とある魔術の天の住人 作:翔泳
1
八月一七日
とある寮の一室。特に散らかっている訳でもなく、片付いている訳でもない。ただ単に荷物が少ないだけ。そんなまだ余り生活感の溢れないモノ寂しい雰囲気の残る部屋の真ん中で二人の少年は向かい合っていた。
一人はこの部屋の主の守越尊。まだ数回ほどしか使われていない新しいベッドに腰かけながら目の前の光景をため息混じりに、まるで同じ失敗を繰り返す部下を目の前にする上司の様な表情で見つめていた。
数時間前、二週間以上に及ぶ入院生活から解放された尊は久しぶりに自室で朝を迎えていた。ベッドの棚に置かれている目覚まし時計は午前八時を指しているのだが次に時計を見るのは午前九時となる。 この約一時間守越尊が何をしていたかと言うと
二度寝だ。
二度寝ほど気持ちの良いモノは無い。朝、目を覚ましてからもう一度眠りに入れると言う幸せな気持ち、幸福感、まさに祝福の時と言えよう。
ちなみに何故二度寝が気持ち良いかと言うと二度寝の最中は睡眠が浅い状態にある為、寝ていながらも寝具の心地よい感触がなんとなく感じられるという状態である事と、完全に覚醒している訳ではないので視覚や聴覚などが半分遮断された形となり、起きている時に比べて光や音の刺激がやわらいで感じられるかららしい。
だが実際の所、二度寝に入る際にそんな詳しい事を考えた事はない。二度寝は気持ちがいい、その結論さえ分かっていれば十分なのだ。
しかしそんな祝福の時は一人の少年よって終わりを迎える事となった。
隣の住人、上条当麻である。
朝の九時前後に響き渡った彼の悲鳴によって尊は現実世界に引きずり戻された。
そんな上条当麻が今目の前にいるのだ。
「で、何をしたらそんな風になるんだ?」
テーブル越しに座るもう一人の少年上条当麻は右頬に真っ赤な紅葉マークを張り付け、体の有らゆる場所に何かに噛みつかれた歯型が残っている。おまけに左目には喧嘩で殴られた様なアザが目の周りを覆っていた。
上条当麻が言うにはそれは不可抗力だったと言う。
それは午前九時前の事。
上条当麻は訳あって自室のバスタブの中で睡眠と取っていた。硬く冷たい床は今の時期となっては逆に気持ちがいいらしい。
そんな場所に一人で眠っているハズの上条当麻にどうしてか水の流れる音が聞こえて来た。シャワーの流れる音。まだハッキリとしない意識の中、上条当麻は丸まった姿勢から上半身を起こすのだが、
そこには生まれたままの姿でシャワーを浴びる少女の姿があった。
歳は十四か十五で外国人らしい純白の肌に腰まで伸びた白銀の髪。鼻歌交じりに胸元にシャワーの水を浴びていた少女はこちらを向いて時間が止まった。
彼女の名前はインデックス。この上条当麻の部屋に寝泊まりするシスターであり、上条当麻がバスタブを寝室とする原因である。
部屋に一つしかないベッドはこのインデックスが使用している訳であって、健全な高校生である上条当麻は間違いを起こさない為にバスタブで睡眠を取っているのだが……
うっかり風呂場のカギをかけ忘れた上条当麻と上条当麻がバスタブで寝ている事をすっかり忘れていたインデックス。二つの偶然が重なりこの不幸(こううん)は訪れた。
――あ、あの、えぇっと……
とりあえず、
――お、おはよう
瞬間、頭を丸かじりされた少年の悲鳴が寮内に響き渡った。
二度も見られた! なんて叫ばれながら強烈なビンタを喰らい、桶が飛びシャンプーやボディソープの容器が飛び、おまけに飛んで来た椅子は左目にクリティカルヒット。これでもかと言うほど体中を歯が襲い、何故か自室を締め出されて、
今に至ると言う訳だ。
「て言うか、今の話しだと以前にも当麻はあの子とそんな事があったみたいだけど……まぁ覚えてないよな」
上条当麻は記憶喪失なのだ。
記憶喪失と言っても全てを忘れた訳では無く、脳内に蓄積されていた『思い出』のみがゴルフのグリーン上にカップを開けるみたいにごっそり抜き取られた感じだ。つまりはその他の知識は生きている。『おはよう』が朝の挨拶のだったり携帯電話の使い方だったり、そう言った事は覚えているのだ。
「はぁ、記憶が無くなる前の俺はあの子に一体何をしたんだ……」
とは言うモノの、直接インデックスに訊く事も出来ない。
彼女には上条当麻が記憶喪失と言う事は秘密だからだ。インデックスだけでは無い、ここにいる二人(+カエル顔の医師)以外には知られない様にしている。
その中でもインデックスだけには知られてはならない。それは思い出を失う前の上条当麻から思い出を失った上条当麻へ唯一受け継がれたモノと言えるのかもしれない。
初めてインデックスを見た瞬間この子だけは泣かせてはいけない、そう思う事が出来たと言う。それだけ上条当麻はインデックスの事を大事に思っていたと言う訳だ。
とりあえずどうにかしないといけないと言う事で上条当麻の部屋のドアのノックしてみるモノの応答がない。上条当麻曰く、基本的にインデックス一人の時はドアを開けるな、と言う事になっているそうなので守越尊だと言う事を名乗ってみる。
ガチャ、と鍵の開く音が聞こえてドアがゆっくりと開かれるのだが、
ブスっとした表情で
「後ろにとうまがいるんだよ」
なんて言いながら再び施錠される始末。
どうにか交渉でドアを開けてもらって上条当麻を中に押し込む事に成功したのだが、後は上条当麻の頑張りしだいである。
再びこの寮全体に悲鳴が轟かない事を祈りつつ尊はエレベーターに乗り込んで寮を後にした。
2
時刻は午後二時過ぎ。尊はとある建物の前にいた。
どこか歴史ある洋館の様な石造りの三階建ての建物は常盤台中学の学生寮だ。
初めて来るにも関わらず一寸の迷いも無くこの場所に到着できたのは『第七学区・常盤台中学学生寮前』などと言うバス停が存在するからだ。
情報によるとこの常盤台中学はこの学園都市内で五本の指に入るエリート学校であり、生粋のお嬢様校であると言う。
ただ尊が出会った常盤台中学の学生と思われる少女は三人。一人は自動販売機に見事な上段蹴りをヒットさせジュースをタダ飲みする少女。もう一人はその少女に好意を寄せ人前にも関わらず大胆な行動を取るツインテールの少女。
この二人を見ただけでも本当にお嬢様校であるのか疑問に思ってしまうのだが……
正面玄関前まで来た尊は横壁にいくつも並んであるポストの中から二人の名前を発見する。
『二〇八号室、御坂美琴・白井黒子』
「あぁ、二人は同部屋なのか」
すぐ隣にインターホンがある。マンションと同じように電卓式のボタンがあり、部屋の番号を押せば直接その部屋に繋がるらしい。
(えぇっと二〇八っと)
カチッとインターホンを押した所で
(……そう言えば、向こうはこっちの名前知らないんだった)
ブツッと言うインターホンのノイズと共に
「えと、あのう、御坂さんいますか?」
なんて言う改まった声での質問。相手は年下の中学生にも関わらずどうしてもこう言った機械の前では敬語みたいなモノを使ってしまうみたいだ。
『お姉様はただ今外出中ですが、どちら様ですの?』
どうやら声の主は白井黒子の様だ。
「あぁ、守越と言いますが、一応白井さんとも二回ほどお会いした事があるんですけどね」
数秒インターホンからの返答が途切れて
「あら、あなたでしたの」
その声は後から聞こえた。
振り向く先には先ほどまでインターホンで会話をしていた白井黒子がいた。
「そんなに驚かなくてもよろしいのでは? 私はただ
改めて便利な能力だと痛感する。ちなみに寮内では能力の使用は禁止されているのでご内密にとの事。
「守越さんでしたわよね? お姉様にどう言ったご用件ですの?」
自分の物を取られまいとする獣の様な威圧を感じる。
「用があるって訳じゃないんだけど――」
「まぁ、用も無いのにお姉さまに会いに来るなんて。あなたストーカーか何かですの?」
「いや、そうじゃなくて、妹の事を訊きたいと思って」
尊が出会った少女の三人目はミサカの事である。
尊にとってインデックス以上の謎めいた少女であった。
あの夜の出来事が入院中何度も頭に浮かんできた。あの夜は間違いなく存在した。にも関わらずカエル顔の医師は彼女に怪我は無かったと言い張る。
しかし最後に見たのは間違いなく血にまみれそれでもあの男に向かって行くミサカの姿だ。
ミサカ自身の事、あの少年の事。そしてその少年が口にしていた『実験』と言う言葉。
知りたい事は山ほどあった。
この学生寮に来たのも彼女が常盤台中学の制服を身に纏っていたのでここに来れば居場所が分かるかもしれないと思ったからだ。
しかしながらポストを見ても彼女の名前は無く、あったのはミサカの姉である御坂美琴の名前だけだったのだ。そうなれば姉の御坂美琴を頼るのは当たり前である。
それなのに目の前の白井黒子は頭の上に『?』が付いていそうな表情で首を傾げている。
「姉にそっくりな妹だよ。ここに名前がないからどこにいるのか訊きたかったんだけど、あんた分かるかな?」
あれだけそっくりなのだ。同じ学校にいれば嫌でも目立つしどこにいるかなんてのはすぐに分かると思ったのだが、
何を言っていますの? と白井黒子は呆れた表情で
「お姉様に妹などいませんわ」
そんな驚くべき一言が返って来た。
え??
尊は聞き間違えたのではないかと思って訊き返した。それでも
「ですから、お姉様に妹などおりませんの。何か勘違いされていらっしゃるのでは?」
やはり聞き間違えではなく返って来た答えは同じだった。
3
御坂美琴に妹はいない。
そんなハズは無かった。彼女は確かに御坂美琴の事を『お姉様』と言っていた。
白井黒子が嘘を言っている様には見えない、増して四六時中御坂美琴と一緒にいていそうな彼女が、妹の存在を知らないと言うのがおかしい。
ミサカが嘘をついているのか? しかしあれだけ似ていて他人の空似と言う事もないだろう。
だとすると大げさな考え、存在がバレてはいけない理由があるのかもしれない。
学生寮を後にしバスに乗り込んだ尊はそんな事を考えていた。
あの後、白井黒子にはやっぱりストーカーだっただの、お姉さまは渡しませんだの色々な事を言われたがそんな事は気にしてはいなかった。
とにかくミサカか御坂美琴を見つけるしかない。
バスを降りた尊はある場所に向かって歩いていた。学園都市は広い。闇雲に探したとしても二人に出会う可能性は低いだろう。だからまずは初めて出会った場所を探すのが筋、と言う事で尊はミサカと初めて出会った公園を目指した。
既に空はオレンジ色に変わっている。街行く人たちの数も次第に減って来ていた。
正直出会える可能性はゼロだと思っていた。学園都市全体で二三〇万人、単純計算で一学区一〇万人。そんな中から一人に出会えるとしたら運命と言えるかもしれない。
しかし彼女はいた。
初めて出会った公園で、同じ木の下。肩まである茶色い髪、半袖の白いブラウスにサマーセーター、灰色のプリーツスカート、そして額には大きな軍事用ゴーグルを引っかけている。
御坂美琴ではなく、その姿はミサカで間違いなかった。