魔力喰らい 〜魔女の学園でただひとりの少年〜 作:緑茶わいん
「《浮かべ》──っ!?」
魔法語の発声と共に僕の身体がぐっと浮かび上がって「わわっ!?」勢い余ってバランスが崩れた。
集中が乱れたことで身体が落下、僕は芝生の上に尻もちをついた。
「……いたた」
苦笑しつつ、スカートに覆われたお尻を撫でていると、傍に控えてくれていたネリーが呆れ顔で、
「ご主人様、これで何度目の失敗だと思ってるんですか? ドレスが土だらけになっています」
「あはは。……ごめんなさい」
これにはさすがに平謝りだ。
中庭の練習場は芝生に覆われているものの、その下は土だ。フランシーヌが燃やしたりリアが土を抉ったりするのもあってむき出しの場所もある。さっきみたいに尻もちをつくようなことが続くとどうしても服を汚してしまう。
女の子らしくすることが魔力量の調節に役立つ。
新しい発見に気を良くした僕は「空を飛んでやろう」と次の日から練習を始めたのだけれど、さすが、この魔法は難易度が違った。
空を飛べたら気持ちいいだろうな、という憧れも手伝ってついつい力が入ってしまう。
化粧(毎回コレットさんに頼むのは申し訳ないのでネリーたちにお願いした)で気分を抑えていなかったらいったんどんなひどいことになっていたか。
「空の向こうまで飛んで行ったりとか──」
「さすがに死にかねないので自重してください」
「はい」
割と真顔で言われたので神妙に頷く。
母さんも最初はあっちに行ったりこっちに行ったりしてたみたいだけど……うん、屋敷の庭でこんなことしてたらお転婆お嬢様にしか見えない。
「うーん。考え方は合ってると思うんだけどなあ」
「それももう何度も聞きました。今日はそろそろ日が暮れますので、切り上げて入浴にいたしましょう」
「そうだね」
休日以外はあまり自主練に時間が取れない。
空いている時間は勉強が終わった後、入浴や夕食までの僅かな間くらいだ。でも、せっかくだからと外に出てはドレスを土で汚している。
後はまた明日にしよう。
お風呂で身体を洗ってもらいながら「今度はこうしてみようか」と考えるのを何度か繰り返して──やってきた休日。
「それで、少しは飛べるようになったのかしら?」
「フランシーヌ様、あまりクリス様を焦らせないでくださいませ」
「お兄様、頑張ってくださいね」
リアたちと一緒に中庭に出た僕は今日こそはと意気込んでいた。
フランシーヌから譲ってもらった余所行き用のドレスの一着を身に纏い、顔にはしっかり化粧をして。
ついでに靴もヒールのついた女の子用のものを選んでみた。
動きにくいことこの上ない。とてもじゃないけど白兵戦はしたくない格好だけれど、お陰で気分は強制的に落ち着く。
「化粧をした貴方の顔もさすがに見慣れてきたわ」
「そっか。僕はまだまだ慣れないかな」
義姉の言葉に応えた僕は「それで」と本題を切り出して、
「もう一つ、試してみたいことがあるんだけど……誰か、僕に抱かれてくれないかな?」
「だ……っ!?」
紅髪の公爵令嬢が真っ赤になった。
どこからともなく取り出された扇子の先が僕を向いて、まさか炎が飛び出すんじゃ、と思ったところで、
「貴方、紛らわしい言い方は止めなさい……!」
「つまり、私たちを抱っこしたいんですよね、お兄様?」
「うん。……駄目かな?」
フランシーヌがどういう勘違いをしたのかは考えない。というか、だいたい想像はつくけれど、まさかこんなところでそんなことを言うはずがない。
令嬢も気を取り直したのかこほんと咳ばらいをして、
「別に構いませんけれど、私は嫌よ」
「では、わたくしが」
進み出たのはリア。僕としてもそれが一番いいかな、とは思っていたけれど、
「待ってください。オリアーヌ様にもしものことがあったら、クリス、貴方責任を取れるのかしら?」
「……取れない」
この場合の責任は「結婚します」という意味じゃない。怪我を跡形もなく消し去る準備くらいはあるんだろうな? という意味だ。
これにはコレットさんも苦笑いで「できれば遠慮していただきたいです」と口にした。
「クリス様でしたら大丈夫だと思うのですが……」
「万が一があります。ここは止めておいたほうがいいかと」
「じゃあ、私がやります!」
代わりに立候補してくれたのはルシールだった。
「まあ、ルシィなら身体も軽いですし、落ちても大きな怪我はしないでしょうけれど……」
「大丈夫。私、お兄様を信じてるもの」
曇りない瞳でそう告げられると「絶対成功させなくちゃ」という気になってくる。
あまり気負い過ぎるとまた失敗してしまうので意気込みは自制心に変換して、
「ルシール、協力してくれる?」
「はい。抱っこしてください、お兄様」
僕は少女の傍で身を屈めると、ルシールの背中と腰へ腕を回した。
軽い。二歳の差と少女の華奢さに驚きながら横抱き、あるいはお姫様抱っこの体制になる。
これ、実際やってみるとものすごく顔が近い。
吐息がかかりそうな距離にルシールの唇があるのを見て「リアにお願いしなくてよかった」と心から思う。どきどきして魔法どころじゃなくなっていた気がする。
「それで、お兄様。これでどうするんですか?」
「うん。これなら絶対無茶はできないから、ゆっくり飛べると思うんだ」
重要なのはイメージ。
飛ぶことよりもまず浮かぶこと。それから浮かんだ時に姿勢が崩れないこと。
考えた対策は自分の身体に直接風を受けるんじゃなくて、乗り物──例えば馬車に乗るような感じで浮き上がることだ。
「《風よ包め》」
周りの空気の流れで変わって、僕とルシールを包む見えない球のようなものが出来上がっていく。
外の音が聞こえづらくなって、代わりに義妹の呼吸音がクリアに聞こえる。
ルシールがかすかに頬を紅潮させながら僕を見つめる中、
「《浮かべ》」
魔力は最小限。
僕たちは球に包まれたまま、ふわり、ゆっくりと浮かび上がった。
「わあ……!」
少女の歓声。僕も成功した喜びから微笑を返す。
そのまま魔法を制御し、身長の半分くらいまで浮かび上がってから今度はゆっくりと降りた。風の球も解除したらルシールを地面に降ろしてやる。
足をつけた瞬間、少し名残惜しそうな表情を浮かべた少女は僕の顔を見上げて、
「おめでとうございますお兄様。成功ですねっ!」
「うん、ありがとうルシール。おかげでうまくいったよ」
「えへへ。お役に立てたならよかったです」
はにかむ少女。つま先立ちになって、青い色の瞳がまた少し近くなる。
なんとなく「頭を撫でて欲しい」んだというのはわかったけど、いいのかな? 戸惑う僕に「好きにしなさい」とフランシーヌが言って、
「じゃあ。……はい」
僕は可愛らしい義理の妹の髪をそっと撫でた。
目を細めたルシールは小さく吐息を漏らして、
「お兄様はお兄様で、それからお姉様ですね」
深い意味はわからないながらも、僕はそれに「そうかもね」と答えた。
「おめでとうございます、クリス様。……これで、練習は捗りそうですか?」
「うん。一度成功できれば感覚が掴めるから、ぐっと楽になると思う」
リアは「そうですか」と優しく微笑んで、
「では、わたくしの身を預けても問題ありませんか?」
「いや、えっと、その。それはちょっと難しいかも」
しどろもどろに答えると少女は少し頬を膨らませて僕に近づき、
「義妹であるルシールさんは良くて、恋人であるわたくしはだめなのですか?」
「だって、リアは恋人だからほら、どきどきしちゃうし」
「それは嬉しいですけれど、仲間外れにされたみたいで悔しいです」
たまにリアはこうやって子供っぽくなる。それだけ僕に素の表情を見せてくれているんだと思うと嬉しい反面、どうしていいか困る時もあって、
ため息をついた義姉が「では、こうしましょう」と助け船を出してくれた。
「先に私で慣れなさい。その後にオリアーヌ様を運んで差し上げなさい」
訂正。助け船というより死刑宣告だった。
「役目が増えてるんだけど……!?」
「オリアーヌ様の安全を保証するにはまだ訓練が必要でしょう? 一応、先ほどの魔法で最低限の信頼はできそうですし」
「なるほど。ではコレットも協力いたします!」
「お嬢様やコレット様なら落ちても大丈夫ですしね」
なぜかコレットさんやネリーまで僕を殺しに来たので、僕は泣く泣く──というか嬉しくはあるものの、嬉しいだけにプレッシャーのかかる「女の子を抱いて空を飛ぶ」という行為を繰り返すことになった。
ただ、その甲斐あってか魔法は劇的に上達。
ちょっと準備に時間がかかるものの、僕は空に浮かんで移動できるようになった。
「自分一人なら高速でも飛べると思うんだけど……」
「高いところから落ちたら人は死ぬんですから十分注意してください」
「わ、わかってるよ」
浮かんだ状態での移動に慣れたら今度はある程度の高さで浮遊を解除して、地面につくまでに再展開する練習が必要になった。
あと受け身を取る練習。
高いところから落ちる、ってわりと本当にどうしようもないので対策は必要だ。
もし、魔法で高いところに一瞬で移動させられる、なんてことがあったら最強なんじゃないかと思ったけど、
「転移なんて超高難度の魔法よ? しかも他人を飛ばすなら猶更。それに、少なくとも貴方には効かないでしょう」
「それもそうか」
距離に応じて難易度も上がるので自分で使うにしても現実的じゃない。
移動したいだけなら空を飛ぶ方がよほどマシだということで、僕は忙しい中、暇を見つけては練習に励んだ。
そうして、あっという間に夏が過ぎて。
◇ ◇ ◇
フランシーヌの誕生パーティは賑やかに行われた。
パーティには僕もドレスを着て参加。普段着用のドレス以上に華やかでひらひらしたそれを「礼儀作法の実地試験」だと思って必死に着こなしながら会場の隅で笑顔を作る。
僕のお披露目は冬だし、主役はフランシーヌなので目立つ必要もない。
と、思っていたら王女であるリアが色んな人から話しかけられるので僕だけ隅っこにいるわけにもいかなくなった。
頑としてわき役を気取っても向こうから「挨拶がしたい」と寄ってくるし、これから公爵家の子供として、リアの交際相手としてやっていくうえでは避けて通れない道だ。
家庭教師の先生が教えてくれたことを思い出しつつ当たり障りのない受け答えを心がけ、同時に相手の顔を一生懸命記憶。
助かったのは学園の同級生も参加していたことだ。
知っている子供がいれば親はセットで覚えられる。ついでにシビル先輩やフェリシー先輩、ミシェル先輩もお呼ばれしていたので挨拶した。
「先輩たちもこういうところに来るんですね」
「学園の在校生だからね。少しでも縁があるからって呼ばれたんだよ」
「それより少年。ドレスを着てお化粧までしてるなんて、私たちを殺す気?」
「確かに、クリス君の晴れ着姿は眼福ですね」
「や、やめてください」
慣れている人からは「可愛い」と褒められ、初対面の相手からは「本当に男子?」と疑われる。
恒例になったやり取りに四苦八苦した僕は冬のお披露目を前に貴族社会の大変さを思い知った。まあ、おかげで本番に初対面になる相手はぐっと少なくなったので、そこを喜んでおく。
◇ ◇ ◇
長いと思っていた夏休みは残り数日になった。
少なくとも一日は部屋の整理などに充てたいので、僕たちは最終日の前日に学園へと戻ることに。
前の日の夜は家族でのささやかな宴が開かれ、いつもより豪勢な料理と共に僕たちの英気を養ってくれた。
「夏の間、フランシーヌもクリスもよく頑張ったね。フランシーヌはまた一段と腕を上げたし、クリスも初めて会った時よりずっと素敵になった」
クローデットはなおも忙しい日々が続いており、顔を見せられるのは明日の朝になってしまうとのことだったけれど、そのぶんサミュエルさんが僕たちを褒めてくれた。
「君たちなら学園に戻っても活躍間違いなしだろう。心配はしていないけれど、くれぐれも無理だけはしないようにね」
「かしこまりました、お父様。公爵家の名に恥じぬ結果を残すと共に、笑顔でまた屋敷に戻ってくるとお約束いたします」
「僕もお屋敷で教えていただいたことを忘れず、精一杯励みます」
学園には引き続きネリーとコレットさんが来てくれるほか、シャルとカミュも定期的に顔を見せてくれることになった。
僕とリアの世話をするのにメイドが二人だけでは辛いだろうという配慮だ。
人が増えると気楽に過ごせなくなると思う反面、とてもありがたくもある。護衛という意味でも多いにこしたことはないし。
「もう行ってしまうんですね。お姉様とももっとお話したいですし、お兄様ともせっかく仲良くなれたのに」
「また冬には戻ってくるわ。クリスと一緒にね」
「うん。その頃にはルシールの魔法ももっと上手になっているんだろうな」
「絶対ですよ。約束ですからね?」
いい人たちばかりの公爵家から離れるのは名残惜しいけれど、まだまだ学びたいことは多い。
自室のベッドで最後の一夜を過ごした僕は、次の日の午前中、見送りの人たちと一緒に屋敷の前に立った。