最終章を見て、再燃しました。
程よく再開していきたいと思います。
数日ぶりに袖を通す漆黒の制服、学園艦の端から海を一望できるベンチの端に腰を下ろす。
もう嗅ぎ慣れた潮の香り、肌寒くもある潮風を全身に浴びながら缶ジュースの蓋に爪を立てる。カシュッという小気味良い音、炭酸飲料水特有の泡の弾ける音に耳を澄ませる。鳥が鳴いている、ふと空を見上げれば、カモメが大きな翼を広げて飛んでいた。病院食は健康に良いが味気がない、と炭酸水を呷る。
病院を退院したその日、その足で機甲科のガレージまで足を運んだ。
普段と比べて、重苦しい空気に暗い顔。国家の興亡が関わっている訳でもあるまいし、と思いながらガレージを歩き回っていると何時も見掛ける気弱そうな顔が見当たらなかった。水没し、未だ修復中のⅢ号戦車。破棄も視野に入れているという車輌の前に立っていた逸見エリカに話を聞いてみれば、大会の後、副隊長殿は部屋に引き籠ってしまったようだ。それで寮に戻るついでに、みほの部屋に足を運んでみれば、彼女はもう部屋には居なかった。
それでまあ病み上がりの身体を押して、この場所まで足を運んだという訳である。
「都合よく、一発だとは思いもしなかったがね」
私の座るベンチの反対側には、少し驚いた様子の可愛い子孫の姿があった。
「……もう身体は大丈夫なの?」
「体力は随分と落ちたもんだよ」
追いかけるのもしんどいねえ、と悪戯っぽく笑ってみせる。
すると、みほは口を噤んで俯いてしまった。私は炭酸飲料水を呷り、何度か喉を鳴らした後で「いるかい?」と彼女に見せつけるように缶を揺らす。彼女は小さく首を横に振ったので「そうかい」と再び缶の縁に口を付ける。世間では、プラウダ高校が全国大会で優勝した事よりも、黒森峰女学園が十連覇を阻止された事の方が取り上げられている。今朝見たテレビでは、まほとみほの母親であるしほにまで押しかけていた。しほは仕事場まで押しかけて来たメディアに「勝敗は兵家の常、この敗北を糧に更なる飛躍を期待しています」とだけ残し、後はノーコメントを貫いている。しほは感情表現が、あまり得意ではない。それに似たのか娘のまほも心の機微が捉えにくいところがある。
まほは妹を気遣って、あえて距離を取っている。
それは妹の強さを信じてのことだった。それ以上に個人で全国大会MVPを受賞し、国際強化選手としても選ばれたことでメディアに露出する事も多くなったまほは見た目以上に自分の事だけで精一杯になっている。まほは強い子だ、頭を撫でてやりたくなる。みほは優しい子だ。自分が責められる事よりも、姉がメディアで責められている事に心を痛めていた。あの決勝戦の最終局面を見た者で、悪意なく彼女達を責める者など居るはずがなかった。
讃えられるべきはプラウダ高校で、責められるべき者など何処にも居ない。
「あんただけが抱えることじゃないよ」
それはみほ自身も分かっているはずだった。
しかし、みほの顔色は優れない。私の言葉は彼女の心に届かなかった。隊長として責任を取る姉の姿を見て、彼女は退路を見失っている。
私は溜息を零し、空を見上げる。
「昔は、戦闘機乗りに憧れた」
「えっ?」
応募した時にゃもう定員オーバーだったがね、と肩を揺らす。
「海か山かと聞かれれば、山の方が好きで、だから私はセーラー服よりも制服に袖を通した。それが今は海の上を漂い続けている」
「えっと?」
「世の中には将来を誓ったはずの恋人が戦後……長い旅路の果てに帰った時、見知らぬ女性と結婚していたなんて事もある」
「ええ……?」
「まあ傍から見れば順風満帆に見える人生であっても意外と紆余曲折はあるものだし、挫折なんて一度や二度は経験するものだ」
そう言って、笑いかけた。
みほは、いまいち要領が掴めてないようでポカンと口を開けた間抜け面を晒している。
そんな彼女の頭を、私はうりうりっと撫でてやった。
「戦車だって前進するだけじゃない。時には逃げても良い、迂回しても良い。そうやってドイツ軍はパリを落としたんだ。寄り道が結果的に最短の道になる事もある。大切なのは、忘れないこと。今は難しくても、何時か向き合わなきゃいけない時が来る。その時に一歩、前に進める勇気を抱えていればいいんだ」
突撃、突撃、また突撃なんて今時、流行るものでもない。
あれは負ければ、全てを失うことになる極限状態の時に止む無く決断するものなのだ。命に代えても守らねばならないものなど、戦後の今となってはそうあるものではない。
撫でる手を止めて、残り少なくなった炭酸水を最後の一滴まで煽る。
「……詩織さん、恋人に裏切られた女性はどうなったの?」
みほは、不思議そうに自分の頭を触りながら問い掛ける。
「お見合いで結婚することになったが、絶対に元恋人よりも幸せになってやるって奮起したらしいよ」
そして彼女は成し遂げた。
両手では抱えきれない程の幸福に囲まれての大往生だ。
空き缶をゴミ箱に放り投げる。
しかしゴミ箱の縁に弾かれてしまった。
決まらないねえ、と腰を上げる。
「ああ、そうだ。これ」
「ん?」
「私の連絡先だよ」
なにか困ったことがあれば掛けてきなさい。
と空き缶を拾いに足を運んだ。
◆
結局、みほは転校してしまった。
直接的な原因のひとつは黒森峰戦車道のOG様に現役の生徒達がなじられる事が増えた事にある。しかし既に大学選抜にも匹敵するまほの実力は認めているようで、彼女の目の届く範囲で悪さをすることはなかった。
代わりの矛先になったのが、まほを支える他の生徒達である。特に川に戦車を落としてしまったレイラ達への当たりが強く、それを庇ったエリカ達にも被害が出ている。そしてレイラやエリカは違うのだけど、OG様になじられた生徒達の矛先は、部屋に引き籠もり続けていたみほに向けられる。
黒森峰に居場所を失ったみほは十連覇を成し遂げられなかった引け目もあり、転校の道を選んだ。
「ったく、あの根性なしを副隊長に据えたりするから黒森峰は負けたんだ!」
まほが国際強化試合への参加を辞退し、その事に関して、メディアの対応をしている時を狙ってOG様はやってくる。そして精神論を口にするばかりで無意味な走り込みをさせては、益体もない話を延々と続けていた。威張り散らすだけならば、まだ我慢してやったが、こうなっては大人げない等と言ってられなかった。
「先輩様、ジュースをお持ちしました」
「おう、遅かったじゃないか」
OG様がジュースを買って来いと言った時、自ら進んで願い出た買い出し係。パンパンに膨らんだ缶ジュースを、なんの疑問も持たずにカシュッと蓋を開ける。すると黒色の炭酸飲料がOG様の顔に吹きかかった。
「油断大敵。なるほど、普段から気が緩んでいると痛い目を見るというのは本当のことのようですね」
「てめえ……わざとか?」
「言いたいことがあるのであれば、戦車で決着を付けましょう。私は1輌、貴方方は何輌でも持ってくれば良い」
大学リーグでも活躍していた先輩方がまさか、1年坊に負けるはずもありますまい。その言葉に顔を真っ赤にした先輩方は、後悔するなよ。と凄んでみせた。
怖くはない。ティーガーⅡやパンターを持ち出すOG様に私はⅢ号戦車で迎え討った。
最初は一対一だったが、それで敵わぬと見るや3輌で攻め込んできた。結果は言わずもがな、容易く捻り潰してやった。
「この実力では、大学で活躍したという話も怪しいもんだね」
これは後で聞いた話だが大学では、彼女達は万年補欠だったようだ。