつか越えていく。その間に空は白み始め、やがて目的地に近い川沿いの場所へとやってきた。
そこには木曽川のそばで輝く白い城の輝きがあった。
弥作は三度笠をとり、青い肌に落ち窪んだ琥珀の瞳でじっとその山上に立つ天守閣の姿を見上げた。
「ここは、そうでございます。後ろは美濃の各務野、そしてあれは犬山の天守! ああ! この景色だ! ここが弥作さんの故郷だ!」
「弥作さん」
結芽の優しい声に満足そうにうなづいた。無表情だった顔にやわらかな笑顔が浮かび、他人に見せてこなかった感情を隠さなかった。
「燕さん、須原さん、このご恩はノロに還っても忘れません。最後に一つお願いできますか?」
体は灰色に変わりだし、ボロボロと肉体が崩れだす。
「この遺灰を木曽川に撒いていただけますか? 弥作さんは必ずそう願うはずです」
「はい、必ず」
「ありがとうございます……」
感謝の言葉を最後に、体は跡形もなく崩れ落ちた。そこには灰の塊とわずかばかりのノロ、そして朱鞘の長脇差が残った。
「たったこれだけのノロになってまで」
里香は丁寧にノロを回収ケースで吸い取った。
結芽は風呂敷を取り出すと、灰の塊を残すことなくかき集めた。そして河川敷に降り立つと、灰の入った風呂敷を大きく振りかぶった。
「さようなら、そしておやすみなさい。遠い時の旅人さんたち」
川へと撒かれた灰は水の流れの中に溶け込んでいく。
水面は朝日を浴びて、強く瞬いていた。
…….了