とある魔術の天の住人 作:翔泳
12
真っ白な天井、壁、床、部屋のほとんどが白一色で覆われた病院の一室。尊はつい数日前に同じ光景を見ていた気がする。とは言うモノのこうやって天井を眺めているのは既に今日二回目だ。
ベッドの傍の窓は開いていて外から入って来る季節に似合わぬ涼しげな風が白いカーテンを爽やかに揺らしている。
尊は上半身を起こそうと体に力を入れた。
「痛てて、やっぱキツイな」
体を起こすのは今日二度目だから体が悲鳴を挙げている事くらい分かっていた。骨と言う骨はギシギシと痛み、有りと有らゆる筋肉は昨日ウェイトトレーニングを一日中やっていたのではないかと思えるくらいの筋肉痛を引き起こしている。思う様に体が動かない。
上半身を起こすだけの動作に歯を食いしばらなければならないほど体はボロボロだった。
ふぅ、と自然に息が漏れる。
ガラガラ、とドアの開く音。姿を現したのはカエル顔の医師だった。
「やぁ、また会ったね」
どう聞いても皮肉にしか聞こえないモノであったが仕方がないだろう。正直、尊もこんなに早くまたこの顔を見る事になるとは思っていなかった。
と、カエル顔の医師は何やら真剣な表情で尊に近づき
「君、もしかしてナース属性なの?」
「……何ですかそれ」
真剣な表情から飛び出した言葉に呆気にとられる。
「ほら君一週間の間に二度も入院してきてるし、そう言った患者は看護婦の中で噂になるね?」
要するに看護師目当てで入院しに来ているのではないか? と言う事らしいのだが……
確かにここ数日の間に入院を二度もする事になってしまった。かと言って別にナースが好きだからとか、病院でのナースとの出会いに期待しているだとか、ナースとの疚しい事を目的としているだとかそう言う趣味は無い。
何だ残念、と残念そうな顔をしながら部屋を出て行こうとするのは少し問題かもしれないが、
「そう言えば手紙は読んだのかな? そこに飾ってある花と一緒に君を運んで来た背の高い女性が今朝持って来たモノだよ、と言うか前回は違う女の子だったね? 君、案外モテるのかな?」
などと言いながら、また来るよ、と言葉を残し部屋を後にするカエル顔の医師。
医師の言う花と言うのは白い部屋に一か所だけ彩られた場所にある少し赤みがかった青い
花言葉は『元気な女性』と言うらしい。
手紙と言うのはこの枕元に置かれてあったこれであろう。
差出人は『神裂火織』となっている。
『怪我を負わせた本人が言うのも何ですがお怪我は大丈夫でしょうか? ただあれは貴方に私たちと同じ痛みを味わってほしくないと言う想いからの行動と理解して頂きたいと思います。
謝罪代わりと言っては何ですが、貴方が眠っている間に起きた出来事を軽く報告しておきます。単調に言いますとインデックスの問題は上条当麻が解決してくれました。私たちが何年かかっても解決出来なかった事を彼は成し遂げてしまったのです。そのお陰でもうあの子の記憶を消す必要が無くなりました、本当に彼には感謝しています。病室も隣になりますので一度顔を出してあげて下さい。
貴方とはまたいずれ会う事になるでしょう。それまで上条当麻と共にインデックスをよろしくお願いします。短い文となりましたが謝罪と報告とさせて頂きます。』
こう言った内容になっていた。
「てかどこまでボコボコにすればこんな体になんだよ?」
と、改めて体を捻ったり背伸びをしてみるが……
ピシ、と電気が走った様な感覚に歯を食いしばる。
右手はチクチクと針を刺す様な痛みが走り、体幹部分では腹筋が役に立たない。上体を起こそうとした時にも腹筋だけでは起き上がる事が出来なかった。もはや腹筋がずっと酸欠状態なのではないかと疑いたくなるほどの使い物にならない。
しかし彼女にやられたくらいでこんなにも体がボロボロになるのだろうか?
確かに神裂火織は強かった。と言うよりも尊は手も足も出なかった。ただ体を改めて見たが外傷は思いのほか少ないのだ。
右手は包帯でグルグル巻きみされている所や痛みから外傷はある程度あるみたいだ。ただその他の部分では斬撃による切り傷やアスファルトがぶつかった所や最後に殴られた腹部に青アザが見られるが、それでもこの体の痛みとは比例しない気がした。
どちらかと言えば外部からではなく内側から痛めつけられた感じだった。
13
ぎゃぁぁぁ、と言う絶叫が病棟中に響き渡った。
声の主はどうやら隣の病室の彼の様だ。
軋む体に鞭を打ち、ベッドの横に置いてある松葉杖を左手に持ってゆっくりとした足取りでドアへと向かう。
ドアを開けると同時に白い修道服のシスターが部屋の前を通り過ぎて行く。
元気そうではあるが何やら不機嫌そうな動きとプンプン、と言う効果音付きで廊下を歩いて行った。
きっと紫陽花にはこう言う意味が込められていたのだと考えながら尊はゆっくりと廊下を歩いて隣の部屋へと向かう。
立った瞬間に違和感はあったが廊下を歩き始めてそれは確信に変わる。
「足が一番酷いんじゃねぇか?」
重いのは体では無く足自身だ。まるで鉛をぶら下げられた様に重く鉄球でも引きずっているかの様に足が前へ出ない。膝を曲げて足を上げる動作も難しい。一歩一歩足を踏み出す毎に痛みが全身を走り回る。
足の筋肉を全て破壊されてしまったかの様に見事に足は動いてくれない。
それでも松葉杖に体を預けてゆっくりと確実に前へと進む。
たった十メートルほどの距離だったが今はそれ以上に感じた。
ようやくドアの前に辿りついてドアノブに手を掛けた所で
『けど、あれで良かったのかい?』
そんな声が部屋の中から聞こえて
『君、本当はあの子の事も何も覚えていないんだろ?』
ガラガラ、とそのドアを開いた。
ふらつく足を出来るだけ速く動かして。
自室と同じように真っ白でカーテンがヒラヒラと揺れる部屋。一人はカエル顔の医師、そしてベッドに座るもう一人の彼が見えた所で
「覚えてないってどう言う事だ!?」
尊は会話に割り込んだ。
二人は驚いた表情でこちらを向いている。カエル顔の医師は、聞かれちゃったね? みたいな顔で上条当麻を見つめ、その上条当麻は一瞬表情を曇らせたがこちらを見つめて
「いやぁ、何の事だか?」
飽くまで白を切る。
「じゃあ、俺の名前を言ってみろ」
――それは……
上条当麻の言葉が詰まる。
あれだけの事を一緒にやっておいて覚えていない訳がない。
「君たちは知り合いみたいだね? なら彼くらいに知っておいてもらってもいいんじゃないかな?」
カエル顔の医師は上条当麻にそう告げた。
「記憶喪失?」
立っている事に辛くなった尊は上条当麻のベットの足元に横側から足を放り出し腰かけながらそう聞き返した。
「正確に言うと記憶破壊になるね? 脳細胞ごと思い出を破壊されているからまず思い出す事はないと思うよ?」
医師は語る。
――二人の魔術師と名乗る男女が上条当麻とインデックスを病院に運んだ事。
――その内の一人はその昨晩に尊を連れて来た事。
――上条当麻の脳は魔術によって破壊された事。
その他にも魔術師と名乗る二人から聞かされた話を医師は話す。
代償は大きすぎた。上条当麻はインデックスを助ける為に自分の記憶を失ってしまった。
「インデックスには伝えてあるのか?」
第一にそれが気になった。インデックスの事だ、自分の所為で上条当麻の記憶が無くなったと知れば大騒ぎになるどころでは済まないハズだ。
だから返って来たのも
「いや、あの子には伝えてない」
その答えだった。
ただどうやって誤魔化す事ができたのか?
《
「
どうやら上条当麻の右手には
もちろんこれもカエル顔の医師から聞いた話しだそうだ。ただ上条当麻にしてみれば自分の右手にそんな力があるなんて言われても信じられない話しである。
しかし尊は思い出す。かつてステイル=マグヌスと戦った時に上条当麻の右手が灼熱の炎を打ち消した事を。
つまりインデックスには
魔術が脳に達する前に
と言う事にしてしまったみたいだ。
何故インデックスが怒っていたかと言うと、記憶を失った振りをしてインデックスをからかった後、
「でも先生も良くそんな話しを信用しましたね? 魔法とか魔術師とか、そう言ったモノって医師には一番遠い存在じゃないですか?」
「案外そうでもないんだよ? 病院とオカルトってもは意外と密接な関係でね? 宗教によっては輸血や手術もダメ、命助けても裁判沙汰ってのがよくある話しだからね? 医者にとってのオカルトって言うのは『とりあえず患者の言う通りにしておけ』って意味なんだよ?」
とカエル顔の医師は得意げに話す。
「あんたはこのままでいいのか? インデックスに真実を伝えたりはしないのか?」
尊は上条当麻に質問する。
ウソをつき続けると言う事はこれから先知らない事でも恰も知っている様に振る舞わなければならない。
しかし、これでいいんだ、と彼は答えた。
「なんかあの子にだけは泣いて欲しく無いって思ったから、覚えてなくたってそう思えたから」
上条当麻は純粋に微笑んでいた。
それだけ上条当麻はインデックスの事を守りたかったって事。嘘をついてまでインデックスの笑顔を守りたかったって事。
だから
「――当麻が言うなら俺もそうするよ」
インデックスには内緒のままが一番良いと尊も思った。
上条当麻の思い出は死んでいる。尊と一緒にステイル=マグヌスを退けた事も、月詠小萌先生の家にお世話になっていた事も、神裂火織にボロボロにされた事も覚えていない。もちろんインデックスと過ごした日々何てモノも記憶には残っていない。全て脳細胞ごと壊されてしまったんだから。
一体なぜそんな事を思えたのか?
どうしてインデックスだけは泣かせたくないと思ったのか?
そんなモノは
脳が覚えていなくたって『心』に残ってたって話しだ。