薄曇りの、穏やかな朝だった。
昨晩の空襲警報が嘘のように、草木は芽吹き、鳥は歌い、炊事場に煙が立っている。
疎開先の松代、軍が用意した借家の玄関に二人の刀をさげた軍人が立っていた、
「……貞晶先生」
目の前のカーキーの軍服を着た特務准尉の少女はその人の良い顔ゆえに、その暗い顔を隠せていなかった。中尉の階級章をつけた細目の男だけが感情の一才を蓋していた。
「扇ヶ谷特務曹長。
中尉は形式に則って、少女の手の上で包みに入った菊の御門の小さな塗り箱を開け、一通の手紙にうやうやしく礼をした。
男はその意味を理解し、頭を下げた。
「恐れ多くも……天皇陛下より比島決戦において格別のお働きがあったことへの感謝と哀悼の辞を奥様へと承りました。靖国神社の祭神として永く大日本帝国の名誉として守護神として奉ること旨を、ご主人であります扇ヶ谷貞晶へお伝えいたします」
意味は分かる。ゆえに心は理解を拒んだ。
差し出された上質な紙に書かれた手紙と感状を無意識に受け取っていた。
「奥様には感謝いたします。ありがとうございます。そして、護国の神の列にお並びになられましたこと、大変におめでとうございます!」
「はい……我が妻は立派に勤めを果たし、軍神になりましたこととても嬉しく存じます。よくやってくれました」
満遍の笑みの中尉に対して、どこか棒読みの謝意を返した。
二人が去って、ピシャリと扉を閉めてからやんごとなき人の手紙と感状を仏壇に供えた。
包みをじっ……と凝視しながら、少しずつ心がそれを理解し始めた。
視界が滲み、右往左往しブレを繰り返し、息が荒くなる。
「嘘だ……嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だーっ!!!」
息を切らせながら、目の前の包みを乱暴に剥ぎ取って箱の中の手紙を投げ捨てて中を見た。
「いない……いないいないいないいない!!! 藍子ぉ……藍子ぉ! あいこぉぉおおおおうおうおううううぅううぅう……」
空である。
「うわああああぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ……あぁぁあぁああああぁぁぁぁあああぁ……アァァアアアアアアアアアアアアぁ……」
男は袂の油紙の封の中から、手製のお守りを出した。
「帰ってくると……言ったじゃないかぁ! 俺の傑作を持っていったのに! うわぁぁあああぁぁぁあぁあぁぁ! あああぁぁぁあぁぁああぁぁあああああ!!!」
男はぴたりと絶叫を止め、丸く見開いた真っ黒な瞳を仏壇に向けていた。
1945年、春。
比島陥落。そして、沖縄決戦。
戦争は、終わろうとしていた。
『お守り/菫青幻視:肆』___________________________
襲撃の日から一週間。
あの旧射撃場の中から出てきた『箱とその中身』は鑑識を経て、本部の研究所に回されていた。
「あの仮面をつけていた刀使たちは本郷近辺で黒いワゴン車に乗車。監視カメラを丹念に追って高速で千葉県の四街道に入ったまではわかりましたが、旧佐倉街道に入った途端にパタリと姿を消してしまいました。今もおね……柳瀬舞衣の要請で周囲を探索してますが、深夜に消えたこともあって手がかりはようとして掴めない状況です」
詩織の説明に革の大きな椅子に座っていた薫は大きなため息をついた。
「舞衣が取り逃した……こりゃあ一筋縄じゃいかないな」
「ねね……」
ここは特祭隊本部長執務室。基本的には真庭本部長が司令室に篭りきりのため、押し付けられた書類を本部長補佐である薫の私室に近い状態になっている。ちなみにねねは本部では本部長代理と呼ばれている。
調査隊は『箱』の中身の調査のために鎌倉の本部を訪れていた。
「この報告書は俺から朱音様に出しとくから荏柄に向かってくれ、あーこれ研究所の入館証と三号機密閲覧許可証な。一応、おおやけには『箱』について極秘扱いだ。ミルヤたちの行動は荒魂調査と関係先に言ってあるから、行動の制限はない。安心してくれ」
「あれだけ大きな一件だと顔バレ怖くない?」
結芽の質問にそれなと答えながら言葉を続けた。
「だが幸か不幸か、ドーム前の事件を写したメディアがないから顔は隠さなくていい。それは、襲撃した連中らの視覚情報がないとも言えるがな」
薫は卓上の機密ファイルを開くと、監視カメラの拡大キャプチャ写真を並べた。
「おそらく、もう一度接触するかもしれません。天臣貞正を追っていれば必ず」
「天臣貞正が生きていることにも関係しそうだな。仮面の刀使たちが持ってた御刀も不気味だ。念の為に電波暗室に入れてある」
「あと持ち出しを許可していただきたいものがあります」
「んーわかった……」
薫は慣れた手つきで申請書類を出すと必要事項を丁寧な字で書き、別々の判子を二つ押した。
サインだけされた持ち出し許可の空手形であった。
「あの……益子副本部長……その判子は真庭学長の」
「ここにいないのが悪い……というのは冗談で、『
差し出されたファイルを受け取り、一瞬笑顔を浮かべてミルヤは背筋を正した。結芽がアイコンタクトをとると、自然と四人が肩を並べて整列した。
「それでは契巫特務調査隊、調査任務に戻ります」
「おうよろしくな。またなんかあったら言ってくれ、なんとかしとく」
「ねねー!」
◇
鎌倉からある物を回収すると、翌日には静岡伊豆半島の韮山へとやってきていた。
とある人物に会うためである。
「連絡していた木寅ミルヤと申します」
とある老人ホームに到着した調査隊を待っていたのは、自身も元鎌府の刀使だという30前半の女性だった。
「はい、お待ちしていました。けれど……おばぁちゃんは戦争中のことは一言も話をしてくださいませんでした。老人ホームに入るあたって本人の代わりに菊盾会と連絡を取り合うようになってから、はじめて軍人刀使としてのキャリアを知ったくらいでしたから……」
孫の女性は事前に職員と簡単な打ち合わせののち、調査隊を中へと案内した。
面会室前に来ると、廊下の奥から少し痩せ気味の女性が車椅子をヘルパーに押されて現れた。
優しげな面持ちだが、どこか虚無を見るような穏やかな目をしている。
「はじめまして熱川恵子さん。刀剣類管理局の木寅ミルヤと申します」
「……あら、綺麗なお目目ねぇ」
ミルヤの青い目を見ても何を動じるわけでもなく、ただ一言穏やかな声色で感想を述べただけだった。
「では面会室の方へ」
改めて小さなテーブル越しに向き合った。
「みんなかわいらしいの、ねぇ」
そう隣の孫に嬉しそうに言いながら、場の空気を読めないと言わんばかりに、ただただ彼女にはゆったりとした時間が流れているようだった。
「熱川さん。今日は見ていただきたいものがあってきました。そして、その名前の方のお話も聞きたいのです」
隣の結芽に目配せすると、彼女は席を立ってテーブル前に膝を突き、手元の小さなアルミケースの鍵を開けた。
結芽がビニールの袋に入った『それ』を両手でやさしく彼女の前に差し出した。
「そんな、うそ」
丸い背中がすくっと起き上がり、震える手で『それを』手に取った。
「藍子さまのお守りだわ。でもルソンでは見つからなかったはずよ……」
口調が変わった。明らかに六十も五十も若返った口調だった。
「あなたたち、これをどこで見つけたの……!?」
「旧小石川造兵廠、射撃場のトンネル地中です」
実はこの一週間のうちにミルヤたちは調査対象をすでに絞り込んでいた。
「お守り……」
あのライトに照らされたトンネルの中で結芽が見つけた藍色の古い手縫いのお守りであった。
裏には刺繍で持ち主の名が白地の部分に縫われていた。
「軍巫......?和......洲......藍子」
鑑識が手に取っていたものを結芽が撮影し、すぐに共有すると、ミルヤはすぐに防衛省の防衛研究所戦史研究センターに出入りしている鈴本葉菜に連絡をとった。
「個人名に関する資料は省庁の許可が出るまで時間がかかります……一番早いのは菊盾会ですね」
戦前から軍の刀使には独自の同窓会が存在しており、現在は軍に所属していた刀使たちの生存者会として年に一度の慰霊祭を取り行っていた。ミルヤはこの事件の内容は伏せつつ、和洲藍子という刀使がいなかったかと照会した。
翌日にも名簿に名前が見つかった。
和洲は旧姓で、前線出征前に結婚し扇ヶ谷を名乗っていた。
そして、彼女の同級生が今も生きていると連絡があり、現在に至る。
恵子はおおきなため息をついた。
「贄川中尉ならやりかねないわね。でも、これがあるということは……まさか貞晶先生も関わっていますの?」
彼女は震えながら涙を流した。
「しくりましたわ……やはり軍真刀の製法は途絶えていない……! 私が甘かった……!」
「熱川さん……」
結芽の心配そうな顔を見て、はっと驚き小さくうなづいた。
「ええ、大丈夫です。木寅さん、全てお話ししますわ藍子様のこと、貞晶先生のことをね……」
その目に穏やかさはない。現役刀使と同じ強くまっすぐで澄んだ目であった。
◇
ここは日本のどこか……山奥のかつては脇街道が通っていた場所だが、現代の技術や道路の発展により忘れ去られた村。
夜明けの薄明かりとともに、大きく背を伸ばしながら『子』と、ここでは呼ばれる一人の刀使は目を覚ます。
隣の布団では何不自由ないという顔で子が眠っていた。
「ふふ、まるでここが楽園って寝顔ね……」
『子』は御刀……本庄正宗を手に霧がかった古い日本家屋を出ると、鯉口を切って刀を構えた。
この間の結芽との戦闘を思い出す。
写シを張ったと同時に何度も何度も目にも止まらぬ高速移動で切りつける。
(けれど、あの子には奇計は通じても、最後にはそれを粉砕する実力がある。昔ならまだしも、私に結芽の弱みは引き出せない)
刃が空を切る音が何度も響く。揺れる金髪の合間から眉間に皺を寄せる少女の薄茶色の目が見え隠れした。
(なら……真っ向から切り伏せるしかない)
「ああその通りじゃ、お前にはその実力とワシの神力がある」
子はその声を聞いて、すぐに声の主に向かって膝を折り、首を垂れた。
「お心のうちを読まれておりましたか、しかしもったいないお言葉にございます」
それを見てはならない。家の古くからの風習だった。
「お前の剣は素直だ。故に読まれる。だが、ならばそう読ませるがよろしい。そなたはワシがかの神のなり損ないを討つ無二の存在として選んだのだからのぅ」
「はい、必ずご期待に応えます」
「では、面を上げよ」
その言葉に一瞬迷いが生まれた。
「おそれおおくもハクサン様のお顔を拝すのは、先祖代々の家訓を破る行為にございます」
「何をしておる? そなたは歴代がなしえなかったワシの直属になっておるのだぞ? 憚ることはない……これは名誉ぞ」
子の胸に浮かんだ見てはならないという直感が働いたが、目の前の存在の実力を知るだけに逆らうことを選択肢から廃してしまった。
顔を上げると、ショートヘアに頭に生える尖耳、やや目元の尖った鋭さ均整の取れた顔、古墳時代の衣服に白の大袴をつけた頭襟を被る全身が白い衣装と肌の女性が立っていた。その隣に太刀を片手に掲げ持ってうやうやしくする『牛』の姿があった。その反対側には長身の笑顔を絶やさぬ、細目に長髪を一つにまとめてカーキーのジャケットの男が立っている。
「恐れることはない。ワシはお前を乳飲み子の時から知っておるからのぉ……安心せよお前はワシに欠かせぬ剣じゃ、盾じゃ……ワシに忠誠を尽くせば自然、それは世界を救うこととなる……励むが良い」
「はは! ありがたきしあわせ」
「……おおそうだ。ワシの姿見、漏らすでないぞ」
「はい、仰せのままに……」
「ならばよい。期待しておるぞ星詠芽衣……いや、『子』よ」
「はい!」
はじめて見たその姿は、意外にも普通であった。
普通というのは語弊がある。今時のモチーフにはよくある狐娘のイメージである。
だが、遥か昔からその姿であることの異常さを考えた時、いったいいつから存在しているのだろうかと不気味に思えた。
「もう一つ……わかる人間にその御刀を見せてはならぬぞ」
「はい、必ず」
笑顔ではあるが、その深く暗い琥珀色の瞳から感情が読み取れない。
踵を返すと、ではまた四時間後と牛が言い置いて、集落の中央にある社へと去っていった。
◇
未久はそっとボイスレコーダーを起動した。
「そうね……何から話そうかしら……簡単に私のことについてから話すわね」
昭和三年(1928年)生まれで、終戦時は満十七歳。
熱川家は韮山の地に根付いた武家の家系で、折神家にも出仕する由緒ある刀使の家系であった。
そこの次女として生を受け、自然と刀使になる教育がなされていたこともあり、十二になると自身の初めての御刀で写シを発動した。
しばらく折神家参傘下の鎌府刀使として出仕し、1941年に折神家の戦時協力のために軍巫として志願した。
志願と言っても、現実には有力華族の子女刀使の代わりに半ば強制的に軍巫に選ばれた。
それに文句を言う刀使は誰もいなかった。全員が日中戦争から大東亜戦争へ拡大し、熱狂する空気の中で女も武器をとってお国のために働ける機会と意気揚々としていた。今まで軍が刀使の大規模徴募をしてこなかったのにあのタイミングでそれを行ったのか……その理由を彼女は自覚していなかった。
同級生たちが各連隊へ配属される中、熱川恵子はとある実験部隊に配属された。
第二十八工廠分隊、革新的な軍真刀と称された『天臣刀』の実験部隊だった。
今までの軍用の御刀……軍真刀を凌駕する性能と耐久性を誇り、通常の軍刀と異なり非写シ状態でもサビにも衝撃強いこともあって、非刀使である軍人からの需要も増えていた。そこで、完成したものを刀使に試験してもらうために、刀使の上がりを迎えた前任者の代わりに熱川恵子ともう一人、和洲藍子という一つ上の刀使が部隊に入った。
作刀を旧東京砲兵工廠射撃場と小金井の陸軍研究所、長野松代の佐久間神社近くでとり行っていた。
「私たち軍刀使の任務は写シが発動するかの有無と、あらゆる鋼材の切断試験だったわ。軍刀の試験装置はあったけれど、写シは刀使しか扱えなかったからその情報収集のためだったわ。試斬はもっぱら小金井の研究所で行われたこともあって、私も藍子様もここの勤務だったわ。そこで……初めて貞晶先生と贄川中尉に会ったわ」
「贄川?」
「東京造兵工廠兵刀課の第二十八工廠分隊の分隊長だった軍人よ。有馬課長から危険視されていた貞晶先生を引き抜いて『天臣刀』を上層部に認めさせたって言われているわ」
「はじめて聞いた名前ですね」
「無理もないわ、終戦前日の松代大本営工事中に落盤に巻き込まれて亡くなったそうよ。正直、俄かには信じ難いけれどね。それで記録からも記憶からも印象の薄い人だったわ」
この人に扇ヶ谷貞晶本人が生きているやもしれない事実を、四人は胸中の深くに押し込んだ。
「貞晶先生は若くして天才的な刀工だったわ。その方法は許されないやり方だったけれど、私たちにはとても誠実な人でしたわ。いえ、誰にも誠実でしたわ。前線から帰ってくる通常の軍刀として帰ってくる御刀をもう一度使えるようにする……その信念で打った『天臣刀』は強靭無比……技術、知識、人格……どれも『今正宗』の名前に劣らない確かな人でした」
恵子の言葉には貞晶への確かな信頼が篭っていた。
「私、好きだったのよ貞晶先生のこと……でも、心の底から通じ合っていたのは藍子様だったわ」
かつて折神家の家宰を務めた和洲家の息女だった。
折神家に近しい家として、血筋の直系にあたる柊家と同格の扱いであった。
戦時中の刀使のトップとも言える地位にいた折神卯音様と双子同然に育ち、彼女の代わりに軍徴募刀使筆頭として軍巫になったのである。
「名家の刀使とは思えない気さくで明るい方でした。卯音様が凛としているなら、社交のことは彼女が預かっていたのでしょう。それは小金井に来てからも変わりませんでしたの、それと……ずいぶんとこだわりが強くて、部屋の片付け方が気に入らないと軍の規則に物申して、担当の軍人が困っていたわね! 教えてもらったことと違うことを同室の私にも強制するから、まぁ大変でしたこと! ふふふ!」
三十二の貞晶と十六の頃の藍子が出会い、心を通わせるには時間が掛からなかった。
「だって、二人ともこだわりが強くって……先生が打った御刀が重心がちょっとズレただけで大げんかしてたわ! あなたならこんなミスしないでしょって! ちゃんと休みいただいてますか? って……それで先生を銀座に引っ張り出して映画とかお茶したり……私も何度か同行させられたの……なつかしいわ……」
だが、戦況の悪化が進むと、国内の熱狂の中に一億総特攻の文字が並び始めた。
「来る決戦、折神卯音様への出征が打診された。でも代わりに藍子様が行かれることになった。私も同行を志願したけれど、上司の贄川中尉から拒否されたわ」
恵子は残念そうに呟き、そして間を置いて話を続けた。
「そこで、藍子様も結婚しようという話になったの。出征する兵士に倣って、軍巫も結婚することが多かったの。藍子様と先生は結婚、松代でささやかな結婚生活を送ってから南方戦線へ行ったわ。昭和十九年、十一月だったわ」
事前の名簿確認では南方での戦死と書かれていた。この時期に南の方での大規模な陸戦はひとつしかない。
「フィリピンですね」
「ええ、戦後に……ルソンの悪夢って呼ばれたことを知ったわ……」
握った両手が力足らずにふるふると震えていた。
「藍子様は帰ってこなかった……戦死の報を先生に伝えに行ったわ。みるみる真っ青になっていったのを覚えているわ」
1945年を迎えてからはひたすら空襲から逃げた、荒魂と空襲を比べたらまだ荒魂がかわいいくらいだった。
「終戦になると、折神家逮捕。刀使批判。一年かけて刀剣類……特に御刀は徹底的に狩られたわ。小金井で終戦を迎えてから、松代にいた先生がどうなったか行方がつかめなかった。それは、荒魂の対処に乗り出した連合軍部隊がことごとく壊滅して、GHQに直談判して赤羽の倉庫のに山積みになった御刀の中から古今伝授行平を引っ張り出してから、二十五の時に引退するまでずっ……と荒魂討伐にかかりきりだったもの」
熱川恵子は今までの疲労を思い出すように、よろよろと崩れた。
「おばぁちゃん!」
「恵子さん!」
息を切らす彼女を前にして、ミルヤはヘルパーと目を合わせた。
彼女は黙って首を振った。
「熱川恵子さん。ありがとうございます。どうか無理をなさらず、今日はお休みになってください」
ずっとそばにいた結芽が離れようとすると、その手をとって引っ張った。
「最後に……松代へ行って……やっぱり贄川中尉が死んだとは思えない……隠し事の多い人だったから」
「松代……松代大本営ですね! 任せてください!」
「お願い……します……」
結芽はその恵子のまっすぐな目を見て大きく頷いた。
◇
集落の中央の神社にかつて誰が祀られていたのか知る者はいない。
高く上った木々と、苔むした社を覆うように倒れた木々が、この空間を静寂と薄闇の中に封じ込めている。
「集ったようだな」
銀の屏風に包まれた社内……その中央には御簾に覆われた御帳台があった。
黒い巫女服姿に首からあの顔の半分を隠す面を下げた刀使たち、詰襟の白い助骨服に身を包んで軍刀を傍に置く軍人風の男。
白い面布で顔を覆った男が傍に大きな包みを置いていた。
一同正座し、その場を仕切るように牛が前に進み出た。
「ハクサン様、報告をはじめさせていただきます。寅、辰! 包みをここへ!」
高台に乗せられた包みを御帳台の前に置くと、その封を解いて中身を見せた。
二つの樹脂の箱は水洗いされたが汚れは完全には落ちていない。だが、封印の紙袋に包まれていた大量の残欠は往時と変わらぬ鋼色に輝いている。
「強襲による宣戦布告を実行いたしました。東京砲兵工廠射撃場跡より物資の回収に成功いたしました。しかし、偶然居合わせた特巫隊による妨害を受け、三箱全ての回収ができませんでした。我々『
この間の覇気を感じられない、落ち込んだ声で言葉を結んだ。
「かまわぬ。ようやった、褒めて使わそうぞ」
御簾内よりややこもった……しかし甲高い女性の声が響いた。
「あ、ありがたき言葉にございます!」
牛は顔を擦り付けるように首を垂れた。
「いずれは現世の刀使たちへも来る危機を伝えねばならぬ。だが、代理人たる折神はきわめて危険な存在になっておる……それを避けるならば荒事もやむを得ない。実に心苦しいことだ。だが、少しずつだが我らの存在を知らせつつある.いづれ本当の危機に気づくであろう。天臣貞正よ、希望のモノだ物資を改めよ」
「はっ」
顔を隠した天臣貞正は御帳台へと礼をし、箱の中身を確認した。
いくつかの残欠を見て、やがて何かを探すような手つきに変わると、スッと手を引いた。
「間違いなく。七十九年前に埋めたものに相違ございません。これで、本命の御刀を打つことができます」
「うむ、そうか。ではくれぐれも頼んだぞ。私の太刀と『
満足そうな声が御簾の内から響き、天臣貞正はうやうやしく頭を下げた。
「はは、仰せのままに」
「では、次の御刀を刀使たちに渡すのだ」
天臣貞正は刀使たちの前に白い封をしていた御刀を差し出した。
「ほぉーこれが私たちの本命の御刀ってわけですか」
虎の笑顔に天臣貞正は頷いた。
「個々人の特性に合わせた、傑作と言って過言のない御刀だ。『牛』には柄の短い御手杵型大身槍だ、重心はこの間の薙刀よりも扱いやすい位置にしてある」
「恐れ入ります……」
「『兎』は希望通り二尺五寸、柄も長く反りも少ない新々刀型の御刀だ」
「希望通りの長いリーチに仕上げてくれたんだ。うれしぃわぁ」
前回の襲撃時にいなかった守縒刀使……紫がかった染め髪にアイシャドーを深く入れた濃い化粧をいれた小顔の少女である。
「『虎』は身幅広め重ね厚めの樋が入った源清麿型のおそらく造り小太刀二振りだ。切先も大きめにしてある」
「こういうのでいいんだよ、こういうので……」
「『辰』は取り回しの良い二尺二寸の片手打ち刀だ。歌仙兼定型と言っておこうか」
「じゃあ偽歌仙ですね! にせかせ! にせかせ!」
「『子』は本庄正宗写しだ。見た人間が簡単に特定できないように、刃紋のパターンを変えてある。だが、君が特定される原因になるのではないかね?」
「私が専属で相手するのは最強の刀使です。一番使い慣れた得物でないと負けると確信があるので……」
「そういうことなら構わないがね。昔もそういう子がいたよ」
天臣貞正の脳裏に浮かんだ笑顔の少女。
「ねぇあなた、やっぱり身幅もう少し狭くしてくれない? 笹貫くらいがいいの」
家事にも、服にも、御刀にも、こだわりが多かった少女だった。
「ハクサン様。以上にございます」
そう彼が告げると、一同は御帳台へと向き直った。
「ハクサン様、ご発言の許しを賜ってもよろしいでしょうか」
「贄川、発言を許す」
「ありがとうございます。以前お話ししておりました私が七十九年前に隠匿したヒヒイロカネ、ハクサン様の最高の太刀を作るために献じたく存じます。そのために『守縒刀使』を動かしていただきたく」
「よかろう。して場所は?」
顔を上げた糸目の男が地名に、天臣貞正は思わず顔を上げた。
「松代。長野県上田市松代の山中。かつて、軍真刀の作刀場があったひとつであり、松代大本営の建設地であります」
__________________________つづく