「なぜ……」
「ま、負けた……?」
負ける我に価値など……無いではないか……
声援はハーディービジョンに与えられる。たった1人の勝者が殆どの声援と視線と感情を持っていく。
自信があったわけではない。だけれどそれを覆すために色々手は打った。それで勝てない私って一体……
どうやって控え室に戻ってきたのかは分からない。普通に歩いて戻ったのだと思う。トレーナーさんはなにも言わないで、ウィニングライブをライブの準備を進めていた。今はその心遣いが有り難かった。
2着。結果だけ見れば十分凄い事だと皆は言う。
確かにG1に出れると言う時点で上澄も上澄。誇っていい事だと言う。ただ、それでも…
「勝つことすら出来ぬなど……我になにが残ると言うのだ」
いや、もう一度ハーディービジョン先輩に挑んで勝てれば……
だけれど私の思いも虚しく、ハーディービジョン先輩は次の日になって検査入院となっていた。
私の前で転びそうになっていたハツノアヤ先輩も軽度の捻挫だった。
2日が経ったものの、いまだにトドロキはチームの部屋で机に突っ伏して呻いていた。
これではトレーニングどころではない。心が折れたわけではないものの、完全にメンタルケアが必要な状態だった。
授業の様子は沖野には分からなかったものの、この様子だと授業中やそれ以外でもかなり落ち込んだ様子が見えるだろう。
沖野はそう思っていたが実際のトドロキは学園生活自体では相当な無理を通して体面だけは守り通していた。
いつも通りな時点で体面もなにも無いけれども。
「なあトドロキ……そろそろ直らねえか?」
レース後にトドロキの前にいたハツノアヤが競走中止となった。そっちは軽度の捻挫で済んだだけだったので大事には至っていない。
問題はハーディービジョンだった。彼女は検査入院となっていたがどうにも状態がよろしくないらしい。
「まあお前は捲くりだ。こういう事故もあるさ。それに2人の怪我はお前とは関係ないさ。運が悪かっただけだ」
「うん……ありがとトレーナー……」
(こりゃ相当重症だな。やっぱりこいつの問題点はメンタルか)
癖が強いウマ娘が集まっていたチームスピカでもここまでメンタルが弱いウマ娘は初めてだった。沖野でも流石にここまでのメンタル不調は経験したことがなかった。
(友達に励ましてもらったり自力で立ち上がってもらうのが1番なんだが……)
それが出来たら苦労はしない。沖野と言えどそう簡単に答えや方法が見つかる問題ではなかった。
「気分転換に今日は散歩でも行ってきたらどうだトドロキ」
沖野は有無を言わさずトドロキを部屋から追い出すことにした。
部屋に篭りっぱなしでも仕方がないからだが、気分転換させて少しでもメンタルを回復させた方がいいと判断したからだった。
大雨だったレースの時とは打って変わって関東圏内は青空が広がっていた。マフラーを首に巻きつけたトドロキは、散歩と言われてもあまり乗り気ではなかった。
グラウンドやコースには他のチームや、自主練をしているウマ娘がいて、トドロキはどこか居心地が悪かった。足早にそこを通り抜けて、本望のままに歩いていたトドロキが我に帰った時には、学園本校舎の中庭にある花壇の近くに来ていた。
「やはり我はここが落ち着く……」
ただ、ちょうどしゃがんで作業していた先客がいた事に、トドロキは気が付かなかった。
花壇の手入れをしていたシンボリルドルフが頭を上げた。
「……あ」
気付いたものの咄嗟に会釈だけ済ませてルドルフから逃げるように立ち去ろうとするトドロキだったけれど、ルドルフは逃さない。
「やあトドロキ。朝日杯は惜しかったね」
「うん……」
流石にルドルフもトドロキの様子がおかしいのに気がついた。
尻尾も耳も力なく垂れている。
「……なんだ、元気がないな。相談くらいなら乗れるから話してくれないか?」
本当は1人で抱え込んでおきたかったのだが、ルドルフがそう言ってしまったら、断ることができなかった。
花壇近くのベンチまで案内され、座って話そうかと言われれば、気が弱い方のトドロキは素直に従うばかりとなる。
「勝てなかった事で落ち込んでいるのかい?」
本質を言えばそうであり、そうでないとも言える。トドロキの中でうず巻いている感情はこんがらがった蜘蛛の巣のように複雑だった。
「うん……本当は友達と一緒に走るのが楽しくて一緒に走っていたいだけだった。でも友達は楽しくないってみんなやめて行っちゃって、ならもう勝つしかないと思ってたら……負けて……」
(勝てない私が走る意味なんてあるのかなって考えたら…)
勝ったところで友達が増えると言うわけでもないのも薄々気がついている事だった。
それに一緒に走っていた子が入院したり怪我したりをしていたら、その落ち込みようも大きくならざるおえない。
G1で負けるのも大半は仕方がないと言う。それに2着だから誇っていい。周りはそうでも自分自身では納得できないところがあった。
「トドロキ。私にも似たような経験がある」
いつのまにか内心の全てを話していたトドロキに、黙って聞いていたルドルフが話の区切りで話し出した。
「え……」
「私は実家ではライオンと呼ばれていた。数多のウマ娘を無邪気に、残酷に倒す。選ばれし牙を持つ者だ」
確かにルドルフの走りは圧倒される。トドロキはかっこいいと思ったけれど実際一緒に走るウマ娘からすればたまったものではないのだろう。必ず負ける。勝てるわけがない。そう言った絶望感に苛まれながら走ることになるのだ。
そして幼ければ無邪気さ、残酷さは上がる。
ルドルフ自身は早熟だったからそのことに早めに気づけたが、それでも彼女もまた一時期誰とも併走相手がいない状態があった。
現在でこそチームリギルの強豪が並走相手になっているが、実のところルドルフと併走出来るのはそのくらいしかない。こちらもまた才能で相手を押しつぶすフィジカルモンスターだった。
「そしてそれは、君もそうだ。だが私と違うのは、その先に何を目指すかだよ」
「なにを目指すか……ですか?」
トドロキは考えていなかった。勝った先でなにをするのか。トドロキにとって勝ちと言うのは必ずしも必要なことではなかった。誰かと楽しく一緒に走れていればそれでよかった。だが勝つと言う事はそれだけでは収まらない責任を勝者に持たせる。勝者という頂点に立つものはそれ相応の責務からは逃げられないのだ。
「勝って、何をするのか。したいのか。そこを考えて行動すれば、自ずと人は集まるものだ」
それは夢の賛同者として、その言葉はあえてトドロキには伝えなかった。憧れが理解から最も遠いものだと言うのはトドロキにはわざわざ教える必要のない事だったからだ。
「ルドルフさんは……なにがしたいんですか?」
「そうだね……私の望みはすべてのウマ娘を幸福にしたい。かな……大それた夢だがね」
だからこそ落ち込んでいるトドロキの事を放っておくことができなかったのだろう。ルドルフも基本的に根は優しい方なのだ。所々に自身の理想を押しつけかねないところがあるが、故に強者としての心理が育ったとも言える。そうでなければ他者を蹴落とす事にやはり潰れていただろう。
「幸福……ですか」
「ああ、レースだけが全てではないしレースで不幸になってほしくもないからね。まあ、どの口がと言われるのは当たり前だけれど」
苦笑するルドルフだったがそれでもある程度のビジョンはもうすでに描けていた。
「すごいですね……私も……」
「君もまた何かを見つけるといいさ。そうすれば……君のその孤独は少しは和らいでいくと思うよ」
(少なくとも君は1人ではないし、人に好かれやすいタイプのようだからね)
それにルドルフとしてもここで才能あるトドロキが折れてしまうのは惜しいと言う妥協があったのは言うまでもない。獅子はやはり獅子なのだった。
ルドルフに慰めてもらいこれからの目標のアドバイスを貰ったトドロキは気持ちが戻ってきたのかすぐにチームルームに戻った。
颯爽と戻ってきた彼女を見た沖野は散歩に放り出した甲斐があったと内心喜んでいた。担当ウマ娘がいつまでも凹んでいるのは見ていて気持ちがいいものではない。
「おう、なんか良さそうな顔になったじゃねえか」
「ルドルフさんにあってね」
普段の口調が崩れていると言う事はそれだけ良いことがあった証。
「おう、そうかそうか。なんか言われたか」
「勝つ先になにを見るかって言われたけど……ルドルフさん凄い理想持ってた」
そこまで話したところで大体どんな励ましを貰ったのか想像がついた沖野は、それを彼女が目指す目標に昇華させるべく頭を回した。
「なら、お前さんもそれに見合ったもの……そうだな.先駆者にでもなるか」
「ほう、我が時代の先駆けとはそれは満月の舞踏会ではないか」
「そうだな……時代の先駆け。誰もやったことがない。あるいは達成できていない事」
「なら我は栄えある大英帝国に上陸を果たし始祖を踏破せしめようか?それともフランスの勝利の凱旋をその名にもつレースで勝ち星をあげようか」
「ちょいまちちょいまち‼︎ちょっと考えさせてくれ‼︎ってかお前も口だけだろう!よく考えろ!」
「う、わかった」
流石に壮大すぎる提案に待ったをかけた沖野。言うのは簡単だが現実は簡単ではない。だがトドロキの才能なら不可能ではないかもしれないと薄々思い始めていた。
そこに着信が入る。
スマホの画面に表示された相手の名前に懐かしさを覚えながら、沖野は電話をとった。
「ちょっと電話出てくるからそれまでに考えをまとめておいてくれ」
「わかった」
部屋を後にした沖野が電話に出るとややアルトトーンの低めの女性の声がマイクから聞こえた。
『よう、元気にしてたか?』
「お前からかけてくるなんてほぼ初めてだな」
電話に出た相手とは番号を交換してから期間が空いていた。久しぶりの声に沖野の機嫌も良くなっていく。
『お前かじゃないやい。折角電話かけてやったのによぉ』
基本手紙でのやり取りを今でも主流とする少し変わった性格の相手は、懐かしさを楽しむようなやや弾んだ声をしていた。
「それでなんの要件だ?電話をかけてきたって事はトレーナー免許は通ったんだろう?」
『当たり前よ。取り敢えず書類はトレセン学園に通したら1週間くらいしたらそっちに行けるぜ。それでよぉ、あんたのチーム面白いやつ入れてるじゃん』
「トドロキの事か?なんだ耳が早いな」
『面白そうだったから色々調べた。まあ、随分とメンタル面が心配だがな……それにしても時代の開拓者になれかあの獅子王も案外人が悪いな』
「お前どこかで見ていたな?」
『当たり前よ。見ていなかったらこんな電話しないっての』
くつくつと笑い声が聞こえる。どうやら昔からの性格は変わっていないようだと沖野は頭を掻きながらぼやいた。
『提案だ。時代の開拓者。それにわたしも一枚噛ませろ』
電話越しで彼女が悪い笑みを浮かべている姿が目に浮かんだ。そうだ、あいつはそう言うやつだ。昔からちっとも変わってなんかいねえじゃねえか。なら、やってみる価値はありそうだ。
「……わかったよ。考えがあるんだな?タケホープ」
『まあ実際のところ不可能に近いだろうがな。だが方法はある』
かつてのアイドルウマ娘。地方から中央に来てトップクラスと戦ったハイセイコーの最大のライバルとされヒール役として人気を誇ったアイドルの立役者にしてもう1人の主人公とまで言われたウマ娘。
電話をしつつ彼女はトレセン学園の校舎で双眼鏡を構えて目標を見ていた。
「時代を変えるのはいつだって意思だからな」
ハーディービジョンが無事に病院から退院できたのはさらに四日後だった。
だけれど、2月のトレーニング中に靭帯を損傷する怪我をして彼女はレースを引退せざるを得なかった。