氏名、西住みほ。大洗女子学園在学、普通一科2年A組。
去年までは戦車道の名門である黒森峰女学園の機甲科に在籍し、1年生ながら戦車道チームの副隊長を務める。前年度の全国大会では、別働隊を率いて同チームを準優勝に導く活躍を見せた。実家は、日本戦車道における最大流派、西住流の本家。幼い頃から戦車道を学んできた申し子の一人である。
補足、中須賀エミ曰く「本気で優勝を目指すつもりであれば、欠かせない人材」との話だ。
追記、武部沙織の供述。
「みほを戦車道に誘うのは絶対に反対します!」
五十鈴華による補足。
「みほさんは、戦車に強いトラウマを抱えているようです。
戦車の映像を観るだけでも体調を崩し、保健室で横になっていました」
しかし戦車道を嫌いになったかといえば、そんな事はない。
二人が戦車道に興味を持った事を歓迎しており、自分を気遣って他の選択を取る事を嫌った。
だから二人は戦車道を選択し、西住は香道を選択している。
「……難儀だねえ」
私、角谷杏は艦橋の生徒会室で溜息を零す。
これが戦車道に嫌気が差したという話であれば、話は簡単だ。強引にでも戦車道の世界に引き摺り込んでやれば良い。しかし、本人の意志に反して戦車を見ただけで眩暈を起こすとなれば、話は変わってくる。荒療治では、逆効果になる可能性が高い。下手に手を出して、悪化させてしまっては元も子もなかった。
今は西住の旧友である中須賀に頼る他にない。
「分かっていたけども、私達ってこんなに無力だったかな?」
あ~あ、と高価な椅子に体重を預ける。
今、生徒会室に居るのは私一人だけ、誰も居ないこの時間は弱音を吐く事が許される。
兎にも角にも今は打てる手を全て打ち続けるしかない。
戦車道科設立に伴う補助金の申請も済んだ。
秋山と柚本のおかげで表層を探す手間が省けた為、艦内まで捜索の手を伸ばすことができた。
風紀委員の面々にも手伝わせて、本気で全国大会を取りに行くのだ
◆
寄り道交じりの帰り道、水平線の向こう側に沈む太陽が空と海を赤く染める。
今日は学校に行かず、海原が一望できる喫茶店でスイーツを頂いた。サボった事に特別な理由はない。ただ単に今日はサボりたい気分だったのでサボっただけの事。ちゃんと出席日数は計算しているので週に何度、月に何度まで、と計算している。勉学も平均を超える程度には、頑張っているので卒業するだけなら問題はないはずである。夕焼け空に青みがかる逢魔ヶ刻、太陽を背に受けて地面に映る影法師が背を伸ばす。
アスファルトの道路に誰か子供が書いたのかチョークの円。けんぱっぱ、なんとなしにステップを刻んでみた。
「探したわよ、みほ」
まだ幼かった時の事を思い出していると、ふと背後から声を掛けられる。
何処となく懐かしい声。振り返れば、昔と変わらないツインテイルの少女が立っていた。
大洗の制服を着ている姿を見て、何故、彼女が此処に居るのか察する。
それと同時に彼女が私に会いに来た理由も分かってしまった。
「みほ、約束を果たせなくて悪かったわね」
旧友の言葉に私は首を横に振る。
それは幼い時の約束、今もちゃんと覚えている。
「……ううん、私もまだ、見つけてない」
それに、と言葉を続ける。
「私、約束を破っちゃったね」
にへらと笑って誤魔化した。
自分の戦車道を見つけるどころか今は戦車道そのものをやめてしまっている。本当にやめたつもりはまだないのだけど、これから先、戦車道に復帰すると決めている訳でもなかった。現在、無期限休養中。今後の身の振り方に関しては、この機会にしっかりと考えるつもりだ。学校をサボって不真面目になるのも、これまでとは違った事をしようと思ってみた結果だったりする。一歩退いてみるだけで、視界はこれでもかって程に広がった。
お姉ちゃんは認めないだろうけど、なんだかんだ私は真面目に生きて来たんだなって。
そんな私の心境を知ってか知らずか彼女は下唇を噛んで、強引に私の腕を掴んだ。
「みほ、行くわよ。全国大会、私とあなたがいれば優勝も夢じゃないわ」
用件は単刀直入、気持ちいい程に真っ直ぐな性根は海を越えても変わらなかったようだ。
そのことが懐かしくもあり、嬉しくもあり、そして申し訳なくも思っている。ごめんね、と笑って、彼女の手を解く。拒絶したい訳ではない、だけど駄目なんだ。今の私では、彼女の力になるなんて出来なかった。下手に期待をさせるよりも今、この場ではっきりと言った方が良い。
私は、旧友の足を引っ張りたくない。それだけは、はっきりと言える。
「私ね。今、戦車に乗れないの」
だから、ごめん。と彼女の目を真っ直ぐに見てから頭を下げる。
呆然とする彼女に背を向けて、突き放すように距離を取る。戦車道が嫌いになった訳ではない。だけど駄目だった。戦車を見ると手が震える、崖から落ちるあの戦車の光景を今も夢に見る。お見舞いには一人で行った。呼吸が浅かった。まるで死んだように眠る彼女の姿を見て、視界が揺れた。ぐにゃりと地面が歪んで、その場にしゃがみこんだ。過呼吸に陥った私を、偶々様子を見に来た看護師さんが介抱してくれた。
その話は直ぐにお母さんの下まで伝わり、暫く学校を休む事になる。
実は休学中、数日間だけ実家に戻っていた。実家に置かれたⅣ号戦車に気分が悪くなのを押して乗り込んだ。しかし、あの時の光景がフラッシュバックし、全身から嫌な汗が噴き出す。カタカタと身体が震え出し、お母さんが見守る目の前で嘔吐した。これが決定打となり、お母さんは私の転校に協力してくれる事になる。
ただまあ、こんな話。旧友にするつもりはなかった。
「……私の心が弱いせいだ」
お姉ちゃんのように強かったなら、旧友を裏切る事もなかったのに。
私が彼女に出来ることなんて、そんなに多くない。
不意に、やってやるやってやるやってやるぜ、とスマホの着信音が鳴り響いた。
液晶画面には、西澤詩織の文字が映されている。