無窮の果てに   作:雀盆

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支配の根底

 

 

 

 

 

 場所は皇城。

 教皇との謁見が許可されたシキとヘスティアは、リュエルの付き添いの元、玉座の間へと訪れていた。

 

 白の大理石と青い帯装飾を基調とした長方形の広間。左右の壁にはスヴァクト聖王騎士団の近衛騎士が配置されていた。

 教皇ヴィジェニヴァ=サバトス・キヴァルニチの座る玉座付近には司教服に身を包んだ者が数人此方を鋭い視線を向けていた。恐らく、枢機卿団の上澄みなのだろう。

 

玉座の間に足を踏み入れた瞬間、空気の密度が変わった。

 白い大理石の床に反響する足音が、妙に遅れて耳に届く。天井は高く、青を基調とした装飾が冷たい光を反射していた。

 装飾の一つ一つは過剰な自己主張を避け、すべてが中心――玉座へと視線を導くよう配置されている。

 

 そこに座しているのが、ヴィジェニヴァ=サバトス・キヴァルニチだ。 

 玉座から降りてくる気配はない。

 だが、座したまま動かないという選択自体が、すでに一つの意思表示だった。

 

 沈黙。

 

 教皇の視線がゆっくりとシキをなぞる。

 だが、教皇は何も言わない。

 驚嘆も、敬意も、拒絶も見せない。

 

 無言の確認を済ませ、尚も沈黙が続く。

 服の擦れる音が微かに響く。

 誰かの息遣いが風のように流れる。

 隣からガチガチに緊張したヘスティアの唾を飲み込む音が聞こえ、己の張り詰めていた緊張を解く。

 静かに視線を教皇へ合わせる。

 

「お初にお目にかかれ光栄です。教皇聖下。ウェールズの森、第18代盟主シキ・アンブロシウス・ウェールズと申します。本日はお時間を割いていただき、感謝致します」

 

 こういう挨拶は得意じゃないし、面倒ではあるが、豪に入れば郷に従えという極東の言葉がある。

 最低限の礼儀は弁えておくべきだろう。

 

「卿の勇名はこのカザヌまで届いているとも。ウェールズの一件は残念であったな。我としても、ウェールズの伝説は好きでな。何か困ったことがあれば、助力しよう」

 

「いえ、アレは避けようのない滅び故、お気持ちだけ頂戴致します」

 

「むぅ…そうか。ああ、そう固くならずとも良い。ハイエルフの、一里の主を跪かせたままでは気まずい。卿とは出来るだけ対等で在りたいと思っている」

 

「俺としてもそちらの方が助かる」

 

 言葉の裏に何があるか不明だが、少なくとも肩肘張らずに対等の立場での会話を行いたいのは本当らしい。

 砕けた直後、傍に控える枢機卿団の一部が此方をひと睨みしたのは見逃さない。君たちの顔覚えたからね。

 彼らは彼らでヘスティアに対して奇異な目で見ているのは自分たちの主神以外の神に興味があると言ったところか。

 

「此度はどのような要件か聞いてもよいか」

 

「国家系ファミリアの領内で世話になったからな、その主に挨拶くらいしておきたかっただけだ」

 

 本音は主神ベロボーグに挨拶しておきたかったが、流石に素直に顔合わせは出来ないか。

 

「よい、気にするな。我がもてなすようにリュエルに厳命したのだ。卿の目から見てこの国はどうであった」

 

 その問いは、旅人に滞在の感想を求めるものではない。

 評価でも賛辞でもない。

 

 ──何に気づいたか

 ──どこまで()えたのか

 

 それを確かめるための、前問答。試金石のようなものだ。

 

「整理整頓が上手い国とは思っているよ」

 

 即答でも間を空けすぎることもなく、平然と答える。

 

「法の明文化、治安維持、街道の管理。北国の割に物流は滞らず、自給自足も出来ている。教会主導の祈祷による民衆の統制。秩序の国と言っても差し支えないだろう」

 

 枢機卿団の数人が僅かに頷いた。

 どうやら期待していた解答で満足したのだろう。

 

「だが、息の詰まる場所でもあるな」

 

 空気が凍る。

 ご機嫌だった枢機卿団は眉を顰める。端に控える近衛騎士は武器を握る手に力が入る。

 

「ほう…」

 

 教皇は眉を微動だにしない。

 逆に少し面白がるような雰囲気を悟らせないよう控えめに漂わせている。

 

「俺の故郷ウェールズは規律も規範もあるが、それなりに自由の国だったからな。どうにもこの環境は息苦しさを感じてしまう」

 

「息苦しさ…か。成程、我らにとってはこの状態が常識だった故、その考えには至らんかったな。この国では市民による殺人や強盗といった事件が起きない、平和で幸福な国家だ」

 

 あるのは外部から来た人間による犯行。この国の連中は総じて信心深い。あの貧民街ですら定刻通り祈祷を捧げるとサーシャから聞いた。

 決まった時間、決まった方向に向かって祈りを捧げ、神に己の行いを懺悔する。そして、終いには救われると信じきっている。

 

「人が自分の足で立っているようで、実際には()()()()()()()

 

 言葉は刃だ。

 使い所を間違えれば終わり。

 だが、曖昧にはしない。

 

「誰かに命じられた訳でもなく、誰かに脅された訳でもない。生まれた時から皆、同じ方向を向いて、ブレることなく歩いていく」

 

 ここは玉座の間。

 均等に配置された青と白の装飾。

 統率の取れた近衛騎士。

 同じように肥え太った枢機卿団。

 

「それは強い支配だ。傲慢に強欲に、人としての在り方をそう有るべしと定めている」

 

 沈黙。

 3度目の沈黙。

 一歩間違えれば、端に控える近衛騎士が動きに来るだろうと予測した。

 未だ眉を顰め、不快感に顔を歪ませている枢機卿団の老人達は、醜い豚のように喚くだろうと予想していた。

 それでも静かにしているのは、偏に教皇が何も言わないからだろう。

 教皇は静かに息を吐く。

 

「──支配、とな」

 

「ああ、勘違いしないでくれ。別に悪い意味で言った訳ではない」

 

 そう、単純に俺からしたら息が詰まるってだけ。

 感想を聞かれたから素直に応えた、ただそれだけだ。

 

「恐怖による統治でも、暴力による抑圧でもない。民が、幸福であることを享受する為に、自分で選んで従っている。それも国の在り方の一つだ」

 

「それを、卿は“息が詰まる”と評したか。随分な評価だな」

 

「選択肢が最初から一つしかない生き方を自由とは呼ばん。狭い箱庭の中を、世界の全てだと知った気になって与えられる幸せに溺れているだけ」

 

 空気が張りつめる。

 流石に耐え切れなくなった枢機卿の1人が、口を開きかけ──

 ──教皇の手振りによって制された。

 

「では、卿に問おう。自由とは何だ」

 

「無形な何かだ。それと定めた時点で自由ではなくなる。染め上がった人生観で暮らす先に未来は無い」

 

 周囲が騒つくの肌に触れる空気から感じ取る。

 否定でも反論でもない。

 ただ、理解しようとしているが、理解出来なかった困惑。根本的な考え方が異なる故の思考の不快感。

 

「だが、ただ自由では国は存続せんだろう。卿も国家を維持する側なら理解出来るだろう」

 

 自由の理想論を、現実の重さで押し潰す為の一言。

 

「ああ、そうだな。その結果、俺たちは滅びた。ウェールズの数百年の歴史が燃え尽きた」

 

 敗北の告白ではない。

 起きた結果を受容した者の言葉だった。

 

「それでも、卿は同じことを言うか」

 

「ああ、自由を与えたから滅びたんじゃない。自由の責任を各々が引き受けられなかっただけだ」

 

 あの日もそうだった。

 安全だと確約も保証も出来ないが、困った人がいるからとお人好しな部下が助けた結果、ソイツが闇派閥(イヴィルス)だと気づいた時には全てが蹂躙されていた。

 

「責任、か」

 

「国家が取るべき責任は迷わせないことだ。道標が迷ったら誰が人を導ける。

 確かに人は弱い。選択肢が多ければ、多いほど迷うし壊れやすい。

 だがな、選ばせないと迷わせないは全くの別物だ」

 

「我は、いや教会は民が迷わずに済む道を整えただけに過ぎぬ。祈りとは自由を、選択を縛る為の鎖ではない。不安から、恐怖から解放する手段だ」

 

 清々しいほどの正論だ。

 この国において最上級の弁論。

 

「卿の言う自由は、常に不安との隣り合わせだ」

 

「不安を引き受ける覚悟を持たせることも、統治者の責務だ」

 

 これは、どちらかが折れる議論ではない。国を統治する上での、支配の根底にある思想の差だ。

 

「フフフハハハハ!やはりな。想定通り、我と卿では相容れぬな」

 

 張り詰めた空気が弛緩する。

 額に掌を当て大笑いする教皇ヴィジェニヴァ。

 彼はリュエルを一瞥すると、手振りで枢機卿団と近衛騎士に部屋から出るよう命令する。

 

「お前たちは出ておけ」

 

 渋々といった様子で広間から出ていくのを横目で見る。残ったのは教皇とリュエル、シキとヘスティアだけ。

 リュエルは手に持つ六角形の箱型魔道具を起動する。

 魔道具から発せられた光が広間全体を覆っていき、全てに行き渡るとリュエルはその魔道具を地面に置いた。

 

「いやあ、すまんな。枢機卿の連中が異端な外部の者と護衛もなしに対談は許せんと騒いでおってな。

 こうして互いに測れた今、この場にはリュエルだけ残ってもらった」

 

 どうやらここからが本題らしい。

 先程の魔道具は覗き見防止や聞き耳防止などの阻害系の効果があるのだろう。

 

「さて、卿達もこの国の現状を見知っただろう」

 

「ああ。さっき伝えたことは本音だ」

 

「フハハハ!分かっておるわ。統治理念など幾らでもある。気にするな。我も卿の思想には考えさせられた」

 

「流石に僕も一触即発な空気に僕も驚いたよ」

 

 リュエルは先程までのやり取りに肝が冷えたがと困ったような顔で苦笑していた。

 

「さて、シキよ。我に聞きたいことがあると聞いたが…改めて聞こう。何が知りたい」

 

「先ずは確認を。

 カザヌ・キーテッジにあるのは、主神ベロボーグの降臨する以前からある信仰だ。

 主神が降臨し、新たな信仰としてこの地に根付いた。

 旧神信仰派閥スヴァクトと現神信仰派閥ベロボーグに枝分かれているが、根本的な考え方は変わらない」

 

「然り、何をトップに据えるかは派閥があるが、信仰の内容は変わらん」

 

「文献や街の人達を探ってくうちに分かったことがある。それは、この国は自分たちが幸福であるために、悪性解脱を行った。悪性が無くなれば、そこにあるのは善性の塊」

 

 リュエルの眉がピクリと反応する。

 

「人である以上、悪性の解脱など、ほぼ不可能。だが、この国の連中は自分たちに悪性は無いと信じ切っている。それが当たり前だと、さも常識だと思っているかのようだった」

 

 言い切りではない。

 だが、推測にしては輪郭がはっきりし過ぎていた。

 

「民一人が悪性を切り捨てただけなら、悟りを開いた等と言い訳を連ねることも出来る。この国に住まう人々総じて悪性を切り離したのであれば、話が変わってくる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 教皇の笑みが、消える。

 否定も肯定もしない。

 沈黙、それこそが答えだった。

 

「信仰、祈祷、懺悔。

 それらは己の内に隠す悪性を消す儀式じゃない。

 悪性を流す為の導線だ」

 

 カザヌの地図を見れば、カザヌはサークル型の国家。央区を中心に円を形成するように各地区が広がっているが、各地区にある教会と祈祷する先にあるのは、央区にある皇城にあるベロボーグのシンボル。

 

「悪性を垂れ流すなんてことはできない。だから、その受け皿を用意した。この国にはお誂え向きに、国から隔離された場所があった」

 

 ベロボーグのシンボルが向いてる方向が荘区だった。

 国総出で行われている魔術的儀式。

 神の力(アルカナム)による権能行使でも神の血(イコル)による眷属の魔法でもない。

 精霊の力と魔道具によって国家を祭壇とみなした大掛かりな魔術的儀式。

 

「社会から切り離され、尊厳も、自由も、意志すら摩耗した場所。咎人を捕え、更生する施設?聞こえは良いが、その実は異なる」

 

 壁の内側に点在していた魔道具。

 外から内側の魔力残滓を悟らせないようにするための機構かと思っていたが、それだけじゃない。

 

「贄の祭壇だ」

 

 リュエルの表情が、明確に強張った。

 

「悪性を一箇所に集積し、“悪であること”を強制された憐れな生贄」

 

 実際に悪性を切り離せた訳ではない。

 だが、人々が「自分は神を信じているのだから悪人ではない」と信じきっているのであれば、儀式は成立する。

 そこに一切の迷いも卑しさもない純粋な信仰心故に舞台が整ってしまった。

 そう有るべしと定められ、長年崩されること無く継続しているのであれば、その儀式は概念として成立するのだ。

 

「長い年月を掛けて緻密に練られた国家規模の術式」

 

「───卿は、一体…何処まで見えている」

 

 低い声。

 叱責でも賞賛でもない。

 ただの旅人が数日過ごしただけで辿り着いた推察に、覚悟を図る問い。

 

「全てでは無い。この国が隠そうとしているモノは見えた」

 

 視線は真っ直ぐ、教皇から外さない。

 

「卿には無関係のことだ。そこまで深入りされる覚えは無いな」

 

「俺も他国の事情なんて興味無いからな、深入りするつもりはなかった。この国には本当に観光しに来ただけだった」

 

 微かに香る何か。

 以前、神についてヘスティアに聞いたことがある。

 

 神は不変だ、と。

 汚れないという意味ではない。

 揺らがないという意味だ。

 

 善は善として在り、悪は悪として在る。

 悪が善を名乗るのは、善になりたいからではなく、

 善を利用したいからだ

 ただ目的のために、善を“道具”として纏うだけだ。

 

 神の世界には、言い訳がない。

 在り方そのものが、正体になる。

 

「スヴァトヴィートを名乗ったベロボーグ。その在り方が正しいなら、かの神は善神であるはずだ」

 

「…何が言いたい」

 

「主たるベロボーグが善神であるなら、この国の体系を赦すとは到底考えられない。ベロボーグの神性は光と幸福、秩序を司る。この国の未来とは真逆の神性に疑念を抱かない訳がない」

 

 言葉を置いた瞬間、空気が一段重くなる。

 リュエルの喉が小さく鳴ったのが分かった。

 ヴィジェニヴァは、玉座に座したまま動かない。

 だが、視線だけが僅かに鋭利になる。

 

「……卿はこの国に根付く歴史が善を偽っていると言いたいのだろう」

 

「悪性を否定し、悪を外に追い出し、“此処に悪はない”と信じ込むことで成立する仕組み」

 

 一見すれば、秩序を保つ行為と言えるが、秩序の神が単一性の手段を取るとは思えない。

 ただのファミリア運営で一種の方向性を示すのであれば、有り得なくもない。

 しかし、ここは国家系ファミリアだ。

 複数の形や色を持つ秩序の神性では話が違ってくる。

 

「秩序の神であるなら、この国で展開される秩序(消去)を許容するのは不自然だ」

 

 秩序の在り方を肯定するのなら理解が出来る。

 秩序の在り方を指定するのは理解出来ない。

 

「許容しておらぬ、とは考えないか」

 

 ヴィジェニヴァが、静かに問う。

 

「許容していないのに、国家の信仰体系は回り続ける。つまり──

 ──神性は歪められている」

 

 リュエルの指先が、置かれた魔道具の縁を無意識に撫でた。その動きが、肯定にも否定にも見えてしまうのが厄介だった。

 

「卿の推理は鋭い。成程、ウェールズの伝説…人理救済の英雄の名代は伊達ではないらしい」

 

 ヴィジェニヴァが、そこで初めて椅子の背から身体を起こす。

 コツコツとゆっくりとシキ達の元へと近づいてくる。

 

「だが、1つ訂正しておけ」

 

 声は優しい。

 優しく、冷酷に伝わる。

 

「神は歪められぬ。歪むのは、()()()だ」

 

 その言葉が胸の奥に沈み込む。

 教皇は淡々と続ける。

 

「人は、神を理解出来ぬ。理解出来ぬものを崇め続けるには、形が必要だった。輪郭が必要なら描き直す。塗り替える」

 

 教皇は振り返り、玉座の奥にあるモノを見上げる。そこには神の姿を表現したステンドグラスが壁に埋め込まれていた。

 

「卿の言う国家規模の術式が実在するのなら、それは神の名を不遜にも借りて、民の心を同じ方向へと流したのだ」

 

 教皇とリュエルはベロボーグを主神と崇めている者たちなのだろう。そして、この国で起きている儀式はベロボーグの意志によるものではない。

 まだ確信は得てない。

 99%が100%になる為の情報が欠けている。

 

「違和感はずっとあったんだ。アレがベロボーグであるのなら、かの神は男神であるはずだ」

 

 皇城に取り付けられている祈祷用のシンボル。

 古い文献や歴史書。

 玉座の間に飾られているステンドグラス。

 

「であれば、荘区に設置されているシンボルは何故女神の姿だったのか」

 

 教皇は意味ありげに口元を歪める。

 シキの考察を待っていたかのように。

 

 遠目からではあったが、間違えようもない。

 胸があった。

 ヘスティアにも後で確認したから間違いない。

 あれは女神のシンボルだ。

 

 ヴィジェニヴァは答えない。

 答えないまま、沈黙だけが流れる。

 

「さて、最後にこちらから問おう。お前たちは敵か?」

 

 99%の推測。

 答えは分からない。

 だが、やるべき事だけは分かっている。

 

「敵では無い。ただ我らはこの国の在り方を正したい。ただ、それだけの事よ」

 

 王の目だ。

 俺はこの目をよく知っている。

 あの日、燃え盛る森の中、滅びることも死に行くことも理解した上で、それを受容した男と同じ目だ。

 

「では、我からも卿と女神ヘスティアに問おう。この国を救ってはくれぬか」

 

 その問い返しで、玉座の間が再び静まった。

 ──今度の沈黙は、先程までの測り合いとは違う。

 

 これは、扉の前の沈黙だ。

 開ければ、戻れない。

 

 

 

 

  

 




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