とある魔術の天の住人 作:翔泳
11
インデックスの案内で辿りついた場所はとてつもなく古いアパートだった。この地震が来たら一発でお釈迦になってもおかしくないアパートがお世話になっている上条当麻の先生、月詠小萌の自宅らしい。通路に洗濯機が置かれてある事から風呂場が部屋に無く、どうやらその為に銭湯に向かっている最中の出来事だったようだ。
初めて月詠小萌を見た者は彼女が教師である事を信じがたいだろう。
身長一三五センチ。赤いランドセルにリコーダーを横付けして通学路を歩いている姿がよく似合う外見の持ち主だ。
しかしビール好きのヘビースモーカーであり、部屋の中には灰皿に大量の煙草の吸殻を溜めこみ部屋の彼方此方にビールの空き缶が転がっていた。そう言ったモノを見る限りやはり大人なのであろう。
二日。
既に上条当麻は二日も眠り続けていた。
インデックスは上条当麻に付きっきりで看病に励んでいる。険しい面持ちで上条当麻を見つめながら額にあるタオルを取り替えている。少し不慣れな手つきではあったがその姿はシスターそのものであった。
「インデックス、休まないで大丈夫なのか?」
「大丈夫、とうまの看病は私がするんだよ」
彼女の疲労は目に見えている。尊が見る限り彼女が休んでいる所を見た事がない。さすがに睡眠はとっているだろうが、日中は上条当麻の傍を離れる事無く看病し続けている。
上条当麻がステイル=マグヌス以外の魔術師に襲われた事に相当責任を感じているようであった。
「俺そろそろ帰るな」
「うん分かったよ、みこと」
彼女は上条当麻から目を離す事無くそう言葉にした。
時刻は二二時を回っている。
時間が来たから帰ると言うのではなく、月詠小萌が気を使って部屋を開けるように尊の気遣いであった。それに例え彼女に看病を代わると言った所で却下されるであろう。
帰り道例の大通りに差し掛かった。
二日前この場所で上条当麻はボロボロになって倒れていた。
切り裂かれたプロペラは既に工事が住済んでいるようで元の三枚プロペラとなって仕事に励んでいる。道路や街灯も既に修復されていた。こう言った所はさすが科学の最先端学園都市である。
そう言ったモノを見ながら何気に辺りを見回すと
「ん??」
様子がおかしい。
先ほどまで見えていたカップルの姿や賑わう学生の姿が見えない。
この一帯が夜の森の様に静まり返っている。聞こえて来るのはビルの隙間を通り抜ける僅かな風の音。
こんな感覚は以前味わった事がある。
そうこれは――
「
不意に聞こえて来た女の声。
一回の瞬きで誰もいなかった場所に突如現れた女性はTシャツに片足だけ大胆に切ったジーンズと言う姿。長い一本に束ねられた黒髪を風に靡かせ腰から拳銃の様にぶら下げた長さ二メートル以上はある日本刀が殺気を放ちながら揺れている。
尊は気付けなかった。彼女の声が聞こえるまで存在にすら気が付かなかった。
「初めまして、神裂火織と申します」
黒い鞘に納められた日本刀。人払いの刻印。インデックスは背中を刃物の様なモノで切られていた。上条当麻の傷も何かに切り裂かれたモノ。
「あんた、魔術師だな」
「えぇ、出来れば魔法名は名乗りたく無いのですが」
魔法名、ステイル=マグヌスが名乗った『殺し名』。そして全てが一致する。インデックスを切ったのも上条当麻を襲ったのも、この神裂火織だと。
自然と拳に力が入る。
「止めて下さい、危害を加えるつもりはありません」
「危害を加えない? 何を言っている、あれだけインデックスと上条当麻を傷つけながら良くそんな事が言えるな」
しかし尊の拳は震えている。相手はあの上条当麻でさえかなわなかった相手だ。ステイル=マグヌスの炎を退ける力を持っていたにも関わらず、上条当麻は手も足も出なかった。
彼女には傷一つ見当たらない。
「ではこうしましょう、あの子は……インデックスはどうしていましたか?」
質問の意図が分からなかった。仮にもインデックスを狙っている魔術師がどうして彼女の事を訊く必要があるのか?
「インデックスなら上条当麻の看病に付きっきりだ」
そうですか、と何故か神裂火織の表情が一瞬緩んだ気がした。どことなく悲しくそして安心するような。
しかしすぐにその表情は戻ってしまう。
「何で敵のあんたがインデックスの無事を確かめる様な事を訊く要がある?」
「それは……私たちがあの子の仲間であり親友だからですよ」
意味が分からなかった。
仲間? 敵の間違いじゃないのか?
と言う考えが浮かぶのは当たり前だった。
「貴方はインデックスの事をどこまで知っていますか?」
昨日、インデックスからはある程度自分におかれている状況を訊いた。
インデックスの頭の中には一〇万三〇〇〇冊の魔道書は全てを使えば世界を捻じ曲げる事が可能であるとか、それを狙っている魔術師に追われているとか、一年くらい前からの記憶が無い事とか。他にも色々と話を聞いた。
それらは信じがたい事であったがインデックスが嘘を言っている様には見えなかった。
神裂火織は言う。
インデックスの頭の中は一〇万三〇〇〇冊の魔道書を記憶する事に八五%を使用している。その為に彼女の脳の容量は残りの一五%しかない。普通の人間なら問題にならないことだが彼女は完全記憶能力の為『忘れる』と言った行為が出来ない。その所為で残りの一五%の脳は一年でパンクしてしまう。
だから自分たちが記憶を消した。
インデックスが一年前からの記憶が無いのはその為である。
自分たちを敵だと思っているのも記憶が無いから。
「インデックスの脳はあと一日が限度でしょう。私たちは明日あの子の記憶を奪います」
「何だよ……助ける為なら背中切っていいのかよ。あんなに小さな子を、敵になってまで追い回さなきゃダメなのかよ。他のどうする事も出来なかったのかよ!」
「言いたい事は分かります……貴方も上条当麻と同じなのでしょう」
それは一秒にも満たない時間だったかもしれない、一瞬再び彼女は悲しげな表情を見せた。
だからこそ
「貴方にはここで引いて頂きます。もう他人が辛い思いをするのは嫌なんです」
神裂火織は鞘に手を当てた。
「貴方も明後日になればインデックスの記憶には残っていません。分かりますか? これ以上関係を深めた所で傷つくのは貴方なんですよ?」
そりゃそうだ。人間がもっとも傷つくのは忘れられる事だ。人の死は命が尽きた時では無く人に忘れられた時。そう言われるくらい人から忘れられると言う事は人を傷つける。
神裂火織が言っている事は嘘ではないだろう。時折見せる彼女の辛そうで悲しそうな顔がそれを証明してくれる。
「それでも嫌だと言ったら?」
自分だけが逃げるみたいで嫌だった。
「そう言うと思っていました。簡単な事です、貴方には病院で寝ていてもらいます。貴方には何の力もありません、私たちがインデックスの記憶を消す邪魔をして来た所で何の害もないでしょうが万が一の可能性もあります。それ以前に……苦しみを味わうのは私たちだけで十分です」
チン、と言う小さな音と共に
『七閃』
瞬間、目の前を砕かれたアスファルトや街路樹の細かい破片が砂埃の様に舞っていた。
風圧が頬を掠める様に通り過ぎ、尊を避けるように地面を七つもの直線的な傷が十メートルほど走っていた。
「私の七天七刀が織りだす『七閃』の斬撃速度は一瞬と呼ばれる時間に七度殺すレベルです。再度問います、これでも引いて頂けませんか?」
ワザと外された。
七つの内の一つさえも見えなかった。聞こえたのは刀と鞘が触れる金属音、そして後に続く風の音だけ。
それは威嚇だった。七つの斬撃が当たれば神裂火織が言う様に間違いなく病院で寝る事になるだろう。恐らくそれですら手加減されている。
冷たい汗が頬を伝って落ちた。
「引けるかよ。いくら力が無いからって、知っているのに関係無い、巻き込みたくないから、そんなんで俺だけ蚊帳の外に置かれるのは懲り懲りだ」
「――そうですか、なら仕方ありません」
『七閃』
轟音と共に目の前の地面が破裂し体が後方へと飛んだ。
庇った右手は斬撃によって血まみれになり、砕いたアスファルトが無数の破片となって体に突き刺さった。
「が……っ!」
背中から地面に叩きつけられた衝撃で肺の空気を持って行かれた。
全身に痛みが走りギシギシと骨が軋む。
たった一度の攻撃で何十発の攻撃を喰らった様に足はふらつき、骨は痛み、右手は血まみれになり。
それでも大きく息を吸い込み、歯を噛みしめて尊は立ち上がる。
「どうしてそこまでして立ち上がるのですか?」
「――何でって、あんな女の子が傷つく事が分かっていて、上条当麻があれだけ傷だらけになって、そいつらの為に何かしてあげたい。……理由はそれだけで十分だろ!」
一瞬にして神裂火織は距離を詰めて。
「分かって下さい、あの苦しみを他人に味わってほしくないんです」
ゴス、と神裂火織の右手が守越尊の腹部にめり込むように深く突き刺さった。
「がっ……、は……っ!」
まだ食事を取っていなかった事が幸いし胃の中の物が出て来る事は無かったが、それは一般人を気絶させるには十分な威力だった。
――俺はまた何も出来ないのか……
――力がないから?
――力があれば誰かを救えるのか?
――力があれば……
膝、上半身と崩れ落ちる様に地面へと倒れた尊。それを見つめる神裂火織の表情はどこか辛そうにも見えた。
彼女は人を傷つける事が嫌う。しかし今回はこうしなければ守越尊は間違いなく苦しみを味わってしまう。少しでもインデックスとの関係を切る事が苦しみを和らげてくれると信じて、彼女は尊を見降ろした。
まずは彼を病院へ運ぶ必要があった。言った以上そうする義務がある。
と神裂火織が尊に手を掛けようとした瞬間
ピク、と僅かに指が動いた。
咄嗟に神裂火織は距離を取ってしまった。
何故そんな事をしたのか自分でも不思議なくらい、
増して彼は意識を失っている。加減はした。ただそれであっても普通の人間なら数時間あるいはそれ以上の時間は意識を失っているハズだ。何より彼の体は七閃によりボロボロのハズである。
しかしそれはゆっくりと立ち上がる。下を向いたまま、無言。暗闇に溶け込む様にその体の力は抜け立っているのがやっと。
そうであるはずなのに神裂火織の手は無意識に七天七刀の柄へと向かっていた。
『七閃』
もう放つつもりは無かった。しかし体が勝手に反応したと言うしかない。
七つの斬撃は一瞬にして大きな轟音と共に地面を切り刻み砂埃を巻き上げる。先ほどとは違い走る斬撃はレーザーの様に地面を深く切り刻み、地雷が爆発したように拳よりも大きなアスファルトの破片が地面から飛び交い巻き上げた砂埃は辺り一面を覆った。
一瞬の時間に七度殺せる全力の七閃。加減をする事が出来なかった。七つの斬撃をまともに食らっては普通の人間なら生きてはいない。
「クッ」
神裂火織は噛みしめ、目の前で起こってしまった事に悔いた。
この戦いはただ彼をあの苦しみから遠ざけるだけのハズだった。インデックスとの関係を切ってあの悲しみを彼に与えない為に。
しかしそれどころか彼をこの手で――
――ゆらりと何かが動いた。
十メートルほどの距離。七閃を放ったその中心で辺りの地面は斬撃によって削られ、生きた人間がいないハズの場所にそれは立っていた。
ボロボロの体で、右手は血で染まり、それでも立っていた。
ありえない。
神裂火織は驚きを隠せない。加減なしの七閃を生身の人間が受けて無事で済むはずが無かった。
しかしそれはゆっくりと歩み寄って来る。フラフラの足取りで無言のまま。
右の瞳は青に染められ、暗闇にただ一つ光る星の如く天上から全てを見降ろす様な青さで神裂火織を見つめていた。
一歩一歩ふらつきながら腕は振っているのでは無く足を踏み出すごとに小さく揺れ、力尽きる寸前の状態である事は間違いない。
それでも神裂火織はそれを目の前に表情を歪め動揺を隠せず七天七刀の柄から手を離す事が出来ない。最早相手の事よりも自分の危険を感じていた。
それとの距離は五メートルを切ろうとしている。
チン、と言う金属音と共に
『七閃』
七つの斬撃が瞬時にアスファルトを砕き地面を走る様に滑走していく。七閃の斬撃速度は一瞬に七度殺せる速さ。その速さを避ける事など普通の人間には不可能だ。
しかし神裂火織が目にしたものは、その斬撃を歩みを止める事無く避ける守越尊の姿。
まるで何が起こるのかを見極めた様なその動きは人の域を超えている。
「あ、貴方は一体――」
ピタ、とその歩みが止まる。その距離は二メートル。
クッ、と神裂火織は再び七天七刀に手を掛けその刀を抜こうとして
ドサ、とそれは倒れた。
まるで電池の切れたロボットの様に地面へ崩れ落ちた。
何かが起きた訳ではない、尊の体が限界を迎えたと言うのが正しいのかもしれない。本当の本当に意識を失い眠りについて行った。