ある日、噂が流れた
ペンギン急便にやって来た期待の新人ヒューストン
元マフィアで、変わり者で、かつてはテキサスのお付きをしていた男
彼は身麗しく強い美女達に囲まれ、騒いで暴れて、時々近衛局にお世話になって、ヒーローショーの主役のように活躍したかと思えば三下のような立ち振る舞いで痛い目に遭うことがたくさん合った
その彼が、ペンギン急便から消えたのだ
原因はわからない、流れて止まない噂では死んだとか彼は狂い始めていたと語る
消えてから幾月が過ぎ去り彼を見たものは居なくなった
ペンギン急便はいつものように暴れて、騒いでいるが何かが足りない、そう誰もが思っていた
テキサスはアジトで独り、整理整頓をしていた
普段はヒューストンが行ってくれていたがその彼は数ヶ月前に消えた。
あの夜から彼はおかしくなってしまったのだ。
朝起きたかと思えば何事もなかったかのようにしていた。
この事を共有ししばらく観察をしていたがすぐに異常が出てきたのだ。
苦しそうに頭を押さえ蹲ったかと思えば頭をガンガンと地面に叩きつけ始め何かあった時のために誰かが傍に、その時はエクシアが側にいたが彼の巨躯が裏目なり中々止められず治った頃には血まみれになっていた。
気絶により気を失っていたが起き上がり何事もないように振る舞う姿は狂気を帯びていた。
彼女たちは恐れた、知らぬうちに狂い始めている自分達の身内の男を。
ここは何処だ、俺は誰だと喚くこともあれば、いるはずのない人間の名を口に出したり、いつも巻いていた煙草の巻き方すらわからなくなっていた。
まるで現実と夢の境界が曖昧になり、認識する全てが歪んでいるようだった。
しばらく似たような状況が続き、周りに明確な被害を出すようになりそれを本人に伝えると最初は認めていなかったが次第に察し始め、彼は消えた。
目撃情報もなく何処かを彷徨っていると信じて、一時は仕事も放り出して探し回っていたが彼は見つからない
エンペラーからも業務に支障が出ていると警告を受けて仕事に復帰し、今度は仕事の合間に彼を探しているが結果は実らない
「これは、ヒューズの…」
埃を被ったケースには彼が煙草を作る道具一式、フィルターと紙、そして放置されて湿気ったシャグ(煙草の葉)だった
テキサスが「ん」と少し唸るようにいえばすぐに1本取り出して吸わせてくれ、無ければその場で巻いて作っていた。
最適で程よく吸いやすいシャグの量、仕上げた時の崩れない硬さ、端正な見た目、品質も管理していて安い葉であったとしても彼女にとって彼が巻いたものは至高の逸品だった。
おもむろにテキサスがフィルターと紙を机に置いてシャグをひとつまみ取り出し紙の長さに合わせて横長に敷いていく。
フィルターとシャグを載せて紙を巻き片端の一辺を舐め全体の形を整え糊付けをした。
出来は不恰好だ、シャグは多すぎたせいで空気が通りにくく火がついても吸い続けなければ消えやすく、形も崩れ不恰好で先端から湿気ったシャグが少し落ちて来ていた。
それを咥え火をつける
強く空気を送り込んで燃え上がらせ大きく紫煙を吐いた
再び咥えて吸い込むもシャグが過密すぎて空気が通らず大した量の紫煙を吐き出せない。
指で挟んで持っていると燃えている先端の灯火が消えかかる
再び強く吸い灯を大きくするが瞬く間に小さくなり、消えてしまう。
震える手を見つめると手袋に水滴が吸い込まれる
押し寄せる濁流が感情と共に涙腺を経て外へと流れ出した
止め処無く、涙が溢れ出してくる。
「うぅっ…うぅぅぅ…!」
アジトに漂う紫煙と匂いは記憶を呼び起こす
人前では、特に彼の前では絶対に出せない情けない声と、涙と、感情は止められなかった。
彼からは常に、煙草の匂いがした
本来そんな匂いなど好かれるはずもない
しかし彼だけは特別で彼を象徴するものだった。
彼と吸った煙草、彼と共に栄えた滅んだ過去、彼と共に生きていくはずだった今は、全ては白昼夢だったように、現実の世界に彼はいない
ただ、彼がいた跡が残されたことが、この世界に存在していることが彼女を深く傷つける。
「会いたい…ヒューズ…っ!」
ぐずぐずと嗚咽を漏らし独りで泣いていた
端末から着信が入る、ソラからだった
『テキサスさん、今何処に居るんですか?』
「…『海の底』に居る」
なるべく電話越しでも悟られないように平静を装うがどうやら自分で思っている程、彼女は役者ではないようだった。
『…テキサスさん…無理そうならあたしから伝えておきます…だから…』
「大丈夫だ、直ぐに向かう」
『テキサスさ━━━』
ソラが何かを言い切る前に通話を切り、煙草の材料をポーチにしまった。
人生においての人間関係なんて、世間とか世界なんて広いようで狭い
この人物を前にするとそう思う
「やぁ、元気にしてた?」
「そうとは言い切れませんよ、モスティマさん」
かつての恩人に向かって挨拶をした
彼女はモスティマ、ペンギン急便の一員で彼の命の恩人だった。
出会った時はただの偶然と気まぐれで彼女が仕事をしている時に、荒大な大地に寝転がっている男を彼女が助けたのだ。
龍門へ帰ったばかりでどうしようかと悩んでいるとなんとなく身に覚えのある男に声をかけ、思い出したのだ。
ヒューストンもエクシアから見つけたら教えて欲しい程度には話を聞いて初めて知ったのだが今はもうどうこうする気は無かった
「エクシアの姉御から聞いてはいましたが…まさかペンギン急便の一員とは知りませんでしたよ」
「まさかキミがペンギン急便に来ただなんて知らなかったよ」
「元、ですがね。何処へ?」
「うーん、安魂夜を楽しみたくてね。キミもどう?」
「残念ですがね、ちょいと問題が起きそうで」
「そっか、残念だね」
「じゃあね」と彼女は夜の灯りに照らされた、いつもよりも賑やかな龍門の街へ消えていった
時は流れ現在フェンツ運輸から社長の息子であるトランスポーターのバイソンが会社見学を行いにここ龍門までやって来たがマフィアに襲われて危機を脱しペンギン急便の助けもあってアジトの一つへと招いていた。
いつも通りの面々だったがテキサスは声をかけても生返事ばかりで心ここに在らずといった様子で呆然としていた。
その様子を見たバイソンがエクシアに声をかける。
「テキサスさんって、普段からあんな感じなんですか?」
「…ちょっと、いろいろあってさ。アタシたちも心配なんだけど、テキサスは特に重症なんだよね…」
「もしかして…噂にあった消えたメンバーの━━━」
「バイソンくん」
エクシアの先ほどまでの能天気でマイペースなテンションから打って変わって真面目な声で遮った
「それ、絶対テキサスの前で言っちゃダメだよ」
「いいね?」と念を押すように伝えると彼は無言で数回頷いた
「よし。じゃあ、どうしよっかなー。ね、ボス?」
どうするかを話し合っている最中、仕掛けられていた爆弾が起爆しアジトから脱出することになっていた
「やぁ、またあったね」
「…狙ってるわけじゃ無いでしょうね、本当に」
「そんなわけないよ。君は?」
「あるはずも無いです」
道すがらまた彼女と偶然出会ったのだ。
しかも彼は注射器を打っていた最中でそこへモスティマが現れたのだ。
注射器はロドス製のペン型の鉱石病の症状を抑制する注射器でかつて伝手として関係があった者から大量に買い込んでいたのだ。
今の自分と、鉱石病の因果関係はわからないが現状1番マシそうな薬剤を選び投与した結果、効果があったのか正気のままでいられることが多くなった。
しかし日に日に本数は増えてある程度より多くの薬剤が必要になり、長い時間正気を保つのも難しくなっていた。
「まぁ私は仕事でそろそろこっちの辺りで用があったんだけどね」
「奇遇ですね、私もそろそろこの辺で用があったんですが━━━」
ドスンッ、と大きな音を立てて何かが安魂夜のために積まれたキャンドルに落下して来た
「こいつはお任せしても?」
「うん、私はもとよりそのつもりだったしね」
「ではお願いします」
「またね」と手をひらひらと振って見送るが彼は振り返らずよろよろと立ち去っていった
「大変だね、生きるってやつはさ…特にキミはさ」
数分後落下して来たバイソンと合流し、ある程度送られてからペンギン急便のメンバーと合流するべくモスティマと行動を共にしていた
ヒューストンは人通りが少なくなった夜道で足を止めた。
前から数人の男が行手を阻み後ろ挟むように囲んだ。
「…ようやくお出ましかい」
ヒューストンはため息をついてようやく回って来た役割、喧騒の掟の外側の者として動き始めた
「運がいいですね。ここは龍門、死なずに帰れますよ…といっても、帰った後死なないとは保証しませんがね」
刺客たちが武器を構え始める
ヒューストンも構えて迎え伐つ準備はできて居るようだ
「ドン・テキサスにお目通りしたいか?俺を殺してからにしろアホども」