前世が魔王だったことを思い出して最強の力を得たけど、そんなことより充実した高校生活を送りたい 作:遠野蜜柑
夜。
食後の腹もこなれてきた頃。
俺は庭で酒井先輩のボクシングの練習相手を務めていた。
「そういえば聞いたぜ。お前、月光君をぶっ倒したんだってな」
「ああ……その話ですか……」
パンパン、スパパン、パンスパーンとミットの音が響くなかでの会話。
「大したもんだよ。あの人はきっと、どんな格闘技をやらせても世界一になれるほどの力を持ってる逸材だからな」
「いやぁ、たまたまですよ、運が良かったというか、紙一重というか……」
「そんなわけはない。月光君は運なんかで倒せる人じゃない」
酒井先輩は本気モードに入ったのか、鋭く左右に動き、巧みなステップで幾度も拳を叩き込んでくる。
早さは結城優紗ほどではない。
だが、踏み込み方や視線誘導のテクニックは卓越しておりチートで即席パワーアップした人間にはない熟練の技があった。
「…………」
酒井先輩は繰り返していた拳を止めてスッと下ろす。
「――それに偶然や紙一重の勝負だったなら、あの人がお前に馬王を名乗らせることはなかっただろうぜ」
酒井先輩は月光のことをある種の部分で信用しているような言い回しをした。
「新庄、とぼけなくてもいい。お前は月光君すら遥かに凌ぐ、とんでもない実力の持ち主なんだろ? 部室でたまにミット打ちに付き合ってくれていた時からそいつはオレも薄々わかってる」
「えっ? 俺、ただマトになってただけですよね? どこに察する要素が!?」
「オレが本気でミットを叩いても全然身体が流されてなかったし、パンチのスピードにも余裕でついてきてたじゃねえか」
うわ、マジかよ。
こっちが意識してなかった所作ひとつひとつで見抜かれてたのか。
一流のアスリートだとそういう細かいところで力量が判断できちゃうんだ……。
「なに驚いてるんだ? インターハイで優勝したオレの拳を素人が平然と見切って止めてるんだぞ。そりゃタダ者じゃないことくらい誰でも勘付くだろ」
…………。
いや、別に何が何でも力を隠そうとしてたわけじゃなかったけどさ。
俺は自分が思っている以上に普段から実力の一端をあっぴろげにしていたらしい。
「新庄、合宿から帰ったらオレとリングで戦ってくれないか?」
「ええっ!?」
「オレはお前たちみたいに何でもありの喧嘩で最強を競い合うつもりはない。でも、リングの上では誰よりも強くありたいと思ってる」
酒井先輩は真剣な目つきで俺を見据えて言った。
いや、ちょっと待ってほしい。
俺も別に喧嘩で最強を競い合うつもりはないのだが。
馬飼学園の王には成り行きでなってしまったが、そこから何かを目指す予定は皆無です。
「表の世界に出てこない猛者であるお前や月光君に相手をしてもらえばオレはもっと強くなれる気がするんだ! 頼む! オレに胸を貸してくれ!」
めちゃくちゃマジな表情で頭を下げられた。
確かに俺は酒井先輩のパンチをそんなに脅威だと思わずミットで受け止めていたし、パンチの早さも目で追えないほどだとは感じていなかった。
酒井先輩の拳を避け続ける自信はあるし、仮に食らってもノックアウトされることはないだろう。
逆にちょっと強めに俺が一発食らわせれば、それで先輩をケーオーできるはず。当てるのも難しいことではない。
「相手はしてもいいですけど、ボクシングっぽい動きはできませんよ? フットワークとかそういうのも知りませんし」
「それでいい。技術を越えた先にある圧倒的な力を持った相手との練習をオレは望んでいる。新庄、やってくれるか……?」
「まあ、俺も同じ部の一員ですからね」
「ありがとう! 助かるぜ! 恩に着る!」
俺は酒井先輩に感謝の抱擁をされ、スパーリングの練習相手になることを約束した。