とある魔術の天の住人 作:翔泳
4
彼女は立ったまま木の根元を見降ろしていた。
初めて出会った時の様にそこに猫がいる訳でもないのに、ただラフの様な草が生い茂っているだけの場所を見つめていた。
近づく気配に気が付いたのか、ゆっくりと首から上だけで振り向いて尊を見る。
「あなたでしたか、とミサカは呟きます」
その姿は以前と何も変わる事は無い。視界に映るモノを全てを追いかけている様な焦点が曖昧の瞳、少し変わった口調、感情を表に出さないその表情、額に付けられた軍用ゴーグル。
体のどこを見ても傷一つ見当たらない。
既にあれから三週間近く経っている。傷跡が残らないのも不思議ではないかもしれないのだが。
(もしかしたら見えてない部分に傷跡があるのかも……)
何て考えながら生唾を飲み込んだ所でハッ、と自分が危ない領域を想像しようとしていた事に気が付く。
慌てて首を左右に振って妄想を振り払う。
「こんな所で何やってんだ? 猫でも探してるのか?」
と言う今思いついた質問をしてみる。確かに以前この場所に猫はいたのだが、発した言葉は単なる話しかける為の口実である。偶々そこが猫のいた場所であっただけで話題は何でも良かった。そう考えていたのだが、
「はいそうです、とミサカは返答します」
自分で質問をしておいてその質問の答えがyesだった事に正直驚いていた。
しかしよく見てみると
「あぁ、それをあげるつもりだったのか」
その手にはマタタビが握られていた。
「マタタビを猫に嗅がせると恍惚状態になるとの事前情報がありましたので一度見てみたかったのですが、とミサカは理由を説明します」
ミサカは手に持っているマタタビを少し持ち上げて、軽くその手を振るとマタタビは一定のリズムでフサフサと揺れている。
「まさかあれから毎日ここに来てるとかそんな事ないよな?」
「いえ、そんな事はありません。今日は偶々この近くに用がありましたので立ち寄っただけです、とミサカは質問に答えます」
じっと数週間前に猫のいた場所を見つめるミサカ。その顔は無表情で感情の無いロボットの様で、ただ数秒に一回瞬きをする以外は全く動く事が無い。呼吸をしているのかさえも怪しいくらい物静かな表情だ。
しかし、尊にはその下を見つめる顔が何故か寂しそうに、そしてすぐにいなくなってしまいそうで、そんな風に感じた。
「――探そうか?」
不意にそんな言葉が尊の口から飛び出した。
「何をでしょうか? とミサカは問いかけます」
「だから――猫」
正直猫くらいすぐ見つかるだろう思っていた。可能性は無きにしも非ず、三週間も前に出会った猫が一番なのだろうが、この際猫なら誰でもいいだろう。
本来の目的も忘れた訳ではなかったが、困っていたら何故か力になってあげたい、そんな事を考えてしまうタイプの人間の様だ。
しかし、すぐに見つかるだろう、と言う簡単な気持ちで始めてみたのは良かったものの
「なんで……一匹もいないんだ?? 野良猫くらい一匹いてもいいだろ……」
街中となれば裏路地、建物と建物の間といった場所に猫がいそうなイメージがある様に、公園と言えば草むらに一匹くらいは猫がいそうなイメージがあったのだが、
そう言ったイメージを尽く潰して行くかのように最早毛玉すら見当たらなかった。
公園のブランコに腰かけながらため息を漏らす尊と、その隣のブランコに同じようにして腰かけるミサカ。
既に空はオレンジ色から紫色へと変わっている。公園の周りにある数本の街灯と少し離れた所にある自動販売機が光を放つだけで、その公園には当たり前の如く二人以外の人の姿は無かった。
周りに人はいないものの、他人からみたら恋人みたいに見えるのかな? なんて事もチラッと考えながらとりあえず、
「悪かったな、見つからなくて」
ミサカが猫に会いたがっていた様に感じたので言い出した事なのだが、(実際はどう思っていたかは不明)終わってみれば全くの成果なし。
多少は自信があった為残念な気持ちが大きかった。そしてそれに追い打ちを掛けるかの様にミサカの言葉が発せられる。
「いえ、初めから期待はしていませんでしたので、とミサカは心の中で呟きました」
(期待されてなかったんだ……)
ミサカはブランコを前後に少し揺らしながら、今だ手に持っているマタタビを見つめながらクルクルと回している。
親指と人差し指で回す度に実の部分がブルンブルンと回る。
「このマタタビは使い道が無くなってしまいました、とミサカは残念そうに呟きます」
その姿を見ている限りでは期待していなかったと言ってもやはり猫に会いたかったのだろう。
しかし、ふと何かを思い出したようにミサカはブランコの揺れを止めて、スッとそのマタタビを尊へと差し出して来る。
「……俺は猫の代わりにはなれないぞ。そんなマタタビ相手にミャとか言ってゴロゴロするスキルは持ち合わせて無いからな」
そう言う訳ではありません、とミサカは呟き
「マタタビの名前の由来の一つに、マタタビを食べた旅人の疲労が回復し又旅が出来た、と言うモノがありますので捜索に疲れたあなたの疲労を回復させる為にもミサカはあなたに――」
「いや疲れて無いし、疲れてたとしてもマタタビは食べないし!」
そうですか、とミサカはスッと立ち上がり今まで持っていたマタタビをブランコの上に置く。
そして何事も無かったかの様にその場を後にしようとするのだが、
「ま、待てよ!」
尊は猫を探しに来た訳でもない、マタタビで遊ぶ為に来たのでもない。
「あんた、今からどこへ行くつもりだ?」
ミサカはそっと振り返る。
振り向いた彼女の顔は何も変わらない。視線も表情も感情を持たない人形の様に眉一つ動かさない。今まで何とも思わなかったかったその表情が今となって何故か恐ろしく感じていた。
「ミサカはこれから用事がありますので、とミサカは理由を説明します」
以前にも聞いたセリフだ。
あの日ミサカは同じセリフを言った後裏路地へと消えて行った。そしてそれをこっそりと追いかけた尊は、一人の少年と会うミサカを見つけてその後――
「一つ聞かせてくれ。あの時俺を病院まで運んでくれたのは、あんたなんだよな?」
「はい、ミサカで間違いありません、とミサカは申し上げます」
「じゃぁあの血を流していたあんたは何なんだ? なんであれだけの事があって無傷で俺を病院に運べるんだ? あんたは確かに傷を負っていた、傷が回復でもする魔術でも使えるのか? そもそも『実験』ってなんだよ」
ミサカは今までほとんど即答していたにも関わらず今回即答して来ないと言う事は考え込んでいるのだろうか?
しかし分からない。何せ表情は全く変わらないのだから。
そしてミサカはゆっくりと口を開く。
「魔術と言う言葉は分かりかねますが、ZXC741ASD852QWE963、とミサカはあなたを試します」
「な、何を言って――」
「今の符丁を
話し終わると同時にミサカは体を反転させて歩き始めるのだが、その足は数歩進んだだけで止まってしまう。
「何をしているのですか? とミサカは疑問を投げかけます」
ミサカの目の前には尊が立っていた。
「行かせない、あんたは今から『実験』に行くつもりなんだろ。何であんたがあんな事しないといけないんだ?」
「それは、ミサカはその為に作られた様なモノですから、とミサカは答えます」
――つ・く・ら・れ・た??
その言葉の意味が理解出来なかった。人を表現するには間違っている、人間は生まれて来る者だ。作られる者では無い。
「あんたは、御坂美琴の妹じゃないのか?」
「はい、ミサカはお姉様の量産軍用モデルとして作られた単細胞クローン――
ミサカは表情一つ変えずにサラッと言ってのける。自分が今どんな事を言っているのか分かっているのだろうか?
尊には分からない、彼女が何を考えているかなど。
そんな言葉の中にも引っかかる言葉が、
――妹達??
「ちょっと待て、達? って事はあんた以外にも――」
「はい、ミサカの
あ、と尊は三週間前を思い出す。
『はい、ミサカの検体番号(シリアルナンバー)は九八〇三号です。とミサカは返答します』
彼女はそんな事を口にしていた。そして『九八〇三次実験』そうとも言っていた。
つまり、単純に考えても約一万人のミサカがいると言う事とそれと同じだけの実験があると言う事。
ゾク、と何か嫌な予感がした。
もしこれらが本当だとした場合、あの夜の出来事の謎が解決してしまう。
傷だらけのミサカが何故無傷で病院まで自分を運べたのか、
「おい、俺が初め出会ったミサカは……どうしたんだ?」
「
そんな事を言っていても彼女の表情は変わる事は無い。さらに彼女は続けて
「ミサカは電気を操る能力を応用し、お互いの脳をリンクさせて記憶を共有させています、とミサカは説明します。あなたを多少なりとも実験に巻き込んでしまった事はここに謝罪しましょう、とミサカは頭を下げます」
尊は言葉が出て来なかった。
一体どこの二次元か液晶の中の話しをしているのだろうか? そう思いたくなる。
聞いては行けないような言葉がいくつか発せられた。
死亡? 実験動物?
「ふざけるな……何が心配ないだ」
尊は歩き始めようとしていたミサカの前に仁王立ちの様に両手を広げて立った。
「何のつもりでしょうか? 話せるだけの事は話しましたが? とミサカは警告も含めて申し上げます」
「そんな実験に行くと分かって見す見す通せるとでも思ってるのか!?」
最早何も考える事が出来なかった。とにかくミサカを行かせてはならない、そう湧いて来た気持ちだけで尊は彼女の前に立った。
「そこをどいて下さい、とミサカは再度警告します」
しかし尊は動かない。
「そうですか、しかたありません、とミサカは残念そうに呟きます」
ミサカはゆっくり歩き始めると尊に近づいて行く。
「実験の妨害と見られる行為の対象法をマニュアルに照らし合わせて確認します。この場合もっとも安全かつ効率の良い対処法は」
ミサカの足が尊のすぐ手前で止まる。
「行かせる訳にはいかない」
「分かっています、ですから――」
バチン、と一瞬にして尊の腹部辺りから全身に電流が走り地面に倒れた。
「――こうするのです、とミサカは答えます。ミサカの力はお姉様の一%程度ですが数十万ボルトの電気を生みだす事くらいは出来ます、とミサカはやって見せました」
ミサカは右手を尊の腹部に当ててスタンガンの要領で電気を流していた。
五〇万ボルト以上のスタンガンを使えば人を数分間失神させる事が可能である。
つまり効率の良い対処法と言うのは、相手を気絶させる、と言う以外にも簡単でシンプルなモノだった。
地面に倒れた尊を見つめるミサカであったが何を考えているのかは表情では全く予想がつかない。彼女はゆっくりと尊の上体を起こし背中に乗せると、山状に膨らんでいる砂山の真ん中にあるドラム状の空洞に尊を下ろす。
そういった事がミサカなりの配慮なのであろうか。
ミサカは意識を失い目を瞑っている尊を少し見つめると、
「さようなら、とミサカは別れのあいさつを致します」
軽く頭を下げるとミサカは公園を後にするのであった。