「眼前に広がる湖。漂う氷塊。湖を取り囲む針葉樹林。完全に北国だな」
サーシャとポックルを治療した次の日、2人が歩けることを確認した後、彼女らの家へ送り届けに来ていた。
湖岸は石造りの家が多く、漁業や農業などを営む市民が住んでいる。しかし、少し北に進めば一変し、木造りの家が立ち並ぶ貧民街へと姿を変える。
ここに来るまでの間、多くの市民から奇異な視線を送られてきた。何か汚い物を見てしまったかのように。
恐らく、貧民街に住む人達は差別の対象なのだろう。
「それで…騎士団長様もご一緒とは、随分と執務がお暇なようで」
若干皮肉げに言うと、リュエルは困ったように笑う。
今朝、ホテルのロビーで待機していたスヴァクト聖王騎士団団長リュエル・アルスートが、今回は一緒に着いてきたのだ。
彼の目的は、俺達の監視。
監視対象の観光客が、急に無償で国の子供を助けた、となれば裏があるのではと思うのが自然だ。
「はははは、これも僕の仕事のひとつだよ」
「綺麗な宗教国家、幸福な暮らしを謳ってた割に、万人が享受できる訳ではないようだな」
「あぁ、そうだね。昔と比べ、今のこの国は生きやすい国にはなった。だけど、全てが幸せになったとは言えないんだ。
僕も聖下も目下の問題として捉え、改善に向けての施策を推進しているところさ」
リュエルの目に偽りの色は見えない。貧民街で暮らさざるを得ない市民の再起に向けて、取り組みや思いは本物。
極寒の土地でありながら、貧民街で暮らす人々は皆布一枚を服のようにしていたり、瓦礫で作った焚き火に身を寄せて、北国特有の寒さを耐え忍んでいた。
シキから彼らに施しはかえって毒になる。観光客が無責任に関わっていい案件ではないのだから。
「ルコモリアは僕達にとって、無くてはならないものなんだ」
静寂に溶ける声で呟かれた言葉は、自然の空へと消え去った。
リュエルの表情は懐かしさを滲ませたような、それでいて何かを失ったかのようだった。
「ウェールズにも湖がある。俺たちの所じゃ、精霊の領域とも言われて王族以外の立ち入りは禁止されていたがな。それと似た景色で、つい思い出してしまった」
「そうか。そうだったね。ウェールズの伝説である夢魔の泉だったかな。アルゴノートのお話も好きだけど、僕は断然ウェールズの伝説が好きだった」
子供の頃、姉と慕っていた者によく朗読をせがんでいたことを思い出す。
まだ何も知らず、世界はただ美しいものだと信じ切っていたあの頃。
「この国に来て暫く経った。表向きは規則正しく、微笑みに満ちた幸福な国家。
国家が何十年、百数年の歳月を費やし、丹念に磨き上げた舞台装置と呼ぶべき、歪みの無い外面。
だがよ───この場所はどうにも大人の数が少ないな」
「……」
この集落には、比較的若い人間、子供しかいない。年配は数えられる程度の数。子供たちの数に大人の人数が合わない。1人あたり6人産めば、帳尻が合うレベル。
シキの見据える先にあるのは、カザヌを取り囲む高さ15mの石壁よりも高い壁が、不自然に延びていた。その石壁は湖と森の間を遮るようにそこにあった。
得た情報から石壁の向こうに何があるのかは、容易に想像がつく。
荘区──犯罪の収容施設と更生施設等がある。
そして、隣接するようにある貧民街とも言えるスラム。貧民街の住人は滅多に市民領域に踏み入ることはない。踏み入っても特に罰則がある訳ではない。
「まぁそうだね。概ね君の考えてる通りだよ。
僕たちは敢えて人目につかない箇所に、正道から外れた者、秩序を乱す者を纏めて、外との交流を絶たせている」
国営に関して特段間違ったことじゃない。
人の善悪において、最も拡散力があるのは悪性の伝播だ。悪性行動には抗いようの無い魅力がある。
悪人を一纏めにし、悪意の伝染を抑えることは国営において大事な事だ。少人数グループにおいても、和を乱す者は追いやり、平和を保とうとする。
「そして、特に意図した訳ではないけれど、貧民街の方々は一様にこの場所に居着くようになった。国から何か指示をした訳じゃない。
彼らも大事な信徒であることに変わりは無いさ。ただ、まだ国の不甲斐無い事だけれども、どうにかしたいという思いは聖下も同じさ」
貧民街で暮らす住民は職がない訳ではない。
畑仕事や物作り、清掃、雑用など、日々生きる為に頑張ってはいるのだろう。
「僕もこの国は歪んでいると思っているさ。だから、僕はこの国を蝕む膿を追い出す必要がある」
その言葉は、正義を語る者のそれだった。
一陣の冷たい風が2人の間を突き抜ける。
視線は穏やかな湖へと戻した。
「膿、か…」
小さく零す。
彼の真意は分からない。
しかし、彼の言葉には確かな善性があった。
「僕は昔、正義の味方に憧れていたんだ。裕福な暮らしではなかったさ。大人になるにつれ、多くの闇をみた。それでも、僕にとってこの国は美しい国だった。だから、それを守る為にスヴァクト聖王騎士団に入り、団長の座まで上り詰めた」
「……」
焚き火に集まり、暖を取っている住民に視線を動かす彼の表情は少しばかり、憐憫の色が浮かんでいた。
張り付いた空気。
凍てついた水面。
リュエルの心情を表してるかのように乾いていた。
「悪性を隔離。悪くない手段だ。だがな、棲みついた悪は誰の目にも映らない場所で人知れず腐っていくぞ」
リュエルは一瞬だけ目を伏せた。
その仕草は否定でも肯定でもなく、ただそこにある事実を受け止める者のそれだった。
「あの壁の先には何がある?ただの収容所では無いんだろう?良く見えないが、ここからでも濃密な魔力の循環が感じ取れる」
「ははは、一応壁の内側に魔力霧散の魔道具が取り付けられているんだけどね。どうやら君の眼は特別のようだね。
壁の向こうについて知りたいのであれば、良ければ案内するよ」
少し考える素振りを見せたあと、荘区の中を少し見させてもらうことになった。
貧民街の人々と交流を深めていたヘスティアを連れ、荘区の入口へと向かう。
荘区の入口は全部で3種。
1つは、央区から延びる石壁の通路を進む。
1つは、貧民街にある入口。
1つは、壁を迂回するように湖岸の絶壁を進み、険しい森と山岳から降る方法。
今回は貧民街から入る手段。
石壁の下には門があり、騎士と見られる衛兵が管理している。基本、貧民街の人間が荘区に立ち入ることもその逆も出来ない仕組み。
何故、貧民街に入口があるかと言うと、荘区に入る人間の多くが貧民街出身だからだ。
門前に着くと衛兵はリュエルに敬礼をした後、門を開ける為に守衛室に入る。人の手で開かないように機械仕掛けなのだろう。
門は開くが、今回は壁の外側の門が開いただけ。念の為、補足するが、別にシキは捕まった訳ではない。
捕まった者であれば、門のもう1つ奥にある荘区側の門も開くことになる。
しかし、今回は入ってすぐ右にある扉から壁の上へと進める階段を使う。
騎士用の荘区監視通路。
そこから荘区全域を見下ろせるようになっている。
「シキくん、どうして荘区に?」
ここまで特に発言をしなかったヘスティアは、無言の空気に耐えきれなくなったのか、気になっていたことについて問い掛ける。
「この一週間、荘区と霊区以外は訪れたからな。荘区がどういうところか、この目で確かめたかったんだよ」
因みに、霊区はこの後訪れる予定だ。
霊区には、カザヌの過去の英傑達が眠る石碑があるというので、一目拝んでおこうと思っている。
壁の上から見える荘区を一言で表すなら、統制の取れた管理領域。
建物は規則正しく並び、人が隠れて行動出来ないように全体的に死角を無くし、通りは広く、高い塀、鉄格子、見張り塔が外周を囲うように存在している。
特に目を見張ったのは、建物の配置だ。
中央にある広場を中心に円周に配置されていた。
やはりと言うべきか、
先日見た未来の光景に繋がる情報を得られず、心の中で舌打ちをする。
「リュエル、お前は膿を追い出すと言ったな」
「ああ、それがどうかしたかい?真に正しい形に戻す為に必要なことさ」
「どうにも解せんな。この区域を俺たちに見せた真意は何だ」
ここは余りにも管理され過ぎている。
秩序維持の為の隔離区画にしては、出来すぎている。
まるで、何かのさ────
───いや、まだそうと決まった訳ではない。
敵の全体像が見えない内に結論を急ぐ必要はない。
「……真意なんてないさ。ただ此処を、国の汚点を見せておくべきだと僕の直感が教えてくれただけさ」
信仰心とは、自分の理解を超えたものに、世界の答えを預ける行為だ。
根源にあるのはいつも、恐怖、無力感、不安に対しての防衛反応。防げない死、避けられない不幸に直面した時に、人は身勝手にも神に縋る。
カザヌにおける信仰心は、心の安寧を保つための祈り。
その一端を担っているのが、荘区なのだろう。
人々は荘区に入らない為に日々働き、主神に祈祷を捧げる。
「まるで家畜場だな、ここは」
「ああ、監獄かと思ってたけど、コレは…人を飼ってる?」
ヘスティアは息を飲む。
自分の価値観を犯されたかのような光景が頭の中を掻き回す。
荘区を流れる川に頭を浸けて家畜のように喉を潤す。広場の中央に設置された女神のシンボルの周りに配膳された雑穀を、貪るようにして腹を満たす。
凡そ、人の形をしたナニカが数千人近く荘区に住んでいた。
「まさか、そんなことは無いよ。僕たちは荘区には何も手を加えてない。監視と日々の食料を届けていること以外は、何も。アレは荘区の誰かが始め、それを他の人間が真似し始めただけさ。強制はしてない」
違和感はある。理解が及ばない。
偶々、見てしまった。
彼らには川と同じ魔力の残滓が纏わりついていた。
──────────────────────────
「川の上流にあるアレは何だ?」
シキの視線の先には、川の上流、森の奥に聳え立つ巨大な骸骨の石像。
石像の口から水が流れ、川となって荘区を伝い、湖まで流れていた。
「あれは、リーシーと呼ばれる森の精霊らしいよ。カザヌが建国する以前から存在した、ある部族が創った石像って話だ」
「ここにも精霊のお話があるのかい?」
「ええ、カザヌにとっての精霊は、森の精霊リーシー、水の精霊ルサールカ、そして自然の精霊サモディヴィ。この三柱がカザヌを大昔支えたと言われる精霊だよ」
図書館で確認した内容と一致している。
三柱の精霊全てが負の要素を持つ精霊にも数えられている。
ある哲学者が言った。
「守護と災厄は元は同じ根から生じるものだ」と。
荘区の連中が精霊像を認識出来るように広場からも川からも分かりやすい構造。
そして、川に混じる微かな魔力。荘区を出た瞬間、その魔力はより一層強まって、湖へ溶けていく。
「三柱の精霊は、かつて人を守った存在だ。
精霊への信仰心は時代と共に薄まった。神の到来によって、不可視の精霊に対しての疑心から信仰は失われた。建国の時期には、信仰の厚い部族は滅んでいたのだろう。
だからこそ、今や人を最も容易く滅ぼせる存在でもある。精霊とは、人智──いや神智すら超えた存在でもある」
改めて、荘区全体を流し見る。
広場にあるシンボルは遠目からでよく見えないが、皇城に取り付けられていたベロボーグのシンボルと似ていた。
「……今日はここまでにしよう」
リュエルはそう言って、荘区から視線を逸らした。
倣うようにシキとヘスティアも続く。
太陽は、南の空に低く掛かっていた。
「良ければ、このまま僕オススメのレストランへ案内するよ」
リュエルは、これ以上何も語らなかった。
シキも、それ以上追求はしない。
ここで尋ねても、返ってくるのは曖昧な答えだけ。
荘区は、決して更生施設ではない。
ここは、何かを育てる場所だ。
それだけを、胸の奥に留めておく。
「行こう、ヘスティア」
荘区の壁を出て、貧民街を後にする。
途中、サーシャ達から手を振られたので、こちらからも振り返した。
そうして俺たちは、湖に眠るその存在に背を向けて聖都に戻ることにした。
えびせん食べたい