魔力喰らい 〜魔女の学園でただひとりの少年〜   作:緑茶わいん

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公爵家での日々 4

「《水よ》」

 

 魔法語の発声に応じて変換された魔力が僕の手のひらから放出されて──。

 

 だばあ。

 

 バケツをひっくり返したような量の水が()()へと落ちた。

 浴槽内にはもうかなりの量が溜まっていて、この練習が何度も繰り返されたことを物語っている。

 家庭教師を務める初老女性は浮かない顔の僕を見て一言、

 

「やはり、クリス様は力の調節に難がおありのようですね」

「……はい」

 

 身に覚えがたくさんある僕は、彼女の言葉にがっくりと肩を落とした。

 

 ──本格的に始まった魔法訓練。

 

 今まで僕が使ってきた魔法は初歩の初歩である魔力放出と身体強化、治癒魔法。

 肉弾戦を補助するものと、それから無理やり魔法による攻撃をするためのものがほとんどで、火や水、風を出すような魔法はほとんど使ってこなかった。

 学園の授業でも練習はしていて、その中でもうすうす気づいてはいた欠点がこうして練習を始めていよいよ浮き彫りになった。

 

 水を出そうとすればどばっと出るし、火を出せば周りに燃え移りそうになる。

 

「魔力も操作能力も強すぎて細かい調節が上手くできない、ですか。……贅沢すぎる悩みですね」

「だよね」

 

 一日の勉強を終え、ネリーに入浴を手伝ってもらいながら専属メイドの呆れ声に僕は応じた。

 せっかくなので溜めた水をそのまま沸かして再利用している。色んな意味で浴室を練習場所にしたのは正解だった。

 

「だから逆に魔力放出には向いてるみたいなんだけど」

「豊富な魔力に任せて垂れ流しているだけ、ってことですよね」

「そうなんだよね」

 

 じゃあネリーはどうなのかと尋ねてみると、

 

「私はそれほど魔力が多くありませんから、常に全開にしていては枯渇してしまいます。自然と魔力調節は上手くなりました」

 

 調節と言っても単に出力を絞るだけじゃなくて、例えば身体強化だと、身体の一部分だけを重点的に強化するとか、瞬間的に強弱を変化させて最大限の効果を狙うとかいろいろある。

 こうやって工夫を重ねることによって同じ魔力消費量でも挙げられる成果はぐっと変わる。

 

「必要に迫られていないのなら意識的に回数を重ねるしかないんじゃないですか?」

「やっぱりそうだよね」

 

 何事も反復練習が大事。

 魔法語の理解なんかも並行して深めていかないとだけど、吐き出す魔力を絞れるようにならないと「効果が強すぎる」状況は根本的に解決しない。

 バケツをひっくり返すように魔力を使うんじゃなくてボトルから液体を注ぐくらいに、そしてゆくゆくはスポイトから水を垂らすような調節能力に。

 

「……魔力が大きい人はみんなこういう苦労をしてるのかな?」

「そうですね。お嬢様も以前は苦労されていたかと」

 

 フランシーヌはリアを除けばトップレベルの魔力持ちだ。

 強力な攻撃魔法を軽々扱える理由の中には技術や才能だけでなく豊富な魔力量ももちろんある。

 

「一応、コツとかないか聞いてみようかな」

 

 

   ◇    ◇    ◇

 

 

「魔力調節のコツ? ……そうね。やっぱりイメージかしら」

 

 入浴後、楽な服装(と言ってもドレスだけど)に着替えての夕食時、それとなく尋ねてみるとそんな答えが返ってくる。

 

「イメージ?」

「魔法を使う際には目的があるでしょう? 明確にそれを思い描くの。失敗なんて公爵家の娘には相応しくないでしょう?」

「つまり根性で成功させたってこと?」

「馬鹿にするつもりならアドバイスを止めましょうか」

 

 じろりと睨まれたので「ごめん」と謝る。

 

「まったく。……結果を明確に思い描けば理想との差異がわかりやすくなるでしょう? お陰で私は必要量を超えて魔力を費やそうとする自分を抑え込めるようになりました」

「フランシーヌはクローデットに似て強気なところがあるからね。昔は『大きい成果が挙がる分には構わないでしょう?』ってよく言ってたっけ」

「お父様! 昔の話は止めてくださいませ!」

「ごめんごめん。でも、いいじゃないか。クリスはもう家族の一員なんだし」

 

 クローデットが魔法院で忙しくしている分、サミュエルさんは極力、夕食を僕たちと一緒に摂るようにしてくれている。

 当主はなるべく家にいる方がいい。

 優秀な魔女が家の当主にならないのはこういう時のためもある。

 

「ルシィは魔力の調節に苦労していないようだね?」

「はい。……私はどちらかというと小さくしすぎてしまうので」

「そうなんだ。やっぱり性格が出るのかな」

「だとすると、貴方は非常識なほど大雑把、ということになるけれど?」

「そう言われるとぐうの音も出ないよ」

 

 村で暮らしていた頃はその辺を走り回って遊んだり、取っ組み合いの喧嘩をするのも普通だったし、この前ニーナの家で食べたような庶民的な食事にも慣れている。

 貴族的、女性的な繊細さとは無縁だったのも大きいかもしれない──。

 

「あ。なら、着飾った状態で練習してみようかな」

「形から入って自制を促す、ということかしら。でも貴方、ドレスにはもう慣れているでしょう?」

「まだまだ慣れにはほど遠いつもりだけど……」

 

 確かに、このところ日常的に着ているので非日常感は薄いかもしれない。

 できればもう一押し。鏡の前で練習するとか? それとも、

 

「でしたらクリス様。コレットにいい考えがあるのですが」

「……コレットさんの名案だとちょっと不安になるのはどうしてでしょうか」

「ご安心ください。難しいことは必要ありません」

 

 微笑んだコレットさんは僕の目を見てこう言った。

 

「お化粧をしましょう。そうすればより女性らしさが身に着きます」

 

 

   ◇    ◇    ◇

 

 

 と、いうわけで。

 夕食後、僕はさっそく自室にある鏡台の前に座らされた。

 男の子の部屋にどうしてこんなものがあるのか。貴族は男性でも身嗜みは大事だし、場合によっては化粧をすることもあるから……という以上に、僕の場合使う機会が多いだろうから、というのが大きい。

 鏡台にはあらかじめ一通りの化粧品が用意されている。

 もちろん、そのほとんどは女性向け。母さんも化粧はしていたけれど、使っていたのは野草や花を利用した素朴なものだったので貴族が使うちゃんとした化粧品を見るのはほぼ初めてだ。

 

「では、始めさせていただきますね、クリス様」

 

 発案者として僕を化粧を施す役に立候補したコレットさんがわくわくした様子で宣言する。

 彼女の後ろ、少し離れたところにはネリー、シャル、カミュの他にリアとフランシーヌ、ルシールまで揃っている。

 僕が化粧するところを見たい、とみんなしてやってきたのだ。

 

「……あの、リアに見られるのはさすがに恥ずかしいというか」

「申し訳ありません、クリス様。ですが、コレットがここにいる以上、離れない方が安全ですので」

「っていう建前、じゃない?」

「正直に申し上げますと、わたくしも是非、お化粧をしたクリス様を見てみたいです」

 

 恥ずかしそうに答える少女。その可愛さについどきっとしてしまう僕だけど、その代価が「化粧をしたところを見せる」なのはなかなかに重い。

 

「あの、コレットさん? というか今、化粧をしてもあんまり魔法の練習はできない気が」

「問題ありません。要は女性らしさをクリス様が身に着ければ良いのでしょう? でしたらお化粧に慣れるのが一番です」

 

 さらに彼女は耳元でそっと囁いてきて、

 

「恋人に見られるのが気恥ずかしい、ということであればむしろ良い兆候です。恋する乙女と同じ思考ではありませんか」

「いや、乙女って──」

 

 からかわれたせいで余計に恥ずかしくなってきた。

 ただ、こうやって真っ赤になっている自分は確かに慎みが強い状態といえる。

 控えめな振る舞いを身に着ければ自然と大雑把な部分が改善されるかもしれない。

 

「わかりました。やってください」

「ええ。そうこなくては。コレット、構わないから思いきりやりなさい」

「公爵家長女様の了承も得られましたので、このコレット、存分に腕を奮わせていただきます」

 

 コレットさんの化粧技術はまるで魔法のようだった。

 てきぱきと、腕が二本しかないとはとても思えないスピードで粉や紅を操って僕の顔に施していく。

 それでいて慌ただしさは感じないのだから不思議としか言いようがない。

 さらに、

 

「クリス様、一段と肌が白くなられたのではありませんか?」

 

 要所でそんな風に囁いてくるのだからたまらない。

 慣れない匂いが肌にまとわりつく感覚に落ち着かない気持ちになると共に、ちょっとした化粧で自分の顔が大きく変化していく光景に息を呑む。

 後ろでも女性陣がほう、と息を吐いているのがわかる。

 

「さすが、王女付きのメイドね。素晴らしい手際だわ」

「恐れ入ります。公爵家でお化粧を専門にしている方には到底敵わないかと存じますが」

 

 やがてコレットさんが完成を宣言すると、

 

「いかがですか、クリス様? 生まれ変わった気分は?」

「はい。その、生まれ変わった、っていうのが誇張じゃないような気がします」

 

 鏡の前に座っているのはドレスを着た一人の令嬢だった。

 地味めの目鼻立ちが強調され、紅によって唇の色がより色づいている。もともとあまり目立つ方ではない喉仏もさらに目立たないように隠されていて、男の子らしい部分を見つける方が難しいくらいに、僕は「女の子」になっていた。

 これにルシールがはしゃいだ様子で、

 

「綺麗です、お兄様! ……いえ、やっぱりお姉様のほうがいいですよね?」

 

 姉、と呼ばれた瞬間に背中をぞくっとしたものが走る。

 くすりと笑ったフランシーヌが僕に近づきながら、

 

「そうね。……ねえ、クリス? 今度一緒にお茶をしましょうか。もちろんお化粧をした状態で」

 

 振り返った令嬢が「オリアーヌ様もいかがですか?」と尋ねると、リアはにっこりと微笑んで、

 

「是非参加させてください。……クリス様、とても素敵です。わたくしは素顔ももちろん好きですが、化粧を施したクリス様もより一層美しくて見惚れてしまいそうです」

「そんな。リアのほうがずっと美人だし」

 

 この場において僕以外で唯一、男性のシャルでさえ女装した姿。

 実質的に女の子に囲まれた状態の僕は胸の奥が温かいような苦しいような不思議な感覚を覚えた。

 誤魔化すように浮かべた照れ笑いも女の子が恥ずかしそうにしているようにしか見えない。代わりに腕を持ち上げてみても、いつも通りの力が入らずゆっくりと遠慮がちな動作になった。

 

「あら。思った以上に効果があるみたいね?」

「……こんな状態でいたら自分が女の子だって勘違いしそうだよ」

「別にいいじゃない。いっそのこと女の子になってしまえば」

 

 フランシーヌの甘い囁き。普段の僕には絶対こんなに優しくしてくれないくせに。

 僕は答えを口にするのを避け、代わりに唇から魔法語を紡いだ。

 

「《風よ》」

 

 生まれたのは僕たちの髪を軽く揺らす程度の微風。

 コレットさんとリアが同時ににこりと笑って、

 

「おめでとうございます、クリス様。成功ですね」

「……成功、したんですね。本当に」

 

 僕は信じられない気持ちで自分の手のひらを見つめた。調子がいいというかなんというか。たったこれだけのことでこんなに変わるとは。

 

「本当、妬ましいくらいの才能ね」

 

 呆然としているうちに気づくと令嬢の顔はすぐ近くにあった。

 キスできそうな距離にいるフランシーヌは瞳を燃えるように揺らめかせている。ルシールとの関係を戻し、丸くなった彼女だけれどプライドの高さは変わっていない。不必要な嫉妬を抑え込めるようになっただけで胸の内には依然として熱い感情がある。

 

「いっそのこと常にそうしていたらどう? 礼儀作法の勉強も捗るんじゃないかしら」

「それもいいかもね」

 

 答えて、僕は鏡の中の自分を振り返った。

 母親似だとはいろんな人に言われていたけれど、こうしてみると特に母さんの面影がよくわかる。

 綺麗で優しくて温かかった母さん。

 もう少し成長したらもっと似てくるだろうか。男としてはどうかと思うけど、大好きで憧れでもある母さんに似るのならそれもいいと思った。

 

「そうだ。空を飛ぶ魔法を練習してみようかな」

 

 母さんが練習していのは学園に入学するより前、僕よりももっと幼い頃だ。

 少しでも母さんに近づくためにも今こそ試してみたいと思った。

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