燕百奇譚   作:ひろつかさ(旧・白寅Ⅰ号)

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其ノ四十一『湯屋の休息と開戦の狼煙/菫青幻視:伍』

 

 

 暗闇の中、ランタンが並ぶ奥のまた奥……

 

 1945年の夏、特攻機による応酬と絶え間ない空襲の報復……そして降伏なき泥沼の地上戦が繰り広げられる中、海を隔てた国からやってきた彼らは空腹と恐怖に怯えながら、トンネルをひたすら……ただひたすらに掘り進めていく。

 最後にして最大にして最悪になるだろう本土上陸迎撃戦のための準備……だが彼らはそれを知らない。

 働かなければ死ぬ、倒れれば見捨てられる。

 だがそれにも増して……

(腹が減った)

 朴という青年はそれを喉の奥へ押し込んだ。

 

 8月14日。

 イ地区……のちに象山地下壕の南東部の掘削が進んでいた。

 昨日の発破で開口した部分のズリを運び出しながら、削岩機で突出した岩を取り除いていく。

 気温は低いが、高い湿度のために体はベタつき、痩せた体を容赦なく汗だくにする。

 コォン! 

 行き止まりの壁を叩いていた削岩機が貫通して抜けたのである。

「はぁ?」

 手が止まったので手押しのトロッコにズリを運んでいた姜は、日本で労働者として数年来の仲間である朴の隣に来た。

「どうしたんだ?」

「ここは一面岩盤の塊なんだよな?」

「ああ、そう聞いてら」

「じゃあなんで空洞があるんだよ?」

 二人は互い違いに穴を見た。

 試しにズリを放り入れると、空間に石の転がる音がなん度も反響して聞こえた。

「違いない……しかも広いぜ!」

 すぐにその場の現場監督である日本人を呼んだ。

「なんだこりゃ……?」 

 訝しげな現場監督は手の平大に広がっていた開口部にランタンの灯りをかざしたが、深いのか何も見えない。

「おい、将校呼んでくるからお前ら動くなよ! いいな!」

 血色の良さげな現場監督がその場を去った。

 逃げるなと言いたかったのだろうが、この地下壕の奥深く…….逃げ場などないに等しかった。

「仕事進んでないとまた懲罰だ。俺はこのズリ運んでくるよ」

「あとで何があったか教えてやるよ」

「聞きたくない……」

 手でそうジェスチャーして、トロッコにズリをスコップで放り入れると姜はトロッコを押して開口部から遠く離れて行った。

 

 姜がいなくなってから数分のうちに、軍刀を下げたカーキーの軍服に身を包む将校が現場監督と共に現れた。

「贄川中尉、言っていたのはこちらです!」

 しばし、穴を見てから、すぐに大きく開口させるように指示した。

 現場監督の一声で、彼らは削岩機で開口部を押し広げていく。

 甲高い削岩機の動作音がやがて開口部の奥から反響して響いてくる。

「親方、人が通れる穴が開きました」

「私が確かめます」

 贄川にそう断りを入れて、作業員を押し除けて穴の中に恐る恐るランタンの灯を差し入れた。

「ん……?」

 朽ちた古い木箱が積み重なっている。奥には落盤して入り込んだ土砂が山になっている。

 そして銀や赤に青を帯びた眩い白色に輝く鋼が見えた。それは朽ちた箱から無数に星のように輝いていた。

「まさか……!? どいてください」

 贄川は穴に入り込むなり、ランタンにかざした風景に目を大きく見開いた。

「真田の家紋……ええ、間違いありません……まさかここにあったとは!」

「これはなんですか贄川中尉」

 満遍の笑みで目を糸のように細めた。

「これは素晴らしい発見です……作業員の皆さんも入ってください! ランタンを持って!」

 四人の作業員が穴に入り、ランタンで部屋全体に灯りを入れると、手掘りのトンネルに並んだ木箱から白い鋼が見えていた。

 それは御刀の主材である珠鋼の塊であった。それも数えきれない量が集積されている。

「これ……は……なんですか将校さん」

「珠鋼。御刀の材料です。箱の家紋を見るに、真田家の秘匿していた珠鋼ですね。伝説としてありましたが、いやはやここにあったとは! みなさんおお手柄ですよ!」

「珠鋼って御刀の材料だろ? 大発見じゃねーか!」

「手柄って言うならよ……と、特配あるかな!?」

 少年のような労働者のことばに贄川はもちろんと答えた。

「ええ、私の手で届けますよ!」

 やったという声を現場監督は苦々しく見ていた。贄川は気にせず、先ほどの開口部に立った。

「まぁまぁ現場監督、これはあなたの班の功績ですよ? こちらへ耳を貸してください」

「はぁ」

 小さくため息をつきながら、興味深げに珠鋼を見る作業員たちを横目に現場監督は贄川の前に立った。

 バサッ……

 倒れた現場監督のそばから水の流れる音が響く。

 作業員たちは何が起きたかすぐに察した。

 それは珠鋼と同じ輝きの白刃がランタンに照らされて、じっとりとついた油分を黒く輝かせていた。

「あの……将校さん」

 笑顔のまま、細目がばっと見開いた。

「本土決戦は夢に潰えて、敗北の責をとって天皇と軍部は処刑され、アメリカとソ連の傀儡政権が誕生し、賠償で貧困となる運命のこの国で私は……どこへむかうんでしょうねぇ?」

 

 ズリ山からトロッコを押して戻ってきた姜は、ドンという音を聞いた。

 ダイナマイトを発破する時の音である。

 それはよくあることだった。

 だが、様子がおかしい。にわかに騒がしくなっていった。

「何があった!?」

「事故だ! 発破ミスの落盤だよ!」

「将校も巻き込まれたってよ!」

「まさか暴動じゃ……」

「Dの17番通路作業地点らしいぞ!」

「救助しようにも落盤してて近づけない……絶望的だ」

 

 この事件は現場監督や軍人たちが翌日にあった一大事のためにうやむやになってしまった。

 8月17日、彼が終戦を知ったのはあの日から三日後ことだった。

 

 

『湯屋の休息と開戦の狼煙/菫青幻視:伍』___________________________

 

 

 韮山から長野へ移動してきた結芽たちは、県警の確保した宿泊先へと向かった。

「県内で荒魂が群隊出現した関係で松代近辺の宿泊先が確保できなかったようです。なので……」

 ミルヤの自家用車に乗って信州中野から夜間瀬川沿いの湯田中温泉へとやってきた。

 梅雨時の夕方、この日は晴天であった。

 川沿いから上へと上がっていき、やがてやや急な坂を上へ上へと登っていく。

「ナビではここですね」

 赤いのれんがかかった『よろづや』という旅館が調査隊に用意された宿泊先だった。

 ミルヤがチェックインを済ましたが、個室は用意できず四人とも一つの部屋で過ごすことになった。

「調査は明日にして今日は英気を養いましょう。夕食の時間19時は守ること、夜9時以降は館外を出ないこと、夜ふかしをしないこと、無駄な買い物をしないこと、抜刀稽古は厳禁。よろしいですね?」

「「「はい!」」」

 ウェルカムドリンクとお菓子があるということを仲居から聞きながら、同じ刀使が宿泊してるのだと結芽の注意が向いた。

 鎌府や長船といった制服を着る刀使たちの混成編成らしかった。

「お前たちくれぐれも混乱を起こすなよ」

 身長の高い年長らしき長船の刀使が呼びかける。リーダーのようである。

「おうよ、振るうべき場所は弁えてる。つまらんがな」

 ウルフカットで何もかもがつまらないという顔をした美濃関の刀使。

「あら〜? その割には熱心にここのホームページのサウナのページ見てたわよねぇ〜」

「おっまえなぁ」

「いいのよ〜一人だけ下の駅で野宿してもぉ〜」

 ボブカットの少女はウルフカットの少女を煽るようにする綾小路の刀使。

「冗談だぞ、いちいち癇癪立てるな」

 平城の金髪の年長刀使が呆れ顔でフォローする。

「そうですよー! おねぇさまの言うことは聞くべきです!」

 同じ平城のおさげ髪の刀使はフォローになっていないフォローをする。

 

 そこに見知った顔があった。

 向こうもそれに気づいてアイコンタクトすると、笑顔を互いに見せ合った。

 赤茶色の瞳があの日の柳橋を思い出させる。

「どうぞごゆっくりお過ごしください」

 頭を下げた仲居はエレベーターまでの案内で、扉が閉まると八階の部屋へと運ばれた。

 

 荷物を片付けて浴衣に袖を通すと、緊張と移動で疲れた未久と詩織はすぐにお風呂へ向かった。

「ミルヤさんはお風呂はいいんですか?」

「私は少し業務が残っているので、お風呂は夕食後にします」

 ノートPCを開いて、リモート通話用のヘッドセットを取り出した。

「じゃあ私はロビーでウェルカムドリンクとお菓子いただいてきます。きっと知り合いもいますので」

「さきほどの混成部隊ですね。同じ宿に討伐部隊が宿泊している報告は受けていますが、見たことない刀使でしたね」

 ミルヤは職務ひいては趣味ゆえに、名物刀剣の所持者の顔と名前が全員頭に入っていた。彼女が知らない刀使はあの中に有名刀剣を持つ刀使が一人もいないということだった。

「ミルヤさんも顔を知らない子がいるんですね。といっても私も一人しか知らないですけど」

 結芽はお湯を注いだ急須と湯呑み、そして茶菓子をミルヤの手の届くところに置いた。

「ゆっくりしてきてください。また明日からお願いします」

「はい、お言葉に甘えさせていただきます」

 

 一階と二階は大きな階段でつながった吹き抜けになっており、和風でありながらモダンで落ち着いた空間になっている。

 その階段には中二階と言えるカフェスペースがあり、窓際の席に浴衣を着た彼女が待っていた。

「芽衣! ひさしぶり! 待ってくれていると思ってた」

「うん! 結芽のことだから待っていれば来てくれるって信じてた!」

 二人でカフェカウンターから抹茶と和菓子をもらって深めの椅子に腰掛けた。

「わぁ! このさくらんぼのお菓子おいしい!」

「このさくらんぼ、ちょうど今が旬なんだって甘くて濃厚よね!」

 あの日のことを通して、いつもの人たちとは違う気取らない雰囲気が二人の間にあった。

「そうそう! 彼氏と仲直りできたって〜?」

「うん! あれ? それメール送ったじゃん」

「みたよぉ! だけどさ、気になるじゃん」

 結芽の顔を覗き込むようにしながらニヤリと笑う。

「何が?」

「仲直りの儀式〜あなたと彼氏さんはどんな方法かな〜?」

 結芽はじっとりと半目になってお茶を一口飲んだ。

 顔はみるみる赤くなった。

「そうなんだ。二人ともとっても仲良しなんだね!」

「も〜! め〜い〜!」

「あはは! だってあんなに顔を真っ赤に腫らしてたのに、今は恥ずかしくって……ふふふ!」

 結芽は笑顔だったが、まだ彼に申し訳ないという感情が漏れ出ていた。

「結芽って、けっこう見た目で判断されちゃうんじゃない?」

「あー確かに、それ使ってうまくやることもあるけど、本音に気づく人はぜんぜんかな」

「それこそ付き合いの長い人とか、彼氏とか」

「今の彼もけっこう長いんだよ? ちゃんと付き合ってるのここ一年だけどね。前の前の彼氏は最悪! 前の彼は私を受け止めきれなかった」

「今の彼は?」

「わからない時がある。でも、もっと見てほしいなって思える人だよ」

 結芽の目には確かに好きな人の姿が浮かんでいるようだった。そんな彼女を見て安心したように半分にしていたさくらんぼの和菓子を口に運んだ。

「刀使引退したら、もう一回恋をしてみよっかな」

 夕日が差し込む窓を見ながら、その目はどこか寂しさを感じさせた。

「芽衣、元彼のことすごい大事だったの?」

「俺のことは忘れろなんて、私を好きだって言ってる目で言われても説得力ないのよ。ずるい人だった。でも、結芽の話聞いてたら、ちゃんと約束守ったほうが元彼のためだって思えたの」

 目を瞑ってうんとうなづいた。

「新しい恋をしたい。だから忘れて上げる! 完全には無理でもね」

「矛盾してないそれ〜?」

「仕方ないじゃん。だって今だったらわかるもん。元彼との恋がとっても……楽しかったってね」

 もらってばかりだった……そう思っていた結芽は、少しは返せたのかもしれないと思った。

 だからこそ、胸の内に彼……丸岡豊執とどうなりたいのか。今まで考えてこなかったことが浮かんできた。

「応援してる。だって、話聞いてくれた日のお返しできてないから」

「してくれるの〜? うれしいなぁ何にしよっかなぁ」

 いたずらっぽい表情に思わず「もー」と笑顔で言っていた。

「私に考えさせてよー」

「それは結芽がどれだけわたしに感謝しているか次第かなぁ」

「それずるー!」

 互いに顔を見合って、笑い出した。

「そろそろ私の部屋の食事だ。じゃいくね」

「うんメール送るよ」

 芽衣は立ち上がって背を向けると、しばし立ち止まった。

「結芽って朝風呂は好き?」

「旅館とかホテルだとよく入るよ」

「じゃ、明日の五時すぎ。待ってるから」

「いいよ!」

 そう笑顔を交わすと、芽衣は階段で食事会場のある階へと登っていった。

 

 ◇

 

「たべましたー!」

 未久が満足そうに自分の寝る布団の上でお腹を撫でた。

「一つ一つは少ないけれど、まだまだ来るって手も口も忙しかったね! お腹いっぱいです!」

「しおりんお家大きいけど、ここみたいなコース食べたりする?」

「うん! でもここは量がすごかった! 食べ飽きない量!」

 

 結芽は風呂に行く支度をする中、ミルヤがある全員集合と号令をかけた。

 

 全員が輪になって集まると、ミルヤはタブレットに表示した複写した地図を出した。

「先ほど熱川恵子からお孫さん経由で当時の象山鍛刀場と、松代大本営建設現場の地図を書いていただきました」

 四人は地図を囲みながら、未久が貞晶官舎を指し示した。

「さすがに残ってはいないと思いますけど」

「鍛刀場周辺の聞き取りは必要でしょうね。ただ古い出来事なので証言を集めることはままならないでしょうね」

「なら、恵子さんが示したあれですね」

 結芽の言葉にミルヤは頷いた。

 それは終戦の日から三日後、鍛刀場の機密処理のために生産記録を焼却したが、肝心の完成した軍真刀を引き渡すかで議論になった。結果的に妥協として埋めることになった。

「刀使復帰に際して、恵子さんは隠匿されていた軍真刀をGHQに引き渡しました。ですが、埋めた四箇所のうち、一箇所の行方が知れません」

「残っているか、誰かが掘り起こしたか。たしか、贄川中尉という方の名前が出ました」

 詩織は自身のタブレットで姉から送られてきたデータの中から、古い名簿に書かれた贄川中尉の履歴を出した。

「恵子さん、このひとならやりかねないって言ってましたね。もしかして扇ヶ谷貞晶はこのことを?」

「この地図を作成中にお孫さんが聞いたそうです。彼が失踪したのは軍真刀を埋めた当日、8月17日でした」

 ミルヤが地元警察の協力で現地を捜索する調整を済ませていた。もちろん隠匿地のある土地の地主にも協力をもらっている。

「でも恵子さんがGHQに隠匿地を伝えた後に、その一箇所だけ見つからなかったんですよね?」

 詩織は皆神山の網目に打たれた赤点を示したが、ミルヤは反対側の場所を指差した。

「場所は皆神山の壕入り口付近、桑根井と伝えたそうです。もしかしたら、GHQはもう一方の牧内近辺を調べた疑惑があります。それに関する証言が出てきてます」

「貞晶と軍真刀の追跡していれば、あの仮面の刀使とも接触しますね……」

 未久の言葉に一同は静まり返った。

「我々の今回の目標はあくまで生きていると思われる扇ヶ谷貞晶のプロファイリングです。彼が何を目的で仮面の刀使たちに刀を提供しているか、そしてなぜ若い姿のまま生きながらえているか、それを支える存在の有無。必要なデータの収集のみに専念しましょう」

「支える存在……例の贄川中尉ですか?」

「飛躍した考えですね柳瀬詩織。彼の生存を私たちは確認できていません。それに、彼が大元なのかも疑わしいと考えています」

 さらに大きな存在が扇ヶ谷貞晶を支えているのではないのか? 

 ミルヤにとってもそれは推測であり、妄想に近い類のことは承知している。だが、明らかに組織立った一連の出来事が推測を事実として形どり始めている。

 それは組織が本当に存在する時、再びの接触ひいては衝突がありえる。 

「扇ヶ谷貞晶の人となりを探りつつ、彼の周りの人物と物から目的を当てて、それを防ぐということですね」

 結芽はその推測に気づき、まとめながらそれとなく問う。

「ええ、必要とあれば再び対刀使戦が想定されます。緊張が続きますが引き締めていきましょう!」

「「「はい!」」」

 

 

 ◇

 

 布団の柔らかさの中、うつらうつらと目が醒める。

 

 三人の寝息が聞こえる。

 隣の詩織が幸せそうな寝顔をしているので、起こさぬようそっと布団を出た。

 カーテンを少し開けると空はまだ藍色に、ぽたりと白い絵の具を落としたような鳥の声も少ない静かな山影が続いている。

(時間……)

 約束の時間まで余裕がある。

 タオルと化粧ポーチを持って部屋を出た。

 

 エレベーターで二階に降りると桃山風呂への案内看板が右の通路を指し示している。

 館内は明るいが、朝風呂に来る人もいない、売店もカーテンがかかったまま、スリッパが床を擦る音だけがパタパタと響く。

 ここから専用のエレベーターで再び一階へ降りると、女湯の暖簾がかけられた白いすりガラスの戸を開けた。

「わぁ」

 ここへ来た時には気にしていなかった隣の古そうな御殿らしき建物が、建物全体がそのまま大浴場なのである。

 浴衣を脱いで風呂場に入ると、広い空間の中央に何十人と入れそうな白いタイルでできた円形の浴槽が透明なお湯をたっぷりとためている。

「結芽! おはよう!」

「うん! おはよう芽衣!」

 少し早く来ていた芽衣と少し熱めの風呂に浸かった。

「ここすっごいね」

「桃山風呂、1951年築のここの名物なんだってさー」

「お風呂大きすぎ、天井高すぎ、しかも貸切〜」

「ね〜」

 早朝の湯田中温泉に、二人だけのお風呂。

 結芽はその静かで、暖かな時間に緊張がやわらぐ感覚があった。

「緊張してないつもりだったのに、すっごい肩肘張ってたかも〜」

「ん〜? どれどれ? ほほうこりゃガチガチだね」

「ほんと〜?」

 思わず二人して笑い合った。

「あはは! なら〜私の胸ベルト、予備あるからあげる! 私も大きいからさ、結構体振り回されるの」

「効果あるの?」

「かなり違うと思うよ、試してみて!」

 湯冷ましに浴槽の縁に腰掛けた。

 古いものの柱や壁の部材に使われている檜は潤った色をしている。

「結芽ってさ、何年刀使やってるんだっけ」

「8年」

 顔には出さないが、結芽がその話題を避けたそうにしているのを察した。

「じゃ、そろそろ引退だね。私は引退したら大学行くよ」

「どこに?」

「教育。誰かを世話したり、教えたりするの昔から好きだったもん。なぁなぁにしてきたけど、絶対にいく」

「ふぅん」

 あけすけな自分とは違う芽衣の気遣いに心がホッとした。

「引退したいんだけど、わたしどうも上がりが来ない体質らしいの」

「え、めずらしいね」

「だからみんなまだ大変だし、もう少し刀使やってもいいかなって思うの」

「それはダメでしょ」

 芽衣は不満な顔を見せた。

「やっぱ、そう思う?」

「決めたらそうしないと、結芽にとっても重荷だし、周りの人も気遣っちゃうよ。だって結芽がんばっちゃうじゃん」

「そんなつもりないんだけどなぁ」

 結芽は格子天井を見上げた。

「じゃあ、刀使続けてさ、刀使以外のことできる? めっちゃ大変だと思うよ。それも、このご時世で」

「ご時世って言葉、聞かないなー」

「茶化さないの。私はちゃんと刀置いて、やろうって思ったことに一生懸命な方が、みんな安心すると思うなぁ」

「芽衣もそう思う?」

 互いに目を見合った。

「うん、結芽って何がやりたいの」

「美容師になりたい。体調のことで検査入院したときにね、ボランティアで来てくれた美容師さんがすっごい可愛く髪を結んでくれたの。私もボランティアさんたちについていって、いろんな病気の子を励ますために髪の結び方を教えたり、ウィッグを用意して整えてあげたり、お化粧の仕方教えたり! 手伝ってるうちに、わたしも可愛くしてみんなを励ますことがしたいって思ったの。そしたら、いつのまにか美容師に憧れてたんだ」

 満遍の笑顔の結芽を芽衣は愛おしそうに見つめながら聞いていた。

「素敵な夢だよ……すっごくいいと思う……!」

「だから美容の専門学校へ行く! 卒業試験合格すれば、入学までパスしちゃうって聞いから勉強頑張ってるんだ」

「すっごい難しいのに!? はぁ、いや結芽ならできちゃうよ」

 呆れたように芽衣は湯船に浸かり直した。

「芽衣もできちゃえば、いいんじゃない?」

「え?」

「やってみようよ! ね!」

 結芽も浸かり直しながら隣に寄り添った。

「わかったー。一応、頑張ってみる。期待しないでね」

「うん!」

 結芽の無邪気な笑顔に、芽衣自身も笑顔を見せた。

「さぁて、私はもう出るかな」

「もうちょっと入ろうよー」

「ぐでんぐでんになっちゃうって。結芽はゆっくり入ってよ」

「うん、後で」

 引き戸の扉を開けようとする手が止まった。

「結芽」

「なぁに」

「ちょっと例え話なんだけどさ」

 結芽は立ち止まった芽衣の筋骨整った背中を見た。振り向かない。

「幕末に二人の侍がいたの。大昔に山の奥に隠した宝物が見つかったけれど、とあるお侍は自分一人のものにするために一緒に見つけた人たちを生き埋めにしたの。もう一人のお侍は、新政府に渡したくない宝を埋めて、明治になってから掘り返したの。二人は裏切った元同僚を倒す資金にしようとしたらしいの。それを提案したのが、最初のお侍の上司であるお殿様だった。それは失敗したらしいんだけど、掘り返した場所には裏切りで亡くなった奥さんの仮のお墓があるんだって。そしてお侍さんたちは復讐を諦めずに死んだんだって。でも、お殿様は別の奴に復讐しようとしてたみたいだって」

「……それ、なんの話?」

「結芽、今の話を忘れないでね」

 笑顔で一瞬結芽に振り向くと、彼女は脱衣所へと入っていった。

 

 ◇

 

 移動する車の中、後部座席では詩織と隣になっていた。

「ボディハーネスですよね。いつの間に持ってたんですか?」

 結芽の胸骨下と鳩尾上を横断するベルトがバストをしっかりと留めている。

「旅館に一緒にいた子からもらったの」

「面識のない刀使の子達でしたね……お知り合いなんですか?」

「うん、前にお互いコイバナした仲」

「とっても仲良しなんですね!」

「他愛もない話ばっかりだけど、友達と話すと元気もらえるんだよねー。詩織ちゃんは未久ちゃんとかな?」

「はい! 未久ちゃんは親友であり、同僚であり、頼れる仲間です!」

 ミルヤは運転に集中しながらも、頭の片隅に詩織が知らない美濃関の刀使がいることが気になった。

「山城未久、昨晩ロビーですれ違った、あのふんわりとした髪型の綾小路の刀使のこと、ご存知ですか」

「うーん、いえ知らないですね。ここ2年は私も遊撃隊の隊員として全国を飛び回っていたので、知らない新入生がいても不思議ではないです」

「そうですか」

「何か気になることがありますか?」

「調べている時間がないので、両国に戻ってから問い合わせてみましょう」

「はい!」

 

 湯田中温泉から松代まで約40分ほどの道のり。

 車は目的地に向かう前に松代城の門前に到着した。

「お待たせしましたね」

 特務警備隊の制服に身を包み、尊敬する師からもらったというリボンで左サイドテールに髪を結び、どこか幼さも帯びるまっすぐな目鼻立ちをしている。腰に帯びた大慶直胤は師と同じ白紐で巻いた尾張拵え、やや小ぶりな千鳥あしらえの木瓜鍔が彼女のトレードマークである。

「はいお久しぶりですミルヤ先輩!」

 特務警備隊 現第四席の内里歩である。

「歩ちゃんひっさしぶりー!! 川中島に来てた大物刀使って歩ちゃんだったんだ!!」

 車の中から手を振る結芽に歩は苦笑いした。

「おひさしぶり結芽ちゃん……って、前よりも元気になってる気がする。未久ちゃんも、詩織ちゃんも振り回されてない?」

 その問いに二人は顔を見合わせた。

「「慣れました!!」」

(相変わらずタフだなぁ……)

「私の後輩になると強くなるよ!」

 ドヤ顔の結芽にお決まりのツッコミを浴びせた。

「癖まで強くなるから程々にしてほしいんだって!」

 特務警備隊での結芽は時期によって調子が乱高下することがあった。こうして結芽のゆるいボケを周りがツッコむのが、結芽が調子を完全に取り戻してからの定番の風景だった。

 歩は後部座席にやや鮨詰めになりながら乗り込んだ。

「少し我慢してくださいね、目的地は目と鼻の先ですから」

 そう言ってミルヤが車を発進させた。

 

 同じ頃、黒いワゴン車からとある人物が桑根井で降りた。

「では予定を変えて天臣先生は歩いて象山壕に来られるんですね?」

「ああ、少し昔巡りをする。任務は君たちだけで十分だろう。先に行った贄川さんによろしく言ってくれ」

「わかりました」

 牛は窓を閉めて車を発進させた。

 澄んだ目をした男は去っていく車を横目に周囲をくまなく見た。

「時が過ぎれば、ただの山となってしまうか。お守りも朽ちてしまった……私に残っているのはあそこだけだ」

 

 重い足取りを林の方へと向けて彼は歩き出した。

 封じていた復讐の思いを再び呼び起こすために……。

 

 

 __________________________つづく

 

 

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