忘れてた(ノ≧ڡ≦)☆
「こうして会うのは初めましてね。アトランティスの女神ヘスティア」
声は柔らかかった。
まるで旧知の友へ向ける挨拶のように。
だが、その場に満ちていた空気は、到底そんな穏やかなものではない。
場所は皇城地下深く。
地上の祈りと悪性が流れ着く儀礼祭壇。
魔導灯の青白い残光と、黒泥のような魔力の脈動が、湿った石壁を怪しく照らしていた。
祭壇の最奥。
教皇の玉座を模した黒い座に、女神ヴェレスが座っていた。
青と黒を溶かしたような装い。
長い髪は水底の影のように揺れ、口元には愉しげな笑みが浮かんでいた。
その足元には、拘束されたままのベロボーグ。
両手両足を鎖で繋がれ、神性すら削られたかのように沈黙していた。
ヘスティアは、その光景を見て、立ち止まった。
「……随分、下品な趣味をしてるじゃないか」
いつもの調子ではない。
声音は低く、冷たい様子に、ヴェレスは肩を竦める。
「あら、妾なりに可愛く整えたつもりなのだけれど。信仰って、見た目が大事でしょう?」
「信仰と虚飾を一緒にするなよ」
短く返す。
その背後で、エレナとノンナが息を呑んだ。
彼女たちもまた、ここへ来るまでに見せたことのないヘスティアの雰囲気に、言葉を失っていた。
ヴェレスは、そんな反応さえ愉快そうに眺めている。
「ねえ、ヘスティア。妾、貴女のこと嫌いじゃないのよ。小さくて、愛らしくて、子供みたいで。
──子供のように笑って、何も分からない振りをしているところなんて特に」
「残念。僕は最初から君みたいな奴が一番嫌いだよ」
間髪入れずに返されたその一言に、ヴェレスの笑みが僅かに深くなる。
「まあ。どうして?」
問い掛けは甘い。
ヘスティアは一歩、前へ出た。
「子供たちを弄ぶからだ」
静寂が地下の空間を包み込む。
地下の祭壇に流れていた黒い魔力が、ほんの一瞬だけ揺れた。
「人が救いを求める声を都合よく解釈した。
苦しいから終わらせてやる。辛いから壊してやる。そんなの、救済でも慈悲でもなんでもない」
ベロボーグを一瞥する。
「自分の信じた民に縛られて、利用されて、それでも否定できずにいた。彼の罪は、確かに重いのかもしれない」
その視線が妖艶に嗤うヴェレスへ戻る。
「でも、君の罪はもっと下らない」
ヴェレスの眉が、初めて僅かに動いた。
「下らない、ですって?」
「うん。だって君、自分じゃ何も背負ってないだろ」
確信を突いた一言。
「人の絶望を利用して、神の失敗を利用して、精霊の嘆きを利用して。全部素材として扱ってるだけだ。
悲しみを、苦しみを、憎しみを、世界を壊すための燃料にしてるだけ」
ヘスティアは更に踏み込む。
「お前がやってることは、断罪でも救済でもない。
ただ他人の痛みを、綺麗な言葉で飾り立ててるだけ。
──黒幕顔で物語を動かしているつもりになっているだけだ」
「……」
「それってさ、一番卑怯じゃないか」
沈黙が落ちた。
ヴェレスは暫く口を閉ざし、やがて、くすりと笑った。
「神のくせに、随分と人間贔屓なのね」
「当たり前だろ」
ヘスティアは迷わなかった。
「神が上だなんて思ったこと、一度もない。神はただ長く生きて、少し多く知っているだけだ。
だからこそ、子供たちの痛みを踏み台にするのは許さない。
子供たちを私欲のために道具のように扱うのは絶対に許さない」
言葉と共に、空気が変わる。
小柄な女神の輪郭が、僅かにぶれる。
光でも闇でもない。
神威が、静かに満ち始めていた。
エレナとノンナが思わず膝を折る。
呼吸が浅くなり、立っているだけで精一杯だった。
ヴェレスは尚も座したまま、ヘスティアを見上げる。
「許さない、ね。ならどうするの?妾を討つ?
それとも、この哀れな光の神を解き放つ?」
ヘスティアは答えない。
代わりに、ベロボーグの前へ立つ。
鎖を見下ろし、絡みつく蛇の徴を睨む。
「ヘスティア。貴女は勘違いしているわ」
ヴェレスが足を組み、頬杖をついた。
「妾がしているのは、ただの後押し。
人は滅びたがっているし、壊れたがっている。終わりたがってもいる。
妾はその願いに、形を与えてあげただけ」
「違う。やっぱり君の考えは間違えてるよ」
ヘスティアは即座に否定した。
「人は何度だって、終わりたがるし、何度だって投げ出したがる。
でも、その度に
振り向く。
その瞳には、もはや軽薄さも愛嬌もない。
「君はそこを見てない」
「……」
「見てないくせに、
それは断罪だった。神が神を裁く言葉。
力ではなく、在り方によって相手を否定する審判とも言える。
「ヴェレス。君の罪は、滅ぼそうとしたことじゃない」
ヘスティアは言い切る。
「希望を嘲ったことだ」
その瞬間。
地下祭壇に満ちていた黒い魔力が、びり、と軋んだ。
ヴェレスの笑みが、ほんの少しだけ消える。
ヘスティアはベロボーグの拘束へと手を伸ばした。
「君はここで終わりだ。
シキ君が地上の災厄を引き受けてる。
なら、僕はこっちを終わらせる」
小さな掌が、鎖に触れる。
「子供たちの希望を返してもらうよ」
───────────────────────
「終幕だな」
『何故だっ!何故私の怒りは、憎しみは、苦しみは私に答えない!』
泥による修復が追い付かず、仰向けに倒れ込んだ。
彼にもう立ち上がる気力は無い。
文字通り、力尽きた。
もう悪態を吐くことしか出来ないコシンを、ただ穹から見下ろす。
詠唱は終えた。
彼の胸元を丸ごと抉れるような大きさの雷槍。
『殺、す…殺す!殺す殺す殺すコロスコロスゥ!!呪ってやる!この世全てを!』
「恨むなら己の能力不足を恨め。お前は部族の英雄ではなく、愚者であったと。世界はいつだって残酷だよ。その残酷な世界で自己を見失えば、ただ呑み込まれるだけだ」
穹から雷槍が振り下ろされた。
杭を打つように、コシンの胸に穿たれた。
シキは
「さて、本命はここからだが、どうなる」
嵐の繭に身を潜めたままのサモディヴィへと目を向ける。
数秒の沈黙。
嵐の繭は、ただそこに在った。
動かない。
音もない。
だが──
「……来るか」
シキが小さく呟く。
その瞬間だった。
───ド ク ン
繭が脈を打った。
そして、空気が歪み始めた。
繭から嵐のような魔力が吹き荒れ、空間が引き裂かれているような感覚に陥った。
嵐のせいで巻き上げられた砂を防ぐ為に、顔を腕で隠した瞬間──
───轟ッッ!!
嵐が爆ぜた。
繭が内側から破裂し、暴風が半径数百メートルを一瞬で呑み込む。
瓦礫が宙に舞い、地面が抉れ、建造物の残骸が紙のように吹き飛んだ。
「ッ──!」
シキは咄嗟に雷を纏い、衝撃波をいなす。
その中心。
そこに、“それ”はいた。
先程と同じ姿ではない。
三つ首の女体。
だが、その輪郭はより濃く、より歪んでいた。
彼女の視線はシキではなく、更に低い。
倒れている鎧の巨人を。
「──やはり、吸収が目的か!」
サモディヴィと見られる正面の口が開く。
大気そのものが震え、地面が軋む。
言葉ではない。
だが、確かに意味を持った“意志”を感じ取れた。
──返せ
──それは、我らのものだ
──還れ
瞬間。
サモディヴィの巨体が消えた。
「ッ!?速ッ──」
次に現れたのは、コシンの真上。
四足の巨躯が、音もなく降り立つ。
ズドン──などという衝撃はない。
ただ、水滴どうしがくっつくように、エネルギー的に安定を求めて。
コシンの身体が、沈む。
サモディヴィの身体に鎧の巨人が溶け込んでいく。
『───ァ……?』
死んだはずの巨人の喉から、声が漏れた。
間もなく、黒泥が逆流する。
体外へと噴き出し、サモディヴィへと吸い寄せられていく。
精霊の欠片ごと、鎧の巨人を形成していた要素を尽く吸収していく。
「おいおい……」
シキが苦笑する。
「死体漁りとか、趣味悪すぎるだろ」
だが、状況は最悪だった。
サモディヴィの
存在密度が増していく。
空間が歪む。
風ではない。
嵐そのものが意思を持っているようだった。
全てを飲み干すように、当たり前にそこに存在するリソースを呑み込んだのだ。
「恨むぜマーリン。こんなのを後6回繰り返せって?!」
サモディヴィの三つの首が、同時に笑った。
初めて左右の首が動き出した。
今度は、はっきりと声が出る。
「───見つけた」
風が言葉を運ぶ。
流暢に綴られる言葉に、本物の精霊と認識せざるを得ない。
「───欠けたままでは、足りない」
その視線が、ゆっくりとシキへ向いた。
「───次は、お前だ」
「……ああ、そう来るかよ」
シキは雷を纏い、構える。
背後で、コシンがゆっくりと意思もなく立ち上がる。
人形のように揺蕩うように、空虚な表情を浮かべて、聖都の方へと歩を進め始めた。
「彼奴は──いや、大丈夫だ。俺の眼が問題ないと判断したんだ。なら俺は…此奴をどうにかしないとな」
森の精霊リーシー、水の精霊ルサールカ、嵐の精霊サモディヴィ。
三柱の精霊の霊基は一つに融合し、変質していた。
在りし日の故郷を取り戻す為に、憎悪に燃えたコシンの呪い。
冥界の女神による
再び、一つの寄辺へと戻る精霊の悦び。
そして、変性は成った。
手の届かぬ故郷を奪われた憎悪が産んだ妄執の鬼。
───人類悪『郷愁』
『──ァァ──ァア──アアアア!!!』
世界に終末を齎す悪意の産声が響く。
──────────────────────
皇城地下。
儀式の間にて、神三柱による睨み合いは続いていた。
そして、ヴェレスが展開していた“神の鏡”でシキ達の状況を覗いていた。
「君の目的は、あの怪物だろ。最初から鎧の彼のことなんか見てもいなかったんだ」
神の鏡に映る地上の惨劇を一瞥し、ヘスティアは静かに言い切った。
「コシン・チェイスの願いを叶える振りをして、君は最初から利用することしか考えていなかった。
彼の復讐も、精霊の嘆きも、ベロボーグの失敗も。全部まとめて、自分の遊び道具にした」
ヴェレスは頬杖をついたまま、くすりと笑う。
「遊び、ねえ。随分と軽く言ってくれるのね。
妾はただ、可能性を押し広げてあげただけ。
あの復讐鬼は願った。
精霊は嘆いた。
民は救いを求めた。
なら、それらを一つに束ねて、新しい終わりを作ってあげることの何が悪いの?」
「全部だよ」
即答だった。
「願ったから利用していい訳じゃない。
苦しんでいるから壊していい訳じゃない。
救いを求めた声を、終わりの免罪符にするな」
ヘスティアの声は低く、鋭い。
小さな身体から溢れる神威が、じり、と床を軋ませる。
「君は何も産んでない。
ただ、誰かが零した痛みを拾い集めて、“それっぽい意味”を後から貼り付けてるだけだ」
ヴェレスの笑みが、わずかに薄くなる。
「……随分と手厳しいのね、竈の女神さんは」
「当たり前だろ」
ヘスティアはベロボーグの鎖に触れたまま、ヴェレスを見据える。
「僕は、家に帰ってくる子供たちを待つ神だ。
誰かの絶望を“物語”にして愉しむ神なんて、一番嫌いなんだよ」
エレナとノンナは膝をついたまま顔を上げられない。
神と神の間で交わされる言葉が、もはや会話ではなく、在り方そのものの衝突であると理解していた。
ヴェレスは沈黙し、やがて肩を竦める。
「それで?妾をどうするの。断罪ごっこは済んだでしょう?今更抵抗する気は無いわ。もう
「ごっこでもいいさ。これは天界で行われる審判に変わらない」
ヴェレスの足元を這っていた黒い魔力が、ぴたりと止まった。
祭壇に刻まれた術式が、神威の圧に軋む。
「ヴェレス。君の罪は、人を滅ぼそうとしたことですらない」
ヘスティアはゆっくりと告げる。
「他人の罪と痛みを、
びり、と。儀礼祭壇の一角に亀裂が走る。
ヴェレスの目が、初めて明確に細められた。
「……神の分際で、人の側に立つのね」
「違う」
ヘスティアは首を振る。
「僕は
「もう…良い」
鎖が外れたベロボーグが声を上げた。
掠れた息が漏れ、弱々しい声で、立ち上がる。
「…ずっと見ていた。聞いていた。全て否定できぬ.」
彼の視線はヴェレスではなく、祭壇へと向いた。
流れる悪性。
積み上がった祈り。歪められた秩序。
「これは、我が罪の成れ果てだ」
後ろで控えていたエレナとノンナが息を呑む。
それはそうだ。
ここには神威を剥き出しにしている神が三柱もいるのだ。今すぐにでも泣き叫び崩れ落ちたいレベルだ。
「始まりは勘違いであったとしても、それを正せなかった。
荘区を作り、切り捨て、見ぬふりをした。
民の善性を信じるあまり、悪性の行き先を見失った。……我は、光を掲げながら、影を育てた」
ヴェレスが鼻で嗤う。
「今さら懺悔?遅すぎるでしょう」
「そうだ」
ベロボーグは否定しない。
「神故の傲慢さが、この国だ」
その言葉には、不思議と力があった。
ヘスティアは何も言わない。
ベロボーグは、ヴェレスへと視線を向けた。
「ヴェレス。お前は我が罪に付け込み、民の痛みを喰らい、精霊の嘆きを弄んだ」
白い神威が漏れる。
彼は地面に落ちた銀の短剣を拾い上げる。
それは、儀式の際にコシンが使用していた、今は役目を失った短剣。
「我が招いた歪みであったとしても、それを嗤い、煽り、世界を壊す理に変えたのはお前だ」
ヴェレスの笑みが、完全に消えた。
「僕たち──全知零能な
人類史に溜まる澱みであり、人類が発展するほど強大な存在となって、その社会を内側から食い破る人類種の癌細胞のような存在。
そして、
──“文明より生まれ文明を食らうモノ”
──“霊長の世を阻み、人類と築き上げられた文明を滅ぼす終わりの化身”
──と謳われる人類悪」
ここで言う人類は下界に住まう子供たちだけではなく、
この命題は邪神であろうと関係なく、人類悪が誕生したなら対処しなければならない規律がある。
そして、人類悪が齎す終焉に対して、英雄が立ち上がるという条件時のみ、
「これは僕たちの問題でもあるんだ。神々が決定した規律は絶対だ。
君はそれを破って人類悪の誕生に加担した。一体何が目的なんだ」
「さぁ、答える理由はないわ。天界に還すなら早くしてちょうだい。どうせ長くは持たないもの」
投げやりでも、諦観でもなかった。
最後まで、他人事のような声色だった。
まるで、自分だけは舞台の外にいるとでも思っているように。
「ふふふ、でも、そうね。勇姿を見させてもらったお礼に、少しだけヒントをあげるわ」
ベロボーグは静かにヴェレスの前に立ち、銀の短剣を突き立てる。
「妾は悦楽に浸る為に、私欲に走ったことは違わないわ。でも、過程が違うのよ」
神の送還特有の光の柱が、地下から空へと昇る。
致死に及ぶ傷を治そうと、不死性による
「元を辿れば、この命題は神々の怠惰が産んだ滅びの結果。妾は──私はただ、遊び呆ける神々に思い出すべきだ、と忠告しただけよ」
光の粒子となって空へと昇っていく。
彼女の肉体はもう原型を留めていない。
「何故この命題を掲げなければいけなくなったのか」
ふふふふ、存分に悩み困惑しなさい。
世界が寵愛した終幕の英雄の親なら、尚更ね。
此れは下界に堕としてしまった神々の原罪なのだから。
あぁ、それにしても彼は素敵ね。
見ず知らずの国の為に命を賭けれるなんて…正しく、世界が求めている英雄そのもの。
ふふ、ふふふふ、あははははははは。
天から結末を見届けてあげるわ。
貴方の英雄譚を。
神々の原罪…?
なんだそれは、意味が分からん