俺ガイル短編   作:復活のマサニキ

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ホワイトアルバム2 挿入歌「恋のような」から


恋のような

「結衣さん。試験勉強をしていたはずなのに、リビングにいないと思ったら……あなた、そんなところで何をしているの?」

 

 寝室の隅に座っていたあたしは、その声にびくっと肩を揺らした。

 

 顔を上げると、呆れたような顔をしたゆきのんが立っている。

 

「は、はは……。ちょっと休憩してただけだよ~」

 

「休憩、ねぇ……」

 

 ゆきのんはため息をつき、あたしの手元へ視線を落とした。

 

「……それは?」

 

「え?」

 

 そこにあるのは、少し大きめのアルバム。

 

「あっ……」

 

 思わず抱え込む。

 

「ご、ごめん……。久しぶりに見つけたから、ちょっとだけ見ようかなーって……」

 

「『ちょっとだけ』にしては、随分と熱心だったようだけれど?」

 

「うっ……」

 

 図星すぎて、何も言い返せない。

 

「だって、久しぶりに見ると懐かしくって……。一枚だけのつもりだったんだけど、気づいたら止まらなくなっちゃって」

 

「あら。あなたらしいと言えば、実にあなたらしいわね」

 

「それ、褒めてる?」

 

「どうかしら」

 

 ゆきのんは目を細めた。

 

 ……怒ってるわけじゃなさそうで、とりあえず一安心。

 

 あたしだって、最初からサボるつもりだったわけじゃない。

迫ってくる学期末試験に向けて、ちゃんと勉強していたのだ。

でも、ずっと勉強していたら、さすがに疲れてしまって。

 

「ちょっとだけ休憩しよっと」

 

 そう思ってベッドにダイブしたとき、部屋の隅にあるドレッサーが目に入った。

その隣のオープンラック。一番下の段に、見覚えのあるものが置かれている。

 

「……あれ?」

 

 手に取ってみると、それは高校時代のアルバムだった。

 

「うわ、懐かし……」

 

 思わず声が漏れる。

最初は本当に、少し見るだけのつもりだった。

けれど、一枚、また一枚と眺めているうちに、すっかり時間を忘れてしまった。

 

 そして気づけば、ゆきのんに見つかっていたわけである。

 

「……で、結局どのくらい勉強をしていたのかしら?」

 

「えーっと……」

 

「結衣さん?」

 

「……聞かないでください」

 

「そう。では、聞かないことにするわ」

 

ゆきのんは、また小さくため息をついた。

その声を聞きながら、あたしは膝の上のアルバムへ目を落とした。

閉じた表紙の向こうには、まだたくさんの写真が残っている。

 

高校時代のあたしたち。

あの頃のことを思い出すと、胸の奥が少しだけくすぐったくなった。

 

「……ねえ、ゆきのん」

 

「何かしら?」

 

「せっかくだし、一緒に見ない?」

 

 ゆきのんは一瞬だけアルバムを見つめ、それから小さく息を吐いた。

 

「勉強をする気は、もうないのね」

 

「えへへ……」

 

「まったく。あなたは本当に……」

 

呆れたように言いながらも、ゆきのんはあたしの隣に腰を下ろした。

そして、あたしが開いたページを覗き込む。

 

最初に目に入ったのは、卒業式の日の写真だった。

写真の中のあたしは、泣き腫らした顔をしている。

その隣には、いつものように不愛想なヒッキーが居た。

 

     ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

「……あー……泣きすぎちゃって、目が痛い……」

 

ようやく涙も収まり、少し落ち着いてきた頃だった。

周りでは、握手を交わす男の子たちや、抱き合う女の子たちが最後の時間を過ごしている。あちこちから笑い声や泣き声が聞こえてきた。

 

「お前、ほんとこういうのに弱いのな」

 

ヒッキーが、泣き腫らしたあたしの顔を見ながら言った。

 

「誰だって泣くでしょ! 卒業式なんだから!」

 

「別に今生の別れってわけじゃないだろ。会おうと思えば、いつでも会えるんだし」

 

そう言ってから、ヒッキーは周囲を見渡した。

 

「まあ、どうせこの陽キャどもは、一度離れたらわざわざ連絡を取り合って会うほどの仲でもなくなるだろ。所詮は見せかけの仲良しこよしだ」

 

「また始まった……」

 

いつものひねくれた言い方だ。もう慣れているので聞き流す。

……せっかくの卒業式なんだから、もう少し素直になればいいのに。

 

「んんっ……!」

 

言いたいことを言い終えたのか、ヒッキーはわざとらしく咳払いをした。

 

「由比ヶ浜、そろそろ行くか。あいつを待たせたら、また何を言われるかわからんし」

 

「ん、そうだね。行こっか」

 

行く場所は、ただ一つ。

あたしたち三人の思い出が詰まった、あの場所へ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーー

 

「やっはろー!」

 

「うす」

 

「こんにちは、由比ヶ浜さん。比企谷くん」

 

いつも通りの挨拶を交わし、部室へ入る。

そこには、やっぱりいつも通りの光景があった。

一番奥の席で本を読むゆきのんが、あたしたちに気づいて顔を上げる。

 

「「「…………」」」

 

しばらく、三人とも何も言わなかった。

だけど――

 

「「「ふふっ」」」

 

結局、三人とも笑ってしまった。

あまりにも、いつも通りだったから。

あたしたちには、いろんなことがあった。

バラバラになりそうになったこともある。

 

それでも、離れなかった。

少しずつお互いを理解し、いつの間にか大切な人になっていた。

最初の頃より、ずっと前に進めたと思う。

 

――でも、ある意味では。

あの頃から、何も変わっていないのかもしれない。

 

「思ったより遅かったわね」

 

ゆきのんは本を閉じ、窓際のティーセットへ向かった。

 

「仕方ねぇだろ。由比ヶ浜がいつまで経っても泣き止まねえんだから」

 

「人を赤ちゃんみたいに言うなし!」

 

「いや、実際そうだっただろ……」

 

「うっ……」

 

事実だけど、そういう言い方をされると恥ずかしい。

あたしは文句を言いながら、いつもの席へ腰を下ろした。

 

……やっぱり、この会話が心地いい。

いつも通りのやり取り。

だけど、この場所で三人で話せるのは今日が最後なのだ。

そう思うと、胸の奥が締め付けられる。

ここでは、楽しいことも悲しいことも、三人で分かち合ってきた。

 

「ふふっ。由比ヶ浜さんなら仕方ないわね。これでも飲んで、少し落ち着きなさい」

 

ゆきのんが淹れた紅茶を、あたしの前へ置く。

 

「ありがと、ゆきのん」

 

一口飲む。

……うん。

やっぱり、ゆきのんの紅茶は美味しい。なんだか、ほっとする。

 

「そういえば、比企谷くん」

 

「ん?」

 

「あなた、結局住む場所は決めたの?」

 

「あ、そうそう! ずーっと悩んでるって言ってたもんね」

 

紅茶を一口飲んだところで、ゆきのんが切り出した。

あたしたちは三人とも、無事に進学することになった。

ただ、ヒッキーだけは実家から通うのか、一人暮らしをするのか、ずっと悩んでいたのだ。

 

「そのことなんだが、一人暮らしすることになった」

 

「えっ、ほんと?」

 

「親父が『一人暮らしくらい経験しとけ』って言うもんでな。まあ、実質追い出されたようなもんだ」

 

「あら。ようやく自立する覚悟ができたのね」

 

「待て。俺が引きこもりで自立できてないみたいな言い方をするんじゃない」

 

ヒッキーは心外そうな顔をする。

 

「腐っても元専業主夫希望者だぞ。そこいらの実家暮らししてる奴らより、数段マシな一人暮らしができる自信しかない」

 

……自慢げに言ってるけど、つい最近まで本気で専業主夫を目指していた人が言うと、微妙に格好がつかない。

まあ、ヒッキーは変なところで生活能力が高いし、一人暮らしでも問題はなさそうだけど。

 

「となると、あと心配なのは由比ヶ浜さんね」

 

ゆきのんが、にっこりと笑う。

 

「心配すぎて、夜も眠れないわ」

 

「同感だな。部屋が水没しようが爆発しようが、由比ヶ浜なら『まあ仕方ないか』で済ませちまいそうだ」

 

「ちょっと! 二人とも、どんな想像してるの!?」

 

失礼すぎるんだけど!

……まあ、あたしも一人暮らしデビューなんだけどね。

ママが「社会勉強だから」って勧めてくれたのだ。パパは大泣きしてたけど。

家から遠く離れるわけでもないし、いつでも帰れる。サブレにも会える。

 

だから、あたし自身はそんなに心配していない。

なのに、この二人ときたら……。

 

「雪ノ下。そんなに心配なら、お前は一人暮らしも長いんだし、由比ヶ浜とルームシェアすればいいんじゃね?」

 

「……そうね」

 

ゆきのんは少し考えてから、あたしを見た。

 

「由比ヶ浜さん。あなた、一人暮らしに不安はないの?」

 

「え? うーん……まあ、なんとかなるんじゃないかな?」

 

「そう。では、私と暮らすという選択肢もあるわね」

 

「え、ゆきのんと?」

 

「ええ。私の生活に、あなたが一人増えたところで、大した違いはないもの」

 

「それって……ルームシェアしてくれるってこと?」

 

「あなたが望むのなら、そういうことになるわ」

 

「えっ、あたしが望めば…?」

 

「違うの?」

 

ゆきのんは淡々と言った。

でも、その目は少しだけ優しかった。

 

「そ、そんなの……嫌なわけないよ!」

 

「そう。では、決まりね」

 

「えっ、決まるの早くない!?」

 

「あなたが嫌ではないと言ったのだから、問題ないでしょう」

 

「いや、そうだけど……!」

 

「はいはい。ゆりゆりは他所でやってくださいね」

 

「誰のせいでこうなったと思ってるの!?」

 

本当……誰のせいで、こんなことになってると思ってるの。

恨めしくヒッキーを見る。

だけど本人は、我関せずとばかりに紅茶を飲んでいた。

 

     ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

「そういえば、ルームシェアを決めたのは、この時だったわね」

 

結衣さんの隣でアルバムを覗き込んでいた私は、写真を指先でなぞった。

 

「うん。あの時は、まさか本当にゆきのんとルームシェアするなんて思ってなかったよね~」

 

「そうね。私も、まさかあなたと一緒に暮らすことになるとは思っていなかったわ」

 

「でも、こればっかりは提案してくれたヒッキーに感謝しないとね」

 

「……そうね。そこだけは認めてもいいかもしれないわ」

 

「ヒッキー、頑張ってたところ他にもあったと思うんだけど……」

 

私は少しだけ困ったように笑った。

確かに、彼にしては良い提案だったと思う。

ただ、普段はろくでもないことばかり言っていたのだから、これくらいで可哀想だとは思わない。

 

……それに。

もしかすると、あの時のちょっとした仕返しだったのかもしれない。

 

「この時も、いろいろあったよね」

 

「そうね。比企谷くんの優柔不断には、さすがに呆れたけれど」

 

「あはは……あれは仕方ないと思うけどね」

 

「美女二人から誘われているというのに、どちらも選べないんですもの。随分と贅沢な悩みよね」

 

もう進むしかない状況を作ってあげたというのに、彼はそれすら躱してしまった。

こちらがどれだけ気を揉んだと思っているのか。文句の一つや二つくらい出ても仕方がないでしょう。

 

「でも、そのおかげで今があるんだし、良かったんじゃない?」

 

「それは……そうね」

 

確かに、結衣さんとの関係を一歩前へ進ませられたのは、あの時のおかげだ。

そして今では、こうして同じ家で暮らしている。

 

朝になれば「おはよう」と言い、帰ってくれば「おかえり」と言う。

そんな当たり前の日々が、いつの間にか私たちの生活になっていた。

そう考えると…これも比企谷くんのおかげ、ということになるのかもしれない。

 

「……まあ、これも比企谷くんのおかげ、ということにしておきましょうか」

 

「おっ、ゆきのん珍しく素直じゃん」

 

「勘違いしないで。あくまで『ルームシェアをするきっかけになった』というだけよ」

 

「はいはい」

 

結衣さんは楽しそうに笑う。

……まったく。

こうして彼女と二人で昔のアルバムを眺めていると、不思議な気持ちになる。

あの時は、こんな未来になるなんて想像もしていなかった。

 

けれど――。

悪くない。

むしろ、今の生活を失いたくないとさえ思う。

 

結衣さんがページをめくる。

次に現れたのは、卒業式の日の部室で撮った写真だった。

写真の中の三人は、まだ何も知らない。

これから自分たちが何を伝えるのかも。

その言葉が、どんな未来を連れてくるのかも。

 

     ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

あたしは写真の端に写った時計を見つめた。

あの日も、あと三十分ほどで十七時になるところだった。

そして、あたしたちは部室に残っていた。

 

紅茶を飲みながら、いろんな話をした。

楽しかったこと。

悲しかったこと。

今となっては笑えることも、当時はどうしようもなく悩んでいたことも。

これまでの時間を、一つずつ確かめるように。

 

……でも。

今日で終わり。

そろそろ、区切りをつけなきゃいけない。

そのことは、ゆきのんも分かっている。

というより…あたしたちは、ずっと前から決めていた。

 

今日、この日。

この場所で。

終わらせようって。

後腐れがないように。

どちらか一人だけが言い出したことにならないように。

ちゃんと、公平に。

 

「由比ヶ浜さん」

 

……その時が来たみたい。

ゆきのんが、あたしを見る。

いつも以上に真剣な顔。その瞳には、覚悟が宿っているように見えた。

 

「……うん」

 

あたしは、それだけ答えた。

緊張する。

怖い。

できることなら、このまま何も言わずにいたい。

あたしは、ゆきのんみたいに強くない。

こんな時でも迷わず前を向けるほど、強くはなれない。

 

でも、このままなのも嫌だった。

だから、今日のことをゆきのんに提案したのは、あたしだった。

終わらせるなら、ちゃんと終わらせたい。

あたしたち自身の手で。

ゆきのんと目を合わせる。

ほんの一瞬だけ目配せをして、あたしたちは椅子を動かした。

 

ヒッキーと向かい合う形になるように。

それに気づいたヒッキーが、本から顔を上げる。

そして、あたしとゆきのんを交互に見た。

 

「ん? なんだ、椅子なんて動かして」

 

……そりゃ、ヒッキーからしたら何をしているのか分からないよね。

この席の形は、奉仕部で相談する側と、相談を受ける側に分かれる時のもの。

まさか卒業式の日に、こんな形になるなんて思わないだろう。

 

あたしだって、ついさっきまで現実味がなかったくらいなんだから。

ゆきのんを見る。

ゆきのんも、あたしを見る。

そして…二人で頷く。

 

「比企谷くん」

 

「ヒッキー」

 

あたしたちは、同時に口を開いた。

 

「「あなたに依頼があります」」

 

     ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

私たちは、「依頼」という形で彼にお願いをした。

すべてが始まった奉仕部として…終わらせるために。

彼は固まっていた。

数秒だったのか、それとも数十秒だったのか。

私には、その時間が妙に長く感じられた。

 

「…………どういうことだ?」

 

「今言った通りよ。私たちは依頼人として、あなたに依頼があるの」

 

彼は眉を寄せたまま、私と由比ヶ浜さんを交互に見た。指先が本の表紙をなぞり、止まる。

いまいち要領を得ない、といった表情をしている。

けれど、少なくとも話を聞く姿勢にはなった。背もたれから身体を起こし、こちらへ向き直る。

あとは、彼次第。

 

「……で、内容はなんなんだよ」

 

「あたしたちの話を聞いてほしいの」

 

「……? だから、その話ってのを…」

 

「いいえ、違うわ。比企谷くん」

 

彼の言葉を遮る。

 

「これから私たちが話すことを、聞いてほしいの」

 

「…………」

 

彼の喉が、かすかに動いた。

何を言っているのか分からない。そんな顔をしている。

正直に言えば、依頼としての形にすらなっていない。

 

これから話すのは、「手助けしてほしい」という依頼ではない。

明確な答えを求めるための依頼。

だからこれは、私たちのためではない。

彼が逃げずに、最後まで話を聞くための形式に過ぎない。

それでも、「依頼」という形なら、彼はきっと逃げない。

そう思ったから。

 

「…………分かった。とりあえず話してくれ」

 

彼の声は低く、いつもより少し硬かった。

 

「ありがとう、比企谷くん」

 

私は膝の上で組んでいた手をほどき、息を吸う。肺に入った空気が、ひどく冷たく感じられた。

 

「では、私からでいいかしら。由比ヶ浜さん」

 

先攻と後攻に意味があるのかは分からない。

けれど、念のため確認しておく。由比ヶ浜さんに、ずるいと思われたくはなかったから。

 

「うん。大丈夫だよ」

 

由比ヶ浜さんは微笑んだ。

声は穏やかだったが、膝の上の手は固く握られている。

いつも通りの笑顔。

 

 ……いえ。

 

いつもより、ずっと優しい表情だった。

まるで、私の背中を押してくれているように。

 

「比企谷くん」

 

「ん?」

 

「あなたには、いつも助けてもらってばかりだったわ」

 

彼は黙ってこちらを見ている。

私は指先に力を込めた。爪が掌に食い込む感覚で、どうにか声の震えを抑える。

 

「私は、すべて自分の力でできると豪語していたけれど……そこまで強い人間ではなかった」

 

「雪ノ下にしては、随分と弱気だな」

 

彼は、ほんの少し口元を緩めた。

 

「お前は一人でもう大丈夫なくらい、たくさんの経験をしてきただろ。俺は別に大したことはしてねえよ。お前と依頼達成の競争をしてただけだしな」

 

「あら」

 

張りつめていた空気が、少し緩む。

 

「つまり、貴方は本気でこの私に勝って、『なんでも命令できる権利』を欲しがっていたということね」

 

「……いや、そういう話じゃ」

 

「やはり、下卑た目で私を見ていたのね。通報しようかしら」

 

私はテーブルの上のスマートフォンへ手を伸ばした。画面を点けると、彼の肩が跳ねる。

 

「んなもん求めてねーよ……! 待て、そのスマホをとりあえずポケットに戻すんだ、雪ノ下サン」

 

彼が身を乗り出し、伸ばしかけた手を止める。

その焦った顔を見ていると、少しだけ余裕が戻ってきた。

……こうして彼をからかうのは、少し楽しい。

性格が悪いから、なのかしら。

 

「まあ、冗談はさておき」

 

私はスマートフォンをしまった。

 

「実際、これまでの依頼を成功に導いたのは、ほとんどあなたのおかげよ」

 

「……」

 

彼の表情から、軽さが消える。

 

「生徒会のこともそう。勝負はあなたの勝ちよ」

 

彼が少しだけ目を細め、窓の外へ視線を逃がした。

 

「だから――」

 

私は言葉を切った。

喉が乾いている。息を吸おうとしても、胸につかえてしまう。

 

「私に命令できる権利を、あなたにあげてもいいと思っているわ」

 

「…………は?」

 

彼の目が丸くなる。

 

「雪ノ下、お前、自分が何言ってるか分かってんのか。数秒前まで通報しようとしてたくせに」

 

「それは、私が許可を出す前に言ったからよ」

 

「屁理屈だろ、それ……」

 

「そうかしら?」

 

私は笑いかけたが、すぐに表情を戻した。

 

「私が権利をあげると言った意味……あなたには分かるかしら?」

 

「いや、突然すぎて分からんのだが……急になんなんだよ」

 

「そうね」

 

ここから先は、もう誤魔化せない。

私はゆっくり息を吐いた。

 

「比企谷くん。あなたには、私の気持ちを聞いてほしいの」

 

「……気持ち?」

 

「ええ。これまで、あなたに伝えられなかったことよ」

 

彼は眉をひそめた。

 

「それが依頼なのか?」

 

「そうよ。あなたには、私の告白を最後まで聞いてほしいの」

 

「告白って……」

 

彼の声が揺れる。

その一言が落ちた瞬間、時計の秒針がやけに大きく聞こえた。

それでも私は、目を逸らさなかった。

 

「比企谷くん。私は、あなたが好きよ」

 

「…………」

 

部室の空気が止まった。

彼は目を見開き驚いたように私を見つめている。

私は膝の上で手を握り直した。指先が冷たい。

 

「あなたのひねくれた考え方も、卑屈な物言いも、他人を傷つけるようなやり方も……すべてが好きだと言うつもりはないわ」

 

「おい」

 

返ってきた声はいつもの調子に戻ろうとしていたが、語尾が掠れている。

 

「けれど、それでも私は、あなたと一緒にいたいと思っている」

 

彼の指が、本の表紙から離れた。

怖い。

拒絶されるかもしれない。

今までの関係が壊れるかもしれない。

それでも、もう言わないままではいられなかった。

 

「あなたは、私にたくさんのことを教えてくれたわ。誰かを頼ることも、自分の弱さを認めることも……そして、自分の気持ちから逃げないことも」

 

彼は、まだ何も言わない。

 

「だから、私も逃げないことにしたの」

 

私は、まっすぐ彼を見つめる。

 

「比企谷くん。私はあなたが好き。これが、私の依頼よ」

 

言い終えた瞬間、肺の中の空気が抜けた。

 

「……雪ノ下」

 

彼が何か言う前に続ける。

 

「聞いてほしかったの。私があなたをどう思っているのかを、あなた自身に知ってほしかった」

 

隣で、由比ヶ浜さんが小さく息を吸った。

私が見ると、彼女は震えながら頷いた。

 

「……じゃあ、あたしも言うね」

 

「由比ヶ浜さん?」

 

「あたしも、ずっとヒッキーに言いたかったことがあるから」

 

由比ヶ浜さんは、泣きそうになりながら笑った。

 

「ヒッキー。あたしも、ヒッキーが好き」

 

「…………」

 

彼の呼吸が止まったように見えた。

 

「ずっと前から好きだった。ヒッキーが誰かを好きなのかもしれないって思っても、言わない方がいいって何度も思った」

 

 声を揺らしながらも、由比ヶ浜さんは続ける。

 

「でも、言わないまま終わるのは嫌だった。奉仕部を終わらせるなら、あたしの気持ちもちゃんと伝えたかったの」

 

「由比ヶ浜……」

 

「あたし、ヒッキーと一緒にいると楽しい。くだらない話をして、変なことで言い合いして、それでも最後には隣にいてくれるヒッキーが好き」

 

由比ヶ浜さんの目から、涙が一粒こぼれた。

 

「だから、ヒッキーに選んでほしいって思ってる」

 

「……」

 

「ちゃんと考えて、ヒッキーの言葉で答えてくれればいいから」

 

彼は呆然と私たちを見ている。

無理もない。突然、二人から告白されたのだから。

けれど、これは最初から決めていた。

どちらか一人だけが先に告白するのは不公平だから。

 

「これで、私たちの依頼は終わりよ」

 

私は静かに言った。

 

「……これで終わりなのか?」

 

「ええ。私たちは、あなたに気持ちを伝えた。あとは、あなたがどうするかを決めればいいわ」

 

「でも……俺は、そんな簡単に答えを出せるような……」

 

「分かっているわ」

 

「だから、急がなくていいよ」

 

結衣さんが優しく言う。

 

「でも、逃げないでね」

 

「……逃げるなって言われてもな」

 

「それは、あなたが一番よく知っているはずよ」

 

私は続けた。

 

「あなたはいつも、誰かを助けるためなら自分を犠牲にするのに、自分のことになるとすぐに逃げようとするもの」

 

「……耳が痛いな」

 

「なら、覚えておきなさい」

 

私は少しだけ笑った。

 

「私たちは、あなたが答えを出すまで待つわ」

 

「……二人とも、か?」

 

「ええ」

 

「うん」

 

由比ヶ浜さんも頷く。

 

「だって、あたしたちはもう決めたから」

 

「何をだよ」

 

「これからも、3人でいようって」

 

彼が目を見開く。

 

「奉仕部は今日で終わる。でも、あたしたちの関係まで終わるわけじゃないから」

 

「……そうね」

 

私は由比ヶ浜さんの言葉を引き継ぐ。

 

「私たちは、これからもあなたのそばにいるわ。あなたがどんな答えを出したとしても」

 

「それ、答えによっては気まずさがすごいことにならねえか?」

 

「その時は、その時よ」

 

「雑だな、おい」

 

「大丈夫だよ、ヒッキー」

 

由比ヶ浜さんが涙を拭いながら笑う。

 

「あたしたちは、そんな簡単に壊れないから」

 

彼はしばらく黙っていた。

やがて深く息を吐き、肩の力を抜く。

 

「……分かった」

 

「比企谷くん?」

 

「すぐには答えられねえ。けど、ちゃんと考える」

 

彼は私たちをまっすぐ見た。

 

「逃げずに、自分の言葉で答える」

 

その言葉に、胸の奥の緊張が少しほどけた。

結衣さんも、ほっと息を吐く。

 

「それでいいわ」

 

「うん。待ってるから」

 

時計を見る。

針は、十七時を指そうとしていた。

卒業式の日。

奉仕部として過ごす最後の時間。

けれど、これは終わりではない。

 

私たちは、ようやく自分たちの気持ちを言葉にした。

そして、これから先へ進むための一歩を踏み出したのだ。

その日の最後に撮った写真が、アルバムの最後のページに残っている。

 

写真の中の私たちは、まだ少し緊張した顔をしていた。

けれど、三人とも同じ場所にいる。

それだけで、十分だった。

 

     ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎

 

最後のページをめくる。

そこに収められていたのは、私たち三人の写真だった。

笑っている私。

隣で満面の笑みを浮かべている結衣さん。

そして、その隣で相変わらず不愛想な顔をしている比企谷くん。

 

「……終わっちゃったね」

 

「ええ」

 

結衣さんが、名残惜しそうにアルバムの表紙を撫でる。

その指先に、私はそっと自分の指を重ねた。

 

「でも、全部なくなるわけじゃないよね」

 

「当然でしょう。あなたは、少し大げさなのよ」

 

「えへへ……でも、ゆきのんが隣にいてくれるなら安心かも」

 

「……そういうことを、簡単に言わない

 

「何かしら?」

 

「……あの時のこと、今でも覚えてる?」

 

何を指しているのか、聞く必要はなかった。

私たちが比企谷くんに伝えた、最後の依頼。

そして、彼に伝えた私たちの想い。

 

「ええ。もちろんよ」

 

「そっか……」

 

結衣さんは俯いた。

 

「……まだ、答えはもらえてないけどね」

 

「そうね」

 

あれから、それなりの時間が経った。

それでも、彼から明確な答えは返ってきていない。

私たちはあの日、自分たちの気持ちを伝えた。

逃げずに、誤魔化さずに。

それだけは、後悔していない。

答えがないことを不安に思わないと言えば、嘘になるけれど。

 

「でもさ」

 

結衣さんが顔を上げる。

 

「今は、そんなに焦らなくてもいいかなって思うんだ」

 

「……私もよ」

 

意外だったのか、結衣さんが驚いた顔をする。

 

「ゆきのんも?」

 

「ええ。あの人が簡単に答えを出せるような人ではないことくらい、私たちが一番よく知っているでしょう?」

 

「あはは……確かに」

 

結衣さんが笑う。つられて、私も小さく笑った。

 

「それに、答えを待ってる間も、あたしたちは一緒にいられるしね」

 

「……ええ」

 

「だから、ゆきのんが寂しくなったら、いつでも言ってね」

 

「あなたが寂しくなった時の間違いではなくて?」

 

「それもあるけど……ゆきのんの分もだから」

 

「そう」

 

 結衣さんは照れたように視線を逸らした。

その耳が、少し赤くなっている。

……私も、同じような顔をしているのかもしれない。

あの日から、私たちの関係は少しだけ変わった。

 

けれど、壊れてはいない。

結衣さんは今も私の隣にいる。

そして比企谷くんも、私たちにとって大切な人であることに変わりはない。

 

選ぶ色も、着る服も違う。

性格だって、まるで違う私たち。

それでも、笑うポイントは同じだった。

そして……好きな人も、同じだった。

 

「……じゃあ、そろそろ片付けましょうか」

 

「うん、そうだね」

 

私はアルバムを閉じる。

ぱたん、と小さな音が部屋に響いた。

高校時代の思い出は、ここで一度しまっておく。

 

けれど、それで終わりではない。

この先、どんな未来になるのか。

比企谷くんが、いつ答えを出すのか。

私たち三人が、どんな関係になっていくのか。

何一つ、決まってはいない。

それでも、今はこうして結衣さんが隣にいる。

 

「ねえ、ゆきのん」

 

「何かしら?」

 

「ゆきのん、大好き!」

 

「ゆ、結衣さん!?」

 

突然抱きついてきた結衣さんを、私は慌てて受け止める。

 

「もう、ゆきのん大好き!」

 

「ちょっと……離れてちょうだい!」

 

「やだ~。今日は特別!」

 

「特別の意味が分からないわ」

 

「だって、アルバム見終わった記念だもん」

 

「そんな記念日、初めて聞いたのだけれど」

 

「今作ったの!」

 

「あなたは本当に……」

 

呆れながらも、振りほどくことはできなかった。

むしろ、彼女の背中に回した腕に少し力を込めてしまう。

 

「……ゆきのん?」

 

「何かしら」

 

「今、ぎゅってした?」

 

「気のせいよ」

 

「そっかぁ……」

 

結衣さんは嬉しそうに笑い、さらに私の肩へ頬を寄せた。

 

「じゃあ、もうちょっとこのままでいていい?」

 

「……少しだけなら」

 

「ほんと?」

 

「ええ。ただし、少しだけよ」

 

「やった」

 

その声が嬉しそうで、私はまた顔が熱くなるのを感じた。

 

「はぁ~……ゆきのんが男の子だったらな~」

 

「…………」

 

私は黙り込む。

 

「……何かしら」

 

「え?」

 

「今の発言について、もう少し詳しく聞こうと思っただけよ」

 

「えっ、詳しくって……」

 

結衣さんの顔が、みるみる赤くなる。

 

「だ、だって、ゆきのんが男の子だったら、もっと……その……」

 

「もっと?」

 

「……かっこよくて、頼りになって、でも今みたいに優しくて……」

 

「今みたいに?」

 

「うっ……そこ聞くの!?」

 

「あなたが言ったのでしょう」

 

「もう、ゆきのんのいじわる!」

 

「あなたが勝手に照れているだけよ」

 

「だって、ゆきのんが変なところ突いてくるから!」

 

「変なところではなく、あなたの発言の意図を確認しているだけよ」

 

「それが恥ずかしいんだってば……」

 

結衣さんは私の胸元に顔を埋めた。

隠れているつもりなのだろうけれど、赤くなった耳までは隠せていない。

 

……可愛い。

そう思ってしまった自分に、少し驚く。

彼女といると楽しい。

彼女の笑顔を見ると嬉しい。

彼女が悲しんでいると、放っておけない。

そして、誰かに彼女を取られることを想像すると、どうしようもなく嫌になる。

 

もしかしたら、この気持ちは友情だけではなかったのかもしれない。

もっと特別なものだったのかもしれない。

今なら、少しだけ分かる気がする。

もしかしたら、この気持ちは――恋だったのかもしれない。

 

「……ゆきのん?」

 

「何かしら?」

 

「これからも、ずっと一緒にいてくれる?」

 

私は、彼女の髪にそっと触れる。

 

「ええ。あなたが望む限り」

 

「……それ、ずるい答えだよ」

 

「そうかしら?」

 

「だって、あたしはずっと望むもん」

 

「……そう」

 

 胸の奥が、また少しだけ騒がしくなる。

 

「なら、仕方がないわね」

 

「えへへ……」

 

アルバムの中の私たちは、そこで笑っている。

そして今の私たちもまた、同じように笑っていた。

比企谷くんからの答えは、まだもらえていない。

この先、私たちがどんな関係になるのかも、まだ分からない。

 

それでも、今はこれでいい。

結衣さんが隣にいてくれる。

その距離だけは、誰にも譲るつもりはなかった。

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