7名が一斉にスタートを切った。
ゼッケン番号で大きく数字が振られている訳ではないためスタート直後は意外とごちゃごちゃしていて誰が何番手なのか観客席からは分かりづらい。その中でも前例がない白毛のウマ娘はよく目立った。
番号3番、2番人気。トウショウトドロキだ。
出遅れのない全員揃った綺麗なスタートである。ただし、トドロキは今回前に飛び出す事はせずすぐさま後方位置に待機した。
前に飛び出すと見て加速していた全員が不意打ちを食らって掛かり気味になった。
だがG1に出るだけあってすぐに速度を落としペースを維持する方向に動く。
前走者の水飛沫と泥が跳ねてくるのすら気にせずに後方に下がる選択は今までしてこなかった手であり、想定していたウマ娘達は困惑せざる終えなかった。
本来の捲りならこの動きは正しい、だけれどデビューから3戦。それまで奇抜な走りをしてきたことが判断を狂わせる。
心理的動揺を取れたものの、それは長くは続かない。後ろに居続けるのならそれはそれで十分だからだ。それに敵はトドロキだけではない。
レースに出る全員が敵で、バトルロワイヤルだ。勝者は1人、相手は6人。
全員分の情報を叩き込んで対処し、勝ち目を作り出すのはそう簡単に出来るものではない。
レースは逃げのマリクローネが先頭に立ってのレース展開となる。不良場でもあり全体的にロースペースで進んでいく。
200m通過時点で出来上がった集団はマリクローネから4バ身離れて先行を選んだ2人と、3バ身後ろに4人が連なっていた。
最後尾につけたトドロキは、中々上がらない気分を無理やり上げつつもやや加速した。1600mは彼女にとっては短めの距離でありこのままロースペースで進んでも自らのスタミナを活かしきれない。
故に分からないように、少しづつ速度を上げていく。
逃げが前からレースを作るなら、トドロキは後ろからレースを組み立てる。
自らの都合の良いレース展開を作り上げる。それはまさしく悪魔とも神とも言える所業。
あえて前方にいた子と歩調を合わせて足音を消しつつも、歩幅をとる事で加速していく。
足音は変わらないのに息遣い、心臓の鼓動。それが大きくなってくる事に気づいたトドロキの前に陣取っていたウマ娘は、自分が減速しているような錯覚に陥った。彼方の歩幅も足音も変わらないのに近づいてくる。この場合自分自身の歩調が狭まり加速が鈍っていると感じやすい。特に周囲はローペースでありスタミナはまだ十分だ。さらに中山のコースが前半長い下になっている事も影響した。トドロキと同じく彼女も加速をする。
前方との距離が近くなっている事に気がつくも、彼女もまた1600mは適正距離としては短い方だった。
本来彼女は先行の脚質だったのだがトドロキ対策を兼ねて全員がスタートで加速した為位置取りに失敗し後方に下がらざる終えなくなっていた。本来のポジションに戻す行為だと頭は都合の良い理屈を生み出す。
既にトドロキは彼女の後ろから、その隣を走るハツノアヤの後ろに移動していた。
足音を被せるようにして極力気配を殺し、隠れ続ける。流石にハツノアヤも後ろにピッタリつけられたと気づくが、気にしないようにしていた。下手に周囲を気にするとそれだけで普段通りの走りにも影響が出るのを知っているからだ。
先頭を走っていたマリクローネが後方との距離を見ようとしてコーナーに入った段階で一瞬後ろを見た。
(え?もう仕掛けてる⁈)
自らが生み出したロースペースでの走りの最中、まだ第三コーナーだと言うのに集団の中に1人加速しているウマ娘を見つけた。
特徴的な白毛はそれとは無関係な位置にいるようだった。つまり白毛の策略関係なしにあれはロングスパートをかけている。そう判断してしまった。
心に一抹の不安が芽生え無意識下でローペースが崩れる。
このままのペースでは追いつかれる。心のどこかでそう思ってしまった。
自らが作り出したスローペースでスタミナを温存し最後にスパートをかける二段構えの作戦が綻び始める。
無意識下で足が進み始める。
一方完全に勘違いの対象になったウマ娘は、先行の位置どりをするウマ娘の後ろにつけた段階で速度を落とした。だが体感ほどに速度は落ちない。
マリクローネが加速したことで彼女を見て一定の距離を測って走っていた全体が釣られるように加速していたからだ。ただでさえ走りにくくスタミナを消耗しやすい重場だ。速度が上がった事による疲労の蓄積は良場よりも数段重たい。さらに全身に打ち付ける12月の冷たい雨が余計に体力を奪っていく。体温が奪われ温まっていくはずの筋肉を強制的に冷やしていく。
スタミナが必要以上に削られ、その分の皺寄せはスパートにかかる。
さらにスローペースなのを取り戻そうと言う意識が全体で出来上がっていた。それが原因で加速が加速を生み、1人の加速が連鎖的にペースを押し上げていった。1人が大体的に加速すればそれは掛かりと見做される。
けれどもゆっくりと少しづつ加速していけばそれはペースを変えるように見える。
相手を信用しない。それが悪い方で出た。
(下地は出来た。準備も整った。コンディションは最悪だけれど、勝ち目は潰せるだけ潰した。後は、我の実力で押し通す!)
ーーーー‼︎
耳に一瞬聞こえた幻覚のようなものを振り払うようにトドロキが足を早めた。ゆっくりとハツノアヤの背後から出てコーナー内側に入るように加速していく。緩い加速であるが既に彼女はスパートをかける準備に移っていた。そしてガラ空きの内側コース。雨と前のレースによって踏み荒らされた場所のギリギリのポイントを通過していく。少しでも踏み外せば芝が荒れて泥と土が見えている最悪の場所に飛び込む事になる。
それでも臆さずに加速しては縁を駆け抜けていく。
トレーナーに教わった事でどのコース距離でも最終的にスタミナは使い切る。余っていても、足りなくてもどちらでもダメできっちり使い切る走りを出来ればそれが一番速い。根性で走れる距離は僅かに10mもない。
(脚の寿命をすり減らせばもう少し伸びるがそれで故障などしたら目も当てられない)
勝てないのは嫌だが故障する、怪我をするのはもっと嫌だった。
だからギリギリを攻めながらも、それでも体に負担をかけ過ぎずに彼女は加速していく。
隣に並んでくる白毛とゴスロリドレスが視界横に映り反射的にハツノアヤが加速した。彼女にとっては少し早いスパート。トドロキにとっては丁度いいスパート。加速の伸びでいけばハツノアヤの方が上だったが、重場だった事もあり滑りやすい上にコーナー中での加速は制限がかかる。
(ん?重場慣れしてないのかな?)
実のところトドロキは雨の時に走るのが好きな性格だった。
体を打ち付ける雨粒が心地よいし何より走った後が明確に地面に刻まれる。汗だくになるのも隠すことが出来る。そして何より雨音で周囲の音が聞こえにくくなるのが、彼女にとっては好きだった。走っている合間くらい野外の陰口は聞こえない方がいいからだ。
だから雨の中でどのくらいの速さで走れば曲線は抜けられるのか。どれほどの加速までなら滑らないのか。自然と雨の中で走るうちにそういった条件は体が覚えていった。
だからトドロキもハツノアヤが加速でもたついているのに気づいた。だが限界加速には個人差もある。歩幅や体重、重心のブレ具合で大体が決まるが、この時作用していたのは体重だった。より正確に言えば芝を踏み込んだ時の力のかけ具合だった。
それでもトドロキを抜かせまいと強引に加速を行う。想像以上に彼女のスタミナは削れていて、焦りが更に体の動きを疎かにする。
そしてそれは最悪の形で発生する事になった。
第3コーナーが終わりすぐさま第4コーナーに突入する。角度がキツくなるそのタイミングでトドロキの一つ前にいたハツノアヤが大きく外側によろけた。
(……え?)
加速をしようとして必要以上に足を踏み込んだ結果、コーナー内側の右足が必要以上に重場に沈み込み、左足の荷重が抜けてしまったのだ。
トラクションが抜けた足と靴の摩擦だけでは濡れた芝を捉えきれない。思いっきり左足が滑り、体が左に傾く。時速60km/h近い速度で体が前のめりになっていく。それでも必死になって転倒を阻止しようとするものの、バランスを崩した事でコースを維持できない。そのまま遠心力を殺しきれずにコーナー外側に吹っ飛んでいった。
足首が曲がってはいけない方向に曲がりそうになって大きくつんのめった。
幸い転倒は避けられたものの、コースアウトに近い状態であり復帰は不可能だった。
さらに彼女が前を横切った事で、咄嗟に外側を走っていた2人が急減速を強いられた。
やや遅れて甲高い悲鳴が観客席のあちこちから聞こえた。転倒せずそのままコーナー脇のスタンドの柱を覆っている外壁にもたれかかるようにして止まったハツノアヤ。
急減速で同じくバランスを崩した2人が体勢を立て直そうとしている。
(あ……え?っ!)
「しまった!」
悪夢のせいで気が沈みがちで精神的に参っていた事もあり、集中力が切れかけていたトドロキがついそれに意識を持っていかれ、スパートのタイミングが遅れる。
慌てたように地面を踏み込みコーナー外側に飛び出して加速に入る。爆発的な加速で雨を染み込ませた地面が捲れ上がる。凄まじい力がかかったことにより靴裏の蹄鉄が軋みを挙げて捩れ、耐久度を一気に減らしていく。
こちらも転倒や足を滑らせかねない危険な走りだったが、コーナーが既に終わりを迎えていた事もあり大事には至らない。芝が土ごと塊になって吹き飛んでいくほどの踏み込みで、一見掛かったかのように見えた。
『トドロキがここで上がっていく‼︎最後の直線は短いぞ!間に合うか‼︎』
坂を一気に駆け上がる。加速はまだ弛まない。
(……‼︎来た‼︎)
先行を選んだ2人との合間に空いていた3バ身の距離が一気に縮まる。丁度並んだところで、同時に3番手にいたハーディービジョンもスパートをかけた。白毛と鹿毛が並んで加速していく。
2番手にいたクロサイレンもスパートをかけるが、こちらはスタミナが残っておらず加速しきれない。
ハーディービジョンがここでスパートをかけれたのは単に幸運だった。全体の掛かり気味な加速に巻き込まれないようクロサイレンスの背後でスリップストリームをうまく使いながら堪えていたのだ。
その真価は今発揮される。
マリクローネは、いつのまにかハイペースになっていた事でスタミナが保たない。こちらもクロサイレンと並ぶように失速する。空いたスペースにトドロキが入り込む。その内側にハーディービジョン。
順位が大きく入れ替わった。ほぼ横並び。トドロキも普段の表情が崩れて闘志が顔に出ていた。
姿勢を低くして速度を維持する。横並びは変わらない。
残り100m通過。
『マリクローネ失速‼︎先頭は変わってハーディービジョンとトドロキ!2人が加速する!後方は追いつけない!一騎打ちだ!』
トドロキの耳に実況の声が入ってくるがその内容は右から左に流れる。雨の音をかき消すように歓声が聞こえてくる。
「1番は……」
呼吸が苦しい。それでも最後まで競い合う。心にまとわりつく焦燥が、今ばかりは心地いい。
視界の横にちらちらと見えるハーディービジョンにどこか嬉しさを覚える。
だけれど同時に負けたくないと言う闘争心が本能を呼び覚ます。誰よりも前へ、走り抜ける。悪魔が耳に囁く。もっと加速しろ。
(だけど……)
一瞬迷いが生じた。相手から見れば苦しくなるだけの走りを強いられる。それにどれほどの価値があるのか……私はそれを強いていて持ちっとも嬉しくなんかない。
そんな気の迷いは僅かコンマ数秒だけだったが、速度を鈍らせた。
『並んだままゴールイン‼︎クロサイレン、マリクローネと続きます!』
ほぼ同時にゴール板を通過した。横並びのまま、大接戦だった。
肩で息をしながら、トドロキは表示板を見上げた。3着までは確定済み、そしてなかなか点灯しない1着と2着の表記。
「ど……どっちだ?」
長い合間審議ランプが点灯し続け、ようやく順位が確定する。
1着ハナ差、4番。
ハーディービジョンの番号だった。