魔力喰らい 〜魔女の学園でただひとりの少年〜 作:緑茶わいん
「この二月、研鑽を怠ってはいなかったようですね」
早朝に戻ってきたというクローデット・フォンタニエはその美貌に疲れを表さず、いつもの淡々とした表情を浮かべて僕たちを見つめた。
フランシーヌは僕の隣で胸を張っている。
フランシーヌも僕も、逆隣にいるリアも制服姿。久しぶりに身を包むと動きやすさに配慮されているのがよくわかる。可愛らしくは造られていてもドレスとは大違いだ。
それでも、夏の間みっちりと鍛えられた経験は生きている。
前より背筋は伸びているし、スカートが翻らないように動くのも上手くなった。今ならカーテシーだってそれなりにはこなせる。
「学園へ戻っても公爵家の子としての心構えを忘れず、引き続き励みなさい」
「はい、お母様」
クローデットの言葉を聞いて「こういうやり取りを何度もしてきたんだろうな」と思う。
母親がこうして厳しく躾けてきたからこそフランシーヌは一時期潰れそうになったし、同時にここまで努力してこられた。
良いところも悪いところもある。
少なくとも僕たちがクローデット・フォンタニエへ追いつくにはまだまだ経験も努力も足りない。
「クリスも。学園内では貴方も立派な戦力です。オリアーヌ様をしっかりとお守りするように」
「はい」
深く頷いて答えると、クローデットも同じように頷いて、僕たちへ一歩、近づいてきた。
僕とフランシーヌの手が取られる。
女性の手の柔らかさに気恥ずかしいものを感じた僕はついフランシーヌと目配せをしあい、恥ずかしくなったらしい令嬢に睨まれてしまう。
「では、また。次に会えるのは先の話になるかもしれませんが、その時を楽しみにしています」
思えば、母さん以外の「母親」の姿をじっくり見るのは初めてだ。
昔のことを思い出して少し涙ぐんでしまいそうになりながら紅の瞳を見返して──ルシールの「二人ともずるいです!」という声に思わず吹き出した。
リアまで微笑んだので、当の義妹は頬を膨らませてしまったものの、クローデットが頭を撫でたことで機嫌を直す。屋敷で過ごす彼女はクローデットにも定期的に会えるだろうし、サミュエルさんもいるのでそんなに寂しくはないはずだ。
「お姉様、お兄様。たまには帰ってきてくださっても良いんですからね?」
「考えておくわ」
「そうだね。フランシーヌと相談するよ」
話を始めるといくらでも話せそうな気がしてしまうけれど、いつまでも馬車を待たせるのも悪い。
意識して挨拶を打ち切ると僕たちは馬車のある方向──門の方を振り返って。
「……あれは?」
最初に、令嬢が呟いた。
彼女の視線を追うことで僕もようやく気付く。
門の方から歩いてくる白い人影が一つ。
歩き方からおそらく女性だろうとわかる。
白いフード付きのコートで全身を覆っていて顔は見えない。夏の終わりでまだ暑いというのに、彼女の姿からは違和感が薄い。
まるで、意図的に違和感を打ち消されているかのように。
その証拠に、屋敷の前には見送りに出てきた使用人がたくさんいるというのに、誰もが大きな反応を示していない。「あれは誰だろう?」みたいな表情を浮かべるだけで見過ごしていて、それがさらに彼女(?)を放置させる理由を作っている。
フードからかすかに覗く髪の色は、紺。
「止まりなさい。フォンタニエ公爵家に何の用があるのか、フードを取って今すぐ説明を」
懐かしい色合いに胸の奥が刺激されるのとほぼ同時に、クローデットが声を上げていた。
使用人たちがその声に目を覚まされたかのように動きだし、僕たちを守るように進み出る。それでも謎の人物は動じた様子もなく穏やかに声を上げた。
「そんなに怖い顔をしないで、クローデット。久しぶりに会いたくなっただけなんだから」
細い指でさっとフードが取り払われると、そこには。
「……母さん」
「……シルヴェール・レルネ」
三十代後半にさしかかっているはずなのにまだまだ衰えを見せない美貌。
華のあるクローデットに比べると地味だけれど、よく見ると整った顔立ち。みんなが言っていた通り僕にも似ているし、同時に僕にはない人を惹きつける不思議な魅力のようなものも備えている。
畑仕事や料理もしていたはずなのに白い肌には傷ひとつなくて、それが魔力のおかげだったことが今の僕にはわかる。
間違いない。
三年半。
毎日のように思い出して、会いたいと思っていた人──シルヴェール・レルネ、母さんが確かにそこにいて、僕たちに向けて微笑んでいた。
声もあの頃のままだ。
「クリスも、久しぶり。元気そうで良かった」
名前を呼ばれただけで胸が締め付けられるように疼いて泣き出しそうになる。
僕は、そしてクローデットは、まるで引き寄せられるように手を伸ばして、
紅蓮の炎が母さんの身体を包み込むと同時に、全力の魔力攻撃が胸の中心を貫いた。
「……え?」
呆然と声を上げたのは果たして誰だったか。
リアも、フランシーヌも、ルシールも状況を理解できずにぽかんとしている。コレットさんだけは隠し武器を抜いて身構えているけれど、ネリーを含む他の使用人たちも「どうしていいかわからない」という表情で固まってしまっていた。
どうやって入ってきたのかもわからない侵入者が現れたかと思ったら僕やクローデットとゆかりの深い人物で、しかもその人物と
でも、僕たちにとっては当然のこと。
もしもいつか「こういうこと」があったらそうしようとあらかじめ決めていた。
『クリスちゃんたちの前にシルちゃんが現れることがあったら、それは確実にシルちゃんじゃないからね』
マノン先生からも言われていたことだ。
乗っ取られているのか、それとも誰かが成りすましているのか。どちらにしても母さんが母さんのまま、僕たちの前に戻ってくることはありえない。
九分九厘、あるいはそれ以上の確率で敵がなんらかの目的で近づいてきたと見て良い。
前々から覚悟していたからギリギリで動けた。そうじゃなかったら泣き崩れてなにもできなかったかもしれない。
けれど。
「いきなり攻撃してくるなんて。もしかして二人とも、私の顔を忘れちゃった?」
母さんは、いや、母さんの姿をした何者かは無傷だった。
ばさっとコートが脱ぎ捨てられると同時に炎が消え、魔力光に貫かれたはずの胸になんの影響もなかったことがはっきりと晒される。
笑顔を浮かべたシルヴェール・レルネはあくまでも自然体で、それがどうしようもなく怖い。
舌打ちをしたクローデットがこつんと靴音を鳴らせば、地面から形成された何本もの鎖が生まれた傍から砕け、空中に生み出された光弾が同数の光弾によってあっさりと撃墜されていく。
「クリス!」
クローデットの声に押し出されるように前に出た僕は身体強化を全開にして直接接触を狙うも、飛び出した僕の身体を強烈な風が叩いた。
一瞬目の前が真っ白になり、前身の勢いがまともに殺される。
そこへさらに小さな風のつぶてが無数に襲ってきて僕を弾き飛ばした。後退する僕をネリーが慌てて受け止めてくれる。
「奥様! ご主人様! これは一体なんなんですか!?」
「賊よ。全身、命を賭けて挑みなさい。公爵家の名にかけて、国のために逃がしてはなりません」
「賊だなんて。この身体は正真正銘、
母さん(?)の服の袖から短い杖が現れたかと思うと、そこから放たれた光弾が使用人たちを次々と撃つ。
一撃で絶命させるほどの威力はなかったみたいだけど、護身の訓練は最低限施されているはずの使用人たちは次々と膝をつき、あるいは倒れた。
胸、肩、腕、足、たった一発の光弾は、けれど身体の重要部位をしっかりと撃ち抜いていて、彼女たちの戦闘能力を奪っている。
「クローデット!」
「旦那様は後ろへ! 加勢は無意味です!」
「そうね。……ここにいる全員で束になっても私には敵わないもの」
残る戦力は僕、クローデット、リア、フランシーヌ、ネリー、コレットさんだけ。
フランシーヌはルシールを庇って動けないし、リアもコレットさんからクロスボウを受け取りはしたものの、相手の格の違いにどうしていいかわからない様子だ。
彼女の言ったこともあながち嘘とは言えない。
「『永遠の魔女』」
もうこうなった以上、隠しておく意味はない。
クローデットは堂々とその名前を口にし、母さんの姿をした敵を見据えた。
「何故、今になって姿を現した。狙いはオリアーヌ様の身体か」
母さん、いや、魔女はその問いにくすくすと笑い声を上げて、
「再生に時間がかかったからよ。おかげで随分と時間を取られちゃった」
「再生……?」
「マノンから内密に報告を受けています。シルヴェールの遺体を埋葬した墓に、最近になって掘り返されたような跡があったと」
僕たちに伝えるにしても確証がないと伏せていたらしい。
つまり、
「肉片になっても生きていて、しかも再生するとは。伝説は誇張ではないと」
「ええ。『永遠の魔女』は不滅よ。たとえどんな魔女であろうとも私を滅することはできない」
ここで母さんは僕を見た。
さっきの慈しむような様子はまるでない、冷たい視線。
「ただ一人『
「オリアーヌ様の前にクリスを排除するつもりか」
「苦し紛れの精神防御は何の意味もないけれど、ね」
短杖から再び光弾が飛び出してリアの四肢を撃ち、正確に精神防御の
「便利ね、これ。その弓の話を聞いて私なりに作ったの」
「……やはり、シルヴェールの知識を」
「そうよ。忌々しいこの子のせいで随分遠回りをさせられたけれど、今はこの身体を完全に掌握している。数百年のブランクを埋めるのにこの子の才能と知識は最適だった」
やっぱり、『永遠の魔女』は乗っ取った相手の記憶や知識さえも奪うことができるらしい。
母さんのおかげで彼女を抑え込めていたわけだけど、こうなってしまうと逆に最悪だ。魔法においても魔道具製作においても非凡な才能を持っていた母さんの能力に伝説的な最強の魔女の能力が重なってしまった。
魔女が才能だけで振るっていた各種魔法は母さんの知識によって最適化されてさらなる力を発揮する。
せめてもの救いは母さんの魔力量が少ないということだけど、それさえも魔石から魔力を引き出して攻撃するあの短杖の存在が補っている。
纏っていたコートもおそらく耐火の魔道具だったんだろう。
「『永遠の魔女』。……あの伝説の災厄がなおも存在していて、しかもクリスの母親を乗っ取ったというのですか?」
「そうよ、フランシーヌ・フォンタニエ。実際に会うのは初めてね。妹も含めて、もっと早く会いたかったわ。親友の娘だもの」
「シルヴェールの声で囀るな──!」
『爆炎の魔女』の象徴である火球が飛ぶも、魔女はこれを精密に操作された風によって跳ね上げ、空に舞いあげて無力化。
空で爆発した火球は都に広く異常事態を知らせる。
攻撃自体は失敗したけれどこれで多少は形勢が良くなった。いや、そもそも最初からこっちが狙いだったのか。
と。
「あら。これはこれは──」
魔女が何かを呟こうとして、次の瞬間、その身体を巨大なハンマーが殴打した。
これにはさすがにまともに吹き飛ぶ魔女。
棒切れか何かのように転がっていく身体を再び炎が包み込み、生み出された鎖がぎっちりと拘束。
気配も姿も隠して近づきハンマーを振るった
「クリスちゃん! リアちゃん! 攻撃!」
「っ!」
僕たちは人の形をしたモノへの攻撃を一瞬躊躇いつつも魔力光を、クロスボウからの矢を放ち、
「無駄よ」
攻撃の全てが吹き飛ばされて、魔女は悠然と立ち上がった。
「『永遠の魔女』は殺せない。私は永遠。私こそが魔女。私は遥か未来まで生き続け、歴史を支配し続ける」
「そんなことはさせない。死なない人間なんかいない。この世界をお前のいいようにさせたりはしない」
「できるかしら?」
マノン先生は僕たちを守るように立ちながら毅然と、
「今、爆発を聞きつけて人が集まってきている。国の最大戦力と戦って無事で済むと思う?」
魔女はこれに再び笑みで応えた。
「なら、その前に退散しましょうか」
「逃がすと──」
先生もクローデットもさらに攻撃を加えようとするも、魔女はそれを嘲笑うようにふっ、と、なんの前触れもなく姿を消した。
来た時のように認識を阻害したのか。
いや、それなら姿までは消えないはず。だとすると透明になったか、でなければ。
「まだ近くにはいるはずだよ。さすがにあいつでも長距離の
マノン先生が指示を出そうとしたところに母さんの声が響いて、
「私は──『永遠の魔女』シルヴェール・レルネは隣国へと亡命する。標的はこの国、そしてクリスとオリアーヌ殿下」
国の未来に大きな暗雲が立ち込めた。