魔力喰らい 〜魔女の学園でただひとりの少年〜 作:緑茶わいん
突如として鳴り響いた警鐘に僕は慌てて飛び起きた。
「……また襲撃!?」
信じられない思いに襲われつつも寝間着の上をはぎ取って制服の上着を羽織る。
寝る時も手袋は外していない。
窓に駆け寄って外を見ると、魔道具による照明のお陰で空にいくつもの点が浮かんでいるのを確認。
数は十近い。
鳥系の魔獣だけであんなに。
しかも夜中の襲撃なんてさすがにまずいんじゃないか、と、背筋が冷えたところで、階下からネリーが上がってきた。
「ご主人様、無事ですか!?」
「うん、大丈夫……って、ネリー、その格好!」
白い上下の下着姿。
一応、毛布で隠してはいるけれど異性の前に出る格好じゃない。
けれど彼女は「それどころじゃありません」と言って、もう一つの寝室に繋がる扉を振り返った。
「オリアーヌ様のご無事を確認しましょう」
「そうだ、リア!」
「コレット様が駆けつけているはずなので心配ないとは思いますけど……」
ネリーは足に装着していた二本のナイフをベルトから外して、一本を僕に渡してくれる。
「護身用です」
「あ、ありがとう」
寝ている間でも着けていたのがすごい。
刃の付いた本物なんて扱えるかはわからないけど、もしも何かに襲われた時、何も持っていないよりはずっとマシだ。
僕たちはノックしてリアに呼びかけてから、反応がないのを見てドアを開けた。
瞬間、感じたのは少しぬるい夜風。
薬でも嗅がされたのか、ぐったりしたリアはもう一人の人物に抱きかかえられていて、
僕は。
予想もしていなかった光景に息を呑んだ。
いるはずのない人物がいたわけじゃない。
いて当然の人物が想像と違うことをしていたから驚いた。
「何を」
怒気を孕んだ声でネリーがうなった。
「何をしているんですか、コレット様!」
普段の穏やかな様子は微塵もなく。
仕事着の清楚な造りとは違う、袖もスカートも短めで代わりに
泣いているような、嗤っているような表情が可愛らしい顔立ちを歪めて、
「こんなことになってしまって残念です」
振り絞るような調子で呟く。
「命令が下ってしまいました。……これから、リア様を連れて向かわなければなりません」
「どこへ!? どうして、こんなことしてるんですか!?」
僕は叫んだ。
何がなんだかわからない。
わかるのは、警鐘を受けてからリアを保護しに来たようには見えないこと。むしろ準備万端整えて、魔獣の襲撃とタイミングを合わせて動き出したように見える。
けれど、それでは。
昔からリアと一緒にいて、リアから信頼されているはずの彼女が、
僕の問いにコレットさんは首を振って、
「お教えできません。明かすなと命じられておりますので」
「誰に!?」
「それも禁じられております」
次の瞬間、僕は素早く前に踏み込むネリーの背中を見た。
僅かな照明の中、きらめく金属の輝き。
抜き放たれたナイフが上司であるはずの女性に迷いなく振るわれようとして、
空気の流れ。
圧縮された空気に撃たれたのか、ネリーの身体が逆の方向──後ろに向かって吹き飛んだ。慌てて抱き留め、呆然と魔法の主を見やる。
コレットさんはリアを抱いたまま手のひらをこっちに向けている。
詠唱はなかった。手袋も指輪も装着しておらず、指でルーン文字を描いた様子もない。無詠唱で放ったにしてはさっきの風は威力が高い。ネリーだってそれなりの戦闘訓練を受け、身体強化で能力を底上げしているのに。
かなりの衝撃だったのか、呼吸を整えるのに精いっぱいのネリーを下ろして、
「……クリスさん。あなたには魔法が効きません。お願いですからこのまま、何もせず見送ってくださいませんか?」
「コレットさん。どうして。こんな魔法が使えるなら学園にだって通えたんじゃ」
学園の関係者がコレットさんを「昔の在学生」と呼ぶところは見たことがない。だから彼女がここの卒業生だということはないはず。
なら、どうして。
疑問の答えはすぐにコレットさん自身が明かしてくれた。
「特異体質なんです。コレットはあらかじめ構築した魔法を『いつでも発動できる状態で』保存しておくことができます」
「……保存」
「限界はありますし、保存した魔法を魔力に戻すことはできませんけど。その気になれば手数も速度も、そこらの魔女を上回ることができます」
彼女の体質はどこか僕やリアにも似ているように思えた。
コレットさんの場合は魔力ではなく魔法だけれど。
疑似的に実力を上回る能力を発揮できる特異体質。僕の『
偶然、じゃない。
一人で高い戦闘力を発揮できるからこそ、彼女は
「いつから」
答えと共にコレットさんが浮かべた表情は、これまで見た中で一番悲しそうだった。
「リア様のメイドになる前から、と言ったらどうしますか?」
「っ!」
駆け出す。
ナイフを左手に持ち替え、右手の手袋を外して肉薄しようとした僕は、閃く金属の輝きを見た。かわしている暇はない。左腕で庇い、激痛に顔を歪めながら前に踏み出そうとして、
──僅かな隙に、コレットさんは迷わず身を翻していた。
一瞬、セパレート式のメイド服の裾が浮いて中に着ているぴったりとしたインナーが見える。その奥に、おへそのあたりに何か輝くものがあった。
「……くっ!」
あれはなんなのか。
思考によって止まりそうになる身体を無理やり動かして窓に駆け寄る。見下ろせば、コレットさんは風の魔法を利用して二回から無事に着地するところだった。
彼女に向けて右手を突き出しかけて、首を振る。
リアを確保された状態じゃ撃てるわけがない。代わりに窓から飛び降りようとして、
「ご主人様!」
ネリーの悲鳴と、獣の咆哮。
いつの間にか侵入してきた一匹の魔獣が僕たちの追跡を阻むようにこちらを睨みつけてきた。
◇ ◇ ◇
二つの頭を持った黒い大型犬。
侵入してきた魔獣はまさに『異形』と言うべき姿をしていた。
こんな犬はもちろん自然界には存在しない。魔法によって改造を施されてこんな姿にされたんだろう。そういう意味ではこの犬も被害者だけれど、
「リアの誘拐なんて、そんなことのために……!」
追跡はいったん諦めるしかない。
万全じゃないネリーを一人置いていくわけにはいかないし、外にはまだ魔獣がいるはず。強行突破してコレットさんを止めるのはあまりにも無茶だ。
今はとにかくこいつを止める。
右手を持ち上げて魔力を速射。魔女でも見慣れていないと面食らうタイミングのはずだけど、魔獣は動揺することもなく前に飛び込んでくるようにしてそれを避けた。
迫ってくる獰猛な獣。
ギラギラした瞳と生えそろった鋭い牙に本能的な恐怖が湧く。反射的に左手に持ったナイフを叩きつけると、両方の頭が悲鳴を上げて動きを止めた。
瞬間、敵の後ろ脚にナイフが突き刺さる。落ちていたナイフをネリーが拾って投擲したのだ。怒りにうなり声を上げ、手近にいた僕に噛みつこうとするそいつ。
「攻撃すると逃げるならっ!」
僕は敢えて左手を差し出すと食い込む牙に顔をしかめながら、手袋を一緒に吹き飛ばすようにして魔力を放出。
どん、と。
内側から身体を吹き飛ばされた魔獣は白目を向いて絶命し、牙を離した。ナイフと牙。両方の傷口から血が流れるのを感じながらネリーに駆け寄って、
「ネリー、無事!?」
「じゃ、ありません! 何無茶してるんですか!? 止血と消毒をしますから、準備ができるまで腕を上にあげていてください!」
傷口を消毒してから包帯を巻き、同時進行で僕が回復魔法をかける。
「ポーションも飲んでください。回復と解毒を両方。動物は変な病気を持っていないとも限りませんから」
「早くリアを追いかけたいんだけど」
「この状況じゃ無理です。先に魔獣をなんとかしないと」
「クリス、無事!?」
治療が終わるよりも先にミシェル先輩が部屋に飛び込んできた。
彼女は室内の状況を見て「こっちもか」と顔をしかめた後、「リアは!?」と目を見開いた。
「……攫われました。コレットさんが眠らせたリアを連れていって」
「……なにそれ。それじゃまるで最初から仕組まれてたみたいじゃない」
僕の傷が落ち着き、ネリーのほうもポーションで無理やり治した後、部室に移動。
部室の前には複数の魔獣の死体が転がっていて、シビル先輩とフェリシー先輩、ララ先輩がそれを検分していた。
戻ってきた僕たちを見たシビル先輩はため息を吐いて、
「魔獣を解体して調べたかったけど、それどころじゃないのはわかった」
フェリシー先輩とララ先輩も険しい顔で立ち上がる。
「こいつらは門とは別の方向から来たんだ。前もって運び込まれたのかも」
「まだ他にもいるかもしれません。クリス君。ネリーさん。協力して警戒にあたりながら情報を共有しましょう。じきに先生も到着するはずです」
僕たちが部屋であったことを説明しおえ、さらに二体の魔獣を倒し終わるまでには教師が僕たちのところにも到着した。
マノン先生は陣頭指揮の最中ですぐにはこられないということだったけれど、代わりに戦ってくれる人が来てくれたお陰でひと息つくことができる。
「先生。学園内の状況はどうなっているのですか?」
「前回よりも多数、かつ強力な魔獣が侵入しています。一体一体であれば対処は可能ですが、数が多いために発見と掃討に時間がかかっている状況です」
「芳しくなさそう」
「いえ、そうとばかりも言えません。前回と異なり外を出歩いている生徒はいませんでした。ほぼ全員が寮で就寝していましたから防衛拠点を絞ることができます」
各門の警備兵も一時的に倍に増やし、教師も常駐させていた。
おかげで夜でも迅速に警鐘を鳴らすことができたし、数が増えたにしてはかなり門で持ちこたえることができた。
寮を守りつつ巡回して魔獣を駆逐していけば安全は確保することができる。
「……ですが、オリアーヌ殿下の誘拐は由々しき事態です」
教師が連絡を取ると程なく、マノン先生が文字通り飛んできた。
今回ばかりはさすがに彼女の顔も険しい。
「のんびりやってる場合じゃなさそうだね。ちょっと派手な手で行こうか」
僕たちはそう言った先生が空高く──学園を守る結界ギリギリまで飛翔するのを見た。
小さなマノン先生の姿はそうなると本当に小さくしか見えない。彼女はその状態から何かの魔法を学園全体に広げると、
「……うん。だいたいわかった!」
無数の光の弾が生み出されて各所へと飛んでいく。
「なんですか、あれ。クローデット様だってあんな魔法使ったの見たことないのに……」
ネリーが呆然と呟く。
それもそのはず。先生の放った光弾には追尾性能があるらしく、かわそうとした魔獣をも追いかけるようにして着弾していく。
最初に使った魔法が探知とか探査の類で、見つけた魔獣に目印をつけて一気に葬った……ん、だろうか。なんとなくそれっぽい説明をつけるだけならなんとかなるけれど、具体的にどんな魔法を使っているのかとか、本当にそんなことが可能なのかはわからない。
「さ。これでほとんど潰したはずだから、後は他の先生たちでもなんとかなるでしょ」
最初からそうすればいい、とならないのはあれだけの魔法を使ったら魔力が激減してしまうからだ。
生徒の安全はほぼ確保できていたし、さらなる緊急事態が来ないとも限らないのだから、魔力はできるだけ温存しておくべき。
ただ、リアがさらわれた今は十分に緊急事態なのでそんなことを言っている場合じゃない。
「ひとまず、クリスちゃんたちから詳しい話を聞いた後で敵地に乗り込もうか」
そう言ったマノン先生はすでにだいたい犯人の目ぼしがついているようだった。
部室に入り、少しでも体力を回復させるためにも座って事情を話す。その間にネリーがお茶を入れてくれた。気が急くのは確かだけれど、ずっとピリピリしているよりは少し落ち着いた方がいざという時に実力を発揮できるはずだ。
「なるほどね。……コレットちゃんが切り札だったか」
「切り札?」
「とっておきの支配の魔法を仕込んでたんだと思う。魔道具じゃなくて、たぶん身体に直接刻み込んでたんだろうね」
身体に直接、なんて女性にすることじゃない。
犯人の悪辣さにも苛立つけれど……支配、ということは。
「やっぱり、リアをさらったのは」
「『支配の魔女』イヴォンヌ・マルチノンだろうね。立場を追われるのを予想してやぶれかぶれの一手に出てきたのかな」
だとすれば、リアがいるのはたぶん、魔法院だ。